なんでも2HTMLの書き方利用上の注意リンク集ホーム

黒木のなんでも掲示板 (0046)

記事を書く時刻順目次スレッド検索過去ログ最近の記事

各記事の Id ヘッダー行の # から始まる文字列をクリックすると、その記事自身にジャンプします。その記事自身の URL を知りたい場合に利用して下さい。さらに、括弧の中の reply をクリックするとその記事に返事を書くことができ、 thread をクリックするとその記事を中心としたスレッド形式の目次を見ることができます。

Id: #a19990801194812  (reply, thread)
Date: Sun Aug 01 19:48:12 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990801095725
Name: 早川尚男
Subject: Overhung

波の話の続きです。 まず流体に詳しくない人のための注釈です。一般にナビエ.ストークス 方程式は散逸を含んでいますが、通常水の波は完全流体として近似して 十分とされます。この理由は境界層という概念が有効だからです。即ち 非常に薄い領域に散逸の影響が局在するのです。乱流の際には境界層が 剥離をしますのでこうした考え方が使えません。むしろReynolds数無限大 の極限であって、完全流体とは全く異なる振る舞いをします。

したがって浅くなれば境界の影響がもろに現れるので散逸の影響は砕波という ことをあからさまに考えなくても重要になります。

オーバーハングした解ですが私はその解析解を知りません。一般には 北斎の富岳36景の様な波を想像しますが、それは記述が難しいでしょう。 それどころか数値計算で再現するのも難しい。それは波が分裂していることからも 想像がつきます。私は数値流体は詳しくないのですが5年ほど前にミルククラウン が再現できた程度です。北斎の波も同程度かあるいはもっと難しいかもしれません。

そもそもオーバーハングを許したPDEというのは解析的にある程度研究 されているのでしょうか?通常その時点で爆発したとみなします。Burgers の導入のために粘性項を入れた理由がまさにオーバーハングを防ぐためです。 逆にオーバーハングを易々と表現できるようになると発展が見込める様になる と思います。


Id: #a19990801095725  (reply, thread)
Date: Sun Aug 01 09:57:25 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990731134331
Name: 田崎晴明
Subject: 海の波、大波、小波(人名に非ず)

早川さん、 どうも。

しつこく浅い水の波の群速度が水深の平方根に比例するという説明ですが、

ということを仮定していると思っていいですか? そうすると、深いところを伝わる波の方が、長い距離を伝わることになる。 波の発生は一様ランダムだとすると、すべてを平均すると、 ある場所で観測される波は、沖からやってくるものが優勢ということになる。 今までは一次元的な考察しかしていなかったけれど、 こう考えると、波面が水深の等高線に平行になるという観察事実(ですよね?) も説明できてしまうなあ。 (しかし、これは危ないかな。 元来、風の向きは海岸線と直行していることが多いし。)

波打ち際が散逸を伴った境界だというのは明らかですね。 そうすると、水深の効果も途中の波の減衰も何も考えなくても、 色々なところで波がランダムに発生して、境界に入った波は反射して来ないとすれば、 当然、境界に向かう波の方が多いのは当たり前か。 (上の効果と両方を考えると、非常にしっくりしてきますね。)

実際の海の波は、ソリトン的なものもあるし、ごく凡庸な定常波的なものもあるし、 実に色々ですね。 サーファーがのっかるようなでかい波は、かなりソリトン的にふるまっていると思いますが、明らかに overhung (日本語でなんていうのかな? 水が屋根みたいになって下に空気があるというか、ああいう構造) もあるから KdV では書けないですよね。 (nonlinear Schrodinger で表せる???) ソリトンであるとまではいえなくても、ああいう解の存在とか安定性とかは わかっているのでしょうか? 定常解だとすれば、厳密解は不可能でも、ある程度手が出そうな気がするけれど。

何年か前に超・無謀にも乱流について考えようと思って、 まず学部の頃に買った今井さんの流体を読み、 それから Frisch の Turbulance を読んでみました。 しかし、当然ながら、何一つ自分で手を動かすレベルには至らなかった。 Lamb の本は持っていないので、今度買うことにします。

時田さん、 運輸省ありました。 昨日は信念が足りなかったようです。 アクリル水槽の実験は涼しそうでいいなあ。


Id: #a19990731141705  (reply, thread)
Date: Sat Jul 31 14:17:05 1999
Name: ブタネコ
Subject: なみの実験

高校物理 数学の波の素晴らしい実験例。
といっても、理念的にすばらしいので、実際にやってみると、ほんのちょっと『そのように感じられる』程度なのですが。
まず楕円。ユーハイムのテーゲバウムとかいうクッキーの缶はちゃんとした楕円です。水を張り、一つの焦点にスポイトで水滴を落とすと、もう一つの焦点がもこっと上がる。
これの応用として、モンジェは楕円体の人民裁判所を考えていた。焦点の一つから裁判官が革命の真理を述べると、もう一つの焦点の反動的被告の心に染み込むという。
室内の照明は、楕円面の臍点におかれるという微分幾何的な建築。

もう一つは、アクリル水槽で、そこを伝わる波を下からプロジェクトして天井でみるのだが、途中で水深を変えると速さも変わるので、屈折が実現できホイエンスの原理を実感する。
水槽の下で昼寝をし、上から光りをあてた方がきれいだ。O美術館のメビウス展にそんなのがあった。

Id: #a19990731134435  (reply, thread)
Date: Sat Jul 31 13:44:35 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990731103921
Name: ブタネコ
Subject: なみ

建設省と運輸省が倒産すると、日本はすみよい社会になるんだけど、父さんしてないみたい(アクセスできました。)
今井功さんの本は、日評の大きな関数論で、流れと正則が関係あることを知ったり、サイエンス社の2冊本で佐藤超関数がぼんやりわかった気がしてきたり、数学科の学生にも非常に価値のある著作では。
円の波とするのを初めてみたのは、金原小出他著の裳華房の教養の演習書で、ベルヌーイを使うだけなのを、立教では巧妙に誘導をつけて高校生がエネルギー保存だけで解けるようにしてた。
お茶の水駅下の神田川を、ゴミ船がすすむとき、観察される波はソリトンかな??
長谷川等伯(狩野派でないという意味で在野)の描く波の絵は、実感があるなー??
Id: #a19990731134331  (reply, thread)
Date: Sat Jul 31 13:43:31 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990731103921
Name: 早川
Subject: Lamb & soliton

田崎さんどうも。

勿論、私の話は底が平らな場合の話からの 類推です。深さの異なる領域を階段状に繋げると深い領域の波の速度が 浅い領域の速度より勝っているので、沖で発生した波はそのまま 伝わって来るという大雑把な話です。 本当は底の深さの異なる領域を繋げるとそこでどうなるかは 不明ですが、線形の振舞い(安定性等)を知るにはそれで十分でしょう。 それでも満足できない場合はLamb, Hydrodynamics (1876)を見て下さい。 Chapter VIIIはtidal wavesになっています。底の深さの変化する場合も Art 193に論じられています。実際に解いている問題は円形の水溜りで 底の厚さがh=h_0(1-r^2)という場合です。この場合の分散関係は ω^2=4j(j-1)gh_0です。jは正整数。ここでは振幅は無限小で、表面張力は 考慮していません。 Lambの本は名著というだけでなく現代でも通用します。 (そこが流体力学の頭の痛い処)。 私はDover版を$ 16.95で買っています。一家に一冊あって損はないでしょう。 勿論、ここで論じている 波は時間的には正弦波として振舞いますし、ざっばあという波が砕けるイメージとは 合致しないかもしれません。

非線形性と波の破砕 をもろに使った説明としては次の様なストーリーも考えられるでしょう。 キーポイントは散逸は波が砕ける際にしか起きない、という点です。 (底が変化した場合に私は確認していませんが)、水の波の弱非線形波は 長波(浅水波)でKdV,そうでもない場合にはNonlinear Schroedingerになることが 良く知られています。これらはソリトンであって沖からの波がほぼ減衰せずに そのまま伝わって来ることになります。(伝播速度はとりあえず忘れましょう。 昔、1984あたりの日本海沖地震の際の津波がソリトンとして伝わる見事な映像を 見たことがあります)。しかし波が浜で砕けた際にはもはやエネルギーは保存せず へろへろと戻っていくことになります。この方が田崎さんのイメージに合うかな。


Id: #a19990731103921  (reply, thread)
Date: Sat Jul 31 10:39:21 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990730161003
Name: 田崎晴明
Subject: 海の波、プールの波

早川さん、 ごぶさたしています。 現実世界では随分お会いしていませんね。

またしても、無知をさらしている私です。 確かに 水深(h) << 波長 という浅い水の波の群速度は (gh)^{1/2} になるのですね。 (手元にある(古い)本では、今井功「流体力学」(岩波全書) p.140。 ううむ。アンダーラインがひいてあるなあ・・) しかし、これと、水深に勾配があるところでの「波の向き」の話の関連が今ひとつピンと来ないのですが。 (実際の波打ち際の波は微少振動ではないということは忘れるとして。) 上の群速度は、水深を一定として計算したものですね。 だから、水深が非常にゆるやかに変化している場合は、岸に向かう波も沖に向かう波もどちらも同じ (gh)^{1/2} という速度を持つのではないですか? それで、特にどちらかの方向の波が選択されるということがあるのですか? 隣の領域とのつながり具合を考えるとわかるのかな?

