現在の文明は, 主にルネサンス以後に知的探求の成果として確立されてきた科学的知識の上に成立している. 自然を愛することでは私も人後におちるものではないが, それと科学とは矛盾するものでなく, むしろ技術の未熟が問題だと思う. 環境問題の多くも, 十分科学的とはいえない態度で出発した事業が原因に思われ, 科学の深い理解なしには解決法どころか問題の所在もわからないだろう. 大量の木材を輸入している東南アジアや シベリアの生態系についても理解しなくては, 商社や銀行に勤務する資格を欠く し, そのような人材なしに日本の真の国際化はありえない.気候変動の予測にも, 太陽活動の素粒子論的理解をはじめ各種の数理的考察 が必要だし, 医学の進歩にも統計は欠かせず, 画像のデジタル化や電子商取引にも, 符号化や電子署名などのために, 現代数学の成果が用いられる.
このように広く社会を支えている科学的知識の体系的教育を, ごく専門家の ための教育として道を狭めてしまうことには賛成できない. 必要な数とレベルを保つためもあるが, 科学的態度は適当な訓練をうければ全ての人が共有できるものと思うからである. 社会を支える知識の共有は民主主義の基本精神でもある. 科学がそのような知識のひとつになることで, たとえば 歴史上はじめて貧困や病苦の克服 が達せられたのではなかろうか.
数学教育は職業選択の幅を増やし, 結果的に社会 の階層分化をおさえるという研究もある(例えば西村, [3]1-36 参照). すべての学問は経済のため, 人類の好奇心のため, と色々な正当化をし得るが, 単純に知識を伝え, 我々のこの大規模な社会を維持するための必需品であると 考えるべきだと思う. たとえば, 紀元前後のローマでは社会不安から多くの新興宗教が流行したそうだが, 特権的家庭のみに教育の機会が, それ故社会参加も限られていたのが一因という. その後 民衆の一部は暴徒と化してギリシャ以来の学問の伝統を破壊 し, ヨーロッパの中世暗黒時代を招く一因となった.
最近の制度改革論議はアメリカに範を求める場合が多い. しかしそのアメリカは, ベトナム戦争以後の階層分化と経済凋落 の危機に対し, 戦後日本に範を求めたのだった. そしてレーガン以来大統領 3 代に わたる国家的努力を行い, 現在も努力を続けている. それは小学校に参観し た大統領自ら, 算数の宿題が明日のアメリカを支えると宣伝したほどであった. それでも階級差は容易にはなくならない[19].
広い教育で
能力ある人間が増えることが,
長い目では国の力になることは明らかだ.そのような社会の方が一部のエリートが国を動かすよりも好ましいというのが明治以来の国是でもあったはずで,
数学と理科はその意味でも中心の科目だと思う.塾通いが増える理由は単純な受験への不安だけでなく,
学校だけでは理解が十分得られないこと, 塾の方が情報も含めて指導が丁寧なこと,
にもあるのではないか.
算数のできない大学生を生んだ
現在の教育行政は, 愚民化といいうる.小中学校の先生を増やすなど,
冷静で着実な投資が行われることこそ, 急がば回れの正解だと思う.