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藤永茂による村上陽一郎批判

関連ページ:村上陽一郎の「微分の言い抜け」説


藤永茂、「科学技術の犯罪の主犯は科学者か?」 (岩波『世界』1998年1月号、 289-301頁) から村上陽一郎の『科学者とは何か』 (新潮選書) への批判を抜粋し、コメントを付けておいた。村上陽一郎の科学者論を信用してしまった人は藤永の指摘に注意を払うべきである。もしも村上陽一郎の科学者論を信用してしまっている方を見付けた場合にはここの存在を是非とも教えてあげて欲しい。


参考リンク集


抜粋

藤永茂、「科学技術の犯罪の主犯は科学者か?」 (岩波『世界』1998年1月号、 289-301頁) の292-295頁より

いまポピュラーな科学論、科学者論

「核兵器が絶対悪であるならば、それを生み出した物理学も絶対悪であり、その研究にいそしむ物理学者も許されるべきではない」

 文芸評論家唐木順三氏は、この激烈な反科学者論を未完の遺稿の中で展開したが、その執筆のために参照した文献の中に、村上陽一郎著『新しい科学論』 (講談社) が含まれていたのは極めて興味ぶかい。唐木氏は前著『日本人の心の歴史』の終章では「科学及び技術はその性質上、累積的に進歩する。進歩せざるをえない」と書いていたが、この常識的な科学進歩観を村上氏の『新しい科学論』は真っ向から否定する。科学の知識は累積もしなければ進歩もせず、客観性もない、と主張する。これが唐木氏の科学観に影響をあたえたことは十分考えられる。村上氏の科学論は「科学と科学者の失権」を一般の読者に説くことを目的とした科学論である。

〈中略〉

 次に、「科学者論」に移る。現在、最もポピュラーな科学者論の著書は、おそらく、村上陽一郎著『科学者とは何か』 (一九九四年、新潮選書) であり、日本人の間で支配的な科学者観を与えていると思われる。本書の帯には「危険な一面を持つ閉ざされた研究集団の歴史と現実」とあり、

「知識職能者としての科学者が一九世紀社会に誕生したとき、それは他の同業的職能者に比べて顕著な特徴を備えていた。一言で言えば『無責任態勢』。この態度は一方では今でも変わっていない。しかし、もう一方では、種々の圧力から、ようやく科学研究という行為に伴う責任をどうとるのか、という考え方が、科学者の間にも生まれつつある。」

 という著者の言葉がある。この著作もまた、クーンの『科学革命の構造』と密接に関係している。

 『科学者とは何か』の第一章のタイトルは「唐木順三が言い遺したこと」である。唐木順三は朝永振一郎を良き科学者として賞賛し、湯川秀樹を悪しき科学者として弾劾した。村上陽一郎氏も、科学者を、少数の良き科学者と多数の悪しき科学者の二つのグループに分ける。マンハッタン計画について言えば、L・シラードは英雄、R・ファインマンを含む大多数は悪漢である。しかし、英雄についても悪漢についても、村上氏の筆致には誇張潤色の気味がありはしないだろうか。

 本書の第一八頁には、初の原爆実験で、

 「その成功を見守りながら、ファインマンを含めた研究者たちは、互いに肩を擁し、杯を上げ、躍り上がって喜んだ、と彼は書いている。そこには、大量殺戮兵器がわれわれの手に入ったということについての、人間としての恐れが危惧は全く感じられない。そして、この無邪気さは、現在の研究者一般の共有するものである。」

 と書かれている。この断定は同書の第一二二頁に引用されているファインマン自身の言葉にもとづいているが、その出典であるファインマン著『ご冗談でしょうファインマンさん』 (一九八六年、大貫昌子訳、岩波書店) を開くと、村上氏が引用した文章にすぐ続いて、ファインマンの上司ウィルソンが「ヒデエモノを俺たちは造ってしまった」とふさぎこんでいる様子が描かれているし、それに続いて、ニューヨークのレストランに座って、ヒロシマを想い、人類の未来についての虚無感に苛まれているファインマンの姿がある。

 英雄シラードの取扱いにも問題がある。シラードは科学者の鑑として仰がれるほどの人物ではなかったことについて別の所で論じた (注2)。遺族公認の伝記は出版されたが、それがシラードの実像を伝えてないことは、彼の第一の親友であったウィグナーの証言からも明らかである。新しい本格的な伝記の出現がのぞまれる。村上氏は「彼はほとんど死に物狂いで、対日戦での実際の使用を止めようとあらゆる手段を尽くした」と書くが、それほどまでの美化には値しない。

