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黒木のなんでも掲示板2 (0025)

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Id: #b20000613134214  (reply, thread)
Date: Tue Jun 13 13:42:14 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000613111156
Name: くろき げん
Subject: まあいつものことだが

まあ、これもいつものことで、自分が馬鹿であることを世間に隠すために匿名で登場し、こちらがそれは止めてくれと頼んでいるにもかかわらず、発言を繰り返す人がいる。そのようなことを研究者と自称する人物がやって恥じないことに私は驚いています。 (誤解されると困るので念のために述べておきますが、ジャマイカさん、あなたのことです。青山さんには以上の批判は今のところ全然あてはまらない。青山さんは心配しないで下さい。)

ジャマイカさん、匿名のまま反論・批判をここに書き込まないで下さい。このお願いは 3 回目です。すでに述べましたが他の場所で匿名による反論・批判を述べた後でその URL をここで紹介するのは構いません。別の場所で自由にやって下さい。


Id: #b20000613122246  (reply, thread)
Date: Tue Jun 13 12:22:46 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000613040724
Name: たかつか
Subject: フロイト

山形さん、初めまして

私は精神分析は全くの素人なのですが、山形さんの言われていることはちょっとおかしいと思います。山形さんの文を読むと

を混同して自分の都合の良い処だけを取っている様な感じがします。

「フロイト理論自体が、なんのベースもない 思いつきの仮説だ」との事ですが、時代遅れだと言うためには、「フロイト理論」に替わる「新しい理論とその実績を挙げられる」べきだと思います。また歴史的評価であれば当時の他の研究状況への言及があるべきです。間違っているのであれば間違っている例を挙げるべきです。

フロイトにまともな実験は何一つなく、 理論の根拠となっているのは症例 6 つのみ。しかもいずれも、フロイトの理論によって 症状の改善が見られたとか、そういうことは一切ありません。フロイトが勝手に「解釈」した けど患者側は治療を中断したり、フロイト自身が「治療した」 と言ったものも、他の人が確認すると、実はぜんぜんよくなっていないものばかり。

理論の根拠となった症例 が6であることが、理論の価値に影響するのでしょうか?物理学ではそうなのですか?通常、理論にあわない例が多く出ると理論の有効性が疑問視されるのであり、理論の出自根拠を問うのはお門違いではありませんか?湯川が夢で中間子論を思いついても非難はされないように。

また、フロイトの精神科医としての実績と彼の理論を比較するのも失当だと思います。彼の主要な理論は「精神分析」であり、治療法ではないはずです。化学の世界でも「分析」と「合成」は関連しても違う分野ではないでしょうか?

フロイトのように、権威が偶像化した場合は偶像を破壊する事は有用ですが、それは学問的評価とは別の問題だと思います。

「エスもイドも超自我も、なんの根拠もないんですよ。」との事ですが、これらを実在と考えるか、精神分析の用語として考えるかで話が違ってくると思います。山形さんはどちらと考えて言われているのでしょうか?

精神病理学は科学の一分野らしいのですが、この掲示板ではそうは認めていないと言うことでしょうか?


Id: #b20000613120900  (reply, thread)
Date: Tue Jun 13 12:09:00 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000613040724
Name: 青山
Subject: 主に山形さんくろきさん

ええっと、飛び入りですいません。
いつも楽しく読ませていただいてます。
ちょっとつっこんでもらいたいことができましたので書きます。

たまたまなんですが、「構造と力」を最近読みました。
ぼくは数学についてはちいともわかりませんので(微分積分あたりからもうダメ)、「クラインの壷」といわれれば「ほー、そうか」と単純に信じる、というか特に異議はないというしかありません。でした。他の引用についても基本的には同様で、自分でちゃんと読んだことのある本が出ているのでなければ「おかしいぞ」と思うこと自体が難しいので、とりあえず

「まあそういうことにしておこう」

という姿勢に自然なってしまいます。

「知の欺瞞」もすいません、まだ読んでないんですが、今この掲示板で話題にされているのは、「他の分野の学問から何かを引っ張ってくるときには気をつけろ」とか「特によその権威をたのみにするようなモノはちょっとまずいぞ」ということですよね。 (ここの解釈が間違ってればお手上げ)
「構造と力」の場合、近代思想総まとめ浅田風とでもいったらいいような独自な味付けで学問の分野を横断して手際良く料理する、その芸風というか手さばき自体に面白みを感じてしまったので、理論としての信頼性というのは完全に脇において楽しんでしまいました。
そこで思ったのですが、ぼく自身が一般的な読者かどうかはちょっとおいといて、引用文献をごそごそ掘ってゴリゴリ読む、というやり方は、その分野を真剣に学んでいる人でもなければしないような気がするのです。そうでない読み方をする場合にはいったい何をどう気をつけるべきなんでしょう?それともこういう読み方というのはあまりよろしくないんでしょうか?

素性をある程度書いた方がいいようなので書いときます。
ラジカセやらコンポを作ってる会社で働いてる事務屋(2年目)です。
大学は商学部でしたがミクロもマクロもわかってる自信は全然ありません。
会計と社会学をちょっとずつだけ勉強しました。これもわかってるとは思えません。

もしよろしければつっこんでください。

Id: #b20000613113705  (reply, thread)
Date: Tue Jun 13 11:37:05 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000613111156
Name: たざき
Subject: あんまりなので、ちょっと茶々

”説”というのは公認の科学にもあるわけで、進化論、マントル説、形態形成についてのいろいろ、カタストロ フ、複雑系なんかも 神話みたいなものかもしれない。
あまりにも毛色のちがうものがひとくくりに「神話」にされているので、 頭がくらくらします。
ちなみに数学者としてWittenなどの物理と近いことをやるというのは、かなりジレンマがあるのでは?  基本的に量子場理論(Quantum Field Theory: 理論物理の基本的な手法:今だ数学的定義がない)が 使えないでしょうから。代補の手段があるのでしょうか?
場の量子論の数学的な定式化はずっと研究されており、 部分的に成功しています。 (公理的場の理論、構成的場の理論といった分野がある。) しかし、Witten 流の数理物理は、 場の理論そのものの定式化とは少し異なった方向から、 極めて活発に数学に影響を与えています。 とくに、幾何学の分野での影響は非常に大きいそうです。 (黒木さんの研究は代数の方向からのものだと思います。) どうでもいいことですが、Witten が数学の賞であるフィールズ賞を取ったのはそのような流れのひとつの現れでしょう。
Id: #b20000613111156  (reply, thread)
Date: Tue Jun 13 11:11:56 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000613040724
Name: ジャマイカ
Subject: ジャマイカ ラスト スタンド (?)

>いやジャマイカさん、ここらへんの多くの人は、世代的に多少なりともニューアカブームにふれて いるので、ソ
>シュール言語学やフロイト理論のその程度の知識は持っているでしょう。ラカンだって、 あのゴミクズみたいな
>翻訳を読んだ人だっているかもしれないし、原書を見た人だっているかもしれない。 実はジャマイカさんより詳
>しい部分もある人だっているかもしれませんぜ。

それは、当たり前にそうなわけですが、あくまでボード上の発言の範囲で考えたほういいのでは?
ちなみに”ニューアカ”という意味では、私は世代がずれているので、せいぜい傍観者でしたね。


>それ以外の部分でも、おはなしとしては 面白い部分もあります。人が現実を認識して意識化するときの構造
>化の方法は、 ソシュールが考えたような言語の構造化と似たところがあってかなり恣意的で、 無意識でもそ
>うだけれど、でも完全に恣意的ではありえなくて、その中で「自分」って のがどういうふうに決まってくるかとい
>うのにむずかしいところがあって云々、というのは、 なるほどね、という感じではあるし、そうかもね、というとこ
>ろはあります。

”そうかもね”という部分は言語学、記号論、精神学、美学 Etcでは当然あるんですが、それは魅力的な部分なのかもしれません。
学問それぞれ固有の発展があるわけですが、それは”おはなし”というだけではなく、それぞれ必然性があって出てきている説です。
”説”というのは公認の科学にもあるわけで、進化論、マントル説、形態形成についてのいろいろ、カタストロフ、複雑系なんかも
神話みたいなものかもしれない。


>ちなみに、いろんな人がそれをネタにして論文を書いている、というのは必ずしもその理論なり 仮説なりの正
>しさとか業績的な重要性を示すものではありません。ぼくの好きなポール・クルーグマン の説では、「学問で
>栄えるのは、正しい、あるいは裏付けのある説ではなく、小才はきくけれど 独創性のない大学院生どもが、自
>分の小技をひけらかすような論文を量産できる理論なのだ」 というのがあります。ぼくは、フロイトやラカンの理
>論って、かなりこれだと思ってます。

もちろんそういう学問の単なる一業界としての事情もあるわけですが、それだけで片付くわけがない。
フロイトにしてもラカンにしても精神医療の現場のみならず社会の基本的な部分にリンクした形で機能している可能性があり、それに反駁するには、その主たる文脈で叩く必要があります。 ひとりでスノッブに見ても、その呪縛から逃れられるわけでもなく。。 まあ、しかしスノッブな見方も時々服用する下剤的な意味では良いですが。


>で、浅田くんの「構造と力」。わぁ、ぐうぜんだなあ。実は昨日、 別のところで 話題になったばかり です(6/12
>の記述あたり)。もしいまから読む人がいれば、かれも「知の欺瞞」的な濫用をする 人なので、注意してくださ
>い。

わざわざ”知の欺瞞”の射程に入ってしまっているわけですが、実は私は浅田彰氏をかなり高く買っていたりします。何故かというと、
彼ほどしっかりとした編纂、文脈付けができる人はいないからです(文脈付けというのは、知的操作でもあり、彼がそれに長けているのは事実です)。下で敢えて「構造の力」を挙げたのは、その主張が少し入っています。「構造と力」はそれが引き起こしたブームを忘れれば、よくまとまった解説書だと思いますが、どうでしょうか。 
とてもよく書けてると思いませんか? 


