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黒木のなんでも掲示板 (0086)

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Id: #a20040413001921  (reply, thread)
Date: Tue Apr 13 00:19:21 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040412222244
Name: かも ひろやす
Subject: 「トプン理論の構造」の構造

トプン理論の構造」で「分析」と書いたのはトプン理論の構造の分析のことで、精神分析ではありません。まぎらわしくてごめんなさい。

議論の構造の分析は、本人に会わなくても書かれている文章を読むだけでできます。その証拠に、「トプン理論の構造」で私がミスをやらかしていることも、私と面識のない人でも関連文書を読むだけで分かります。「トリック解明のまとめ」の日付けが 2004/04/05 20:46 。それを読んで、「0.999... = 1 は誤りで、正しくは○○である」は一言もないと書いた「トプン理論の構造」の日付けが Sat Apr 10 16:07:47 2004 。ところが、それより前の 2004/04/07 23:00 付で「トリック解明(3)」が書かれていて、そこでは「0.999... = 1 は誤りで、正しくは 1 ← 0.999... である」旨が書かれています。重大な読み落しです。ごめんなさい。

トリック解明(3)」で初めて「0.999... = 1 は誤りで、正しくは○○である」の○○が埋められたことで、トプンを名乗る人物の勘違いの内容も具体的になりました。すでに書きましたが、操作の結果得られた値と操作そのものとの混同です。そうすると、操作の結果と操作は違うと説得するのが次にくるべきものなんでしょうが、どう説得すればよいのか、私には見当がつきません。


Id: #a20040413001847  (reply, thread)
Date: Tue Apr 13 00:18:47 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040412102018
URL: j-miyaza@jcom.home.ne.jp
Name: 宮崎純
Subject: ピタゴラス教団
 かもさん

 ご指摘ありがとうございます。
 数学について、まったく素人で「アルキメデスの求積法」がわかりません。
 調べます m(__)m。

 素人がいよいよ変なことをいいますが、
トブンさんの議論は、ピタゴラス教団の話と同根なのではないかと思います。
 ピタゴラス教団は無理数を発見して、それがどうしても承認できないものとしたようですが、
 トブンさんは、割り切れない数をどうしても承認できないものと、どういうわけか信じているように見えます。
 だから、トブンさんの数学体系では、1/3も本当の数ではないことになる。
 初等数学とは、有限小数の演算だけからなる、本当の数だけをあつかう数学であり、
高等数学とは、本来存在しない偽の数も本当の数であるかのようにあつかう
エセ数学のことである、ということのようによめました。
 トブンさんの高等数学は無限級数の収束とか極限ということではなく、
1÷3×3=1も含むのだと思います。
 1÷3はそもそもできないことだから、そこで終わるべきで、
1÷3×3には解がないというのがトブンさんの数学であると読めたのですが。

 以上誤解でしたら、トブンさんに陳謝します。

Id: #a20040412222244  (reply, thread)
Date: Mon Apr 12 22:22:44 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040410180526
Name: 山本晃司
Subject: あららら

なんだか少し殺伐としてきましたね。この手の話題にはよくあるパターンですが。

しかし、医者でもない人が、直接診断もしないで人を「分析」し、正しい用法かどうか知らないけど心理学の用語で解説して、ネットに書いたりするのも「半可通」な行動ではないでしょうか。 「専門家」ならしないと思う。

話は違いますが、プロ野球セリーグの第二節終了時の各チームの勝率はすべて同じ数が無限に続く循環小数です。これも何かの奇跡?

(それぞれ9試合あって引き分けがなかったから、あたり前なんですが)

Id: #a20040412102018  (reply, thread)
Date: Mon Apr 12 10:20:18 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040411021507
Name: かも ひろやす
Subject: 古典ギリシア後期の数学+αで十分

宮崎純さんのは、黒木さんの解説と入れ違いになっちゃったのかな?
 トブンさんが(トブンさんのいう)初等数学でおかしいと立論できた、と 主張していることが、(トブンさんのいう)初等数学では証明できず、 (トブンさんのいう)高等数学が必要なのですよ、という点をトブンさんを 説得しようとしたすべての人が主張したわけですが、トブンさんは自分が 初等数学の範囲で証明できたという信念が揺らがないために、それが失敗に 終わったということなのだと思います。
は客観的事実と食い違いますよね。

実際、0.999… = 1 だけなら、古典ギリシア後期の数学+αで十分です。アルキメデスが求積法で使っている議論にならって、「0.999… < 1 としても 0.999… > 1 としても不都合。ゆえに、0.999… = 1」とすれば良いのですから。古典ギリシア後期には小数がまだなかったから、それだけが必要な+αです。


Id: #a20040411021507  (reply, thread)
Date: Sun Apr 11 02:15:07 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040410215315
URL: j-miyaza@jcom.home.ne.jp
Name: 宮崎純
Subject: 数学の啓蒙
 最初にトブンさんに:

 もうトブンさんはここを覗いていないかもしれませんが・・・
 わたくしは内科の臨床を本業としているものです。
 まったく知らないかたにこういうことをいうのは失礼であることはよく承知をしていますし、
全然見当はずれかもしれないのですが、
しばらく、議論を離れて、頭を休ませるようにされたほうがいいような気がします。
 あまりにもいろいろなことが自分にとって明らかにみえるときは、かえって
精神状態がクリティカルであることが多いからです。
 真夜中に考えたことが翌朝色あせてみえることはよくあることですが、
トブンさんは、今、真夜中の思考を続けている状態のように思います。
 それをもう一度、昼の時間に見直してみる時間をもつことが必要ではないでしょうか?

 啓蒙について:
 最初、トブンさんがどういうかたか分からなかったので、若い数学を学びはじめたかたが、
数学を学ぶ過程で感じた疑問を、ぶつけてきたのかと思いました。
 そういうもう解決済みの問題を手持ちの少ない武器であたっていくことは、
壮大な時間の無駄である、トブンさんにそういう無駄をさせるのか気の毒である
というようなことで、多くのかたが説得にかかったのではないでしょうか?
 トブンさんは気がついていないかも知れないが、そういう主張がなりたたない
ことを知るためにも、まずこういう勉強をすべきですよ、という方向に。
 普通はそう指摘されると、やはり自分の考えには盲点がるのかな、もっと
勉強しなくてはという方向にいくし、みなそれを期待したと思います。
 ところが、トブンさんは、等号の意味するものとか、等号で結ばれた右辺と左辺
の意味するものの違いとか、数学を構成する素材への疑問という方向に問題意識があって、
そのため、話が全然かみあわなくなってきた。
 トブンさんが問題にしている「数学上の問題:0.999...=1」は、数学内の議論
としては、すでに解決済みである。たぶん、これはトブンさんも認めているのだと
思います。自分にはよくわからない難しい数学からいえばそうなのでしょうと。
 ここからトブンさんの議論が普通とは反対の方向にいくわけで、だから数学は
おかしいのだ、という方向にいってしまうわけです。
 初等数学でおかしい(というのがトブンさんの主張)ことが高等数学で正しい
のだとすると、どこかでインチキがあるに違いない、ということで等号の意味で
あるとか、の方向に議論がいってしまう。
 トブンさんが(トブンさんのいう)初等数学でおかしいと立論できた、と
主張していることが、(トブンさんのいう)初等数学では証明できず、
(トブンさんのいう)高等数学が必要なのですよ、という点をトブンさんを
説得しようとしたすべての人が主張したわけですが、トブンさんは自分が
初等数学の範囲で証明できたという信念が揺らがないために、それが失敗に
終わったということなのだと思います。

 問題は、数学で啓蒙ということは存在するのだろうか?ということです。
 数学では、あることは正しいか?間違っているか?未解決か?であって、
ここでは真理ということが理想ではなく現実として存在する。
 正しいことは正しいのであって、それが世の中の0.001%のひとしか理解できて
いなくても正しい。
 で正しいか正しくないかは誰が決めるのだ、といったら、誰がきめるのでも
なくて、客観的に正しい、ということになるのではないかと思います。
 その客観的正しさを理解できるようにすることが数学の訓練なのである。
とすると数学には啓蒙ということがなりたつのだろうか? わからない人には
永遠にわからないとすると、そこに啓蒙がなりたつのだろうか?

