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黒木のなんでも掲示板3 (0015)

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Id: #e20020415001145  (reply, thread)
Date: Mon Apr 15 00:11:45 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020409185456
Name: 菊池和徳
Subject: 3確認のお願いと3回答

回答が遅くなってすみません。忙しくなったので、、、あしからず。回答をお読みになる前に以下の3点についてご確認をお願いします。

・私は「最初から完壁でなければいけない」と言ってはいませんし考えてもいません。
そもそも私自身異論では「この小論が誤解を含む可能性を否定はしない。建設的な批判を甘受し主張を修正することに吝かではない。」と述べています。このスレッドでも「私は私の解釈が絶対だとは考えておりません。それどころか、異論の公開以前の山形さんや私の友人たちとのメールのやり取りによって少しずつ私の誤解が修正されてきたくらいです。」「誤りをおかす可能性は誰にでもあります。矛盾した突っ込みを入れてしまう可能性でさえ誰にでもあります。」と述べています。この点は黒木さんとそれほど変らないと思います。

・私は「個別の矛盾」でなく「矛盾はいけないというルール」を問題にしているのです。
上で説明したように私は主張に完璧さを要求していませんから、主張が意図に反し「個別の矛盾」を含んでしまうこともある、と考えています。しかし、主張が「個別の矛盾」を含むと指摘された場合、主張された側が矛盾に気付いて主張を修正し再提出すれば議論は続けることができますが、「矛盾はいけないというルール」を認識していなければ議論自体成り立ちません。「ルール」を意識して矛盾もしくは矛盾と受け取られかねない記述は「排除すべき」と書いたのですが、わかりずらかったでしょうか?「個別の矛盾」を意識した書き方なら「排除すべき」でなく「あってはならない」のように書いたはずです。矛盾を指摘され気付いてもその矛盾を修正しようとしない相手とは、少なくとも私は、議論しようとは思いません。この点も黒木さんなら当然のこととうなずいて下さると予想して書きました。「矛盾した突っ込みを入れてしまう可能性でさえ誰にでもあります」と述べたのにもかかわらず「矛盾はいけないというルール」ではなく「個別の矛盾」を言っているのだと受け取られるほど説明がまずかったのなら謝ります。

・私は黒木さんに一般論の確認をしているのであって山形さんの批判は念頭にありません。
この議論は黒木さんの「クラインの壺のようなあまり本質的だとは言えないところにある種のバイアスをかけた突っ込みを入れるというのは悪いことではない」という発言に対する私の「黒木さんへ」という発言から始まったのです。そのような「バイアス」を許してしまうと、文脈から遠い「バイアス」のかかった解釈も文脈に近い自然な解釈も等価である(遠近を何で測るかという問題はとりあえず措きます)という悪しき相対主義につながりかねないと考え、軽い気持ちで黒木さんに注意を促そうとしたのです。悪しき相対主義に対する批判を目的「の一つ」(ちょっと前に(の一つ)と書いたら無視されてしまったので「の一つ」と書きます)とする『「知」の欺瞞』を支持する黒木さんが、批判対象の悪しき相対主義につながりかねない発言を平気でしたら洒落にならない、と思ったのです。ですから、私はこの議論は最初から黒木さんの発言に関するものと考えており、山形さんの批判は念頭にありませんしほのめかしているつもりもありません。だいたい、私はほのめかしが好きではありませんし得意でもありません。(そもそも公開以前の私信の段階から私は山形さんでなく黒木さん宛に「よけいなおせっかい」をと異論を書きました。数学者なら「バイアス」をかけることなく私の説を理解(必ずしも同意ではない)して下さるだろうと考えたからです。最初に私の説を上の意味で理解して下さったのが黒木さんでなく山形さんだったのは意外でしたが、かえって山形さんと直接まっとうな話ができそうで嬉しくなりました。)

以上の3点をご確認下さい。以上3点をご確認頂いたのは、回答の前に私の意図をもう少し説明したかったからに他なりません。回答する質問はすべて「山形さんの突っ込み」にまつわるもので、回答するだけでは一般論を確認しようとしている私の意図がうやむやにされてしまうとおそれたのです。黒木さんと私で大きく異なる点は、おそらく、山形さんの批判(山形さんご自身?)に対する思い入れの深さであるような気がします。私が黒木さんに山形さんの批判を離れた一般論の確認をしようとしたのにもかかわらず、黒木さんは以下のように「山形さんの突っ込み」にからめた質問をなさるくらいですから。

お待たせしました。では、「私の指摘が正しいと仮定した上で」回答を書きます。

・「山形さんの突っ込みは菊池さんの指摘が正しければ完全に価値を失う」と考えているか?

「完全に価値を失う」とは思いませんが、一旦撤回ないし訂正してから、生き残った部分を書き直して「より本質的な」本来の「『「知」の欺瞞』ローカル戦」を戦った方がよいと考えております。山形さんの突っ込みは序論部分で『構造と力』の主張をまとめ、本論部分で《クラインの壺》でものは循環しないと主張し、結論部分で《クラインの壺》のモデルとしての必然性などについて補足的に論じています。序論部分のまとめはうまい!と思います。結論部分の書き方から山形さんの突っ込みの「大きな動機の一つ」が「より本質的な」本来の「『「知」の欺瞞』ローカル戦」であると好意的に解釈することもできそうです。しかし、中心的な本論部分の主張が残念ながら間違っているのです。数学の論文で主定理が間違っていた場合、投稿を取り下げるか訂正論文を投稿するかした上で、生き残った考察などをまとめ発展させて別の論文として再投稿するのが当然でしょう。(むしろ怪我の功名で再投稿論文の方が当初の論文より深い理解に到達することもまれではありません。)この手の突っ込みでも、数学の論文の場合に準ずる処し方があると思います。私の方こそ山形さんにそのような処し方、すなわち、「より本質的な」本来の「『「知」の欺瞞』ローカル戦」を期待しているのです。そういう期待も私が異論を書いた動機の一つです。

・「山形さんの突っ込みの件について浅田彰およびその周辺が不戦勝とみなしてほくそえむのは当然だ」と考えているか?

私信では「ほくそえむのは当然だ」と書いたのではなく「ほくそ笑んでいる、という構図を想像していや〜な感じを抱いた」と書きましたが、ほくそ笑むのは仕方がないと思います。山形さんの突っ込みは「より本質的な」本来の「『「知」の欺瞞』ローカル戦」ではないのですから。不当な言い掛りに対しまともに相手をせず門前払いをするのはよくあることだと思います。私が「いや〜な感じを抱いた」のは、山形さんの間違いが浅田彰氏およびその周辺に門前払いも当然だ(から『構造と力』の不備や説明不足を補う必要はない)という口実を与えてしまったことです。そのような口実は山形さん(か誰か)が「より本質的な」本来の「『「知」の欺瞞』ローカル戦」を改めて戦えば奪い返すことができると思います。科学的概念濫用戦にしても相対主義戦にしても戦場は浅田氏の著作の場合『構造と力』以外の場所の方が戦いやすい気がしますが、、、。

・「山形さんの突っ込みはまさに「知」の欺瞞の一種であり、批判しようとしている対象と同じような誤りを犯している」と考えているか?

山形さんの突っ込みの間違いは、おそらく、単純ミスだと思います。確かにクラインの壺の解釈が浅田氏のものも山形さんのものもトポロジーのものではないので、山形さんの突っ込みは形の上では「「知」の欺瞞」ですが、罪は『「知」の欺瞞』で批判されたものよりもずっと軽いと思います。想像ですが、山形さんは学生時代の思い付きを『「知」の欺瞞』が出版されたのを機に単純に「ローカル戦」と称して書いただけではないでしょうか?山形さんの突っ込みが「より本質的な」本来の「『「知」の欺瞞』ローカル戦」ではない以上、「「知」の欺瞞」として批判しようという気は私にはありません。

以上です。

黒木さん:「援護」の追記で「掲示板3」が「掲示板2」になってます。直して下さい。
山形さん:「異論についてのコメント」ありがとうございました。やっと気付きました。


Id: #e20020409185456  (reply, thread)
Date: Tue Apr 09 18:54:56 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020409081955
Name: くろき げん
Subject: 最初の突っ込みの段階から完壁さを求めるのは無茶

今度は私の方が質問しましょう。明確に否定してないところを見ると、菊池さんは次のように考えているのですね?

過去の発言 (私信を含む) との整合性を保った上で回答して頂けると助かります。私は以上の考え方の全てに反対してます。以上のまとめが実は誤解であったことがわかれば私は安心してこの議論を終了できます。

ところで、私は『「知」の欺瞞』が出版される前から、ソーカルさんらの活躍を見ていました。

例のパロディー論文が掲載された Social Text 誌の特集号は Gross and Levitt の "Higher Superstition" などに反撃するために企画されたようです。書評を色々読んでみると、 "Higher Superstition" は突っ込みとして確かに強烈だったのですが不用意に書かれた部分を多く含んでいたようだ。しかし、パロディー論文は "Higher Superstition" が話題になってなければ書かれてなかった可能性が高い。パロディー論文の件は面白い話として非常に有名になりましたが、直後の論争ではやり方が汚ないというような事柄に議論が集中し過ぎてました。しかし、パロディー論文の件が無ければ『「知」の欺瞞』が書かれることは無かったでしょう。私は "Higher Superstition" →論争→パロディー論文→論争→『「知」の欺瞞』と議論が発展して来た流れは建設的であったと考えています。

たとえ不用意な記述を含んでいたとしても "Higher Superstition" が無価値であるということにはなりません。「左派の一部によく見られる混迷した考え方」という問題意識は "Higher Superstition" の副題 "The Academic Left and Its Quarrels with Science" にも表われてます (ところがこういう不用意な副題の付け方自体が誤解の原因になってしまった)。 Gross and Levitt が全然用意周到ではなかったことをよく承知しているはずのソーカルさんも "Higher Superstition" は無価値であるなどとは決して言いませんでした。

