掲示板『「知」の欺瞞』関連情報SBリンク集

スペンサー・ブラウンなんていらない

黒木 玄

最終更新:2001年2月4日 (作成:2000年10月19日)

危ないスペンサー・ブラウンに関するリンク集花野報告へのコメント


目次


批判全体の要約

A. George Spencer-Brown 著の『形式の法則』における primary arithmetic と primary algebra の理論は古典命題論理もしくはブール代数の理論の風変わりな記号法による再構成に過ぎない。『形式の法則』における re-entry の導入は、組み合わせ論理回路 (ブール代数の理論で扱える) を内部にフィードバックを含む順序論理回路に一般化することに対応している。『形式の法則』にはそれが出版された当時においても何も新しいことが含まれていなかったのだ。 (cf. 1, 2)

B. しかし、 Spencer-Brown は『形式の法則』の序文であたかもそうでないかのように主張している。彼は、すでによく知られていることをあたかも自分自身の貢献であるかのように主張し、記号論理学のような既成の分野を攻撃することによって自分自身を偉大に見せようとしている。 (cf. 1)

C. 『形式の法則』では「区別と指示」に関する社会学的な議論はほとんど何もなされていない。本文のほとんどのページは数学的推論の説明に費されている。

D. 『形式の法則』の補遺2で Spencer-Brown は命題論理の範囲で述語論理を扱うことに挑戦し、当然そうなるべき形で失敗している。ところが、その失敗に何か思想的な価値があるかのようなデタラメを Spencer-Brown は述べている。

E. 『形式の法則』の新しい版 (独語版) の補遺5には平面上の地図が4色で塗り分けられるという定理 (四色定理) に関する1979年の原稿の要約が収められているらしい。 Spencer-Brown の四色定理証明失敗に関する逸話は Scientific American 1980.2 の「数学ゲーム」で紹介されている。 (cf. 1, 2, 3)

3ヶ月経ったあと、セミナーに参加した専門家たちはみな、この証明にボロがたくさんあるという意見になりましたが、スペンサー・ブラウンは英国に帰ってまだその正当性を信じています。この“証明”はまだ出版されてません。 (『サイエンス Scientific American』 1980年4月号、113頁より)

F. 以上の B や E から、 Spencer-Brown は中身のない単なる山師に過ぎないことがわかる。

G. 結論。 A と C より『形式の法則』は参照する価値のない文献であることがわかる。『形式の法則』には D や E のようなデタラメさえ書いてある。そして、 F と B より、『形式の法則』を何の留保も無しに肯定的に引用している人たちは、単なる山師を持ち上げることによって学問の信用を傷付け、記号論理学のような他の分野を間接的に傷付けていることになる。

H. Spencer-Brown を肯定的に引用してしまった人たちは学問的に責任を取るべきである。


掲示板上で行なわれた解説


ガードナーとクヌースとコンウェイによる最低の評価

私自身の G. Spencer-Brown の『形式の法則』 (山口昌哉監修、大澤真幸・宮台真司訳、朝日出版社) への評価は以下のように要約できます:

Spencer-Brown の primary algebra は古典命題論理(もしくは Bool 代数)の理論を奇妙な表記法で書き直したものに過ぎないし、 re-entry と時間の導入はデジタル回路もどきの話をやっているに過ぎない。「補遺2」はトンデモである。 Spencer-Brown には真面目に相手をする価値がない。

最近、これとまったく同様の評価が遅くとも1979年にはくだされていることを知りました。私の SB への否定的評価は個人的なものではなく、世界的な常識とみなして構わないようです。

それにもかかわらず、「スペンサー・ブラウンの『形式の法則』の追随者たちのビッグ・カルト (a big cult following Spencer-Brown's Laws of Form)」 (以下を見よ) が存続しているように見えるのは困ったことですね。

さて、 G. Spencer-Brown の Martin Gardner (Scientific American に「数学ゲーム」の連載をしていたことで有名なアマチュア数学者) と Donald Knuth (計算機科学者、 TeX の作者としても有名) と John Horton Conway (数学者) による評価は次のページで読むことができます:

Miller は G. Spencer-Brown の "Laws of Form" のハードカーバー版を買ってしまいました。それが良い本だという評判のもとでそうしたのですが、結局運が良いことに Miller はその本を読みませんでした。 Miller はその本がくだらない本であることを後で知ることになります。 Miller は Gardner に手紙を書き、 1979年11月30日付けの次のような返事をもらいました:

"I once planned a column about Spencer-Brown, but Donald Knuth talked me out of it on the grounds that it would give valuable publicity to a charlatan! But I have some paragraphs about Brown and his flawed four-color proof, and his Laws of Form, coming up in my Feb column. Conway once described the book as beautifully written but "content free." I describe it as a "construction of the propositional calculus in eccentric notation." But it has a big cult following, and even a periodical devoted to it."

Garder の Spencer-Brown に関するコラム執筆を思い留まらせた Knuth は Spencer-Brown に関して「専門知識をもったふりをしている山師 (charlatan) なので彼の宣伝に協力してはいけない」と警告し、 Conway は Spencer-Brown の『形式の法則』を「綺麗に書かれた本だが内容がない (content free)」と酷評しています。そして、 Gardner 自身は、『形式の法則』がやっていることは「命題論理を風変わりな表記法で構成したにすぎない」、「それにもかかわらず、『形式の法則』の熱狂的な信奉者がたくさんいて、それ専門の定期刊行物まである」と苦々しく語っています。

Gardner は1980年2月の「数学ゲーム」の平面上の地図が4色で塗り分けられるという定理に関するコラムを書き、その中に Spencer-Brown を登場させました。その顛末は以下の通り:

The February 1980 Mathematical Games column was devoted to the Four-Color Map Theorem. Gardner described Spencer-Brown as a maverick mathemetician. People at Stanford invited him to present his proof. He did, and went home convinced that his proof was correct. Three months later all (?) agreed his proof was laced with holes.

Stanford で証明を話した Spencer-Brown は自分の証明の正しさを確信して家路についたのですが、 その3ヶ月後には彼の証明は穴だらけであることに皆(?)が賛成していたのでした。ちゃんちゃん。

大学の数学科にはときどき「フェルマーの最終定理の初等的証明」のような手紙が届きます。


数学ゲームからの抜粋

『サイエンス Scientific American』 1980年4月号 (米国版の同年2月号の翻訳、日経新聞社) の111-116頁に掲載されているマーチン・ガードナーの「数学ゲーム」 (竹内郁雄訳) は「風変わりな地図を塗ると未知の領土が現われる」というタイトルで四色問題の解決が解説されています。そこに、スペンサー・ブラウンが読者を楽しませるためのちょっと面白い逸話の主役として登場しています:

 1976年12月に英国一匹狼的な数学者であるスペンサー・ブラウン (G. Spencer-Brown) は、計算機でチェックする必要のない4色問題の証明をやったと言って同僚を驚かせました。彼が絶対的な自信を持ち、また数学者としても名声が高かったため、スタンフォード大学は彼をその証明に関するセミナーに招きました。 3ヶ月経ったあと、セミナーに参加した専門家たちはみな、この証明にボロがたくさんあるという意見になりましたが、スペンサー・ブラウンは英国に帰ってまだその正当性を信じています。この“証明”はまだ出版されてません。

 スペンサー・ブラウンは“形式の法則 (Laws of Form)”という風変わりな薄い本を書いています。これは奇妙な記法で命題論理を再構成したといえる本ですが、英国の数学者コンウェイ (John Horton Conway) はかつてこれを評して、美しく書かれているが“無内容 (content free)”であると言ってます。しかし、この本には一団の反文化主義的な熱烈な支持者があります。さて、世界中の新聞に、ブラウンが4色定理を証明したと発表したという記事が出たとき、バンクーバー・サン紙 (1977年1月17日付) にブリティッシュコロンビア州の婦人の投書が載りました。いわく、ブラウンが定理を証明できるはずがない。なぜなら SCIENTIFIC AMERICAN 1975年4月号 (本誌同年6月号) に5色必要な地図が出ている…。なんと彼女はこのコーナーに4月馬鹿として出した冗談の地図を参照していたのです!