 わたくしがこんなことをいっているのは、いくつかの前提からのトートロジー
の展開という性格をもつ数学においては、あることが正しい、あることは真理である
ということがいえるが、科学においてはそういうことはいえない、あることが正しい、
あるいはあることが真理であるは、科学においてはいえない、ということがあると思うからです。
 自然選択説は反証可能である、あるいは反証可能でない、というようなことは、
0.999...=1 が真理である
 というような意味ではどちらも真理でありえない。
 そして、本当になにが真理なのかをわれわれが知りえない分野においてこそ啓蒙が
成り立つのではないかと思います。
 もちろん、啓蒙が誤っていることを正すという意味であれば、数学においても
成り立つと思いますが、科学においては客観的に正しいことがあったとしても
それが客観的に正しいということをわれわれは知りえないので
だからこそ、そこにこそ啓蒙というものが意味をもってくるのではないかと思います。



Id: #a20040410215315  (reply, thread)
Date: Sat Apr 10 21:53:15 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040410160747
Name: かも ひろやす
Subject: 何を勘違いしているのかが見えた

トプンを名乗る人物の「トリック解明のまとめ」(2004/04/05 20:46 付)と「トリック解明(3)」(2004/04/07 23:00 付)との間の論調の変化を見落していたことに気付きました。前者では、0.999… = 1 を疑っているだけなのに対して、後者では、0.999… = 1 を否定する態度に変っています。 後者には、
、それぞれは、1←0.999...と1←0.999...となります。 決して、1=0.999...ではありません。
とはっきりと書いてあります。 啓蒙を拒否する構造のうちの一つはこの段階で消えかかっているのかもしれません。

論調が変った結果、何を勘違いしているのかもはっきりとわかるようになっています。操作の結果得られた値と操作そのものとを混同しているだけです。

1/3は、前のメールで、「割る前の数として」と言ったのは、どういう時かとい うと、1/3は、「3等分する」ことを要求するという意味である。そうである以上 、[この目標としての「3等分する」という意図]は、予想としては[「三つに 割り切ってしまった姿」である。したがって、[1/3とは「3等分するという目標」] のことである。
で一目瞭然です。1を3等分して得られた値と1を3等分する操作そのものを混同しています。結局のところ、「1/3 = 0.333…」を「1を3で割る操作と 0.3, 0.33, 0.333,... と無限に続ける操作とは等しい」と語読し、一回の操作と無限回の操作が等しいということはありえないから間違いであると思い込んでいるということのようです。

「高等数学」とレッテルを貼って耳を塞ぐ態度のほうは、「認めます。」(Fri Apr 09 14:10:18 2004 付)でも変っていないので、啓蒙を拒否する構造のもう一つは、残念ながらまだ残っています。


Id: #a20040410180526  (reply, thread)
Date: Sat Apr 10 18:05:26 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040410023526
Name: かも ひろやす
Subject: 0.999… = 1 の人気

人気がある話題なのは確かだけど、半可通が寄ってきやすい話題でもありますね。発端の哲学メーリングリストでも、
いくら、0.99999......と続けても1に至らないのは、直感主義の立場に立てば、自明ですから。
とか(「直観主義」を「直感主義」と誤記した上でその語義を勘違いしている)、
また、循環小数は実数の中の有理数に属するものです。実数全体を考察しなけれ無意味です。
とか(有限小数と循環小数の全体として有理数体を定義することも可能ですけど)、 主張している人がいます。
Id: #a20040410163836  (reply, thread)
Date: Sat Apr 10 16:38:36 2004
Name: かも ひろやす
Subject: 0.999… = 1 に関連する話題

せっかくなので、関連するおもしろい話題を提供します。ちなみに、これは実数の計算論をやっている人なら誰でも知っていることで、たとえば、Weihrauch の教科書にも載っています。ここでも以前、紹介したことがあります。

実数の計算論を構築する際に、普通に無限小数を使うと、0.999… = 1 に関係して、困ったことが生じます。実数の表現に普通の十進無限小数を使って、入出力にそれぞれ片方向無限テープを使うTuring機械で、入力の3倍を出力することを考えます。この機械は、0.333… が入力されると、0.999… か 1.000… のどちらかを出力しなくてはなりません。では、どちらを出力するでしょうか。0.999… を出力するとします。すると、0. までを出力するまでは有限ステップですので、その時までに入力している文字数も有限です。小数第m位まで入力しているとしましょう。そうすると、この機械は、小数第m位までが 0.3…3 であるどんな入力にたいしても、出力の最初の2文字は 0. であるはずです。そうすると、0.3…34なんとか に対しても 0.なんとか を出力することになり、不都合です。同様に、1.000… が出力されるとすると、0.3…32なんとか に対しても 1.なんとか を出力することになり、やはり不都合です。

この問題の解決策もすでに知られています。十進展開で使える数字を負のほうに拡張して、-9 から 9 までにしてしまえばよいのです。それなら、入力に 3 が続いている間はとりあえず 1.00… を出力しておいて、2以下が来たら負の数字を出力して下に補正して、4以上が来たら正の数字を出力して上に補正するTuring機械を作れば良いのです。

結局、0.999… = 1 が悪さをしたのではなく、0.(-9)(-9)(-9)… = -1 が使えないのが苦しかったということですね。


Id: #a20040410160747  (reply, thread)
Date: Sat Apr 10 16:07:47 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040409233555
Name: かも ひろやす
Subject: トプン理論の構造

不快感を与えてごめんなさい。

極限論の否定はある種の定番で、初学者から哲学者(あるいは哲学者を標傍する人)まで、さまざまな人がさまざまに主張しています。逆にいえば、極限論の否定をとなえても既存のどれかのパターンとぶつかることが普通で、今回のトプン理論も、まさにその例になっています。

トプン理論が該当する既存のパターンは、「代替数学を具体的に提示することなく、既成数学への疑義を一方的に提示するだけ」です。発端となった「ちょっとした数学の問題」にも本人による中間総括「トリック解明のまとめ」にも、「0.999... = 1 は疑わしい」という趣旨の主張はありますが、「0.999... = 1 は誤りで、正しくは○○である」は一言もありません。

さて、田崎さんは「かもさんみたいな書き方をしても、相手を啓蒙できるわけでもなし、……」と書かれていますが、どんな書き方をしても、トプンを名乗る人物を啓蒙することは不可能です。私にできないだけではなく、この人物に直接の面識のない誰にとっても不可能です。トプン理論そのものが啓蒙を拒否する構造をしているからです。

まず、「代替数学を具体的に提示することなく、既成数学への疑義を一方的に提示するだけ」パターンそのものが、啓蒙を拒否する構造です。代替数学が具体的に提示されると、具体的な反論が可能になります。たとえば、「0.999... = 1 は誤りで、正しくは 0.999... < 1 である」と主張してしまうと、「もしそうなら、0.999... < a < 1 なる実数aが存在するはずだが、かくかくしかじかの理由でそれはありえない」との反論に再反論しなくてはならなくなります。ところが、既成数学への疑義の提示だけなら、疑う主体は自分ですから、何を言われても自分が納得しなければ疑っている状態を継続できます。自分が納得しさえしなければ何を言われても(主観的には)痛くも痒くもないのです。

さらに、トプン理論にはもう一つ啓蒙を拒否する仕組みが備わっています。「高等数学」というキーワードです。哲学メーリングリストでもここでも何度も観測されていますが、トプンを名乗る人物は、反論に対して「それは高等数学であり、この議論とは関係ない」という趣旨のことを述べて検討を拒否することを、何度もやっています。「高等数学」とレッテルを貼るだけで耳を塞ぐことができるのですから、(本人にとっては)実に便利な仕組みです。

トプンを名乗る人物がこのような態度をとっている原因は、いろいろな可能性があります。もっともありそうなのは、自己愛でしょう。「他の誰もが盲信していることを私だけが疑っている。私は偉い」です。これが原因だとすると、必要なのは論破ではなくカウンセリングです。直接の面識なしでは著しく困難です。あるいは、ありそうにないですが、実は何者かに強要されて愚かな態度を演じている可能性だって否定はできません。その場合は、必要なのは強要事件の解決であって、そもそも啓蒙は何の役にも立ちません。

という根拠で、トプンを名乗る人物への啓蒙の試みは無駄だと私は考えているんですけど、だからといって、ここで啓蒙を試みている人に、無駄だからやめませんかと忠告したくはないんです。無駄を承知の試みは尊重すべきだと思うし、私の分析が間違っていて啓蒙に成功する奇跡を見ることができるなら、それはそれですばらしいことだからです。それで、おちゃらけた書き方をしてのですが、それは少なくとも一名に不快感を与えることがわかったので、反省して、くどくどと書いてみました。これはこれで、自分の芸風にないことを無理にやっている感じで、お見苦しくてすみません。


Id: #a20040410115722  (reply, thread)
Date: Sat Apr 10 11:57:22 2004
Name: 粒子
Subject: 数直線の学習
数直線の学習は、整数を習ったときに出てきたと思うのですが、このとき負
の整数も同時に(というよりか負の整数を理解するために)習ったと思いま
す。
ところが、小学生の時点で温度計の読み方を習うと思うのですが、ここで
マイナスの温度が出てくると、すでに負の数の扱いを行っていることにな
ると思うのです。
私は教育の現場の人間ではないので、現在の負の数の学習がどういう順番
になっているのか、教えてほしいと思います。

