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安達誠司「昭和恐慌デフレとレジーム転換の重要性」 (CSFB日本経済ウィークリー、 2001年11月16日) にちょっと面白いことが書いてあったので紹介します。
各メディアでは毎日のように政府日銀御墨付の以下のような考え方がしつこく宣伝されています:
結論は「よって、不良債権の最終処理の促進や銀行への公的資金注入はデフレ対策になる」です。政府日銀は実際にそのような政策を「デフレ対策」と称して実行しようとしている (より正確に言えば、銀行への公的資金の積極的注入を日銀は希望しているが、政府はしぶっている)。しかしこのような考え方は誤りなのだ。
銀行側の問題が解決したとき、安心を得た銀行は貸し出しを積極的に増やさない可能性が高い (安心を得たギャンブラーは積極的にリスクを取らなくなる)。さらに、銀行部門が強化されたとしても、銀行からお金を借りて積極的に投資しようとする企業も増えるわけではない。不良債権処理が成功したとしても、残るのは安心を得てリスクを積極的に取ろうとしなくなった銀行と企業倒産の増加によってさらに悪化したデフレ不況の組み合わせに過ぎないのだ。
実はそれ以前の問題として、銀行貸出が増えないからデフレが終了しない、という考え方は歴史的経験にも一致してない。実際、安達誠司の「昭和恐慌デフレとレジーム転換の重要性」は、昭和恐慌からの回復の時期において、デフレからマイルド・インフレへの移行と株価の上昇と生産の増加は高橋是清による政策転換の直後に起こっており、銀行貸出増加はそれから3〜4年程度遅れていた、という事実を紹介している。
安達は銀行貸出が増えないまま生産が増加した事実を「借り手である企業が資金余剰主体となっており、回復初期には、それまで蓄積された内部資金で設備投資等の資金需要の大部分を充当できるためである」と解釈し、実際に1931〜1932年には企業が資金余剰主体であったことを示している。
高橋是清による経済政策は金解禁から金輸出再停止という誰の目にも明らかな政策転換を含んでいた。それによって、皆、デフレがインフレに転じると予想せざるを得なくなったのだ。デフレがインフレに転じると予想されるとき、手もとに現金があり余っている人たちはどのように行動するだろうか?
クルーグマンによる日本がはまっている流動性の罠に関するモデルの意味はこのように考えてみればよく理解できるのではなかろうか?
需要側について信頼できる議論を展開するのは極めて難しい。その理由は誰がどのような理由で何にどれだけお金を使うかという問題はあまりにも複雑だからだ。単純化されたモデルだけに頼った議論も歴史的経験だけに頼った議論もどちらも不完全だ。それに対して、需要側の問題を無視して、供給側の効率を上げるための改革 (=構造改革) について語るのは圧倒的に易しい。「構造改革なくして景気回復なし」というサプライサイダーの馬鹿げたスローガンは、真に難しい問題を先送りしているに過ぎない。
P.S. そうそう、小泉首相を支持する人たちの中には、どこで何をお勉強したのか知りませんが、「小さな政府」などと言い出し、財政緊縮は正義だと思っている人が多い。個人的には、そういう方々はそろそろ馬鹿扱いされるべきだと思う。小泉首相および「小さな政府」が良いという理由で小泉氏を支持している方々の最大の欠点は、人を見る目がない上に現実が見えてないことだ。“実感”に頼って作り上げた妄想を現実だとみなし、頭の中だけにある理想的な改革と実際に政府が行なう“改革”を同一視する傾向が強い。そういう方々にとっての「小さな政府」とは、金は出さないけど口は出す政府、産業政策を積極的にやろうとする政府、どの部門のどの企業を潰すかの決定に積極的に関与する政府のことなのだろうか? はまってしまったカルトを抜け出すのは精神的に苦しいことかもしれないけど、もっと色々調べて考え直してみるべきなんじゃないの?
以前紹介したかもしれませんが、クレディ スイス ファースト ボストン証券会社の経済最新コメントが非常に良いです。
最新のコメントはチーフエコノミスト経済調査部部長の岡田靖による「羊頭狗肉のデフレ対策」 (2002年2月20日)。岡田は「不良債権の最終処理の遅れが、銀行の貸し出し意欲を低下させ、景気を悪化させる原因となっている。この景気の悪化がデフレを結果しているのだから、不良債権処理促進に役立つ政策が、デフレ対策だ」という政府日銀の方針について、「デフレも不良債権もともに経済の相互依存のメカニズムの産物だ。こうした政策は、実行されたとしても、もぐら叩きゲームのような結果しかもたらさない」と非難しています。
より詳しい解説は「日本経済ウィークリー:総合デフレ対策の評価 (岡田靖、 2002年2月20日、 PDF)」にあるはず。その論説はまだ「日本経済ウィークリー:過去のレポート」のコーナーに登録されてないが、「リサーチ:最新レポート」のコーナーで読める。
ここ半年くらい色々調べてわかったことは、日本には批判精神に富んでいる上に対案まで示すことができる有能な人物が政府にも民間にもたくさんいるということだ。
それなのに、政治も経済もどんどん変な方向に突き進んでいる。長期的には小泉首相を代表とするような単に無能なだけではなく有害な発言を繰り返す人物が責任ある立場から速やかに退散せざるを得ないような世の中にするのが真の改革ではなかろうか。
ここで、小泉首相の有害な発言とは「構造改革なくして景気回復なし」「No pain, no gain!」「景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう」「【青木建設破綻は】構造改革が順調に進んでいることの表れだ」のような発言のことだ。このような発言を信じてしまった人たちは近い将来をどのように予想するだろうか? 殺伐とした非常に不安な世界を想像するに違いない。そして、実際に企業倒産・リストラ・就職難がどんどんひどくなって来ている。小泉発言がコンセンサスになったとき、「遅れている小泉改革」が終了するまで、経営者は投資を控えるだろうし、消費者は将来不安のため消費を押さえるだろう。小泉発言によって形成された皆の暗い将来予想は現在の日本の経済的苦境の原因の一つになっているように思われる。
田中秀臣「『不況レジーム』を打破せよ―政府日銀の政策協調を実現するために―」 (2002年02月20日)。
個人的に社会的に有害なシバキ主義者の一人とみなしている猪瀬直樹の名の付いたメルマガに有益な論説が掲載され続けているのは奇妙なことに感じられる。猪瀬関係の名と猪瀬関係の記事が消滅すれば、信用が増し、読者がもっと増えるように思われる。
水鉄砲さん、始めまして。わざわざ色々調べて下さったようで、どうもありがとうございます。こういう時代の日本で経済学を学ぶことができるとはうらやましい。
リスト中の野口旭以外は何か滅茶苦茶っぽいな。野口旭はもっともっと活躍するべきだと思う。
三和総合研究所金融本部主任研究員兼企業年金研究所取締役の山崎元は何かすごいことを言ってますね。『中央公論』2002年2月号の野口悠紀雄と同じようなことを言っているな。
次のどちらを選べと言われたら、ぼくは当然前者だと思うんですけどね:
初めて投稿します。関西の大学で経済学を学んでいる大学生です。 趣味は万年筆収集・モーニング娘です。A・センの本を読んでから開発経済学に興味があります。リストと呼べるほどのものではないですが、少し検索してみると
などが見つかりました。あまり参考にはならないでしょうか?過去の記事と重複していたらすいません。では失礼します(経済セミナーとAERAは大学の図書館でバックナンバーにあたってみます。また大学の雑誌全文検索では今年の秋ぐらいまでしか入っていなかったので、この他にもまだまだあると思います。青木雄二もそういえば良いデフレを言っていたような気が…)。
モーニングスターでも日本国債シングルAについて話題になってますが、最近の mon さんの発言は冷静で好ましいと思ったので以下にリンクしておきます:
要約すれば「キャピタルフライト」「国債暴落」「ハイパーインフレ」のようなキーワードを駆使して恐怖感を煽っている方々がいるので注意した方が良いですよという話。
