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「自由化」論への危惧

教育は国家百年の計という通り, 世代を越えた影響をもつ. 少なくとも 20 年から 30 年という人生の長さにおいて測られるべきものであり, 決して短期的には儲からない(従ってそのような動機で改変されるべきではない) ものである. モノには金を使うが人には使わない, 特に儲からない所には, という政治と行政の貧困が, 教育や研究という社会の再生産の場に現れて いる.

もともと中等教育の改変は落ちこぼれや受験戦争の問題 として考えられ, 中教審の議論もこのことを中心にして進められてきた. しかし現象が強調される一方で, 統計が重視されたか疑問である. そして 優秀な先生を配して少人数教育をする という正攻法はなされなかった. 先生が深い教科研究や適切な進路指導を余裕をもってできない状況のまま, 制度改革ばかりが進められたように思う. 大学進学の準備が公立学校でしかできないところは,全国的には依然多いと思 う. 下宿してまで予備校に行けばかなりの出費になるし, 公立学校への投資が十分行なわれなければ, 結果的に 大学進学をはたせない学生も増えるだろう. 公立学校への求心力がおち, 塾を含めた私学が全国で全盛になれば, 元に戻すのは難しく, 所得隔差も広がるだろう.

最近いわれる大学の教育と研究の問題も似たような構造がある. 原因を分析すれば, 結局必要な投資がなされてこなかっ たということに尽きるのではないか. そして, これを放置した結果は海外から見た日本の知的魅力の減退となるだろう.大学の改善には科学技術基本法という 5 年間のみの 時限立法があるが, 5 年でできることには限りがある. 教藍秤革と大学院重点化という性汲ネ改革も, 大学教育研究の荒廃をまねいている. 政治家に圧倒的に私立文系出身者が多いことも, 経済原理にのらない公教育 や, 地味な基礎的研究をおこなっている国立大学が不当に軽んじられる 原因に思われる.



Koji HASEGAWA
Tue Mar 21 14:32:46 JST 2000