もちろん、菊池さんが言うようにたとえ突っ込みの時点であっても最初から完壁であるにこしたことはありません。しかし、私自身は必ずしもそうである必要はないという穏健な立場を取りたい。議論の流れの中で少しずつ誤りを修正し、より本質的な事柄に関する議論を発展させて行くのが良いと考えています。その過程の中で「矛盾もしくは矛盾と受け取られかねない記述」が排除されれば良いのです。ただし、「矛盾もしくは矛盾と受け取られかねない記述」を排除すること自体を目標にするのではなく、より本質的な問題意識に沿って議論を深めることを目標にするべきなのです。

私には、菊池さんは最初から完壁でなければいけないと言っているように見えて仕方がない。しかし、それは無茶な考え方です。


Id: #e20020409081955  (reply, thread)
Date: Tue Apr 09 08:19:55 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020409052019
Name: 菊池和徳
Subject: 「補足説明」の補足説明

黒木さん、ご回答ありがとうございました。黒木さんの考え方を確認させて頂いた種明かしをするとともに「補足説明」の補足説明をしたいと思います。

一つ目の質問は、私の異論の姿勢に黒木さんがどのくらい賛同して下さっているかという点に関する確認でした。私は『「知」の欺瞞』の慎重さと用意周到さに敬服し「ローカル戦」も同程度に慎重かつ周到であるべきであると考え『「知」の欺瞞』の姿勢にならって異論を書きました。ご回答から、黒木さんは私ほど「ローカル戦」も慎重かつ周到であるべきとは考えていない、と理解しました。(今後の議論の参考になります。)

二つ目の質問は、私の「補足説明」を黒木さんが理解して下さっているかという点に関する確認でした。「 『「知」の欺瞞』の復習」を読んで黒木さんが「補足説明」を理解して下さっていないようだと思い確認させて頂きました。ご回答から、残念ながら私の予想通りであったと理解しました。

「補足説明」の補足説明をさせて下さい。

私が「補足説明」で言いたかったことは、単刀直入に言って、矛盾はいけない、という一般論なのです。単純に突っ込みに誤りがあってはいけないと言っているわけではないのです。似非科学はダメだといいながら自らの根拠に似非科学的な部分を含む突っ込み、誤訳はダメだといいながら自らも誤訳を含む突っ込み、一知半解を嗤おうとしながら自らも一知半解な部分を含む突っ込み、などのような矛盾した突っ込みはいけないだけでなく大真面目であるほど滑稽だと言いたかったのです。だからこそ、用語の使い方が厳密でないと批判しながら自らの根拠にも用語の使い方が厳密でない部分を含むような突っ込みを容認することにつながる考え方は、矛盾を容認することにつながり問題だ、と憂慮したわけです。

誤りをおかす可能性は誰にでもあります。矛盾した突っ込みを入れてしまう可能性でさえ誰にでもあります。しかし、洒落やパロディーでない真面目な批判の中では矛盾もしくは矛盾と受け取られるかねない記述は排除すべきであると考えます。


Id: #e20020409052019  (reply, thread)
Date: Tue Apr 09 05:20:19 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020408223612
Name: くろき げん
Subject: 用意周到であった方が better なのは当然だが、そうであることが絶対に必要なわけではない

一つ目の質問への回答は Subject に書いた通りです。ケース・バイ・ケースで判断すべきことだと思います。

二つ目の質問の意図はよくわかりません。今回のケースに関係のある話ですか? 誰がどのように数学用語を濫用しているという話と関係があるのでしょうか? 濫用というのは単なる error や mistake とは全く異なる行為ですよね。

私が心配しているのは、誤りを含む突っ込みは何の価値もない、もしくは、単に有害なだけだ、などと菊池さんが考えているのではないかということです。さすがにそれは極端な考え方だと思います。実際には私が想像するよりずっと柔軟に考えているのであれば私の心配し過ぎであったということになるのですが。もしもそうなら申し訳ないです。

P.S. 山形さんへ。私は間違いを間違いと指摘してくれることのありがたさは認めています。どのような間違いをどれだけどのように重く見るかについて別に議論すべきだと思うから色々書いているわけです。せっかくの機会なのだから、その点を詰めておくことはそれなりに面白そうな話でもあると思います。菊池さんには迷惑であったらこれもまた申し訳ないのですが。


Id: #e20020408223612  (reply, thread)
Date: Mon Apr 08 22:36:12 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020408185250
Name: 菊池和徳
Subject: 2点だけ黒木さんの考え方を確認させて頂けますか?

「『「知」の欺瞞』の復習」を読んで黒木さんの考え方がわからなくなりましたので、とりあえず2点だけ黒木さんの考え方を確認させて頂けますか?

私は異論の導入で「いやしくも『「知」の欺瞞』の「ローカル戦」を標榜するなら,少なくとも『「知」の欺瞞』程度に慎重かつ周到であるべきである」と書きましたが、この点について黒木さんはどうお考えですか?

数学用語の濫用(数学用語を本来の定義をろくに気にせず用いること、数学用語を有効性について説明せずに導入すること、数学用語を無関係な文脈で玄学的に用いること、数学用語を意味もなくもてあそぶこと、など)を真面目に批判しようとするなら批判の根拠に同レベルの数学用語の濫用があってはならない、と私は考えますが、この点について黒木さんはどうお考えですか?


Id: #e20020408222839  (reply, thread)
Date: Mon Apr 08 22:28:39 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020408185250
Name: やまがた
Subject: 黒木さん、それやっちゃぁダメです。

黒木さん、

自分の指摘したい論点に十分にふれていないからといって、バイアスがあるといった論難をするのは非常に危険なことです。菊池さんはそういうところで議論したいとは思っていないのです。

>誤りが指摘し易いスタイルで意図が明確でわかり易さを重視する努力を払って
>いれば、結果的に error や mistake があったとしても『「知」の欺瞞』の批判
>対象にはなりません。

とお書きですが、でもまちがいはまちがい、なのです(もしあれがホントにまちがいなら)。「知の欺瞞」は、科学概念を衒学的に(しかもまちがって)使うことの問題性を指摘したものだ、というのはその通りでしょう。でもじゃあ、衒学的でなければいい加減に使っていいかといえば、そういうことはありません。比喩だということでおおむね似てればいいや、という場合にはそんな厳密性は要求すべきじゃないでしょう。が、ぼくのあの文の場合、文として大きな論点の一つは、浅田のいうような循環はしない、という指摘に結果的になってしまっています(意図はどうあれ)。その部分がいい加減なら、それは当然指摘されるべきです。そしてそれはあの文章の場合、単純化でもバイアスでもありません。それがぼくの文のしょっぱなに出てくる中心論点の一つになっちゃってるからです。

フォローにはいつも感謝してはおりますが、これはいささかひいきの引き倒しの感が否めません。もし山形の文にそれでも見るべき点があると指摘したなら、単純にそう書いていただければいいだけの話です。そこで菊池さんの見方にバイアスがかかっている云々といった糾弾をする必要はまったくないし、すべきでもありません。


Id: #e20020408185250  (reply, thread)
Date: Mon Apr 08 18:52:50 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020408021340
Name: くろき げん
Subject: 『「知」の欺瞞』の復習

菊池さんの発言に刺戟されたので、『「知」の欺瞞』に関する復習について書くことにしました。今ここで話題になったおかげで、『「知」の欺瞞』という本の存在に気付いて興味を持ってくれる人が増えると嬉しいのだ。

さて、ソーカルとブリクモンの『「知」の欺瞞』 (岩波書店) は単純に「ポストモダン思想の一部の著作に見られる自然科学用語使用の非厳密性を批判する」ことを目的にしているのではありません。

もしも科学専門家が非専門家の科学的非厳密性の指摘だけを目的にわざわざあのような本を書いたとすれば相当に嫌らしい行為だと思います。実際、『「知」の欺瞞』の出版をそのように受け取って反発した人たちがいました。反発した人は、批判のターゲットになっていると感じている人たちの中だけではなく、科学畑にもいた。

しかし、『「知」の欺瞞』は、単に科学的にいいかげんなだけではなく、人文系や社会科学において重要な明晰性が失われている場合を扱っています。『「知」の欺瞞』の著者たちは、自分たちが目指していることは「自然科学を防衛する」ことなどではないと述べている (xvii頁)。そして、著者たちは、政治的・社会的に重要な話題に関して、“ファッショナブル”な装いで理解不能なおかしな議論の仕方をすることを特に問題視しています。 (『「知」の欺瞞』のアメリカ版の原題は "Fashionable Nonsense" であった。)

『「知」の欺瞞』で批判されている類の“ファッショナブル”な議論の仕方は真正面からの批判が極めて難しいという特徴を持っています。しかもそういう議論の仕方の元祖達は大きな権威をもっており、かなりの防衛網を装備している。政治的・社会的影響も無視できない。

そういう状況に科学の専門家という門外漢が独自の視点から非常にわかり易い突っ込みを入れたのが『「知」の欺瞞』です。あれはものすごくわかり易い。しかもそれは政治的左派を自認する著者たちによる左派の一部によく見られる混迷した考え方への突っ込みでもあり、右派による悪意に満ちた荒探しではなかった。人文系や社会科学の方面でも『「知」の欺瞞』を歓迎する人が少なくなかったのはそういう突っ込みがまさに必要とされていたからです。 (だから大学新入生に『「知」の欺瞞』は非常におすすめ。皆買いましょう。)

菊池さんは菊池さん独自の「『「知」の欺瞞』ローカル戦」に関するバイアスにこだわり過ぎており、単純な見方をしていると思います。もちろん、菊池さんのような有益な指摘をできる方の発言を抑制してしまうのは好ましいことではありません。個々の指摘は常に重要だ。しかし、菊池さん自身もバイアスのかかった単純な見方をしていることを認めるべきだと私は考えます。

山形さんの突っ込みには菊池さんの指摘とは無関係に十分な価値があります。突っ込み先と同じ誤りを犯しているという結論を導こうとする考え方そのものの中に、菊池さん独自のバイアスに基いた価値判断が含まれています。誤りが指摘し易いスタイルで意図が明確でわかり易さを重視する努力を払っていれば、結果的に error や mistake があったとしても『「知」の欺瞞』の批判対象にはなりません。