では、匿名ですので、有益な情報があったときは、いずれまた出てきます、>> くろき げん さん 
ちなみに数学者としてWittenなどの物理と近いことをやるというのは、かなりジレンマがあるのでは? 
基本的に量子場理論(Quantum Field Theory: 理論物理の基本的な手法:今だ数学的定義がない)が
使えないでしょうから。代補の手段があるのでしょうか? あれば下のWittenの発言は出てきそうにないですが、実際どうされているのか教えていただければ、科学史研究者にとっては貴重な証言になるでしょう。ちなみにDeleuzeは”多様体”という言葉をよく使うのですが、前掲書をよく読んでみると、彼が言っているのは数学で言うところの多様体自体ではなく、むしろ”モジュラス空間”のことです。原語では”ミュルティプリシテ”なんですね。そのへんも参照してコメントしてもらえると、大変助かりますが、無理は言いません、もちろん。


Id: #b20000613040724  (reply, thread)
Date: Tue Jun 13 04:07:24 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000613030946
Name: 山形
Subject: ラカン・フロイト

いやジャマイカさん、ここらへんの多くの人は、世代的に多少なりともニューアカブームにふれて いるので、ソシュール言語学やフロイト理論のその程度の知識は持っているでしょう。ラカンだって、 あのゴミクズみたいな翻訳を読んだ人だっているかもしれないし、原書を見た人だっているかもしれない。 実はジャマイカさんより詳しい部分もある人だっているかもしれませんぜ。

たとえばですが、そもそもフロイト理論自体が、なんのベースもない 思いつきの仮説だということを、ここの常連の一定部分の人は知っているはずです。 一見ご存じないのではと誤解されかねない書き方をなさっていますが、 もちろんジャマイカさんだってこのくらいは当然ご承知のうえで書いてらっしゃるんですよね。 フロイトにまともな実験は何一つなく、 理論の根拠となっているのは症例 6 つのみ。しかもいずれも、フロイトの理論によって 症状の改善が見られたとか、そういうことは一切ありません。フロイトが勝手に「解釈」した けど患者側は治療を中断したり、フロイト自身が「治療した」 と言ったものも、他の人が確認すると、実はぜんぜんよくなっていないものばかり。ここらへん については、Grunbaum "The Foundations of Psychoanalysis" とかSulloway "Freud: Biologist of the Mind" あたりに詳しいです。エスもイドも超自我も、なんの根拠もないんですよ。

ですから、ラカン理論にしても、フロイトの注釈学みたいなことをやってる部分は、フロイトが えらいと思っている人には意味はあるでしょう。でもそうでない人にとってはどうでもいい 話です。

それ以外の部分でも、おはなしとしては 面白い部分もあります。人が現実を認識して意識化するときの構造化の方法は、 ソシュールが考えたような言語の構造化と似たところがあってかなり恣意的で、 無意識でもそうだけれど、でも完全に恣意的ではありえなくて、その中で「自分」って のがどういうふうに決まってくるかというのにむずかしいところがあって云々、というのは、 なるほどね、という感じではあるし、そうかもね、というところはあります。

ソーカルも、「まあそうかもね」についてはまったく否定していません。ただその「まあそうかもね」 を言うときに、わかってもいない数学話で、かっこつけなさんな、ということをとりあえず言ってる わけです。それはその通りでしょう。そしてそういうかっこつけが、ノイズになって重要なはずの 本題まで見にくくなってるんじゃないの、というのもその通りではないですか。

ちなみに、いろんな人がそれをネタにして論文を書いている、というのは必ずしもその理論なり 仮説なりの正しさとか業績的な重要性を示すものではありません。ぼくの好きなポール・クルーグマン の説では、「学問で栄えるのは、正しい、あるいは裏付けのある説ではなく、小才はきくけれど 独創性のない大学院生どもが、自分の小技をひけらかすような論文を量産できる理論なのだ」 というのがあります。ぼくは、フロイトやラカンの理論って、かなりこれだと思ってます。人間精神の はたらきはまだぜんぜんきちんとわかっていないので、何を言っても完全に否定されることは ないし。

で、浅田くんの「構造と力」。わぁ、ぐうぜんだなあ。実は昨日、 別のところで 話題になったばかり です(6/12の記述あたり)。もしいまから読む人がいれば、かれも「知の欺瞞」的な濫用をする 人なので、注意してください。


Id: #b20000613040328  (reply, thread)
Date: Tue Jun 13 04:03:28 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000613024003
Name: くろき げん
Subject: 研究者の匿名について

ジャマイカさん、研究者であるならばなおさら自分だけ一方的に安全圈に隠れて論争に参加するのではなく、是非とも実名で議論に参加して欲しいと思います。 (研究者の匿名には広い意味での同業者として厳しく対応して行きたいと考えています。研究者が実名で自分が信じることを堂々と言えないのはまずいと思う。)

というわけで、ジャマイカさん次回からは反論を書き込みたい場合は匿名を止めるようにして下さい。ここ以外の掲示板において匿名で持論を述べ、その URL をここで宣伝するのは構いません。この記事に反論したい場合はそうして下さい。 (無料掲示板が借りられるサイトでは tcup が有名だし OTD BBS も結構良いと思います。)

「Alan Sokal と Social Text 事件」の直後の議論ではあたかも「カルチュラル・スタディーズ」が Sokal の主な攻撃のターゲットであるかのような誤解が流布されたようですが、『「知」の欺瞞』を見ればわかるように Sokal が真に攻撃したいと思っているのは「カルチュラル・スタディーズ」という分野 (「分野」と言ってしまうとカルスタの精神を誤解していると非難されるかな) ではないことは明らかだと思います。

Witten にしても Sokal にしても「物理学者の代表」と考えるのはあまりにも個性豊かなので相当にまずいと思います。 (ちなみに私がやっている数学は Sokal より Witten の方に圧倒的に近いです。)

私は精神分析学自体を信用できない (そして信用できるか否かについて立証責任があるのは精神分析学の支持者達やユーザー達であり、私ではない) と思っているので、精神分析学の支持者達もしくはそのユーザー達の価値観に基いた権威でもって「あなたもその価値を認めろ」とせまられるとちょっと困ってしまいます。そして、『「知」の欺瞞』に有効な反論をしたければ、そのような態度を絶対に取ってはならないと思います。

そもそも精神分析学のようなタイプの知と権力の関係は人文社会科学の典型的な研究テーマではないのですか? 人文社会科学内部でそのような批判があることを述べずに都合の良い権威だけを挙げるのは『「知」の欺瞞』云々とは独立に問題があると思う。

Sokal が「厳密な数理科学に対して特権的な知的地位を与えている」というのは最もありがちな誤解ですよね。『「知」の欺瞞』は全く逆に各分野独自の方法を擁護する立場を取っています。例えばその249頁の「自然科学の猿真似はやめよう」という一節を見て下さい。

「DeleuzeのGalois理論の理解」に関する典拠の紹介どうもありがとうございます。そのような情報については匿名であっても今後も大歓迎です。重ね重ねどうもありがとうとございました。


Id: #b20000613030946  (reply, thread)
Date: Tue Jun 13 03:09:46 2000
In-Reply-To: b0024.html#b20000605041317
Name: 崎山伸夫
Subject: 自分の言葉...というか雑駁に(ずいぶん間があいちゃいました..)

「キーワードだけで偉そうに語る奴」

というよりは「とりあえずキーワードを並べて反応を待つ怠惰な奴」 というほうが当てはまる状況かと思います。 (で、なぜかここじゃなくてここを refer してるページのほうに若干反応があったり)。

で、黒木さんの求めていることの一部(全部はちょっと大変なので..)について。

「脱パラドックス化」というキーワードについてにしぼります。 ただ、これでもなお「自分の言葉」というよりは「まとめただけ」かもしれないです。

私が前掲の入門書(「ルーマン 社会システム理論」)を読んだところでは、 ルーマンの「理論」(ここではあえて「仮説」と言いかえておいたほうが適切かも)では、 「システム」は「環境」を「観察」するということになってます。 「観察」の定義は「ある区別を手がかりとして指し示すこと」となっていて、 これはスペンサー・ブラウンの論理学からの導入だとのこと (「スペンサー・ブラウンの論理学」については私は知識がないです。 ただ、これは定義をどこから借りてきたかという話だし、 「スペンサー・ブラウンの論理学」を知らないと分からない話でもなさそうなので 今の時点(そもそもルーマンの著作を読むかどうか逡巡してる段階)で そこに立ち入ろうとは思いません)。 さらに、この「観察」というのは「構成主義的認識論」の変種だとのこと。

で、「社会システム」理論に基づく観察というのは、 社会システム(や、そのサブシステムであるさまざまなシステム)の第一次的な観察に対する 第二次的な観察であるとしています。 ただ、ここで「第二次的」な観察としていても、 それは視点をかえれば第一次的な観察であり、さらなる第二次的観察の対象になりうるのだ、 として第二次的な観察が特権的なものではない、としています。

ここで、 「この第二次的な観察は相対主義に陥って任意のものになるのではないか」という問題に 対しては、任意に見えるのは(対象とされる)第一次的な観察にとってであり、 第二次観察それ自体は任意のものではなくシステムに依存した形のものだとしています。 ただ、具体的に第二次観察を観察をしようとすると、自己準拠的なパラドックスに陥るということらしい。 で、そのパラドックスを回避するのが「脱パラドックス化」というテクニックだそうです。 (具体的にどうするか、ということは細かくは書いてない、というか一般解はないみたい?)