Id: #a20040410062137  (reply, thread)
Date: Sat Apr 10 06:21:37 2004
Name: くろき げん
Subject: "0.999… = 1" を理解するためには実数論は必要ない

0.999… の標準的な定義は 0.9, 0.99, 0.999, ... という数列の極限です。そしてその極限は 1 になります。「数列 0.9, 0.99, 0.999, ... は無限に 1 に近付く」を「0.999… = 1」と略記していると考えるわけです。

さて、ここに登場する数たち 0.9, 0.99, 0.999, ... および 0.999… = 1 はすべて有理数です。この話のどこにも無理数は出て来ません。だからこの話を理解するためには実数の完備性のような「高等数学」 (実数の完備性は「高等数学」の名に値すると思う) は必要ありません。必要な知識は極限概念だけです。だから、 "0.999… = 1" は極限概念を誤解していないかどうかをチェックするために役に立ちますが、大して高級な話ではありません。

"0.999… = 1" を理解するためには、完壁な厳密さを求めなければ、 #a20040404154449 の「付け足し 1, 2」に書いた程度のことを押さえておけば十分だと思います。次のステップに理解を深めたい人は、 #a20040409040844 のチェック事項の 3, 4 の一般的結果を証明抜きで認めて (直観的に認めることに抵抗のない人は多いでしょう)、「x = 0.999… のとき、 10x - x = 9 なので x = 1 である」という議論の中でチェック事項の 3, 4 の結果がどのように使われているかを考えてみれば良いと思います。

特殊な話題 (たとえば "0.999… = 1") を扱いながら一般的にどのようなことが成立しているか (たとえばチェック事項の 3, 4) について考えることは数学を勉強するときの常套手段です。これは逆も言えて、一般的な結果について知ったら、必ずその結果が適用できる例 (および条件が足りないせいで適用できない例) を扱ってみなければいけません。

あと、論理的な厳密性を求める場合にはピンポイントでいきなり厳密なやり方に着地しようとすると失敗することが多いし、戦略的にも得策でないと思います。適切な地点で一度立ち止まって、そこに書いてある結果をひとまず証明抜きで認めてそれを使ったらどういう帰結が得られるかを押さえた後で、認めて使ってしまった結果について厳密に理解するために別の地点に向かう、というやり方の方が良いです。

そうそう、上の方では "0.999… = 1" を理解するためには実数の完備性の類の知識は必要ないということを強調しましたが、それは "0.999… = 1" に関する議論において実数の完備性の話題を出してはいけないということを意味しません

色々な話題が出た方が読んでいる人は楽しいでしょう。たとえ "0.999… = 1" を理解するために実数論は必要ないとしても、実数論に興味を持つ人が増えるのは非常に良いことだと思います。

まとめ


Id: #a20040410035359  (reply, thread)
Date: Sat Apr 10 03:53:59 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040409213955
Name: i-ko
Subject: 国語の問題では?

遠山啓著「教師のための数学入門」にこんなことが書いてあったので紹介します。
「「男の子が5人、女の子が3人いた。男の子は何人だけ多いか」
先生が何気なく
5人−3人=2人
として「男の子が女の子より2人多い」とすると、ある子供が先生に講義をした。
「せんせい、男の子から女の子は引けません。」
この子供の講義には重要な意味がある。なぜならこの問題(求差)は残りを求める減法(求残)とは、かなり違ったもので、より程度の高いものだからである。
「男の子が5人いました。そのうちの3人がうちに帰りました。何人残ったでしょうか」であったら、
5人−3人=2人
は自然に出てきて何の問題もない。ところが差を求めるためには、男の子と女の子のあいだに1対1対応をみつけなくてはならない。1対1対応という操作がはっきり意識されていないと差を考えることができないのである。5人−3人の3人は女の子ではなく、女の子と対応づけられた男の子なのである。
そうなると求残より求差のほうがむつかしいのである。」以上

トプンさんの哲学は、「せんせい、男の子から女の子は引けません。」というところに似たものがあると感じてしまいました。疑問を持たない人も多いだろうし(私は疑問を持った覚えがありません)、仮に疑問を持ったとしても、以下の説明を聞けば、多くの人が納得できる。それでも男の子から女の子は引けないということを主張するのがトプンさんの哲学に似たものを感じます。

「子供が数えられないほどいました。そのうちの全員がうちにかえりました。残りは何人ですか。」という質問には「数えられないほど」=無限と考えると、当然、「全員」も無限となり、無限から無限を引くとゼロになることは私は感覚的に納得できるのですが、いかがでしょうか?
ところが「男の子も女の子も数えられないほどいました。男の子は女の子よりどれだけ多いですか?」には男の子も女の子も数えきれないほどいても、その人数が同じとは限らない。この問題では同じ人数などとはどこにも書いてないではないか。だから「数えられないほど」=無限と考えると、無限から無限を引いてもゼロにならないと主張されているように思います。数学でなく国語なら、それもありとは思いますが…。
Id: #a20040410023526  (reply, thread)
Date: Sat Apr 10 02:35:26 2004
Name: drake
Subject: "0.999... = 1?" は人気スレ?

人間は考える機械などではない。考えるのは人間だけだ。機械は考えないからこそ機械なのだ。機械はある数値以上になったらただ「オーバーフロー・エラー」と言うしか能が無い。人間は考える。ただ、人によって違うし、個人個人も進歩したり逆にボケたりして変わる。無限大に向かって一歩一歩確かめながら行かないと気が済まない人もいれば、一足飛びに行ける人もいる。(私自身は、ん十年前に極限のスマートさに感動してテクテク派から一足飛び派に転向した)

"0.999... = 1?" は英語圏の掲示板でも、と言うより日本以上に、繁栄している。真剣な質問や議論もあれば、スポーツ的な(つまり A:「冗談だろ」 B:「うん」という)のもある。最後は捨てぜりふ、というのもあった。

個人的には黒木さんのだけではなく、他の人の発言の中にも参考にしたくなるのがあって、結構楽しみました。(トリトリも)

追伸:「トリトリ星人の数は3進数でした」…これをトリトリ語に翻訳したら、「トリトリ星人の数は10進数でした」


Id: #a20040409233555  (reply, thread)
Date: Fri Apr 09 23:35:55 2004
Name: 田崎
Subject: かもさんって意地悪を通り越してる

すみません、ろくに読んでいないのですが、ぱっと眺めて題名に書いたような印象をもちました。

かもさんみたいな書き方をしても、相手を啓蒙できるわけでもなし、さしとて、われわれが面白いわけでもない。ご本人は快感なのかな? それも、なかなか、理解できない。


Id: #a20040409213955  (reply, thread)
Date: Fri Apr 09 21:39:55 2004
Name: KEN
Subject: 数の体系から

はじめまして。

トプンさん。
数学に限らず、多分哲学でも、何らかの考えるための体系には、
以下の条件が必要だと思います。

1) 便利である。役に立つ。興味深い。面白い。深遠である。 …etc
2) 辻褄が合っている。

1)は、およそ体系的に議論をされようと言う方には
同意いただけると思います。同意しない人は、なにも議論する必要もありませんので。
2)は、論理を重んじられるトプンさんには同意いただけると思います。

さて、本題ですが、1=0.999...の成否の判断には高等数学の知識は不要、
とトプンさんはおっしゃいます。でもこのままでは平行線なので、
考える対象を、高等数学の知識は不要とトプンさんも同意してくださると思われる、
「負の数」にまで一気に戻してみたいと思います(必要ならいくらでも戻せます)。

「(-1)×(-1)=1」
マイナスかけるマイナスはプラス、という小中学校ででてくる算数です。
でも、これは人間が仮定として決めたもので、「自然的判断」ではありませんよね。
「借金(マイナス)と借金を掛けて、何故プラスなんだ?」

そもそも、負の数だって人間が仮定として決めたものです。
「3個のものから5個のものを取る? できっこない!」

では、自然数こそが人間が仮定したものではない「自然的」なものなのでしょうか?
ここで、ちょっと伝説めいてはいますが、かつて、とある民族は、
「ひとつ、ふたつ、たくさん」
と、3以上の数が存在しない体系で数えていた、という話があります。
この数体系は一応「足し算」が出来ますし、
彼らには、1) 便利である、役に立つ、2) 辻褄が合っている数え方でした。

さらに言えば、かの発明王エジソンは子供の頃、1+1=2というのを
「泥団子1個ともう1個、足して(くっつけて)も1個になるじゃないか」
と反論したという逸話もあります(これも伝説めいてはいますが)。

こういう体系は確かに、2)の条件を満たしてはいるようです
(どんな演算をしても1になる等)が、現代社会で暮らすには、
もはや 1) の条件を満たしてるとはいえないでしょう。