稲葉振一郎、「「不況」と社会の不平等の関係は?」、地図と磁石──不完全教養マニュアル、第2回、ALT BIZ
笑って良いのかよくわからないままにとにかく笑ってしまったのですが、経済/経済学@いちごびびえすを見てみたら面白い話が出ていたので紹介。
Nikkei Business 2002年11月号のインタビューでルーカスは次のように述べている:
……
日本が米国と大きく異なるのは、日本銀行がデフレ的な政策に傾きがちであり、結果的に物価が下がっているということだ。一歩間違えればこれは恐慌になる、と近代経済学は教えている。米国は確かに物価上昇率は低いが、でもプラスであるということは重要だ。
貨幣の流通を増やし恐慌回避
もちろん、米国にもデフレ圧力が高まる可能性がないわけではない。それは日本経済で観察済みだ。この点、日銀は間違えているのは、金利水準に焦点を当て過ぎていることだ。日銀は「金利水準は非常に低く、やるべきことはやり尽くした。従って我々に過ちはない」と主張する。だが、それは違う。通貨 (マネー) の伸びに着目するべきで、そうであれば、いつでもさらに金融緩和する余地はあるのだ。
……
国債だけでなく、極端な話をすれば、ドルでもポテトでも銃でも買ったらいいということなのだ。もちろん、それはあり得ない話だが、要は貨幣を何かほかのモノと交換すれば、貨幣はそれだけ流通するということだ。 Yen を使うことが重要あのだ。日本の金融政策が引き締め気味か緩和気味か、というとを見る場合、金利を見てもダメで物価上昇率を見て判断するべきだ。
……
日本は恐らく、財政刺激策も必要なのだろうが、これまでの財政拡大のペースを見れば、日本はマネーサプライをさらに増やす余地はあるように見えるし、日銀はそれができるはずだと思う。
……
我々は将来についてすべてを体系的に予測できるわけではない。デフレ期待があったとしても、そして現実に日本にはあるわけだが、それがどの程度のものでどのぐらい続くかは、誰にも予測できない。合理的期待形成理論に基づいても、そうしたデフレは害がないと考える理由はないし、デフレが実体経済に何の影響も与えないとの結論にもならない。
……
(Nikkei Business 2002年2月11日号133頁より)
「ドルでもポテトでも銃でも買ったらいい」ってのは何かノリノリですよね。個人的には国債の次は外債を買うのが良いと思う。その理由は国債や外債の民間部門に対する中立性が社債、株、その他に比べてずっと高いと考えられるからです。
最悪なのは、事実上断念ということになったようですが、整理回収機構が銀行の不良債権を簿価で買い、そのせいで生じる整理回収機構側の損失を日銀が埋めるというパターン。
2. 日銀新潟支店長が「日本は中国に構造改革か賃金20分の1の究極の選択を迫られている」と言ったらしい
『新潟バイタリティー』2002年2月号のトップインタビューで「日本銀行新潟支店 支店長」が次のように言っているらしい:
デフレの原因は 1.アジアからの安い商品が輸入された事 2.日本企業が収益をあげられなくなったこと この2つである. 国際経済学にへクシャ・オリーンの定理がある. 日本と中国の間にもこの関係は成立する. よって日本は中国に 構造改革か賃金20分の1の究極の選択を迫られている. 構造改革にとは チャレンジして目が生き生きしている集団を増やす事 期待収益率を上げること. これを上げる為には,オリジナリティー,ノウハウ, リスクテイク,日本人のローリスク体質を変える事 つまり構造改革が必要です.
あまりにも典型的過ぎて、口があんぐり。本当にこんなことを経済の面で社会的に責任ある立場にあるはずの日銀支店長が述べたのか?
信じている人たちがたくさんいるようだが、この中国のせいにするというのはひどい話です。日本の中国からの輸入総額のGDP比は1%強程度でしかないし、アメリカも大体同じくらいです。デフレにはまるというマヌケな状態で苦しんでいるのは日本だけで、もちろんアメリカはそうではない。
日本経済全体の問題であるデフレの第一の理由を全体の1%の部分に求める議論を安易に信用するべきではないと思う。国際貿易の話をすることによって、ナショナリズムに訴える議論は普及し易いので注意すべきだ。「中国の脅威に対抗するために誇りある日本人は構造改革を断行するべきだ!」なんて馬鹿げた考え方にはまるのはそろそろ止めにした方が良い。
この点に関して楽しみながら「だあ! 俗説に騙されていたあ!」と叫びたい人は、1/9にも紹介したようにクルーグマンの『良い経済学 悪い経済学』 (日経ビジネス文庫、く-1-1、原題: Pop Internanionalism) がおすすめ。
「簿価買い取り、事実上断念」 (Yomiuri On-Line, 23:11 / 2002.2.18(月))
あっさり潰れましたね。こういう騒ぎが起きたときに誰かが、「整理回収機構は銀行の不良債権を簿価で買え」と言っている政治家や官僚もしくはそれに近いことを言っている人たちは誰なのかをはっきりさせるのが良いと思う。誰かが手間暇かけてリストを作ればあとはそれを皆でメンテするだけで済む。
あと、誰か作ってくれると嬉しいのは「良いデフレ」説を広めている (もしくはいた) 方々のリスト。永久保存版としてネット上に残しておくのはきっと悪いことではない。そう言えば一部で大人気の野口悠紀雄は『中央公論』2002年2月号で、たとえ結果的に3%の「マイルド」なインフレが実現されるとしても、そういう状態を目指す政策を政府が実行することは許し難いという意味のことを述べていたな。
中村モンローさんに再度お礼。朝日新聞2002年2月10日(日)12版13頁「私の視点――特集・支持率急落と小泉改革」の立花隆の発言を読みました。立花隆がノリノリで大いに楽しめました。やはり、ぼくがこの件について一方的に立花隆の悪口を書いたのは政治的にはまずかったかもしれない。現状では、たとえひどい誤解を連発していたとしても、正面切って小泉首相の政策をぼろくそにけなしまくる有名人の存在は本当に貴重ですから。
立花隆の発言のタイトルは
破滅目前、幻想が壊れ始めた
でその最初の部分は
小泉改革はすでに破綻している。 100年後の歴史家はいま起きている事態を平成恐慌と呼ぶだろう。……
てな感じ。そして、不良債権処理について「景気がビクとも上向かないから、不良債権をいくら処理しても逆に増えるばかり」と正しい認識を示した後で、小泉首相に関して次のように述べている:
このままでは小泉首相は、アメリカ大恐慌時、バブル構造破壊に熱中して、恐慌をとめどもなく悪化させた (GDP半減。株価10分の1。失業率20%) フーバー大統領の再来と言われるようになるだろう。
……
そういう問題に比べたら、外相更迭問題などどうでもいい問題である。どうでもいい問題で、これほど人気が凋落してしまうとは、小泉人気が、お題目だけの改革幻想の上に乗っていたバブルにすぎなかったことの証明である (それとともに、日本の一般大衆の政治水準の低さの証明でもあろうが)。
小泉首相の政治力の源泉はひとえにその高支持率にあった。それが失われ始めると、日本経済のデフレスパイラルと同様、支持率低下と政治力低下が相互に作用しあって、政治力喪失が一挙に引き返し不能地点にいたる可能性大である。
改革による痛みがこれ以上ひどくなり、曙光が見えてこないという状況がさらに続くと、これまで改革幻想に酔わされていた大衆の目の色が変わる。救いの神のごとく見えていた小泉首相の顔が疫病神に見え始め、あとはつるべ落としの人気下降になる。支持率の急減は、幻想逆転の最初の一歩だろう。
にゃはは。同感同感。マスメディアは外相更迭問題関連の報道を減らして「小泉首相はこのままではフーバー大統領の再来と言われるようになるだろう」としつこく言いまくった方が良いと思う。 (でも「ムネオハウス」「ムネオ号」なんかの話が笑えることは確か。)
