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三好さん、お久しぶりです。ゲーデルBBSの三好さんと林さんの話が面白いです。非専門家にもできる限り受け入れ可能な説明にしようという雰囲気が感じられて気持ちが良いです。 (誰なのか一目瞭然のDr.Gにはうんざりなのですが。)
各々の圈を各々の群や位相空間などと同じレベルの対象と考える習慣は伝統的な数学にはあまり広まってないですよね。圈と言えば、群全体や位相空間全体の圈のような巨大なものを想像してしまうことが多い。各々の群や位相空間は Lie 群や多様体のように目的に応じて様々な構造を付加すべき対象として利用されているのですが、圈も同じように利用できるということはあまり知られてない。しかし、 functors の間の natural transformation は連続写像の間の homotopy に似ており、圈の同値は位相空間の homotopy 同値に似ているし、そもそも圈は代数系としては単位元付き半群のある種の一般化 (演算(composition)が常にできるとは限らないという意味での一般化) に過ぎないとみなせるし、 Abel 圈は環の一般化 (足し算(+)と掛け算(composition)が常にできるとは限らないという意味での一般化) だとみなせます。こうやって、通常の数学に出てくる対象との類似を説明して行けば、圈を群や位相空間と同じレベルの対象だと考えることはそんなに受け入れ難い話ではないと思います。もちろん、私自身はそういう圈の使い方の真髄を理解していわけではありませんが。
最近ストレスがたまると、 FOM を覗いています。前後の文脈をよく掴んでないのですが、独立に読んでも面白そうなトピックスを発見しました:
関連の記事は thread を追って下さい。よくある話ではありますが、研究分野の消長(もしくは健康)についてかなり general な議論が行なわれています。 (FOM にはその主催者の Simpson を筆頭に喧嘩好きが揃っている!) Simpson と Friedman は「他分野との繋がりと研究動機」および「具体例の重要性」を強調していますね。確か Mac Lane も同じようなことを強調していたと思います。
こんにちは. ゲーデルBBSでの私の発言から話が広がってうれしく思います. 私はMac Laneの批判は的外れであっても, Mac Laneの苛立ちは考慮に値すると思います. 件の論説で彼は 1) 数学の基礎づけのあるべき姿 2) 数学のいくつかの分野の孤立化 の異なる二つの話題を一度に話しようとして これらに両方関係すると彼が考えた数理論理学に対する批判の形で 表現してしまったことが,論争を引き起こしてしまったように思えます. 1)と現在の数理論理学は必ずしも関係していないということは 鴨さんのおっしゃる通りです. 2)と数理論理学が関係していることは論争相手もある程度認めています. 推測するに,1),2)を述べようとした彼の真意は 現在の数理論理学に基づく数学の基礎が 数学の実情を反映していないと思われることへの苛立ちであり, 実際の数学にもっと密接な「基礎」が必要であるという主張だと思います. (ここで括弧を付けたのは「基礎」の概念そのものの考察も含むからです. それゆえに数学の哲学も関係してくるのだと思います). こういったことの数学における担い手として一番可能性があると彼が考えた 数学の分野が数理論理学だったということでしょう. ですから,この「基礎」をもっと考えてはどうかという 数理論理学に対する呼び掛けや提案として述べるべきだったのではと思います.
「幾何学的な数学」の例ですが、鴨さん、あの説明で理解できましたか? あまり親切な書き方をしてないと思うのですが。質問があれば気軽にして下さい。
幾何と算術の関係に関しては、そこに鴨さんたちの現在の仕事(しばらく前に竹内泉氏がうちの教室の幾何セミナーでした話を少し聞いただけでよく理解してないのですが)は関係してきたりしませんか?