(注2) 藤永茂、『ロバート・オッペンハイマー』 (朝日選書、一九九六年)。

 科学者集団は、先輩格である中世以来の職能集団、つまり医師、聖職者、法曹家などと違って“無責任態勢”をその特徴とする、と村上氏は強調するが、先輩格の職能集団の過去と現在の内情については、むしろ、ポストモダニストの犀利な筆に任せたい。村上氏が科学者の唯一の行動規範だとする“自由競争”については、ブルクハルトが『イタリヤ・ルネサンスの文化』の中で、職能集団としての人文学者について述べていることの一部分を引用しておく。

「かれらは、たがいにぬきんでようとするとなると、手段を選ばなかった。電光石火、かれらは学問上の根拠を捨てて、人身攻撃や極端な誹謗中傷に飛び移る。かれらは敵を反駁するのではなく、あらゆる点で抹殺しようとするのである。」 (柴田治三郎訳)

コメント

以上で抜粋した藤永茂の指摘によれば、村上陽一郎の『科学者とは何か』 (新潮選書、 1994年) の結論は全く信用できないことになる。藤永によれば、村上は、卑怯な引用の仕方によってファインマンを含む科学者達の邪悪さを読者に印象付け、別の一方では史料を自ら分析することなく俗説に基いてシラードを賞賛しているということになるのだ。

まず、村上による引用の“テクニック”の実態を見るために、『科学者とは何か』の122頁で『ご冗談でしょう、ファインマンさん』がどのように引用されているかを調べてみよう:

科学者たちの証言

リチャード・ファインマン (物理学者、ノーベル賞受賞者)

「そもそもことはプリンストン大学院の研究室に始まる。ある日僕が部屋で仕事をしていると、ボブ・ウィルソンが入ってきた。実は極秘の仕事をする金が出たという。ほんとうは誰にも口外してはいけないのだ、内容さえ聞けば君だって即座に参加すべきだと思うはずだ。だからあえて説明する、というのだ。そしてウランのさまざまな同位体を分離して、ゆくゆくはそれで爆弾を造る計画を打ち明けた。……僕はそんな仕事はまっぴらだと断った。……ものの三分もしないうちにさっきの話が頭に浮かんできて、仕事が手につかなくなってしまった。
 ……僕たちは、ニューメキシコ州のロスアラモスで実際に原爆を造る計画が始まるので、今までここでやってきたことは中止して、全員ロスアラモスに集まってさっそくこの仕事にとりかかるよう指令を受けた。
 ……とにかく原爆実験のあと、ロスアラモスは沸きかえっていた。みんなパーティ、パーティで、あっちこっちと駆けずりまわった。僕などはジープの端に座ってドラムをたたくという騒ぎだった……そのとき、僕をはじめみんなの心は、自分たちが良い目的をもってこの仕事を始め、力を合わせて無我夢中で働いてきた、そしてそれがついに完成したのだ、という喜びでいっぱいだった。」
(『「ご冗談でしょう、ファインマンさん」I』リチャード・ファインマン著、大貫昌子訳、岩波書店)

(村上陽一郎『科学者とは何か』122頁より)

村上の「そこには、大量殺戮兵器がわれわれの手に入ったということについての、人間としての恐れが危惧は全く感じられない。そして、この無邪気さは、現在の研究者一般の共有するものである」 (18頁) という結論は、上の引用を根拠にしているのであろう。

これに対して、藤永茂は『ロバート・オッペンハイマー――愚者としての科学者』 (朝日選書 549、 1996年、必読!) の162-163頁で、全く同一の箇所をウィルソンの不謹慎に聞こえる発言の引用の直後に「ウィルソンにフェアであるため」に引用している。村上とは全く正反対の利用の仕方である。

村上の引用の最後の段落の部分を以下に省略抜きに引用しておく。村上が恣意的に抜き出して引用した部分に色を付けて強調しておいた。なお、原文における傍点による強調部分には下線を引いておいた:

 とにかく原爆実験のあと、ロスアラモスは沸きかえっていた。みんなパーティ、パーティで、あっちこっちと駆けずりまわった。僕などはジープの端に座ってドラムをたたくという騒ぎだったが、ただ一人ボブ・ウィルソンだけが座ってふさぎこんでいたのを覚えている。
 「何をふさいでいるんだい?」と僕がきくと、ボブは、
 「僕らはとんでもないものを造っちまったんだ」と言った。
 「だが君が始めたことだぜ。僕たちを引っぱりこんだのも君じゃないか。」
 そのとき、僕をはじめみんなの心は、自分たちが良い目的をもってこの仕事を始め、力を合わせて無我夢中で働いてきた、そしてそれがついに完成したのだ、という喜びでいっぱいだった。そして、その瞬間、考えることを忘れていたのだ。つまり考えるという機能がまったく停止してしまっていたのだ。ただ一人、ボブ・ウィルソンだけがこの瞬間にも、まだ考えるということをやめなかったのである。
 それから間もなく僕は文明の世界に帰って、コーネル大学で教鞭をとったが、その第一印象たるやすこぶる奇妙だった。今はもうどうしてだが思い出せないが、そのときはとにかく非常に強烈な印象だった。例えばニューヨークのレストランに腰を下した僕は、窓の外のビルを眺め、そして考えはじめるのだ。広島に落ちた爆弾の被害範囲は、直径何マイルだったのか……、ここから三四番街まで、どれだけ距離があるのか? これだけの建物が皆吹っとんだんだ……というようなことを。また歩いていて、工夫が橋を造っているところや、道路工事の現場を通りかかると、何て馬鹿な奴らだろう、何もわかっちゃいないんだ、と思いはじめるのだ。ばかばかしい、何であんな新しいものなんか造っているんだろう? どうせ無駄になるものを……。
 だが、ありがたいことに無駄になると思ってから、もう四〇年近くたつ。だから橋などを造るのが無駄だと思った僕は、まちがっていた。そしてあのように他の人たちが、どんどん前向きに建設していく分別があってよかったと、僕は喜んでいる。

(R. P. ファインマン著、『「ご冗談でしょう、ファインマンさん」I』、大貫昌子訳、岩波書店、 207-208頁より (もしくは岩波現代文版の (上) [社会 5]、 232-234頁より))

原文は Richard P. Feynman, Surely You're Joking Mr. Feynman!: Adventures of a Curious Character, Bantam Books の p.118 で読める。「僕らはとんでもないものを造っちまったんだ」 (藤永訳では「ひでえものをつくってしまったもんだ」) の原文は "It's terrible things that we made." であり、「自分たちが……この仕事を始め、……」 (藤永訳では「私たちは事をおっぱじめたのだが、……」) における「始め」 (藤永訳では「おっぱじめた」) の原文の "started" は斜体で強調されている。

村上は引用するときに、「ドラムをたたくという騒ぎだった」で切り、「が、ただ一人ボブ・ウィルソンだけが座ってふさぎこんでいたのを覚えている」以降の部分を省略してしまっている。全文を見ないとその不自然さがわからないという意味でこれは“巧妙”な引用の仕方である。

村上が恣意的に引用しなかった部分には、ウィルソンが「ひでえものをつくってしまった」ことに恐怖し、落ち込んでいた様子が描かれている。ファインマンは、ドラムをたたいて浮かれていた自分自身とウィルソンの態度と対比させることによって、自分自身がどんなに浅はかで馬鹿であったかを強調し、そのことを反省し嘆いているのである。

村上は、このファインマンの回想を『科学者とは何か』で利用するために、肝腎のウィルソンとの会話の部分を削除し、「……」に変換してしまっている。ファインマンが自分自身の想像力の無さを嘆き悲しみ、虚無感に苛まれている様子も引用されてない。科学者を悪者として描きたい村上にとって、ウィルソンとファインマンの悩む姿は不都合だったのだ。

村上のこのようなやり方の怖いところは、読者に「典拠を示し、引用までしているのだから、信用できるに違いない」と思わせてしまうことである。大抵の読者は引用されている文献をわざわざ自分で調べたりしないものだし、すでに読んでいた本であってもその内容を正確に記憶しているわけでもない。

次に、藤永による村上のシラード英雄視に対する批判について説明しよう。

村上はシラードを次のように賞賛している:

 物理学者のなかでシラードのとった行動は、ここでも極めてユニークだった。彼はほとんど死に物狂いで、対日戦での実際の使用を止めようとあらゆる手段を尽くした。一九四五年三月二五日付ローズヴェルト大統領宛のシラードが起草した書簡には、原爆使用反対の科学者たちの訴えが書かれている。アインシュタインの署名もあった。「恐らく我が国が直面する最大の危険は、われわれの原子爆弾の“示威”行為が、アメリカとソヴィエトとの間にその種の兵器の製造競争をほぼ確実に誘発することであります」。そして、だから核兵器に対する厳密な国際管理が唯一の進むべき途であり、しかも、アメリカが伝えられるように無警告に対日戦に使用すれば、今後の核兵器の国際管理について国際世論を形成していくのに決定的に不利になる、と警告している。この書簡はローズヴェルトの死によって結局大統領の読むところとはならなかった。

(村上陽一郎『科学者とは何か』119頁より)

しかし、藤永によれば、真相はこうなのである:

 一方、シラードは、自らが先頭を切って劇的に事を運ばなければ気がすまなかった。明らかにフランクの向こうを張る気持があった。一九四五年に入って、シラードはまたしてもアインシュタインの名を利用してローズヴェルトへの直訴を試みた。大統領宛のアインシュタインの手紙 (一九四五年三月二五日付) と、それに添えられたシラードの大統領に対する政策勧告書は『シラードの証言』の中に資料として含まれている。「原子爆弾と戦後の世界における合州国の位置」と題された覚書は、シラードらしい饒舌にみちているが、日本に対する原爆の使用に反対を表明した文章はない。……