で、私が

「脱パラドックス化」といった概念は、 その種の相対主義に陥らないための仕掛けではないかな?

(議論から外した部分を省略)と書いたのは、入門書とか宮台氏の言及をみたところでは、 「脱パラドックス化」という操作は、 要はそのパラドックスを(解決するのでなく)問題にするのを避ける、 ということのように思われたっていうことです。 ある「観察」が「真理」かどうか、ということをその体系内で証明することを放棄して、 かわりに複数の「観察」のなかからより普遍性・妥当性が高いものを採用していく、 という態度かなぁというところです。 入門書(P.129)からルーマンの記述を孫引きしてみると

そうすると、直接的な議論は無意味となり、 どちらの構成がより高次の複雑性をとらえうるかということが問われるだけになるのである

とかなってるので(ほんとはもっと長く引用したほうがいいのかな)。 どちらの構成がより高次の複雑性をとらえうるか」 (私の理解では「より普遍性が高い記述となっているか」という感じ)という判断基準の導入で ソーカルが嫌うところの相対主義から逃れているのかな、というのが私の判断です。

「ゲーデルの不完全定理」への言及についての話はとりあえずあとまわし。 とりあえず こんなの みつけてますけど。これの 4.(i) ゲーデルの定理と決定不能性という章とか。


Id: #b20000613024003  (reply, thread)
Date: Tue Jun 13 02:40:03 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000613002227
Name: ジャマイカ
Subject: REPLY TO くろき げん氏

> ジャマイカさん、 Sokal の学問的な立場について
>ウィッテンの名前を出すだけという極めて権威的なやり方で
>かなり批判的なことを述べているようですが、ここは基本的に
>「匿名」の立場から他人を批判することを禁止している場所です。
>ここのルールをお読み下さい
> (「匿名」の定義もそこに書いてあります)。
>今後は馬鹿なことを言ったときに自分自身が恥を
>かけるだけ十分な状態に自分>の身を置いた上で今後は発言するようにして下さい。

特に批判しているつもりはなかったのですが、気を悪くされたようで申し訳ありません。先日、
「知の欺瞞」を立ち読みして、gooで検索してみたら、このBBSを見つけ、気楽にコメントして
しまった次第です。下で自己紹介を要求されているので自己紹介します。一介の研究者です
が、科学者ではなく、
専攻もSokalが批判しているものに近いかもしれません(カルチュラル・スタディー。。。。)。
インターネットで実名を出す気はありませんが、ルール違反をするためではありません。
趣味はストリング理論の進展を知ることで、時々インターネットで最近の発見をチェックしています。
字面で見ていても面白いものです。

>たとえ「匿名」でないとしても、 Sokal や Witten が何をやっているかを具体的に述べずに
>ジャマイカさんのような攻撃の仕方をするのは好ましくないことだと思います。

たしかにそうですね。
Sokal氏というのは、私が論文を調べた限りでは、物理を数学的に厳密に扱うことを目指している分野
の人のようです。一方Witten氏は、量子重力理論としてのストリング理論を主に研究している人で大家
のようです。何年か前の数学セミナーにWitten氏へのインタヴューが出ていて、私もそれを読んだので
すが、そこで自分の理論を数学的に証明したいか聞かれ、そういったことに何らの興味も持ってい
ないこと、いずれストリング理論自体が数学の証明の道具になるであろう、と言った発言をしていました。
要するにSokal氏とは学問的立場が逆の人をあげてみたわけです。
で、どうもSokal氏を物理学者の代表と考えるのは相当まずい気がします。たとえばPrigogineという人は
Deleuzeを一貫して賞賛し続けていることが知られています。Sokal氏の批判の調子を読むと、彼の学問的
Backgroundの特質がかなり表出してしまっているように私には思われますが、他の方々はどう思われた
でしょうか。 勿論Sokal氏が専攻している分野は数学側から見れば重要なものなのでしょうが。




>ジャマイカさんの Lacan に関する発言も結局のところ単に権威的であり全くお話にならない内容です。
>単に Lacan がある種の人達に大きな影響を与えたという事実を語るだけでは、単にある種の人達の
>権威に頼っているに過ぎず、「Lacan の肯定的な側面」について説明したことにはならないというのが
>私の判断です。「無意識に超越的な参照領域があることを主張し……」という説明も単に
>意味不明なだけです。むしろ、ジャマイカさんのような擁護の仕方は
>「なるほどこういうタイプの権威に弱く理解不能な難解な理論をありがたがるような輩が
> Lacan を擁護するのか」と思う人が増えるだけで逆効果にしかならないと思います。


このBBSには、ラカンの著作を直接読んだ人もいないようで、Sokalという人の本だけ参照して議論している
(ように思われる)のは、実際かなり幼稚なレベルです。で、その分野の人にとってはちゃんと学問的に評価
されている人であることを述べる必要を感じたまでです。(下のはらださんの文だとラカンがただのエキセントリックな人気者だった、
と読まれてしまいそうですし。)で、数学以外にも学問は実在しているわけです。
フロイトが19世紀に精神病の症例を通じて、人の心には意識されていない無意識があるということを提唱しました。
フロイトによれば、人間の心は意識と無意識、自我と超自我、エスといったように、それぞれがそれぞれの役割を
持つ審級に分かれています。一方19世紀にソシュールという言語学者がいて、言語を記号表現(シニフィアン)と
記号内容(シニフィエ)、という二つの審級と、シニフィアンからシニフィエへの指示関係によって考えようとしました。
ラカンは、これら2つの流れを総合した人です。彼の場合は、現実界、想像界、象徴界と分けて、これらが
ソシュールの言語学と同様な構造化を持っていると主張しました。ラカンは実際の症例をこの考え方で説明
したのでした。これは、とても独創的だと思います。もちろん厳密な数理科学に対して特権的な知的地位を
与えているSokal的観点からは単に如何わしい理論なので、駒場のある数学者のように
"数理心理学"でもやるべきかもしれません。
こうして書いてみましたが、やはりまとまった解説書を読んでもらったほうが良さそうです。その分野の権威が
書いたものではないですが、解説書としては、浅田彰氏の「構造と力」が良いでしょう。ラカンはむしろ構造主義に
分類されていて、ポストモダンではなく、モダンということになります。



>P.S. 「DeleuzeのGalois理論」についても典拠をはっきりさせて、...

私はGalois理論までは、教養のセミナーで勉強しています。アルティンの本です。
で、Deleuzeですが、 「差異と反復」p275ーp277でGalois理論を引用しています。体に方程式の根の付加して拡大してゆく拡大体と、各拡大体に対応する自己同型群の列について述べています。そして方程式が代数的に解ける条件を引用しています。私が読むかぎり、正確ですが、どうぞご参照ください。





Id: #b20000613013535  (reply, thread)
Date: Tue Jun 13 01:35:35 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000612182144
Name: くろき げん
Subject: 「なんでも」における早川さんの発言へのリンク

早川さんの「なんでも」における発言で「Sokal」または「ソーカル」を含むものをピックアップしてみました:

印象的だった早川さんの発言を抜粋しておきます。まず「比喩」:

クラスに頭がいいいたずら好きの子Aと、頭はそんなによくないけれど
自分の趣味(例えば詩作)があって、そのことには自負を持っている子Bがいました。
頭のいい子Aはもうひとりの子Bのやっていることを眺めて、「こいつ
やっぱり阿呆なのじゃないの」と思い、ちょっとした悪戯をしてみました。
その悪戯とはBに匿名の手紙を送って、そこで自作の詩を
送りました。Bはその斬新な詩を大層気に入って、別の友人Cに
「隠れた天才がいる」と漏らしました。ところが詩そのものは全くの漫画の
セリフの抜き書きだったのです。翌日、Cから事情を聞いたAはクラスの皆の
前でBに向かって「おまえは詩がわかると自負しているようだけど、漫画の
抜き書きを傑作と思うようじゃ、阿呆だな」とからかいました。もちろん
Bの誇りはずたずたです。まあ小学生だったら泣くでしょうね。頭がいいからって
何をしてもいいのですか?