例えば、全ての素点 (具体的には全ての p 進体と実数体) における結果を綜合すると Z もしくは Q に関する結果が得られるという話があれば、それは幾何的でありかつ数論的な結果だと思うのですが。
すでに、「ただし、ここで「算術的な数学」とは、普通の数学者が語るところの数論とは関係なく、帰納的函数から超限順序数を扱う数学のことです」という説明を書いています。大体において、数学的帰納法をベースにした世界を念頭に置いています。もちろん、その分野について私は詳しくないので、鴨さんが満足できるような説明ができるわけではありません。
が、マックレーンの批判は誤解に基づくものであることと、正面から相手にするべきでないことについては、黒木さんと鴨の意見は一致しているようですので、この件はこれ以上、論じるべきでないでしょう。
黒木さんの論点を深めるには、そして、黒木さんが「算術的な数学」と呼ぶ文化圏の人たちとも共有できる議論をするためには、まだ、黒木さんが何を論じているのかの説明が不十分です。「算術的な数学」の例をあげてください。「幾何的な数学」の例はあげていただきました。でも、「算術的な数学」の例はひとつもあげてもらっていません。このままでは具体性がないために、黒木さんと文化を共有する人以外に、議論に参加してもらうことは不可能です。それでは、黒木さんが批判した「その文化的ギャップを広げるという方向を指向」する議論になってしまいます。
というわけで、「算術的な数学」の例をお願いします。無用の混乱を避け、議論を深める方向に進むために、それを黒木さんがどう評価するかはあとまわしにして、淡々と例示していただくのが良いでしょう。
マックレーンが議論を「数学の基礎」に矮小化している帳本人だというのは本当ですか? マックレーンの発言の一部を切り出してきて、そう解釈して批判を加えることはできるようですが、それをやって何が嬉しいのかと思うのです。ああいうこうるさいじいさんは適当にあしらっておいて、もっと重要な数学の中身について議論すべきだと私は考えます。
マックレーンは、『数学――その形式と機能』によれば、数学の様々な分野全体のなすネットワークを重視するという立場のようです。そして、マックレーンはネットワークをぶちぶちに切断しようしているように彼には見えた行為に対して批判を加えたのですが、実際にはその批判には基礎的な点において多くの誤解があったというわけですよね。
しかし、根っ子のネットワークを重視するという思想は否定できないでしょう。そして、マックレーン自身はあまりそれを認識してなかったようですが、ネットワーク的に繋がってないように見える部分の代表例に「幾何的な数学」と「算術的な数学」のギャップの問題があると思ったのです (これが私の論点)。
「幾何的な数学」という言葉ですが、大体においてトポロジーと多様体という発想に関連した数学のことをそう呼んでいます。 (これは現代においては「ちょっと古臭い」と思う人がいるかもしれないので、ひとまずの定義です。)
だから、自然数全体 N を構成する程度の話に幾何は関係ないと思う。関係あるという説得力ある状況があれば教えて欲しいです。
しかし、例えば、有理整数環 Z に対して、 Spec Z を考え、さらにそれだけでは足りなくて無限素点も合わせて“完備化”を考えなればいけないというアイデアは幾何的だと思います。
幾何的に概念を書き下したからと言って、問題が実際にすぐに解けてしまうわけではないのですが、幾何的な考え方は様々なアイデアを見易く統合し、見通しを付けるためには極めて重要な役目を果たしていると思います。
例えば、 Z の代わりに Spec Z の完備化を考えることによって、整数論の世界とコンパクト Riemann 面の世界の間の類似を考えることができるようになり、さらに、その中間の性質を持つ対象として、有限体上の曲線との類似を考えることができるようになります。
そして、 Z に関係した元来の Riemann 予想はまだ証明できないが、有限体上の曲線に関する類似はすでに証明されており、有限体上の高次元の場合に関する Weil 予想も証明されている。さらに、その Weil 予想の幾何的な定式化の複素数体上での類似も混合 Hodge 加群の深い理論として構築されている。
最近では、元来は代数体に関係した予想である Langlands program のコンパクト Riemann 面での類似を考えると、臨界レベルにおける chiral Wess-Zumino-Witten 模型の話にちょうどなっていて、様々な量子可積分系 (Calogero, Gaudin, ...) の algebraic Bethe Ansatz による解法と直接関係していることがわかっています (これは実は私と武部さんの共同研究のアイデアの源泉の一つ)。 (余談:多くの量子可積分系にはその q 類似を考えることができ、 q 類似の話は量子群の理論を通して非可換幾何に関係しているし、物理学的には2次元の可解格子模型に関係している。こうして、代数体の数論と可解格子模型のような全く異なる数学が繋がってしまうのは驚くべきことだと思います。)
もちろん、類似を考えただけで問題が解けるほど数学は簡単ではないので、それぞれの場合に独自にアイデアを出さなければいけません。しかし、そうだとしても、様々な分野のアイデアを統合するために幾何的な考え方の重要性は明らかだと思うのです。
ZFCは順序数を扱うにもオーバースペックです。ωωω なんて、集合論以外で使うことあります? たいていの場合、可算順序数さえあれば間に合うでしょう。二階算術 Z2 でも十分すぎるぐらいです。Z2 もZFCと同様に too flat なので、可算木の理論の形で整備すればもっと便利になります。