1=0.999...も、「泥団子の足し算」から1)、2)の条件を満たしつつ
段階的に先人達が築いてきた「決め事」の一つなのです。
疑う事自体は結構ですが、「哲学的」なことに拘泥すると
「泥団子の足し算」まで戻らざるをえなくなります。
あるいはさらに想像もつかないところまで戻る必要がある。
だって、全部決め事なんですから。
でも、その決め事は便利で、役に立ち、興味深く、面白く、深遠であり、
辻褄の合っている決め事なのです。
そして、1=0.999...では無い体系は、辻褄が合わないし、
役に立たないものです(まず掛け算が破綻します)。


さて、私もこちらに書くのは初めてなので、自己紹介を。
メーカーの研究所で動画像の圧縮をやってます。
大学では物理(場の理論)やってました。
多分こちらの掲示板にたまにいらっしゃる菊地さんの
講義を受けていたことがあります。同一人物かは確証がとれませんが。
趣味は読書とネットサーフ、という所でしょうか。
物理や数学の本を読むのも好きです。
一部趣味については、恥をかけるほどの情報を提供すると、
その時点で恥をかくような趣味なので、割愛します。

Id: #a20040409154010  (reply, thread)
Date: Fri Apr 09 15:40:10 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040409074630
Name: かも ひろやす (マチガッテル系コレクター
Subject: 蒐集見送り

トプンの「トリック解明」をコレクションに入れることを検討しましたが、見送ることにしました。「1=0.999... は間違っている」ではなく「1=0.999... は正しいとは私は認めない」なので、マチガッテル系とは違うと判断したからです。

立場の違いに逃げ込むところとか、他人の言葉には「高等数学」などとレッテルを貼って無視しておきながら自分の土俵に歩み寄ることを他人に一方的に要求するとか、自己中心性のサンプルとしては最適なんですが、残念ながら、私はそういうのはコレクションしておりません。ジコチュー系コレクターの方、よろしく。「みんなが盲信していることを私は疑っている。私は偉い」は伝ってくるので、ナルシズムコレクターの人もいかがでしょう。


Id: #a20040409141018  (reply, thread)
Date: Fri Apr 09 14:10:18 2004
Name: トプン
Subject: 認めます。
 黒木さんのおっしゃることは認めます。
来れは中途半端な論証ですから、哲学では有りませんね。哲学であることを
試みたのです。それから、黒木さんレベルの知識は、到底無いことも認めま
す。多分、MLの中の人ほども無いのでしょう。ただ、一応はやっているとい
うことであり、またやっていたというものです。だから、自信はありません。
認めますよ。
 しかし、なんであろうと、私のMLでの哲学的意図は、黒木さん達の考え
の次元とはやはり違います。考え方の違いだと思います。
 私にとっては、あの1=0.999...について分析するのには、高等数学の知識
を云々することとは、やはり違います。それを問題にするのはずっと後にな
ってからだと考えているのです。だから、あの一点に絞り込んでその概念を
私なりに分析したものです。辻褄は合っていると思うのです。
 あの時点で、高等数学の知識を検討するとなると、分析がまだ足りません。
余計に混乱すると思っているのです。
事実、黒木さん達の知識を持ち出されると、大変な考慮を要するようになり
ます。だから、考えやすい基礎数学のレベルで、分析を始めたのです。
 結局、あれは試みなのです。概念についてあのように考えて一応の辻褄が
合ったけれども、このように考えるのはどうか? というものです。

 そこにおいては、同じ土俵で議論しないと、どうにもならないのです。
つまり、極端に言うと、自分の考えで述べるということでしょうか。
だから哲学的試みです。

 少しはご理解いただけたでしょうか?


                           



                      
 

Id: #a20040409074630  (reply, thread)
Date: Fri Apr 09 07:46:30 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040409054951
Name: くろき げん
Subject: 既成概念を正確に扱うことさえできないレベルの人が哲学的な議論をまともにできるはずがない

既成概念を正確に扱うことさえできない人が既成の考え方を離れて哲学的に厳密に考えることをできるはずがありません。「基礎から数学の概念を疑おう」にも疑う対象の基礎を全然理解してないようではお話にならない。

トブンさんは「高校の数学は、生徒に教えるほどの知識もある程度備えています」とおっしゃっていますが、私が示したチェック事項にまったく答えることができないようでは高校生に高校数学における「極限」の項目についてまともに教えることは不可能でしょう。

あと、お世話になった哲学MLのことをそれ以外の場所で悪く言うのは止めた方が良い。「話が伝わらない」のはトブンさんの側に問題があるからです。

もしも既存の考え方を離れて議論をしたいのであれば、自分自身が既存の考え方を正確に理解していることを議論の相手に見せてからにするべきです。しかし、トブンさんはそうできなかったわけです。

トブンさんは単に自分好みの考え方をしようとしているだけのように見えます。それは哲学でも何でもない。


Id: #a20040409054951  (reply, thread)
Date: Fri Apr 09 05:49:51 2004
Name: トプン
Subject: 次元の違い
  詳細な説明、痛み入ります。

 私は、そういう次元の論理展開をしているのではありません。
つまり、既成概念に立った論理展開を望みません。
私は数学を哲学しているのです。数学を数学しているのではありません。
数学の考えの根底にはどういう思想が潜在するのかを暴き出そうとして
いるのです。だから、この議論は、衝突の連続です。
 それから、私は自分の無知は認めています。高校の数学は、生徒に教え
るほどの知識もある程度備えています。ただ、それ以上ではないという
ことです。そういう知識ももちながらあのような展開をするのには、上
記のような思惑があるからです。
 私は、一点に絞って洞察しているのです。知識の云々ではないのです。
だから、全然土俵が違っています。
 私は根本から、基礎から数学の概念を疑っているのです。つまり、今の
根本概念で今の宇宙の実体について本当に把握できるであろうかを一から
検証しなおしているのです。
 
 黒木さんと数学の知識を競おうという気など到底無いのです。
MLの方々も、全くといっていいほど私の意図を分っていません。
それは滑稽なほどです。どうして、こんなに同じ考えばかりの人ばかり
なのか、不思議なくらいに呆れています。

 私は哲学しているのです。1=0.999...という問題の成立した由来を、
数学の既成概念無しで洗いなおしているのですよ。疑っているからです。
そのことが、嘘の様に伝わりません。この伝わらなさは、もう議論の気
力を喪失させました。

 宮崎さんの説明も、余り意味がありませんでした。同じ人間でこの伝わ
らないということのもどかしさは、何とも致し方の無いことです。

 この議論はMLでも終了しました。ここでも終了したいと思います。
あの私の論理は、未だに私の中では、十分健在です。それは既成概念に
よって出来上がった高等数学の知識とは別のところでめらめらと燃えて
おります。このことは如何にしても、これまで議論してきた人には、伝わ
りませんでした。私は、要点だけを述べたので分りにくかったのかもしれ
ません。あの論理には、十分な根拠があるつもりでいます。宇宙の無限と
無についての根拠から、数学の無限数についても説明できると自負してお
ります。
 しかし、それについて論じるには、余りにも皆様と次元が異なっている
ために議論する気持は喪失してしまいました。
この文章も、数学についての知識に十分でないものの戯言と思ってもらっ
ても構いません。お手間を取らせました。

                 それでは、これにて失礼します。

                      






Id: #a20040409040844  (reply, thread)
Date: Fri Apr 09 04:08:44 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040408215454
Name: くろき げん
Subject: 0.999… = 1 を理解するためのチェック事項

トブンさん、#a20040408215454のような発言は止めてください。他人に客観性を要求しているその発言自体に客観性が欠けていると思います。この要求には反論せずにしたがってください。

トブンさんはまず自分自身の無知を認めて、標準的な数学における極限について謙虚に学ぶべきだと思います。参考までに以下にチェック事項を書いておきます:

  1. 数学における実数列や実級数の極限の定義を正確に説明できるか?
  2. その定義に基いて、 0.9, 0.99, 0.999, 0.9999, ... という数列が 1 に収束することの証明を書き下せるか?
  3. 収束する実級数 Σn=1 an と実数 c が任意に与えられたとき、級数 Σn=1 can も収束して、 Σn=1 can = c Σn=1 an が成立することを証明できるか?
  4. 収束する任意の実級数 Σn=1 bn に関して、 Σn=1 bn - Σn=2 bn = b1 が成立することを証明できるか?
  5. 以上の二つの結果を用いて、「x = 0.999… のとき、 10x - x = 9 なので x = 1 である」という議論を論理的に厳密に再構成できるか? (ヒント: an = 9×10-n、 x = Σn=1 an、 bn = 10 an の場合について考えてみよ。)

他人に自分自身が十分論理的であることを認めてもらうためには、与えられた約束事から論理的帰結を正確に導く能力があることを示さなければいけません。

色々疑いたくなる人にとって重要なことは、最初の段階では数学に標準的な約束事を約束事だと割り切って認めて先に進むことです。たとえ自分自身にとっては疑わしいと感じられる約束事が出発点であってもそこから論理的帰結を正確に導き出せることを示せれば、自分自身が十分な論理的な能力を持っていることを他人に認めてもらうことができます。