ただし、上の引用中の「……」と省略した部分で、立花は「本格クラッシュがアルゼンチン型になるか、国債暴落という形をとるか、円の暴落ハイパーインフレ型になるか、あるいは全く新型になるか予想もつかないが、すでに「いまそこにある危機」の領域に入っていることだけは確かだ。……」とハルマゲドンが迫っていることを強調している。これじゃあまるでハルマゲドン木村剛だ。日本はものすごい債権国なのでアルゼンチン型のクラッシュの危機が「いまそこ」に迫っているなどというのは大間違い。
さて、上に引用したように小泉政策の現状をぼろくそにけなした後に立花は以下のようなことを述べています:
こういうことを言う人が増えて来ると良いですよね。
需要を増やすためには、おそらく皆の将来予想を大きく変化させる必要があります。潰すべき将来予想は少なくとも二つあって、一つは「我々の将来は暗いという予想」でもう一つは「物価下落が続くという予想」。
昭和戦前期、日本の軍需経済への移行は不況が原因ではなかった。 合衆国の景気回復は欧州大戦特需、太平洋戦争以降であったが。 -井上が夢に描いていた強い日本経済は、高橋財政によって見事に 達成された。昭和9年(1934)頃には、完全雇用状態になり、 失業者は消えた- (2人の大蔵大臣、それぞれの戦い方・竹内宏) http://www.ne.jp/asahi/takeuchi/hiroshi/syouwahu.htm -久しく萎微沈滞、気息えんえんたる状態にあった産業界が生気を 取り戻し、活発に躍動し出したのは日本一の財界のお医者さま高橋 財政によって前任井上緊縮財政を根本から叩ッ壊し、再禁止を断行 してインフレーション政策に転換、これを実行したからである- (昭和9年6月5日国民新聞) http://www.lib.kobe-u.ac.jp/cgi-bin/sborigin.pl?00140835_0_0_%B9%E2%B6%B6%BA%E2%C0%AF 2年後の新聞記事を見ても -躍動する我が造船界-現下の好景気容易に衰退せず、寧ろ沸騰時代示現せん- http://www.lib.kobe-u.ac.jp/cgi-bin/sborigin.pl?00149477_0_0_ (昭和11年2月24日時事新報) 上の記事の2日後、高橋蔵相は凶徒の襲撃により斃れます。好景気なのに 軍需経済へ移行した諸事情が小生にはいま難解です。
不況や恐慌の話って本当に面白いですよね。バブル崩解時に「恐慌本」が多数出たみたいだけど、政治的に面白いのは小泉氏が首相をやっている今現在だと思う。特に、1930年頃の世界大恐慌 (日本では昭和恐慌) のときに、政治家はどのような正義を語り、庶民はどの政治家を支持したか、その結果何が起こったか、などなどに関する話は現在の日本において特に価値のある知識であり、皆の教養および娯楽の一つとして広く普及すると嬉しい。
「RCCによる不良債権の「簿価」買い取り、自公の政策責任者は否定」 (東京2月17日ブルームバーグ) によれば、
簿価で買ってもらえるんであれば銀行にとって不良債権でも何でもないと思うんだがな。「簿価で買え」とか言っていた議員のリストを誰か作りませんか? メールで送ってくれれば「簿価スカ議員のリスト」と名付けてぼくが代理で公開します。
中村モンローさん、情報ありがとうとざいます。
おお、立花隆は「ニューディール政策に比すべき政策を探るべきだ」というような結論を述べているのですか。余裕があれば2/10前後の朝日新聞朝刊を調べてみます。
誤解を与えてしまうような引用になってしまったかもしれないので、立花隆の『月刊現代』2002年3月号に掲載の論説について説明を補足しておきます。「シバキ主義者」と言ってしまったのは誤りだったかもしれませんね。
まず、立花隆は『月刊現代』2002年3月号でも「手術は成功したが患者は死んだ」に近い立場で次のように述べています:
いまの小泉改革をこのままおしすすめていくと、むきだしの資本主義の持つ悪い面、激しい傷みがますますつのって、ついには社会不安をもたらす事態にまで発展してしまうだろう。
(立花隆『月刊現代』2002年3月号66頁より)
同じ節の最後で立花隆は小泉改革が成功しない理由を三つあげていて、その二つ目は「方法論的有効性の低さによって」になってます。だから、立花が小泉改革のやり方に否定的な意見を持っていることは『月刊現代』を読むだけでわかるようになっている。
成功しない理由の一つ目は「抵抗勢力の対抗力によって」であり、三つ目は「予期せぬ状況の悪化によって」です。
そして、続きの最後の節ではこの三つ目のハルマゲドン説を強調し、日本の悪化した経済を改善するためには尋常な手段の積み重ねではなく相当に過激な手段が必要であり、「過激な手段を取るには、過激な手段もやむをえないと人々に思わせるだけのひどい現実の発生を必要とする」などと述べて論説を終了することになるわけです。
しかも、さんざん煽ったあげく、俺は1940年生まれだからハルマゲドンが来ても大丈夫だというような余計なことを言っている。これはもう嗤うしかないでしょう。
しかし、朝日新聞の方では「ニューディール政策に比すべき政策を探るべきだ」というような結論を述べて、目の前の危機に対抗する姿勢を見せているのであれば嬉しいと思います。
『月刊現代』2002年3月号に掲載されている立花隆の「緊急寄稿一挙100枚」の結論はあきれたものですね。野口悠紀雄の『1940年体制』に強く影響されたようなのですが、結果として立花隆はシバキ主義者のハルマゲドン待望論者に成り下がってしまっている。結構笑えるので引用しておきましょう。立花隆曰く、
ここまで経済の事態が悪化したら、もう尋常の手段を多少積み重ねてみたところで、改善されることはほとんど期待できない。相当に過激な手段が必要なのだ――終戦直後のハイパーインフレ時の預金封鎖とか、新円切り換えのような (方向性はちがうが、同じくらい過激な)。あるいはいってみれば最近のアルゼンチンでなされたようなことである。しかし、平時に過激な手段を取ることは、政治的にむずかしい。過激な手段を取るには、過激な手段もやむをえないと人々に思わせるだけのひどい現実の発生を必要とする。
そういう現実の発生までいかないと、私は日本経済の再生は望めないと思っている。
そして多分、そういう事態にたちいたったら、そこを抜けだすまでに、必要な総理大臣のクビは一つ、二つではあるまい。最低でも三つだろう。従って、小泉政権が長くつづくということはほとんどあるまいと思っている。
過激な事態の進行がいつどのような形でやってくるのか、今の私には想像もつかないが、ただ、私は何がこようと、どうということはないと思っている。
こういうことを平然といいきれるのが、一九四〇年生まれの強いところだ。私たちの最初の記憶は、国が亡びたときに起きた事態の記憶である。私たちの世代は、子供時代からずっと通して、国の経済が破綻した状況の中で生活してきたのである。
(『月刊現代』2002年3月号67頁より)
もう完全にハルマゲくん状態。そろそろこの手の大人を何とかしなければ相当にやばいと思うのですが、どうすれば良いんですかねえ?
P.S. 『M2われらの時代に』の249頁で宮崎哲弥が「日銀はKPMGフィナンシャルの木村剛を総裁にすえればいいんだ。木村ほど中央銀行の機能とは何かを考え抜いている見識あるエコノミストは珍しい。今の財政当局ばかりじゃなく中央銀行もデタラメ」と言っているらしい。しかし、この人、最近あちこちでハルマゲドン木村剛の提灯持ちをやっているみたいだけど大丈夫なんですかねえ。
「不良債権買い取り「簿価で」山崎・野田氏が一致」 (Yomiuri On-Line 2月16日01:47)
「自民幹事長、不良債権の簿価買い取りを提案」 (asahi.com 2/16 22:01)
自民党の山崎幹事長と保守党の野田党首が2月15日の夜に整理回収機構が銀行から不良債権を購入する際の価格を時価から簿価に改めるために動くことで意見が一致したそうな。
去年の9月に「不良債権を時価ではなく簿価で買い取り、それを最終的に日銀に買い取らせれば良い」という話が出ている件に触れたのですが、現実が段々それに近付いて来ましたね……。
山崎拓自民党幹事長曰く、「不良債権の処理をきちんとして日本経済を救うほうが大事だ」
「不良債権を処理すれば日本の経済は復活する」という根拠のない説が広まることによって誰が得をするのでしょうかね?