コンニャク問答にならないための確認ですが、直線上に0と1を指定してNを構成するのが「幾何的な」表現で、Nを体に拡張してQを構成し、Qを完備化してRを構成するのが「算術的な」表現と理解してよろしいですか。
Sendai Logic Seminar の web page 経由で Steve Simpson の site の存在は知っていたのですが、よく見てみると非常に面白そうですね。特に、 Simpson が主催する数学基礎論のメーリングリスト FOM (foundation of mathematics) は野次馬が覗いても面白い話がたくさん出ています。 Simpson 氏は非常に論争好きな方のようで、どんどん議論を仕掛けて、自身が主催するメーリングリストを盛り上げている。
例えば、 "Sokal" を FOM の web page で検索すると、 Gross-Levitte や Sokal-Bricmont よりの意見を多数読むことができます。
さらに、ほとんど喧嘩状態とさえ言える激しい論争を読みたいなら、 "topos" を検索してみるのが良いでしょう。 (この辺から始まる subject に "topos" を含む多数の記事を見よ。) 私は、 "topos" は幾何学的な対象 (位相空間や多様体などの一般化) だと思っていたのですが、 "a general theory of functions" だという意見もあるんですね。 (幾何はどこに行ったんだろうと思うことは結構多い。)
メモ: Stephen G. Simpson による foundation of mathematics に関するメーリングリスト FOM. 記事がウェブ経由で読める。
ええと、わかり難かったかもしれませんが、先の私の記事の主張は、『数学の基礎をめぐる論争』というタイトルで紹介された論争を読んで、私が面白いと思ったのは、タイトルにある「数学の基礎」そのものとは別の、「幾何学的な数学」と「算術的な数学」のギャップに関する議論だということです。 (誤解を防ぐために再度述べておきますが、ここで「算術」は、現代の幾何学化された数論とは無関係で、帰納的函数や超限順序数などに代表される対象を扱う分野のことです。)
例えば、「算術的な数学」に属する結果をどれだけ「幾何的な数学」の言葉で言い直せるかという問題もあると思うんだけど、そういう話と圏や topos の話は明らかに関係がありますよね。私個人は数学的主張はできる限り「幾何的」に表現してくれた方が理解し易いですね。もちろん「算術的」な方が理解し易いと感じる人もいるでしょう。
「数学の基礎」の話にしてしまうと、私としてはつまらない議論になってしまうと考えているので、「数学の基礎」とは無関係に、あくまでも「算術的な数学」と「幾何的な数学」のギャップに関する議論になって欲しいのです。そして、そのようなギャップがあるとかないとか極端な議論になるのではなく、どのような意味でのギャップがどの程度あるか、ギャップに関わることでどのようなことが数学的にまだわかってないか、ギャップがあるように見えて実はそうでもないという話もある、逆にギャップがないような言い方をすることができるが内実はそうでもないのだ、……のような話があれば面白そうだという感想を持ったのです。
『数学の基礎をめぐる論争』を読むと、数理論理学者が重視している「算術的な数学」とマックレーン(および私のようなタイプの人)が重視している「幾何的な数学」の間に文化的なギャップが生じていることは明らかだと思いました。そして、数理論理学畑からのマックレーンへの反論はその文化的ギャップを広げるという方向を指向しているように見えました。しかし、進むべき方向がそれだけで良いかどうかは大いに疑問なところです。
マックレーンの主張は、「数学の基礎」ではなく、「幾何と算術のギャップ」に関わる議論という文脈に置くことによって初めて面白くなるのだと思います。それでは数学的内容としてはどうなのか? このような問題を「数学の基礎」に関する論争とみなしてしまうのは、問題を矮小化し過ぎていて非建設的だと思います。
P.S. ZFC は、集合の理論というより、超限順序数に代表される数学的対象を扱い易くするためにうまいこと整備されているという感じですよね。
ZFCが数学の基礎付けには too strong だというのは、そのとおりです。それだけでなく、too flat で too concrete です。集合論を単にVについての数学と見る立場からは、それは、Vはそのような性質を持つ数学的構造であることがわかったという成果であって、集合論の弱点ではありません。
林晋のホームページのゲーデルと数学基礎論の歴史にゲーデルBBSという掲示板があります。ただし、最近 Dr.G (誰なのかは口調で一目瞭然) が“本領発揮”し始めているので気を付けましょう。
そこで三好博之さんが紹介されている S. マックレーン著『数学――その形式と機能』、彌永昌吉監修、赤尾和男・岡本周一共訳、森北出版、 1992 (原書 1986) が書かれた背景に関しては、田中一之編・監訳『数学の基礎をめぐる論争』 (シュプリンガー・フェアラーク東京) が詳しいです。
論争において重要な意味を持つと考えられるある数学的事実が後者ではなぜか言及されてないので、後者を読んだ方は前者も見ておいた方が良いかもしれません。
その数学的事実とは前者の p.523 でちょっとだけ触れられていることです。それは、圏論的に elementary topos + infinity + choice + well-pointedness から "tree" の概念で集合論を構成してやると、大体において、置換公理抜きの infinity + choice + foundation + restricted comprehension (quantifier を bounded なものに制限した内包公理) というタイプの集合論が現われるという結果です。 (詳細は S. Mac Lane and I. Moerdijk, Sheaves in geometry and logic --- A first introduction to topos theory, Springer-Verlag, 1992 の VI.10 にあります。) ちなみに、私がやっているような数学はそのように制限された集合論の中で十分過ぎるほど十分に展開できます。
