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黒木さんが最近、経済学/経済に興味をもっていることを知りました。2チャンネルの「インフレターゲット支持こそ経済学の本流 その8」という掲示板の参考HPで知りました。
この掲示板、たぶん、書き込むのは始めてです。黒木さんご自身には以前、メールを際上げたことがあり、ご存じかとおもいますが、一般読者向けに自己紹介が必要なようなので、一応、自己紹介させてください。くわしくは、ウェブサイト(http://www.shiozawa.net/)見てください。
数学出身で、いまは経済学をやっています。複雑系経済学の旗振りの一人です。「複雑系」という言葉の悪用に一定の責任があると考えています。「複雑系」をおまじないのように用いることには反対しています。ソーカル事件に関していえば、わたしは完全にソーカル&ワインバーグ派です。この関連では、『数学のたのしみ』第30号に「数学とオカルトのあいだ」という文章を書きました。これも、わたしのウェブサイトで見られます。
(http://www.shiozawa.net/ => 論文 => 数学のたのしみ)
さて、本論ですが、野口旭さんの論調は、権威の確立した経済学理論以外のものは知識にあらずというものですが、経済のような複雑な体系を理解しようとするとき、もうすこし世俗の知恵というものからも学びとる姿勢が必要ではないでしょうか。権威の確立したといわれる主流の経済学が多くの問題点を内包していることが、わたしが経済学において「複雑さ」の問題に真剣に取り組まざるを得なくなった一番の理由です。
野口旭さんは、最近、インフレターゲット論をもう一度取り上げて、その実施を要求しています(『エコノミスト』)。この掲示板でも、関連の記事が散見します。ところで、インフレターゲット論の人たちは、デフレの悪を盛んにいうのですが、インフレの悪について、どのくらい理解しているのでしょう。アメリカで作られた経済学の教科書をみますと、その第一に「靴底効果」なんていうものが出てくるので、あきれ返ります。頻々に銀行にいくようになり、靴底が減るというのです。これが100番目ぐらいの理由ならまだしも、これを第1の理由に挙げて恥じない経済学者がいるのです。黒木さん、みなさん、どうお考えですか。
「日本はインフレ目標の設定を=デフレ対策の一環で−次期FRB理事」 (時事通信 2002.7.23 09:03) によれば、バーナンキ次期米連邦準備制度理事会 (FRB) 理事が7月30日の上院銀行委員会での指名承認公聴会で「日本は1〜2%のインフレ目標を設定すべきだ。日本にその意思と欲求があれば、実現は可能だ」「日銀には金融政策が非常に拙劣だと忠告してきた」と述べたようです。
『週刊エコノミスト』2002/6/4特大号の11頁で高橋洋一氏が「日銀の金融政策の透明性は十分だ。議事録を読んで、一人の委員の意見を除いて、他はジャンクであることがわかった」とバーナンケ教授が述べていたという話を紹介しているのを見て、高橋氏の口の悪さに驚いたのですが、本当に口が悪いのはバーナンケ教授御本人の方だったようですね。高橋氏は事実を誇張して紹介してなさそうだということが、これでよくわかった。公式の席での発言で「非常に拙劣だと忠告してきた」とはすごい!
日本におけるリフレ政策の必要性について、海外からは追い風が吹きまくっているのは明らかなのですが、問題なのは日本国内の専門家の動向の方なんだよね。
とりあえず、今回のJPEG特許がサブマリン特許に該当しないというのはあっているでしょうか?
1988年5月 米国特許商標庁は、カーマーカーとAT&Tから出されていた3件の特許申請を認める決定を下した。特許の内容は実質的に線形計画法のあるアルゴリズムであった。
しかし、ロシアのディキンが1967年にカーマーカーのアルゴリズムの変形版をすでに発表しており、カーマーカーにはそもそも新規性自体が無かったという事実が1988年2月には判明していた。
1989年 AT&Tはカーマーカーとそのグループが開発したソフトウェア KORBX を1セット890万ドルで発売した。当時の為替レートで約11億円!
1989年夏 セールス活動のために今野浩氏の研究室を訪れたベル研究所の関係者は発売以来数ヶ月で11セットも売れたと述べた。
そのとき、今野氏はベル研の販売組織 ADSS の責任者に、内点法を用いている自前で作成した線形計画法のプログラムで大学の授業のクラス編成問題を解いたらどういうことになるか、について尋ねた。それに対する AT&T 側の回答は、「たとえ営利目的でなくても、大学の業務であるクラス編成に利用する場合には、もちろんあなたと東京工業大学を特許侵害で訴える」というものであった。そしてカーマーカー法に限らず、制約領域の内部を通るものならどんなものであれ、特許侵害と認定すると言い切った。つまり内点法を使いたければ、 890万ドルの KORBX を買うか、 AT&T とライセンス契約を結ばなければいけない (今野浩著『カーマーカー特許とソフトウェア――数学は特許になるか』中公新書1278、 p.65)。
このことから、 AT&T 側は特許は「装置」ではなくアルゴリズムに適用されると考えていることがわかる。しかも、適用されるアルゴリズムの範囲はできる限り広く解釈される。
1990年10月 大学教授3人+秘書で構成されるベンチャー企業のXMP社がソフトウェア OB1 を5万ドルという常識的な価格で発売する。 OB1 という名は悪の帝国に立ち向かったとあるジュダイの騎士にちなんで付けられたらしい。 OB1 は悪の帝国に立ち向かうソフトなのだ。
OB1 が採用したアルゴリズムは古くから知られているアルゴリズムを組み合わせたものであり、カーマーカー特許とは異なるものだと考えられるのだが、 AT&T の側は、内点法を使っていればすべて特許侵害とみなすという方針に基いて、 XMP 社に警告を行なった。 XMP 社のような零細企業が AT&T と裁判で対決するのは得策ではないので、結局売り上げの5%を支払うことになった。
実は OB1 の方が KORBX よりも使い勝手も良く計算も速かったので、結局 KORBX は競争に負けてしまうことになる。 5万ドルでより良いソフトを買えるのに、 890万ドルもする KORBX が売れるはずがない。 KORBX が実際に売れたのは2社だけだったらしい。
1991年2月 日本特許庁は AT&T による「効率的資源割当てのための方法および装置」 (特願昭和61年50165号) の特許請求を拒絶した。拒絶理由は「本願発明の手法もまた純粋に数学である」という判断である。「当該発明は形式的にはデジタル・プロセッサという装置を規定しているが、その実態はデジタル・プロセッサにおけるプログラムであり、デジタル・プロセッサの利用形態、即ち、計算手法そのものであることは明らかである」 (「拒絶審査理由」の一部を上掲書 p.110 から孫引き)。
