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受益者負担の名で行われた国立大学費の私立並化

1980 年代を通じて, 私立と国立の格差是正の名のもとに国立大学の 授業料はどんどん上げられてきた. 丁度私の在学中であったが, このあとだったら私は大学には進学できなかった と思う. 現在の不況下では, 才能を伸ばす機会を自ら選択肢から外す学生はより多くなっているだろう. 社会的にみれば才 能の浪費であるし, 個人にとっては 自己実現の機会を奪われていることになる. 昨今は国公立学校の独立行政法人化論議をはじめ, 教育の機会均等に著しく反する方向に進みつつあるように思われる. 私も自分の子供に自分 の給料で自分が受けたと同様の教育を受けさせることはできないのではと思い, 心配である.

受益者負担の名で行われた国立大学費の私立並化

{教藍粕p と大学院重点化 「講座倍増」で大学が拡張された高度成長期には, 学位がなくても, 大卒直後に大学教師として就職できたという. これが教養部の教育の質の低下を招き, 現在改革を支持する世代の記憶ともなったのではないか. 学位なしで就職できるなど,現在では考え難い.

国立大学では, 大学設置基準の大綱化以来, 有力国立大学で大学院重点化と教養部の解体とが同時進行した. これは教養科目を専任教官が教える体制を廃 する一方, その教官を大学院所属としてより高 度な教育研究に従事させるというものだった.

大学が陥っていた深刻な金欠を解決するため, ではあったかもしれない. しかしこれによって教養課程を教 えるノウハウの 積が無に帰したところも多いと思われ, 研究のレベルもむしろ下がったとさえ いいうる. 理由は単純である. 教養部の解体 といっても学生がなくなったわけではないので, 大学院生の増加分および安易な 業績主義(そのための報告書作成)ともあわせて教官の負担は数倍 増加し, 研究に割くべき時間を削られているからである. 今問題となっている大学での高校レベルの補習授業にしても, 長期的に 行うのなら高校で必要なのと同数の教官を増員しなくては, 研究は更に維持できないと思われる.

また大学院重点化にあたっては, 「大学の個性化」のためと称し, 新組織は 他で採用していない名称にすべしという 指導もなされた [16]. これは全くナンセンスで, 歴史的に確立されている多くの基礎的分野, 例えば数学科も, 多くの国立大学から姿を消した. それらの大学では数学教官は工学部などに分散配置され, 後任が数学の専門家であることは期待で きなくなっている.

教えるためには教えることの最低 10 倍は知っている 必要があると, 学生時代に化学の先生がよく強調されていた. 教える立場になってみて, 全くその通りだと思う. 教莱ロ程の数学といえども専門の数学の経験なしに教えることは危ういし, 実際に数学が用いられるときは, 数学科でも通常教えない高度な内容であることも多い. 大学教官は(小中高校の教師もだが), いわば知識の生き字引と して, 知識自身が 直接富を生むことがなくても社会の必需品だと思う.

性汲ネ組織改編に際し, 過労から病を得て亡くなった先生もある. 現場でのさまざまな問題を放置して大号令の下に変化を迫る のは, 旧日本軍や旧ソ連の体制を思わせる [17].



Koji HASEGAWA
Mon Jul 17 22:59:59 JST 2000