クルーグマン曰く、
しかし、日本には生産能力の制約は存在しないのである。むしろ、慢性的な需要不足に苦しめられているのである。そうした経済では、効率性を高める試みは、良い効果よりも、悪い効果をもたらすことが多い。財政赤字を削減し、収益を上げることができない企業を倒産させることで自由に使える資本を増やすことは、素晴しいことのように聞こえる。しかし、もし自由に使えるようになった資本が単にタンス預金になるなら (あるいは銀行の貸し金庫に預けられるなら)、その結果はより高い成長率を実現するどころか、より深刻な不況を招くことになるだろう。
しかし、日本はそうした不況が必要であり、システムを浄化することで将来の需要を増加させる条件が作り出せると主張する多くの論者がいる。なぜなのだろうか。もし経済が不況のままだったら、どうして消費者や企業がお金を使い始めるのだろうか。特に銀行は既に手元に溢れんばかりの現金を持っているのに、優れた融資機会を見つけ出せないでいる。なぜ銀行に不良債権の償却を強いることで、事態が変わるだろうか。
「システムの浄化」の後に残るのは大量の失業者と恐慌一歩手前 (もしくは恐慌そのもの) の状態なのかもしれない。
そして、山崎・野田路線が実現して銀行部門だけがましな状態になったとしても「優れた融資機会」が増えるわけではない。
自分で書こうと思ったのですが、さすがにこのネタはすでに何人かが解説を書いているようです。
Google で検索してみて頭痛がして来たのは、ライオン宰相は正しい政策を実行しようとしていたが、運悪く恐慌とテロの儀牲になったと信じている方がいること。どうも『論座』2001年10月号や城山三郎著の『男子の本懐』が悪いらしい。あとこんなのもある。
実際には、ライオン宰相は、恐慌の危機が迫って来たにもかかわらず、方針を曲げずにデフレ大恐慌を引き起こし、庶民の生活をどん底に突き落としたのだ。
ライオン宰相は一緒に酒を呑むならば最高の男であったのかもしれない。しかし、その政策は根本的に間違っていたのである。
最後に幾つか言葉を引用:
浜口雄幸宰相曰く、「明日伸びんが為に、今日悩むのであります。我々は、国民諸君とともにこの一時の苦痛を忍んで、後日の大いなる発展を遂げなければなりません」
小泉純一郎首相曰く、「構造改革なくして景気回復なし!」「No pain, no gain!」「景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう」。2001年11月9日の衆院本会議において「改革を実施する過程で、非効率な部門の淘汰が生じ、失業や中小企業への悪影響など、社会の中に痛みを伴う事態が生じることは当然だ」と述べ、実際に青木建設が破綻したときには「構造改革が順調に進んでいることの表れだ」 (2001年12月6日) と述べている。
アンドリュー・メロン財務長官曰く、「労働を精算し、株式を精算し、農民を精算し、不動産を精算する。……それはシステムの腐敗を一掃することになる。……価値は調整され、企業家精神に満ちた人々が難破船を救うだろう」 この提言を受け入れたハーバート・フーバー大統領はアメリカを大恐慌に導いた。
ポール・クルーグマン曰く、「今日のエコノミストや政策立案者たちは、大恐慌のような惨事が再び起こることはありえないと信じている。なぜなら、誰もが当時の教訓を学んでいるからだ――「……【上記の言葉】……」というアンドリュー・メロンの有名な提言に共鳴する財務長官など現代にはいないからである」 (『世界大不況への警告』5-6頁より)
ジョン・メイナード・ケインズ曰く、「In the long-run, we are all dead.」 (長期で見れば一時的な不況は問題にならないのかもしれない。しかし、人間の一生は短いのだ。目の前の不幸を運命として受け入れずに闘え!)
そして、今、政府・日銀は、「デフレ対策」と称して、今までの方針をより徹底することを決定したようだ (経済財政諮問会議(平成14年第3回)議事次第、平成14年2月12日(火)17時30分-18時30分、官邸大食堂)。しかし、それは「デフレ対策」とは正反対の政策であることを皆おぼえておいた方が良いだろう。
どういう政治力学が働いたのか知りませんが、政府・日銀にとっての「デフレ対策」とは「不良債権処理」だということになったようですね。「不良債権処理の促進を強調=公的資金注入も議論−デフレ克服策」 (時事通信@Yahoo、時事通信、 2月9日(土)) によれば、
他の条件が同じであれば不良債権が処理済みになっていた方が良いのは明らか (不良債権処理を含めて金融行政関係の入門書として岩田規久男著『金融法廷』 (日経ビジネス文庫、い2-1) は面白く読める)。しかし、資金が流れ易くなっても、需要が増えなければデフレ対策にならない。
それどころか、不良債権処理は企業倒産と失業者を確実に増加させるので、デフレ不況がさらに悪化し、別の不良債権が増えてしまう可能性が高い。だから、不良債権処理の結果としてより健全な経済を得たいのあれば十分なデフレ不況対策が必要になるのだ。
ところが、政府・日銀内部ではデフレ克服のためには「不良債権処理を促して金融機関から資金が流れやすくすることが重要」という考え方が大勢をしめているらしい。しかし、不況の原因は金融仲介機能が十分に果たされてないためであるという考え方にはまったく根拠がない (ポール・クルーグマン「復活だぁっ! 日本の不況と流動性トラップの逆襲 (pdf)」)。
このような警告はデフレ対策の必要性を主張している論者の中では一般的である:
不良債権がデフレの原因ではなくむしろ結果であるとした場合、不良債権処理にともなうデフレ深刻化は新たな不良債権を生み出すことになる。仮に、ディスオーガニゼーション論に誤りがあり、公的資金注入にさほどの景気下支え効果が期待できないと考えると、筆者の主張する不良債権最終処理策はデフレと不良債権問題のさらなる悪化をもたらすという皮肉な結果となる可能性をはらんでいるのである。
(飯塚尚己「不良債権が10年不況の真因なのか」より)多くの場合、特定の企業や業種が抱える不良債権を問題視し、さらにそれが経済全体の停滞をもたらしているという主張は、「低生産性」であるとされている産業 (具体的には不況三業種) の整理統合それ自体を構造改革ととらえる、前章【引用者註:そこでは野口悠紀雄の『一九四〇年体制』的思考の問題点が明確に指摘されている】で紹介した「産業構造調整への構造改革主義アプローチ」と表裏一体をなしている。この考え方によれば、日本で「高生産性」産業が伸びないのは、これら不況三業種に資本や労働が「塩漬け」になっているためであるから、まずは不良債権処理の直接償却によって「低生産性」産業を整理縮小し、資本や労働のそこからの「解放」が必要ということになる。
このような観点は、次章で検討する雇用流動化論とともに、不況と雇用情勢のさらなる悪化に寄与しかねない危険な「罠」そのものである。総需要が縮小しつつある状況では、企業整理やリストラをいくら進めても、それは需要不足失業として滞留するだけに終わる。総需要が拡大しないかぎり、「成長産業」などはどこからも生まれはしないし、新たな雇用が生まれることもない。「破壊すなわち構造改革」ではないのである。
(野口旭・田中秀臣共著『構造改革論の誤解』東洋経済新報社、125-126頁より)たとえば、全体の消費が増えずに、不良債権の最終処理によって十合の競争力が強まれば、十合は他のデパートなどの売上げを奪うだけで、小売業全体の売上げは増えない。つまり、ミクロの企業が改善しても、マクロ経済が回復するとは限らないのである。
(岩田規久男著『デフレの経済学』東洋経済新報社、 252頁より)私は基本的に構造改革を支持するものだが、構造改革が深刻な下降局面で行われようとしていることから、失敗するのではないかと思っている。
(ポール・クルーグマン著『恐慌の罠――なぜ政策を間違えつづけるのか』中央公論新社、 42頁より)
「デフレ対策のための不良債権処理云々」と言われても、「今まで通り、デフレ不況対策は何もやりませんよ」と言われているのと同じに聞こえるのは私だけだろうか? それどころか、政府が満足なデフレ対策抜きに不良債権処理を強制したせいで、企業倒産と失業者の急増、デフレ不況のさらなる悪化、不良債権問題のさらなる悪化、税収減による財政赤字問題のさらなる悪化、などなどを招く危険性が高いのである。
あと、経済の問題ではなく政治の問題になってしまうのだが、「30社リスト」問題のように、あたかも政府が強制的不良債権処理によってどの企業を潰すのかを決定しているかのようなありさまは異常だと思う。国家権力が私企業を殺すための引き金をひく国はまともだと言えるだろうか? 政府御墨付の破綻懸念先に分類されてしまった企業がどのような行く末をたどるかは言うまでもない。リストに入っていたマイカルや青木建設は実際に潰れ、青木建設が潰れたときに小泉首相は「構造改革が順調に進んでいることの表れだ」と述べている。
さらに政治経済の話から離れてしまうが、私見では「痛みは必要である」という考え方がブームになっていること自体が問題だと思う。単に1990年代前半の経済政策の失敗のせいで日本がデフレ不況の罠に陥ってしまっただけなのに、それを日本の腐った構造の問題であると誤解し、メリットとデメリットとタイミングを評価しながら慎重に改革を進めることを放棄して、「とにかく潰せぇー!」というヒステリックな声が主流になってしまった。そういう風潮が高まる中で、実際に就職難・リストラ・倒産などが急増中なのに、そのような状況をさらに悪化させるような政策に反対し難い状況が作り出されてしまったのだ。 (そこでは政府が私企業潰しに関与することまで許される雰囲気になってしまっている。)
現在の日本では、おそらく大部分の人たちが「時代は変わった。このような雰囲気はこれからもずっと続くだろう」と信じている。このような雰囲気を一掃するだけの力を持ったはなばなしい政策転換が起こらない限り、冷え切った消費が回復することなどあり得ないように思える。
皆の将来予想に働きかける「インフレ・ターゲティング」のような政策の効果を十分高めるためには、政府が同時に
「痛みは正義ではない。政府はこの不況の危機を都合良く利用したりしない!」
と高らかに宣言し、実際にその証拠を見せる必要があるのではなかろうか?