次に「自明」:

どちらかと言うと「裸の王様」であることは自明と思っておりますから

さらに「inferiority complex」:

彼らの inferiority complex をさかなでするような行為はすべきでない

Id: #b20000613002227  (reply, thread)
Date: Tue Jun 13 00:22:27 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000612210600
Name: くろき げん
Subject: 「匿名」について

ジャマイカさん、 Sokal の学問的な立場についてウィッテンの名前を出すだけという極めて権威的なやり方でかなり批判的なことを述べているようですが、ここは基本的に「匿名」の立場から他人を批判することを禁止している場所です。ここのルールをお読み下さい (「匿名」の定義もそこに書いてあります)。今後は馬鹿なことを言ったときに自分自身が恥をかけるだけ十分な状態に自分の身を置いた上でそのような発言をするようにして下さい。

たとえ「匿名」でないとしても、 Sokal や Witten が何をやっているかを具体的に述べずにジャマイカさんのような攻撃の仕方をするのは好ましくないことだと思います。

ジャマイカさんの Lacan に関する発言も結局のところ単に権威的であり全くお話にならない内容です。単に Lacan がある種の人達に大きな影響を与えたという事実を語るだけでは、単にある種の人達の権威に頼っているに過ぎず、「Lacan の肯定的な側面」について説明したことにはならないというのが私の判断です。「無意識に超越的な参照領域があることを主張し……」という説明も単に意味不明なだけです。むしろ、ジャマイカさんのような擁護の仕方は「なるほどこういうタイプの権威に弱く理解不能な難解な理論をありがたがるような輩が Lacan を擁護するのか」と思う人が増えるだけで逆効果にしかならないと思います。

この私の意見に批判的な意見を述べたらければ、まず馬鹿を言ってしまったときに恥をかけるだけ十分な自己紹介をしてからにしてください。この掲示板はそのようなルールで運営しているのですみません。あしからず。

P.S. 「DeleuzeのGalois理論の理解」についても典拠をはっきりさせて、ジャマイカさん自身の意見を述べた方が良いと思いました。 (例えば私や Sokal さんなどに批判的な意見を述べるのではなく、単に有益な情報としてそれについて解説してくれるのは「匿名」であっても大歓迎。しかし、その解説を批判されたとき、反批判したければ「匿名」の立場でなくなる必要があります。)

P.P.S. ジャマイカさんがどこの何者かわかりませんが他意はありません。お気を悪くしないようにと願っております。


Id: #b20000612210600  (reply, thread)
Date: Mon Jun 12 21:06:00 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000606234908
Name: ジャマイカ
Subject: ラカン

たとえ Sokal-Bricmont (や私など) が納得できないような説明であったとしても「Lacan の肯定的な側面」について具体的に説明してくれるのであれば建設的で好ましいことだと思います。 Lacan がどのように肯定的に評価されているかを知るだけでも嬉しい人がいるかもしれない。

Lacanは精神分析学の世界では、20世紀後半では他に匹敵する人物が
いないと思われます。その主著「エクリ」は非常に重要な著作であると
考えられており、影響も甚大です。Sokalという数理物理学者が部分を
抜き出して批判しても、その評価が変わるようなものではないでしょう。
特にフランスでは68年の大きな社会的運動の挫折の後、Lacan思想
による68年の解釈が大きな流れとなりました。DeleuzeとGuattarriは、
彼らの大部な著作で、Lacan、というより彼の影響のもとで形成された思想
の批判を開始したという経緯があります(それだけではないですが)。

Lacanの難解な思想について簡単に書くのは到底無理ですが、
無意識に超越的な参照領域があることを主張し、その領域が言語によって
構造化されていると考えるのが大きな特徴であると思います。


個人的にはSokalの本は、特に重要なものではないように思います。
LacanにしてもDeleuzeにしても、彼らなりに真摯に目指してるものがあるわけで、
それを多少なりとも理解せずに用語の使い方が変だと言っても、あまり意味がないの
ではないでしょうか? それに彼らはてきとうに書いているわけでもないでしょう。
例えばDeleuzeのGalois理論の理解は(私が読んだ限りでは)非常に精確です。
それよりSokalのBackgroundはかなり特殊なもののようです。
数理物理学というのは物理学のなかでも、かなり特殊な分野のようであり、
自然現象の解明を目指す物理の主流派とは、かなり違う趣味を持っているようです。
ストリング理論の大家のウィッテン氏の数学セミナーでのインタヴューでも、全然
興味が無さそうでしたし。

Id: #b20000612203649  (reply, thread)
Date: Mon Jun 12 20:36:49 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000612182144
Name: まきの
Subject: 「真意」

あまりきちんとまだ読んでないのですが、早川さんの評にもあるように最終章に「真意」がわりと明解に書いてあるように思うのですが、、、最初の方でそれを隠しているのがいかんというのが早川さんの意見なのでしょうか?

それとも、さらにもっとまた別な意図があるのでは?ということなのかな。

3週間の間に3大陸(というかその近くの島)で研究会でちょっと死んでいるまきのでした。


Id: #b20000612182144  (reply, thread)
Date: Mon Jun 12 18:21:44 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000610161337
Name: 大'
Subject: 早川さんの言う「真意」

『本当に何も真意がなくあの本を書いたのであればソーカルを到底許すことをできません。』というからには,「(ある一定の内容の)隠された真意がある」という状態以外では許せん!というスタンスに見える(真意がありさえすれば内容は問わないなんて事はないですよね?)のですが,この「ある一定の内容」としてどのような内容を想定してるのでしょうか?


Id: #b20000610161337  (reply, thread)
Date: Sat Jun 10 16:13:37 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000609203809
Name: 早川

山形さん。どうもありがとうございます。私の投稿の真意と苛立ちは そちらの読み取りで結構です。とんでもと思われるならそれも可です。

しかし本当に何も真意がなくあの本を書いたのであればソーカルを到底 許すことをできません。あの本の翻訳の話が出ていたときに田崎さんでは ない方の翻訳者の方と議論していて、私がソーカルを許し難いと語った ときに、その方が「アメリカではおとり捜査は日常的である。ポスト モダニズムは犯罪的行為である。よって犯罪を告発するソーカルの行為 は許される。」という明解な返答に引き下がった経緯があります。

今回性懲りもなくあの本を買ってしまったのは、Webの文献や英語の文章 では拾えなかったポストモダニズムに対する断罪が明確に述べられている という事を期待していたのです。勿論、誰がどのような誤用をしたなんと いうコレクションには興味は全くありませんでした。そんなことはソーカル がはっきり示していました。後は名前を挙げてくれればあんな長い解説は 不要だったのです(少なくとも私には)。

もし真意が本当にないとすれば以前のソーカルの行為は許されなくなり、 大野氏の明解な意見が無効になります。もしそれ相応の真意があれば ああいう奥歯に物のはさまったような書き方をしないで(ぼこぼこにされる 覚悟をもって)明解に書いて欲しい。例えば田崎さんの複雑系批判のように。 この本は私が読み取った様に一部真意が別にありそうな事を窺わせている にも関わらず、そうではないという事を強調しています。まことに曖昧で 段々読んで行くうちに腹が立った次第です。


Id: #b20000609203809  (reply, thread)
Date: Fri Jun 09 20:38:09 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000609172519
Name: 山形
Subject: トンデモ

は、は、早川さん、ご自分がいかにトンデモな発言をなさっているか、 認識しておられるでしょうか?(別の意図はありません)

 なんですか、この論法は。いちばん単純な解釈は、ソーカルとブリクモンに、早川さんの考えているような「真意」はない ということでしょう。(別の意図はありません)。あっても、あの本では別にそれを表現したいと考えてはいない、 というだけのことです。

 「実はかくかくしかじかのように見れば、本書に隠された別の『真意』が見える」というのであれば 議論としてはよくわかります。「『真意』はどうあれ、この本は別の形で読みとられ、コレコレのように 機能してしまうからよろしくない」という議論も成り立つでしょう。しかし、「別の『真意』がある。(だからずるい)。しかしそれは読みとれない。 (だからもっとずるい)」という早川さんの議論は、ふつうは単なる邪推と言われることが多いと思いますが、 もちろん早川さんの議論が邪推だと断定しているわけではありません(別の意図があります)。読みとれない のであれば、それは読者には何の関係もないことではないですか。(別の意図はありません)

 「トンデモ本の世界」という本に、日本のお札に悪魔のメッセージを読みとろうとする方の著書が 紹介されています。その方は、「最近はメッセージが見つかりにくい。こんなわかりにくい形で メッセージを隠されては困るのだ」とこぼしておられるそうです(別の意図はあります)。 早川さんの議論も、これと同じです(別の意図は多少あります)。

 それ以外の、武谷や坂田が云々という話も、勝手に「ソーカルたちならこう思うはずだ」と 早川さんが勝手に決めつけているだけです。そうなのかもしれないし、そうでないかもしれない。 それ以上のことは何も言えません(別の意図はありません)。

とか書くと、「山形はあの本の翻訳に協力しているから、その真意を知りつつ加担していて欺瞞的だ」 と言われてしまうのでしょうか(別の意図は多少あります)。


Id: #b20000609172519  (reply, thread)
Date: Fri Jun 09 17:25:19 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000609153942
Name: 早川

ソーカルとブリクモント、あるいはソーカルの単独のもので、 彼らは常に「ここから何が言えたか」という書き方をしています。 例えばソーカルの最初の解説で「Social Textの編集者の無能ぶりが 言えた」と語っています。これは同意します。しかし意図は別に あるともないとも言っていない。「知的欺瞞」でも同じ様な手段を 使っています。「批判の対象になった人が科学用語を濫用している」 というのは正しい。「濫用を取り除いた方がいい」というのも正しい。 しかし嘘までついて そうした事をしようその目的はかなりぼかしている。 政治的意図は一部表明している。だが強調していない。後はいくばくかの解説と 専守防衛に徹している。全く不親切な本です。

田崎さんの複雑系嫌いは少なくとも意図がはっきりしているし、論旨は 一貫しています。僕も嫌いですし、それは切り離しましょう。彼らの 様な高等戦術は使っていません。ブリクモントは難しい。僕は一緒に 本を出した時点でソーカルを(真意を知って)受け入れたと理解します。 そうすればあのような分かりにくい本を出した事は欺瞞でしょう。

坂田さん云々は気に入らなければ忘れてください。別に受容する必要は ないし、そういう人でも(だからこそ?)かなり独創的な仕事をし得たと いう事は事実です。それだけ。


Id: #b20000609153942  (reply, thread)
Date: Fri Jun 09 15:39:42 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000609150736
Name: 田崎
Subject: 早川さんの読み方

どうせ嘘が書いてあるから書いてあることは信じない、隠されている真意を見抜いてやろうと思って読んでいるので真意がわからない --- と公言されてしまえば、誰も何もいえません。 (パロディー論文を書くような奴は駄目だ、というところに尽きるわけでしょう?)