逆に、思い切り「非線型」な考え方をすれば、ある意味で、当たり前ではある。 たとえば、プールのように深さが一定のものを考え、海岸=プールサイドで急激に浅くなって、そこから先はなだらかなスロープになっているとする。 波がないときは、プールサイドには水はあふれないとする。 ここで、プールの水に波がたてば、それがどんなものだったとしても、 水の保存則(おおげさ!)から、 プールサイドに接するところでは必ず水があふれたり足りなくなったりする。 それで、あふれる様子と、プールサイドをつたって水がプールに戻る様子を想像してみる。 あふれるときは、勢いあまって「ざばっ」と行くから、宙を舞って激しく外へ。 それが、プールサイドに落下してエネルギーを失い、プールに戻るときはなだらかなスロープを伝ってへろへろと。 おなじみの波打ち際の波の様子が再現されます。

しかし、この話と、早川さんのいわれた浅い水の群速度の話は、 つながりそうにないですね。 水深に勾配があるときにも、同じように水の量の保存則などを考えて、第ゼロ近似的な説明ができないものか、と昨日家族でプールに行き(子供の体力には付き合えないので)プールサイドのいすにすわって考えていたのでした。 時田さんのいわれた円運動の重ね合わせの話と似ているのかも。 ところで、http://www.phri.go.jp/ は 404 Not Found でした。 運輸省が倒産したという話は聞かないし・・


Id: #a19990730175101  (reply, thread)
Date: Fri Jul 30 17:51:01 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990730152214
Name: 時田 節
Subject: 海の波

http://www.phri.go.jp/division/he/heout01j.html 
が運輸省港湾研のほーむぺーじ。
単純な円が位相差を持って回転するモデルは立教で入試に出たこともあるが、実際は複雑そう。
パプアニューギニアの津波は15mだったのに、浜岡の原発は7mを最大としてる。大丈夫かしら?

Id: #a19990730161003  (reply, thread)
Date: Fri Jul 30 16:10:03 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990730152214
Name: 早川
Subject: 水の波

田崎さんこんにちは。流体力学の初歩的な教科書を見て下さい。 微小振幅波の長波は位相速度c=(gh)^{1/2}に従います。但し hは深さでgは重力加速度。従って深い処の方が波は早く伝播します。 岸があれば深い方から浅い方に波が伝わるのはこういう話で普通 説明されます。
Id: #a19990730152214  (reply, thread)
Date: Fri Jul 30 15:22:14 1999
Name: 田崎晴明
Subject: 海の波

やっぱり具体的な話の方が楽しいな。

夏が来たら、ぼくの息子が何年か前にお風呂の中でぼくに尋ねた問題を思い出した。

波打ち際で見ていると、波は海から陸にむかってやってくる。 よって、少し沖にいっても、波はこちらにむかっているだろう。 そうやって、だんだん陸から離れていくと、対岸に到達してしまう。 そこでは、波は陸から海に向かうのか? それは、おかしい。
確かにおかしい。

考えてみると、海の波が「ある方向に向かって進む」というのは、おそらく水深が(波の高さと比較して)浅いところ(あるいは、水深が浅くかつ急激に変化しているところ)だけで生じる現象だというのが正解のように思える。 沖の方の海が深いところでは、海の波は定常波としてうねうねやっているだけで、 特にどちらかの方向に進むということはない。 それが、水深が浅いところでは、水底があるために生じる強い非線形性のために、 波がぎとぎとになり、かつ、水深が浅くなる方向に進むような成分が見えてくる --- というお話だけれど、これだと現象の上っ面をなでているだけで、理屈もないし、信憑性にも乏しい。 よくわかっている話しなのかな? 今年は海に行けそうにないので、詳しく観察するチャンスもなさそう。 どなたか、お知恵はありませぬか? 海を見るチャンスのある人は、どうなっているか、教えてください。 ここ読んでる人で、サーファーっているのかな?


Id: #a19990729162650  (reply, thread)
Date: Thu Jul 29 16:26:50 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990729162351
Name: 鴨 浩靖
Subject: Re: 逆数学の教科書

ごめんなさい。出版年が間違いです。正しくは
田中一之:逆数学と2階算術,河合文化教育研究所,1997.

Id: #a19990729162351  (reply, thread)
Date: Thu Jul 29 16:23:51 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990723195607
Name: 鴨 浩靖
Subject: 逆数学の教科書

田中一之:逆数学と2階算術,河合文化教育研究所,1999.

逆数学についての日本語の教科書は、私の知る限り、これだけです。


Id: #a19990728153054  (reply, thread)
Date: Wed Jul 28 15:30:54 1999
Name: ブタネコ
Subject: プリーモ・レーヴィへの旅

徐京植の『プリーモ・レーヴィへの旅』が出版される。(奥付は8月5日だが)
朝日新聞の書評誌『一冊の本』に19回掲載されたものだが、単行本では3倍くらいの分量になったと後書きにある。
まず、プリーモ・レーヴィについて。
1919年イタリア トリノ生まれ。
1941年トリノ大化学科を優秀な成績で卒業。物理もよく勉強した。ユダヤ人だがかろうじて就職できる。
43年逮捕。アウシュビッツへ。
帰国後 塗料会社の技術者。
3册の重要なアウシュビッツ証言本を書く。いずれも朝日新聞から翻訳あり。
証言本のドイツ語訳の読者と文通対話。その中には、アウシュビッツのブナ(ブタジエンとナトリウムでブナ)のナチ上官で、戦後はドイツの取り引き先のミューラーも。
75年『周期律』という自伝ともエッセーともいえる不思議な短編集を出す。邦訳は工作社(92年)
ユダヤ人なのにパレスチナサイドの発言をするなど、進歩派のシャイだが暗くはない老人とおもえたが、87年4月突然自殺。 突然の自殺に近い時期のプリーモ・レーヴィの著作の翻訳はない。徐は米訳のThe Drowned and the Saved (Vintage)を読み込んでいる。この仏訳はLES NAUFRAGES ET LES RESCAPES : 40 ANS APRES AUSCHで、ガリマールのARCADESシリーズ。
1980年代を二人の兄が韓国の刑務所で拷問やハンストをしているという、そういう時代として生きた京植さんにとって、80年に出た朝日選書のレーヴィの本は、絶望状況からの帰還と、それを語る人間になるという心のささえの本だった。
そのレーヴィが、突然消えていってしまうのだが、合理主義者のレーヴィが、アウシュビッツという不合理を体験すれども理解できないこと、体験をどんなに理知的な文にしても、なお人に伝えられないものの大きさなどを、京植さんは自分自身の状況とからめながら読みとる。
『周期律』というエッセー集は、一部の科学哲学という新興宗教が科学の単純な否定なのとは全然ちがって、化学エンジニアリングが生活そのものである人の、教養小説風の人生の回顧のなかに、生きられた時間が特異な記録のされ方をしている。仏訳はLE SYSTEME PERIODIQUE 自殺の1月前にALBIN MICHELから上梓された。
Id: #a19990725120303  (reply, thread)
Date: Sun Jul 25 12:03:03 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990720173320
Name: やまの
Subject: 科学と哲学
 黒木さんへの返事

>1.さて、山野さんの理解によると、大森が「物理学者」という言葉を出したのは、
>「大森先生は、物理学科のご出身なので、寧ろ、自分のかつての先入主を自己批判する
>つもり」だということになるらしいのですが、たかが物理学科出身程度のレベルで自分
>の先入観を批判するために「物理学者」という言葉を使うことには問題があるのではな
>いでしょうか? 山野さんの理解が正しくても、問題は残っているのです。そして、
>『図書』の一般読者にそのような理解を要求するのは無謀だと思います。

 なるほど、「物理学者」という集合名詞を使うのは問題ですね。
実際に存在するのは、デュエムであり、ポアンカレであり、ボルツマンであり
マッハであり、ボーアであり、ハイゼンベルグであり、湯川であり、朝永であり、...
これら全ての人が、物理学の基本概念について、全員共通の了解を持っていたとは
速断できないでしょう。
ここでは、「物理学」を総体として批判する文脈ではなく、ある特定の
時間概念の妥当性が問題となっているわけですから、
「この無造作な区分割りが物理学者の習慣であり云々」  は誤解を招く表現ですね。

脳卒中で倒れられる前の著作とちがって、病気回復後の大森先生の最晩年の著作
には、用語や措辞について必ずしも周到でないところがあるということは感じてい
ます。(引用された文は、その時期のもの)
 しかし、「たかが物理学科出身程度のレベルで」という御発言はいかがなものでし
ょうか。
大森先生は、確か東大の物理学科の副手か助手を経験されているはずです。
そもそも、「量子力学の観測問題」に悩まされたのが、哲学に転向された理由で
あるということを伺ったことがありますね。その後、東大の哲学科に学士入学されて、
零から哲学の勉強をされたそうですが、当時の東大哲学科はドイツ観念論の哲学の
文献解釈が必修で、それに馴染めなかったということを書いておられました。

物理学科も哲学科も、理科と文科の専門学科として、それぞれ、どのような問
題を重要と考えるかについての、一群の前提の上に成立しており、大森さんが問題として
いるようなことは、日本のどの大学でも問題としていなかった、と感じたそうです。

問題は、どの程度専門を究めたか、ということではなく、その専門では、アタリマエのこ
ととして誰も問題としないことと言うのが、その専門学科のパラダイム=解釈学的基底を
なしており、それをあくまでも問題視して自分が納得するまで掘り下げるという方
向性と、そのパラダイムを積極的に受け入れて、さらにその基底の上に、上部構造
を建設していくという方向性との違いでしょう。私は、後者が「科学」の選択する
方向性であり、前者が、「哲学」の選択する方向性だと思います。

 ここで、「科学」とか「哲学」とかいうのは、そういう看板を掲げて社会的に活動
している人々とは必ずしも一致していません。実際、教科書で学んだ世代ではな
く、教科書を書き換えた世代の物理学者は、哲学的な言辞を一切使わなくとも、そ
の根本精神において「哲学的」だと思います。