数学が苦にならない人がすでに大体どういう分野かを把握した後に読む「入門書」としては、数学の言葉を使って明晰に定式化してあるものが向いていると思います。
でも、個人的な経験では、その理論が現実にどれだけの普遍性を持っているかがわかるように書かれている易しい入門書が必要です。初心者にとっては常に、どの部分がどれだけ信用できるか・できないか、を判別するために役に立つ情報が一番重要。
マクロ経済学のようなどんぶり勘定的普遍性が重要な分野ではむしろグラフで理解できるレベルの話が重要だと思う。 (もちろん数学が苦にならない人が数式を使うのは当然。数学を使ってなくてもすぐにできるならば頭の中でそのように翻訳して理解することになる。これは特別なことでも何でもない。)
あと熱力学は経験的に完壁な普遍性を持っているので、もしもミクロの理論が熱力学に矛盾していれば当然ミクロの理論の方が疑われることになる。マクロ経済に関する何らかの理論がどれだけの普遍性を持ち得るかは大問題だと思う。
P.S. 「オートポイエーシス」なんかの類の「現代思想」系のお話をする方のセンスをぼくは信用しません。
マクロ経済学が熱力学に似ていることもあって、マクロ経済学のいろんな教科書をみるのが楽しみです。しばらく前から読んでいるのがこの本。上級となっていますが、数式を用いてていねいに論じているので、初級の教科書よりもかえってやさしく感じます。そこで発見したこと:理科系からきた人たちには、初級の経済学よりも上級の、数式がきちんとしているほうがやさしいかもしれない、ということ。グラフを使っている初級の教科書は、魔術をやっている感じなんですね。グラフで理解できる人に感心しながら、どうも(頭の構造からして)別人種らしいとも思うのです。って、述べていて、これは数学教育業者はニッコリかウーミュか
「リアルタイム財政赤字カウンタ」がどういう計算をやっているかは、 HTML のソースを見て、 JavaScript のコードとコメントを見ればわかります。単に1997年度末の総債務と1998年度末のそれの値を用いて「(大胆にも!)線形近似によって現在の長期債務残高総額を求め」ています。
金利と名目GDP成長率のファクターを入れて、総債務ではなく純債務の名目GDP比を計算してくれるスクリプトがあっても良さそうですよね。総債務のようなグロスの値を計算するだけではなく、債務残高や利払いなどを全てネットで (例えば純債務を) 計算してくれるスクリプトが欲しいのだ。
政府の債務残高の増加の様子は次の差分方程式で表わせます:
来年の債務残高=今年の債務残高+利払い+利払いを除く支出−税収.
よって、もしも金利 r が一定ならば「利払い=金利×債務残高」なので、 B(n) = 第n年の債務残高、 G(n) = 第n年の利払いを除く支出、 T(n) = 第n年の税収と置くとき、
B(n+1) = (1 + r) B(n) + G(n) - T(n)
が成立します (利払い = r B(n) であることに注意)。この式を見れば、支出の全体を利払いと利払いを除く支出に分けた理由がわかります。さらに名目GDP成長率 g が一定ならば、 Y(n) = 第n年の名目GDPは
Y(n+1) = (1 + g) Y(n)
を満たしているので、債務残高の名目GPD比 B(n)/Y(n) は次の方程式を満たしていることがわかる:
B(n+1) 1 + r B(n) 1 G(n) - T(n) -------- = ------- ------ + ------- ------------- Y(n+1) 1 + g Y(n) 1 + g Y(n)
これが単純化された政府の借金生活の差分方程式です。実際には金利 r と名目GDP成長率 g は毎年変化するのでより複雑になる。
債務残高 B(n) をゼロにする必要は全くないのですが、債務残高の名目GPD比 B(n)/Y(n) が爆発するようだとやばい。政府の借金の重さは B(n)/Y(n) の値で評価されるべきなのだ。この話の詳しい解説が『ブランシャール マクロ経済学』 (東洋経済新報社) の下巻の第29章にあります。上の記号はそこでの記号に大体合わせてある。
デフレ不況を放置したまま、利払いを除く政府支出 G を減らしたり、税収 T を増やしたりすると、次の年の名目GDP Y は減少する可能性が高くなる (実際2001年度は2%程度減ることになると予想される)。実際にそうなれば次の年の税収 T は名目GDP Y が減った以上の割合で減少します (累進課税制度の特徴)。そして不況が長引けば少子化が好ましくない形で加速することになり、少子化は将来のGDP成長率を引き下げることになり、社会の高齢化の負担増をも加速することになる (現在の日本では、若年失業率がものすごく高くなっており、少子化も加速している)。また、予算を節約するために教育をおろそかにすることも将来のGDP成長率を引き下げる原因になります (小泉改革が奨学金制度をどのように扱ったかを思い出そう)。こういう事情があるのでデフレ不況下であっても政府の借金を軽くするためには単純に政府支出の総額を減らせば良いという考え方は間違っているのだ。
なお、今の日本にとって夢のような話ですが、今すぐに2%の実質GDP成長率と3%のインフレ率 (そのとき名目GDP成長率は5%になる) と1.8以上の合計特殊出生率が実現すれば日本のマクロ経済の問題はほとんどすべて解決します。 (2001年度の数字は実質GDP成長率 = -1%、インフレ率 = -1% 程度になると予想されます。どちらもマイナスの値になるのは間違いない。 2000年の合計特殊出生率は 1.36 でした。)
2%の実質GDP成長率と3%のインフレ率の実現は政府と日銀が断固たる態度でデフレ不況に対抗する方針であれば決して夢ではないと思う。
困難なのは出生率を上げることです。まず何より、家族計画の個人選択に政府が関与するのは好ましいことではありません。しかし、本当は子供が欲しいのに他の要因のせいであきらめざるを得ない人たちが減るような政策は必要でしょう。そういう目的のためには子供のいない裕福な人から税金を取るのは構わないと思う。しかし、 1.8 という合計特殊出生率はおそろしく困難であり、ちょっと無理のある数字かもしれない。
できれば「リアルタイム財政赤字カウンタ」のような社会的に有害だと考えられるトンデモねたは批判的なコメント (もしくはユーモアで他人を笑わせるようなコメント) を付けた上で紹介して下さると助かります。
大蔵省 (現財務省) は政府の債務をできるだけ重く見せるようなキャンペーンをやってませんか? 総債務の数字だけを宣伝して純債務の数字は隠しておき、純債務っぽい話をするときには人口動態推移が主要因の問題と混ぜこぜの話を始める。
そして恐怖を煽るキャンペーンを「ハルマゲドン経済論」系の方々がさらに煽っているわけだ。「ハルマゲドン経済論」の需要はかなりあるので、うまいこと本を書けばベストセラーになるし、講演料などで儲けることもできる。それだけではなく、首相に直接進言できる立場に立つことさえ可能になるかもしれない。
日本政府の累積財政赤字は確かに大問題なのですが、恐怖を煽ることによって、デフレ不況下の緊縮財政 (前年度よりも政府支出を減らすこと) が“正義感”豊かな方々によって強引に押し進められてしまうような政治状況を作り出すのは止めて欲しいと思います。
日本の不況を心配してくれているクルーグマンはデフレ不況を放置したまま政府が毎年支出を減らし続けるという小泉政権の方針は「改革して破滅する」という結果を招くかもしれないと警告しています。同様の心配をしているのはクルーグマンだけではありません。
恐怖で心を麻痺させてしまわないためには政府の総債務 (借金の値だけを足し上げて得られる数字のこと) の値だけに注目するのではなく、他の知識も仕入れておく必要があります。恐怖に打ち勝つためには知識を仕入れながら自分自身の考え方を変えて行く必要がある。
まず、すでに便利なので何度が紹介したことのある日銀ウェブサイトの「資金循環統計からわが国の金融がどこまでわかるか」の「(図表1) 部門別の金融資産・負債残高 (2000年9月末、兆円)」を見て下さい。 2000年9月末の時点で政府部門の総債務は652兆円となっています。確かにこれは大きな数字です。しかし、政府部門は425兆円の金融資産を保有しているのだ。その差を計算することによって、政府部門の純債務は227兆円だということがわかります。