坂田物理云々の話は、なんだかわかりません。 この本とは関係ない気がするけれど。 仰りたいことがあれば、この本とは切り離した方がいいんじゃないですか?(Bricomont 一人での Prigogine 批判とか、田崎の複雑系嫌いとか。)


Id: #b20000609150736  (reply, thread)
Date: Fri Jun 09 15:07:36 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000609124912
Name: 早川

田崎さん。読んだつもりです。僕には彼らの裏の意図が分からない。 非常にわかりにくい本です。彼らが言っていることは文字通り受け取っては いけないことは確かです。また彼らは用心深く言葉を選んでいますからこちら が指摘してもいくらでも逃げを打てる様に書いてあります。

勿論、ソーカルがあんなひどいことをしていなかったら田崎さんの言うような 彼らの主張を文字通り受け取ることができたかもしれません。しかし単なる 嘘だけでなく、どこまで嘘でどこに真意があるのか私には不明なのです。

実際、彼らの主張が書いてある通りであれば、田崎さんの言うように変更 したかもしれません。しかしプリゴジンに対するちょっとエキセントリック に見える応対等を見ても、彼らが実際に坂田さんの様な研究者をまの当たり にしたとき冷静でいられる筈がないと思います。もしそう思われるのであれば 坂田さんに対する認識が不足しています。彼は私のホームページに書いてある 通りかなり常識外れな人ですし、批判の対象となってもおかしくないのです。

むしろ坂田さんの様な人(武谷さんのような人)を批判しませんと言うのは 彼らとしては嘘になるし、そうであったらますます彼らの真意は分からなく なります。彼らが真意とは別に一見隙を見せようとしないで過剰防衛をして いるところもちょっと気に入りません。ともかく嘘は嘘を呼ぶという事です。

とりあえず今日の授業でソーカルの本を紹介しておきました。ともかく前半の 一般的主張は教育的であり、文系の諸君には役に立ったでしょう。またごく 簡単に彼のやったことは個人としては許しがたいことである、そして科学の 方がより大きな問題をひきおこし得るという事もルイセンコを例に出して講義 しました。ルイセンコについてのノートも公開する予定です。

ところでここからは一般論ですが、ポストモダニズムや反科学論を取り除いた ソーシャルスタディーズというのは意味のあるものが(お題目だけを 信じると)残りそうに思えます。ここいらはノートを書いていて違和感があり ました。誰か解説をして頂けませんか。

PS: 新宮さんのぶっとんだ講演記録は先日配布されたものにありました。 彼がああいった数学を使うようになったのは山口昌哉さんの影響もあった ようです。山口さんのサロンは湯川さんのサロンを模したものであり、湯川 さんの回りではもっと過激な話があったと思います。坂田さんは湯川さんより 遥かに過激です。従って(もとの話に戻って)田崎さんの2番目の指摘については マイナーな変更はともかく大筋は撤回する予定はありません。 かれらがそういうものを受容するというのはそれこそ不正直です。


Id: #b20000609124912  (reply, thread)
Date: Fri Jun 09 12:49:12 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000608213328
Name: 田崎
Subject: 若干の修正?

早川さんの評を簡単に眺めてみました。 「若干の修正」とおっしゃいますが、 ほとんど変わっていないように見えますね。 私の二つ目のコメントについては、まったく効果がなかったようですが、読み違いでしょうか?

早川さんご自身あまり読む気がなかったとお認めになっていることからも、 それほど丁寧には読まれていないと推察するのですが、 それは誤解でしょうか? 別に丁寧に読んでいただく必要(そもそも読んでいただく必要)もまったくないのですから、 ご無理をして評を公開されなくても、 「ソーカルは汚いことをやっった奴なので、そんな奴の本はそれだけでも駄目だ、 読む気がしない」 という「正論」を主張される方が一貫しているという印象を持ちます。


Id: #b20000609075219  (reply, thread)
Date: Fri Jun 09 07:52:19 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000609010442
Name: 田崎
Subject: どうも

原田さん、ありがとうございます。
確かに書いてありますが,もれなく実践されているのかどうか,というと,そうではないと思う, ということです.
了解。 個別の例についてそういう批判はありうると思います。

その直後の

何かのテキストを読んで,全体に何が書いてあるのか分からなかったとき,これこれこういうものに 目を通してみたが結局何が書いてあるのか分からなかった,というのと,この著者のいっていることは すべてデタラメだ,というのとには差があると私は思います
にはもちろん賛成ですし、しつこいですが、Sokal & Bricmont もそう言い続けています。
Id: #b20000609010442  (reply, thread)
Date: Fri Jun 09 01:04:42 2000
URL: mah@kcat.zaq.ne.jp
Name: はらだだよ
Subject: Re: このとても大事なことに違反している??

偉そうなこと事を書いてしまいましたけど,

>少なくとも『「知」の欺瞞』の1章を文字通りによむかぎりでは、 上に引用した原田さんの解釈とは
>正反対のことが書いてあります。 

確かに書いてありますが,もれなく実践されているのかどうか,というと,そうではないと思う,
ということです.

何かのテキストを読んで,全体に何が書いてあるのか分からなかったとき,これこれこういうものに
目を通してみたが結局何が書いてあるのか分からなかった,というのと,この著者のいっていることは
すべてデタラメだ,というのとには差があると私は思います.

「知の欺瞞」のp50で,ラカンの「数学」はあまりに荒唐無稽なので,どのような心理学的な分析にも
役に立たない,と結論づけられてますが,心理学的な分析とは何か,理解していない限り,こうは
いえないでしょう.

p12から13にかけて,知的な目標があって数学を使っているのか,読者を煙に巻くために
使っている簡単なルールが提唱されてます.ほぼ納得できますが,Lacanの場合は第三の可能性が
あります.メビウスの帯とか射影平面の切断,というのは,納得するためには,ちょっと
模型を新聞紙か何かで作ればいいわけで,べつに位相空間の定義を知っている必要はないし,
初歩的といえば初歩的なことですけど,他の方法で言葉で説明できないことだとも思うのです.


Id: #b20000609010142  (reply, thread)
Date: Fri Jun 09 01:01:42 2000
URL: mah@kcat.zaq.ne.jp
Name: はらだだよ
Subject: Re: こういう方向に進めばいいなという話
>結局のところ、はらださんは誰でも言える一般論のレベルで何とかしようとしているように
>見えるのですが、僕はそれじゃあまずいと思います。

たしかに,私はSokal-Bricmontは,Lacanに関しては,有益な議論の出発点になる可能性は
低いであろう,という観測を述べているだけです.いわゆる科学哲学に関しては,まったく
正反対の観測を持っておりますが.

> Lacan およびその弟子達がどのように考えていたかを誰かが紹介しなければいけない。

たぶん弟子たちは,どうでも良いと思っていたんではないでしょうか.

Id: #b20000608234410  (reply, thread)
Date: Thu Jun 08 23:44:10 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000608213328
Name: たざき
Subject: 早川さん

ご無理をなさって読んでいただく必要もないかと思います。
Id: #b20000608213328  (reply, thread)
Date: Thu Jun 08 21:33:28 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000608162404
Name: 早川

田崎さん、皆様

田崎さんの御指摘を部分的に採り入れ若干の訂正をしました。 しかし、ソーカルは他人をだまして喜ぶ人間ですから文字通り 用語の濫用をやめさせるのがこの本を著した目的とは信じられません。 少なくとも最初からポストモダニズムは用語の濫用をするから駄目と (そう外挿するなとは書いてありますが)はっきり言った方がずっと効果的 であったと思います。実際、彼らは本の出版にも関わらずポストモダニズム が隆盛を保ったらどう思うのでしょうか。いずれにしても韜晦するのではなく 正直に語って欲しいものです。嘘を一回ついた人の本はとても読みにくい。


Id: #b20000608162404  (reply, thread)
Date: Thu Jun 08 16:24:04 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000608003032
Name: 田崎晴明
Subject: このとても大事なことに違反している??

原田さん、
でも一方で,今の自分の知識や理解が最終的なものである, とするのは,少なくとも科学者はもっとしてはいけないことだと私は信じています.

Sokal-Bricmont の第一章は,私には,このとても大事なことに違反しているとしか思えませんでした.