ここで「フリーマン・ウォルター・アーベレの原則」について説明しよう。
アルゴリズムのような数学そのものが特許にならないのは世界共通の原則である。いや、より正確にはそうであったが、今は実質的にそうではない。
そのような事態を招いてしまった理由を理解するためには、「数学的アルゴリズムといえども、それがコンピュータがある物理的状態を他の物理的状態に変換するための装置、またはプロセスの一部として用いられているときは、特許対象となる」という「フリーマン・ウォルター・アーベレの原則」が基本的に日本の特許審査基準にも引き継がれていることを理解しておかなければいけない。
問題はこの原則がおそろしく曖昧なことだ。この原則の適用はアルゴリズムそのものの特許を可能にしてしまう。実際、カーマーカー特許もこの原則を適用することによって誕生してしまったのだ。
しかし、 1991年2月にはカーマーカー特許を日本の特許庁は拒絶していた。その判断は妥当なものであった。それを見て、日本の関係者たちは安心していたのだが、なんとそれが引っくり返ってしまうのだ。「なんでも特許」への扉がついに開かれたのである。
1993年9月6日 日本特許庁はカーマーカーと AT&T から出されていた「最適資源割当て方法」に関する特許申請を「公告」した。当時はまだ、公告後3ヶ月以内であれば異義申立てができた。異義申立てがない場合は自動的に特許が成立することになる。 (ウルグアイ・ラウンドの交渉の過程で、特許異義申立ては、米国同様、特許成立後にまわされることになった。成立後の異義申立てと成立前のそれではやり易さが全然違う。)
AT&T 側は、米国最高裁が数学アルゴリズムを特許認定した事例があることを取り上げ、この発明が「物理システムを構成あるいは動作させるために、現実に使用されるべき最適値をリアル・タイムで提供することにある」という理由で特許になりうると主張し、それを特許庁が認めたということらしい(上掲書 p.157)。
重要な点は、特許庁は、「純粋に数学である」という妥当な判断によって拒絶していたのに、それを引っくり返してしまったことである。
そして、 AT&T 側は最適資源配分へのアルゴリズムの応用のすべてが特許の適用範囲であると主張している。すなわち、線形計画法の広範な応用分野に対する権利を AT&T は主張していることになる。
その後、今野氏らのグループを含めて7件の異義申立てが提出された。その後の経緯については『特許ビジネスはどこへ行くのか』の第3章が詳しい。
1996年12月28日 今野氏らの異義申立てが拒絶された。今野氏らの異義の4番目と5番目はそれぞれ「技術の開示が不十分であること、また適用の範囲が漠然としていること」および「これは数学アルゴリズムそのものに対する申請であり、自然法則を用いた技術思想、すなわち「発明」とはいえないこと」を主張していたが、特許庁の側はそれらの点には一切触れることなく異義申立てを拒絶したのである。他にもディキンの件があるので新規性もないことなども指摘していたが全く効果が無かった。
1997年2月 今野氏らのグループだけはさらに特許無効審判を要求することになった。
1998年12月21日 その審決。結果は当時の特許権の保有者であるルーセント・テクノロジー社の主張を100%受け入れるものであった (この時点で、ベル研はAT&Tから分離独立したルーセント・テクノロジー社に特許権を売却していた)。これで今野氏らと特許庁との闘いは終了した。次は裁判所を通じての争いである。
1999年4月 審決取消訴訟の審理開始。
1999年10月 2回目の審理。
結局、その後、 5回にわたる審理の過程で、ルーセントの側は一言も発しなかった。ルーセントの側は、 2001年10月に予定されている特許料 (特許維持費) の払いこみを行わずに、カーマーカー特許を失効させるから、裁判を終わりにしようと提案した。しかし、今野氏の側はそれを拒否。ルーセント側の提案を受け入れると、カーマーカー特許に特許性があったことを認めてしまうことになる。
2001年5月 最終審理。
2002年1月 まだ判決は出ていない。
最近の風潮は「数学の定理は自然法則である」になっていて、それを暗号方式が特許の対象となる根拠としている人が多いようです。というのは「どこで」多いんでしょう?数学?それとも法律関係?カーマーカー 特許に関する審決 (1999年というのが最近かどうか、、、)は
「カーマーカーの発明は、線形計画法に沿った数学的表現が用いられているも のの、その主題は「産業上又は技術上の資源」すなわち電話伝送設備、配合・ 混合される原料・製品のような産業・技術システムにおいて現実に存在し、物 理的変量として表現されうる複数の資源に対する最適割り当て問題に対処する という技術的課題の下、前記資源のモデル化された諸物理量に対し、メモリ及びデジタルプロセッサという物理的手段を用いて、資源の最適割り当てのための演算処理を 行うという手法を採用した構成とすることにより、進行中の産業・技術システムを 連続的に制御するのに十分な短時間で最適割り当て結果を得るという技術的効 果を奏することを十分に期待することができるという技術的思想にある。 発明の一部に純数学的な新しい解法を用いていても、発明が全体として自然法則を利用していれば、自然法則を利用したものというべきである。」というものなんだそうで、依然純数学的なものは特許ではないという感じみた いですので。
アルゴリズムでもハードに実装できるものは昔から特許になってるので、ソフトだと、あるいはアルゴリズム自体は特許にならないという議論は私にはどうも良くわからないのですが、、、
仮に、「数学の定理は自然法則である」を認めるとすると、アルゴリズムの発見は未知の自然現象の発見であり、それ自体は特許の対象とならず、特許の対象となるのは実装であるということになります。物質の製法は特許の対象となるが、そこで起きている化学反応は特許の対象とならないのと同じです。一方、「数学の定理は自然法則である」を認めなければ、アルゴリズムは自然法則を利用していないことになり、特許の対象となりません。ゲームのルールが特許の対象とならないことと同じです。
というわけで、「数学の定理は自然法則である」を認めても認めなくても、アルゴリズム特許は特許制度の基本原則である「特許の対象は自然法則の利用である」に反していることになると考えるのですが、いかがなものでしょう。
法曹界を含む多くの人にアルゴリズムとその実装の区別がついていないことが、特許法のこの解釈改悪の原因のひとつになっていると思います。そこで、われわれとしては、アルゴリズムとその実装の違いを説明して、「特許制度本来の姿に帰れ」と叫ぶのが、ひとつの戦略かなと思っています。