そういう理由から昔のブルバキの集合論には置換公理が含まれてなかったらしく (置換公理がないと von Neumann の意味での順序数のω+ωの存在さえ証明できなくなる)、その辺が後者の本で紹介される論争の中で批判されています。しかし、論敵の中に現代のマックレーンを含めるなら、圏論的な数学の基礎付けの話とからめてくれなければ、論争に数学的な魅力が欠いてしまうように思えました。
私の理解では、論争の最も重要なポイントは「幾何学的な数学」と「算術的な数学」のギャップにあります。 (ただし、ここで「算術的な数学」とは、普通の数学者が語るところの数論とは関係なく、帰納的函数から超限順序数を扱う数学のことです。『論争』の中でこの辺も少し混乱している場面があります。現代の数論は極めて幾何学的なので、区別しないと当然混乱してしまうことになるのだ。) そのギャップに関して真面目に考察してみることは確かに大事なことだと私も思いました。少なくとも、そのどこまでが見掛けのギャップで、どこまでが真のギャップなのかについては私も知りたい。そのためには今世紀の幾何学(特に代数的トポロジーと Grothendieck)をよく理解した数理論理学者が登場する必要があるように思われます。
マックレーンは幾何学文化圏の住人であり、その感性でもって数理論理学にいちゃもんを付けてしまったので大喧嘩になってしまったのです。しかし、マックレーンは単にいちゃもんを付けただけではなく、『形式と機能』のような部厚い本や圏論的な数学の基礎付けと層という幾何的な概念の関係に関する部厚い本を書き上げているわけです。
P.S. 『論争』の p.39 に「ハリッシュ=チャンドラ (H. Chandler)」と書いてあるのですが誤りです。正確には Harish-Chandra です。 Harish-Chandra は始めは Dirac の弟子だったのですが、すぐに数学(群の表現論)に転向して大成功を収めた今世紀の大数学者の一人です。
独立法人化の是非とは別の個人的な疑問なんですが 一連の動きの中で、有馬氏はどういう考え・立場だったんだろう? 私にとって明かなのは自民党が法人化したがっていた事と、 そのために自民党が選挙の時点で有馬氏に文部大臣の オファーをしたことなのですが、分からないのは、 有馬氏が始めから終いまで法人化を強力に推進の考えだったか どうかの点なんです。 自民党の方は自分には分かりやすく、法人化は将来の大学教育・研究 を考えてと言うより、公務員数削減(まあ省庁の編成変えと同じ 発想ですね)のためと、郵政事業は手がつけられない という事情から。自民党が特に法人化にともなう研究・教育の 変化にあまり感心がないのは、今回の文部大臣人事で明らか だと思う。今回は派閥主義の人選のようだし。 一方、有馬氏の方も始終推進派だったら、目的達成 (しそうですよね??)して満足なんでしょうが。どうなんだろう? 悩ましいのは、自民党が有馬氏を文部大臣にした 事実だけでは、有馬氏の立場がよく分からないことです。 強力推進派だとするなら、もちろん筋は通るが、かりに躊躇派 だとしても自民党からみればそういう人を文部大臣として 取り込んだとも考えられるし。どっちでも良いわけですよね。 私が有馬氏が強力推進派だと思い込めないのは、どうも 終盤(最近のことですね)元気がないというか(印象 なんですが)、まあ、東海村の事故も間が悪かったけど、 なにか満足げに見えないのですが。 自民党としては、法人化は政治日程に乗りそうだから、 多分、もうどうでもいいのだろうけど、もし、有馬氏が始終推進派 だったら、手柄みたいな意味でも、有馬氏は今後、何かの 審議会とかでこの問題に推進的に取り組む立場を与えられる のだろうか? まあ知っている人は知っているのでしょうが、私はあまりよく 知らないので。
いやいや全く突然のサーバーの臨界状態、 止まらないチェイン・リアクションでしたね リブートしても反応ない時はどんな心境でしたか?かえって 冷静なのかな?? とにかく、夜を徹しての復旧作業、本当にご苦労さまです ほんと、危機管理って何事にも大切だなあ。。。しみじみ 私は図らずも(だらしなさによる)ファイルが各地に分散していたのが 幸いでした。 唐突ですが、やっぱり首都機能も移転した方がいいんでしょうね
私は有馬朗人前文部大臣を批判している風間重雄氏を秘かに応援しています:
最近、風間氏が高等教育フォーラムに投稿された「「素朴な議論」への素朴な応答」も全くの正論だと思いますね。風間氏の論を読んで、私も反省させられました。
特に、有馬氏が文部大臣になることを信用して陰に陽に支持を表明していた物理畑の人達は風間氏が指摘している問題に関して無言で通すことは許されないと思います。個人的にはそもそも有馬文部大臣(前)を支持できてしまうこと自体信じられない。
「小川正賢著『「理科」の再発見』をめぐって」および左巻さんの発言に関するコメントはこちらでお願い致します。
小波さん、さんきゅうです。削除した記事は、ほげげリストに追加しておきました。
玲奈さん,こんにちは.将棋盤付きベンチもまた実は由緒あるものなのかもしれませんね.テーブルの上に置いて使うもので,しかも使うのに時間がかかるものならば,同類のものがいろいろとあるかもしれません.パソコン付きベンチとか,ホットプレート付きベンチっていうのは,どうでしょう.どうでしょうね.たぶん駄目かな.駄目でしょう.