私は、たとえば、ポアンカレやアインシュタイン、ボーアというひとには非常に哲学的な
ものを感じます。これに反して、大学で哲学を教えているからと言ってその「哲学者」が
哲学的であるとは限らない、−−そういう意味で使っています。

>本当に「物理学」における「先入観」に「真っ向から挑戦」するつもりがあるなら、
>現代の物理学の最良の知見と対決すべきでしょう。古典力学に対して単純に真っ向から
>挑戦するだけでは、科学哲学として厳密性に欠く中途半端な挑戦に過ぎないと思います。

これは仰るとおりです。実際、このような意味での「科学哲学」は、
「現代の物理学の最良の知見と対決すべき」でしょうね。
欧米で、「科学哲学」と言う場合は、まさにそういうものを指すと了解しています。
(その点、日本の「科学哲学会」は羊頭狗肉の感があると私は思っています。)
 過去においては、デュエム、ポアンカレ、もうすこし新しいところでは、
ボームやプリゴジンなどの仕事を想起すべきでしょうね。
科学者で広く哲学的精神を持っている人が、科学哲学にもっと積極的に
提言をされると良いと思います。
(確か、「科学基礎論学会」が日本で発足したときの初代会長は、数学者の高木貞二で、
湯川秀樹が巻頭論文を書き、他に数学者の末綱恕一、哲学者の下村寅太郎が寄稿していま
すね。 )

Id: #a19990723195607  (reply, thread)
Date: Fri Jul 23 19:56:07 1999
Name: 鴨 浩靖
Subject: Subsystems of Second Order Arithmetic

みんな(どの範囲の?)が待っていた S.G. Simpson の Subsystems of Second Order Arithmetic が、Springerからこの春にやっと出版されました。英語で書かれた逆数学の教科書としては、私の知る限り唯一のものです。近隣の分野を志す人は、必ず読みましょう。数理論理学の初歩(完全性定理の証明あたりぐらいまで)が理解できている人なら、読めます。
Id: #a19990723153538  (reply, thread)
Date: Fri Jul 23 15:35:38 1999
Name: ブタネコ
Subject: 数理科学8月号

今週の日曜の2時から、学習院女子の隣の戸山高校で、超幾何関数(共立の吉田さんの、今度やっと3章)の市民?読書会で、『数理科学8月号』を宣伝しよう。
東京周辺の数学ファンのひとは、遊びにきませんか?
超幾何関数といっても、青本さん故喜多先生のオソロシイ本のレベルではなく、
線形微分方程式とフックス関数 : ポアンカレを読む / 斎藤利弥著 河合文化教育研究所
のポアンカレ以前のレベルです。
あるいは、以前森山さんの「日評の数学書でお薦めは?」に黒木さんの『ガロアの夢』が良いでしょがあったけど、8月号の吉田論文は、まさに『ガロアの夢』って感じ。
それとTournieのComputer Algebra and Differential Equation(ラミスとマルチネの論文の載った)も持っていこう。

宣伝ついでに、
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/2030/ 
の受講者がまだ定員にみたないのだけど、杉並の大学生協御殿で、3日間Mathematicaで超幾何関数ごっこなんか幸せと思うけど??

コワレフスカヤのコマが親切に書いてある本というと、戸田さんの30講の『波動と非線形』なんかがあるけど、数学の最前線の人とか物理の若手の人からは、この手の本の評価はどうなるのかな。
戸田さんとAudinとのギャップが、複素代数曲線論あたりとしたら、それをうめる簡単な本って何なのかしら?
整数論からみの代数の啓蒙書で、物理の人の緑陰の読書もその辺としたら、文化的ないい時代だなあ?
Id: #a19990723134202  (reply, thread)
Date: Fri Jul 23 13:42:02 1999
Name: 田崎晴明
Subject: 数理科学8月号

をざっと眺めました。

正直にいって、この雑誌は号によって質に非常に大きなむらがあるのですが、 今回は「当たり」だといっていいと思います。 冒頭の解説で、吉田春夫さんが、全体を軽やかに眺め渡しているのも、 また、よい。

大ざっぱに拾い読みした感想ですが、 なんといっても圧巻なのは、吉田さんの解説。 実はとても難しい話で、ぼくにもわからないところは多いのですが、 それでも具体例のごく簡単な計算なども見せながら、 研究の動機から、ごく最近についに得られた美しい結果までを生き生きと伝えてくれます。 吉田さんは、学生の頃から、ほとんど独力で、その分野の最先端を行く研究を開拓された素晴らしい科学者だと理解しています。 最後の吉田節に接するだけでも、この解説を読む価値はあります。

小西さんの解説は、数値計算に対する私の偏見に対しては、あまり有効な薬とはいえないですね。 それ以前に、こういう研究報告みたいな羅列的な書き方では、内容がちっともわからないというのも困ったものです。 (まあ、分量の制限もあるでしょうが、それなら、テーマを絞るべきでしょう。) 船渡さん+牧野さんの解説は、数値計算に対する私の偏見を、一掃するわけにはいかないですが、少しは軽減するかもしれない。 方法論として信頼に足るものをじっくりと開発するという姿勢はとても大切だと思います。 (この解説については、第二掲示板で、ちょっと軽率な感想を書いて、 それへの牧野さん、船渡さんからのお返事に対してお詫びを書いたところ。 ただし、ここで上に書いた感想は、第二に書く前に書いたものです。)


Id: #a19990722163301  (reply, thread)
Date: Thu Jul 22 16:33:01 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990722153440
Name: こなみ
Subject: 私も間違ったことがあって

 昨年エジンバラに行ったとき、最初に泊まったホテルが Roxburgh Hotel というところだった。タクシーの運ちゃんに、「ロックスバーグホテルヘ やってくれ」と言ったら、 「ホイホイ、ろっくすばらほてるノコトネ!」と訂正された。エディンバラと 呼んでおきながら同じ綴りでミスするとは不覚!スコティッシュとか アイリッシュの地名や人名は発音がようわからん。

で、そのロックスバラホテルは、小粋で落ち着いたいいホテルでした。


Id: #a19990722153440  (reply, thread)
Date: Thu Jul 22 15:34:40 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990722152529
Name: たざき
Subject: どうも

こなみさん、速攻で直しました。お恥ずかしい。
Id: #a19990722152529  (reply, thread)
Date: Thu Jul 22 15:25:29 1999
Name: こなみ
Subject: 他の人は読んでないのかなあ……

えっと、田崎さん、norettaJ.html で、原文の the Edinburgh ``strong programme'' の訳が、エディンバーグ学派の「ストロングプログラム」ってのは、 エディンバラ学派の「ストロングプログラム」の間違いですね? 少なくとも現地と日本での読みでは。
Id: #a19990722113902  (reply, thread)
Date: Thu Jul 22 11:39:02 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990720182937
Name: 鴨 浩靖
Subject: Re: ほそく

オタクってのは、雑多な情報を仕入れても、それを知識として体系化する能力が致命的に欠如しているから、全然関係のないものをいっしょくたにして、奇妙な世界を作ってしまうものです。今、ここで観測されている の三つの混同は、まさに、その実例です。オタク研究には、良い材料かもしれませんね。

dtは、最初は非零だったのが途中から零になって、矛盾だ!」は、もっと時代が下って、エンゲルスが「自然の弁証法」で言っています。ただし、「だから微分法は駄目だ」とは言っていなくて、「アウフヘーベン」の呪文を唱えて矛盾から目を逸す(矛盾を解消するのではない)必殺技にもっていっています。 「矛盾だ!」はエンゲルスのオリジナルではないでしょうが、それを弁証法に強引に結び付けるのは、エンゲルスのオリジナルでしょう。


Id: #a19990721153523  (reply, thread)
Date: Wed Jul 21 15:35:23 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990721142919
Name: くろき げん
Subject: Re: Spinning Tops

実は、 M. Audin, Spinning Tops を学生に読ませようとマジに考えると、結構様々な予備知識が必要なことに気付くんです。現代の可積分系の理論ってのは、色々な数学を応用する先になっているので、まあ仕方ないのだ。でも、 Spinning Tops を読むためには、難しい予備知識は全く必要ありません。

線形代数+α (SO(3) や SU(2) およびそれらの Lie 環などについて知っておいて欲しいので「+α」なのだ)、解析力学、楕円函数論、トポロジー、 Lie 群論(具体例)、複素代数曲線論、そして何よりも大事なのは計算を楽しめることですかね。 (ε-δ式の解析学の話を知っているより、この本を読むためには計算ができることの方が大事。)

学部2年生あたりで一番困るのは複素代数曲線論(=コンパクト・リーマン面の理論)かもしれません。そこら辺は誰かわかっている人がチューターとしてついて教えてあげる必要があるかもしれません。一応、 Appendix に簡単な解説はあるのですが。

数学科の学生だと、解析力学を何も知らずに、直観抜きで読み進めて、はまる可能性があります。最低でも、正準形式の解析力学の常識は知っておかないと苦しいと思う。

様々な具体例を扱うために、多数の小道具をあちこちから借りて来るという普通の数学の姿を体験するには良い本だと思います。やっぱ、定義・定理・証明というパターン繰り返しだけだと本当の理解は不可能でしょう。


Id: #a19990721142919  (reply, thread)
Date: Wed Jul 21 14:29:19 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990720152438
Name: ブタネコ
Subject: Spinning Tops

M. Audin, Spinning Tops: A course on integrable systems, Cambridge Studies in Advanced Mathematics 51 (1996)
ですが、今月中にソフトカバーが出て、友隣社価格で5000円で、8月末入荷予定らしい。
で、学部の2年の解析まで(杉浦さんの2册とか)終わっている学生が、夏休みの後半Spinning Topsに挑戦するとしたら、前半にはどんな準備をしとくとよいのでしょうか。完璧な準備なんか望めないにしても。