今回のJPEG特許は、ちゃんと出願はしていたのですから、サブマリン特許には該当しません。
サブマリン特許というのは、要は、先発明主義の悪用ですから、先願主義を厳格に運用すれば防げることです。米国の特許制度のバグです。
「本当に新規で優れたアイデアであれば特許が認められても良い」という考え方は誤りだと思います。それなら、科学的に素晴しい新規のアイデアは全て特許にして構わないということになる。
特許制度が適用されてしまうと、 15〜20年間のあいだ他人はそのアイデアを自由に利用できなくなってしまう。特許制度のこの特徴は技術革新の阻害要因になります。だから、特許制度を適用して良いと言えるためには、発明が金銭的に報われることによって技術革新への投資が促進されるメリットと技術情報が公開されるメリットが、 15〜20年間のあいだそのアイデアが自由に利用できなくなるデメリットを上回ることが前もってわかってなければいけない。さらに、「なんでも特許」的風潮は、技術革新を阻害しそうなくだらない法的争いが頻発するデメリットも考慮しなければいけない。
能力のある人であればちょっとしたコストで思い付くようなアイデアであれば別に特許制度で保護しなくても良い。しかし、そのアイデアの実装に膨大なコストがかかる場合には実装結果を何らかの制度で保護した方が良い。なぜならば、もしも保護しなければ誰も開発にコストを割こうとしなくなる恐れがあるからです。しかし、適用するべき制度が特許なのかどうかについてはまた別の議論が必要になる。
たとえば、アルゴリズム特許は悪い制度だが、ソフトウェアの違法コピーは規制されるべきである (ここでは世間の常識に合わせてリチャード・ストールマンのように過激なことは言わない)。
アルゴリズムの研究にかかるコストは小さく、実際研究が進む速度も速い。誰かがちょっとしたアイデアを思い付いてそれを発表すると、あっというまに他の人たちによって改良される。 15〜20年というしばりはアルゴリズム研究の発展に致命的な害を与える可能性がある。
一方、キーになるアルゴリズムがすでにわかっていても、それを売りものになるレベルで実装するためには相当に大きなコストがかかる。だから、そのコストを誰かがすすんで負担する気になるように何らかの保護が必要になる。 (しかし、個人的にはソフトウェアの保護を特許制度でやるべきだとは思えない。)
ところが現実には、アルゴリズム特許が認められてしまったわけです。そして、それが引き金になって「なんでも特許」という風潮がなしくずし的に進んでしまった。 (cf. 今野浩著『特許ビジネスはどこへ行くのか』)
残念ながら、「なんでも特許」という風潮を認めてしまった我々の社会はすでに大きな誤りを犯していると思います。
JPEG 特許に関して問題なのはむしろ,特許に引っ掛かっている事を(多分)承知の上で広く普及するまで黙っているという,いわゆるサブマリン特許が許されてしまうとこじゃないですか?
それとは別に「なんでも特許」って風潮は問題だと思いますが。ただ本当に新規で優れたアイデアであれば,「苦労して」なくても特許が認められても良いような気がする。
中村正三郎の乳の詫び状2002/07/25で知った話:
突如動き出した「JPEG特許」の大きな波紋
最近の「特許ビジネス」は「苦労して開発した技術で利益を得る」という真っ当な考え方から完全に離れていて「開発にも寄与せずに楽して手に入れたものを使って卑怯なやり方で利益を得ようとする」ことになってしまっているんだよね。
技術開発を支援する制度として特許は大事だと思いますが、「なんでも特許」という風潮がバランスを完全に崩してしまった。
師匠のために宣伝を 薮下史郎『非対称情報の経済学―スティグリッツと新しい経済学』光文社新書 です。 読みやすいです。それと非効率的なナッシュ均衡として日本のいまの財政金融 政策のあり方を考えており、「全部やれ」的発言はstiglitzと同じスタンスだと 思います。
www.worldbank.org/wbi/B-SPAN/sub_stiglitz.htm なんとStiglitz vs. Rogoffを映像と音声で聞くことができます。
1年数ヶ月前に書かれたものですが、「脱ダム宣言」が最近また話題になっているようなので紹介。
中西準子、「田中知事の脱ダム宣言」、雑感(その123 -2001.3.20)。
この中で中西は「大事なことは、脱ダム宣言ではなく、それ以外の方策が可能だということを示すことだ」「もちろん、ダム建設の後ろに、国土交通省の権益や、ゼネコンや、政治家がいるだろう。しかし、戦後民主主義の50〜60年の間に、それは、住民を交えた集団になっている。その難しさが、田中知事には見えないんだなという気がする」と述べている。ダム建設の背後にいる「国土交通省の権益や、ゼネコンや、政治家」に対する世間の反感だけを根拠に何とかしようとするのは賢いやり方ではないということだ。
田中康夫氏は今回の機会をどのように利用するのでしょうかね?
中西準子については「YNU(横浜国立大学広報)第2号インタビュー(2000.10.18)」が非常に面白いです。「小学校の5、6年ころから経済学の本を読み出し」、「中学のときに、東大の大学院生が開いていたゼミに出て」、「高等学校は社研、社会科学研究部」、しかし理系に転身して「横浜国大の工学部化学工業科」に進学。
環境リスク論入門としては「可塑剤工業会の平稔彦によるインタビュー」が非常に良いと思う。
今年の3月まで日銀審議委員だった中原伸之氏の講演と記者会見の記録:
ゆっくり寝転んで読みたい人は、中原伸之著『デフレ下の日本経済と金融政策――中原伸之・日銀審議委員講演録』、東洋経済新報社、 2002.3.31 を手に入れれば良い。 (ただし、上のリンク先の内容がそのまま本にまとめられたのではないことに注意。)
中原伸之氏の講演と記者会見の中には、ここ数年の日銀の金融政策の流れがコンパクトにまとめられており、日銀によるゼロ金利解除に対する内部からの批判、量的緩和の考え方、インフレーション・ターゲティングや物価水準目標の考え方などなどがわかり易く解説されている。時事的な事柄だけではなく、日本の金融政策に関する基本知識の解説も含まれているので、生きた金融政策入門として読むことも可能だと思う。
日銀の金融政策のページで中原伸之氏が審議委員をしているあいだの政策委員会・金融政策決定会合の結果を読むと、具体的に誰がそう言ったかは記されてないが、一人の委員が現在の日本経済にとって必要なレベルの金融緩和を目指して孤独な闘いを挑んでいたことがわかる。もちろん、その一人の委員は中原伸之氏である。
『週刊エコノミスト』2002/6/4特大号の11頁で経済産業研究所客員研究員の高橋洋一氏は次のように述べている:
プリンストン大学は金融政策研究では世界の最先端にある。バーナンケ教授が提唱しているインフレ目標政策は神業的なグリーンスパンFRB議長の考え方とは必ずしも相いれない面もある。しかし、あえて意見の多様性を求める米国の風土には感心せざるをえない。一方、先日日本ではまっとうな意見を持っていた一人の日銀政策委員会委員が退任した。バーナンケ教授がいったことを思い出した。「日銀の金融政策の透明性は十分だ。議事録を読んで、一人の委員の意見を除いて、他はジャンクであることがわかった」
(高橋洋一、『週刊エコノミスト』2002/6/4特大号、11頁より、強調は引用者による)
貨幣は交換価値を内容とする商品であります。したがって貨幣の生産が過剰ならば 一般物価は上昇し、不足ならば一般物価が下落するはずです。貨幣の生産は今日、 私企業ではなく、各国の中央銀行が独占的に行ないます。金銀本位制の時代には 貨幣の原料を金山、銀山を経営し私企業が供給したが、法定貨幣には強制流通力 があり、金銀の純量で流通したのでないから、今日と同様の貨幣政策も存在した。 貨幣の散歩道(by 日本銀行) http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_sanpo.htm 百数十年の間に、金銀本位制→金本位制→名目金本位制→政府信用通貨本位制 と変遷したが、標準利子6%規則ができたという金本位制の時代を懐かしんでみる。 金本位制の功罪(by 永井俊哉氏) http://www.nice.st/lecture/0116.htm 「英国の場合、1873〜96年の年平均で小売物価下落率1.7%」というデフレーションは すさまじくはある。
お手紙の最初のエピソードは実にほほえましい。"But is he smart like US?" すげー。ぼくも言ってみたい。実は先日、このロゴフのお手紙とそっくりな書評がThe Economistに載りまして、それに対してスティグリッツ先生が反論のお手紙を書いています。こんど紹介 しますね。
記憶ではかれは、「おれはフィッシャーやサマーズをウォール街の走狗とは言ってはいない、単にそんな利害関係があったら公平な判断ができないと述べただけだ」とか書いていて、世間ではそれを走狗呼ばわりというのですよセンセー、という感じではありました。そういうレベルでない話が読みたいなあ。
"third rate" などと言ってしまうスティグリッツには大人げないところがあってなかなか面白いのですが、負けず劣らずロゴフもすごいですね。ロゴフからスティグリッツへのオープンレターはゲラゲラ笑いながら読むのが吉だと思う。 "The Stiglitz-Laffer theory" → "voodoo economics" という罵倒の仕方はちょっとすごいかも。
肝腎の点は大人気ない罵倒合戦の部分ではなく、「IMFが金融危機に陥った国にほとんど機械的に財政緊縮と金融引締を強いたのはひどい失敗だった」というスティグリッツの主張に関する部分だと思います。その点に関して、ロゴフの反論は具体性に欠けていて全然説得力がないと思う。
1998年頃のアジア金融危機のときに IMF に忠実で無かったところほど復旧がスムーズだったというのは事実ではないか? もしも、 IMF が最初から財政緊縮と金融引締の政策パッケージを機械的に押し付けてなかったら、経済危機に伴う苦痛は大幅に緩和されていたのではないか?
IMFは経済危機に陥った国に巨大な権力をふるうことができる立場にある。だから、 IMFのやり方は失敗ではなかったと主張したいならば、そのことを世界に向けてわかり易く説明する義務はIMFの側にある。
しかし、ロゴフのスティグリッツへの攻撃の仕方を見ると、スティグリッツの大人げない発言に単にぶち切れまくっただけという印象を受ける。まともな論争としての面白さよりも罵倒としての面白さの方が凌駕してしまっている。大爆笑してしまいました。ロゴフが話しかけるべきなのは、スティグリッツではなく、 IMF の被害に会ったと感じている人たちやこれから被害に会うかもしれないと恐れている人たちのはずである。
P.S. こんなに対立しているロゴフとスティグリッツなのですが、どちらも日本は金融政策によってデフレから脱出するべきだと主張している点は同じ。
ロゴフ曰く、「日本がデフレを脱却し、米国や欧州諸国のような低インフレの状態に移行するのが望ましい」、「日本のデフレ脱却には国債の買い切りオペをはじめ多くの手法が存在し、それは日銀の選択の問題だ」。
スティグリッツ曰く、「インフレ目標は興味深い考え方だ。……。例えば三%程度のインフレ率を目標にするのが良いのではないか」、「金融当局がいまだにインフレに対する警戒を解いてないことが驚きでもあり、いささか不満でもある。問題の焦点はデフレなのだから」。
住宅ローンが増えているのは、ここ数年続いている、時限措置のはずが やめられなくなっている住宅減税の効果がかなりでかいはずです。これの 駆け込み需要みたいなのは住宅業者にかなりのブーストになってますし。 もっとも、毎年「今年限り」と言いつつ延長されるので、そろそろ みんな「これは時限ではなく恒久っぽいゾ」とたかをくくるようになって きてかつてほどの効果はなくなってきているようですが。とはいえ ここでまた減税を解除したらどかっと落ち込むのは見えているし…… 政府も困っているはずです。
サプライサイド減税ネタをNacsisで検索していたら次のようなものが TITL : 対策2 二つのデフレの混在 必要なのはサプライサイド減税(<検証>恐慌回避とゼロ成長国家――恐慌回避策) AUTH : 竹中 平蔵 CITN : エコノミスト VOLN : 76(28) PAGE:41-42 YEAR:19980630 まあ、類したものはいろいろあるでしょう。今度の骨太の方針2で、だいたい悪夢 の政策オンパレードが終わり。本当に何かやる政策といったらこの減税での刺激策 しかないんでしょうね。 あ、あったか経済特区とかカジノ法案とか。どうでもいいけどねえ。 減税よりも財務省筋のSM路線からでてきた「公共事業費10%削減」という政策 リスクのほうが非常に心配です。
NY times 6/25 OP-EDの中に、正に、「経済の不振は、減税−短期的に微少な刺激にしかならない一方、2010年には巨額な財政負担を生む−を進める絶好の機会になった」という記述がありますね。
他にも、折に触れてブッシュ減税への攻撃が飛び出すので、「金持ちを甘やかす」減税には自然にアレルギーが...。
「景気回復の効果はありません、その分だけ財政赤字が増えたり、財政規模の縮小によって景気が悪化するかもしれません、それでも高額所得者からたくさんの税を取ることは好ましいことではないので減税します!」
というところに「真の動機」があるのではないか、という仮定にたつ場合、 まさにそうだからこそ「堂々としない」のではないでしょーか?