たとえばこの議論では上のチェック事項をすべてクリアできれば十分です。全然クリアできそうもなければ勉強し直すしかない。特にトブンさんは上のチェック事項にすべて Yes と答えることができるようになるまでこの件に関して発言を控えた方が良いと思います。これは特別に厳しい要求ではなく、柔道で言えば受身を取れるようになるまで技の練習をさせないのと同じ程度の要求に過ぎません。

そして修練を積んで、どんな約束事が出発点であってもそこからの論理的帰結を正確にかつ素早く導き出せるようになれば (素早さは結構重要)、出発点になりえる様々な約束事の違いや質をそこからの帰結を調べることによって評価するという段階に進むことができます。この段階に進めば、最初に割り切って認めてしまった数学における標準的な約束事自体を自分で評価できるようになります。

しかし、数学における標準的な約束事を約束事だと割り切って認めて正確に運用する程度の能力さえ身に付けていない人はこの段階に進むことはできません。トブンさんは自分好みの考え方をする前に、標準的な約束事から出発する議論を学ぶ必要があると思います。受身を最初に身に付けずに柔道を習うのは危険です。始めは標準的な受身の仕方を繰り返し練習しなければいけません。

数学の修練を十分に積めば、数学における標準的な約束事が本当にうまくできていることに気付くと思います。そして、数学的にうまい約束事を見付けることがものすごく難しいことにも気付くことになる。


Id: #a20040409002329  (reply, thread)
Date: Fri Apr 09 00:23:29 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040408215454
URL: j-miyaza@jcom.home.ne.jp
Name: 宮崎純
Subject: 線路は続くよ どこまでも
トブンさん

 今日時間があり、MLを覗いて前後の議論をみてきました。
 ここでもされているような数学的な議論はそこでもされていて、
 それにもかかわらず、トブンさんは納得されていないようなので、
 説得の試みではなく、論点整理をしてみようかと、思います。

 トブンさんは、
 0.9999....=1
 が成り立つがどうかという議論が、トブンさんのいう基礎数学で議論ができる
と思っておられるのだと思いますが、トブンさんに反論してくる人がみんな
高等数学を持ち出してくるのは、逃げであって、なぜ正々堂々と基礎数学で
議論をしてこないのか?卑怯である、というような感想をもたれているのでは
ないかと推測します。
 わたくがここでトブンさんのいう基礎数学というのは、具体的な数についての
演算のことです。
 で問題は、
 0.9999999.... 
 が具体的な数であるとトブンさんは考えているということだと思います。
 ここが論点の分かれ目であると思います。
 無限に続く数というのは「高級数学」で扱わざるをえないというのが、
反論される人の立場であると思います。
 もちろん高級といっても、それほど高級ではなく、具体的な数ではなく
抽象的な数の演算規則といった程度のものですが。
 a=0.999... とした時に、
 10a-a とういうのが、9.999... は 0.999...の正確に10倍にはなっていない
正確に10倍になるためには、9.999.....99990にならなければおかしい、という
のがトブンさんの見解になるのではないかと思います。
 ところが誰もが、10a=9.999.....99999...
というようなことを当たり前のような顔をして使っている、これは高級数学を
そうしなければ守れないからしている、許すべからざる欺瞞行為である、
というのがトブンさんの見解ではないかと推測します。

 0.9, 0.99, 0.999, ..., 0.9999999 はそれぞれ数であるが、
0.999...はそれとは異なる何かである、という場合、
高級?な数学はそこで数の概念の拡張をおこなうわけですが、
トブンさんは、それは真正な数ではないという言い方をするわけです。
つまりトブンさんにとっては有限に表される数のみが真正な数ということになります。

 さてMLの トリック解明(3)ですが、
 ここでわりきれるということへのこだわりがあるのも、割り切れない数は
真正ではないからということが背景にあるように思います。
 割り算は「10個の饅頭を4人でわけたら、一人に何個づつでしょう?」
というようなことへの解答からスタートするのでしょう。 
 これは本当は平等にわけろとは書いてないし、かりに平等にと書いてあっても
平等とは何かについて無限の議論がありえますが、それをおいておくと、
一人2個づつで2個あまりも、一人2.5個づつも、どちらも正解なのでしょう。
 そして、「3人でわけるであれば」、3個あまり1個も、一人3.333...個
もどちらも正解なのでしょうが、3.333...個などというのは現実には存在
しない数ではないか、とトブンさんはいうのではないかと思います。
 ところで、これが饅頭でなくネコであれば、
正解は2匹づつあまり2匹、あるいは3匹づつあまり1匹が正解であって、
一人、2.5匹づつとか、一人3.333...匹づつというのは正解ではありません。
 ネコの世界では、割り切れるということの意味が違ってきてしまいます。
 つまり、10÷4=2.5ということが成立するのは、すでにネコの世界、
自然数の世界から何がしか抽象的な世界に一歩踏み込んでいるわけです。

 「高級な」数学というのは、10÷3=3.333...が成立することを
認めようよということで、なぜそうするのかというと、そうしないと
割り算の世界が窮屈でしょうがなくなるから。
 それは数学の都合であって、けしからんということはいえますが、
それなら、10÷4=2・・2 のみが正しく、10÷4=2.5は認めない
という立場も同様になりたつわけで、
それでは、どんどんと割り算の世界が窮屈になります。

 さて、トブンさんは、1/3は三等分をするという目標を表し、
0.333...はわりきれないという事実を示すとしています。
 では、1/2.7 は、2.7 等分するという目標を表すといえるかです。 
目標として、2.7等分に割り切れてしまった姿を予想するというようなことは
現実世界の目標としては意味をなさないと思います。もちろん、
10を27等分することを目標とするといってもいいですが、
それが同値であることは、ある抽象的な思考によります。
 n/m は当初は nをm等分するということからはじまったのかもしれませんが、
 nやmにどんな数値がきてもなりたつように展開していきますから、
 nやmが π だとうと √2だろうとどんな数がきてもいわけです。
 √2をπ等分するというような計算に、割り切れるかというような議論をしても
意味がありません。

 1÷3=1/3=0.333...までは、基礎的な数学です。
(1/3)×3=1も基礎的な数学です。しかし
0.333...×3は基礎的な数学ではありません。
 この計算自体は1にならないと困る、ということがありますから
0.333...×3=1なのですが、
0.333...×3=0.999...ではないか
0.999...と1は違うのではないかという議論の判定は
基礎的な数学ではできません。
 ここで、どうしても無限ということがでてきてしまいます。

 ∞+1=∞
 ∞×2=∞

 ですが、

 これでは 1=0 となり 2=1 となってしまう、変だ
というのがトブンさんの議論であるように思います。
 上記の議論がなりたたないのは、∞が1,0000,0000,0000,0000,0000,0000
などとは違って具体的な数ではないからなのですが、
 わたくしには、トブンさんが
<無限大をある具体的な数のように操作をすることで「基礎数学」であつかえるものとしている>
 ということの正否を議論しなくてはいけないのではないかと思います。
 ですから、論点は、
1)無限大もやはりある具体的な演算操作ができる数なのか?
2)無限に続く循環小数にある演算をおこなうということと、有限におわる小数にある演算をおこなうことに異同はあるか?
3)無限をふくむことをトブンさんのいう基礎的な数学であつかうことができるか
という3点ではないかと思います。
 そして、この3点について、トブンさんとトブンさん以外のほとんどすべての
ひとが意見を異にしているということではないかと思います。

 最後に、高級な数学は基礎的な数学の上に成り立ってきているものですから、
高級な数学で成り立つことが基礎的な数学により否定されるというようなことは
ありえない、と考えるのが常識的で時間節約的な考えであると思います。
 もちろん、それが覆されることがないとはいえませんが、数学について
トブンさんの何億倍も考えるひとがたくさん数学の世界にはいるわけですから
その見込みはきわめて薄い(1/∞ ?)と考えるのが自然ではありましょうか。

Id: #a20040408222141  (reply, thread)
Date: Thu Apr 08 22:21:41 2004
Name: トプン
Subject: 訂正
 失礼しました。会話ではなく、議論ですね。「議論は客観的に・・・」です。
会話は色々ありますからね。喧嘩の様な会話もありそうです。訂正まで。

Id: #a20040408215454  (reply, thread)
Date: Thu Apr 08 21:54:54 2004
Name: トプン
Subject: 会話は客観的に・・・
 私を批判されたければ、せめて、宮崎さんのような客観的な説得で分らせ
ようとされた方が宜しいですよ。
 
 これ以上の会話は火事になりそうですので、控えときます。よろしく。

Id: #a20040408213944  (reply, thread)
Date: Thu Apr 08 21:39:44 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040408194309
Name: ゆん

 その近づいていった先の数=1であり、  0.999...=「その近づいて行った先の1」ということにしましょうですよね? これは人間が、仮定として決めたものですよね?  だから、自然的判断ではありませんよね?

