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> 「クラッカー」普及策の決定打?
歌詞とはちょっと違うが、パラッパラッパーで「卵をクラックしろ!」と言ってるのはプレイした人ならご存知のはず。これは「クール」というよりはただの日常英語か。
関係ないが10年位前のハーレクインロマンスに「ラブ・ハッカー」というのがあった。
田舎に住む主人公の前にハイテク業界の青年実業家が現れる(微笑)。
(まあハーレクインは異星人とか未来人とかもありだからなあ...。)
> てっくと よんでくれ
ハッカー理解はTeXと違って、コンピュータ文化とか計算機開発史の理解に影響を与えると考えます。これは最近発売されたbit 別冊「情報セキュリティ」でも強調されるところです。(ちなみにクヌースも出てくる。)
愉快犯の人たちはハッカーと呼ばれたいから名乗ってるわけで、テレビ報道はそれを助長するだけだと思う。
> hacker, guru, wizard 使い分けが微妙らしい。
他の人に伝授するようになると guru の域になるとか、それらは実は序列になっている(ネタが古い...)という説もありますね。
> ソフトウェア工学にハッキングが欠けていた
というのは同意します。ソフトウェア工学の人の気持ちはわかるけど。オライリーから出た『オープンソース』は「ハッカー国小史」ではじまり「ハッカーの逆襲」で終る長大なハッカー文化本なのだけど、Paul Vixie が
やるべき仕事がたくさんあり、自分のものの見方も根本的に変えなければならないと悟ったとき、「プログラマ」は「ソフトウェアエンジニア」になれる。とか説教くさいことを書いていて、伸び伸びと書いている執筆陣の中で浮いてしまっているのだが、気持ちはわかる。
最後に念のために書いておきますが、私は文句をつけたいのではありません。
文句は直接マスコミや省庁に出すものであって、ここに書くものではない。
ここに投稿している人は文句を垂れるのではなく、原因をさがしたり生産的な意見交換を求めているのだと考えています。
あ、そだそだ、ちょっと宣伝。
■開催日:2000年2月1日(火)
■会場 :筑波大学 大学会館 国際会議室
■主催 :日本学術振興会 未来開拓学術研究推進事業
「計算科学」研究推進委員会
というもののため、2/1は筑波にいってきます。このような分野に御関心がおありのかた、そうでなくてもお暇なかたはどうぞご来場下さい。なんかメイルで回った案内には「申し込み締切は1月21日(金) です」って書いてあるけど、 Web ページのほうはなにもないなあ。
さらに宣伝。「科学」2000年2月 号には「GRAPE-5からGRAPE-6へ―世界最高速計算機からみる計算科学」と いう短文を載せていただきました。この号には
読者からの手紙 牧野淳一郎氏の手紙への疑問―科学者は“あなた任せ”でよいのか(藤 原正三)
なんてものもあり、合わせてお楽しみいただけるようになっております。是非お買い求めを。
てっくと よんでくれ
ばかばか、3行めの歌詞をまちがえた。ださださ。 #彼氏にうっかりハッキングされちゃダメ。じゃなくて、 クラッキングされちゃダメ、です、とーぜん。いちばん 肝心な箇所なのにぃ。えーん。
発売初日で100万枚売れたというモー娘。の新曲 『恋のダンスサイト』に 「ホームページ」という歌詞が。(日本語の歌にこの単語が 登場するのはもしかすると初めて?) つんくに「クラッカー」を使った曲を作ってもらうのが 普及にはいちばん手っ取り早いかも。
#クールな女の子なら、だれでも知ってる。イェイイェイ
#ハッカーとクラッカーはちがうのよ。ウ・ハー、ウ・ハー
#彼氏にうっかりハッキングされちゃダメ。イェイイェイ
#ちゃんとハッカーを選びなさいな。ウ・ハー、ウ・ハー
結局、記事を書くときは 「一般読者にわかりやすいように」 といったことで決まるのでしょうね。 WWW page (と書きつつ、口では web page と言っている) のことをホームページというのだって、 誤用だと知りつつみんなの使っている言い方にした方が話が早いということで使うというケースも多い (というより多かったので定着した) ということだろうし。
言葉の用法がゆらいでいるとき、マスコミや行政に「正しい」使い方を奨励する義務があるか、 という問題になりますね。
うぅむ。「意味は違うけどカッコイイから『ハッカー』を使うぜ! クラッカー? だせーじゃん!」ってのは、マスメディアにはやってほしくないですね。そういう理由だったとしても『ダメダメ』って感想は変わらないなぁ。。。というか、それもまた確信犯的誤用なのでは。(^^;;
で、下々の人はともかくとしても、(良い意味で)ハッカーと呼ばれている人本人からすれば、たちの悪い悪戯っ子と一緒くたにされたら嫌な感じするんじゃないですかね。山根さんはハッカーって呼ばれたことありますか? もしあったら、その立場からのコメントを聞きたい。別に山根さんでなくても良いんだけど。
そう言えば、何年か前に留学生から network guru とか呼ばれて「network にはもっと great な guru が一杯いるんだから、せめて old Mac guru にしろ」とか言ってみたら、近所に古 Mac マニヤがいなかったおかげで話題にものぼらず、平和に過ごせた事がありました(どうでも良い)。で、で、「ハッカー」が Koooool! なのは、やっぱりミントがクールだからではないでしょうか(馬鹿)。