久保田さん,ラジカメ発見しました.この持ち主,中学への入学祝いとしてもらったらしいのですが,,
この道具は私の人格形成に大きな影響を与えた。肌身はなさず持ち歩くことで、ラジオ少年かつカメラ小僧になってしまったのである。だそうです(笑).ラジってカメったのでしょう(秋ひとみってこの人ですね).
ラジカメの営業を担当したことがあり今では硯づくりの職人となった人も発見.これはナショナルでしょうね.苦労されたようです.
担当はラジオとカメラが合体した新商品「ラジカメ」。カメラ業界の値下げ合戦が著しくなっていたころ、発売当初は大手のメンツにかけて「絶対下げない」。それが、売れないとなるといきなり「下げてもいい、とにかく売ってください」に変わる。
竹内さん,なるほど,そろばんは入力装置だったんですね.でも,電卓で計算した結果をそろばんで検算する人がいた,という話もあっておもしろいです.ちなみに,1967年6月に発売されたソニー初の電子式卓上計算機は,「ソロバンのように手軽に使え、しかも複雑な演算をスピーディにこなせる計算機という意味」から「SOBAX(Solid State Abacus または Abax=固体回路ソロバン)」と名付けられたそうです.計算機に慣れ親しんでいる皆さんは,ご存じのことかもしれませんが.
初めまして、竹内と申すものです。 実物は見たことないのですが私の記憶では、 ソロバンつき電卓というのは、ソロバンが入力装置として 追加されている電卓だったと思います。 それでは、仕事中なので手短で失礼します。
当時「秋ひとみ」というあまり売れないアイドルがコマーシャルしてて、 彼女のファンだった友人が買って、修学旅行の時持ってきました。 「ラジってカメってナショナルラジカメ〜」 という意味不明のCMソングが今も思い出せるくらいで、結構力を入れて 宣伝してました。
>: 「ライフ・伊豆・ビューティフル」
伊豆(is)は使い道が多いですね。 「ブラック・伊豆・ビューティフル」はどうでしょう。 宇佐が「USA」なので、観光アピールに使えるんじゃないかと 小学生のときに考えたことを思いだしました。
将棋盤付きベンチは、チェスだと専用テーブルのようなかたちで 実在していますよね(おもむきがかなり違うけれど)。 ロシアのロトチェンコは、椅子までセットでデザインしていたっけ。 故宮博物院の碁盤付きテーブルは、碁石まで固定してあった(展示用)。
出してから誤読される可能性に気がついたので。 「ここで突っ込まれる前に自分で突っ込んどこう」 というくらいの気持で書いたのであって、黒木掲示板を 正誤表作りに利用するという意味ではないです(^^;
「現代思想」10月号に通信傍受法ネタで技術的な話を軽く書いたんですが、 校正する時間がなかったので、できあがりを見るとトホホな感じでした(^^; というわけでツッコミ募集。 例) 「Forify じゃなくて Fortify だろー」
ヘンミ計算尺(株) は現在でもプリント基盤や流体制御機器等のメーカーとして生き残って いるようです。
和田さん,「カレージュース」はもしかしたら実在しているかもしれません.世の中にはいろんなジュースがありますから.
こなみさん,はじめまして.なるほど,温度計付き箸は菜箸として使うのですね.ご飯食べる時に間違って噛んで割ってしまったら,口の中はどうなるんだろう,と考えていました.でも,電卓付き算盤は,どう便利なんでしょう.電卓も算盤も計算するという意味で同じ機能を持っているのに何で一緒にしたのでしょうね.多機能商品って違う機能を一つの筐体にまとめる,というのが原則だと思うのですが.
ラジカセは,今ではCDラジカセとかMDラジカセにまで発展してますね.ラジカセは,昭和50年頃からヒットしだしたらしいのですが,その当時,松下でラジオ部門とカセット部門のどちらが生産を担当するのか,もめたという話をきいたことがあります(曖昧な記憶なのですが).
そこらで幅を利かせている最大の複合商品はというと,ラジカセかな。 かみさんはシャチハタつきのボールペンを愛用しているようだけど, わたしゃハンコ落したこたないけど, 筆記用具や時計はしょっちゅうなくすからダメです。
ってなわけで,和田さんのウォークフォンなんかぜんぜんドラえもんじゃありませんよ。 とっても現実的!いますぐにソニーにアイディア売りに行きましょう。
和田さん,はじめまして. 懸案の「ウォークフォン」,うーむ,どうなんでしょう(婉曲表現).ともあれ,世の中にはもっとおかしな複合商品がありますよ.それらに比べたら,それほど変じゃないかもしれません.