日本のGDPの規模は大体500兆円程度であり、純債務のGDP比の大きさは先進国の中でもそんなに悪い方ではないんですね。アメリカ程度なのだ。だから、まだ持続性を失うという意味で破綻しているわけではない。
政府の借金の大きさは純債務の227兆円という値で測られるべきです。 6520万円の借金がある人が4250万円の金融資産の存在を隠して借金の重さだけを強調するのはおかしいでしょう。
ところが、大蔵族の小泉首相は「うまいへそくりがあった」 (2001年11月) などとわけのわからないことを言っている。総債務の重さに大騒ぎしている人物が、純債務の話をしないですますために隠しておいた株を株価が下がりまくっているときに売却し、そうやって得たお金を示して「うまいへそくりがあった」などと言っているのを見たら滑稽なだけでしょう。情けないことにこれが日本の政治のトップの姿なのです。真の構造改革はそういう誤魔化しを全て無くすようなものでなければいけない。
それじゃあ、純債務のGDP比がアメリカ程度だからという理由でこのまま放置しておいて大丈夫かというとそんなことはない。日本の政府は、アメリカと違って、1990年代からずっとものすごい勢いで借金を増やし続けて来ました。
財政赤字は確かに不況の急激な悪化を防ぐという意味では役に立っています。しかし、それによって成長経路に乗ることには失敗しており、財政赤字の規模を縮小するたびに景気が悪化している。 (その上、環境破壊を招くような公共事業によってマイナスの資産を作り出している。ちなみに小泉政権は環境破壊事業を全て削るような「聖域なき構造改革」を実行しているわけではありません。しかし、“正義感”豊かな方たちが信じているらしい公共事業自体が悪であるという考え方は誤りです。現在の日本で必要なのは、財政の規模を縮小することではなく、有効な支出だけを行なうようにすることだと思う。)
政府の総債務と金融資産およびそれらの差である純債務以外に重要な量として、国債金利、名目GDP成長率、人口動態推移などなどがあります。そのようなデータは全て省庁のウェブサイトでも見付かるし、他の場所でも見ることができます。
なお、政府の借金はゼロにする必要はなく、持続性があれば問題ありません。ゼロにしなければいけないかのように宣伝している困りもののテレビ番組もあるようなので注意した方が良いでしょう。やばいのは政府の純債務の名目GDP比が爆発してしまうような場合です。
なお、名目GDP成長率はインフレ率 (GDPデフレータ) と実質GDP成長率の和に等しいので、デフレは名目GDPを押し下げる要因になります。名目GDPの下落は政府の純債務の名目GDP比を押し上げるので持続性を困難にする要因になります。ちなみに、 2001年度の名目GDP成長率はマイナス2%程度になるだろうと言われています。
知識の装備なしに、ある種の人たちが宣伝している「ハルマゲドン」説に恐怖を感じて過剰反応してしまうのはまずい。部分的なリスクを過大に評価してしまい、他のリスク要因を無視してしまうことになってしまいます。政治的なプロパガンダに負けないためには常に新たな知識を吸収して自分の考え方を変えて行く必要がある。 (ぼくも考え方を変えて来たし、これからも変わる部分があると思う。)
P.S. ちなみにぼくが支持しているクルーグマンの提案は、財政の規模は持続性を失わない程度に中立を保ったまま、将来インフレ率が上昇すると皆が予想せざるを得ないような経済政策を実行するというものです。
これとは正反対に、「官邸は景気の回復を本気で願ってないのではないか?」「政府は緊縮財政だけすれば良いと思っているのではないか?」「日銀はちょっとでもインフレ率がプラスになったらゼロ金利を解除するのではないか?」……のような疑いが生じるようなやり方は最悪です。しかし、それが今までの日本の現実の姿なのだ。皆の将来予想に働きかけて正のフィードバックがかかるようにすることが有効な金融政策を行なうための重要なポイントなのですが、日本ではそのような政策はまだ行なわれてません。現在は首相と日銀総裁が一致団結して完全にその逆をやっているように見える。
官邸と日銀の方針が劇的に変化して、断固たる態度でデフレ不況に対抗することが明確にならなければ、デフレ不況から脱出することは難しいと思います。これは1930年頃の世界大恐慌時の教訓でもあります。
ちなみにクルーグマンはやれることは何でもやれと言っています。だから「インフレターゲット」だけを取り上げてクルーグマンを十分に批判したつもりになっている方々はちょっとおかしい。日銀云々だけにこだわっているような人たちは視野が狭過ぎると思う。
FreyがWorkshop on Elliptic Curve Cryptography(ECC97)で講演した話は数学セミナー1998年3月号「暗号と情報戦争」にでてくるが,日本にも上陸.
面子の一部を見てキーエスクローの話を期待する人がいるかもしれませんが,さすがにもう聞けない(笑). ただし,超小型ハードウェアへの組込はどうよ?という話になれば,講演者によってはNational ID構想とか聞けるかも.
厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が1/30に将来人口推計を発表しました。前回の1997年の推定は大幅に下方修正されることになったようですね。 (去年の11月の記事も参照せよ。)
1997年の推定では合計特殊出生率の2050年の中位推計値は1.61だったのですが、それを1.39に修正したようです。
厚労省は「不況による将来不安や高学歴化が影響している」と説明しているようです。高学歴化の影響が強く出てしまうことと、不況や将来不安が生じてしまっていることは政府の失策の悪影響の重大な例とみなされなければいけません。
それではどうするべきかについては次の提案が参考になります:
以前紹介した次と合わせて読んだ方がわかり易いと思います:
教育の“自由化”=私事化を“教育改革”と称して提案している人たち (特に“経済学的合理性”に基いて教育の“自由化”=私事化を主張している人たち) は新美氏に対して反論してみせて欲しいのだ。
新美氏は実証的な分析を通じて非常に良い提案をしていると思うのですが、一つだけ残念なことは Japan Research Review に一般人がアクセスするのが難しいことです。ちなみに東北大学にも入ってません。もっと読者数の多い雑誌に原稿を書いてくれると嬉しいのだ。
あと、デフレ不況対策の必要性を軽視してはいけないと思う。ゆるやかな少子化であれば問題ないと思うのですが急激な少子化は好ましくない。長期のデフレ不況は若年失業率を引き上げることによって少子高齢化問題を好ましくない形で加速していると思う。
大橋巨泉元議員についても色々話題になっているようですが、巨泉氏は2001年9月9日の参議院予算委員会で小泉首相に対して、
子が親の地盤を受け継いで立候補することの禁止という案 (巨泉元議員によれば地盤を受け継がずに他の地域で立候補するのは可) の是非について質問していたことをおぼえているでしょうか? (以前話題にした) 三世議員の小泉首相はいつものようにごまかしの答弁をしたようです。巨泉氏の辞職報道のときにその場面が何度も放映されることを希望していたのですが、そうとはならかなったのようだ。そもそも巨泉氏がそのような質問をしたことが去年の9月の時点で十分に報道されていたでしょうか?
“正義感”に基いて小泉首相を支持している人たちは様々な利権を中心に結び付いている政官業の腐敗の構造を改革してくれると信じているのだと思います。腐敗の構造を潰すために議席の世襲を防ぐための提案はマイナスになるでしょうか。「聖域なき構造改革」というスローガンに反する提案でしょうか。
もしかして“正義感”を発揮している方々は「二世議員は優秀」などと主張するのでしょうか? 本当に優秀だったら親の地盤を受け継がずに立候補すればいいんでないの? そもそも「二世議員は優秀」という発言は本気? どうして二世・三世議員をそんなに守りたいのか?