「ハッカー」の確信犯的な誤用ということですが,これって非常に単純に 「だってクラッカーってなんかかっこわるい言い方だしー」ってことで 「ハッカー」になってるということはないのでしょうか?語感の問題というか。 #もちろんなぜ「ハッカー」って言った方がクールに聞こえるのかということは #考えないといけませんが。 「お上」がどう思って「ハッカー」と使っているのかということと同時に, 「下々のものども」(って誰なのかはわかりませんが)が「ハッカー」と 聞いてどう思っているのか(思わされているのか)も考える必要が あるのかなあなどと思ったりしてます。
インターネットを通じて米国政府機関のコンピューターに不正侵入を重ねていたケビン・ミトニック被告は「大物ハッカー」と呼ばれた。小説にも、しばしばハッカーは登場し、映画のタイトルにもなった。コンピューターに侵入し、データやプログラムを改ざんしたり、破壊したりする悪質なマニアがハッカーと称される。だが、米国でもともと使われ出したときの意味は「卓越した能力をもつ専門家」だったらしい。最近、米国ばかりか、国内でも本来の意味に戻そうという動きが広がっている。警察庁も「破壊者」を示す「クラッカー」などの名称に言い換える方針で、「ネットワーク犯罪の摘発のためにハッカーとは協調したい」と言っている。現に、警察がクラッカーと発表すればクラッカーと報道されてます(ただし、クラッシャーと間違えて訳していますが)。
(略)
朝日新聞も不正侵入者の意味で「ハッカー」を使うことがある。しかし、正式な取り決めではなく、読者から悪い意味で使うべきでないという指摘もあるため、今後の検討課題、としている。
コンピューターウイルスなどの調査や対策の検討をしている情報処理振興事業協会の棟上昭男理事は、国内で本来の「ハッカー」と呼べる人は「百人程度」といい、手塚調査官も天才ハッカー少年などとマスコミに紹介された例は、技術的には「単なるマニア」のレベルだと指摘する。
多くの専門家が本来の意味での「ハッカー」と認める一人、東京大学名誉教授の和田英一さんは、プログラム開発者用のパソコンキーボードを開発し、去年暮れにあえて「ハッピーハッキングキーボード」の商品名で発売した。和田さんは「専門家であるハッカー自身が、まず自分がハッカーなのだと意識することだ」と話している。
通信ネットの“悪者”どう呼ぶ ハッカー改めクラッカーへ 【大阪】朝日新聞 1997.05.27 朝刊(関西以外の地域では朝日新聞1997/6/3(火)夕刊)
(T_T)。崎山さんはそこでインターネットセキュリティに国家防衛が入ってくることに注目しているわけですね。
次にCliff Stollの件ですが、ACM学会誌に載った報告では「ハッカーとは」という文章でちゃんと説明してます。
(Clifford Stoll. "Stalking the Wily Hacker" in Computers under Attack, pp.156--185, With Editor's note. Firstly appeared in Commun. ACM 31, 5. (May 1988), pp.484--7)
ちなみに、その後Stollをフォローして「辞書に載ってる古英語の語義で俗語を解釈するために生じる誤解だろう」という投稿が掲載されました。(実際、現代語に強い辞書はちゃんと両者を区別してます)
Stall の小説The cuckoo's egg : tracking a spy through the maze of computer espionageは持ってないのでわからない。Snake Oilにはなかったような気がする。
あと、Eva の MAGI は「ハッキング」されてます。まああれで死海文書とか計算機を勉強するやつはいないでしょう。
近いところでは、Eva の MAGI は「ハッキング」されるんだっけ、 「クラッキング」されるんだっけ? なんとなく後者のようだが、記憶が定かでない。 誰か覚えてるでしょ。
# 黒木さん、以前のご質問については答える時期を逸したと思ってるのでまたいつか。
マスコミが素朴に「スキルのある人間を恐がる」、というのは、 そういう要素もあるだろうけどちょっと違うと思うんです。 単に「スキルがある」ということでしたら、 「技術立国ニッポン」なんてフレーズを使ってたひともいるぐらい:-)で、 そういうひとは(「恐がられる」人達よりも)たくさんいるように思います。
しかし、すぐれた技術をもっていても、 多分、企業(これはベンチャーとかじゃなくて、財閥系大企業と、その関係の 大中小企業、みたいなイメージです。もちろん現代の企業はいろいろ変化して きているので現実の姿がどうこうではなく、紋切型なイメージの話)とか組織のヒエラルキー のなかにいて、その秩序に完全に沿ったことしかしてないと、それは「恐がられない」んです。 で、単に大きく「技術者」っていうくくりだと、そういう「秩序」の外で仕事をすることが不可能 であったりするので、そういう意味では全く「恐がられ」ようがないと思うんですが、 誰でも家庭にコンピュータをもてる今というのは、 実際に「秩序」にとらわれなくてもいいというところがある。 で、コンピュータ使いの部分集合である、(正用の)「ハッカー」と呼ばれる人種は、hacker ethic と呼ばれるような気質をもっていると。これは、別に「反体制」でもなんでもないけど、でも、 山根さんが書いているように、 「秩序」と矛盾することはある。これで「恐がられる」というこなみさんの話になる。 科学者を恐がる、というのも、基本的に同じような話だと思いますね。