その通りです。

さて、実際は、そのように仮定化してはいけないということです。

何故ですか?

個人的には トブンさんの『間違い』はつまるところ、 この「数学的な仮定を数学が勝手に決めてはいけない」 という奇妙な勘違いに集約されていて、 「0.999...=1」にまつわる長々した議論は全て 蛇足に過ぎないと感じています。

トブンさんは、数学が人間の作った人工物では無く、 何か天与の自然物であるとでも思ってらっしゃるのでしょうか?


Id: #a20040408194309  (reply, thread)
Date: Thu Apr 08 19:43:09 2004
Name: トプン
Subject: ゆんさんへ
  ゆんさんの文、「そこで、このような数がどんな数に近づくかを考えて
その近づいていった先の数のことを 0.999・・・
と書き表すことにしましょうというのです。」の意味からすると、

 その近づいていった先の数=1であり、
 0.999...=「その近づいて行った先の1」ということにしましょうですよね?
これは人間が、仮定として決めたものですよね?
 だから、自然的判断ではありませんよね?

 で、その決めたことに従って、数学の演算が行われているのですよね?
さて、実際は、そのように仮定化してはいけないということです。その様に
仮定とするのは、a=0.999... 10a-a=9.99...-0.999 9a=9 a=1という演算
の結果に仕方なく、そうしたということではないのですか?



Id: #a20040408021245  (reply, thread)
Date: Thu Apr 08 02:12:45 2004
Name: ゆん

トブンさんのMLへの書き込みより引用

 ところが、0.999...という概念には、1に行き着くという観念は介在していません。

12 さんすう 34 数学 5 Go!より引用

 そこで、このような数がどんな数に近づくかを考えてその近づいていった先の数のことを
 0.999・・・
と書き表すことにしましょうというのです。

正解: 0.999...という概念には、元より1に行き着くという観念が存在しているのでした。

もちろん、この説明でトブンさんが納得されるとは毛ほども 思っておりませんので、返答は不要です。 では。


Id: #a20040408012828  (reply, thread)
Date: Thu Apr 08 01:28:28 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040408002512
URL: j-miyaza@jcom.home.ne.jp
Name: 宮崎純
Subject: 電卓での演算と数学での演算
 a=0.333... 10a=3.33... 10a-a=9a 9a=3.33...-0.333...=2.99...7

の最後が問題で、=3とならずに、2.99...7となっているのは、
小数点以下が無限に続くのではなく、有限の桁数になっていることをしめしていて、
最初の定義に反すると思います。

吉田武さんの奇書「虚数の情緒」では、
0.999...=1 の問題が
すべての循環小数が分数で表現可能であることの系の一つとしてとりあげられています。
循環小数が有理数である、ということから、
無限につづく循環しない小数として無理数が導入されてきます。

例によって、10A−A=9 A=1
がいわれたあと、

「0.9999...=1
が示されたわけである。これは厳密な結果である。決して「0.9999...は、ほぼ
1に等しい」と言っているわけではない。両者は「寸分違わず同じである」と
主張しているのである。諸君は、この結果を如何に感じるであろうか、何となく
納得できないのではないだろうか。」
といっています。

 この「虚数の情緒」では、一方で電卓による計算ということが対照されていて、
電卓の計算では 1÷3×3=0.9999999999
となってしまうことが示されています。

 何か、割り切れるということにとてもこだわっておられるようですが、
数学は割り切れない場合でも、演算規則が維持されることが必要ですので、
割り算がすべて割り切れなければならないということにこだわると、そこで
とまってしまいます。
 トブンさんは、数学を電卓の世界にもどそうとしているように思います。
 無理数とか虚数とかすべて理解できないものになってしまいます。
 自然数だけが数であるとすれば、負の数もありえませんし、1/2などというのも
ありえないことになります。
 トブンさんのしているのは、数学の議論ではなくて、何か別の議論なので、
それを数学の場で議論しても誰にも相手にされないと思います。

 「虚数の情緒」(東海大学出版会2000年)をお薦めします。
 高いですが(4300円)。

Id: #a20040408002512  (reply, thread)
Date: Thu Apr 08 00:25:12 2004
URL: arisuto12@hotmail.com
Name: トプン
Subject: トリック解明
 皆さん、こんばんは、一応、トリック解明を行いました。何かご意見のあ
る方は、遠慮なくどうぞ。ただし、お手柔らかに。。
 この証明は従来には無かったものだと思います。もっと広がりを見せる考
えと思っています。さらに検討を重ねて、本当に正しいかかどうかは、更な
る吟味を要するでしょう。もしかしたら、大きな落とし穴があるやも知れま
せんから。皆さんも、それを見つけて下さる様にお願いしたいと思います。
 ひょっとすれば、全く間違いということも無いとはいえませんから。
 
 それから、私は、永松といいます。年齢は、中年です。w
教育関係の仕事をしています。物書きの趣味があります。ここに書いたり
、MLに出すのもその一つです

                              それでは

Id: #a20040407101627  (reply, thread)
Date: Wed Apr 07 10:16:27 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040406112545
Name: はりがや
Subject: 1÷1
ここに書くのは久しぶりです.@@;

1÷1の筆算にて以下のようにわざと余りを残す
ことで,1 = 0.999999... を出すことができます.

   0.9999...
  --------
1) 1.00000
     9
   ----
     10
      9
     ---
      10
       9
      ---
       10
        9
       ---
        10
         ...

いかがでしょうか?

Id: #a20040407004205  (reply, thread)
Date: Wed Apr 07 00:42:05 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040406112545
Name: 山本晃司
Subject: トリトリ星人神秘の1/2

トリトリ星人は人間に良く似ていますが、片手に指が三本です。おまけに、左手で物を数えるのは下品だとされているので、トリトリ星人の数は3進数でした。つまり、1,2,10,11,12,20,21,22,100,...と続くわけです。トリトリの数で書いたときは、後ろに(T)を付けることにします。

ある日、トリトリ星人の母親が二人の兄弟に1トリトリキロのアイスクリームを買ってきました。兄弟はそれを二つに分けましたが、本当にちゃんと半分になったのかどうか知りたくて秤で計ってみることにしました。さて、何キロあれば良いでしょう。

もちろん、それは地球の上と同じ1/2(T)キロです。だから0.5キロ?
でもトリトリ星には5はありません。トリトリの0.1(T)キロは、地球の1/3=0.333...キロ、トリトリの0.2(T)キロは地球の2/3=0.666...キロです。
すると、地球の0.5キロは、トリトリ星の0.1(T)キロと0.2(T)キロの間のどこかにあるはずです。トリトリの数字で計算すると面倒なので、地球の数で計算しましょう。ここで、0.1(T)=1/3, 0.01(T)=1/9, 0.001(T)=1/27...の関係を使うと、

小数点以下1桁目:1/2-1/3 = 1/6 から、  0.1
小数点以下2桁目:1/6-1/9 = 1/18 から、  0.11
小数点以下3桁目:1/18-1/27 = 1/54 から、 0.111
...

というわけで、

1/2 = 1/2(T) = 0.111...(T)

となりました。兄弟は顔を見合わせて考えます。二人で半分分けで、無限に続く循環小数?すると、0.222...(T)=1(T)?ここには何か哲学的な問題や、数学の欺瞞が隠されているのではないか?

そして秤の上をもう一度見ると、アイスクリームはすっかり溶けて無くなっていました。トリトリでも0(T)は0です。

その頃地球の上では別の兄弟が、一人0.5キロのアイスクリームを何の疑問も持たずに平らげていました。めでたしめでたし。
Id: #a20040406131626  (reply, thread)
Date: Tue Apr 06 13:16:26 2004
Name: ときた
Subject: 量子的な微分積分

量子的な微分積分 を買ってきてツンドク。
モヤル積ではウィッテンの素朴な定義にも、松尾さんの計算にもふれてない。
Id: #a20040406112545  (reply, thread)
Date: Tue Apr 06 11:25:45 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040406004014
URL: j-miyaza@jcom.home.ne.jp
Name: 宮崎純
Subject: 定義
0.9、0.99、0.999、 ...の近づいていくさきを、0.999...と定義するというと
恣意的に勝手なことをしているという感じがするかも。
また、0.999...なら直感的に近づくさきが、1であると思えますが、
0.111...の近づく先の数は直感できません。
いっそのこと、
1/9=0.111.....
その両辺に9を掛けて、
1=0.999...というのはだめでしょうか?
無限につづいていく数に掛け算という演算ができるかということが問題?

