昔は提案された指導要領を試験的に実施する期間があったように思う が,今は省略されている. このため 新たな編成に生じた問題点がそのまま全国に流布してしまう. 問題点が生じても当然な理由として, 教育課程審議会の後にトップダウンで設けられるタイムリ ットがきびしい ことがあげられる. 時間数という基本線がやっときまったあと, 数週間後に設定された 指導要領の編成会議のための準備の現場を, 私はたまたま目にしてしまった. 2 年前のことで, どの先生も入試や研究 の合間を縫って参加しておられた.時間数の他,高校では「I,II,II,A,B,C」という形態まで決まっており, どうやったら 学生がこれまでの学力を保てるかというのが焦点であった. 困難が生じても上のレベルに議論を返すこ とは不可能であると聞き, 私はこれで良いのだろうかと思ったものだ.理系の科目は特に積み上げが大事なので, ある単元の中である項目 を外すかどうかといった微小な変化も, 現場では教える順番などで混乱を 招いてしまう. 実際に何が問題となるかを知るには, 教科書を書いてみるのが最善だが, その時間 は無かった.週休 2 日化という大変化のためには,もっと時間が与えられてしかるべきである.
これまでこれで何とかなってきたとすれば, 現場で指導的立場にある先生方の御苦労によるだろう.古株の先生が今も「数 I, 数 IIB, 数 III」時代の順で教えている例も聞くが, 時間数が更に減る 2002 年以 もこれは可能だろうか.
専門家の意見や現場の優れた努力を教育課程に反映させる道を 広げるべきではないか.教育課程審議会の委員にならない限り, 今回のような重要な場面で意見を表明す ることができない. かりに委員に専門家がいても, 時間をあまりに短かく切った 議論では同僚の意見を求めることもできないし, その人が病気でもすれば 話は専門家不在で決ってしまう.
あらかじめ色々なグループが努力を「世に問う」べく,
教科書(に代る本)を作ればいいのかもしれないが,
モトがとれなければ, 結果としてそのような試みは広く世にでることがない.
本を書く, というだけで, 高校の先生の教材研究の動機になり,
教えかたも受験一辺倒からはずいぶん違ったも
のになると思う. しかし
現状は教科書への補助さえ伸びず, わずかな会社の寡占状態になっている.