大宅壮一文庫という雑誌専門図書館から出している雑誌記事索引は,「大宅式分類法」という独自の分類をしています.その項目の一つに「複合製品」というのがあります.そこから変なのを抜き出すと...
あ,「ライフ・伊豆・ビューティフル」はおもろかったです.
有馬文部大臣のことですか?同じ記事で、ワットに続けて 「僕は朝日新聞を非常に愛読していますが、いちばん熱心 に読むのは川柳欄だな。この前 ”日本が小渕にはまって さあ大変” とういのがあった」 とあります。俳人大臣と馬が合うのかもしれませんね
って、1カロリーが4.18ワット・秒、の事かな?
あれってどのくらいまで減圧できるんだろうか?ビルの上から長いストローで水 を吸って何m吸い上げられるかで測定できるかな。10m吸い上げたら真空達成だ!
例によって右寄り雑誌、文芸春秋10月号を読んでいたら 小渕首相が、上の様な題のインタビュー記事で 「読みたい本や、見たいビデオがたまっている。だから今 科学者に1時間番組を1分で見られる機械を発明してくれ と言っている」とか、 「科学というのは進歩しているようで進歩していない。 たとえば原子力発電だって、ワットの原理を使って お湯沸かして、羽根回している。だから僕は”ワットを 超えろ”と言っている」 とか言ってるんですけど。ドクター中松を超えてますね。
頑張って横隔膜を上にあげて絞り出さなくても、胸腔が拡がったままで自然に 空気が抜けた状態になるので、大気中で息を吐いた状態とはちょっと違うんじゃ ないでしょうか。 ところで、コップでチュパチュパをやると口の周りが内出血で真っ黒になった りするけど、全身があんな状態になったりはしないんだろうか?
真空チャンバーの中で宇宙服から空気が漏れて、舌の上で水 (唾液?) が沸騰 するのを感じたって話が生々しいですね。 真空中にいると、血液中の酸素が肺からどんどん放出されていくだろうから、 単に息を止めているのより酸欠で気を失うのは速いんでしょうね。
閑話休題
山下さん、面白い情報をありがとうございます。もう少し詳しい記述がほしいけど、 書いてあることはそれなりに妥当に見えますね。チンパンジーを使った実験が 30年以上前に行われているというのは、なるほど、アポロ計画がからんでいるんですね。 リファレンスを読んで見たいものです。
私が関心をもつのは、真空に放り出されると、どういうことが原因で生命機能が
失われるのかということですね。どういう物理的現象が生じるのか。
まず、気圧が常温における水の蒸気圧以下に低下すると、
水は沸騰するわけで、これが血液で起こるのかどうか。
また、内圧と外圧の差によって引き起こされる力が、
致死的な負傷を与えるのではないか。水で覆われた呼吸器系の粘膜などが
真空に曝露されて、不可逆な乾燥状態に陥るのではないか。といったところを
即死、もしくは短時間の真空曝露による致命的な症状の発生の原因と見てるのです。
もちろん、1分もしたら、ふだんに息を止めてさえ苦しくなってきますから、
肺の中の空気がきわめて少なくなった状態ではお陀仏だろうと思います。
水に潜る場合には、むしろ酸素の分圧が上昇するわけで、
それとの比較で何かをいうのは無理だと思う。
また、掃除機で呼吸器の中の空気を吸い出すのも、はなしがちょっと
ちがいますね。宇宙では、体外が真空になり、体内の空気が後から逃げていく
わけですから、圧力の不均衡が逆になります。
昨日、わたなべさんとチャットで話し合った内容から、ある種の馴化をうまくすると、
ひょっとしてなんぼか生きられるかも知れないという気がしてきました。
気圧の差による肺や胸郭や腹腔へのダメージは、かなり気圧の低い状態と
真空との圧力差なら緩和できるはず。酸素を増やしてやれば1/4気圧程度の大気で
人間は十分に生きられることも分かっているから、真空に出る前に、
なるだけ低圧の状態にならす。
しかし、1気圧= 10N/cm^2 というかなり強い圧が体内にあり、
外が真空という状態は、力学的に耐えるのはかなり困難だと思います。
たとえばほっぺたの面積を片側で 100 cm^2 とすると、この柔らかい
ほっぺの表面に 100 kg の重りをつけて、両側からひっぱるような
もんです。鼓膜もぶっとぶ。ショックが大きすぎて、ほとんど
合理的な行動はとれないと思う。
だから、大気圧の状態からいきなり宇宙船に大きな穴があいて、
一気に減圧したら即死すると思います。
じゃ、どういうふうにならしたら、死ぬまでの時間を延ばせるのか? これがむつかしい。時間がないので、逃避からもばいばいなのだ。
リンクされてるダイビングの浮上のたとえがあったけれど、肺の中の空気がいっしょうけんめい膨張 しようとしている場合と、なにもない状態で単純に吸い出すのとではかなりちがうでしょう。掃除機は、 ガキの頃やって、いまもちょっとやろうとして10センチのところでやめた。