菊池さんは、山形さんの突っ込みの件について浅田彰およびその周辺が不戦勝とみなしてほくそえんでいても仕方がないという見方をしているようですが、それも誤りだと思います。そう言えるような話ではないでしょう。ブーヴレスは「挙証責任を反転してはならない。用いられている表現に理解可能な意味を与えることに成功していることを示す責任は、まず第一に、異義を唱えられた著者の側にあるのだ。読者には、髪をかきむしってまで、意味を発見したり発明したりする責任はない」 (『「知」の欺瞞』の序文から孫引き) と言ってます。「モデルとしての必然性や有効性」 (菊池さんの言葉を流用) というより本質的な疑問について著者の側からのクリアな説明があるまで不戦勝などとみなすべきではありません。

そういう考え方が当然の前提になろうとする流れを妨げないように注意すべきだと思います。そのためには、読者の側の髪をかきむしることなく気楽に突っ込みを入れる権利は保護されるべきであり、著者の側には突っ込みが少々的を外しているように感じられたとしても自分自身の不透明な議論の「必然性や有効性」を立証しようとする努力を要求すべきなのです。読者の側の error や mistake を指摘して、著者の側と同じ誤りを犯しているとみなすなどもってのほかでしょう。「誤り」の質が全然違う。もちろん、あらゆる場合に私のように考えるのは弊害が大きいかもしれませんが、『「知」の欺瞞』が問題にしている状況においては是非ともそう考えるべきだと思います。

特に浅田彰の場合は「ポストモダニズム」輸入の代表格でもあり、ラカンの「虚数i」なども当然の前提として自由に利用しています。 (ラカンの「虚数i」については『「知」の欺瞞』の36-38頁を参照せよ。) だから、浅田自身も関与している個々の事例について具体的な説明があった方が良かったと思います。結論がどうであれ、個々の事例に関して本人からの具体的な説明があるのは良いことですよね。

むしろ浅田の周辺にいる人たちの方がそのような説明を欲しているのではないですか。山形さんの突っ込みをわざわざ軽くあしらってみせたりしても、肝腎の問題からは逃げているという事実を浅田の周辺にいる人たちが理解してないはずがないと思います。『「知」の欺瞞』の突っ込み先についても同じような事実があると思う。


Id: #e20020408021340  (reply, thread)
Date: Mon Apr 08 02:13:40 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020406212302
Name: 菊池和徳
Subject: 補足説明

黒木さん、補足説明させてください。

私は「あまり本質的だとは言えないところにある種のバイアスをかけた突っ込みを入れる」こと自体を問題にしたつもりではなかったのですが、読み返してみるとそう受け取られても仕方がないほど説明不足ですね。失礼しました。文脈から受け取られることでも意図しなかったことを指摘されると不本意ですので、私の意図がわかって頂けるようにもう一度説明したいと思います。

どのような点についてどのような観点からどのような突っ込みを入れるとしても悪いことではない、というのは一般論として通常はおっしゃる通りです。突っ込みを入れること自体は抑制されるべきではない、というのも通常はおっしゃる通りです。

しかし、ある誤りを批判しようと入れた突っ込みが同じ種類の誤りを含んでいるような場合はどうでしょう?トンデモ本に対して入れた突っ込みがトンデモ本的な説明を含んでいたら?誤訳に入れた突っ込みが誤訳を含んでいたら?一知半解を嗤おうと入れた突っ込みが一知半解的な部分を含んでいたら?そのような突っ込みは、洒落やパロディーなら許されると思いますが、真面目であるほど自己欺瞞的であり滑稽であると思います。そのような突っ込みをしてしまう可能性は誰にでもあると思います(実は私にも憶えがあります)が、そのような突っ込みは少なくとも真面目な批判の中では排除すべきものであると考えます。

さて、「『「知」の欺瞞』ローカル戦」の目的(の一つ)は、ポストモダン思想の一部の著作に見られる自然科学用語使用の非厳密性を批判することであったはずです。そうであったならば、「『「知」の欺瞞』ローカル戦」においては、上で述べたように、厳密でない(特に自然科学の)用語使用を含んだ突っ込みは入れるべきでないと考えます。したがって、「『「知」の欺瞞』ローカル戦」において「ある種のバイアスをかけた突っ込みを入れるというのは悪いことではない」という考え方は、「バイアス」が非厳密性の方向にかけられれば「厳密性に欠く論法」を容認することにつながり、大いに問題があるのではないでしょうか?そのような憂慮(考え過ぎかも知れません)こそ私が言いたかったことに他なりません。

以上、補足説明でした。

私の異論に対する黒木さん、山形さんの結論的なご感想やご批判につきましては、気長にお待ちしたいと思います。お二人ともお忙しいと思いますし、私も今週からかなり忙しくなりますから。私は私の解釈が絶対だとは考えておりません。それどころか、異論の公開以前の山形さんや私の友人たちとのメールのやり取りによって少しずつ私の誤解が修正されてきたくらいです。建設的な議論によってお二人にとっても私にとってもこの件に関するより深い理解、より自然な解釈(唯一とは限らない?)が得られれば幸いです。そうすることによって「新たな繋がりができれば嬉しい」と私も思います。


Id: #e20020406225312  (reply, thread)
Date: Sat Apr 06 22:53:12 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020406212302
Name: やまがた
Subject: 揚げ足。
>上のような書き方

下。

Id: #e20020406212302  (reply, thread)
Date: Sat Apr 06 21:23:02 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020406185640
Name: くろき げん
Subject: この件を通して新たな繋がりができれば嬉しい

「クラインの壺のようなあまり本質的だとは言えないところにある種のバイアスをかけた突っ込みを入れるというのは悪いことではない」という私の発言が「厳密性に欠く論法」に繋がるとの御批判ですが、そういう考え方では突っ込み自体が抑制されてしまうので好ましいことだとは思いません。

世の中には色々面白い人がいて、例えば山形さんのようなタイプの有能な方があちこちに突っ込みを入れてくれることは私には非常に大事なことだと思うんですね。その突っ込み自体を否定するのはまずい。

それに、もしも山形氏が菊池さんのような指摘を無下に却下したりすれば問題だと思いますが、実際にはそうではないですよね。私自身も検討してみて非常に参考になりました。 (まだ解釈を確定させることができるかどうかには疑問を持ってますが。今はないですが時間ができれば色々調べてみるかもしれません。)

私はずっとこのスタイルでやって来ました。苦労し続けているのはバランスなんですね。しかし、それによって、互いに率直に批判し合える人間関係を互いに維持したり広げたりすることができれば嬉しいと思っています。そういう場所から抜けてしまうと人はおかしくなってしまうのだと思う。

しかし、繰り返しになりますが、私の誤りは有益な意見を述べてくれた菊池さんに冷たい態度を取ってしまたことです。まさにすぐ上に述べた考え方に反する行ないをしてしまいました。その点に関する山形氏の指摘は非常にもっともであり、私は反省しました。菊池さんと山形さんには申し訳ないことをしたと思っています。おそらく今までは何の繋がりもなかった菊池さんと山形さんのあいだで有益な関係が生じることを願っております。

申し訳ないことをしたと思ってはいても、ゆずれない点については意見を表明しなければいけないと思ったので上のような書き方になってしまいました。不快だった場合はお許し下さい。


Id: #e20020406185640  (reply, thread)
Date: Sat Apr 06 18:56:40 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020406003141
Name: 菊池和徳
Subject: 黒木さん、山形さん、ご意見ありがとうございました。

黒木さん、山形さん、ご意見ありがとうございました。

黒木さんへ。黒木さんの視線は(私の論点からずれた)「より本質的な問題」すなわち(山形さんの批判からもずれた)本来あるべき「『「知」の欺瞞』ローカル戦」にどうしても向いてしまうようですね。お気持ちはわかります。私の異論も本来あるべき「『「知」の欺瞞』ローカル戦」の準備のようなものですから。私の「突っ込み動機」は第0節に異論の意図として書いた通り「「『「知」の欺瞞』ローカル戦」を支持するが故に拙速な「ローカル戦」を憂慮し苦言を呈すること」です。私の《クラインの壺》=〈中身の詰ったクラインの壺〉という解釈が「大いに参考にな」ったのなら幸いです。しかし、「クラインの壺のようなあまり本質的だとは言えないところにある種のバイアスをかけた突っ込みを入れるというのは悪いことではない」というご発言はいかがなものでしょうか?山形さんの言う「厳密性に欠く論法」につながりかねず、「『「知」の欺瞞』ローカル戦」で攻撃される側の発言とも受け取られかねません。

山形さんへ。私の論点は「《クラインの壺》で循環は可能ではある」ということでした。ですから「循環は可能だ……というのは、言えているようではないですか」という発言に対しては意図がほぼ通じたと素直に喜びたいと思います。「あの管を 4 次元にどう割り付けるか、ということにも依存すると思う」という部分はおそらく私の説明不足による疑問だと思います。その点は反省したいと思います。ここでは数学的な結論だけ述べておきますが、〈クラインの壺〉もしくは〈中身の詰ったクラインの壺〉を‘映画’として4次元時空に実現したのは、図形や運動を直観的に理解して頂くための便宜であって、図形や運動自体は4次元時空への実現の仕方には依存しないのです(少なくともトポロジカルには)。また「浅田の議論における有効性や意味については逃げ」たのではありません。「『「知」の欺瞞』ローカル戦」の準備に徹しようとしただけです。「浅田がそこまで考えていたとは思えない」というご意見に対しては、私が読んだ文献からは「浅田がそこまで考えていた」と解釈することも可能な記述があるが本当のところはわからない、というのが正直なところです。