ちなみに自民党の衆議院議員だけで二世・三世議員は百人近くもいます。
議席に伴う様々な利権が血筋によって受け継がれることを許している現状が好ましくないのは明らかでしょう。血筋によって強化された利権構造は世代を超えて長期に渡って維持される点が特に好ましくない。
「次の選挙から現職の二世・三世議員も含めて子が親の地盤を受け継いで立候補できなくする改革」は小泉首相が現在実行中の需要減少と失業率増加をもたらせる政策と違ってデフレ不況を悪化させることはありません。 (それで景気が回復するわけでもないですが。)
しかし、二世・三世議員は反対するでしょうね。実際、三世議員の小泉首相も巨泉元議員の質問をはぐらかすことに終始しました。自分の子に地盤を受け継がせようと思っている一世議員がいるかもしれないので、反対するのは二世議員だけではないかもしれない。反対の議員と徒党を組むことにメリットを感じている議員も反対することでしょう。
みながこの問題に気付いて、それを察知した各種メディアがしつこくこの問題を取り上げるようにならなければどうにもならないでしょうね。
しかしその肝腎のメディアの側も三世議員の小泉首相の人気を下げないように気を使ったり、二世議員の田中真紀子更迭問題を大きく取り上げることによって人気を維持しているわけです。 (「ハルマゲドン経済論」を宣伝しまくり、小泉政策が「ハルマゲドン」の危機から我々を救ってくれるかのような印象を広めるのも止めて欲しいのだ。)
メディアでは小泉政権の支持率が急激に下がったことが話題になっているようだ。支持率の激減したのは、正義の改革をやってくれると思っていた小泉純一郎氏がその期待を裏切って誰も納得できない理由で田中真紀子外相を更迭してしまったからだ。
小泉政権の政策に納得できない人たちは支持率の下落を好ましいことだと感じているかもしれない。しかし、支持率が下がった理由があれであり、小泉政権を支持していた理由は正しかった、すなわち、小泉氏は正義の改革をできないかもしれないが、小泉氏がやると宣言していたことは正しかったのだ、という意見は以前として多数派のままなのである。
小泉氏の考え方は以下のようなスローガンによく表われている:
繰り返しになるが、このような考え方に疑問を持ちつつある方にはポール・クルーグマンの新刊は非常におすすめである。
例えば、その本には小泉氏が首相になった直後にクルーグマンが発表したエッセイ「腐敗一掃」 (Purging the rottenness, 2001.4.25) の翻訳も含まれている。そこでクルーグマンは小泉純一郎首相をアメリカを大恐慌に導いたハーバート・フーバー大統領と比べ、小泉氏のスローガンとフーバー政権のアンドリュー・メロン財務長官のアドバイスを次のように比べている:
それ【小泉首相の立場】は、容易に妥協をしない、勇気ある立場である。また、フーバー政権のアンドリュー・メロン財務長官が大統領に与えた破滅的なアドバイスを思い出される。メロン財務長官は「労働を精算し、株式を精算し、農民を精算し、不動産を精算する。……それはシステムの腐敗を一掃することになる。……価値は調整され、企業家精神に満ちた人々が難破船を救うだろう」と語っていた。……
(クルーグマン『恐慌の罠――なぜ政策を間違えつづけるのか』209-210頁より)
私は、腐敗を嫌う人たちはフーバーやメロンや小泉のような考え方をするのではなく、クルーグマンのような考え方をするようになって欲しいと思っている。その理由は腐敗によって利益を得る政治家が同じようなことを言っても誰も信用しないからだ。恐慌まっしぐらの危険性をはらむ政策が中止されるためには腐敗に反対しているとみなされている人たちがクルーグマンのような考え方を表明する必要があると思う。
しかし、そのような役目を果たすべき野党を見てみると、小泉政権の方針に味方する傾向がかなり強い。左派もしくはリベラルな考え方をする人たちの結論も小泉政権もしくは現在の日本の多数派の方針を実質的に支持する内容になってしまっていることが多い。ぼくのような小数派にとって政治的選択肢は今のところほとんどないようだ。しかし近い将来立場が逆転することを希望している。 (希望はあった方が良いだろう。)
小泉首相が駄目なのは最初から明らかなことであった。真の問題は不合理な“正義感”の持ち主が現在の日本で多数派になっていることである。不合理な“正義感”に基いて小泉政権を支持していた (もしくは現在でも支持している) 人たちの頭の中を構造改革するためにはどうすれば良いのだろうか?
「ストックされた分は、3か月ごとに更新されます」ということなので早目にチェックしておきましょう:
「相対性理論は間違っていた」のようなトンデモ本の著者が日本の科学政策のブレーンになっていたとすれば皆さんはどう反応するでしょうか? 小泉政権下の経済政策に関してそういうことが実際に起こっているみたい。野口旭がトンデモ扱いしている木村剛は現政権に結構食い込んでいると言われているようです [1,2,3,4,5]。
野口旭は木村剛の無知を次のように指摘しています:
本書はさらに、この資本流出という現象への無知をも示している。というのは、資本流出の可能性が高まりつつある論拠として、日本の貿易黒字の減少が挙げられているからである(47頁)。国際収支の自明の会計原則によれば、「貿易黒字(正確には経常収支黒字)とはすなわち資本流出」-だから、この指摘はまさに矛盾そのものである。つまり本書は、「日本の資本流出は拡大するだろう。その理由は日本の資本流出が減少しつつあるからだ」という珍妙な説明をおこなっているのである。資本流出や資本逃避が拡大すれば、貿易収支は赤字化するのではなく必ず黒字化することは、通貨危機直後のアジア各国の貿易収支が軒並み赤字から大幅な黒字へと転じたことからも分かる。
例えば、円建ての資産を売って得た円でドルを買い、そのドルでドル建ての資産を買う人が増えたとします (日本からの資本流出)。さてそのとき日本の貿易黒字 (正確には経常収支の黒字) は増えるでしょうか減るでしょうか?
円でドルを買った人がいれば、その分だけドルを売って円を手に入れた人が増えます。その人がその円をどのように使うかについて考えてみると、日本から資本が流出すれば日本の貿易黒字が増えそうだということがすぐにわかります。
実際、その人がその円を日本の製品を買うことによって消費すればその分だけ日本の貿易黒字が増えます。もしもその円で円建ての資産を買ったとすれば結果的に円建ての資産とドル建ての資産の持ち主が交換されただけということになる。
実はこういう仕組みを正確に表現すると資本収支の赤字 (資本流出) と経常収支の黒字が等しいという恒等式が得られるのだ (正確には外貨準備増減も考慮する必要があるし、現実の統計では誤差脱漏が生じてしまう [A, B]):
(経常収支) + (資本収支) = 0.