とおっしゃる意味がよくわかりません。 早川さんの評へのコメントにも書いたように、 少なくとも『「知」の欺瞞』の1章を文字通りによむかぎりでは、 上に引用した原田さんの解釈とは正反対のことが書いてあります。 「今の自分の知識や理解が最終的なものである, とするのは,・・・いけない」からこそ、 自分たちの知識で誤用だと指摘できる部分のみに対して限定した批判をおこない、 作品全体の、あるいは個々の思想家の思想全体の価値の判断にはいっさいふみこまない、 という姿勢をとっているのだと理解しています。

それは上辺のきれい事のポーズに過ぎず、 ソーカル+ブリクモンは本心では「自分の知識や理解が最終的」だと信じているのだ --- といった話の運び方もないわけではないとは思いますが、 その場合には、ひとこと説明がほしいですね。


Id: #b20000608103112  (reply, thread)
Date: Thu Jun 08 10:31:12 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000607175132
Name: たかつか
Subject: 犯罪の実在の補足

よく考えてみるとちょっと変な部分もあるので補足します。

犯罪は実在するか

私は犯罪は法律上で日常性を排除した議論の上に作られた「理論的存在=概念」として実在すると思っています。ですから殺人という犯罪は実在しますが、個々の事件が殺人に該当するかどうかの区別は難しいと思っています。

司法現場で「真実と正義」が実在すると考えても良いと思いますが、個々の事件での「真実と正義」を見いだす事は難しいことです。

私の先の発言だと「夜と昼の境目を定義する事が難しいから、夜は実在しない」と主張しているよう見えますが、そういうつもりではありません。

「具体的な事件(行為)を犯罪として認めるかどうか と言う点を 客観的事実から決定可能である」という点に反対したつもりなのです。(多分刑法上では、行為を行った時の意志(故意、過失)も問題になるので純粋な「客観的事実」だけでは「犯罪の認定」は難しいと思います。)

「実在」という言葉は「自然科学」と「哲学、社会学」で同じ意味なのでしょうか? 何となく疑問に思ってしまいました。


Id: #b20000608031425  (reply, thread)
Date: Thu Jun 08 03:14:25 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000608014455
Name: 櫻田
Subject: 黒木さんの

この意見には大賛成です。加えて、黒木さんが批判したいことが、かなり明確に理解できたように思うので、確認させてください。

「あの人は有名だからあの人は偉い」「あの人は偉いからあの人の言うことは正しい」という風潮に輪をかけて、「あの偉い人が認めているからあの人も偉い」「多くの(偉い)人があの人は偉いというからあの人は偉い」という調子で権力が自己増殖して行くことの危険性や弊害こそを黒木さんは批判しているのだと理解したのですが、これは適切ですか?

さらにその危険性や弊害というのは主に次のようなものだと理解しました。すなわち:

難解で晦渋なレトリックを用いた文章が、既に「権威ある」出版社から出版されると多くの読者が威嚇されて「あの人は偉い」と思い込まされる。そうするとさらに上に書いたような自己増殖過程を経て腐敗した権力が加速度的に強化される。そうなってしまうとその人の主張や学説についてまともに議論することが非常に困難になる。

というものです。そしてその「難解で晦渋なレトリックを用いた文章」が有意義なものであるが表現が困難なものであるようなものならば、広くまともに理解されるよう分かり良い表現にする努力がなされるべきであろう。もちろん無意味なものであるならば、せめて政治的/社会的に無害な個人的趣味の領域くらいにとどめられるべきであろう。そのようにミソとクソを峻別することに始まる「マトモな議論」が必要である。

黒木さんはこのようなことを意図しているのだと理解しました。そしてそのためには、説明の過程に、結局「誰某が評価するから」としか言えない種類の議論がどの程度入り込んでいるかがひとつの判断基準になると思いました。


Id: #b20000608030247  (reply, thread)
Date: Thu Jun 08 03:02:47 2000
Name: くろき げん
Subject: Latour vs Sokal

インターネット上に次々に流れて来る情報で最も見どころがあったのは、ラトゥールとソーカルの対決でした。その件について知っていた方が『「知」の欺瞞』を興味深く読めると思います。

1996年春に『「知」の欺瞞』の付録Aに収録されている有名なパロディー論文が『ソーシャル・テキスト』誌の「サイエンス・ウォーズ特集号」 (科学者批判特集号) に掲載されました。その事件は人格攻撃を含む激しい議論を引き起こしました。『ソーシャル・テキスト』にとってちょっとかわいそうかなと思われるような反応が数多くあったのですが、ブルーノ・ラトゥールもそのような反応を示していました。なんとラトゥールさんは偽論文が掲載されてしまった件に関して次のように述べてしまったのです (Le Monde, 18 Jan 1997):

単に駄目な雑誌だからそんなことになったんだよ。("Parce que, tout simplement, c'est une mauvaise revue")

実はさらにもっとひどいことをラトゥールさんは言っていて、『ソーシャル・テキスト』を潰すつもりであれば拍手喝采だなどと書いているのだ。これを見て、ソーカルさんはさっそくル・モンド紙にラトゥール批判を投稿しました。ソーカルさん曰く (Le Monde, 31 Jan 1997)、

『ソーシャル・テキスト』は駄目な雑誌ではない。実際興味深い論文が掲載されている。俺のパロディー論文にあなたの論文も引用されている。ラトゥールさん、あなたも批判のターゲットになっているんだよ。

『ソーシャル・テキスト』を馬鹿にしまくったラトゥールさん自身が今度は俎上に上がることになったわけです。このディベートにおいて、ラトゥールさんが『ソーシャル・テキスト』を滅茶苦茶けなしてしまったことは大変なディスアドバンテージになっていたと思います。実際滅茶苦茶感じが悪いですよね。

ある場所で拾ったこの件の英語によるレビューをこっそり置いておいたので興味のある方は見て下さい。その後ソーカルさんはブリクモンさんとの共著の中で一章を割いてラトゥール批判を展開することになるわけです。もちろん『「知」の欺瞞』で読めます。

P.S. 誤解されないために念のために言っておきますが、ディベートでラトゥールさんがボロボロに負かされていたとしても、ラトゥールさん自身の真面目な仕事の価値が失われたということにはなりません。ディベートと仕事は別に評価されるべきでしょう。


Id: #b20000608014455  (reply, thread)
Date: Thu Jun 08 01:44:55 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000608003032
Name: くろき げん
Subject: こういう方向に進めばいいなという話

結局のところ、はらださんは誰でも言える一般論のレベルで何とかしようとしているように見えるのですが、僕はそれじゃあまずいと思います。

私の「「対応している」の意味をはっきりさせて、それを正当化するための議論が必要だと思います」という発言に対して、はらださんは「みんな必要だと思っているから,大量の二次文献が生産されているんだと思うんですけど」と言っていますが、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。少なくとも新宮氏の本はそういう類の本ではありませんでした。ここから先は僕とはらださんが話し合うだけでは結論が出ないことです。 Lacan およびその弟子達がどのように考えていたかを誰かが紹介しなければいけない。

あと、何度でも強調しておきますが、僕は別に「Sokal-Bricmont の主張は全て正しかった」という結論が最終的に出る必要はないと思っています。ほぼ間違いなく Sokal-Bricmont もそうでしょう。

Sokal-Bricmont と同じような疑問を持っていた人は結構いるんじゃないですか? はらださんも「私は精神分析全般が,意味のない文章を並べ立てるだけだ,というのは立派な見識だと思う.ファインマンもそう書いていたし,私も昔はそう思っていた」とおっしゃっている。しかし、 Sokal-Bricmont ほど大声で (その最初のバージョンはフランスで出版された!)、「これっておかしいんじゃないの?」と言った人はいないと思います。彼らは典拠のはっきりした現物を引用しているのですから『「知」の欺瞞』を読むことによって、「彼らの批判が正しいかどうかわからなくても、少なくともこういう疑問を持つことは当然だ」と感じる人はさらに増えるでしょう。『「知」の欺瞞』の価値は皆が答えて欲しいと思っているような疑問を大声で述べたことにあるのです。

だから、『「知」の欺瞞』に対して、著者達への人格攻撃で対抗したり、何も具体的な説明をせずに一般論を語るだけで反論したつもりになるのは逆効果にしかならないと思います。なぜならば、そういう対応の仕方を見て、読者は「なんだ誰もまともに反論できないのか」「結局のところ Sokal-Bricmont への反論として有効な具体的な議論を展開してないじゃないか」「それは私が知りたいこととは違う」などなどと感じるだろうからです。実際、堀茂樹氏の「きみはソーカル事件を知っているか?」によればフランスにおける反応はそれよりひどいものだったようです。これは非常に残念なことだと思います。日本ではそうならないことを祈りたいですね。

しかし、これとは逆に、 Sokal-Bricmont が批判している部分について具体的に説明してみせることによって説得力ある反論をし、批判されている思想家達の肯定的な側面を誠実に説明して見せたとしたら、一挙に大勢は逆転すると思います。私はそのようになることを大変好ましいことだと考えています。そこまで完壁な反論ができなくても、この機会に、批判されている思想家達の肯定的な側面の誠実な解説が流布することは大変素晴しいことだと思うのだ。


Id: #b20000608003441  (reply, thread)
Date: Thu Jun 08 00:34:41 2000
URL: mah@kcat.zaq.ne.jp
Name: はらだだよ
Subject: 下間違い
>少なくとも科学者はもっとしてはいけないことだと

少なくとも科学者は,もっとも,してはいけないことだと私は信じています.

Id: #b20000608003032  (reply, thread)
Date: Thu Jun 08 00:30:32 2000
URL: mah@kcat.zaq.ne.jp
Name: はらだだよ
Subject: 大事なことって
>どうしてそれで納得できるのでしょうか? 

納得は,できないですが,無意味と思わない程度には現実味を感じてしまう,
ということなんです.

>「対応している」の意味をはっきりさせて、それを正当化するための議論が必要だと思います。

みんな必要だと思っているから,大量の二次文献が生産されているんだと思うんですけど.

具体的な議論かどうか,分からないのですが,前に言及したシェママのの事典(「知の欺瞞」には
引用されてませんが)は,ラカンの提案から始まった,いわばオフィシャルハンドブックと
いうことになっているようです.私は,ほとんどこれを読んで,いいかげんに済ませています.
虚数もコンパクト性も黄金数も,この事典には出てきません.
私も黄金数の話に現実味を感じることはありません.

>Sokal-Bricmont の行き過ぎに見える Lacan 非難も十分説得力があるように感じられ
>ました。

分からないから価値がある,何だか偉い人がいっているから意味がある,というような態度が
批判されるべきでるのは,もちろんです.でも一方で,今の自分の知識や理解が最終的なものである,
とするのは,少なくとも科学者はもっとしてはいけないことだと私は信じています.