数直線の上に点がポンって貧相な時間感は、物理というより、近代の制度としての時間というか、返りの終業のベルを待つ労働者の時間感ですね。
以前、『二六』がここの雰囲気を良くしてたけど、一日を昼と夜に二つに分けて、昼を六に分けてお寺の鐘をならすにしても、昼の始まりと終わりは日の出、日の入りで、時間は毎日伸び縮みしてた。
近代の制度に疲れた人が安っぽい時間論を読むのかな?
Id: #a19990720193154  (reply, thread)
Date: Tue Jul 20 19:31:54 1999
Name: ブタネコ
Subject: 生きられた時間

物理の時間じゃなくて人間によって生きられた時間が大切というのは、あたりまえのことで、生きられた時間が充実したものであるためには、くだらない『時間の哲学』などと関わってヒマはないのだ。

小中学生向けの素晴らしい『時間の哲学』というと、『モモ』や『ゾウの時間ネズミの時間』の絵本などか?
高校生には真木悠介『時間の比較社会学』がまず浮かぶが。
和製現象学が全滅かというと、かろうじて木村敏に『自己・あいだ・時間 現象学的精神病理学 』などが。

文学者のが、生きられた時間を良く知っているかも?
現代インド文学の『ペシャーワル急行』(めこん刊)の中に『半時間の神』という不思議な作品が。吉田健一にも『時間』って作品が(集英社の全集の27)。
時間はそれを生きる作家ごとに異なる時間だから、サルトルはフォークナーの時間を気にする。
武満徹の『時間の園丁』はすばらしいエッセーだが、音符という座標系で仕事をする作曲家の近代的感性は、数学者に近い。

tempsと簡単な仏単語の組み合わせごっこ。
"Le temps vecu--- etudes phenomenologiques et psychopathologiques"は物理学者でないミンコフスキー。
"Lire le temps"は関数論の大定理と関係ないピカール。
レヴィナスには"Dieu, la mort et le temps"とか"Le temps et l'autre"
ジャック・アタリまで"Histoires du temps"を書いていて産業図書の21世紀辞典もその延長。
あと大物ではリクールの"Temps et recit"

ハミルトン系のいろんな絵をポヤッと眺めていても、シンプレティック性という力学の時間発展の特徴がなんとなく感じられ、安手の『時間の哲学』などより充実した時間が過ごせる。
Id: #a19990720192425  (reply, thread)
Date: Tue Jul 20 19:24:25 1999
Name: 高波絨三郎
Subject: 緊急報告

速報! 長崎大学理学部に天才が誕生したとの情報あり。 続報を待て!
Id: #a19990720182937  (reply, thread)
Date: Tue Jul 20 18:29:37 1999
Name: 浜田寅彦
Subject: ほそく
悪口ばかり投稿しているので、掲示板に対する世間の誤解(サイエンスウオーズの縮小再生産だと)
を促進してるかもしれません>すいません、黒木さん

山野さんへ

山野さんの本業がそういうことなら、先日のバークリーの使い方には
(微分と、大森とバークリを生活世界でくくったことの2つ)、
いっそう、首をかしげますね。
(注意:バークリーの一面を後知恵で「生活世界」と結び付けた研究があるのは、
 読んだことはないけど知っています。けれども、それは本筋からはずれた一面であり、
 しかも「後知恵」なのだ(後知恵は、勝手に解釈して「新しいことを言ってみせ」て
 現代の問題構成を解決する場合に限っては価値があるが、所詮勝手な解釈にすぎない))

私は経済学史をやっています。本業とは直接関係ないですが、
信条的に、頭は相対主義・解釈学になっています(他人に開陳するような哲学はありません^^;)
でも、山形さんが言われるように
>あと、問いってのはさ、持つことがえらいんじゃなくて、それを解決しようと努力して初めて 
>意味があるんですからね。それなしに問いばっか忘れないでいたって、なんにもなりませんわよ。
とも思っているので、「生活世界」「解釈学」とかのキーワードがでてくるものの大半はゴミと思っています。

村上氏・野家氏には「新科学哲学」の唱導者であったので、世間での誤用の流布に対して
責任ある発言をしてもらいたいとは思いますが、彼らの本業での仕事には、たいして異論はありません。
村上氏は、たんなる翻訳者・紹介者と思っているので、非難の対象にもならないと思っています。
野家氏は、科学の解釈学とか言ってみたり、現象学やnarratologyに走っているみたいですが、
それはそれで間違っているとは思いません、逆に何か面白いことがヒョッコリでてくるのかと
あんまり期待しないで待っています。

あくまでも、私の批判しているのは、村上のレトリックですから。
(こんなレトリックで喜んでる奴はおかしいという人格攻撃も入ってるが(笑))
コメントするなら、「脳死判定の落とし穴」のレトリックにしてくださいね。
>さて、脳死と臓器移植について何か良い知見が得られたでしょうか?
>脳死のテクニカルな詳細は、村上先生に教えていただかなくても知っています。
>医療を「臓器医学」と矮小化してみせたことをどう思いますか?
>ガリレオやデカルトを持ち出して、「科学」を矮小化してみせたことをどう思いますか?
>この2つの矮小化は、結論を出すために必要だったでしょうか?
>この最後の結論をどう評価しますか?(日和見主義(笑))
>医療問題について参考になると思ってこの本を買った読者がいるとするならば、
>完璧に裏切っていると思いませんか?
(この事例検証で、うっかり「あなたは...?」と書きましたが、山野さんを指してはいません。)

私のコメントへの返事をするよりは、こっちをお願いしますね。
>#解説なしに#、生徒で実験してみてください。
>(ある種の「癒し」を感じたかどうか聞いて見てください(笑))

Id: #a19990720173320  (reply, thread)
Date: Tue Jul 20 17:33:20 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990720144129
Name: くろき げん
Subject: 山野さんへ

もとの文脈を離れると、私の疑問が不明瞭になるので、再度説明することにします。「この無造作な区分割りが物理学者の習慣であり…」という大森荘蔵の言葉は、村上陽一郎、科学哲学の窓「時間を巡って(承前)」 (岩波『図書』1999年4月号の54-55頁) からの孫引きです(6/2の記事で引用してある)。

『図書』1999年4月号で、まず村上は、「古典力学」において「時間は一次元のリニアな直線として規定され、時刻点はその上の位置(点)として了解される」ことを説明した上で、「大森荘蔵はこの構造に真っ向から挑戦する。直接大森の言葉に聞いてみよう」と続け、私が問題ありと感じた「この無造作な区分割りが物理学者の習慣であり云々」という表現を含む大森荘蔵による一節を引用しています。

私が疑問だったのは、なぜここで「物理学者」という言葉が出て来るかなのです。村上の説明を信用すれば、大森は、「古典力学」的な時間概念に「真っ向から挑戦」するために、「物理学者」という言葉を出していることになります。これは、いくらなんでも、現実に物理の研究をしている現代の物理学者達に失礼でしょう。 (私は、物理学科の院生レベルですでに様々な時間概念を考えている方がいることを知っています。)

村上による「大森荘蔵は…真っ向から挑戦する」と、「この無造作な区分割りが物理学者の習慣であり云々」という言葉が合わさったとき、それが載っている『図書』の読者はそれらをどう理解するのでしょうか? 私は、友人の物理学者達にとってはかなり不本意な解釈をする方が結構いるのではないかと思い、不快になったのです。山野さんが反論をお書きになった私の記事の一部分はまさにその不快感を表明した部分なのです。

以上で文脈の説明を終えます。

1.さて、山野さんの理解によると、大森が「物理学者」という言葉を出したのは、「大森先生は、物理学科のご出身なので、寧ろ、自分のかつての先入主を自己批判するつもり」だということになるらしいのですが、たかが物理学科出身程度のレベルで自分の先入観を批判するために「物理学者」という言葉を使うことには問題があるのではないでしょうか? 山野さんの理解が正しくても、問題は残っているのです。そして、『図書』の一般読者にそのような理解を要求するのは無謀だと思います。

この件に関して、私が山野さんに期待しているのは、「大森の哲学に十分価値があることは間違いない。しかし、確かにあのような言い方は危険である。そして、それをあのような形で引用する村上には問題がある」というような回答です。 (私自身は大森の哲学を理解してないので、大森の哲学にどのような価値があるかはわからない。) この件に関して、このように考えることに何か問題があるでしょうか?