で、ここまでだとどうということないのですが、そもそも、今回の誤用の氾濫は、アメリカ合衆国大統領が 「サイバーテロ対策」という話をして(ここが誤用のはじまり)、それをうけて日本でも同じような話をして、 というタイミングに偶然にも派手な不正アクセスがあって...という流れだということに注目しないといけない。 (さらに遡ると、フジテレビとかは去年から「サイバーテロ」云々と煽ってましたけどね)。
「サイバーテロ」これって情報セキュリティな概念でもネットワークセキュリティな概念でもなくて、 完全に National Security な概念だと私は考えます(当り前っちゃぁ当り前なんだけど)。 National Security とかそういう話が好きなひとにとっては、 そもそも「自律した個人がコードを書いて共有して、それが世界を動かす」なんて、その図自体が 「リスク」でしかないんじゃなかろうか、という気がしてます (もちろん、これは前半部分の話とは表裏一体でしょう)。 「ハッカー倫理に従い企業と国家の正義とは別のところで動く人々」というのは、彼らにとっては、 「まだ犯罪をおかしてない連中」でしかない。だから、意図的に悪い意味で使う。 「マッチポンプで儲けてる連中」なんて、そのまわりで寄生してるだけ、だと私は思ってます。
(ちょっと単純に書いちゃってるんで、陰謀史観的バイアスかかっちゃったかもしれず)。
情報セキュリティ関係省庁局長等会議による、「ハッカー対策等の基盤整備に係る行動計画」には「いわゆるハッカー*1によるコンピュータへの侵入」とあり、注釈では「*1 「ハッカー」は、さまざまな意味で用いられるが、本行動計画では、コンピュータに不正なアクセスを行う者を指す。」などとあります。クラッカーに関しては何ら言及されていないし、当然本来の意味のハッカーの説明もありません。
でこの情報セキュリティ関係省庁局長等会議というのは、
まあ関係無いんですが、個人的には官庁が作るWWWページに丸数字などの機種依存文字は入れないで欲しいなあ。ちなみに防衛庁はきっちりしていて、リンク先の文書に機種依存文字を含まざるを得ないときはちゃんと「ここから先のページには機種依存文字が含まれます」と警告してくれます。
なお、ハッカーを侵入者のことだと思っている人はもちろん論外だけど、ソフトウェア工学 (software engineering) をソフトウェアに関する工学の総称だと勘違いしても、この議論は全く理解できなくなります。念のため。
「21世紀の社会と科学技術を考える懇談会」をようやく見ました。 よくあるお上の研究会かと思っていたら、総合科学技術会議とやらの前座ではないか。 なんと2001年にできる内閣府の下の常設機関ではないか!!、しかも権限が大きそう。 #あんなメンバーが横滑りだと嫌だなあ
以前も話題になったけど、Social Text編集者の Andrew Ross は保守的アカデミズムを脱中心化するカウンターカルチャーとしてインターネットワームを称揚し、「ハッカーになろう!」と白痴的なことを言っていますね。
日本の省庁はさすがに冷静で、公式の文書にはハッカーという言葉はみかけない。たとえば無権限アクセスとか、クラッカーとして分けてるし。
しかし報道されているように、科学技術庁がハッカー=侵入者とみなしている、あるいは侵入者がハッカーを名乗ればそのまま認定するようだったら抗議したいと考えています。もしも科学技術庁が公式に誤用していたら、コンピュータ文化の先は暗い。
たとえばIEEEの国際学会誌で「現代のソフトウェア開発はハッキングが主流でソフトウェアエンジニアリングに欠ける」という特集があり、日本でも真剣にとりあげられてる。ハッカー=侵入者といった理解では、そういった議論がまったく理解できなくなります。
ソフトウェアエンジニアはキッシュを喰う(本物の男はキッシュを喰わない)といういいまわしもわからなくなるぞ。:-)
PC論者かどうかはともかくとして、個人的には黒木さんと同じくクラッカーとハッカーを混同して書いている新聞や雑誌の記事には不満があります。
#ホームページをHPと略すのもちょっと不満。HPと書かれるとHewlett-Packerd
#と読んでしまう(^_^;;
ただ今回の事件の場合、毎日新聞(関西版)によると、「科技庁の英文名である「STA 」と書かれたホームページの表紙が書き換えられ、「Brazil poo hackerz」の署名が添えられていた。」とあります。 このように自らを「ハッカー」となのる「クラッカー」が存在するというのが、未だ混同している原因のひとつかと思います。
新聞(例えば毎日新聞)でもテレビでも「ハッカー」という言葉を使って騒いでますね。マスメディアでは「ハッカー=コンピュータを駆使して悪いことをする奴」でしょう。悪い 使い手はクラッカーで,よい使い手はハッカーだなどいうのは絶対に浸透しない と思う。科学者だって,マスコミの連中には 「俺たちには理解不可能な知識を駆使する恐いやつら」という認識をもたれていたりするくらいだもの。 「スキルのあるコンピュータ使い」はどうやっても「よい存在」には見てもらえないという ところがあるんじゃないだろうか。よくて「敬して遠ざける存在」だな。
そのせいで、科学技術庁のホームページは「こちらは科学技術庁ホームページです。只今調整中です」となってますが、先の紹介した21世紀の社会と科学技術を考える懇談会のページは現在読めますね。
新聞(例えば毎日新聞)でもテレビでも「ハッカー」という言葉を使って騒いでますね。「クラッカー」と言い変えたくなる私は PC 論者? (^^;)
あぁ、安全科学・国際政治班代表の薬師寺泰蔵先生も委員をやっている。 (これじゃほとんど独り言だな...)