さて、「『「知」の欺瞞』ローカル戦」の準備が整ったと仮定した場合、「より本質的な問題」はどうなるのでしょうか?私の現時点での考えを少し書いてみます。《クラインの壺》の問題点は、(A)「クラインの壺」という数学用語の使い方が不正確である(〈中身の詰ったクラインの壺〉を「クラインの壺」とは呼ばない)こと、(B) モデルとして衒学的である(大部分の読者にとってモデルの方が説明対象より難解になってしまっている)こと、(C) モデルと説明対象の対応が十分に説明されてない(モデルと「循環」の対応などについて説明が十分でない)こと、などが主なところです。しかし、ゲームとしてのディベートよろしく、それぞれ、(a)《クラインの壺》は数学用語としては不正確かも知れないがその程度は小さく文脈から十分に理解可能である、(b) 前近代モデルとしての《円錐》の変形で「パラドキシカル・ジャンプ」を表す適当な図形として4次元時空で初めて実現できる《クラインの壺》に固執したことは説明したし図形としても比較的単純なものである、(c) チャート式参考書のように軽くスピーディーなスタイルを心がけたからである、という反論もあり得ると思います。もちろん再反論も可能ですがそれほど本質的な批判にはならないように思われます。要するに、『構造と力』は「『「知」の欺瞞』ローカル戦」で槍玉に上げるほどの濫用例ではない、というのが現時点での私の結論です。『構造と力』のような文献に慣れていない私の読解力ではここまでです。私は決して浅田シンパではありませんが、いたずらに批判のための批判をする必要もないと思います。あとはお二人のような論客にお任せしたいと思います。


Id: #e20020406003141  (reply, thread)
Date: Sat Apr 06 00:31:41 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020406002933
Name: くろき げん
Subject: これは失礼

山形さんの言う通りです。菊池さん失礼しました。これからも気軽に面白い話を提供して下さい。


Id: #e20020406002933  (reply, thread)
Date: Sat Apr 06 00:29:33 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020405234636
Name: やまがた
Subject: いや、ただまあ……

ただまあ、純粋に数学の問題としてアレがどうなのか、というのは、ぼくとしても興味のあるところではあるし、そこの部分に限って議論しても、それはそれで知的なパズルとしてありではないかと思います。「より本質的な疑問」にまでいちいち踏み込むことを要求する必要はないし、また万人にそれを要求しちゃダメだと思います。そうじゃないと気軽にものが言えなくなるじゃないですか。

で、この議論を見る限り、あの管を4次元にどう割り付けるか、ということにも依存すると思うし、なんでそこで、浅田の議論における有効性や意味については逃げるかなあとは思うし、あと座談会などにおける「底」がどうしたこうしたいう発言を見る限り浅田がそこまで考えていたとは思えないけれど、でもクラインの壺で浅田の主張するような循環は可能だし、それが不可能だという山形の議論は勇み足であったというのは、言えているようではないですか。それでホントにいいのかどうか、ぼくもしばらく考えてみますけれど(ひまができたら)。

 もっと大きな話を考えたいのだ、という黒木さんの気持ちはよくわかります。が、自分のほしい論点にふれていないからといって、菊池氏をとがめるのは不当だと思います。『どうしてわざわざクラインの壺なの?』が論点であるなら、山形はそういうふうに書くべきであって、おもしろいからといって厳密性に欠く論法をとるべきじゃなかったということは、じゅうぶんに正当な批判ではあるでしょう。

すいません、せっかく擁護してもらってるのに、背中から撃つようなアレで恐縮ですが。でもこの件ではぼくのほうが圧倒的にかく恥の量が大きいのだし(なんせ本にまでのせちまいましたからねえ)、それがかまわないと言っているので、「浅田はどうか知らないが山形はやっぱアホだ」的な指摘も、どうか続けさせてあげてくださいな。


Id: #e20020405234636  (reply, thread)
Date: Fri Apr 05 23:46:36 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020405212246
Name: くろき げん
Subject: より本質的な問題と突っ込み動機は何か?

菊池さんは「モデルとしての必然性や有効性には議論の余地が残る」と述べてはいますが、続けて「……が,この小論では論じない」としています。しかし、まさにその部分が本質的な問題なのではないですか?

「上半部分=内部と下半部分=外部」という解釈が正しく、したがって「外部がそのまま内部になっている」とは「不半部分と下半部分が繋がっている」ことであるならば、どうして中身の詰まったトーラスではいけなかったのか? どうしてわざわざクラインの壺を持ち出して来たのか?

「どうしてわざわざクラインの壺なの?」という疑問は山形の突っ込みの大きな動機の一つであることは明らかでしょう。実際、山形はおもしろおかしく「ホースを単にドーナツ状にわっかにすればいい」という話を紹介している。

浅田は山形の突っ込みに対して「初歩的な誤解に陥っているのではないか」と言ってすませるのではなく、「どうしてわざわざクラインの壺なの?」という疑問やそれよりさらに本質的な「それは本当に有効な議論なの?」という疑問にも答える形で昔書いた本の内容に関するコメントを出すべきだったのです。

菊池さんによる「“クラインの壺”は中身の詰まった円筒の上面と下面を貼り合わせてできる中身の詰まった物体と解釈できる」という解釈は大いに参考になりました。しかし、結局のところ「モデルとしての必然性や有効性には議論の余地が残る」と述べています。そのことに関する説明は全く無し。したがって、そういう自然な「どうして?」という疑問のバイアスのもとでの別の解釈の仕方を、単なる誤解であり無意味である、と決め付けることもできないと思います。

菊池さんは浅田を擁護する文を発表したいのであれば、より本質的な疑問に答えるよう努力する必要があったと思います。そして、もしも本来の主旨が「浅田を批判したいならもっときっちりやれ!」ということなのであれば、菊池さん自身が山形の動機を引き継ぐ形でそれを実行すべきだと思います。実際そういう主旨であればそうでなければおかしい。さて、菊池さんの主旨はどちらなのでしょうか?

クラインの壺のようなあまり本質的だとは言えないところにある種のバイアスをかけた突っ込みを入れるというのは悪いことではないと思います。ターゲットが論理的で自然にわかり易い書き方をしているのであれば、そういう突っ込み方は単に失礼なだけです。しかし、山形による突っ込みと私による突っ込みのケースは全然そうではないと思います。

なお、ここの掲示板群を見ている方々は御存じのように、現在の私にとっては「なんでも2」の話題の方が楽しく面白く感じられ、しかも時事的にも極めて重要な話題だと思っています。掲示板上ので話題をあまり広げ過ぎると時間が取られ過ぎて好ましくないので、この件についてはもうあまりコメントできないと思います。

もちろん、他の方々の意見その他は歓迎致します。ただし、この掲示板の意味での「匿名」による批判禁止ルールにはしたがうようにして下さい。


Id: #e20020405212246  (reply, thread)
Date: Fri Apr 05 21:22:46 2002
Name: 菊池和徳
Subject: 浅田彰『構造と力』の《クラインの壺》モデルは間違っていない

黒木さん、山形さん、掲示板の皆さん、はじめまして。阪大数学教室の菊池と申します。トポロジストです。4次元多様体の微分トポロジー、特にゲージ理論の応用、について研究しております。趣味は、美味しい酒を飲み美味しいものを食べながら議論すること、囲碁、読書、といったところでしょうか。読書は最近は語学関係が中心ですが、学生時代にはここのサイトでも取り上げられている浅田彰の『構造と力』などの現代思想ものも「ナナメ読み」したことがあります。「ナナメ読み」したのは知識不足でよくわからなかったからです。

その浅田彰の『構造と力』の《クラインの壺》に関する山形さんの批判と黒木さんの援護を読み、「『「知」の欺瞞』ローカル戦」は不戦敗ではないかと思い、異論を書いて公開しました。山形さん、黒木さん、掲示板の皆さんのご感想、(建設的な)ご批判を仰ぎたいと思います。特に、「数学的準備」の部分に対する数学者でない方のご感想をお聞きしたいと思います。数学者でない方にもわかりやすいように書いたつもりですが、あまり自信はありません。

ポイントは《クラインの壺》の「内部」の解釈です。山形さんと黒木さんは「内部」=「3次元空間内の曲面の内部」と解釈しているようですが私の解釈は違います。ある文脈では「内部」=「前近代においてカオスとしての外部に対立する秩序としての内部」、別の文脈では「内部」=「クラインの壺を境界とする〈中身の詰まったクラインの壺〉の内部」、と解釈します。浅田は二つの「内部」を使い分けていますが、どちらも「3次元空間内の曲面の内部」ではないと思います。浅田は《クラインの壺》のの「底面」を「チューブ」の「断面」だと考えているようですから、《クラインの壺》は曲面でなく壺の中身も込めた〈中身の詰まったクラインの壺〉と解釈するのが自然だと思います。いかがでしょうか?


Id: #e20020324220210  (reply, thread)
Date: Sun Mar 24 22:02:10 2002
Name: かなくきも
Subject: 消えたブッシュ演説 9.11フロリダにおいて

ニューヨークでのテロの約1時間後 日本時間11時少し前にフロリダからの戦争宣言の大統領テレビ演説が NHKのテレビ ラジオなどで生放送されました。 しかし 以後12日付けの新聞をはじめマスコミから消えています。 そして 演説の中で取り上げられている 犯人に立ち向かった乗客がいた ピッツバーグ郊外の墜落機の墜落時刻は 演説終了後の11時10分として記事になっています。 この演説は多くの人が 見た 聞いたはずですが 憶えている人は少ないようです。 ビデオなどの記録を持っている方は 確かめてみて下さい。
Id: #e20020306205539  (reply, thread)
Date: Wed Mar 06 20:55:39 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020306092237
Name: まきの

確かにネットワークの運用を評価しないというくらいなら一般的な傾向だったかもしれません。私はどうも駒場が TISN に加わるという話を潰した某氏の印象が強くて、、、まあ、これはその人がそうであったというだけで、一般化できる話ではありませんね。

ま、そういうわけで、妨害されることってのももちろんあります。


Id: #e20020306195625  (reply, thread)
Date: Wed Mar 06 19:56:25 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020305043405
Name: くろき げん
Subject: その後のTAINS

旧TAINS (昔の東北大学の学内ネットワークの名前で TAINS-88 と呼ばれることがある) が(偽)OSIで運営されていたという話をするだけで終わってしまうと、東北大学はトンデモない場所だと勘違いされてしまう可能性があるので説明を少しだけ追加。ぼくなんかより TAINS の歴史に詳しい方がここを見ているはずなのでフォローをして下さることを希望してます。

「正式には TAINS に IP を流してはいけない」という話はおそらく予算のぶんどり方と関係していた。証拠を出せと言われれば出せないが実際そのように言われていたという記憶は残っている。読者は以下に書く話はすべてその程度の信頼性しかないことに注意しなければいけない。

