このような 官僚主導の改変で教育の質が下がらなければ良いが, 教育の体系は小学校から高校まででもきわめて多岐にわたり, 非専門家の思いつきには余る.
「ゆとりの教育」答%によって大きな改変
の行なわれたころ,
主にアメリカでパラダイム論と
相対主義が栄え, いわゆるソーカル事件などがおきた[13].
当時のこの雰囲気が, 「ゆとり」路線の理系教育にも反映したらしい
[14].
しかしゆきすぎた相対主義は問題である.
戦後の一時期(スプートニク・ショック当時)アメリカ
でおこった New Math 運動と比べるべきかもしれない.
この運動は, 現代数学
におけるある種の課題
で特に必要となった概念を一部切り取って, 小学生に教えようとしたものである.
日本でも教科研究の不足から一時とりいれられたが, 訂正されて久しい. 現在理科教育の議論に持ちだされることがある, いわゆるパラダイム論も, 同様に付け焼刃で持ち出されるべきものではないと思う.
本来物理学史上の微妙な論点が理解できてはじめて意味のある論だからである. (科学がそう安直に新しくなってたまるものか.)パラダイム論と極端な相対主義にもとづく理科教育の改変は初学者には有害でさえありうる.十分に知識がなければ, 教師にとってさえ例外でない.
中学数学で合同の概念を教えるのに,一時間折り紙をするだけで何の結論もなく
おわる研究授業もあったとか. 状況にもよるが, 子供たちは何を学んだろう?このような形で現在の社会のレベルに達するには 2000 年以上かかるだろう.
一見親切でも, 実は意地悪ではないか?