Sokal-Bricmont の第一章は,私には,このとても大事なことに違反しているとしか思えませんでした.
それはつまり何らかの政治的意図なんだろうと.ウイットゲンシュタインを保守にいれるような,
私にはつきあえない世界の話にしか聞こえません.

これを認めるならば,
チャンドラー・デイヴィスの「20世紀の数学はどこでおかしくなったか」
になるのは,もう一歩ではないか.

Id: #b20000607234529  (reply, thread)
Date: Wed Jun 07 23:45:29 2000
Name: 田崎晴明
Subject: 早川氏の『「知」の欺瞞』評

早川さんから『「知」の欺瞞』の評(彼の講義で使うもののようです)を書いたとのお知らせをいただきました。 趣旨は早川氏が以前から主張されていたことであり、本に接しても御意見は変わらなかった、ということだと思います。

いろいろと感想はありますが、 ざっと読んだ範囲で明らかに誤解ではないか、あるいは、 この評を読んだ人に誤解を与えるのではないか、と思える点を指摘します。

また著者等のポスト・モダン知識人の言説に対する 引用や攻撃のスタイルは一貫していないように思われる。 実際、「知の欺瞞」に関して
ニュートンの著作の90%が錬金術や神秘主義を扱ったものだといわれているにも かかわらず、それ以外の仕事が「経験に基づいた合理的な議論にしっかり支えら れているから、今日でも色褪せていない」(知の欺瞞p.10)
としているにも拘らず、有名人の挙げ足取りに終始している。逆に言えば、こう した攻撃ではポスト・モダン側の上記そっくりそのままの反論が可能になる。 つまり(私は信じないが)ポスト・モダン側に仮に普遍的でかつ意味のある内容が あったとすれば、彼らの比喩や表現が不適切であったとしてもソーカル等の批判 はまさに無意味であるという事になる。
これは誤読でしょう。 どうも、早川氏はソーカルとブリクモンが採用した「戦略」を勝手に誤解している節がある。 著者らは、早川氏が引用している部分の前後で、 まさに「ポスト・モダン側の上記そっくりそのままの反論」を歓迎するという意味のことを言っている。 (早川氏がそれが本心だと信じない、というのは勝手ですが。) 自分たちは、個別の部分における自然科学の濫用を指摘するだけに留めるので、 それを知った上で、これらの著作を批判的に分析し価値の有無を判断してほしい、と繰り返している。 そして、もしこれらの作品の濫用意外の部分に深い意味があるなら、自分たちの批判は枝葉末節なものにすぎないことになる(p. 11)と認めている。

ソーカル=ブリクモンの批判は、きわめて限定されたものだということは、 『「知」の欺瞞を』よく読めばわかると思う。 早川氏の評を読んだ人は、かれらが批判する作品の全体を無効にしようとしている、 と誤解するだろうから、これは改めるべきだと思う。

また、最後の方の

知の欺瞞ではポストモダニズムの論理的な破綻を指摘しようとしているが、そも そも物理学が決して論理的な学問ではないという事を忘却しているのではなかろ うか。 例えばファインマンはファインマンルールの正しさを証明できずに使っていて、 シュウィンガー流の計算では1日かかる計算を30分で実行できた。またボーアは その原子模型で当時知られていた物理法則を無視して電子が定められた軌道上を 動くとした。ゲルマンやツバイクは当時あり得ないとされた分数電荷を持ち込み、 更に統計則を無視してクォークを導入した、等枚挙に暇がない。
も、同じ考え違いによる誤読だと思う。 ソーカル=ブリクモンの批判は、「論理的な破綻」といった高級なレベルのことではなく、 個々の例について、科学の概念と議論されているべき内容とが関係さえしていない、ことを示すだけのものである。 そして、特に4章では、科学の進歩が決して杓子定規に明文化できるものでないことを繰り返し議論している。 たとえば p102 の (88) の直前の二行ほどをご覧いただきたい。
科学者は、どの道 を選ぶかについてできる範囲で 最良の推測をするしかないし、 たとえ十分な経験的な証拠がなくと も暫定的な決断を下さなくては ならない。 所詮、人生は短いのだ。
早川氏の挙げるファインマンなどの例は、まさに、ここで言っていることの好例だと思う。
Id: #b20000607175132  (reply, thread)
Date: Wed Jun 07 17:51:32 2000
In-Reply-To: b0024.html#b20000606210124
Name: たかつか
Subject: 犯罪は社会構成的か

ちょっと、長くなりましたが、反論めいたものわ書きます。こなみさんの言われる

このことから結論できるのは、日本の警察の捜査方法が(個人)経験的、主観的、従人的であって、 そのために本来存在したはずの客観的物証を取り落としたり、論理的に積み重ねたりする能力に欠けている。 それが、「真犯人」を決定できなくする原因になっているということですよね。

ここは、その通りなのですが、「客観的物証」とは何かに注意する必要があると思います。問題は次です。

だとするとこの文章は、非客観的な方法は解決につながらなくて、客観的で事実に基づいた方法が 有用であるということを意味します。つまり、真実を明らかにするには、実在論的に振舞うことが 正しいということを暗に示しているわけです。

ここで「客観的で事実に基づいた方法」や「実在論的に振舞うこと」は正しいのですが、「有用である」には疑問があります。またソーカル達の犯罪捜査法が「客観的で事実に基づいた方法」であって、新科学哲学の犯罪捜査法がそうで無いと言うことでも無いと思います(カルチャースタディズとは別に考えています)。

科学の研究でもそうだと思いますが、「客観的物証」を効率よく集め、整理分析するには、それなりの方法や予測が有効です。つまり仮説に基づいて証拠を探し、解釈している事になります(理論負荷性)。例えば人が道で死んでいた事件の捜査だと

の仮説(見込み)立てられると思います。そしてそれらに基づいて集められた証拠はその仮説の是非を問うには有効な「客観的物証」であったとしても、他の仮説にも有効であるとは限らないですよね。

殺人事件で、容疑者としてX、Y、Zの3人の容疑者がいたとして、「XとYが犯人では無いという客観的物証」は、「Zが犯人であるという客観的物証」では無いですよね。

では、「殺人事件で被害者の周辺に犯人がいるという仮説」の基に集められた「客観的物証」から仮説そのものが間違っていると言えるでしょうか?犯人が見つからなくとも仮説が間違っているとは言いにくいと思います(革命は起こりにくい)。では実際には「殺人事件で通り魔の犯行」であることが分かった後(パラダイム変化の後)「周辺犯人説の客観的物証」同じ意味、重要性をもつでしょうか?これらは、再評価されて新しい仮説の下で取捨選択されると思います。

科学哲学と法哲学のつながりは知りませんが、科学社会学と犯罪学は社会学を通してつながっていると思います。マートンやなどは、どちらの本にも出てきます。

伊藤笏康の本ですが、放送大学の教養の教科書だと思います。やたらと参考文献(翻訳)が多いですね。彼は放送大学でもう1冊「科学哲学」も出していますが、そちらは見てないので良く分かりません。専攻は自然の哲学、科学の哲学と心の哲学との事です。ソーカルの批判が的中するような言説有無は分かりません。

犯罪捜査と科学哲学というと京大の内井先生はシャーロックホームズ研究の大家ですね。共通点があるのかな。

こなみさんは立派な弁護士の知り合いが大勢居られるようで羨ましいです。さて、私は犯罪被害者支援の方に興味がありまして、刑事事件などを調べたりする事が多いのです。そういう場合加害者(犯人)側の弁護士の言動は残念ながら「真実と正義」を置き忘れたものがあるように思います。特に「親告罪」関係では加害者の有利になるのであれば何をしても良いのかと思うことがあります。

本来、法廷を検察、被告の闘争の場とすれば、そこでは両者の利害がぶつかるのであり、「真実と正義」はその結果として実現される事になります(特に米国ではその傾向があります)。被告の利害に反してまで「真実と正義」を言うかという問題は弁護士にとり古典的な悩みだと愚考しています。

「真実はどこにあるのか?それは社会構成的な概念で あって、実在論的に語るというのはナイーブな話しだ」といったことは、司法の現場では通用しない と思います。

と言われていますが、隼君事件(過失致死罪への刑事政策の変更を遠因として不起訴)の様に世論により証拠が出て起訴、有罪になった。また神戸事件で警察の誘導尋問による自白を理由として少年の無罪を主張した弁護士がいたのです。

「(日本の)司法の現場」の真実とは司法関係者、特に裁判官が裁判で認めたものだけであると私は思います。例え真実であったとしても適正な手続きに反すれば「証拠」にはなりません。

同じ様な交通事故を起こしても刑事政策の変更では起訴・不起訴に分かれます。例え万人が認める証拠があってもそれを違法に入手すれば、「証拠」には採用されません。

こなみさんの言われる司法現場の「実在論的真実」は、私には「司法での真実、法廷での真実」としか思えないのですが、誤解しているのでしょうか?