ダイビングの時は、浮上しながらずっと「あー」と言い続けろと言われるけれど、確かにどんどん 体内から空気がでてきて不思議。
小波さんのおっしゃる「月世界植民地」は、現在は早川文庫SF から『地球光』(中桐雅夫訳)というタイトルで出版されています(早川の Web Site による検索ではひっかからなかったので現在は品切れかも)。本を手放してしまって手元にないので、記憶オンリーモードで話しますが、当該のシーンは小波さんのおっしゃるとうりです。
クラークはクーブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』で、HAL9000 に船外に放逐されたボーマン船長がポッドからディスカバリー号に戻るときにも、ボーマン船長が気密ヘルメットなしでエアロックで作業を行い宇宙船に帰還するという、ほぼ同様のシーンを描いています(ひなの侍さんのおっしゃているのはこちらではないかと思います)。
このシーンはクラーク自身も小波さんがおっしゃているのと全く同様の抗議を受けたらしく、確か『スリランカから世界を眺めて』(サンリオSF文庫、絶版)の中で真空中で作業が可能な根拠を述べていたと思います(こちらも、記憶だけ。書名も間違っている可能性アリ)。ひなの侍さんや黒木さんのおっしゃっているような「目・鼻・口を閉じて、肺の内圧が超急激に下がらないようにすれば、やはりすぐに死なずにすむんじゃないでしょうか?」という話をしたのちに、ネズミを真空中に閉じこめた実験で、ネズミは分単位で生きていた、というのを、根拠としてあげていたと思います。真空よりも宇宙線による被爆のほうが危険かもしれないとも書いてあったような…(いつもあやふやな記憶が頼りで情けないっス。なにがあろうとも本って手放すべきではないのかもなあ)。
上述の『地球光』ではラストシーン近くに「一条の光線が宇宙船を貫き、船は爆発する」というような描写があるはずです。この小説はレーザーが発見される前に発表されており、クラーク自身は、過去のスペースオペラやSF雑誌の表紙に描かれたビームを実現するために「高温で溶かした金属(鉄?ニッケル?)を磁力によって棒状にして射出する」という方法を採りましたが、高温に溶けた金属は磁石にはひっつかないらしく(このへんは小波さんの専門に近いのかも)、実は、こっちの方がクラークとしては大きなミスです。
このあたり、ばっちり調べがつくのは森山和道さんかな。森山さぁん、と呼んでみたりする。迷惑か(^^)
ながながと。
本当のスペースマンになるために「酷環境順応訓練講座」で「誰でもできる真空順応訓練」を行うのがよいと思う。
「松田先生の愛の小部屋 全国版」の解説一覧に「目玉のとびでるような話」 (ミュー・アルファ、5月(1991)112-113) というエッセイがあります。
目・鼻・口を閉じて、肺の内圧が超急激に下がらないようにすれば、やはりすぐに死なずにすむんじゃないでしょうか?
これは間違いなくハードSFのFAQの一つなので、その方面に詳しい方がきっといるぞ。実際に動物実験をしてみた人はいないのかしら?
深呼吸して全身に酸素を回して、おまけに口と華、目をしっかりと閉じてやりますよね。あれで行けると思ってたのです。
閑話休題。
先月、仙台の穴倉のような酒場で黒木さんやらだれやら
(大'さんとかわたなべさんとかその他わけの分からないメンツ)と飲んでいた。そこで私が、
「アーサー C.クラークもけっこう馬鹿なことを書いてたよね。月世界植民地という
ずいぶん昔のSFで、宇宙観光ツアーの客が別の宇宙船に避難するシーンがある。
ところが宇宙服がない。そこで船長はなんと、宇宙服を着ないで船外に出て、
息を止めて空中を泳いで他の宇宙船に移るんだ。『屁ぐらいは出るだろうが大丈夫だ!』と
クラーク大先生は船長に言わせてるんだけど、それって大馬鹿だよねえ。
1気圧の圧力が瞬間的に抜けた状態では、あっという間にくたばっちまうよ」
と、私が言ったとたんに、黒木さん、
「そんなことないよ。真空に出た途端に死ぬなんてことないはずだ。何秒か
何十秒か知らないけれど、ちょっとの間なら生きられると思うぞ」
と、いきなり反論してきた。こいつは楽しいや、と嬉しくなったのだが、
結局その場では大した議論もしないで帰ってきた。
というわけです。細かい議論も多少はしたんだけど、ここでまた仕切り直しします。 果たして、人間は真空に放り出されて即死するかしないか。
つまり、もしも理想的なアミンサイクルなるものを作ることができたら、そこ では最初に与えた回転エネルギが、後から回収出来る回転エネルギと、ピスト ンから取り出せる仕事の和にちょうど等しくなっているはずなわけです。した がって、後で回収した分とピストンから取り出した仕事をまた全部回転させる のに使えば、回り続けることはできます。ただし、細かいことをいうと、この ためには、「ピストンを抜く」ところも断熱でないといけません。ピストンを 差し込んで、回転を止めたところで初期に比べれば断熱圧縮で温度が上がって いますから。あるいは、すべての過程を等温でするならそれはまたそれでもよ いわけですが。