Id: #a20040406004014  (reply, thread)
Date: Tue Apr 06 00:40:14 2004
Name: ゆん
Subject: ぐーぐる様に頼ってみました

http://www.hokuriku.ne.jp/fukiyo/math-qa/mugen.htm

「0.999 1」でgoogleで検索して見つけた記事です。 数学的な厳密性とかは無いかも知れないですが、 トブンさんのつまづいてる点を、端的に表してるのではないですかしら。


Id: #a20040405044633  (reply, thread)
Date: Mon Apr 05 04:46:33 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040404154449
Name: くろき げん
Subject: Re: 1=0.9999...は実数に関して厳密に成立している等式である

新学期が始まるのと他に色々やらなければならないことがあり、ちょっと反応ができそうもありません。しかし、ざっと見た限りでは、哲学メーリングリストでトブンさんを説得しようとしている方々は相当に親切に詳しく説明してくれていると思います。

残された課題は、トブンさんが自分自身の無知を認める勇気を持つこと、そして数学で「実数」と言えば通常どういう約束事の上で運用されているものであるかを勉強することだと思います。標準的な約束事から気付かないまま逸脱することによって生じた疑問はどこで標準的な約束事を破っていたかに気付けば解決するはずです。

「数学における標準的な約束事のもとで 0.999… = 1 が正しい」という事実を疑うことは不可能です。ある標準的な約束事の下で疑うことが不可能なレベルに達することを最初の目標にするのが良いと思います。そのレベルに達した人だけが、標準的な場合と違う他の約束事を仮定したらどうなるかについてのまともな考察が可能になります。

付け足し1。すでに哲学メーリングリストの方でもすでに説明されていると思いますが、

の二つが数学的に正しいことを混乱して、

と誤解してしまう方は結構いるように思えます。 (X) のようにではなく、 (A), (B) のように考えるとことが極限概念のキモなのです。 (X) のように考えてそこから抜け出せない人は極限の概念を勉強し直さなければいけません。さらに、上と似たようなことですが、

の二つが数学的に正しいことを混乱して、

のように考えてしまう方も結構いるように思えます。小数点以下に 0 が無限個続いてその後に 1 がくっついている「数」は標準的な実数の世界では考えません。無限に 0 が続いた後に 1 がくっついているのは何か変だなと思わなければいけません。標準的な約束事を逸脱していることに気付かなければいけない。気付けなかった人は知識が足りなかったということです。

知識が足りないということは数学的なことを考えていれば日常茶飯事なので、現在の知識では理解不可能なことをどうしても理解したければさらに勉強を追加しなければいけない。個人的には数学の勉強を通して、自分自身の無知への対応力とさらなる知識の習得によって自分自身のパワーが増す快感 (これは重要、数学的実力は何らかの成功があったときに増すものだと思う、失敗続きであっても最終的な成功の快感の味を知っていれば我慢できる) を学ぶことができれば良いなと考えています。

自分の無知に気付くのは苦しいことなので、「昨日までの自分とこれから勉強を始めて一ヶ月後の知識が増えてパワーアップした自分が違えばそれで良いではないか」と気楽に割り切って考えるのが一番だと思います。

付け足し2。 10×0.99999… = 9.9999… という等式は厳密には「n 番目の数が 0.999…99 (9 の個数は n 個) であるような数列の極限の 10 倍」と「n 番目の数が 9.99…99 (9 の個数は n 個) であるような数列の極限」が等しいという意味です。数列の極限と 10 倍するという操作が交換可能であるという一般的な事実から 10×0.99999… = 9.9999… のような計算を自由に気軽にやって良いということが導かれます。

このようなことを知っていれば、 10 倍を 9 倍としたらどうなるかも明確になります。 10×0.99999… の 10 を 9 に変えたものが 9×0.99999… であることはすぐにわかります。その意味は数列 0.9, 0.99, 0.999, ... の極限の 9 倍です (それはもちろん 9 になる)。それでは「10 バージョン」における右辺の 9.9999… の「9 バージョン」における対応物は何なのでしょうか? それは数列 9×0.9, 9×0.99, 9×0.999, ... の極限です。 9×0.9 = 8.1, 9×0.99 = 8.91, 9×0.999 = 8.991, 9×0.9999 = 0.89991, ... なのでその数列の極限もやはり 9 になります。これをいきなり 9×0.99999… (… は無限に続く) は 8.99…991 (… の部分は無限個の 9) に等しいという風に考えてしまうと標準的な約束事を逸脱することになります。そういう逸脱が論理的に正当化されるような設定を作った上でそうしているなら問題ないのですが、そもそもそういう設定を作ることができる人は変な誤解をして苦しむということもないでしょう。

結局悪い癖で長々と書いてしまいましたが、この話題は個人的にはこれで打ち止めにします。トブンさんの自己紹介の詳しさを見ると、単に哲学メーリングリストで 0.99999… = 1 について話題をふった方以上の情報が得られませんでした。もしもトブンさんがこの話題でこの掲示板でさらなる議論を展開したいならば、もっと趣味嗜好が詳しくわかり、恥をかいたときに苦しい思いをする程度の自己紹介をしてください。そうしたくないならばここを黙って去るしかない。 (なお、トブンさんの記事での改行にともなうリンク切れをこちらで勝手に修正しておきました。これで誰でもクリック一発で哲学メーリングリストの記録に飛べます。)


Id: #a20040404235242  (reply, thread)
Date: Sun Apr 04 23:52:42 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040404181004
Name: ゆん
Subject: 補足

トブンさんのMLでの書き込みを拝見すると、「0.999...」という数が
「数学の外」にあって、その扱いを数学が適当に行っているという風に
仰っておられるように見えるのですが、そもそも「0.999...」という
数の表記、概念共に、数学が生み出したのであり、「数学の内」にある
物だと言う事は把握してらっしゃいますか?

Id: #a20040404233950  (reply, thread)
Date: Sun Apr 04 23:39:50 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040404154449
URL: j-miyaza@jcom.home.ne.jp
Name: 宮崎純
Subject: 無限大
トブンさん

数学についてはまったくの素人が発言してもうしわけありません。

0.99999...
というのは9が無限に続くわけで、
無限というのはわれわれの直感には反するものであると思います。
たぶん、数学の歴史でもカントールあたりまでは本当には誰もうまくあつかえなかったものだと思います。
たとえば、自然数全体と偶数全体の数が同じであるなどというのも直感に反するものですし、整数全体より実数全体のほうが大きいというのもそうです。
ですから、
0.9999....=1
という個別の問題を議論するのではなく、
数学における無限の概念について勉強されたほうが生産的ではないでしょうか?
わたくしが読んだ本では、
P・C・W・ディヴィスの「ブラックホールと宇宙の崩壊」(岩波現代選書NS)の第二章 無限大とは何か
モーリス・クラインの「不確実性の数学」(紀伊国屋書店)の第9章
あたりが素人への解説としては分かりやすかったように思います。
わたくしの理解では、
0.9999... と 1 の間には隙間がないということかと思っていますが、違うのかな?

Id: #a20040404181004  (reply, thread)
Date: Sun Apr 04 18:10:04 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040404154449
Name: ゆん

こちらに書き込むのは数度目ですが、「議論への参加」に該当しそうなので
簡単に自己紹介を。職業プログラマです。ホームページ見ればわかるように
ただのオタですが。数学に特に詳しかったりはしません。トンデモと人の関
わりに興味があり、『知の欺瞞』のやり取りあたりから、この掲示板を見て
います(← 今回の話とは関係ありません)。

本題ですが、
「0.999...」というのは、数学用語として捉えるべきなのでは?
「0.999...=1」が直感的でないというなら、そもそも
「0.999...」という数、循環小数という存在そのものが、全く直感的ではないように思います。

Id: #a20040404171117  (reply, thread)
Date: Sun Apr 04 17:11:17 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040404154449
Name: やまがた
ML拝見しましたが、他の人があれだけていねいに説明してくれていて完全に
論破されているのにそれをあなたが「わかんない」と言い張ってるだけです。
あれでわからないのであれば、あきらめたらどうでしょうか。

Id: #a20040404154449  (reply, thread)
Date: Sun Apr 04 15:44:49 2004
In-Reply-To: #a20030524185019
URL: arisuto12@hotmail.com
Name: トプン
Subject: 1=0.9999...は実数に関して厳密に成立している等式である
 はじめまして、私は、エキサイトサーバーのFreeMLのとある哲学ML
(哲学メーリングリスト)においてよく議論に参加しているものです。
最近、0.999...=1という問題について、私から数学的問題の一つとし
て課題提出したのですが、黒木さんの掲示板では、0.999...=1という
ことを確証なさっているところを見て、私の述べた論理を見てもらい
たくML上の議論を紹介いたしたいと思いました。下記のURLに入
って、トプンの議論をごらんください。
 http://www.freeml.com/ctrl/html/MessageListForm/philosophers@freeml.com

0.999...=1は疑わしいということを説明しています。今のところ、
これに決定的に反対する人はいません。
 出来れば、0.999...=1ということを、私の議論の中で説明している
ようにわかりやすく述べていただけませんでしょうか。これは実数の定
義の知識をあえて必要とするというものでもなく、論理的に説明できると
思っています。
 ML中でもいいし、直接私にメールを送って戴いてもいいし、黒木
さんの掲示板の中でもいいです。取りあえず、どの方法を取られるか
を、メールしていただけませんか? お願い致します

Id: #a20040329140414  (reply, thread)
Date: Mon Mar 29 14:04:14 2004
Name: TOKI
Subject: 始めまして

HP見させていただきました。
コンテンツが充実してなかなかいいと思います。
応援しています。
Id: #a20040328143208  (reply, thread)
Date: Sun Mar 28 14:32:08 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040324014104
Name: drake
Subject: どうも...