ジャーナリスティックにそういうことを斎藤貴男さんは書き続けているし、宮台さんが最近盛んに書いている「旧内務省的な利権」の「経済利権」に対する優越、というのも同様の文脈で考えられるし。「パイを大きくすること」ではなくて、「一部の人達だけが得をする」ことに最適化していく方向性というのは当然あるわけだし、分配の不平等に付随する問題を「セキュリティ」に転化して管理し、そこで動かせる「権力」を利権としていきたい人達も多いと。そういう「権力」を上記のリンク先で宮台さんは「情報管理行政」と書いてるわけだけど、そういう文脈では情報を適切に開示しないというのはもちろん権力行使のありかたのひとつであるわけで、防衛庁の個人情報リスト問題の報告書問題で自民党中枢がやったことは是非以前に間抜けなんだけど、もっとうまくやってるケースが大多数、という文脈で「堂々としない」のではないかと。
消費について。教科書的には「消費性向の低い高所得者から消費性向の高い低所得者への所得移転には消費増をうながし景気を安定させる効果がある」であってその逆ではありません。
労働供給について。高額所得者の所得減税によって、みなのやる気を刺激して、高額所得を目指す人を増やし、経済を活性化できるかというと、アメリカでの実証研究によればどうもそうじゃないらしい。 (八田達夫は、サーベイとして、国枝繁樹「サプライサイド減税再考」 (『国際税制研究』第3号、 1999、 103-125頁) を紹介している。自分で調べるつもりだったのですが暇が取れません。どなたか紹介して下さると、めちゃくちゃ助かります。こういう文献の紹介は公益にかなうことなので、誰かがやるべきだと思う。)
投資について。高額所得者の所得減税は投資の増加をうながすか? そもそもそんな事実はあるのか? デフレ不況は手もとにお金が余りまくっている人がたくさんいても、それが消費や投資に向かわない状態のことです。だから、高額所得者の手もとにさらにお金を余らせるだけで終わってしまうことでしょう。
その結果は、景気回復には何の効果もない減税によって、財政赤字を無意味に増やしたり、減税した分だけ財政規模を縮小させて景気悪化要因になるだけです。 (日本の総理大臣は、財政規模ではなく、新規国債発行枠の方で公約してしまってますからね。)
「景気回復の効果はありません、その分だけ財政赤字が増えたり、財政規模の縮小によって景気が悪化するかもしれません、それでも高額所得者からたくさんの税を取ることは好ましいことではないので減税します!」のように堂々と主張して、それが皆に受け入れられたのであれば良いのですが、実際には景気対策の名を借りた「どさくさまぎれ」ですよね。
リスクマネーの供給を増やしたいのであれば株主資本から得られる収益にかかる税 (法人税および配当とキャピタルゲインにかかる税) を減らし、危ないベンチャー企業に資金が流れ易くするためには貸付債権の証券化を行えば良いと思います。
でも、そういう類のことをやっても、「もうすぐデフレが終了する可能性はほぼゼロに等しい」と皆が感じている状況で投資が増えるとは思えない。
P.S. アメリカのブッシュ大統領がやった減税をクルーグマンは非難しまくってました。どこで読んだんだったかな?
ひとまず、景気と消費性向の関係について、良い資料がないか探してみます。
が、閑話休題:
先の発言に先立ち、本掲示板における黒木さんの「不安」に係る 発言を検索したところ、経済に関する不安の解消に係る発言が多いと思えた ため、「年金に対する不安」ひめたにしさんの問題意識とはズレた 発言となったかもしれません。
ただ、年金制度が現役世代の拠出を財源として引退世代の収入を 補うシステムである以上、持続的な年金制度を維持するためには、 現役世代の収入の安定を将来にわたって保証するため、持続的な 経済成長が前提となるはずです。
出生率低下による人口構成比の変化が長期的な不安要因となるのは 持続的な経済成長も持続的な年金制度も同じで、両者は表裏一体の 関係にあるのかと。
#同時に短期的な経済の悪化が長期化するならば、それは同時に 年金制度に対しても深刻な影響を与えることはお忘れなく。
そこで、政府が財源を確保して取り組むべきは...と考えますと、例えば 少子化の進行の抑制は、施策として(月並みではありますが)経済成長 /年金制度の持続性の確保に効果があると考えますがいかがでしょう?
ドイツのように年金制度自体に少子化抑制(育児休業期間も平均賃金に 基づく保険料を拠出したと同様に扱うなど)を組込む例もありますし。
また、企業部門が貯蓄余剰となる原因は投資に対するインセンティブ が働かないためであるのは間違いないでしょうが、それは名目利子率が ゼロ付近に張り付く一方、デフレ期待に起因する実質利子率の上昇が 原因だと考えます。百歩譲って税制が企業のインセンティブを歪めて いるとしても、それは法人税の問題であり、所得税との関係は はなはだ 疑問です。
なお、高額所得者への減税と起業へのインセンティブの関係を示す 資料がありましたら教えてください。私も所得階層別の消費性向に ついて、いい資料がないか探してみます。
あつしさん、こんにちは。 よく言われる「消費者が不安感を持っているため消費が落ち込んでいる」は俗 説だろうと思います。このグラフを見る限り http://www.boj.or.jp/wakaru/keiki/wsj.htm#chart3 このところ借金を返しまくっているのは企業であって、家計の貯蓄性向はほとん ど変化していません。 かえって勤労者世帯の住宅ローン残高は増えており、平成7年以降負債超過で す。 http://www.stat.go.jp/data/kakei/4-7.htm#4 ということは、住宅ローンを組む世帯と組まない世帯で、消費の二極分化が起 こったと考えられます。住宅ローンを組む世帯は比較的若い世帯と考えられます から、消費を減らしたのは比較的高齢の世帯ではないでしょうか。 ここの掲示板では「年金不安」が将来不安のかなり大きな部分を占めるという 私の主張が認められたことがありません。インターネットに親しむような世代に は、年金なんて遠い先のことかもしれませんけど、有権者全体がどんな年齢構成 になっているか無視しているように思えます。 平成12年の衆議院議員選挙での抽出調査では、こんな具合です。 (全国53,434投票区の中から標準的な投票率を示す投票区を各都道府県の市区町 村から原則として1投票区づつ、計157投票区について抽出) http://www.akaruisenkyo.or.jp/tohyo/t_03.html 電卓で足し算すればわかりますけど、有権者数を累積していけば、中央は50〜 54歳の階層です。最も人数が厚いのもこの年代で、ここより年長と年少が各半分 ずつ、しかも上側の方が投票率が高い、というのが日本の有権者構成です。イン フレターゲットのようなことをするなら、こういう有権者の反発を招かないよう にうまくやらなければなりません。 また、消費者の年齢構成もほとんどこうなっていると考えていいでしょう。 (20歳未満は、自分の裁量で消費できるお金はたいしてありませんから。)住宅 ローン残高が倍増した割に全体の貯蓄率が減っていないのは、単に高齢者の比率 が増えたという事実だけからでも、ある程度は説明できそうに思います。 