予算を取り易くするために「他とは違った新しい試みをやる」という筋書きで書類を作成するのが常套手段である。おそらく、東北大学では「他とは違ってうちではOSIをやる」という書類を作成して、予算を取ることに成功したのだろう。そういう形で予算を取ってしまうと、 TAINS を実質的に IP 中心に移行させることを正式にはできなくなってしまう。「正式には TAINS に IP を流してはいけない」という某関係者の発言はこのような意味だったのだと思う。

しかし、大学は (良い意味で) いいかげんな場所なので、結果的にそのようなアホなしばりは無視され、 IP への実質的移行はなしくずし的に行なわれた。現場の研究者は TAINS を利用するときにはそのようなしばりを当然のごとく無視し (そもそもそういうしばりがあることさえ知らない人が多かったはず)、便利なアプリケーションが豊富に存在する IP を使おうとした。しかし、当局側に近い部署の移行は末端に比べるとずっと遅れた。

結果的に東北大学が十分に成功していたことは伝説的な anonymous ftp server akiu.gw.tohoku.ac.jp の存在を思い出せば明らかだろう。 akiu は有益な情報は世界中と共有するという思想のもとで雑多な有志によって運営されていた。雑多な有志による運営が可能だったのは大学のいい加減さのおかげである。有能な学生が学内ネットワークをおもちゃにして遊びまくることは当然のごとくそのまま放置されていた。

コンピューター・ネットワークはハードとソフトだけで構成されているわけではない。人の存在を忘れてはいけない。特に新しいことを始めるときに人の存在は決定的に重要だ。学内の末端の管理者のあいだに人間関係が生まれ、様々な情報が交換され、初心者が TCP/IP を TAINS で使うためのガイド本が発行されたりした。末端のユーザーのことまで考える人がいて初めてコンピューター・ネットワークは機能するのだ。

その頃、同じようなことが全国の大学で起こっていた。頭の堅い大学関係者は冷たい態度を取っていたかもしれないが、大学のいい加減さのおかげで、新しい技術を習得したり広めたりすることが妨害されることはなかった。実際には他大学のことは知らないのでいいかげんなことを言っているのですが、東北大学の私の目に入る範囲内ではそうだった。


Id: #e20020306092237  (reply, thread)
Date: Wed Mar 06 09:22:37 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020305225240
Name: 崎山伸夫
Subject: Re: 評価

有馬朗人氏については、 東京大学学長になったのが1989年、 TISNの運用開始が同じ1989年、ということで そもそも IPベースの研究ネットワークの恩恵をうけてないようですね (決裁書類をみる機会はあったかもしれないにしても)。 あと、ネットワークの運用を評価しないというのは、 専門に限らない事象だったような気がします。


Id: #e20020305225240  (reply, thread)
Date: Tue Mar 05 22:52:40 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020305043405
Name: まきの
Subject: 外部評価

とかいっても重点化のためのとかいうのなら評価されるほうが委員を選んだん では?アホな委員がいたとすればそういう委員に来て欲しかったんでしょう。

とはいえ、そのへんの物理の理論というか計算機をつかった数値計算で仕事を してきた人って割合ネットワークに冷たかったような印象はありますね。駒場 でキャンパス内(およびキャンパス間)ネットワークを立ち上げた吉村さんはそのへんで随分消耗して ました。結局彼は IIJ にいっちゃいますが。


Id: #e20020305070424  (reply, thread)
Date: Tue Mar 05 07:04:24 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020224064428
URL: NCA00201@nifty.ne.jp
Name: BUNTEN
Subject: インターネット選挙運動日本編
HDDの奥深くに眠っていた資料をやっと発掘しました。m(_@_;)m

米国の大統領選挙ではインターネットで派手な舌戦(鍵戦?)が繰り広げられている
と聞いていますが、日本ではネット上の選挙運動は公職選挙法で違反とされて
いて、選挙に入ると政治家のページが一斉に更新を止めています。

そもそも公選法が選挙運動を包括的に禁止し、連呼など限られた運動形態のみを
認める形式をとっていて、諸外国では一般的とされる戸別訪問はもちろん禁止、
文書は一定枚数の証紙を貼ったものを演説会の場所など特に許された場で配る
以外は全面的に配布禁止など、異様に厳しい規制をしているという問題が
あります。

そこを置いて考えた場合、通信が公選法上の文書に当たると考えるべきことは
他の電磁気録に関する最近の判例の積み重ねからは当然とも言える流れですが、
通信上に最初に選挙絡みと見なしうる文書が現れた時は色々と議論があった
ようです。

その議論のきっかけを作ったのは、「菅直人の市民政治レポートBBS版」(原文は
半角カタカナ)と題された文章で、書かれた場は、今はなき、商用化前(無料の
実験サービス時代)のアスキーネット、時は中曾根首相(当時)の死んだフリ解散・
総選挙決定直後(公示前)で「13 Jun 86 13:53:58 JST」とタイムスタンプに
残っています。

この書き込みを朝日新聞が1986年6月14日に「<パソコンで選挙運動?
>「意識調査」名目に通信」という記事で取り上げます。その記事中で自治省
選挙課の鈴木良一氏は「去年の都議選の時に、候補者名が表示されたキャプテ
ンの利用については、掲示か配付かは別にして、一応文書にあたる物と見て
いる。しかし、パソコン通信はこれまで公選法上の位置づけを検討したことが
なく、文書に該当するかどうか、早急に調べる」と述べています。

自治省は程なく"パソコン通信は公選法上の文書である"という見解を出し、以後
現在まで選挙期間中にネットに何か載せると選挙違反ということで現在まで来て
います。

インターネット活用における日米の違いとして日本側でよく例にあげられる
選挙ですが、この問題に関してはネット発達前からある選挙規制あるいは民主
主義文化の差として考えるべきであるように思います。

Id: #e20020305043405  (reply, thread)
Date: Tue Mar 05 04:34:05 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020304065427
Name: くろき げん
Subject: 東北大学の昔のネットワークは(偽)OSIで運営されていた

昔の東北大学のネットワークは TAINS という名で(偽)OSIで運営されてました。でも(偽)OSIなので便利なアプリケーションがほとんど存在せず、学内高速ネットワークが「イメージメール」なんかに使われていたのだ。紙から紙へのメール……。

インターネットの存在を知れば IP を TAINS 内に流したくなりますよね。でも、とある関係者は「正式には TAINS では IP を使っちゃいけないんだよ」なんてことを言ってました。本当かどうかは知りませんけど。アホな時代があったものです。

TAINS OSI を検索

まあ、アホだったのは東北大当局だけだったわけではない。

東北大学理学部の大学院重点化のための外部評価委員が来たときに、「若い研究者の話を聞く集まり」において、ぼくが「理学部においてコンピューター・ネットワークに深く関わっている学生、大学院生、助手などが非常に苦労している」という話を出し、周囲の院生や助手などから賛同の声が上がったときに、外部評価委員長の有馬朗人氏がすくっと立ち上がって「パソコンぐらい、ぼくだって使っているよ!」と言いはなち、延々と説教を始めました。何やらパソコンぐらいでガタガタ言っている今の若い連中はけしからんと言いたいらしい。パソコンとネットワーク管理を同レベルで語られてもね。あきれながら反論せずに黙って見ていたら、その隣に座っていた広中平祐氏があわてて「有馬さん、有馬さん、違うんですって。今はインターネットというのがあって、 UNIX うんぬんかんぬん」。広中氏は理解していたようですが、有馬氏は全然そうではなかった。「年寄の無知は構わないと思うのですが、若い人たちの話をよく聞こうとしない態度にはあきれてしまったのだ」と言いたいところだが、正直言ってその無知にもあきれてしまったのだ。外部評価する側がされる側より程度が低いということはありがちなことだと思う。

そして、それからしばらくして、有馬氏は自民党参議院議員になり、文部大臣になって、日本の将来を暗くすることに間違いなく貢献するような決定に手を貸すことになるのだ。有馬氏によれば中学校理科の成績は授業時間が少ない方が良くなるらしい (参考)。


Id: #e20020304224500  (reply, thread)
Date: Mon Mar 04 22:45:00 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020228012909
Name: YAMANE Shinji
Subject: Re: こんなのみつけたり。

ちょうどe-Print archiveに初期インターネットの話がでていました.
Andrew L. Russell. "Ideological and Policy Origins of the Internet, 1957-1969" (cs.CY/0109056)
Vannevar BushからProject MACにも言及しているのは共感できる. ただ,最後のページでDMCAやLessigやACLUがでてきてぎょっとする:-).
Id: #e20020304065427  (reply, thread)
Date: Mon Mar 04 06:54:27 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020226033603
Name: YAMANE Shinji
Subject: Re: 勝手に補足

崎山さん,DDX-Pについて訂正ありがとうございます.

黒木さんは東北大学のネットワークがOSIで構築されていたころはご存知ありませんか? 事務連絡に使われていた「イメージメール」とか....

しかし,日本のインターネットへの政治的圧力がWiredで記事になっていたとは知しませんでした (英語part1, part2). 日本に限らず,多くの国では政府からの援助なしにインターネット接続が行なわれました.Carl Malamud や David Farber が日本の状況に注目していたのは,日本が他の政府援助のない国々のモデルになると考えられたからです.これは私も同感です.ですから,Johnさんが日本の事例を研究対象に含めるのはとても有意義なことだと思います.

TCP/IP以外に「技術的、経済的、制度的、政治的、文化的要因」が 複雑にからまっている問題となると,あとはJPNICくらいかなあ.