(藤永茂『ロバート・オッペンハイマー』234頁より)

上の引用を見ると村上はシラードの書簡に「対日戦での原爆使用反対」と書いてあるとは主張していない。しかし、誤解を招くような言い方をしていることは確かなので、村上の読者は注意した方が良い。

藤永によれば、シラードは「もし原爆が出来る見込みがついたら、その使用についての自分の意見を政府の高官に進言することができること」を条件にマンハッタン計画に参加していたフランクによる原爆投下反対の進言をライバル視していた。そして、彼は『シラードの証言』の中で「フランク報告では投下反対は便宜的な立場から議論されていたが、私は、日本の年に対する原爆使用に科学者が道義的な立場から反対したのだということを記録に留める時が来たと考えた」と述べているのだ (『ロバート・オッペンハイマー』235頁より)。

しかし、以下に引用する藤永による「フランク報告」の要約を見る限りにおいては、「フランク報告」は「便宜的な立場」に立っているというシラードの非難はおかしい:

 一九四五年六月一一日、トリニティ実験の五週間前、J・フランクはシカゴからワシントン行きの夜行列車に乗った。彼が委員長であった「原子エネルギーの社会的、政治的意味についての委員会」 (通称、フランク委員会) の作成した報告を、陸軍長官スチムソンに手渡して、アメリカ政府の政策に影響を与えることが旅の目的だった。この通称「フランク報告」は「原子力を物理学の分野の他のすべての所産から区別して取扱うただ一つの理由は、それが平和時には政治的圧力の、戦時には突然の破壊の手段として使われる可能性があるからである」という文章に始まり、すでに東京、名古屋、大阪、神戸が通常爆弾の空襲によって灰燼に帰した今、さらに原爆を突然使用することの意味を問い、また、毒ガス兵器を米国が大量に所有しているにもかかわらず、それを極東戦線に使用することに一般世論が反対であると考えられる事に注意を喚起したあと、「日本に対して突然原爆を使用することで達成される軍事的利益とアメリカ人死者数の軽減は、原爆使用による国際信用の失墜と、世界中に恐怖と反感の波を生むことで、すっかり帳消しとなり、また、国内の世論さえも割れてしまうであろう」と説き、このあとも、「たとえ人道的考慮からまったく離れるにしても」日本に対する原爆の使用が望ましくないことが、繰返し主張されている。「要約すれば、この戦争での核爆弾の使用は、目先の軍事的便宜ではなく、長期にわたる国家政策として考慮さるべきこと、そして、その政策は、何よりもまず、核戦争の手段の効果的な国際管理を目指すべきであることを、我々は強く主張するものである」。

(藤永茂『ロバート・オッペンハイマー』222頁より)

これを上で引用した村上によるシラード書簡の要約と比べてみて欲しい。その内容はほとんど藤永による「フランク報告」の要約の中に含まれている。しかし、その「フランク報告」をシラードは「便宜的な立場」に立っていると否定しているのである。

藤永によるシラード像は村上が依っているシラード英雄伝説のそれとは全く異なっている。藤永によれば、シラードは自己顕示欲にまみれた俗物であり、それとは対照的にフランクは尊敬できる人物だったのである。

藤永はシラード英雄視の問題点を次のように指摘している:

 グローヴス将軍に追随し、軍部の走狗と成り果てたロバート・オッペンハイマーと、グローヴスに象徴される軍部の横暴に完全と立ち向かったレオ・シラード。この明快な構図は、これまで多くの人たちによって、好んで利用されてきた。原爆開発の経過を「読み物」として劇化するのに便利だからである。これは、叙述が事実を過度に歪曲しない限り我慢できる。しかし、シラードを持ち上げ、オッペンハイマーを貶【おとし】めることで、著者が、自分の無罪証明を、アリバイを手に入れようとするならば、私はそれを許したくないのである。

(藤永茂『ロバート・オッペンハイマー』226頁より)

この批判は少なくとも村上陽一郎には当然適用されなければならない。そして、『科学者とは何か』を読んで、「自分自身はシラードの立場に立っており、オッペンハイマーに代表されるような邪悪な科学者達とは違うのだ」などと安心してしまった人にも適用されるのだ。そのような人達は是非とも

藤永茂著、『ロバート・オッペンハイマー――愚者としての科学者』 (朝日選書 549、 1996年)

を読むべきである。そこでは、自分自身とは異なる存在である悪魔としてのオッペンハイマーではなく、ひとりの人間としてのオッペンハイマーが描かれている。


黒木玄