また、年金不安がいつから始まったかを振り返ると、続に言う「1.57ショック」 が1990年6月(89年の人口動態統計で合計特殊出生率が1.57と発表)でした。少 なくとも時期的には景気の後退が始まった頃とよく一致することになります。 失業不安の解消には景気の回復が必要ですから、ニワトリとタマゴ関係にあり、 どうにもままならない状態です。それに対して、年金は政府の方針で(少なくと も分配方法は)何とかできる可能性が高いのではないかと思います。 インフレを誘導できた場合、国庫が潤うかどうか。もちろん景気回復で税収が 増えることを一番期待して実施するわけですが、仮に景気が変化しない場合でも、 物価上昇分は名目の税収が増え、予算規模に対する国債残高の比率が減ることに なるのではないでしょうか。 また、高額所得者の税率引き下げの目的は、消費増というよりは、起業家が成 功したら大きな報酬が得られる仕組みにして投資を促進することでしょう。最初 のグラフが示すとおり、企業が儲けることよりも借金返済に必死になるのは、投 資してもリスクに見合うだけ報われない環境だからでしょう。また、たくさんお 金を稼ぐ人はお金の使い方を知っている人ですから、貯金よりも投資に向ける比 率が普通の人に比べて高いのではないでしょうか。
ひめたにし様、はじめまして。 短期の課題としては、やはり勤労者全般の不安を取り除くことの プライオリティが高く、そのためにはやはり景気を回復させ、 雇用不安をなくす政策が重要と考えます。 そのための手段(マクロ経済政策)の一つとして提起されている のが「インフレ・ターゲティング」です。 インフレ・ターゲティング政策の国庫に対する影響は(紙幣増刷に よるシニョレジを別にすれば)直接的なものではなく、景気回復に よる税収増を考えなければならないかと。 ですから、「国庫が潤う」のはインフレ・ターゲティングにより 「不安が取り除かれた」結果であり、前提とはなりえません。 また、マクロ経済政策のもう一方(財政政策)の一つの手段である 減税(または「税制改革」)は、減税分がそのまま貯蓄にまわされ てしまっては意味がありません。低額所得者と高額所得者とを 比較した場合、減税により可処分所得が増えた場合、前者がより 多くの部分を消費に回す傾向が高い(「いっぱい稼いだ人」は、 どちらかと言えば「いっぱい貯金する人」になります。)ため、 政策の効果を考えれば高額所得者に対する税負担を重くすることは 決して不合理ではありません。 高額所得者に対する税率引き上げにたいするクレームとしては 「勤労者のインセンティブを削ぐ」というのをよく聞きますが、 現在の問題は労働に対する需要の低迷ですので、労働の供給側 に対する悪影響は、それほど重視する必要はないかと。 以上、素人考えかつ取りとめもないですが...。
お久しぶりです。 朝日新聞掲示板のほうの議論が終わらなくて、まだやってるんですが、黒木さ んが繰り返し言っておられた「皆の不安を取り除く政策」とはいったいどんなも のなんだろうと私なりに考えてみました。インフレ誘導が成功した場合、国庫が 潤う分を使って実施するのが理にかなっていそうに思います。 それから、高額所得者の税率引き下げを問題視する発言が以前出ていたと思い ますが、私は、いっぱい稼いだ人が直ちにいっぱい使う仕組みの方がいいと思い ます。税金は、稼いで使う人からでなく、貯金する人から取る仕組みが合理的で はないでしょうか。 http://board.asahi.com/nat/board/index.php?qid=498&cn=111
で、文明論的・歴史的なレトリックというのは、実際の政策形成でもあなどれない 力をもつようです。これはいま手元にないのですが、塩野谷祐一氏が『シュンペー ターの経済観』のあとがき?で書いていたと記憶しますが、政府の委員会などでも この手のレトリックがかなり有効に機能するとのことです。構造改革主義者の多く は政府の委員とかその周辺ですので、必然的に処世術の面でもこの手の技術を習熟 するのが、説得と信頼の効果としてきくのでしょう。 そしてそれを批判する側もそのレトリックを磨くか、あるいはレトリックを打ち破 る必要がでてくるのでしょうね。 ひさかたぶりに長く掲示板に書いたので疲れました。乱文ご容赦。
自分で書いときながら話題提供もしないのもなんですので、ちょっと一冊。あ、そ の前にときたさん推薦の地磁気逆転X年、ようやく手許にきました。高校生むけな んですね。ようやく大きい仕事が終わってのでここ数日はぼーっとしていますので そのうち読み終わると思います。 私がいま読んでいるのは、 武者小路公秀(編)川勝平太・カン尚中・榊原英資 『新しい「日本のかたち」』藤原書店 です。これは座談会と寄稿でなっていて、この面々だといかにも「構造改革 風味」なようですが、経済ネタ(あいかわらずアジア通貨圏的発言多し)を ぬかせば、結構読めます。一種の「法螺話」として。いや、これは嫌味ではなく よくできたエンターティナーという感じです。これを読んでいて思うことは榊 原氏も川勝氏も「構造改革風味」な話題を文明論的なあじつけで巧妙に話す ので、その論理性よりも言葉の力にひっぱられるということです。 これは「構造改革主義」を標榜する方々に結構共通するのですが、文明論・歴史 論的な修辞でせまりますので、読んでいるとついつい司馬遼太郎の小説でも読んで 胸が熱くなるときもあるように、「改革せねば!」とか思わせる催眠効果があるよ うです。私はこの手の文明論的な発想にはひたすら「乱神怪力」の類を感じて敬し て遠ざかるのですが、やはり構造改革主義をとことん考えるには、こんな文明論 ともつきあう必要があるんでしょうね。と、あまり問題提起ではないですが。
まあ、こういうノンビリ・ムードも悪くないでしょう。
私は本をストレス解消のために雑にぱぱぱと読んでしまうことが多いのですが、一番最近に読んだ本は、ラリー・E・スウェドロー著『ウォール街があなたに知られたくないこと――インデックス・ファンドに投資して真の富を築くには』 (堀篤監修、山内あゆ子翻訳、ソフトバンク・パブリッシング、 2002.5.25、 原書 2001)。まあ、チャールズ・エリス著『敗者のゲーム――なぜ資産運用に勝てないのか』 (鹿毛雄二訳、日本経済新聞社、 1999.4) などですでによく知られていることが書いてあるのですが。 (今の日本の現状でTOPIX連動のインデックス・ファンドの類はどれだけ流行るものかな?)
日本政府の「重点4分野」だけに重点的に研究投資するという方針は、将来なにがどうなるか予測できない科学研究への投資の仕方として正しいのかな? 投資先をうまく分散させておかないと今までと同様に「失敗した!」というのを繰り返すだけだと思うんだが。「あああ、値段が下がったから売り」「おおお、値段が上がったから買い」というのを繰り返しているだけのように思える。しかも、やり方があまりにも官僚的。
このあいだ、この掲示板をよく覗く編集者から「最近、くろき掲示板は静かです ね。ごきぶりの声がきこえませんね」といわれました。 で、私も最近チェックしてませんでしたが、常連の方々もお静かですね。やはり大 学の授業がたいへんなんでしょか?それともワールドカップ?