Id: #e20020228012909  (reply, thread)
Date: Thu Feb 28 01:29:09 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020226033603
Name: 崎山伸夫
Subject: こんなのみつけたり。

WIREDの1994年5月号、6月号からの翻訳。 これはWIDEと学情の対立についてかなり率直な表現で 書かれたレポートのようです (翻訳の精度の問題と版権がクリアなのかの両面でちょっとあやしい気がするので ジョンさんであればWIREDのバックナンバーに直接あたるのが正解でしょう)。


Id: #e20020226033603  (reply, thread)
Date: Tue Feb 26 03:36:03 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020226004423
Name: 崎山伸夫
Subject: 勝手に補足

DDX-Pというサービスは、要は X.25 です (「パケット交換網」という言葉はこの文脈では 一般名詞ではないことに注意が必要)。 学術情報センター と WIDE プロジェクトの過去の対立も OSI vs TCP/IP という対立ですね。 伝聞ですが、大昔の学情ネットは X.25 を使った OSI プロトコルの 全面使用を前提にしたネットワークで IP over X.25 は禁止されていたとか。 1992年にはTCP/IP網であるSINETが運用開始されているので、 それより前のある時点までの話でしょうけど。

学情に関してはなんといっても学情所長と国立情報学研究所所長をつとめた 猪瀬博氏のインタビューがとれればいいのでしょうけど、 亡くなっていますからね。 大学にいて現役のひとは話しにくいことも多いでしょうしね (出身研究室の関係でTISN関連のひとで思い浮かぶひとはいても、 ちょっと書けない)。


Id: #e20020226004423  (reply, thread)
Date: Tue Feb 26 00:44:23 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020220233419
Name: YAMANE Shinji
Subject: 日本語文献紹介

トピックごとに関連すると思われる文献を紹介します.
日本では政府の補助金がなされる場合、どのようなプロセスで意思決定が決まるのでしょうか。
通産省,文部省,郵政省の機関から補助金が出されることがありますが,決定プロセスがNSFとは異なります.アメリカとの比較は,「米国政府による情報技術への研究支援」 『情報処理』 Vol.38 No.06 で行なわれています.
CN構築の理由・原動力は何だったんでしょうか。CN構築には巨額のお金がかかるので日本政府が何らかの形で補助を行ったと想定されますが、この点どうでしょうか。
アメリカと同様,研究目的のために計算機センターを相互接続する構想は昔からありました.ただし政府による補助がなかったのがアメリカと異なる点です(1990年代になってもTCP/IPでのプロポーザルに対する政府からの補助は行なわれませんでした). くわしくは以下に.
パケット交換技術の採用などを巡って...敵対関係又は対立関係が日本では存在したのでしょうか。
NTT(当時は電電公社)は1970年代からパケット交換サービス(DDX-P)も行なっていました.ですから,対立があったのはパケット交換技術の採用よりはTCP/IPの採用ではないかと想像します(私が子供の頃の話なので...).
この対立はCarl MalamudのExploring the Internet(1993)でも触れられています.日本のInternet構築に対して,省庁を通じてどのような政治的財政的圧力があったのかを書いた記事は,古瀬幸広が科学ジャーナリスト時代に書いた ``自動翻訳機と馬鹿マスコミ'', 『新潮45』 1993/11 pp.132--140. しか私は見たことがありません.
日本の文脈の中でハッカー(又は専門的ユーザとも言いましょう)はCNの構築や発展にどのような役割をしていたのでしょうか。
これは日本に限ったことではありませんが,Peter Salus も指摘するようにInternetおよびTCP/IPの普及にはUNIXハッカーの功績が大きいでしょう. 日本のUNIXハッカーについては,以前紹介したInterview with Kouichi KISHIDA by Steve Wright,そして``ハッカーたちの BOF'', bit臨時増刊号 最新UNIX pp.65--81, 1987.というレポートに村井純のハッカー教育についての発言が収録されています.
これに対して,NiftyserveなどのBBSはUNIXハッカーとはあまり接点がありません(See ``How Jargon Works'' in New Hacker's Dicionary.).
なお,ハッカーをユーザとして扱うと,ハッカーが残した歴史資料を理解できなくなる場合があるので注意が必要です(Also see ``hacker'' in RFC 1983, or ``luser'' ``hacker ethic(last paragraph) '' in New Hacker's Dicionary.).

Id: #e20020225162050  (reply, thread)
Date: Mon Feb 25 16:20:50 2002
Name: ひなの侍
Subject: 復旧しました

私事の連続で申し訳ありません。

サーバーの不調だったらしく、私の「すっとこどっこい言語学」は元の場所で復活しました。お騒がせしました。ミラーも継続します。よろしくお願いします。


Id: #e20020225154814  (reply, thread)
Date: Mon Feb 25 15:48:14 2002
Name: ひなの侍
Subject: 訂正

下のリンク先はここでした。
Id: #e20020224141612  (reply, thread)
Date: Sun Feb 24 14:16:12 2002
Name: 黒川新一(緋、ひなの侍)
Subject: 個人的なお知らせで申し訳ありません

些細なトラブルで私のサイトが今移動しています。

元のものに比べて、画像の欠落などがありますが、徐々に充実、更には今までより遠慮無く書いていくつもりであります。

場所はここです。お目汚しかも知れませんが、お暇なときにお訪ねください。

今までもインフォーマルに触れてきた言語と進化や計算理論の話を誤解を恐れずに、また、商売ででたらめを書いている人たちへの批判を展開するつもりでおります。

お話の途中失礼いたしました。


Id: #e20020224064428  (reply, thread)
Date: Sun Feb 24 06:44:28 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020220062240
URL: NCA00201@nifty.ne.jp
Name: BUNTEN
Subject: 資料紛失
うー初期の熱気を伝えるアスキー出版のパソコン通信ムックがどっかに行って
いる。あれが出てこないと、HDDの中に眠っているであろう公選法事件位しか
喋ることがなくなる。m(_@_;)m

Id: #e20020220233419  (reply, thread)
Date: Wed Feb 20 23:34:19 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020218002408
Name: 崎山伸夫
Subject: 一次情報ではないけど

N-1, JUNET, WIDE, TISN, SINET といった学術系の初期のころの話は、 朝日新聞の昔の短期連載に ちょこっと出てますね(TISNは出てないけど)。 まぁ、TISNの話は全く出て来ないし、 かつてあったJUNETやWIDEと学情の間の対立についても そんなに詳しくは書いてないですけど、 予備知識が全くないなら参考にはなるんじゃないかと。


Id: #e20020220165853  (reply, thread)
Date: Wed Feb 20 16:58:53 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020220080436
Name: 鴨 浩靖(かも ひろやす)
Subject: NiftyServe

NiftyServe(現、@Nifty)がはじめてインターネットとメール交換できるようになった時、メールボックスのあまりの小ささのため大量のエラーメールを弾き返し、インターネット側の多数の管理者から蛇蝎のごとく嫌われていた。とかいった話ならできますけど。具体的に私がどう嫌って、どんな対応をとっていかたとか。
Id: #e20020220080436  (reply, thread)
Date: Wed Feb 20 08:04:36 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020220062240
Name: ジョン
Subject: JUNET以外も。

はい。’商用パソコン通信、または草の根ネット’ももちろん調査対象の中に入ってます。特に商用ネットが登場した際の様子、特にそれ以前のネットとの(技術的・社会的)関係等も含めて、情報やご意見を頂きたいです。私の今回の研究は、日本の初期コンピュータ・ネットワークに関して還元主義に基づいて明確な因果関係を説明するのがその目的ではなく、技術的、経済的、制度的、政治的、文化的要因を複雑なsocio-technicalプロセスとして理解することであります。従って、基本的にはどのようなインプットも歓迎です。特に、私が見ていない様々な側面を指摘して頂きたいです。

ジョン
john425@hotmail.com



Id: #e20020220062240  (reply, thread)
Date: Wed Feb 20 06:22:40 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020216012357
URL: NCA00201@nifty.ne.jp
Name: BUNTEN
Subject: JUNET以外
アメリカで言えばコンピュサーブのような商用パソコン通信、または草の根ネット
については対象外でしょうか?

現代日本のインターネットの有力サイトあるいは接続業者の出自は商用パソコン
通信である場合も多いので(例:ニフティサーブやビッグローブ)それらが
パソコン通信だったころの話まで研究対象であるのならば、私でも何か
話せるかもしれません。

Id: #e20020219125625  (reply, thread)
Date: Tue Feb 19 12:56:25 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020218002408
Name: かも ひろやす
Subject: JUNET

そういえば、ちょっと前、ある事情で「JUNET」でウェブ検索しました。ほとんどのページがJUNETとJUNET協会を混同していました。十年もたっていないのにもう風化してしまっているんですね。
Id: #e20020218002408  (reply, thread)
Date: Mon Feb 18 00:24:08 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020216012357
Name: くろき げん
Subject: junet の歴史はどこで読めますか?

ジョンさん、おもしろい話をふって下さってどうもありがとうございます。

日本の computer network に関する歴史に関する情報であれば、ぼくも興味があります。特にまだ Internet が日本で一般的でなかったときの junet がどういう雰囲気だったかについて知りたいです。基本文献は何でしょうか?

「頭の堅い上司がいるところでは fj.rec.* を取ることができなかった」というような話があったと思うのですが、そういう話の記録を読みたい。 「fj.rec.* は取れない」というような話を聞いたときに、ぼくは「まあ仕方ないかもしれないけど、雑談がないところにまともなコミュニケーションは生じないのになあ。アホだなあ」と思いました。

なお、日本の computer network の歴史は個人的に非常に興味がある話なので、「利用上の注意」に書いてある様々な制限を管理人の権限で主観的に大いにゆるめるつもりでいます。


Id: #e20020216073341  (reply, thread)
Date: Sat Feb 16 07:33:41 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020216012357
Name: YAMANE Shinji
Subject: Re: the formation and development of japanese computer networks

Johnさん,
残念ながら,日本ではアメリカのCBIのようなアーカイブもThe Computer Museumのようなミュージアムすらもありません. ようやく最近,ミュージアムが収集をはじめたところです.(その展覧会(CD-ROM)もハードウェア中心で,ネットワーキングについては弱い.)

私は過去の人物についてはよく知らないので,最近10年間に出版されたInternetについていくつかの文献を紹介します. 日本のインターネットについては,Carl Malamud. Exploring the Internet: A Technical Travelogue(1993)が国際的な問題の一つとして日本の状況を描いていて,国際的な比較の出発点として役に立つと思います.

日本のインターネットを作ったUNIXハッカーたちおよびその対抗勢力,そして予算配分についての文献紹介はまた来週に.
日本ではこの事情はあまり文書化されていないので,関係者へのインタビューが必要ですね.たとえば,貴重な証言であるInterview with Kouichi KISHIDA by Steve Wrightも,UNIX Reviewで出版されたあとに日本の雑誌に翻訳されている!