(マーチン・ガードナー、『サイエンス Scientific American』 1980年4月号、113頁より)

もちろんのことですが、ガードナー自身はスペンサー・ブラウンが「数学者として名声が高かった」ことをまにうけているわけではありません。上に書いておいたようにドナルド・クヌースが「専門知識をもったふりをしている山師 (charlatan) なので彼の宣伝に協力してはいけない」と警告してくれたことをガードナーは隠しています。そのようなことを書くのは「数学ゲーム」の雰囲気に合わないし、笑いを取るためには不都合なので、ガードナーは必要以上のことを書くのを止めたのでしょう。誤解せずに読めばスペンサー・ブラウンに対するガードナーの評価がわかる絶妙の筆致になっていると思います。

チェックしてないのですが、「しかし、この本には一団の反文化主義的な熱烈な支持者があります」の原文はおそらく "But it has a big cult following" だと思う (上を見よ)。

以下の「コンウェイのコメント」を見ればわかるように、スペンサー・ブラウンは皆を楽しませてくれた面白い人であったようです。


コンウェイのコメント

コンウェイによるスペンサー・ブラウン評は Looking for Info on G. Spencer-Brown (1995, in Math Forum: geometry-puzzles) で読めます。

tbev@earthlink.net は1995年6月25日に次のように発言しました:

Does anyone know where I can find more information on the mathematical work of G. Spencer-Brown? He wrote a book entitled THE LAWS OF FORM that dealt with the fundamental arithmetic underlying boolean algebra.

G. Spencer-Brown was a contemporary of Bertrand Russell as well as Wittgenstein. His arithemetic if I understand it correctly removes some of the paradoxes that arise in formal logic in the same way that doing problems in the complex plane (with i) makes much easier calculation that in a real plane are intractable. I believe he used his arithemetic to do a first proof of the MAP THEOREM sometime around 1977-78.

どなたか G. スペンサー・ブラウンの数学的仕事に関する情報がある場所を御存じありませんか? 彼は、ブール代数の基礎となる基礎的な算術を扱った『形式の法則』という題名の本を書きました。

G. スペンサー・ブラウンはバートランド・ラッセルやウィトゲンシュタインの現代版です。彼の算術は、私が理解していれば、実平面では手に負えないような計算が複素平面 (i を含む) では簡単になるのと同じやり方で、形式論理に生じる幾つかのパラドックスを取り除きます。私が信じるところによれば、彼はその算術を「地図定理」の最初の証明で1977-1978年頃に用いました。

これに関して、 John Conway (conway@math.Princeton.EDU) は1995年6月29日に次のように答えました:

George Spencer-Brown is an old acquaintance of mine. It's true that Bertrand Russell wrote a brief preface to his "Laws of Form", but it's hardly fair to call him a contemporary of Russell, still less of Wittgenstein.

In his "Laws of Form" he recasts some of logic in a very elegant new way, but it can't really be said that this removes the paradoxes form formal logic. I don't believe his "proof" of the 4-color theorem (and don't know any other professional mathematician who does). When he first made this claim, I bet him 10 pounds that his proof wasn't valid. At that time, it wasn't written down, but he spent a good few hours describing it. I told him that I certainly wasn't going to pay up without having seen a written copy of the proof, and I'm still waiting to do so!

ジョージ=スペンサー・ブラウンは私の古くからの知り合いです。バートランド・ラッセルが短かい序文を彼の『形式の法則』に書いたのは本当ですが、彼をラッセルの現代版とみなすのはまずいし、ウィトゲンシュタインではさらにまずい。

彼の『形式の法則』の中で、彼は、綺麗な新しいやり方で論理学の一部を作り直してますが、実際にはそれで形式論理のパラドックスが取り除けるとは言えません。私は彼の四色定理の“証明”を信用してません (彼の証明を信用している他の専門の数学者を誰も知らない)。彼が最初に証明できたと言ったときに、私は彼にその証明が正しくない方に十ポンド賭けると言いました。そのとき証明は書き下されてなかったのですが、彼は何時間もかけて口頭でそれを説明してくれました。私は彼に言いました。「紙に書かれた証明を見るまで、おカネを払うつもりはないよ。そうなるのをずっと待っているんだけどね!」