「がんばれ!!ゲイツ君」を読んで思い出した笑い話 (実話) を紹介。おそらく皆知っているとは思いますが、知らない人がいるかもしれないので。
ちょっとだけ (1, 2, 3)、 TRON について話題になったのですが、「がんばれ!!ゲイツ君」の「正義は何処へ(その1、その2、その3)」 (2001.12) にその2以降に TORN の話が出ていますね。例によって、通産省と国内利害関係者が組んで「日本独自仕様OSであるTRONの蔓延を水際でくい止めた」なんて話が出て来る。最近、「TRON、やっとお上に認められる」という話が slashdot.jp に出ていた。
結局、変な時間に目をさましてしまったので、ついさっき、今野浩著、『特許ビジネスはどこへ行くのか――IT社会の落とし穴』、岩波書店、 2002年6月6日をぱぱぱっと読んでしまいました。
これは非常に楽しめました。一般向けに書いた本なので数学的・技術的なことについてはほんのちょっとしか説明してないのですが、ツボを押さえた解説には大いに笑わせてもらいました。以下はその一端の紹介。
『特許ビジネスはどこへ行くのか――IT社会の落とし穴』は同著者による『カーマーカー特許とソフトウェア――数学は特許になるか』 (中公新書1278、 1995、この本も非常に面白いが品切らしい、古本を見付けたらゲットしておくべし、数学的・技術的な事柄の説明はこちらの方が詳しい) のその後について書かれた本です。
今野氏らは1993年大晦日の深夜に公告されたカーマーカー特許に対する異義申立て書類を投函しました。カーマーカー特許とは線型計画法に関するあるアルゴリズム特許のことである。アメリカではすでに成立していたアルゴリズム特許が日本に上陸することを阻止するために今野氏らは異義申立てを決意したのだ。問題はカーマーカー特許だけではなく、数学的結果やアルゴリズムに特許制度を適用することの是非というより一般的で影響が極めて大きな問題を含んでいた。その後の今野氏らの苦労については『カーマーカー特許とソフトウェア』に詳しく、『特許ビジネスはどこへ行くのか』の第3章にも解説がある。
その苦労が並大抵のものでなかったこと、論争自体が常識的にはばかばかしいものに過ぎなかったことを、今野氏はツボを押さえた筆致で解説している。
今野氏らは「自然法則を用いた発明とは言えない」という当時では常識に沿った異義申立てを行なうだけではなく、「そもそも AT&T によるカーマーカー法の特許は新規性自体がない」という専門的な異義申立てをしていた。その一部を AT&T 側は認めたのだが、今野氏らが主張する「アフィン変換法はディキン法と本質的に同一である」という異義申立てには真っ向から反対し、特許庁の側は1996年12月28日に AT&T 側の主張を認め、今野氏らの異義申立てを却下してしまった。 (注意:今野氏らの闘いはそれで終了したわけではない。今野氏らはその後審決取消訴訟に進んだ。その後の詳しい経緯については『特許ビジネスはどこへ行くのか』の第3章とあとがきを見よ。)
その説明に登場する75頁の表3.2を箇条書きに直すと以下のようになる。アルゴリズムの中にあらわれる方向ベクトル p の計算の仕方において、 AT&T の特許にはどのような“新規性”があったのか。
表3.2 ディキン法とカーマーカー法(AT&T)の差
- ディキン 方程式 A1A2x = b を解いて得られる x を p とする
- AT&T p = A2-1A1-1b とする
「要するに、 3x = y という式が、 x = 3-1y と書けるのと同様に、右枠の式は左枠の式を単に書き直しただけにすぎない」(75頁の表3.2の説明)。
「AT&T はこの間隙をついて、ディキン論文が記述していない誰でも分る部分について、自分たちの方法に新規性があると主張した」 (75頁より)。この部分については今野氏は読者が笑ってくれることを希望しているに違いない。このような馬鹿馬鹿しい論争に我慢し続けた今野氏らの忍耐力は敬服に値する。
あと、この掲示板の読者が興味を持っている通産省の「産業政策」 (うまく定義できないので鍵括弧付き) との関係に関しては以下に引用する逸話は面白いだろう:
かつてわれわれは、友人が経営するソフトウェア・ハウスと協力して、カーマーカーのアフィン変換法を上まわる性能をもつソフトウェアの作成を計画したことがあった。そしてこの開発費用の一部を、通産省の外部団体に申請したところ、約五〇〇〇万円の補助金交付が決定して大喜びしたものである。
ところが、その後間もなく、補助金交付がキャンセルされるという事件が起る。通産省の担当課長が、「米国のソフトウェアを上まわる性能のソフトウェアを目ざす」というわれわれの計画書を見て、「米国ですでに開発されたソフトウェアがあるのなら、 (米国と摩擦を起こさないように) それを買ってくればよいではないか」と言って、この決定を覆したのである。
通産省の関係者によれば、このような末端の補助金交付案件に本省が介入するのは、きわめて異例のことであるという。……
(今野浩『特許ビジネスはどこへ行くのか』77-78頁より)
(今野氏の著書とは無関係だが、通産省の「産業政策」の失敗については、Σプロジェクトの歴史も参照せよ。)
実は以上で紹介したことはすべて今野氏の新著の主題の前史に属することである。今野氏らなどの多大な努力にもかかわらず、その後日本においても特許の適用範囲はなし崩し的に拡大されることになった。今野氏自身もこのような事態を予想できなかったようだ。しかし、数学まで特許になるというタガが外れた時代に「何でも特許」という風潮が拡大しないはずが無かったのである。今野氏の新著はビジネス・モデル特許 (business model patent、今野氏が好む用語では「ビジネス方法特許 (business method patent)」) の問題を扱っている。
特許制度は多大な研究投資が必要な分野を保護するために絶対に必要な制度である。しかし、その適用が適切な分野は限られている。「何でも特許」という風潮には害があり過ぎる。そのことを今野氏は指摘しているのである。
現実問題として、自分達のアイデアを特許を先着した他人に独占され、せっかくのアイデアの自由な利用を妨げられることを防ぐために、防衛手段としてとにかく特許申請しておく、ということは仕方がないことかもしれない。しかし、そのことが「何でも特許」という風潮を正当化するわけではない。
残念ながらこの悪しき風潮にどのように対抗すれば良いかについては今野氏の新著は具体性に欠いているように思える。しかし、ろくでもないことがなし崩し的に進んでしまっていることについて情報を得るためには非常に良い。そして、今野氏は実行の人のようなので言葉ではなく行動に期待できるのではなかろうか。
崎山さんが指摘していたように「"commons" が枯れてしまう」という問題は無視できないと思う。
<P.S. 財務省だけではなく、旧社会党の「財政均衡主義」もちょっと気になるの だ。現在の民主党の方針にも影響を与えているわけですよね。> 影響どころか社肯でしょうね。プライマリーバランス重視というのが建前ですが、 もっと単純で根深い「既得権」だと思っています。民主党もただの構造改革主義一 点張りですから、その政策センスのなさは救いようがないでしょう。 むしろ逆説的めいてますが、なんにでもなれちゃう竹中平蔵氏のほうがいまや景気 対策の点では活躍が期待されますね。と書いてる自分が哀しいですが、つかえるも のは竹中でも××でも。