編者の一人の岡部恒治氏自身による『分数ができない大学生』 (岡部恒治、戸瀬信之、西村和雄編、東洋経済新報社) の解説が21世紀の社会と科学技術を考える懇談会:第8回会合議事録にあります。
私の理解では、岡部恒治氏らは、「偏差値の高い名のある有名な大学であっても分数ができない大学生がいる」という事実を示した上で、「その原因は初等教育から大学入試までのシステムの欠陥にある」と考え、「だから、そのシステムを改める必要がある」と主張しているのだと思います。特に「ゆとりの教育」の名のもとで現在行なわれている初等中等教育のカリキュラムの変更を批判しているのだと思います。
誤解して反感を持っている人が結構いるようですけどね。
21世紀の社会と科学技術を考える懇談会審議経過ですが結構おもろいな。 (もちろん、そこでなされた発言に対する賛否は別。)
第5回会合議事録では立花隆氏が「科学技術創造立国の遠い夢」というタイトルで「分数ができない大学生」の実態を紹介しています。特に数学関係者にとっては興味があるのではないでしょうか? さすがに話の仕方がうまいな。
「相当有名な、名前を出せばだれでも知っているような一流と言われている大学」の学生すなわち偏差値秀才の学生でさえ「分数ができない」という点を明確に説明していることは好感が持てますね。世間一般では「相当有名な、名前を出せばだれでも知っているような一流と言われている大学」においてもそうであることを見逃し、事態を過少評価している人が多いのだ。
他の省庁のサイトに掲載されている議事録の多くも同様なのですが、21世紀の社会と科学技術を考える懇談会第2回会合議事録のように発言者の名前を書かずに「委員」と書いてあるのはどうしてなんでしょうかね? その議事録に関しては審議経過に「1.村上座長代理意見発表 「STS研究の現状と問題点」」と書いてあるので、村上氏の発言がそこにあることがわかるのですが。
見る人が見れば誰なのかわかるだけの情報が議事録に記載されているように思われるので「委員」と匿名にしても無意味だと思う。実名を書いて欲しいのだ。
科学技術庁:科学技術会議政策委員会:21世紀の社会と科学技術を考える懇談会 (frame) :審議経過:第2回会合議事録(平成11年4月20日(火)14:00〜16:00、科学技術庁第1、第2会議室)で村上陽一郎座長代理の次の発言を読めます:
特にこれはアメリカの場合だが、例としてソーカル事件というのがあって、このソーカル事件というのは何かということはここでは説明しないが、最後につけ加えた「現代思想」の昨年の11月号で「サイエンス・ウオーズ」という特集を組んでいるが、この「サイエンス・ウオーズ」というのが実はこのソーカル事件を中心とした理工系の、特に理系からの反発とこういうSTS研究というものの間にある非常に強い緊張関係を示すものとして、こういう事柄も起こっているということはちょっとお耳に入れておけばと思った。
原文は第2回会合議事録で読めます。
村上はどのような意図でこのようなことを述べたのでしょうかね?
実際のところ、アラン・ソーカルはSTS研究そのものを攻撃してません。彼が何を批判していたかについては、彼の「ソーシャル・テクスト事件からわかること、わからないこと」を参照せよ。特にその「科学の社会的研究から得られるだろうと思っているプラスの事柄をいくつか挙げておこう」の後の説明を見よ。
確かに村上陽一郎個人の著作に含まれている発言の幾つかがソーカルによる批判のターゲットに含まれてしまうことになるでしょうが、それをSTS全体が批判されているかのように語るのはおかしい。 (どのような発言が批判のターゲットになり得るかについては「微分の言い抜け」発言に関する議論を参照せよ。)
サイエンス・ウォーズ・キャンペーンの実態については「サイエンス・ウォーズ・キャンペーンとは何か」 (およびその補足) を見よ。ソーカル事件以後の論争については「ソーカル事件と『知的詐欺』以後の論争」を見よ。
(とはいえ、事典ならバラエティーに富んでいて、 カテゴリーが一致しないのも当然か。 と納得してしまう。)
小ネタです。九州大学大学院比較社会文化研究科の過去の入試問題から平成11年度春期入学試験問題:科学技術史を覗くと次のような問題が出題されていることがわかります:
問2.以下の6個の用語の内から3個を選び、それぞれ300字程度で、科学技術史事典風に解説せよ。
D.社会構築主義
E.高温超伝導
F.安全学
G.ケルヴィン卿の1900年の講演
H.ルードヴィヒ・ボルツマン
I.ソーカル事件
どなたがこのキーワードを選んだんだろうか?
FOM - Foundation of Mathematics ML における "Millenium Conference" thread.
Kazhdan と Macpherson の講演のレポートは 1/14 の Mark Steiner の記事で読めます。ただし、FOM に関する ML の記事なので、関心は FOM に偏りまくっています。
> (なんで知ってるかって? ^_^;).