野口旭が指摘しているのは、木村剛はこの恒等式を無視して恐怖を煽り、「キャピタル・フライト」の「ハルマゲドン経済論」を宣伝しているということです。これは「相対性理論は間違っている」よりもひどいし、社会的にも有害だと思う。
野口旭曰く、「本書によって「説得された」と感じた読者は、自らの冷静さを疑ってみたほうがよいであろう。」 (「ハルマゲドン経済論」の信者の例)
小泉純一郎首相による田中真紀子外相の更迭がメディアで話題になり、小泉政権の支持率も急激に低下したようですね。支持率低下の原因は「小泉首相は子どもに説明するのが恥ずかしいことをやった」と皆が感じたことだと思います。支持率が頼みの綱であったはずの小泉首相は最悪のタイミングで田中外相を更迭してしまいました。
そういうメディアの報道にあきたらず、小泉純一郎氏の政策にも疑いを持つべきだと気付いた方、特に「構造改革なくして景気回復なし」+「景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう」という氏の言葉に代表される考え方に疑問を持った方は、ポール・クルーグマンの新刊を手に取ってみるのが良いと思います。ここ数年のあいだにクルーグマンが日本について書いてきたエッセイの翻訳を集めたものです。
クルーグマンの本はどれも読み易く面白いので見付けたものは全て買っておいて損がありません。
クルーグマンは「日本は流動性の罠にはまって抜け出せなくなっていること」を指摘し、「将来のインフレ率に関する皆の予想を引き上げる政策」を提案したことで“悪名高い”のですが、クルーグマン初心者はいきなり「インフレ・ターゲティング」などの話に深入りする前に、クルーグマンがどういう認識と思想のもとで不況に対抗することの重要性を説いているかについて理解するよう努力した方が良いと思います。
最近の日本で流行しているのは「激烈な痛みは必要であり、正義である」という考え方です。ある種の人たちにとって、デフレが進み、不況が悪化し、会社が潰れ、失業者が増え続けることは正義の改革が進んでいる証拠であり善いことなのです。クルーグマンが反対しているのはまさにそのような考え方なのだ。 (「良薬口に苦し、ってほんと?―――不景気対抗策の過去、現在」も参照せよ。)
どこに正義あるのかさっぱりわからない小泉首相による田中外相の更迭が話題になっているこの機会に、小泉氏および「痛み」の好きな人たちが支持している政策が方向性において正しいかどうかについて多くの人が疑問を持つようになれば良いと思います。 (特に野党の左派の議員がクルーグマンの発言にもっと興味を持ってくれれば良いと思う。)
参考までに >記事に付属していたアドレス付き発言の内容は、 >「デマを打ち消すため」とは無関係のものでした。 という判断の根拠にした、「赤旗」に掲載されたソース中の文章の 内容を載せておきます。 (紙面を見てタイプした関係で全半角の文字違いがありえます。また、 タイトルのフォーマットや、内容の改行位置は原文とは異なります。) タイトル部分データ 投稿日時:12/27(木)13:11:42 表題:「福島銀行」 本文開始 福島県が100億円預金したなどという噂が流れています。完全に仕手化 しているようで、ちょっと手を出しにくいですね。 訂正:私の下の投稿で間違いがありました。「日本沈没」→「日本破綻」、 「130〜140兆円」→「1300〜1400兆円」、「70兆円」→ 「700兆円」です。二日酔い状態ですね... 本文終わり なお、「赤旗」に載ったソースが「珈琲掲示板」のものなのかどうかは、 データフェチの私が「何ヶ月もかけ、消えるはずの発言を収集して保存 し」ているlogの中に「珈琲掲示板」がないため、照合できず、従って検証 できませんでした。m(_@_)m ---- 私は、「珈琲掲示板物語」の「国民政党なら、信頼のハンドルネームを暴き、 魔女狩りすることは、おやめなさい。そんなことをするのは、掲示板荒しや 密告者だけです。」とのセリフに、"会社のネットを私用に使われている経営者、 ってのもリストに入れてくれ。"と、画面の前で突っ込みを入れてしまいました。 勤務先のネットから私的な書き込みをする、というのは、仮に一般的で あったとしても、褒められたことではないように思います。 冷たいようですが、勤務先の資源を私用に用いる(*)ことから来るリスクは 全部自分で負うしかないでしょう。 *注: これは一般論です。 degenerate_life氏の書き込みがインサイダー情報漏洩とかの類ではない、 すなわち私事と言い切ってよいものであったかどうかの判断は私には 付けられないため、この事件をこの切り口から見た私の判断は"保留"。
飯塚尚己 (富士総合研究所、シニア・エコノミスト) による小林慶一郎・加藤創太著『日本経済の罠−なぜ日本は長期低迷を抜け出せないのか』 (日本経済新聞社、2001年3月) の書評です。「ストックされた分は、3か月ごとに更新されます」ということなので興味のある方は早目に見ておいた方が良いでしょう。
「不良債権処理が遅れているから不況が悪化し続けている」のような主張が各種メディアであたかも真実であるかのように語られてます。小泉首相は不良債権処理を“改革”の目玉の片方にし (もう片方は財政再建のための国債発行枠30兆円)、民主党や社民党のような野党も不良再建処理を政府主導でどんどん進めることに賛成している (民主党は不良再建処理が遅れていることを理由に小泉政権を批判しようとしている)。
そして、借金に耐えられない会社をどんどん潰すべきだ、だから金融緩和や円安は悪である、デフレ対策のためのインフレ・ターゲットなどトンデモない、という類の意見を堂々と述べ続ける方々が活躍していて (例:野口悠紀雄)、小泉首相の「景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう」 (ジェノヴァ・サミット内外記者会見2001年7月22日) という発言を補強し続けているわけです。でも、この方針だと、たとえ現在フローでは黒字でデフレ不況が終了すれば業績を大幅に伸ばす可能性を持った会社であっても、デフレ不況にせいでストックの借金に耐えられない会社はどんどん潰されることになってしまう。
こういう流れに呼応して、小林慶一郎と加藤創太の『日本経済の罠』の「デット・ディスオーガニゼーション」仮説が「不良債権処理なくして景気回復なし」 (これは小泉首相の「構造改革なくして景気回復なし」の部分集合になっている) という主張の理論的な基礎として脚光を浴びてしまったのだ。
しかし、最近出版された野口旭・田中秀臣著『構造改革論の誤解』 (東洋経済新報社、 2001.12) の114-115頁や岩田規久男著『デフレの経済学』 (東洋経済新報社、 2001.12) の253-256頁で指摘されているように、「デット・ディスオーガニゼーション」仮説の支持者が採用している実証分析はずさんであり、現在の日本の状況に「デット・ディスオーガニゼーション」仮説を適用するのは無理なのだ。
飯塚尚己の「不良債権が10年不況の真因なのか」も実証面でのずさんさを指摘してます:
いっぽう不良債権と景気低迷の関係を新たに捉えなおしたディスオーガニゼーション論の実証が不充分である点は、それが本書のコアであるだけに最大の弱点である。筆者がディスオーガニゼーションの根拠としている90年代における企業間の手形決済高の持続的減少は、一部の期間を除いて企業間信用の縮小を意味するものではなく企業の現金決済増加の裏返しでしかない。また、複雑性指標と産出高の回帰分析も、ディスオーガニゼーションの実証分析としてはいささか粗っぽすぎる感がぬぐえない。また、仮にディスオーガニゼーションが生じていたとしても、それが不良債権による企業間の相互不信によって生じたという因果関係の実証も全く不充分である。90年代を通じて経済分析・産業分析にかかわってきた評者の実感としては、中小・零細業者間の分業ネットワークが崩壊しつつあることは間違いないが、それは不良債権に起因するものというよりも、むしろ大企業の収益性向上のためのリストラクチャリングの一環として実施された下請け選別等の要因によるとの印象が強い。
こうした不良債権と景気の実証の不充分さは、そのまま本書後半の政策提言の説得力不足につながっている。
(飯塚尚己「不良債権が10年不況の真因なのか」より)
不良債権によるデット・ディスオーガニゼーションによって供給側に問題が生じているのであればデフレ圧力ではなくインフレ圧力になるはずです。それに対して、「大企業の収益性向上のためのリストラクチャリングの一環として実施された下請け選別等の要因」という飯塚の印象は現実に進んでいるデフレと整合的です。
P.S. 「不良債権が10年不況の真因なのか」を読むと、ニュースの考古学の「『住宅金融公庫』廃止で民間市場は活性化する」 (週刊文春 2001年9月13日号) の転載がおまけに付いて来るので一言。
去年の11/28のニュースステーションではあたかも公庫を使わなくても公庫より低い長期固定金利で融資が受けられるようになったかのように報道されてました。報道されていた城南信用金庫の「城南スーパーマイホーム“超固定”」商品のウェブページを実際に見てみると、確かに赤の大きな字で最初の10年が2.50%で11年目から3.80%という金利が示されてます。しかし、次のようなただし書きがついているのだ:
ただし、ご融資日から10年後の応答月の1日および以降1年毎の応答月の1日現在の城南スーパー定期1年もの預入金額300万円未満の店頭表示金利に年1.20%を上乗せした利率が、当該利率を上回った場合は、この利率が適用されます。
(城南信用金庫のウェブページより)
要するに通常の意味での長期固定金利ではないんですね。優れた金融商品を紹介するのは良いことだと思いますが、肝腎の点で誤解を招くような紹介の仕方をすることによって政治的に利用するという類の報道は迷惑 (特に去年の11/28のニュースステーション)。
要は住みたいと思えるような住居環境を皆がリーズナブルな予算で手に入れられるようになれば良いと思うのですが、現実の政治はそういう方向には進んでないよね。