人の悪いコンウェイはスペンサー・ブラウンで十分に楽しんだようですね。:-)

以下は私のコメントです。

スペンサー・ブラウンは1923生まれ、ラッセルは1882-1970、ウィトゲンシュタインは1889-1951です。

「ブール代数の基礎となる基礎的な算術を扱った『形式の法則』という題名の本 (a book entitled THE LAWS OF FORM that dealt with the fundamental arithmetic underlying boolean algebra)」という言い方も誤解を招きかねないので要注意です。

スペンサー・ブラウンの原始算術 (primary arithmetic) と原始代数 (primary algebra) は決してブール代数や古典命題論理よりも基礎的なわけではありません。実際、スペンサー・ブラウンの算術と代数の理論はブール代数と古典命題論理の風変わりな記号法による再構成に過ぎないのです。

スペンサー・ブラウンはブール代数と古典命題論理を NOT と OR と 0 だけで書き直すというつまらない仕事を行ないました。彼は、 OR を単なる文字の並置 ab で表わし、 0 を空文字で書き、 NOT を「囲い」の記号法

---+
 a |

で表わしました。

見かけ上この囲いの記号だけでブール代数と同等の理論が実現できてしまうので、スペンサー・ブラウンのやり方の方がより基礎的だと感じる人がいるかもしれません。しかし、実際にはより基礎的になっているわけではありません。単に見かけ上記号の個数が少なくなっているだけです。

例えば、 1 = NOT 0 と書くとき、スペンサー・ブラウンの原始算術の2つの公理

---+ ---+   ---+
   |    | =    |,

-----+
---+ |
   | | = 

はそれぞれ

1 OR 1 = 1, 
NOT 1 = 0

に対応しています。スペンサー・ブラウンの表記法において、 0 は空文字で、 OR は文字の並置で表記することになっているので、 0 と OR を取っても値が変化しないという規則はスペンサー・ブラウンの表記法では暗黙の了解事項になってしまいます。したがって、原始算術は 0 と 1 だけからなる以下の代数を風変わりな表記法で書き直したものに過ぎません:

NOT 0 = 1,  NOT 1 = 0,
0 OR 0 = 0,  0 OR 1 = 1,  1 OR 0 = 1,  1 OR 1 = 1.

これで、スペンサー・ブラウンの原始算術は 0 と 1 だけから構成されたブール代数 (二値論理) そのものであることがわかりました。

そして、詳しい説明は省略しますが、スペンサー・ブラウンの原始代数は一般のブール代数と数学的に等価な概念に過ぎません。

(一般のブール代数の典型例は任意の集合 X の部分集合全体の集合 P(X) に AND, OR, NOT, 0, 1 を a AND b = a∩b、 a OR B = a∪b、 NOT a = X - a、 0 = φ、 1 = X と定義したものである。 例えば、 X = {φ} であるとき P(X) = {0, 1} (0 = φ、 1 = X) であり、 0 と 1 だけからなるブール代数が得られる。)

スペンサー・ブラウンは『形式の法則』の第11章で再参入 (re-entry) と時間の概念を導入しました。これは一見新しい概念に見えるのですが、その内容はよく知られているものです。

上で述べたように、彼の算術と代数はブール代数の理論と等価なのでした。ブール代数はデジタル回路の基礎理論です。ただし、ブール代数だけで扱えるのは内部にフィードバックを持たない組み合わせ論理回路です。組み合わせ論理回路の出力は入力だけで決定されます。これに対して、内部にフィードバックを持つデジタル回路は各時刻ごとに異なった内部状態を持っていて、入力が同じでもその内部状態が異なれば出力は違ったものになります。フィードバックをうまく用いることによって、様々な発信回路やフリップ・フロップを作成できるのです。この意味で、内部にフィードバックの存在を許すデジタル回路の理論はブール代数の理論の拡張になっています。

実は、スペンサー・ブラウンによる re-entry と時間の導入は、内部にフィードバックを含むデジタル回路 (もどき) の話をやっているに過ぎないのです。単に「フィードバック」を「re-entry」と言い直しただけです。彼は通常のデジタル回路の記号法とは異なるやり方で NOR ゲートのみからなる回路図を書いています。