ここは深く聞いてはいけないところですね。(^^;) 受験した生徒の意見はコレです。(この子はコンピューターは選択してませんけど)
> 数学で出せるBASICのプログラムは「汚い」か「簡単すぎる」か
> どちらかに決まっているのですが,学習指導要領の縛りがきついの
> で仕方ない面もあります.
aitoさんにそう言われるとそうなんだろうなぁと思うんですが、今回のコンピューターの問題は 「数Aと数Bを入れ替えて印刷してしまったのでは?」とトンデモナイ邪推をしたくなります。
数学で出せるBASICのプログラムは「汚い」か「簡単すぎる」か どちらかに決まっているのですが,学習指導要領の縛りがきついの で仕方ない面もあります. 新指導要領を見てみたら,2003年以降は プログラムは数学Bだけになるようですね.
数学1Aと2Bのそれぞれにコンピューターの問題(ほとんどBASICのプログラム)があるのですが、普通は1Aの方が2Bより当然易しいのです。(高校生は数学Aを履修してから数学Bを履修するので)
ところが今年は難易が逆で、数Aのコンピューターの方が数Bのそれより明らかに難しいです。(それぞれの問題は駿台予備校のページで見られます。数A第5問、数B第6問) 何故、そう判断できるかというと以下がその理由です。
きっと1Aと2Bで別のチームが作成してるんでしょうけど、互いに問題を見せ合ったりしないんでしょうね。せめてコンピューターという同じ内容の問題ぐらいは情報交換すべきだと思うんですが、そんなこともしないんですね、きっと。共通一次から数えて20年もやってる試験なのにそんな基本的な作業もしないんですね。
**************
これ以外にもイイノカナァと思うところがあるんです。
数1A第1問[2]の確率は、指導要領の言う「数1の確率では、確率の乗法定理は独立な試行の場合に限ること」に反している気がします。(問題はコレ) だって、サイコロの目の出方によってサイコロを振る回数が変わってくるんですから、1回目のサイコロの目と2回目のサイコロの目は従属じゃないですかね?
数2B第1問[1](2)は対数のグラフの平行移動の問題ですが、「数1A2Bまでの範囲だとグラフの平行移動は2次関数にとどめて、平行移動の一般的な話は数3で扱う」と言う指導要領に反してませんかね?(問題はコレ)
出題者は現行の教科書をよく読んでなくて、以前の「数1、確率、基礎解析、代数幾何」のつもりで作ってるんじゃないかと思います。それなら教科書の範囲内ですから。
センター試験がここまでいい加減なことをしてくれるなら、「教科書の範囲を多少越えた知識もないとセンター試験だって解けません」と言えるからボクも仕事(受験生を相手してます)がしやすいや、と溜め息尽きつつ思いますね。
> HP の CEO のインタビュー記事と、「キャンパスにはびこるジェンダー・ハラスメント」の記事を 並べて読むとなかなかなものがあります。
わたしは後者を流し読みしただけですが、いまやこの種の記事って、 まあとりあえずこういうのも入れておくか、という 安直安パイ定番便利企画になりさがってませんかしら(筆者の姿勢ではなく、編集部の)。 せっかくだから、「なかなか」感を味わうために、前者も読んでみよう。 ん、インタビュアーは下村満子かぁ、うげげ。
みなさん、はじめまして。青木と申します。現在フリーターをやっています。 山形さん、僕もNINE INCH NAILS見に行きました。初日です。もう、すごかった の一言ですね。バンドの誰かは血を流していたんじゃないかと思うくらい、 凄まじいライブでした。 でも残念だったのは、スタンディングではなく、2階で見たことです。 両者の温度差は相当のものだったでしょう。2階は空席がたくさんあったし (どなたかが危惧されていた通りでした)、座っている人も多かったです。 当然僕は跳んでましたけど。「head like a hole」で明るくなって下が よく見えた時には心底スタンディング取れた人を羨ましく思いましたよ。 みなさんも、今度NINが来た時はぜひ見に行ってください。NINを知らない という人、この1週間でエアロスミスやレッチリ(それなら知ってる人は 多いでしょう)も見た先輩が、「ぶっちぎりでNINが良かった」と言って いました。その言葉を信じてみるのは決して間違いでないと思いますよ。
なんでも1がまじめな話題になってるので。
Nine Inch Nails 行ってきた。うっうっ、よかったわぁ。三日とも行くべきだったと今更ながらに後悔する。 「われは海の子」は歌ってくれませんでしたが、重くて深くてシリアスで、すっげぇよかったっす。 そこそこまともなモッシュピットもできていたし、音も演出もすごーい。なんかいっしょに行った夫婦と、 帰り道はほとんどお互いだんまり状態。いまは何をきいても軽々しくて聴くに耐えないので、なにも 聞けない状態が続くという感じ。
というわけで、ここらで NIN 来日のニュースを流してくれた人には感謝。
瀬名秀明のページ (いつも世話になっている森山さんの日記でその存在を知りました) 新着情報によると、「文藝春秋2000年2月号に、日本のロボット最前線をレポートする科学ノンフィクション(100枚)を一挙掲載!」とのこと。
P.S. 某所での紹介の仕方となんか似ているな。
せっかくなので、勉強のために質問させて下さい。崎山さんは、自分自身の言葉で長々と説明するのではなく、「俗情との結託」という言葉の引用でもってその代わりとしました。崎山さんはどのような意図でもって「欲情との結託」という言葉を利用しようと考えたのですか? そうすることにどのようなメリットがあると考えたのでしょうか?