2.あと、私の「ウルトラ厳密」という言葉の山野さんによる解釈にも誤解があります。私は、「物理学者が期待するような意味での「ウルトラ厳密」」ではなく、科学哲学のどこまでも疑い深く最良の厳密さを求める立場を指して、「ウルトラ厳密」という言葉を用いたつもりでした。本当に「物理学」における「先入観」に「真っ向から挑戦」するつもりがあるなら、現代の物理学の最良の知見と対決すべきでしょう。古典力学に対して単純に真っ向から挑戦するだけでは、科学哲学として厳密性に欠く中途半端な挑戦に過ぎないと思います。

3.最後に、山野さんによる「物理学の素晴らしさは十分認めた上で、そのように整序された時間概念によっては、覆われ、見えなくなってしまっている時間経験を大森先生は主題とされていると思います」という発言は、大森の科学哲学に関する説明なのでしょうか? 科学との関係はどうなっているのでしょうか? 科学と独立に、単に権威ある過去の哲学者達のアイデアを深めるだけなら、それは科学哲学の名に値しないと思います。


Id: #a19990720152438  (reply, thread)
Date: Tue Jul 20 15:24:38 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990720143033
Name: くろき げん
Subject: Re: 数理科学8月号

まだ、数理科学8月号を手に入れてませんが、ブタネコさんが紹介している吉田春夫氏の記事は、数学セミナー7月号に出た吉田氏の記事「コワレフスカヤのコマ」で予告されています。数学セミナーが読める場所にいる方は、合わせて読むと良いと思います。

ちなみに、私が、古典可積分系の教科書として、よく参照しているのは、次の2冊です:

前者は灰色の表紙で索引も含めて139頁の薄い本で、「まわるコマ」を題材に Lax pair などの作り方と使い方を解説しています。後者は黄色の表紙でまあ普通の厚さの本で、前者では扱われてない多くの可積分系が解説されています。

古典系があれば、誰でも量子化したバージョンがどうなっているか、考えたくなるのが人情でしょう。そして、最近では、量子可積分系の差分版や無限古典可積分系(ソリトン系)の(超)離散版など様々なバリエーションが考えられていて、可積分系の世界はずっと豊かになっています。そして、数学者の立場からは、数論における Langlands program の複素数体上の曲線での類似と量子可積分系の理論の間にかなり直接的な関係があることが興味深いのです。こういう類の数学の世界全体が今後どのように見えて来るのか楽しみ。 (でも、ここら辺の面白さは専門が近所であっても説明が大変なところなので、専門外の方に説明するのはさらに大変なのだ。)


Id: #a19990720144129  (reply, thread)
Date: Tue Jul 20 14:41:29 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990720124343
Name: やまの
Subject: 黒木さんへのお答え
黒木様

先ほど投稿しましたように、明日からしばらく京都に出張でアクセスできませんので、
今日のうちに、できる箇所だけお返事しましょう。
(全ての問いには答える余裕がないこと、どうかご理解下さい)

>大森荘蔵氏については質問や疑問ばかりで、評価を下したことはないはずです。

わたしは、たとえば、黒木さんの、こんな発言を念頭においていました。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/a0042.html#a19990602113428
>大森荘蔵はこの構造に真っ向から挑戦する。直接大森の言葉に聞いてみよう。
(大森氏の引用)
>> 一本の線を引く。その真中どころに点を一つ打ってこれを現在とする。そしてその右
>>は未来、左は過去。この無造作な区分割りが物理学者の習慣であり、常人としてわれわ
>>れもこの習慣にそまってしまっている。しかしこのお粗末な作図が過去、現在、未来、
>>という時間の基本的な様態についておよそ何も教えてないということは一目瞭然である。
(『時間と自我』青土社、28ページ) 
##黒木さんの評価
>通常ならほとんど誰も疑義を唱えないこのような時間の把握こそ、様々な時間を巡る哲
>学的錯誤の出発点だ、というのが大森の主張である。
>これに対する私の感想。古典力学のような近似に過ぎないことがわかり切っている理論
>に関して、ウルトラ厳密な議論を展開して何が面白いのでしょうかね? それどこ
>ろか、厳密になっているかどうかも、かなり怪しいのでは?
>さらに、「この無造作な区分割りが物理学者の習慣であり云々」などとわざわざ「物理
>学者」を持ち出しているところも非常に恥ずかしいと思う。そう書いてしまった大森氏
>も恥ずかしいと思うし、それを引用してしまう村上氏も恥ずかしいと思う。「物理学
>者」を持ち出すなら、「物理学者と違って、常人としてわれわれの多くはこのこの無造
>作な区分割りという習慣にそまってしまっている」とすべきだったと思うんですけどね。

 私の、この問題についてのコメントをお伝えします。

まず、私の理解する限り、大森先生は、決して物理学者が期待するような意味での
「ウルトラ厳密な議論」を展開しているわけではないし、そのおつもりもなかったろう
と云うことです。

大森先生は、物理学科のご出身なので、寧ろ、自分のかつての先入主を自己批判す
るつもりで、上のように書かれている、と山野は理解しています。

哲学では、古くは、アウグスチヌス、新しくはベルクソン、フッサールなどに時間論の伝
統があります。それは、物理学の時間、簡単に云えば、時計で計測され、座標的に
数値化され(空間化された)時間ではなくて、それが抽象される前の、生活世界の時間です。
物理学の素晴らしさは十分認めた上で、そのように整序された時間概念によっては、覆わ
れ、見えなくなってしまっている時間経験を大森先生は主題とされていると思います。
人間によって生きられた時間を現象学的に記述する場合、物理学者としての先入観を
括弧に入れる必要があると云うことでしょう。

時間というテーマは、物理学、生物学ばど様々な分野が交差する興味深い領域ですね。
要は、私の云いたいことは、パラダイムが違う議論を、自分のパラダイムだけを評
価にして裁断しないこと、そのためには、想像力を働かせて、相手の世界に入っていくことです。
えてして、自分の尺度で、相手の云うことを全否定してしまうのが、我々の性ですからね。
黒木さんが、そういう方でなく、他人の発言に耳を傾ける忍耐力をお持ちの方だと言う
ことはよく理解しています。

Id: #a19990720143033  (reply, thread)
Date: Tue Jul 20 14:30:33 1999
Name: ブタネコ
Subject: 数理科学8月号

なんでも2で牧野さんが薦めてた『数理科学8月号』を買ってみてビックリ!!
下に志賀弘典さんが、シュワルツ3角形を多面体定理の『本歌取り』といってると書いて、その足で書泉の4階にいって、手にした雑誌の吉田春夫論文には、微分方程式の木村による第4の本歌取りが。
しかもラミスによって微分ガロア理論が可積分の判定に。昔、『Mathematica方法と応用』の訳者補充文献にラミスとマルチネのTheorie de Galois Differentielle et Resommationを入れといたが、こんな発展が。
実は、The Geometry of Hamiltonian SystemsというTudor Ratiu編の10年前の論文集にFomenkoがTopological Classification of All Integrable Hamiltonian Differential Equations of General Type With Two Degrees of Freedomって200ぺーじを越す寄稿をしてて、自由度が大きくなり、機械に依存するようになっても、雰囲気としてこのようなTopological Classification が10年でどう進んだかを知りたかったのだが、吉田さん以外のをちゃんと読むとその辺の願いも満たされるのかしら。
Id: #a19990720124343  (reply, thread)
Date: Tue Jul 20 12:43:43 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990720111901
Name: くろき げん
Subject: 山野さん、質問に答えて頂き、どうもありがとうございます

山野さん、どうもありがとうございます。

しかし、私に関して誤解を正しておきたい点が出て来てしまいました。

山野さんは、私に対して、「ただ、村上、野家、大森の諸先生の評価については賛成できませんが」とおっしゃっています。これでは、あたかも私がそれらの「諸先生」方に評価を下しているようではないですか。もちろん、私はそのようなことをしているつもりはありません。

特に、大森荘蔵氏については質問や疑問ばかりで、評価を下したことはないはずです。大森氏が「ヨーカン」の例え話で語った科学哲学が真に価値あるものであると山野さんが評価しているなら、その具体的な内容、どこかどう面白いのか、現代の物理学との関係(この議論においては特にこれが重要)、などなどについてもっと具体的に説明すれば良いのだと思います。

そして、私は、批判的なことを述べるときには、人物全体を批判せずに、その個々の発言を批判するように心掛けているつもりです。もちろん、科学哲学、科学史、科学論、……が全てナンセンスだという類な極端で間違った考え方をしているわけでもないし、それら全体を攻撃しているつもりもありません。

私は、それらについて書かれたものを読んだとき、「微分の言い抜け」や「「それでもシアンが…」と言う人には…」のような単なるデタラメもしくは大袈裟過ぎてナンセンスに聞こえる意味不明で曖昧な発言によく出会うことにがっかりしているのです。そのように感じているのは私だけではありません。そして、それらについて、山野さんも含めて誰からも、証拠と論理に基いた信頼できる説明が返って来たことはないのです。 (例えば、村上氏が他に書いたもので、通常の微分概念を正確に理解していることが確認できる文献はあるのでしょうか? あるとすれば、あるで疑問は深まるのですが、村上氏が微分概念を正確に説明することもできるということがわかれば、印象はかなり違ってきます。 (不正確な説明が載っている文献も募集中。))

しかし、山野さんは、このような発言を科学哲学や科学論などに対する全面的な批判のようにみなしているのではないですか? もしもそうなら、それは完全な誤解です。

ところで、野家氏の発言対する私の批判で賛成できないのはどれですか? 単に賛成できないと言うだけではなく、キーワードを挙げるなどして、具体的にどれに対して賛成できないのか明確にしてくれないと返答のしようがありません。

なお、この辺には(私も含めて)口の悪い人が多いのですが、口の悪さに眩惑されずに、具体的な内容に基いた議論を希望しています。


Id: #a19990720111901  (reply, thread)
Date: Tue Jul 20 11:19:01 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990720101656
Name: やまの
Subject: 補足と訂正
前回の投稿で
武田三男は武谷三男の誤植です。

それから、黒木さんのご質問に答えます。
ご免なさい、時間が無くなって、十分お答えに
なっていなかったと、反省している次第。

私は、東京の某大学の哲学科の専任教員です。
もともと、数学を専攻していましたので、昔は
教養課程の数学や、情報科学などを教えたことがあります。
もっとも、哲学と云っても、いわゆる科学哲学とか、分析哲学とかには、
私は、あまり関心が無くて、そういうものよりは、たとえば、アインシュタイン
の物理学やエッセイの方に「哲学的」精神をかんじるという、変わり種です。

黒木さんのHPを見て、ご専門以外の
分野にも、旺盛な関心を示され、的確な判断を下されていると
いつも敬服しています。
科学論については、私などよりずっと詳しいのでは
ないかとさえ思っています。
ただ、村上、野家、大森の諸先生の評価については
賛成できませんが。