今野浩著、『特許ビジネスはどこへ行くのか――IT社会の落とし穴』、岩波書店、 2002年6月6日 (山家悠紀夫『「構造改革」という幻想』などと同じ装丁のシリーズ) を今日買いました。忙しくてすぐには読めそうもないような感じなのですが、ぱらぱらめくってみた感じでは読み始めたら退屈せずに面白く読めそう。カーマーカー特許、ハブ・アンド・スポーク特許、ワン・クリック・オーダー特許、コロンビア=トラウブ特許、などなど知りたいと思っていたことについて書いてある。
以前、顕正居士さんから教えて頂いた神戸大学電子図書館電子アーカイブ検索は結構楽しめますね。昭和恐慌の時代の新聞記事を「新聞記事文庫」から検索して読むことができる。
たとえば、顕正居士さんが紹介したもの以外では以下のような記事を見付けました:
銑鋼の需要
四、五十万噸増加せん
増産禍の懸念なし
照明台
内外の諸情勢はすこぶる錯総して非常時気分を横溢させているが、大した波瀾も呈しないのではないかと思う
海軍々縮交渉の経過にしても、各国とも大戦の禍害には懲り懲りしているし、財政難の折柄でもあるから、一部で心配しているほど激化することもあるまい、……
……
財界もここ一両年来徐々に好転している、赤字公債の消化力を心配して悪性インフレになるとの説は先ず杞憂であろう、公債を出しても廻り廻って銀行に循環して来るから右から左へ遣り繰が甘くつく、そこが政府の責任で突飛な景気もいけないし、デフレも困る、高橋さんが財政の衝に当る以上この意味から安心が出来る
……
ここで、「高橋さん」というのはもちろん昭和恐慌を収束させた高橋財政の高橋是清蔵相のことです。高橋財政は当時は巷で「インフレーション政策」のように呼ばれていたようですが、当時も「悪性インフレ」のような言葉が使われていた。
「高橋さん」という親しみを込めた呼び方から、高橋是清が当時よく信頼されていたことがうかがわれます。
しかし、上の記事の全文だけからは、その直後に日本が暗黒時代に突入してしまうことになるというのはなかなか想像できないよな。
先週の金曜日の朝刊をまだチェックしてないのですが、財務省が「公共事業費10%削減」という方針を打ち出しているのですか?
「財政均衡主義」というのは思いっ切り単純化すると「政府は毎年税収の範囲内だけで予算を組むべきであり、財政赤字は出すべきではない」という考え方のことです。その考え方からは「デフレ不況の真最中であっても、財政赤字を減らすべきだ」という考え方が導かれてしまう。
でも、世間一般では「日本政府はン百兆円の借金で財政破綻している」ということになっているようですから、「財政赤字を減らすこと」は当然の正義だと思っている人は多いんじゃないかな?
政府支出を減らして日本のGDPを5兆円程度減らすだけで失業者が10万人程度のオーダーで増えるだけではなく、ほぼ間違いなく、デフレが悪化したり、税収が減ったりするので、財政赤字問題は全然楽にならない。むしろ結果的に悪化する可能性さえある。
「財政赤字を減らすこと」は当然の正義だと思っている人はそういうことがわかっているのかな?
日本の財政赤字について考えるといつも思い浮かぶのがケインズの次の言葉です:
……どのような知的影響とも無縁であるとみずから信じている実際家たちも、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である。権力の座にあって天声を聞くと称する狂人たちも、数年前のある三文学者から彼らの気違いじみた考えを引き出しているのである。私は、既得権益の力は思想の漸次的な浸透に比べて著しく誇張されていると思う。もちろん、思想の浸透はただちにではなく、ある時間をおいた後に行われるのもである。なぜなら、経済哲学および政治哲学の分野では、二五歳ないし三〇歳以後になって新しい理論の影響を受ける人は多くはなく、したがって官僚や政治家やさらには煽動家でさえも、現在の事態に適用する思想はおそらく最新のものではないからである。しかし、遅かれ早かれ、良かれ悪しかれ危険なものは、既得権益ではなくて思想である。
(J. M. ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』東洋経済新報社、第24章「一般理論の導く社会哲学に関する結論的覚書」の最後の部分、386頁より)
あの小泉首相でさえ「新規国債発行枠30兆円」には賛成せざるを得なかった。財政全体の規模ではなく、赤字に枠を定めるのはおかしいと思うのですが (税収が減っても赤字を増やして財政全体の規模を一定に保てば景気安定の効果がある)、まあとにかく30兆円+αの財政赤字のおかげで70年前の昭和恐慌みたいなことにならずに済んでいるわけです。
しかし、景気対策=財政出動という古臭い発想や財政均衡主義のようなさらに古臭い発想に染まっている人たちは、激しいデフレを伴なった昭和恐慌や世界大恐慌は金融要因が決定的だったという定説を知らない。恐慌脱出には金融政策のレジーム転換が決定的に重要だったのだ。
しかし、そのような定説は全然一般的にはなってなくて、中途半端で何をやりたいのかよくわからないわりに痛みだけが伴う政策がゆっくり続けられることになる。
P.S. 財務省だけではなく、旧社会党の「財政均衡主義」もちょっと気になるのだ。現在の民主党の方針にも影響を与えているわけですよね。
一昨日の朝刊はかなりショッキングというか「またかあ」という感じでしたね。公 共事業費10%削減。財務省はいったい何を考えているのか? まあ、柴田弘文氏 をはじめいろんな分析がありますが、彼らの均衡財政主義への執着というものは本 当に恐ろしいですね。この均衡財政主義の成立過程をちょっと追ってみようかな あ、と最近思ってます。
そこらの事情には疎い素人なもので素直に感動しました。 気を悪くされたのでしたら謝ります。m(_@_)m
>BUNTENさん 求人統計のないアメリカでは、求人広告統計を使って欠員率の代替指標に するのは常識になっています。つまり、私のペーパーは、単にアメリカの 常識を日本に適用して統計のゆがみの可能性を指摘しただけというもので、 ありていにいえば「パクリ」ですし、日本のエコノミスト得意の「横のもの を縦にした」だけです。おだてるのは、誉め殺しです、勘弁してください。
いやあ、ブタネコさん、齊藤誠氏が本当に「なにも処方しない感じ」であれば特別にビビる必要はないのだ。齊藤氏は「日本銀行がゼロ金利水準へのコミットメントをやめ、コール・レートをゼロ金利から一%前後に引き上げるという政策」 (『エコノミックス2』135頁) を提案しているのだ。さすがにこれにはビビる。
ついでに、岡田さんの宣伝の仕方があまりにも弱過ぎると思うので再度代わりに宣伝。 CSFB - リサーチ 経済の岡田さんと安達さんが書いたものはどれも必読。
安達さんの1930年代の世界大恐慌シリーズは歴史的な興味で読んでも楽しめると思います。昭和恐慌と世界大恐慌について書かれた本を手もとに置きながら、安達さんが示しているグラフと歴史的エピソードを比べてみる。 70年前の大昔の話であっても現代の日本と重ねて見ると臨場感が増す。