Id: #b20000607102157  (reply, thread)
Date: Wed Jun 07 10:21:57 2000
In-Reply-To: b0024.html#b20000606211304
Name: たかつか
Subject: 親告罪について

こなみさん、はじめまして

つたない考えに返事を頂き有り難うございます。順序が前後しますが、時間の関係で、追記の方から書きます。

私の社会構成的の意味はこなみさんと同じで、「「事実は事実として客観的である」という最初の前提を否定する」です。ただ親告罪等の裁判の意味はちょっと違って「レイプ等の裁判」を考えています(レイプと言う言葉を使いたくなかったので親告罪としたのですが、・・・)。

この場合、犯罪を構成(あっと刑法の違法性の議論とは違って大雑把な話ですが)するには最低

1)具体的な行為の有無(詳しい内容が問われると思います)

2)行為に対する同意の有無

が必要になると思います。1)だけを立証しても犯罪にはなりません。単純に言うと「1)は事実として客観的である」が、「2)は事実として客観的であると言えるか」と言うことです。裁判と言っているのは、裁判で問題になる(被告側弁護士の主張する点)のは2)の部分になるからです。

念のため、同意の有無とは、どれだけ抵抗したか(死ぬ気で抵抗したかどうかと言う点)が重要だそうです。(私はそういう解釈にはついていけないのですが)


Id: #b20000607021824  (reply, thread)
Date: Wed Jun 07 02:18:24 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000607012247
Name: くろき げん
Subject: トポロジーと神経症とパラノイア

はらださん、どうしてそれで納得できるのでしょうか? 私も同様の解釈を考てもみました。しかし、「神経症はトーラスのサイクルに沿った切断に対応していて,射影空間の切断はパラノイアに対応している」と主張したいのであれば、「対応している」の意味をはっきりさせて、それを正当化するための議論が必要だと思います。

僕が引用した新宮の「黄金数」の利用の仕方についてだって様々な解釈が考えられるでしょう。しかし、あのような「黄金数」の利用を正当化するための議論を彼は何もしてないのです。「人間を x、チンパンジーを y とする」といきなり言われてもねえ。

私は日本におけるこういう実例を知っていたので、 Sokal-Bricmont の行き過ぎに見える Lacan 非難も十分説得力があるように感じられました。 Lacan 自身に価値があったとしても、その擬似数学的スタイルの猿真似が増えるのはやはり迷惑だと思います。 (すでに述べたように香山リカが「ラカン云々」というのは私にとって不快ではないです。)

なお、 Lacan が世に出て来る様は新宮氏の本にも詳しく書いてあります。


Id: #b20000607015011  (reply, thread)
Date: Wed Jun 07 01:50:11 2000
In-Reply-To: b0024.html#b20000606171730
Name: くろき げん
Subject: 小学生

ああ、おおまめうださん、できればリンクしておいて下さい。次回からはよろしく。おおまめうださんが言うところの「小学生」云々というのはこれこれに関する話ですよね。

これもまた不毛な話なのだ。


Id: #b20000607012247  (reply, thread)
Date: Wed Jun 07 01:22:47 2000
URL: mah@kcat.zaq.ne.jp
Name: はらだ
Subject: 結局は時間の無駄なんでしょうけど.
>Sokal-Bricmont の非難に対して具体的に反論できるかということだと思います。

「知の欺瞞」のp26では,(Lacan 1970)が引用されていて,その先のテクストを読んでも意味が不明と
かかれているけど,(どこで引用されているのかわからない)(Lacan 1973)では,それが纏められている
ので,それを読むべきである,というようなことでしょうか.私は(Lacan 1973)は読んでないのですが,
シェママが編んだ精神分析事典の「トポロジー」の項目によるならば,神経症はトーラスのサイクルに沿った
切断に対応していて,射影空間の切断はパラノイアに対応している,というようなことでいいんでしょうか.

で,納得できますか.私には,これは残ったサイクルの自己交点数がゼロかゼロでないかに対応している
という意味で,とても納得できる解答なんで困っちゃうんです.これをトポロジーの言葉以外で表すことは
とりあえず不可能だとしか思えないわけで.

でも結局こういうふうに反論しても時間の無駄にしか終わらないように思います.言葉で
神経症とかパラノイアを(私が)説明できるとも思えませんので.(私も神経症ってなんだか分かっている
わけではないし,パラノイアは例を一つ知っているくらいですので)

最後に私のつたない知識の範囲で,ラカンがなぜ名声を得たのか,恥を忍んで誰かのお役に立てれば,
という気持ちで,説明させて下さい.
初期にいくつかの従来にはなかった治療例を示したこともさることながら,セミネールと呼んだ
講演での,魔術的なしゃべりが口コミで人気をよんだようです.で何だかプライオリティーの問題が
起こって,急遽出版された「エクリ」のわけのわからなさと,それに呼応した二次文献の洪水によって
結果的にさらなる名声を獲得したみたいです.結局体系的な著述は残さなかった.たぶんもっとも
重要なセミネールの編集と記録の出版は現在も終わってなくて,とくにトポロジーの関係は出てない.
たぶん誰も理解してなかったし,良いインフォーマットもいなかったんでしょう.一方で海賊版の
講演録も多数出版されていて,ま,素人が具体的に論議できるような状況ではないということです.

Id: #b20000607011818  (reply, thread)
Date: Wed Jun 07 01:18:18 2000
In-Reply-To: b0024.html#b20000606100432
Name: くろき げん
Subject: 思い出しました!

鈴木クニエさん、思い出しました。本当に失礼しました。完全に思い出した。そのときに迷惑をかけたことまで思い出しました。あのときは本当に失礼しました。あのとき一緒した同僚の某も元気です。これも何かの縁なので今後もよろしくお願いします。

註の付け方ネタの続き。

草思社で出しているサイエンス・マスターズ・シリーズでは横書きでの脚注の習慣をそのまま縦書きに持ち込んたスタイルを取ってますね。「左腕註」という感じかな。見開きの左側のページの左に縦線を引いてスペースを作って、そこに小文字で註を入れるという方式です。でも、この方式で『「知」の欺瞞』のような膨大な量の註を処理するのは大変かもしれない。


Id: #b20000607010018  (reply, thread)
Date: Wed Jun 07 01:00:18 2000
In-Reply-To: b0025.html#b20000606234908
Name: くろき げん
Subject: Lacan の擬似数学的スタイルの影響の実例

新宮一成著『ラカンの精神分析』 (講談社現代新書1278) の 137-139 頁より抜粋:

 創造論と進化論を対比させるなら、ラカンはきっぱりした創造論者である。〈略〉

 ところが、進化論的な観点からなされた研究の中に、ラカン的な真実が現れて驚かされることがある。テレビで、日本の研究班によるアフリカのチンパンジーの研究が放映されたことがある。〈略〉

 〈中略〉

 もとの観察の動機を思い出してみよう。それは、人間が、チンパンジーからの進化論的延長として、大自然の一部として存在している、という仮説を検証することであった。道具使用の連続性を発見することで、その目的は成功した。しかし、大自然の一部として、人間はどのようなものなのか、という問いはまだ残されている。果たして自然は、人間を、自らの一部にふさわしいものとして、見てくれるだろうか……。

 このような問いが、この観察実践を動機づけていたと考えてみよう。そうすると、前章で書いた方程式が、再び当てはまる。人間が、チンパンジーの群れを観察しているということの中に、自然にとって、人間が何であるのかということが、浮かび上がってこなければならない。人間を x、チンパンジーを y とすると、

 y       x
--- = -------
 x     x + y

となる。 x + y は、チンパンジーと人間を足して出来上がる、自然の連続的進化の全体である。前章でやったのと同じように、再び黄金数が、つまり対象 a が現れる。

ここで「黄金数」とは上の方程式の解に対する a = y/x = (√5 - 1)/2 のことです(上掲書 96 頁に説明あり)。

新宮氏ってどういう方なんだろうか?

Lacan のこういう類の影響を肯定的に評価するのはかなり難しいと思いますけどねえ。個人的には香山リカちゃんが「ラカン云々」言っていても非難する気にはなれないのだ。:-) 擬似数学的スタイルの影響も受けてないしね。新宮のセンスと香山のセンスでは大違いだと思う。 (ドゥルーズ云々についても同様。)

ううむ……。「人間が、チンパンジーからの進化論的延長として、大自然の一部として存在している」ってのはやはり「チンパンジーが進化してヒトになった」という意味なんでしょうかね。進化に関する誤解については長谷川寿一・長谷川眞理子共著『進化と人間行動』 (東京大学出版会) の第2章第3節が非常にわかり易いです。この本は進化論一般の入門書としておすすめです。


Id: #b20000606234908  (reply, thread)
Date: Tue Jun 06 23:49:08 2000
In-Reply-To: b0024.html#b20000606222314
Name: くろき げん
Subject: そういう話よりも Lacan の肯定的な側面に関する説明をしなければいけないと思う

結局、はらださんは可能性に関する一般論を語るだけで、 Sokal-Bricmont への反論として有効になりそうな「Lacan の肯定的な側面」を何一つ具体的に説明できてないですよね。

可能性に関する一般論を語るだけなら誰でもできます。はらださんのようなタイプの議論を繰り返すのは建設的じゃないし時間の無駄だと思う。

非自明な問題は、可能性に関する一般論を語ることではなく、 Sokal-Bricmont の非難に対して具体的に反論できるかということだと思います。例えば、 Lacan が何を言っていたかを具体的に説明し、 Sokal-Bricmont の行き過ぎた非難を引用した上で、「Lacan はこうなのだから、 Sokal-Bricmont のこの非難は無意味である」と言えば良いのだ。

たとえ Sokal-Bricmont (や私など) が納得できないような説明であったとしても「Lacan の肯定的な側面」について具体的に説明してくれるのであれば建設的で好ましいことだと思います。 Lacan がどのように肯定的に評価されているかを知るだけでも嬉しい人がいるかもしれない。

そのような建設的な議論を発見したら、その場所をここで教えて下さると助かります。


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管理者: 黒木 玄  <kuroki@math.tohoku.ac.jp>  (Web Site)
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