Id: #a19990720101656  (reply, thread)
Date: Tue Jul 20 10:16:56 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990720093848
Name: くろき げん
Subject: 山野さんへ

鴨さんによる「悪性オタク」発言私の質問を同列に並べられるとは心外です。正直申しまして、そこまで私のことを誤解しているとは思ってもいませんでした。

私の質問は、「1、2年生相手の微積分の講義をしたとき云々」、「「科学論」を「やっている」わけではない」という山野さんの言葉にこだわりを見せていることからわかる通り、直接的には大体において「山野さんの専門を教えて下さい」という意味なのです。

この質問に答えることに何か不都合があるのでしょうか? そうであるなら、「不都合である」とひとこと答えて頂くだけで結構です。

しかし、この議論に参加しているほとんどの方は「自分自身がどこの何者であるか」を十分明らかにしていることには注意を払って欲しいと思っています。 (リンク集を見て下さい。)


Id: #a19990720093848  (reply, thread)
Date: Tue Jul 20 09:38:48 1999
Name: やまの
Subject: 感想とお返事
明日から出張でしばらく京都に滞在する予定。出先からアクセスできませんから、
しばらくは、投稿を、お休みします。それで、

はまださんの
>あなたは、この附論をどう思いますか? 
>特に 堕胎の例を持ち出すことと日本論はどうでしょう?。
>豊富な学識に裏打ちされた立派な見解であると思いますか?
>科学史・科学哲学者、科学論者、科学技術論者、哲学者、といった尊称を、
>この文章の著者に付けますか?

というご質問ですが、実は、引用された村上先生の御本を、私はまだ読んでおりません。
しかし、まあ、折角浜田さんが、長い投稿をされて、ご質問下さったわけですから、私も、
いずれこの本を読んで、もし、興味がわいたら、そして時間に余裕が出来たら、お返事い
たします。(気長にお待ち下さい)

田崎さんへ

いつも丁寧なレスを有り難うございます。 
創造的な自然科学の研究をされているかたは、とても柔軟な精神を持っていて、
「科学主義者」などでは、けっしてないと、私は思います。田崎さんの投稿からは、
学ぶものが多いですね。
それで、
>しかし、これら科学者という職業の起源や、科学の制度の歴史についての話は、あくま
>で、それ以上のものではないと思います。こういった議論に必要以上の重みをもたせて
>、現代の科学への批判や、科学の応用のあり方についての議論の根拠にするとしたら、
>それは、話のすり替えだろうということです。この掲示板で話題になっていたのは、ど
>ちらかというと、そういった側面なのだろうと思います。 

と言うのが、一つのポイントになりますね。
科学のエクスターナル・アプローチとインターナル・アプローチとの関係と云うこと、
 ここには、難しい問題があるとあると思います。
僕が、こういう問題で、いつも思い浮かべるのは、アインシュタインがなくなる少し前に
書いた次のような書簡です。 (1954年11月18日レポーター誌)

「貴紙は、アメリカの科学者の状況に関する貴紙の記事について、私の考えを質しました。
この問題を分析する代わりに、簡単な言葉で、私の感じるところを表明したいと存じます。
もし、私が再び若人となり、生計を立てる最良の方法を決定しなければならないとすれば、
科学者や学者、それから教師になろうとは、私はしないでしょう。ブリキ職人か行商人か
になることを、私は寧ろ選ぶで有りましょう。現在の状況下でなほ可能な、わずかの独立
を自ら保証するのが、この場合私の希望であります」

この手紙、10数年前に、唐木順三、武田三男、長崎正幸氏等が論じたことがありますが、
私にとっても衝撃的な手紙でした。いろいろと論議の的となった文章ですが、
私は、こう理解しています。

まず、この文章が書かれた頃は冷戦の最中で、米国の科学者、とくに原子力の開発
に関係した科学者は、国家の軍事的な研究体制に組み込まれていた。物理学者は、
世俗の諸価値から超越して、物理学そのもののための真理の探究を行う、というよ
うなことはゆるされなくなった時代背景があります。

誤解の無いように言っておきますが、アインシュタインは、physicist であること
を放棄したわけではありません。彼が、仮に生まれ変わったとしても、physics の
研究は続けたでしょう。彼は、現代の素粒子論の知識を参考にして、統一理論の研
究を続行する事に、研究すること自体の喜びのために、その活動を永遠に続けるだ
ろうと思います。

しかし、アインシュタインは「科学者や学者、教師になろうとはしない」と云って
います。
これはどう言うことだろうか。

山野の解釈では、ここでscientist と言っているのは、physicist とは違うので
すね。
第一時大戦後あたりから、科学者の社会的な身分に大きな変動が置きます。
核分裂を発見した、ハンス・ハーンは、原子爆弾が広島に投下されたとき、これを
深刻に受けとめ、周囲の人は彼が自殺するのではないかと思った。
自然科学上の発見が、発見者自身に予測もつかぬ仕方で、急速に技術的に応用される
状況が生まれ、それが現実政治、戦争の道具として重要な要素となっていく。
こういう状況で、科学者の社会的な地位は向上したが、それと逆比例して、
科学者の精神の自由が保障されないと言うことにたいするプロテストがこめられているのでしょう。

それと同時に、山野は、アインシュタインという人に、我々が現在云う意味での
sientistではなくて古い言葉ですが、natural philosopherの精神を感じています。
つまり、彼は、スピノザがそうであったように、永遠なるものを観想し、精神の
自由を得ることを第一に考えたのでしょう。つまり、どの大学にも勤めずに
レンズ磨きをしながら生計を立てたスピノザの視点から、制度化した科学のあり方
を批判したと思うのですね。

鴨さん
>悪性オタク
>だからあ。議論に参加しているのではなくて、キーワードに反応して聞きかじりをひけ
>らかしているだけなんだから、まじめに相手をしちゃあ駄目だってばあ。  
黒木さん
 >どういう立場の方なのか教えて下さると嬉しく思います。

鴨さんの投稿で、「悪性オタク」と名指しているのは、どうも僕のことを念頭に
 おいているみたいですね。「悪性」というと、どうも、僕を癌細胞のような異分
子と捉えて、こんな奴に投稿してもらってはこまるという意味なんでしょうか。
まあ、僕は、ただの「オタク」であることは認めます。そして、「悪い」ことに
「オタクで何が悪いのだ」とホンネで思っている。ううむ、鴨さんは、案外
僕の本質を見抜いているのかも。

この掲示板の議論の主流が、大体に於いて、アメリカのscience war のミニチュア版に
なっているらしいと言うことは、僕にも察しがついています。多くの投稿者は、
「科学論者」の科学にたいする無知を笑う、というスタンスで
投稿しているように見えましたから。(勿論、田崎さんのように、そうでない投稿
も読ませていただきましたが)

僕自身は、STSとかscience war のことは良く知りません。幸い、黒木さんの編
集されたリンクがあるし、田崎さんもソーカルの論文を翻訳されたそうですね。時
間のあるときに、よく読ませていただきましょう。

ただ、僕は、「相対主義者」にそんなに悪いイメージを持っていない。個人的に云うと
ファイアー・アーベントなんていうのは、面白い男で、ああいう無茶苦茶な「科学論」
は、大いに楽しませていただきました。両極端は通じるというか、案外、ソーカル氏
とファイアー・アーベント氏は意気投合するかも知れませんね。

Id: #a19990719150315  (reply, thread)
Date: Mon Jul 19 15:03:15 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990719144747
Name: くろき げん
Subject: 久保田さん、直しておきました

次回からは謝罪文は無くても結構です。黙って直してもらえればラッキー程度に思っていて下さい。


Id: #a19990719144747  (reply, thread)
Date: Mon Jul 19 14:47:47 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990719135813
Name: 久保田
Subject: 二度
またもやバケさせてしまい申し訳ありません。二つ下。

Id: #a19990719142517  (reply, thread)
Date: Mon Jul 19 14:25:17 1999
Name: ブタネコ
Subject: 数学おもちゃ箱

日評から志賀弘典さんの『数学おもちゃ箱』が出た。
名著かどうかはともかく、まず、数学系を目指す高校生や、数学系にきたけど戸惑ってる学部の1、2年生にとても親切な本だ。
「鎖国内現象学業界」の特殊な読者共同体を対象にした本と違って、開かれた本だが、その開かれた本において志賀は『本歌取り』という、志賀一人しか共感者がいないかも知れない数学観(感)を、多面体 不変式 超幾何関数を例に共感者募集中。
Rota の"Indiscrete Thoughts"のThe Phenomenology of Mathematical Beauty に、If the statements of mathematics were formally true but in no way enlightening,mathematics would be a curious game played by a weird people.ってあるけど、『数学おもちゃ箱』はenlighteningだと思う。
それにしてもweird peopleのつどう現象学業界とか、一部科学哲学業界ってenlighteningの対蹠点だな〜。formally trueですらないことより、obscurantなのがイヤだ。
Id: #a19990719135813  (reply, thread)
Date: Mon Jul 19 13:58:13 1999
In-Reply-To: a0045.html#a19990717065202
Name: 久保田
Subject: それます

話をそらしちゃいますが....