> 序でに、最近「于論茶」氏がまた「弱者論」を云々していますが、 > 感じるのは、カテゴリー化(あるいはカテゴリーの使用)の持つ権力性に > ちょっと鈍感なんじゃないかということ。 > 一体、ある人を「弱者」としてカテゴリー化する主体とは何者なのか? > ある人を「弱者」としてカテゴリー化することは、一方的にあんたは社会の > 十全たるメンバーじゃないんだ、保護されるべき対象なんだと宣告すること > じゃないでしょうか。それは偶々不利を被っている人を二度殺すことといえる > かもしれません。
ちょっと于論茶掲示板をみてあんまり酷いんで「読者の目線」じゃなくて 「俗情との結託」じゃないのと指摘してみたら、鈍感に誤読され、 さらに開きなおられちゃいました。
解説的つけたし: 「俗情との結託」というのは、 以前言及したすが秀実の著書で多用されてる言葉でオリジナルは大西巨人で、 通俗的な(ここではとくに差別的な)偏見に迎合することを意味します。 用例は、 のじれん通信 とか、 姜尚中氏の講演 とか。
渋谷の Book First にいくとOctober Sky (ちなみに日本では2月公開だそうです)の原作の翻訳が平積みになっ ていて、2000円。おお、これは安いと思って早速買おうとして良く見ると「上」 の文字が、、、下巻はまだ出てないのか。
宮城高専の Quarter の子器の現物を見て関心したのは、箱の格納と駆動軸等 を支えるのに必要最小限の骨組みで構成されていて比較的軽量であるにも関わ らずボディーの剛性が高い作りになっている事。決勝はまさに歪み難い構造の 勝利。 NHK の放送を見て思ったのは、Quarter やフライング樽樽のような上下に回転 するアームで床から箱を拾い上げて台の上に置くという動作は意外に難しいの だなという事。床から拾った箱を台の高さまで持ち上げると角度がついてしま うためにうまく置かないと転げ落ちてしまうのですね。だから Quarter も決 勝や準決勝では苦戦してしまったと言えるでしょう。準決勝は横転し難い構造 の勝利か。 また、子器の中に格納した箱を掴み出した時には台の上にすんなりと置けるよ うに設計されていたからこそ、床から箱を拾う必要の無かった順々決勝までは すんなりと V ゴールが決められたのですね。 自重でスームースに展開する親器の橋や、橋から正確に射出するための橋のレー ルと子器側面のガイドローラーなど、細部まで良く煮詰められていたので安定 して動作したのでしょうね。
的確な指摘をしてくれるはまださんが好きです。
野尻ボードでもロボコンの話題が(とせっかくなので逆リンク)。 「宮城×佐世保」 (^^;)
華麗な動きよりも安定性という小波さんのご指摘に、妻は大変関心していました。 そのことは非常によくわかるが、しかし、あの番組作りでは、 それは微塵も伝わらないではないか ― というのが彼女の意見です。 (はまださんの文句に近いですね。) 偉い人にご丁寧に答えていただいて子供たちも喜んでいます。 ありがとうございました。 (いま見直していたら、 優勝が決まって小山君がインタビューされているとき、 あの応援席の卵がカメラを出して苦しそうに撮影しようとしていたのを 息子が発見しました。)
どうか、よいお年を。
なんとか識別できそうなシーンを探してみたら、豊田と佐世保のゲームで、佐世保のマシンが 赤い箱を送り込んできた直後からVゾーンに箱を置いたあたりまでのところ。山(ジャンプゾーン)の向こうに 黄色いボードがあり、その左に二人座っています。向かって右側の、髪の白くないほうが私。
とまあ、なんと自己顕示欲の強い話しを得々と書いているんだろうと思いながら、 リクエストにお応えいたしました。
テレビを見るまで、子機で完成した一個のロボットだと思っておりました。あれの操作は、案外ムズいです。っていうか、当たり前だけど慣れが必要なんでしょう。俺の場合、気をつけてそろそろ進むとVゴールの板のわずかな段差が越えられなかったです。プレステのコントローラは普段使っていて直感的に操作しやすいから選んだのでは?俺には傘をつけたり、風船でアゲたりして「飛ぶ」ことにこだわったチームにも共感がもてたです。しかし、こんなに興奮しながらロボコンを見たのはひさしぶりでした。
しかし、カリスマリーダーってのはなんか馬から落馬みたいな言葉だなあ。
なるほど、そういうものですか。
(本放送を見ないで、再放送を見る予定の方は、 以下、「ねたばれ」ですので、見ない方がいい。)
はじめにロボットが紹介されたとき、 これは宮城は何の問題もなく面白くないくらいあっさりと優勝してしまうのだろうな、と思いました。 それが準決勝で文字通りの死闘になったのは驚きでした。 ああいう風にポジション争いをした場合、 当然ロボットどうしが接触するわけですが、 そこで(故意にせよ偶然にせよ)相手にダメージを与える可能性もあるわけですよね。
はまださん、 そもそもテーマを見た瞬間に覚悟を決めてそういうことには耐えなくてはいけないのだと思います。 それにしても、司会の人が白銀に輝く怪しい背広を着ていたのだけは、 どうしても消化しきれないものが残ります。 あと、場内アナウンスが中途半端にきんちゃんの仮装大賞の影響を受けてたのも・・
ライバルとかカリスマリーダーとか、しょうもない話題作りをせずに、ロボットに焦点をあてて欲しいと私は思いました。 たまたま北海道の地区予選を見ましたが、余計な演出がなく、そっちのほうがまだましでした。 勝負よりもロボットの解説とかしてくれないですかね(どこが壊れたとか)。