田崎さん、クロゼットのクレジットに加えていただき恐縮です。名前はそのままで結構です。

Id: #a20040324014104  (reply, thread)
Date: Wed Mar 24 01:41:04 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040323233711
Name: 田崎
Subject: あ、そうか!

drake さん、

たしかに、おっしゃるとおりですね。 まったく読めていなかった、お恥ずかしい。

いま、渡米を控えていてあわただしいので、時間の空きのあるときにご教示にしたがってなおしておきます。 訳者謝辞にお名前を書きたいのですが、drake でいいでしょうか? 他のお名前を使うべきなら、お手数ですが、ご指示ください。お返事は、私あてのメールでいただいてもけっこうです(メールアドレスは、名前からリンクされているはず)。


Id: #a20040323233711  (reply, thread)
Date: Tue Mar 23 23:37:11 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040323172209
Name: drake
Subject: paternity of Pakistan's supreme status symbol の訳

Pakistan: Inside the Nuclear Closet(パキスタン:核のクローゼットのなかで)の中程にある
But Qadeer's insistence on his paternity of Pakistan's supreme status symbol did not come free.
(田崎さんが【... paternityのニュアンスを訳し切れてない】と注記されているところ)
ですが、Pakistan's supreme status symbol はパキスタンにとってこの上ない国際的地位のシンボルとしての核技術のことを指していると思われます。(参考: Hoodbhoyの別の論説の第一段落最終文 The Chaghi tests ... have been deemed heroic symbols of high scientific achievement、また、第五段落冒頭 Pakistan's international status can be determined from publications of the Institute for Scientific Information ...)

また、paternity は前の方にある "father of the Pakistani bomb"(パキスタンの原爆の父) であることを意味していると考えられます。

従って、"insistence on his paternity of Pakistan's supreme status symbol" は「自分がパキスタンにとって究極の国際的地位の象徴(である核技術)の父であろうとするこだわり」といった感じではないでしょうか?


Id: #a20040323172209  (reply, thread)
Date: Tue Mar 23 17:22:09 2004
Name: 田崎
Subject: パキスタン:核のクローゼットのなかで

というのも、訳しました。

こちらにも、コメントをいただけるとありがたいです。


Id: #a20040317142541  (reply, thread)
Date: Wed Mar 17 14:25:41 2004
Name: 田崎晴明
Subject: パキスタンの首にかかる核の縄

流れに割ってはいって申し訳ありません。

表題にあるフッドボーイ氏の文章を翻訳しました。 コメントなどいただければ幸いです。

パルヴェーズ・フッドボーイさんは、パキスタンの物理学者です。 パキスタンで生まれ、高等教育はアメリカで受け研究の基盤もアメリカにありますが、それでもパキスタンで暮らしています。 おそらく、今となっては、同国でほぼ唯一のまともな物理学者でしょう。 核や政治をめぐる問題についても積極的に発言されています。 くわしくは、こちらをご覧下さい。


Id: #a20040316232816  (reply, thread)
Date: Tue Mar 16 23:28:16 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040316002753
Name: 青木重幸
Subject: 歴史科学としての進化生物学

いわゆる「進化論」の中には,自然選択説のような将来予測にも使える一般的な理論と,「鳥とコウモリの翼は独立に進化した」などの歴史的な仮説が含まれます.自然選択説の反証可能性については前に述べました.歴史的な仮説については,常識的に考えても,テスト可能な仮説と,ほとんどテストできないような仮説(そして両者の中間的なもの)が含まれるというのはわかりますでしょう.ポパーも,彼の主張が「すべての歴史的な仮説が反証可能ではない」と曲解されるとは,びっくりしたでしょうね.

ここ

10日間ほどここにアクセスできません.議論からはなれますが,ご容赦を.


Id: #a20040316230557  (reply, thread)
Date: Tue Mar 16 23:05:57 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040316052431
Name: 宮崎純
Subject: 事実と解釈

 まきのさん どうもありがとうございます。
 ご指摘のところを見てみると、ポパーは「自然選択説は反証不可能」という論をとりけしていないという議論も非常に説得力があります。とくに「Unended Quest」の1982年の改定版においても、ダーウイニズムに関する部分をそのままにしているという部分。
 自然選択説が反証可能であるか、そうでないかということは、ポパーに決める権利があることではないですから、ポパーがどういっているかということは関係ないといえば関係ないのですが・・・。
 同じ論文について、ほとんど正反対の意見がなりたちうるというのは恐いですね。どの部分を引用してあるかで印象が全然違ってしまう。人間は見たいものを見てしまうということでしょうか? 
 進化の議論がつねに創造説を意識せざるをえない状況でないという点では、日本はいい国ですね。

Id: #a20040316052431  (reply, thread)
Date: Tue Mar 16 05:24:31 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040316002753
Name: まきの
Subject: Google での検索

Google での検索はなかなか面白くて、 "The theory of natural selection may be so formulated that it is far from tautological" なんて文をそのままほうりこむと結構いろいろでてきます。

これ なんかはポッパーはあんまり本気で撤回したのではなかったのでは?とい う主張をしてますね。これ書いた人自体は creationist でアレですが。


Id: #a20040316002753  (reply, thread)
Date: Tue Mar 16 00:27:53 2004
In-Reply-To: a0086.html#a20040315183554
Name: 宮崎純
Subject: 歴史科学と進化論

 青木さん、早速ありがとうございました。
 お時間をとらせて申し訳ありません。

 いきなりお聞きするのは失礼であるかと思い、手許の文献にいくつかあたったのですが、この話題に関係してそうであると思えたのは、ポパー哲学研究会編の「批判的合理主義」第二巻 応用的諸問題 の中の三中氏と鈴木氏の論文「生物体系学におけるポパー哲学の比較受容」のみでした。

 それに、NEW SCIENTIST の80年の論文も言及されているのですが、そこでは歴史科学は反証可能であるか(進化論も歴史科学の中)という一般論について、多くの場合は反証可能であるとポパーがみとめたという書き方です。(p103)
 明確に進化論は反証可能であるといったいうようには読めない書き方のように思います。

 反証不可能であるといったのは間違いであった、多くの場合には反証可能である、ということと自然選択説そのものが反証可能であるということは必ずしも同義ではないと三中氏らは理解しているのでしょうか?
 というのは別の場所(p98)で、「進化そのものに対する誤解に基づく否定的な見解(テスト可能性testabilityに欠けるという批判)は、とくにポパーだけに限られたことではなく、」と書いているので、三中、鈴木氏らは、ポパーの78年、80年の論文を読んでいて、なおポパーは進化論は反証不能であると主張したと思っているように思えます。
 青木さんに教えていただいた部分を見ると、青木さんのいわれることが正しく、ポパーは前言を撤回したとしか読めませんが。

 それにしてもインターネットの検索機能というのは凄いのですね。
 それについても勉強したいと思います。
 ありがとうございました。
Id: #a20040315183554  (reply, thread)
Date: Mon Mar 15 18:35:54 2004
In-Reply-To: a0085.html#a20040314233852
Name: 青木重幸
Subject: 自然選択説とポパー

ポパーが「自然選択説は反証可能ではない」を撤回したのはここです.2時間ほど部屋を捜したのですが,文献が出てこなかった.Googleで検索したら一発でした(あらためて感謝).一部を以下に引用しておきます.

If you read the book [Unended Quest], Popper is actually raising the famous "natural selection is a tautology" objection. Popper recanted two years later:
"I have changed my mind about the testability and logical status of the theory of natural selection; and I am glad to have an opportunity to make a recantation.
The theory of natural selection may be so formulated that it is far from tautological."
Natural Selection and the Emergence of Mind, Dialectica 32:339-355, 1978. See 344-346 for this quote.

小川真理子『甦るダーウィン』(岩波書店,2003)でも,いまだポパーの撤回前の主張がそのまま繰り返されていますし,宣伝しておきます.


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管理者: 黒木 玄  <kuroki@math.tohoku.ac.jp>  (Web Site)
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