「ニュートンは、自分を自然哲学者と考えていた」
「当時の科学を取りまく諸制度は現在のものとはかなり異なっていた」
とかいう話は一般の人(別に一般の人でなくてもいいが)は何で最初に目にする
のでしょうか。
私は中学〜高校生の頃、当時あった「天文と気象」という雑誌に斎田博という
人の「おはなし天文学」という連載(70年代の中頃から後半頃だったと思いま
すが手元に現物がないため不明)があり、これで上記の関係の話が書かれて
いたのを読んだのが最初でした。
他にもケプラーはある神学的(オカルティック?)な信念を元にその法則を発見
したこととか、ラブラスはちょっちヤなヤツ(;^-^Aだったとかいう話が時々書
かれていて、「へえー、そうなんだー」。

そんなことで、20才過ぎてから村上氏の著作を読んだ時に、これってあまり目
新しい話でもないんじゃないか?と思った記憶があります。
Id: #a19990719135458  (reply, thread)
Date: Mon Jul 19 13:54:58 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990719123525
Name: 鴨 浩靖
Subject: 悪性オタク

だからあ。議論に参加しているのではなくて、キーワードに反応して聞きかじりをひけらかしているだけなんだから、まじめに相手をしちゃあ駄目だってばあ。
Id: #a19990719134814  (reply, thread)
Date: Mon Jul 19 13:48:14 1999
In-Reply-To: a0045.html#a19990717093314
Name: 鴨 浩靖
Subject: アルキメデスとε‐δ論法

ε‐δ論法を古典ギリシア精神の復興に過ぎないと短絡しても、それはそれで困ったものですけどね。 そもそも、ε‐δ論法を論理的困難の解消として説明するのが、有害な過度の単純化なんですよね。
Id: #a19990719123525  (reply, thread)
Date: Mon Jul 19 12:35:25 1999
Name: 田崎晴明
Subject: 感想文

山野さん、

失礼ないい方かもしれませんが、山野さんがどういうものの見方を伝えようとされているかは、何となくわかるような気がします。 (誤解ならば、申し訳ありません。) 山野さんの視点は、黒木さんや山形さんの問いかけや批判とは、微妙に、しかし本質的に、違う方向を向いているという気もします。

以下、とりとめのない感想です。


Id: #a19990719122003  (reply, thread)
Date: Mon Jul 19 12:20:03 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990718154901
Name: くろき げん
Subject: 山野さんがどういう立場の方なのかお聞きして構いませんか?

山野さんの立場が少しずつ明らかになりつつあると思うのですが、ここで直接にどういう立場の方なのかお聞きして構いませんか?

山野さんは、7/16に「バークリーについては、だいぶ前に、大学の1、2年生相手に微積分の講義をしたときに調べたことがあり、その記憶に基づいて書きました」と発言していることから、少なくとも大学で微積分の講義を頼まれる機会がある方であることがわかり、さらに、そのためにバークリーについて調べることに意義があると考えているらしいということもわかります。そして、7/18に、山形さんの誤解を正すために「私自身は「科学論」を「やっている」わけじゃないですよ」と答えています。これは、「自分自身は科学論の専門家ではないが、自分自身の専門に科学論は間接的に関係している」ということなのでしょうか?

どういう立場の方なのか教えて下さると嬉しく思います。


Id: #a19990719090805  (reply, thread)
Date: Mon Jul 19 09:08:05 1999
Name: 浜田寅彦
Subject: しまった。最後に大事なコメントを付け忘れた
自分の宗教的信条に由来する契機(問題意識)を隠し、科学や哲学を装って、
策を弄することをどう思いますか? 

Id: #a19990719072624  (reply, thread)
Date: Mon Jul 19 07:26:24 1999
Name: 浜田寅彦
Subject: 事例研究
科学史を読んでおもしろいと思うのはあたりまえのことです。
そうでなければ、歴史の本が山のように玉石混交で売ってないでしょう。

ここで問われているのは、「微分の言い抜け」が、それ自体正しいのかというのと、
その言説の影響・作用です。理系コンプレックスである私の友人は13年前に、
この「微分の言い抜け」を知って、鬼の首をとったかのように喜んで、吹聴してまわりました。
山野さんも、#解説なしに#、生徒で実験してみてください。
(ある種の「癒し」を感じたどうか聞いて見てください(笑))

科学史・科学論の誤用は、具体的な現実問題をあつかった科学技術論(STS)を見れば
素人でも容易に判断がつきます。

またまた村上大先生ですが、脳死と臓器移植を扱った例を挙げて考察してみましょう。
『生と死へのまなざし』1993 この仕事は、なんでも引き受けるやっつけ仕事ではなく、
医者の息子である大先生のライフワークです。「」は正確な引用です。

まず最初に「医の倫理と科学者の倫理」で、おなじみのネタが続きます。
1.医師と聖職者と法律家の社会的地位。
  ギリシャ語の病気をさす言葉pathemaは、もともと苦しみを受けるという意味だから、
  医者は「病気を癒す技術者ではなく、病人の苦しみを共にする、つまり英語で言えば
  sympathyという語の本来の用法そのものにかかわる仕事と考えられていた」
 (こんな言葉遊びでむりやり決め付けて良いのか?)
  医師と聖職者と法律家を知識から利得を得るものと規定して、その規定が現代では
  科学者が相当するとした後、「医師は上で述べたような特別の職業者であると同時に、
  一方では、むしろ科学者である比重のほうが大きくなっているところがある」と独断します。
  そうして、(1)医師の倫理と科学者の倫理が重要な関係を持っているのではないか、という
  観点から分析する。(2)なぜ医者が科学者に変身したのかという点を歴史的に解明していきたい
  と宣言します。(宣言するのは勝手やけど、この前振りは何? 医の倫理と何の関係がある)。
2.中世の大学教育について長々と語り、医師・聖職者・法律家への支払いは、サービスの
  対価ではなく、尊敬の念だといきなり断定する。
3.scientistの誕生(笑)
4.科学の制度化。数行で終わることを長々とおなじみの話が続く。
  ここで急に、共同体内の評価基準がsomething-new主義になったと言って、
  反対の事例として「コペルニクスは繰り返し自分の立てた説が、なんら新しいものではなく、
  過去に数多くの人々が唱えたことのあるものであることを強調している。...これは
  近代になって初めて西洋が生み出した一つの価値観に深くかかわる問題であろう」
  (コペルニクスは火あぶりになりたくなかったのではないのか(笑)
   自分の見解は新しいというやつは昔もいただろう??)
  マートンの科学者のエトス(後で全然使わないけども、掲げてある)。
5.医者が研究志向になって科学者化する。
  社会的有用性(外向き)とsomething-new(内向き)のダブルスタンダードを論じて、
  急にアシロマ会議を知ってるぞと名前を挙げて(詳しい解説は全然ない)、
  現代の問題の深源は医の倫理の局面ではなく、科学研究のモラルであると看破する。
  (なんでそうなる??)ついで「自然への人為的介入」(自然治癒力ではなく外科とか(笑))
  を論じ出して、突然、優生学やナチスの話をする。
  驚くなかれ、結論は、「医療と科学の交点がもたらした医の変質は、このような陰の部分を
  背負っていたのである。その意味では、医療の世界はかつてのヒポクラテスの時代の
 「倫理綱領」とは全く異質の「倫理」を考えなければならない」

あなたはこの話の展開をどう思いますか?(特にアシロマや優生学・ナチスの使い方) 
最初に分析・解明すると言ってたのは果たされたでしょうか?
科学史的知見はこの結論を引き出すのに何か役にたったでしょうか?
医者が科学者でもある、という当たり前の話から、いったい何が引き出せましたか?

結局「医師は上で述べたような特別の職業者であると同時に、一方では、むしろ科学者である
比重のほうが大きくなっているところがある」という独断を、何の論証もなく主張している
だけでしょう。科学史のエピソードは文字どおり「きまぐれな挿話」にすぎません。
果たして歴史的に考証しているといえるのでしょうか? 単に自分が知ってる話題を並べただけでしょう。

続いて「脳死判定の落とし穴」、いよいよ脳死と臓器移植の話です。
1.臓器医学という専門分化への皮肉(武見太郎)を勝手に解釈して、
  医術とは臓器の故障の修復であると狭く定義してみる。(わざとらしい)
  死は多元的な概念で、社会的概念であると叫んでみる。
  ようやく、死の判定をめぐる医師の独占的介入もちだし、
  「患者の死は医療の決定的敗北であり、医療の終焉でもある。そして自らの決定的敗北の
  瞬間を、医師は自分の独占的権利として判定・宣告しなければならない」
  (またまたエキセントリックなレトリック)
2.伝統的な判定基準である心臓・呼吸・瞳孔の話。
3.脳死問題は、臓器移植の問題であると看破する
4.死をめぐる医師の機能の変質
  救命するはずの医者が死に至らしめるとか、臓器が欲しくて脳死にするとか、
  脳死判定と伝統的な判定との齟齬。判定のために人工呼吸器をはずすこと、
  など、いろいろとケチをつけてみる
5.自分の否定的な論調はどこに原因があるのか反省してみる
 (1)脳死が臓器医学的であるから(臓器を見て患者全体を見ない(身体と苦しみの両方))
 (2)医師のイメージの変化(詳しくは後述)
6.物質の「科学」と医学
  ガリレオとデカルトを長々ともちだして、「科学とは、自然現象を物質の言葉で語ること」と定義。
7.科学において「死」は可能か
  前述の科学の定義を振り回しながら、「死」は人為的な概念(自然ではない。byガレリオ)であり、
  巨視的(総合的)であるとする。(卑怯にも、「科学」では「死」は不可能と明言はしない)
  結論として、巨視的な現象なのに、微視的過程のどこかに、人為的な分岐点をおいて判定する
  と当たり前のことを言う、しかも伝統的な判定もこれと同じ構造だって。
8.医師のイメージの変化
  医師への信頼(救命するはずの医者が生命維持装置をはずす)が覆るとして、
  結論に入る。「信頼感はいったん崩れると、再度築き上げるのは困難...この問題に
  ある程度慎重かつ消極的であるべきである、という判断は比較的穏当なものと言える」
  
さて、脳死と臓器移植について何か良い知見が得られたでしょうか?
脳死のテクニカルな詳細は、村上先生に教えていただかなくても知っています。
医療を「臓器医学」と矮小化してみせたことをどう思いますか?
ガリレオやデカルトを持ち出して、「科学」を矮小化してみせたことをどう思いますか?
この2つの矮小化は、結論を出すために必要だったでしょうか?
この最後の結論をどう評価しますか?(日和見主義(笑))

医療問題について参考になると思ってこの本を買った読者がいるとするならば、
完璧に裏切っていると思いませんか?