予選のほんの一部をテレビで見ていたのですが、さすが全国大会となるとレベルが違いますね。それよりもなによりも、自分達のロボットを運ぶときの緊張した顔と体の動きと勝ったときの嬉しそうな顔とトラブって負けてしまったチームの残念そうな顔が非常に良かった。
面白いという噂は聞いていたけど、こんなに感動できるとは思ってなかった。くだらんことは全て忘れて、手が震えるほどの緊張と興奮が本当にうらやましい。
昨日(12/29)の午後7時半からの放送を見逃した方は、今日(12/30)の朝の10時35分からの NHK で再放送を見ることができます。
えっと、私は当日顧問を外れて大会の競技委員長をやっており、 ルールの元締めや全体の技術的な援助などを行なっていたし、 競技中はフィールド脇に控えたり、 トラブルの知らせで舞台裏に走ったりしておりましたので、 自分のチームの様子は見ていないのです。だから、今日の小山君の 舞台裏での表情などは知らなかった。全体の競技運営状況のことしか 頭になかったですからねえ。(「お父さんの友達はずいぶん偉い人らしいぞ」 と言っておかれると、息子さんは満足かも)
あ、Quarter というのは、3分(180秒)の 1/4 の時間、つまり 45 秒以内で試合を決めるぞ、という 意味です。練習では 37秒という驚異的なレコードも作ったのですが、 本番は結局 52秒に終わりました。それでも他のチームは1分20秒程度かかったのが 最も速かったはずなので、ぶっちぎりのダントツです。
プレステのコントローラ映ってましたね。来年きっとソニーをスポンサーに 抱き込むに違いない(公式スポンサーはNECです)。 あの中身の回路はすっかり入れ替わっており、制御用のマイコンチップ (PIC という 16ビットの CPU) を載せた基板が入っています。コントローラのスイッチ類だけを 利用しています。画面の中であれ、実際のマシンであれ、対象物を自由に動かすための 操作というのは共通な面があり、だからコントローラのボタンやスイッチは使いやすいのです。
応援席のチアガールたちに混ざって動いていた卵の形のものは、 ロボコンのシンボルマークのキャラクターです。番組冒頭とか最後を見ると 舞台装置の上のほうに似たようなのがどんと据えられています。
そうそう、メンタルな部分や操縦技術による勝敗の分かれ目は、実際にはそれほど ありません。特に今年は安定した動作をするだけのマシンを作れたところが 上位に入っていって、番狂わせはあまり起きませんでした。 もの作りの技術のもっとも主要な部分は、いかに精巧な、 巧妙な動作をさせるかではなくて、いかに再現性の高い安定な動作をさせるか なんだということを強調しておきましょう。ところがそういう完成度が上がってくると、 いかにもたやすいことをやっているように見えてしまうものです。
ロボコンの番組、みました。 NHK 風の演出についてはいろいろの感想もあるでしょうが、 素直にみていて、ともかく純粋に面白かった。 家族4人ですっかりあつくなりました。 子供たちも興奮していました。 優勝チームを知っているので、少し安心して見られたとはいえ、 随所ではらはらさせられました。 特に「ライバル」のバッタ君には、家族で声援を送ってしまった。
プレステコントローラーもうつりまくってましたね。
しかし、ロボコンにおいては、ロボットの技術もさることながら、 操縦者の技能、精神性に負うところもちょっと大きすぎるかな --- というのが、 妻の感想。(今、横で言っている。)
少し質問。(息子が横にいていろいろ聞いている。)
操作技は,何度も堪能させていただきました. 小波さんは,いずこに映っていたのだか???
この部分が全国放映されたら面白いぞ!みなさん、表彰式のシーンで 省エネルギー賞の授与がもし出たら、耳の穴かっぽじいて聞いててくらはい。
◆ もうひとつ,これは日本の役人の科学的素養を疑わせた発言です。 この大会では,省エネルギーもひとつの採点基準になっていて, ある財団がスポンサーとして賞を出したりしています。そこで, あらかじめ,マシンに使われている電池(充電式しか使えない規則 あり)の電流定格 (xxx mAh) と電圧と個数から,電池のエネルギー 総量を計算した集計表が作られています(私が舞台裏で作ってたん ですが)。 で試合が終わって表彰式です。省エネルギー賞の表彰を行った 財団の理事の言葉に私は卒倒しそうになりました。 ○○チームの使用エネルギーの総量は 12800 kW であり,全体の中 で最小でありました。よってここに表彰します! 12800 kW といえば,発電所の出力に匹敵する電力,あるいは都市の 必要電力に相当する値であり,その上,エネルギーの単位にすらなっ ていません。せめてキロワットアワーとか言ってくれれば…… って, それでもだめですが。 とにかく常識で考えればわかる程度のミスを平気でやっている。省 エネを指導している公共の機関の幹部がエネルギーの単位や大きさの 感覚さえ分かっていないとは,この国の官僚の科学知識の水準のお粗 末さをまさに目の当たりに見てしまいました。 ちなみに,私が集計した数値の単位は mWh でした。
>宮城高専の小波です。全国高専ロボコンの放映のご案内です。年
>末のお楽しみにどうぞ。明日,明後日です。
>12月29日(水)19:30 NHK総合テレビ
はい.明日の午後7時30分は,楽しみにしております!