Id: #e20020216012357  (reply, thread)
Date: Sat Feb 16 01:23:57 2002
Name: ジョン
Subject: the formation and development of japanese computer networks

アメリカのジョンです。

今日は皆さんのアドバイスを頂きたいと思ってpostingします。私の現在の研究テーマの一つに‘日米英の初期コンピュータネットワークの比較分析’というのがあります。現在、米国や英国の初期コンピュータネットワークに関しては資料集めが進んでいるのですが、日本のケースに関してはこちら米国ではなかなか情報を得ることが出来ません。そこで今年の5月から半年ほど日本でField Researchを行うことになりました。

短い間でしたが今までこの掲示板を拝見させて頂いてかなり多様で多才な方々がいることがわかりました。そこでなんですが、個人的なことで恐縮なのですが、上記の研究テーマに関するアドバイスを皆さんにお願い出来ればと思います。特に私が持っている疑問は以下の通りです。

・日本のコンピュータネットワーク(以下CN:これは特定されているネットではなく、インターネットの商業化以前の、様様な学術、商業ネットを考えています)の起源についての情報(英語や日本語の文献等:アメリカのCBIとか英国のNPL、Manchester等のようなアーカイブセンタは日本にはありますか)

・日本のCN構築における中心人物又は中心機関(現在インタービューリストを作成中なんですが、ここはぜひ皆さんのアドバイスを頂きたいです。どの方とインタービューをした方が良いのかなどの情報を教えて頂きたい。自己推薦でもかまいません。いや、大歓迎です。出来るだけいろいろな方の話を聞きたいです。例えば、元又は現在コンピュータ科学者の方、通産省、文部省又は郵政省で当時CN構築に関わった方、当時NTTや関連研究所勤務でCN構築と関連があった方、村井純さんのように大学や研究機関に在籍しながらCN構築に携わった方等です)

・米国のケースでは冷戦を背景に国防省との関係でARPANETのような初期CNが構築されましたが、日本の場合はどうだったんでしょうか。つまり、CN構築の理由・原動力は何だったんでしょうか。CN構築には巨額のお金がかかるので日本政府が何らかの形で補助を行ったと想定されますが、この点どうでしょか。言い換えれば、政府はどのような役割をしたのでしょうか。またそれに対して実際構築する側は政府とどのような’関係’を持ってましたか。(米国のケースでは以前のPostingで述べたように政府の思惑と構築し使用する側の思惑にはかなりのギャップがありました)

・コモンキャリアであるNTTとCN(s)ではどのような関係でしたか。(米国のケースではご存知のようにATTとARPANETの間では敵対関係に近い時期がありました。特にパケット交換技術の採用などを巡ってのATTとRand研のやり取りはLessig教授のおかげもあってかなり知られています。このような敵対関係又は対立関係が日本では存在したのでしょうか。それともうまくコラボレーション関係にいたのか。この辺は、特に重要で個人的には面白いポイントだと思います。85年NTTが民営化される前に、公社という形でNTTが存在していたわけなんですが(これは米国のATTがFCCの規制は受けながらも民間会社でありつづけたというのと対比します)、こうなると政府とCNs、そしてNTTの関係は微妙になりますね。この辺に関してもし情報がありましたらお願いします。

・郵政省と通産省のCNを巡っての関係についてもご意見がありましたらお願いします。70年代後半80年代にVANを巡って、電話回線を管理する郵政省とコンピュータ部門の管轄権を持っている通産省の間に激しい縄張り争いがありました。従って、CN構築においてもきっとこのような対立は存在していたと想定されますが、この点は如何でしょうか。文部省なども含めて情報・意見があればお願いします。

・民間企業と初期CNに関して:日本ではNECとFUJITSUのパソコン通信がかなり流行ってる(又は支配してる?)時期がありました。このような商業ネットの登場と初期CNsの間にはどのような関係がありましたか。企業のCNに対するstance又はattitudeについて知りたいです。

・この掲示板では「ハッカー」という言葉を使うのに勇気がいります。(^^)日本の文脈の中でハッカー(又は専門的ユーザとも言いましょう)はCNの構築や発展にどのような役割をしていたのでしょうか。ハッカーという意識を持ちその行動規範などを自ら規定し、共有し、そしてコミュニティーとして活動したという例は存在したのでしょうか。(念のためですが、ハッカーという言葉にあまり反応しないでほしいです^^)またその人々は常に辺境に存在していたのでしょうか。それともある時点までは主役で、ある時点から辺境になってしまったということになるのでしょうか。

・日本では政府の補助金がなされる場合、どのようなプロセスで意思決定が決まるのでしょうか。アメリカのNFSのようにPeer-Review方式でしょうかそれとも日本式というのはあるのでしょうか。初期CN構築時にはどうだったのでしょうか。

以上、今疑問に思ってることをざっと羅列してみました。まとまらなかったところもあったり、文法に間違いがあるところもありますが(私は日本語がねnativeではありませんので…)、皆さんの暖かい・そして積極的な反応を期待します。それではよろしくお願いします。

John

PS:もし掲示板に書くのが何でしたら、私個人に、メールして頂いてもかまいません。メールアドレスは john425@hotmail.comです。



Id: #e20020215142205  (reply, thread)
Date: Fri Feb 15 14:22:05 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020215111012
Name: かも ひろやす
Subject: Re: 本物のハッカーって、日本に居たのでしょうか?

「いま、いるか?」ではなくて、「かつて、いたか?」ですね。 島内剛一、和田英一、竹内郁雄、… (敬称略)
Id: #e20020215132517  (reply, thread)
Date: Fri Feb 15 13:25:17 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020215115955
Name: 海法 紀光
Subject: 素早い!

てなことをメールで書いて先方に送ったら、一時間しないうちに返事が来まして、記事のほうに反映されました。
素早い対応に感謝しつつ、こちらにも報告させていただきます。
Id: #e20020215115955  (reply, thread)
Date: Fri Feb 15 11:59:55 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020215111012
Name: 海法 紀光
Subject: ハッカー倫理?

 下のZDNETのハッカーはそのへんにいる普通の人で、
それに(ハッカーはウイルス作者とは違い),より広い範囲の,より大きなシステムへの侵入を試みようとします。
()内は、海法の補足

 ……なる一文があったのかと思って、なんじゃこりゃと思い、元記事の原文にあたってみました。

 原文は、以下の通り。
They're into bigger systems in the bigger picture.
(試訳)ハッカーたちは、もっと大きな枠組みを持って、その中で行動しています。

 念のため、書いておくと、元記事でも、別に「善玉ハッカーvs悪玉クラッカー」みたいな分類があるわけじゃなく、中立的に捉えているようです(あとのほうの質問では、ズバリ「なぜハッカーは、他人のシステムに侵入して知的財産を奪うのですか?」なんて質問も出てきてます)。

 ただまぁ、とにかくこの部分の訳は困ったものです。
Id: #e20020215111012  (reply, thread)
Date: Fri Feb 15 11:10:12 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020213161317
Name: たかつか
Subject: ハッカー

ハッカーに関して議論できるだけの力は無いのですが、最近のZDNNのニュース
から関連した記事を示します。(ここで議論されている様な高尚な内容とは
違いますが)

ハッカーはそのへんにいる普通の人(1)

スクリプトキディに愛の手を

「世話好き」ハッカー,再び登場

本物のハッカーって、日本に居たのでしょうか?

Id: #e20020213161317  (reply, thread)
Date: Wed Feb 13 16:13:17 2002
In-Reply-To: e0014.html#e20020211124355
Name: たかつか
Subject: 知的ってなんでしょうか?

金属メーカの技術者の高塚です。
ハッカーの議論はできないけど、ちょっと気になる部分があったので(^_^;)


>単調でつまらない仕事は総て機械に置き換えることが可能か?
>日米欧など一部先進諸国のサービス産業のかなりの部分でこれは実現可能
>かと思います。


ここ間違っていませんか?普通サービス業務(単純でも)は機械に置き換え
難いと思います。

 しかし、製造業ではどうだろうか。
<中略>
 記事によるとその場合、ロボットやライン方式での生産よりは、職工型の
技術力の高い労働者による個別の生産のほうが効率が上がるということでした。
特にロボットは初期投資が大きいけれど生産現場での小回りが効きにくいがゆえ
に、顧客の細かな要請に応じた製品造りというこれからの製造業の中心的な課題
には対応しにくいのだとか。


記事は組立業に関してですよね、組立は製造業の中でサービスに近いと思いま
す。部品や素材はどうでしょうか?統一規格、大量生産へ向かっていませんか?
製品の段階、相手によって生産手段は当然変わります。

> では従来型の単純な工場労働についてはどうだろうか。
> これは目下の生産現場を見れば明らかです。人件費の安い国に工場を移転
>して、その国の人々を安い賃金でこき使ったほうがやっぱり有利なのでしょう。


単純な工場労働をどう捉えているのか分かりませんが、検査工程など労働集約
的な工程があれば海外へ出かける必要がありますが、そうでなければメリット
はあるの?

建設費や電力使用量、水、公害の規制等々、人件費以外での海外移転の要因は
あると思います。アルミ精錬等は電気代だけの要因で日本では出来ない。

稲葉さんや刈谷さんの意見と大森さんの意見は似て非なるものがある様な
気がしますが。


> 以上の記述は、地方で零細建築業を営む僕にとって、以前から実感とし
>て感じていたことではありました。
<中略>
> 到底知的とはいえない<中略>彼らの労働力は当
>然低廉です。地元の出身なのでその一点での信用もある。また彼らは現状を
>追認する傾向が強いので、雇用調整にも柔軟な労働資源として経営者から
>見ればとても使い勝手のよい対象なのです。
> しかも、ではもう少し稼ぎたいからそのための学習機会が欲しいとかそ
>のような意欲も彼らにはありません。


何となくですが、「知的」とか「文化的」と言ったものに対する価値観が
ずれている様に思います。個人企業の経営者であれば良いのかもしれませ
んが、大きな企業の経営者ならば非常に問題とされると思います。

個人的な経験で言えば、「知的」というのを「自分で論理的に考えられる」
とした場合、一流大学を出て学位を持っていても教科書的内容から少し
ずれるとお手上げの人もいれば、高卒でも「自分で考えてものを作れる」
人もいます。「自分で考えてものを作れる」のは知的だと思いますが、
それは今の学校教育の成果として出て来ない様な気がします。


> おそらく先進諸国においてこの種の階層分化は今後より顕著になって
>いくでしょう。



先進国って米国の事を指しているのでしょうか?
欧州は昔から階層はありますよね。
言われたいのは、人材の登用システムや教育システム(成り上がりシス
テム?)が機能していないと言う意味ですか?