この脳死には、附論がついています「脳死臨調に望むこと」
(このわずか2ページもぐちゃぐちゃな文章構成。文才は無いと判定してよい)
1.かつての裁判での陪審制度導入ぐらい宣伝しろ
2.脳死が新しい「科学的」な死の定義だ、という言い分には反対する
  「『死』は(従って『生』も)『科学的な』議論の限界を超えた概念である」
  脳死と臓器移植は不可分の問題だ
3.コンセンサスの形成をすれば良いわけではない。
  理由は、堕胎が、慎重な検討もアセスメントもなしに、
  現状追認で存在しているコンセンサスであるから。
  この例は、「特に日本での場合は、一旦社会が認めてしまうと、
  個々の事例のもつ一回性や個々人の意志の特殊性が無視されて、
  すべて社会一般に容認される線でことが処理されてしまう危険があることを示している」
  法律や慣習よりも、当事者の個々の判断が優先されるべき
4.臓器提供が交通事故で支えられている

あなたは、この附論をどう思いますか? 
特に 堕胎の例を持ち出すことと日本論はどうでしょう?。
豊富な学識に裏打ちされた立派な見解であると思いますか?
科学史・科学哲学者、科学論者、科学技術論者、哲学者、といった尊称を、
この文章の著者に付けますか?

Id: #a19990719035357  (reply, thread)
Date: Mon Jul 19 03:53:57 1999
Name: ブタネコ
Subject: Kant and Husserl

うひゃー、「科学哲学業界のかなりの部分」同様、「現象学業界」って、日本では痴的翻訳業界っていうか、本家の師匠をかなり冒涜しとる業界なのね。
そんで、フッサールにしても、Carlo Rota が"Indiscrete Thoughts"において、XVI章に Kant and Husserlなんて章をたてて、その結語に"Thanks to Kant and Husserl,we realize that all understandings is synthetic a priori;there is no other kind and there cannot be any other kind of understanding." というとき、極端な意見だけど数学的に凄い真実を含んだロータの言葉を、運悪く日本の業界を通してフッサールを受容してる人は、誤解しかねない。
普通に、日本の現象学業界なんて知らず、ブリタニカで現象学をみたらフッサールとハイデガーがかってなことを二人して書いてて、へー、現象学なんてそんなものですかなら、特定分野への意味のない軽蔑感や嫌悪感などないだろうけど、間に特殊日本的受容が入ると、事態はややこしくなる。

雨宮一郎とか田村二郎が、高校レベルの微積と力学を一体にした、いかに見事な本を書きあげたかと、村上氏の「言い抜け」とのギャップは、どうにもなんないものなんだけど、Rotaの同じ本のXIX章Ten Lessons for the Survival of a Mathematics Departmentによると、"When you meet someone who does not know how to differentiate and integrate ,be kind ,gentele,understanding.(p.208) ですって。
Id: #a19990719034856  (reply, thread)
Date: Mon Jul 19 03:48:56 1999
In-Reply-To: a0046.html#a19990718154901
Name: 山形
Subject: 直観しようぜ。

> 一読者として、僕のような感想ないし要望を述べることはゆるされる
> でしょう。

はあ、許されるんじゃないですか?

> 厳密な学が、数学を代表とする自然科学だけだというのは、
> 「科学主義者」の偏見だと思いますね。
> 身近に西洋古典学の専門家が居るので、そういう
> 「科学主義者」の偏見から免れています。

別にここらではだれもそんな偏見を口にはしていないのですが。 そんな偏見を勝手に読みとってしまうのは、「非科学主義者」のコンプレックスかな とも思いますが、それはぼくの偏見ですね。まあここは、ぼくが「文学研究」と 話を広げすぎておかしくなってる面もあります。ごめんなさい。

> 「運動や生成があることを否定しているん」ではなく
> 「運動や生成がいかにして可能か」というのが大森さんや
> 野矢さんが問題としている事柄でしょう。
> それは、そもそも物理学で問題となるような事柄ではないのです。

ふーん、では村上のあの「瞬間速度はインチキだ」議論というのは なんなんでしょうか。実際の物理学的な速度とは何にも関係がない、 物理学では問題にならない別種の「速度」なのでしょうか。微分すると 分母はゼロになるのに分子はゼロにならない、なんていうのは、まさに 具体的な数学や物理の話なわけです(そして憐れみを催すほどまちがっても いるわけです)。

「運動や生成がいかにして可能か」ですか。「実は可能でなかった」という 結論を出してもらえると、とても楽しいなあ。がんばるようお伝えください。

> 生活世界(Lebenswelt)とは、現象学の用語で、フッサールが
> 「科学の危機と超越論的現象学」という本の中で使いました。
> 村上先生や野家先生の科学論を「批判」しようというのなら
> この程度の基礎文献には目を通しておく必要があるでしょうね。

いいえ、そんな必要はないでしょう。科学に対する批判と称するものがまともかどうかは、 科学についての知識でほとんど用が足ります。いま、問題になっている村上の 発言というのは、完全に科学や数学の枠組みの中の話ですし。

 現象学かぁ。むかし笠井潔の探偵小説を読んでいるとき、探偵の矢吹駆くんは いつも最初から犯人がわかっている。なんでー、と言われると、「現象学的 直観です」とかいって、ずるいんだー。まわりの刑事さんたちが「証拠を集めて それでかためてくしかないんじゃないの?」というと、「いや、証拠に対する 解釈はいくらでもあり得るのであって、現象学的直観でものごとの本質を 見極めないと真実は見えてこない」とかなんとかいうのだ。で、「なんだいその 直観ってのは」というと「丸いものから『丸』という概念を直観するようなことだ」とか 言って、説明になってないじゃーん。どうしてそれで犯人がわかるんだー。 いーんちき!

 で、フッサールの「厳密な学としての哲学」とか読んだら、「これから哲学は厳密な 学になるために直観していかなくてはならない」とかいうんだけど、結局直観という のはなんのことやらわからんのであった。ちなみにこの本でのフッサールくんは、 自然科学はなんか一応オッケーらしい。でも、それを人間の精神とか心に適用しようと する実験心理学は許せーん、それは「自然主義」でダメだ、と言っている。(ちなみに訳者は、 解説でいつのまにか「物理学や実験心理学などの自然主義は」とか勝手に話を広げている。 いーんちき!)精神やそれを扱う哲学はもっと直観しなきゃなんないんだって。ひー、 やでやで(© 某巨乳タ火ヨ星人)

そうそう、東京にいる人は、現象学入門に最適な映画「ダークスター」が中野かどっかで上映 中なので、観ておくと勉強になります。


Id: #a19990718154901  (reply, thread)
Date: Sun Jul 18 15:49:01 1999
In-Reply-To: a0045.html#a19990718135432
Name: やまの
Subject: 山形さんに
私の投稿は、はまださんが
>黒木さんの「微分の言い抜け」の記事や、
>こなみさんの「山野さんが村上先生のどんなところに魅力を感じているか」
>のほうもお願いしますね。
と質問されたのに対して、「科学史への個人的関心」
として答えたもの。つまり、一読者として、どこに関心がそそられるか、という文脈に注意してください。

>結局、山野氏みたいな「科学論」とかいうのをやってる人の大部分というのは、
>科学ってのは小説の一種だと思ってるわけですな。それをネタにして文学研究みた
>いなのをやればいい、と。

私自身は「科学論」を「やっている」わけじゃないですよ。
文学であれ、哲学であれ、科学であれ、人間不在の学問には、私には関心がないと
いうのは、その通りですがね。
この個人的関心を普遍化する意志など毛頭ありません。
「科学論」とか「科学哲学」というのは、それぞれの専門家のなさることで
すが、一読者として、僕のような感想ないし要望を述べることはゆるされる
でしょう。

>みんな知っているように、文学研究ってのは実は学問でもなんでもなくて、
>気の利いた感想文を言いっこするものになっていて、積み重ねとか昔との
>整合性とか、ぜんぜんなくていい

厳密な学が、数学を代表とする自然科学だけだというのは、
「科学主義者」の偏見だと思いますね。
人文科学には、実験的検証を重んじる自然科学、演繹の厳密さを
重んずる数学とは、違った意味での厳しさがある。
たとえば、古典の研究などでは、文献学、解釈学の手法に通じてなければ
プロの仕事とはみなされません。私自身は、身近に西洋古典学の専門家
が居るので、そういう「科学主義者」の偏見から免れています。

>いまの物理学は、運動や生成があることを否定しているんですか

ゼノンのパラドックスを如何に論じるかという文脈で云えば、
「運動や生成があることを否定しているん」ではなく
「運動や生成がいかにして可能か」というのが大森さんや
野矢さんが問題としている事柄でしょう。
それは、そもそも物理学で問題となるような事柄ではないのです。
議論の成立する地平というのを知らずに議論すると
すれ違いになると思いますね。

>生活世界ってなんですか

生活世界(Lebenswelt)とは、現象学の用語で、フッサールが
「科学の危機と超越論的現象学」という本の中で使いました。
村上先生や野家先生の科学論を「批判」しようというのなら
この程度の基礎文献には目を通しておく必要があるでしょうね。

1つ前の記録:黒木のなんでも掲示板 (0045)


管理者: 黒木 玄  <kuroki@math.tohoku.ac.jp>  (Web Site)
CGI_Board 0.64