小波さんに代わって再度宣伝なのだ。理科教育MLの記事から宣伝部分を勝手に抜粋:
宮城高専の小波です。全国高専ロボコンの放映のご案内です。年
末のお楽しみにどうぞ。明日,明後日です。
12月29日(水)19:30 NHK総合テレビ
30日午前10:35 (再放送)
わたしは宮城高専のロボコンのチームの顧問をやっていて,大会では
自分の学校の顧問をはずれて競技委員長ということで,フィールドの
脇の椅子にいました。たまに背景に映ってるかも知れません。(なん
てことはどうでもいいのですが)NHKが WEB のページを作っている
ので,あらかじめご覧になっておくと,ルールなどが分かっていいで
しょう。白熱した試合もあり,楽しめると思います。
http://www.nhk-grp.co.jp/nep/robocon/
http://www.nhk-grp.co.jp/nep/robocon/kosen/12-99/index99.html
P.S. 「ご懐妊していると,いいなぁ」てな発言にここで「フォロー」がないのは嬉しいことですね。
朝日新聞や宮内庁による例のフライング報道のその後が どうなっているんだか,家内が知りたいだけなのである. 家内と知り合う以前だったら,そんなうわさもあるのか と思って,てきとーにやり過ごすだけなんですが,女性 というのは,目の付け所が違うんで,妙に気がかりな様 子なんですね. フォローは,いりません.独白記事でした...
家内,某大学在学時,1学年下の*子さまと同じ教室にて, 講義を聴いたことがあるそうです. *子さまとは,現在皇太子妃であるかたですよー. ご懐妊していると,いいなぁ.
あれは、内臓はそっくり抜いてしまってスイッチ類だけを使っている。中にあるのは マイコンチップを載せた自前の回路で、マシンに仕込んだマイコンと通信して制御してるのだ。 (マイコンという言葉が指すものって、「パソコン」の登場で変化したんだねえ)
で、優勝チームの操縦者の手許アップなんてのは絵になるはずなんだが、それはできないところがちょっと 残念なんだよね、カメラさんとしては。審査委員長がニコンのカメラをマイクの脇においていたんで、 「あれ映すな!」、「いや、ニコンから金を取れないかな」などという舞台裏の会話もあったりするような世界なんだよなあ。
というわけで、唐突ですが、29日の夜7時半から、 総合テレビでロボコン全国大会の放映です。結構楽しめるはずですのでよろしく。私はフィールドの脇で偉そうに座っていたので、 背景にちらりとぐらいは映るかも。
操作しましたが、ロボコンと同じ課題をこなすのは意外に難しいです。ロボコンはロボットの性能だけではなく、操縦者の腕と現場で相手を出し抜く瞬間の発想も勝負のうちだと知りました。ロボットのコントローラがプレステのアナログコントローラなので操作方法は直感的にわかるです。
私は「用語の修正にこだわること」については、お互い同じようなもの (ただし方向は反対) と思っています。変えても変えなくとも本当にどっちでもいい (何も変わらない) という人もかなりいるでしょう。「問題を隠蔽し、当事者(差別者・被差別者)が問題と向き合うことを回避させる」のに反対なのも一応は同じ。あとは方法論の問題ではないでしょうか。「「差別語」といかに向きあうか」で灘本氏が問題にしているのは、自分の出自を恥じ「部落を部落として取り出されること自体を不快に感じる」ままどんどん名称だけを変更しても、「どんな部落の呼称を生み出しても不快であることには変わりない」だろうということで、動機、方法、団体の性格、時代背景 etc. に関係なく、常に名称変更や「差別語」摘発は裏目にでるものとは言っていないのではないかと思います。(「部落問題を等閑視していたマスコミ、教育者、行政担当者など社会のあらゆる方面で、部落問題の存在を認識させ、しかるべき責任を果たさせる闘いにおいて、この「差別語」摘発は、極めて有効な武器であった。」ともあります。)
灘本氏の「差別語」といかに向きあうかで感動した部分は、たとえば「一人の人間として誇りをもって生きていくには、穢多の末裔であることを公言してはばからない(誇るわけでもなく、卑下するでもなく)強い主体を作ることが不可欠」の部分です。「誇るわけでもなく、卑下するでもなく」は、自分が弱者の側に立った時でも、強者の側に立った時でも、保持していたい態度であります。言うは易くといえるし、過度的な時代には Black is beautiful のようなアプローチを必要とすることもあるとは思いますけど。難しいなと思うのは「公言してはばからない」のあたり。「瀬川丑松、テキサスへ行かず」の副題となっている「―『破戒』のキーワード「隠す」と「引き受ける」について―」とも関連するかと思いますが、自分が同じ立場ならそれができるか? というのは重い問いです。第三者として何ができるか、せめて足を引っ張らないようにはどうするかを含めて。(感傷に流されているだけでは? なのが我ながら何だか)。
岡本弥については、活躍した時期が 1900 年以前、「特種部落」「特殊部落」より前に遡れる (柳原町と部落改善運動) ことから、「新平民」というのが彼にとって新しい名称だったように勝手に想像してしまいましたが、事実誤認であったらご指摘ください。