しかし、そういう話をしていると読者にすぐわかるような書き方をスペンサー・ブラウンはしていません。彼の書き方は、よく知られている概念をそうでないように見せかける、というまことによろしくないスタイルなのです。

スペンサー・ブラウン信者のように、フィードバックの言い直しに過ぎないスペンサー・ブラウンの re-entry をパラドックスを引き起こす自己言及の実現とみなすのは誤りです。フィードバックと自己言及は異なる概念なので、内部にフィードバックを持つデジタル回路の話をしても、形式論理のパラドックスが解消されるはずがありません。

四色問題 (平面地図が4色に塗り分けられるかという問題) は、1976年に Kenneth Appel、 Wolfgang Haken、 John Koch によって肯定的に解決され、定理になりました。専門知識を持ったふりをした山師のスペンサー・ブラウンにより四色定理の証明の失敗は、マーチン・ガードナーの「数学ゲーム」で1980年2月にネタにされています


1970年代のスペンサー・ブラウン

山師スペンサー・ブラウンがカルト的な人気を得ることができた理由を探るためには、 1970年代のアメリカの雰囲気と彼の関係について知ることが重要です。

実際、自己組織化に関するとあるウェブサイトにある Self-organization: Portrait of a Scientific Revolution. Edited by W. Krohn, G. Kppers, and H. Novotny, Dordrecht: Kluwer Academic Publishers (1990) Pages 1-12 の抜粋によれば、

The relevance of the intellectual and social climate of the 1970s, which was characterized by students riots, the Vietnam crisis, and the zodiacal sign of Aquarius for a New Age, is evident. Alan Watts and John C. Lilly suggested, for instance, organizing a conference on Spencer-Brown's book Laws of Forms. It took place at the Esalen Institute (Big Sur) in 1973. Among the participants were Bateson, von Foerster, Pribram, Brand, and Tart.(15) Similar meetings took place with Ivan Illich in Cuernavaca (Mexico). The summer camps for intellectuals in the alternative Lindisfarne Association (USA) attracted representatives from artistic, esoteric-psychological, ecological, alternative, and techno-scientific circles. Among them were Bateson, E. F. Schuhmacher, J. Salk, W.J. Thompson, P. Saleri, S. Mendlovitz, and F. Varela.(16)

15. See J. and A. Lilly, The Dyadic Cyclone, Mallbu: Human Software Ing., 1976. J. Brockman (ed.), About Bateson, London: Wildwood House, 1978.

16. One of the sources for this information is the Lindisfarne book Earth's Answer, New York: Harper & Row, 1977. We wish to thank Rainer Paslack for this information.

有名人たちの名前が大量に挙がっています: Alan Watts, John C. Lilly, Gregory Bateson, Heinz von Foerster, Karl H. Pribram, Stewart Brand, and Charles T. Tart, Ivan Illich, E. F. Schuhmacher, J. Salk, W. J. Thompson, P. Saleri, S. Mendlovitz, Francisco J. Varela, John Brockman.

特に H. von Foerster と F. Varela の名があることに注目。まず、 von Foerster は"second-order cybernetics" を発展させた人物として有名であるということになっており、 1969年に『形式の法則』の好意的な書評を書き (cf. Bibliography of Heinz von Foerster 1943-1999)、 Spencer-Brown がサイバネティクスおよびシステム論に受け入れられる素地を作りました。 Varela は Humberto Maturana と共に "autopoiesis" の概念を提唱したことで有名だということになっており、 Spencer-Brown の『形式の法則』を積極的に応用しました。この二人は Niklas Luhmann の「社会システム論」に大きな影響を与えており、 Luhmann 自身も『形式の法則』を好んで参照しています。

さらに、アイソレーション・タンク (感覚遮断)、ドラッグ (LSD, "Vitamin K" (Ketamine))、イルカ、……のカルトの教祖様として有名な Lilly に関しては、「serial experiments lain 用語辞典」の「ジョン・C・リリー/John C. Lilly」および AltCulture Japan[し-027]を見て下さい。さらに詳しい情報を知りたい人は John C. Lilly Homepage を見て下さい。 VORTEX of Knowledge: John's Teachers には Lilly に影響を与えた人たちのリストがあり、その中に Spencer-Brown も登場します。