でもって、「ハッカー」なんですが、自他共認める「ハッカー」と
「ハッカーを自認する人」と「ハッカーになりたい人」を区別して
考えた方が良いのではありませんか?

「ハッカー」はアカデミズムに関係しているとは思いますが、コンピュータ
に関する分野が学問と認知されていない時代に、「専門の学問分野」は
さておいてコンピュータ、ネットワークに滅茶苦茶詳しい人間、居ると
便利ではあるが、彼らが自己主張をすると嫌がられる人達 の様なイメージ
を持っていました(無論学問的にも優れた人も居たのでしょうが)。




Id: #e20020213081136  (reply, thread)
Date: Wed Feb 13 08:11:36 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020212184737
Name: 大森 啓
Subject: とりあえず

 前の崎山さんの投稿を読んで憶測で感じていたことが、かもさんの具体的な説明によってようやくわかりました。

 とりあえず、僕は半可通どころか確かに現状に対する認識が致命的に欠けている。
 さらに、その点を踏まなければあまり生産的な議論にはなりそうもないことも。

 今はこの程度しか返答できません。

 やまがたさん、もし言われるようであるならば僕の側の大きなミスですね。
 どこをどう読み間違えたのか、いずれはっきりさせます。

 
Id: #e20020212184737  (reply, thread)
Date: Tue Feb 12 18:47:37 2002
In-Reply-To: e0014.html#e20020209155941
Name: かも ひろやす
Subject: Re: 何で感情的になるかなあ?

崎山さんのと重なるけど。

そんなことしてもハッカー倫理を他人に広められないぞという主旨の非難が、そもそも、ずれている。ハッカーはハッカー倫理なるものを広めようなんて思ってないの。というより、そんなこと思う余裕はないの。どうやって生き延びるかが目の前の問題なんだから。

実際、「ハッカー倫理」がどうのこうのと論じている人って、本人はハッカーでない例が多数でしょ。Pekka Himanen もそうだし、白田秀彰もそう。それこそ、当事者でないことの余裕なのよ。

もちろん、ハッカー論者がハッカーでないことには、何の問題もない。植物学者が植物でなくても問題ないのと同じ。念のため。


Id: #e20020212163911  (reply, thread)
Date: Tue Feb 12 16:39:11 2002
In-Reply-To: e0015.html#e20020212010113
Name: かも ひろやす
Subject: ハッカー文化

私が世界から切離されている間に、いろいろと進展(?)があったようで。

ハッカー文化は、アカデミアの辺境文化であり、脆弱なニッチを生息域とする文化です。今まで生き延びてきたのは幸運に恵まれただけです。そのあたりの現状認識が、大森さんには致命的に欠けています。

かつては、自由に計算機を使える環境そのものが、アカデミアの辺境にしかありませんでした。具体的には、ボスがうるさいことを言わない大学の研究室とか、儲かっている企業の基礎研究所とかです。いずれにしても、上の方針変更で簡単にふっとぶ環境です。当時、多くのハッカーは学生でしたが、学生は長く続けることはできません。アカデミアにポジションを得ることのできなければ、卒業または退学とともに、ハッカーを続けることはできなくなっていたのです。

パーソナルコンピュータの出現で、やっと、アカデミアから離れてハッカーが生き延びる環境が整いました。しかし、今でも、大部分のハッカーはアカデミアで生まれています。ハッカー文化がアカデミアに依存している状況は変わりません。ハッカーになるために必要な技能を習得する場が、アカデミアに偏在しているからです。もちろん、(本を講読することのできる環境にいる人なら)誰でも、大学の教科書を読んで独学することはできます。しかし、ある特定の技能を習得するためにどの本を読めばよいかの情報がなくては、それは事実上不可能です。つまり、高校生が「コンパイラを作ってみたい」と思っても、「ではドラゴンブックを読みたまえ」と言ってくれる人がいないとどうしようもないということです。

なお、以上の議論には、「アカデミア」の定義を曖昧にしている弱点がありますので、受け売りには注意してください。念のため。


Id: #e20020212133407  (reply, thread)
Date: Tue Feb 12 13:34:07 2002
Name: 時田
Subject: ショアーのDVD

Claude Lanzmann監督のShoahのDVDが全国の高校に配付。むろん日本ではなくフランスで。http://www.lemonde.fr/article/0,5987,3264--262283-,00.html
LionIIIで偏向民族教育をしてた教員に文部省が調査委員会。藤岡の子分が調査官になるのとは。
フランスの現代史ではPierre Noraが雑誌Le Debat http://www.ac-toulouse.fr/philosophie/revgen/ledebat.htm を出してもう20年になるが、ようやく日本で大学教員レベルに知られ始めた程度か??
Id: #e20020212010113  (reply, thread)
Date: Tue Feb 12 01:01:13 2002
In-Reply-To: e0014.html#e20020211124355
Name: 崎山伸夫
Subject: うーん、半可通な感じが...

国際的な格差、あるいは国内の格差の話をもってきて、 (生き方としての)「ハッカー倫理」「ハッカー精神」の存在価値を 否定的にとらえる、というのはディベートとしても良質とはいえない、 というか、ためにする議論ですね。 そういうスタンスをとるなら、「ハッカー倫理」のみならず、 知的な営為の多くが「説得的でない」でしょうね。 あなたはそういうふうにひたすらネガティブな話をしたいんでしょうか?

白田さんの「グリゴリの捕縛 あるいは 情報時代の憲法について」を 読んでいるのであれば、 さらにやはり白田さんの 「ハッカー倫理と情報公開・プライバシー 」を 読んでほしい。 そもそも、なぜ「ハッカー倫理」「ハッカー精神」を肯定的に評価し、 持ち上げる必要がでてくるかといえば、それは、 「とてもすばらしいからみんながそうなろう」という話ではないのです。 どちらかといえば、 「おまえら邪魔だからやめろ。死ね」と言われているので、 「ハッカー」に公共的価値が存在することを主張し、生存権を主張しているのですよ。

そして、そのような「公共的価値」の話になれば、 大森さんのおっしゃるような「格差」の話にしても、 「ハッカー的価値」も重要性がでてきます。

セコいけどわかりやすい話から。 通常のコンピュータって、何が一番高いと思いますか? ソフトウェアなんですよ。 日本国内での話だって、 一番安いクラスのデスクトップPCに Windows に Microsoft Office(のフルセット)、これの半分はソフト代になるでしょう。 サーバにぶら下げる形になれば Windowsのサーバと、クライアントライセンス代、 ここですでに非常に高い買物になってきています。 これを Linuxなり *BSD なりの上にフリーソフトで組む。 これならハードウェア代だけですみます。 中古PCを配る場合、使用していたソフトのライセンスまで 譲渡可能とはいえない場合が多いので、ハッカーがつくってきた フリーソフトを利用するほうが、同じ金額ではるかに大勢に対して 援助を行うことが可能になります。 サポートできる人がいないと厳しいとして、 それこそ海外援助NGOがそういう人材を派遣できる体制をとれればいいわけ。 それで、「PCどころか電気がないところがいっぱいあるぞ」ってことなんだけど、 電気がきていてもPCがない、PCの援助が必要、なんてところはいくらでもあるわけだから、 全ての問題が解決するわけじゃないけど一部の問題への対応になっているから それでいいんです。 電気が通ってないところにはその援助が必要だろうし、 また電気が通ったら通ったで、一人一台は無理にしても共用の1台を設置して 通信できますとか 事務処理用に集落に1つあったほうが、といった需要はありうるわけだ。 通信用で思い出したけど、アフリカにはUUCPサイトってわりと多いんです。 常時つながってる必要はないし、 蓄積転送だから共用通信設備として 電話を用意して声でやるよりはるかに効率的だし。 Internet Society(ISOC)なんかは 非常に熱心に開発途上国むけの教育をやっていて、 INETのパネル展示なんかだと、 現地の小学校(砂漠のなかの堀立小屋みたいなの)にアンテナたてて 無線でメール送れます、みたいなのを かなり本気でやっているのを見ることができた。

で、セコくない話ですが、白田さんが書いているように、 単に「創造性」だけの問題じゃないんです。 オープンであること、というのが重要な価値としてあるんですよ。 そのことが、社会を開かれたものにし、 格差を乗り越える可能性を増やす方向に働くということですね。 もちろん、オープンだったら格差がなくなるなんてことはないです。 が、コードというコードが知的「財産」として閉ざされたものになった場合、 現状の格差は固定化します。 「ハッカー」にたいして 「おまえら邪魔だから死ね」というようなノリの方々の多くが、 まさに社会が開かれたものとなることを望まず、 知的「財産」権による富の集約を積極肯定する人達だ、 ということはおさえておくべきでしょう。 なお、日本においては、「おまえら邪魔だから死ね」という人達の「声」は、 とても大きいですね。

あと、「ハッカー倫理」と「ハッカーっぽい倫理」のことですが、 やはり、そこには重要な差があります。 すくなくとも、ハッカー倫理と同列に並べられるものはかなり限定されます。その限定のひとつが白田さんのあげる

その行動や発想の基礎に、コンピュータやネットワーク運用に用いられる概念枠が存在しているかどうかということになる

ということになるし、また別の、より一般化した考えでいえば、 "Code is Law, Architecture is Politics" への自覚、とでも いったもの、というところでしょう。 多くのコンピュータプログラムは Control のために書かれるし、 その Control は人間の行動へも直接影響を及ぼし、 あるいは決定づけるわけです。 コンピュータ関連について以外では 建築家に関して同様の感覚を求めることができると思いますが、 たとえばあらゆる科学者・工学者というと広げすぎになります。 (科学者倫理、という場合は、より間接的な影響への配慮も含まれる)。


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管理者: 黒木 玄  <kuroki@math.tohoku.ac.jp>  (Web Site)
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