で、まあ、実際に作られたものは散逸がそこら中にあるわけで、スタータとか のモータで投入したエネルギの相当部分は、摩擦とか粘性で熱になってしまっ て回収できなくなります。ですから、仮にピストンがした仕事をすべて次のサ イクルで回転に戻してやっても、無限に回り続けるなんて気使いはありません。 いいかえれば、一度サイクルが回るたびにかなりの機械エネルギが熱になって 失われるという、まあ当然のことがおきているわけです。
こういうので私が不思議なのは、なぜ実際に作ったのにこれではだめだということが納得できないのかということです。実際に作ったものから正味で動力を取り出せているはずはないのですが、「このプロトタイプはまだ損失が大きくて改良の余地があり、改良すればちゃんと動く」とか信じてるのか、それともそもそもちゃんとエネルギー収支を測定出来ていないのか。それとも回らないことは分かってやってる詐欺師なのか。
小波さんによる批判も含めて、様々なサイトがリンクされています:
爆笑してしまったのが、『買ってはいけない』の中身がこっそり改竄されていたこと。むしろそのせいで支離滅裂になってしまった部分もあるらしい:
このような面白いウェブページを公開された谷田貝さんには皆で感謝しましょう。
以下、前のまとめの番号を引用します。 やぎさんがおっしゃるように、3 と 5 で機関の中の気体がピストンを押す圧力が異なっているのがポイント。 3 で大気圧より大きく、5 で小さければ、おっしゃるように大気中で勝手に動く。 (ただし、機関の原理的な動きを知るためには、大気圧との大小関係は不要。)
さて、普通の熱力学と比べて明らかにおかしいのは、 2 の始まる前と 4 が終わった後を比べると、 ある体積で温度 T の平衡状態から、 それより少ない体積で温度 T の平衡状態に、 断熱操作(断熱壁で囲んだ系に、任意の(機械的な)操作を加えるという意味) で移っているということです。 これは、エントロピーが減少する断熱操作であり、 通常の熱力学では実現できないことになっています。
熱力学の原理は経験則の集大成ですから、 今までにない経験が再現性をもって登場すれば撤回するしかない。 しかし、そうするのは、エントロピーエンジンの車を運転するように なってからでも遅くはない。 (もし本当なら、十年以内には、そうなる。(←笑いながらよんでよ。)) 今は、どこがうまくいかないかを考えるべきだろう。 (それでも、彼らは実験するだろうし。)
この話のうまいところ、というか、取っつきにくいところは、 2 と 4 の間では、気体はバルクな回転運動をしていて、 本当の意味での平衡状態に達しないことだ。 よって、通常の熱力学の議論がすんなりとは使えない。 さらに、回転を与える方法や回転からエネルギーを奪う方法が明示されていないので、 どこでおかしくなるかが、わかりにくという点もある。
どこが、あやしいか?
同じようなアイディアで、気体を円筒容器の代わりにとても長い試験管のようなものにいれ、 試験管を水平においたり、垂直に立てたりすることで、 第二種永久機関(もどき)が設計できます。 アミンさんも、こっちから、着想を得て、より実現しやすい遠心力に思い至ったのかもしれない。 ぼくは、最初に遠心力バージョンを考えていたら、頭がこんがらがったので、 この重力バージョンを考えて、頭を整理しました。
当面、熱力学の本を書き直す必要はないようだけれど、 これをヒントに練習問題を作れないか検討中です。 (なかなかすっきりした話にならない。) というわけで、この企業の学術顧問になって大儲けするチャンスは、 小波さんに譲ろうと思います。
アミンさん、えらいなあ。僕は電気屋としての教育を受けたくせに電磁気学の成績が破滅的に悪かったので大先生と使い魔の区別が付きません。はずかしい。田崎さんの解説を読んでどこが間違っているのか考え中です。回転のエネルギーを全部回収できるとして、ピストンをいれるときの筒内からピストンにかかる圧力は外気よりも低く、出すときの圧力は外気よりも高いというのが永久機関として動くポイントですよね。なんかうまく動くような気がしてきた(マズイ)。
え,推薦なんかしとらん? さようですか。何,ちょっとあっちこっちの文字をへずってですな, ちょっと二三の語句を付け足せば,立派な推薦文になりますがな。 日本の代理店にもさっそく, 「学●●大学教授田●晴●先生(=実はかの中世の占い師安部晴明の末裔)がこの発明の原理を高く評価しておられますよ」と知らせてあげなくては。