Rudolf Maresch によれば、『形式の法則』は von Foerster の好意的な書評 (1969年) のおかげで「サイバネティクスや神経生理学や生物学やイルカ研究の学者にとっての「虎の巻」」になったのだそうです。 (以下の「『形式の法則』受容の歴史」を参照せよ。) そのおかげで Spencer-Brown は1973年に研究会を開いてもらえた。 Maresch によればそれによって Spencer-Brown は「広い範囲の読者を得るには至らなかった」ようです。

しかし、その研究会の開催によって、 1970年代のアメリカにおける有名人たちが Spencer-Brown に学ぼうとしたことが宣伝され、その周囲に群がる権威に弱い人たちが Spencer-Brown を尊敬するようになったに違いありません。そのことは Spencer-Brown のカルト的人気を高めることに間違いなく貢献したはずです。

さらに、 John Brockman へのインタビューによれば、

John Brockman (JB): ...... Years ago, I had written "By the Late John Brockman", was invited by Alan Watts John Lilly to a conference which they called the American University of Masters, which was a joke because if you spell out the initials it's "AUM". The idea was that these masters were people whose authority was derived from their persona and their ideas, not from their institutions. It included Heinz von Foerster, Gregory Bateson, Stewart Brand among others.

HUO: When did this conference take place?

JB: 1973. We were all brought together to spend a week studying laws of form ... Spencer Brown's mathematical formulations. I was a late invitee. I went because I wanted to hear Richard Feynman, the keynote speaker. When I arrived and asked when he was scheduled to speak, the person at the desk showed me the schedule: his name was crossed out and mine written in pencil next to it. He had become ill and was unable to attend. I never did get to meet him. The point is you don't have to ask permission in America, and that allows people to be wild, at least in their heads, and that's where you get your breakthroughs.


『形式の法則』受容の歴史

村上淳一著『システムと自己観察――フィクションとしての〈法〉』 (東京大学出版会、2000年、はしがき) の119-121頁に、スペンサー・ブラウンの『形式の法則』に関する以下のような註がある:

(3) George Spencer-Brown, Laws of Form, 1969. ルーマンが『社会の社会』で用いるのは『形式の法則』の一九七九年の版であるが、ルーマンはすでに、遅くとも一九八四年の『社会システム』において、七二年の最初のアメリカ版を用いている。なお、大澤真幸/宮台真司訳の日本語版『形式の法則』が、一九八七年に朝日出版社から刊行されている。この邦訳書には、ドイツ語版のための「はしがき」、九五年執筆の「まえがき」、九三年執筆の (九四年版への) 「まえがき」はもとより、七八年執筆の (七九年版への) 「まえがき」、七二年執筆の「最初のアメリカ版へのまえがき」がいずれも欠けており、六八年執筆の「まえがき」だけが訳出されている。また、邦訳書には補論 (Appendix) は一と二しか収録されておらず、補論三「バートランド・ラッセルと『形式の法則』」 (九二年執筆。ドイツ語版に英文も収録)、補論四「自然数の代数」 (六一年執筆。ドイツ語版に英文のみを収録)、補論五「地図は四色刷りで足りるという問題の二つの証明」 (七九年に執筆された原稿を、著者自身が九六/九七年に要約してロイヤル・ソサイエティ図書館に納めたもの。ドイツ語版に英文のみを収録)、補論六「結び」 (九七年執筆。ドイツ語版に英文も収録) は納められていない。

