専攻長からの挨拶



 「数学の先生」と聞くと、頭の回転が速く、黒板にすらすらと数式を書いて難問を鮮やかに解いてしまう、ような颯爽としたイメージが浮かびます。実際、数学科入学生に志望動機を聞くと「高校の数学の先生がめっちゃカッコ良かったから」という答えが時々返ってきます。ところが、「数学者」と聞くと、奇人、変人、得体の知れないことをやっている、など怪しげなイメージが先行するのではないでしょうか。そこで実際に大学の数学科に行ってみると、(服装はラフですが)みかけは一般人とそう変わらないので意外に思うかも知れません。本当のところはどうなっているのでしょう?以下に数学と数学者の特徴についてまとめてみました。

(1)(おそらく)人類最古の学問
 数学は文明の誕生とともに誕生したと思われます。最初は生活の中で、例えば暦、土地の測量、お釣りの勘定、などの必要があって始まったのでしょうが、その後は文化の一つとして高度に発達しました。例えば江戸時代の日本では和算や算額などが発展しましたし、現代では数独が根強い人気を保っています。何千年も続けているのに人類は未だ数学に飽きていないのです。今後も数学がなくなることはないでしょう。

(2)数学の定理は普遍の真理
 三平方の定理は数千年前には既に知られていましたが、その内容は数千年間変わっていません。人類が滅んでも三平方の定理が滅びることはないのです。自分が証明したほんのささやかな定理も普遍の真理であることに変わりはない、と思えば少し嬉しくなって来るではありませんか。

(3)理学であって理学でない
 理学部を志す人の多くは、自然の美しさに触れ、その仕組みを解き明かしたいと思っています。一方、数学をやっている人にその動機を聞くと、皆「いや面白いから」と答えるでしょう。真理の解明より自分の興味を優先するところは、科学者より芸術家に近い感じです。私が尊敬する数学者のY先生は、かつて若い数学者の結婚式のスピーチで「数学者というものは何を言っても上の空で、いつもぼうっとしていると思うけど、まァ大目に見てやってください」と仰いました。ただし、車の運転中は数学の話をしない方が良いでしょう。

(4)役に立たないが役に立つ
 私が学生の頃、ある教授が「大学とは役に立たないことをするところだ」と言い放ったことをよく覚えています。同じ理系でも医学・工学には人の生活をより良くするという使命があり、数学以外の理学には自然の法則を解き明かしたいという目的がありますが、(3)でも述べたように数学者には崇高な理念はありません。恥ずかしいことです。しかし、個人がその興味の赴くままに行った研究が、後に全く別の分野で応用されることが多いのも事実です。例えば、20世紀前半の物理学の最大の成果である相対性理論と量子力学は、19世紀までの非ユークリッド幾何学と微分方程式を土台にしています。検索エンジンのランキングにはマルコフ連鎖の理論が応用されています。最近ではつい30年程前に発展した量子スピン模型の理論が量子計算理論に応用されるなど、このような例は身近に多く見られます。

(5)数学の世界はとてつもなく広い:数学も数学者も多種多様
 数学の研究対象は多種多様で、森羅万象全てに亘っています。例えば、生物の縞模様の変化を微分方程式で解析したり、手品のトリックに組み合わせ理論を応用したり、という研究があります。数学基礎論のように数学そのものを研究対象にする分野まであります。研究を進めるスタイルも十人十色です。一人で研究に没頭する人、仲間とわいわいやりながらアイデアを醸成する人、またコンピュータの助けを借りて証明する人もいます。どの人も、他人の評価より自分の興味を優先してやりたいことを追求しているという点では共通しています。

(6)みんな違ってみんないい
 偉い数学の先生には、共通して「昔、自分が大学の数学科に入学したときは、周りの人がみんな頭のいい人に見えて気遅れしたなァ」と言う傾向が見られます。学問に限らず、どんな業界にも「スーパースター」がいるものですが、それを支える無数の人たちの存在をつい忘れがちです。
 周りの数学者たちを見ても、何でもこなせる万能スーパーマンは希少で、緻密な計算が得意な人、直感的な思考が得意な人、コンピュータの扱いが得意な人、など色々な人がいます。(5)で述べたように数学は多様なので、誰でもどこかに自分の長所を生かせる場所を見つけることができるのです。
 学生時代に教わったO先生は、「数学をやるときは(わからないと落ち込まないで)常に楽観的であれ。誰にでも何らかの貢献ができる」と仰いましたが、この言葉に救われました。

(7)数学は面白い
 数学の先生の中には、現役を引退すると益々元気になりもっと研究が進む人がおられます。一文の金にもならないのに数学を続けるのはなぜでしょう?また、私の知り合いのある方は、医師をしながら趣味で数学を研究し、研究集会でその成果を発表しておられます。本業が多忙な中で時間を遣り繰りしながら研究を続けておられる姿勢には頭が下がります。

 以上、とりとめもなく書きましたが、数学と数学者について、少しでもイメージが伝わればと思います。本学数学専攻では数学に興味を持つ人、数学が好きな人を歓迎します。この挨拶文をお読み頂き、ありがとうございました。


2023年4月1日

数学専攻長・数学科長
中野 史彦

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