 スペンサー-ブラウンは一九二三年にリンカンシャーのグリスビーに生まれ、数学を学んだ後オックスフォードで論理学を教えたこともあったが、ロンドンに移って、コンピューターのためのトランジスター回路の設計に携わった。そのさい古典的な論理学では解けない複雑な問題と取り組んだことが発端となって、一九六九年の『形式の法則』が生まれたのである。スペンサー-ブラウンはその直後に一転して、女子学生の両親の反対によって挫折した恋を語る『このゲームができるのは二人だけ』 (Only Two Can Play This Game, 1971) をジェームズ・キーズ (James Keys) という筆名で発表し、『形式の法則』から一旦離れる (以上については Rudolf Maresch, Ariadne hat sich umsonst erh\"angt, http://wwwdb.ix.de/tp/deutch/inhalt/buch/2311/1.html および G\'abol Pa\'al, Logik des Unsinns, aus der Reihe: Paradoxien, SWR2 Wissen, http://www.swr2.de/wissen/manuskripte/paradoxien_1.html を参照した)。しかし、その後スペンサー-ブラウンは、『二人だけ』によって得られた「無は無自覚によってしか変わらない」という認識によって、「無が何も変えることができないなら〈最初の区別〉が以後の一切を出現させる」という『形式の法則』の思考を再確認し、『二人だけ』のドイツ語版 (Dieses Spiel geht nur zu zweit, 1994) に寄せた「ドイツ語第一版へのはしがき」において、「当時は知らなかったが、釈迦牟尼は二五〇〇年前にこれと全く同じ認識に達している」と述べている。なお、マーレシュによれば、『形式の法則』は、ハインツ・フォン・フェルスターが初版に寄せた好意的書評もあって、サイバネティクスや神経生理学や生物学やイルカ研究の学者にとっての「虎の巻」になり、一九七三年にカリフォルニアのイーサレン研究所での学際研究会 (グレゴリー・ベイトソン、ハインツ・フォン・フェルスター、ジョン・リリー等が参加) の開催を促すことになったものの、広い範囲の読者を得るには至らなかった。ドイツではようやく、マトゥラナとバレラ (いずれも自己塑成論で著名なチリの生物学者) による『形式の法則』の「発見」が知られるに及んでズーアカンプ書店が独訳の刊行を計画したが、スペンサー-ブラウンが英語の原文と独訳の両方とも載せるように要求したため、その計画は頓挫したという。独訳版への「はしがき」がすでに一九八五年に執筆されているのは、こうした事情によるものであろう。

以下は私のコメント。

上の解説は非常に参考になります。しかし、この文書の上の方を読んだ方には言うまでもないことですが、スペンサー-ブラウンは山師なので、彼にとって都合の良い情報を鵜呑みしてはいけません。特にスペンサー・ブラウン英雄伝説に寄与するような情報は信用するべきではないと思う。

村上淳一氏は『形式の法則』に関して『システムと自己観察』の114頁で「その内容を理解することは、少なくとも非専門家の筆者にとっては困難である」と述べています。もしも村上が『形式の法則』の内容 (数学的には易しい) を理解していれば、スペンサー・ブラウンに対して疑念が生じたはずで、ウェブを検索して否定的な評価を見付けていたかもしれません。

それにしても、内容を理解してない本を自分自身の学問的著作で解説したり、利用したりできるのは不思議なことです。学術書の権威は理解が困難であればあるほど増す傾向があるようなので、内容よりも権威の方が重要な分野ではそのようなことが行なわれがちなのです。このことは『「知」の欺瞞』の問題と直接的に関係があります。

「補論五「地図は四色刷りで足りるという問題の二つの証明」 (七九年に執筆された原稿を、著者自身が九六/九七年に要約してロイヤル・ソサイエティ図書館に納めたもの。ドイツ語版に英文のみを収録)」の件については上の「ガードナーとクヌースとコンウェイによる最低の評価」や「コンウェイのコメント」を見て下さい。

「一九七三年にカリフォルニアのイーサレン研究所での学際研究会」については「1970年代のスペンサー・ブラウン」も見て下さい。

「ジョン・リリー」はイルカ研究の教祖様みたいな人で、アイソレーション・タンクの発明者であり、ドラッグの大量使用で宇宙から毒電波を受信していた人としても有名です。そして、リリーのイルカ研究の動機は毒電波と密接な関係がある。より詳しい情報に関しては「1970年代のスペンサー・ブラウン」のリンク先を見て下さい。リリーは『トンデモ本の世界』 (と学会編、洋泉社) の318-320頁にも登場します。彼の『サイエンティスト――脳科学者の冒険』 (菅靖彦訳、平河出版) はドラッグ毒電波自叙伝として傑作だと思う。トンデモ本としておすすめ。

説明の必要はないと思いますが、上の引用中の「自己塑成論」とは「オートポイエーシス論」のことです。