なんでも2HTMLの書き方利用上の注意リンク集ホーム

黒木のなんでも掲示板 (0043)

記事を書く時刻順目次スレッド検索過去ログ最近の記事

各記事の Id ヘッダー行の # から始まる文字列をクリックすると、その記事自身にジャンプします。その記事自身の URL を知りたい場合に利用して下さい。さらに、括弧の中の reply をクリックするとその記事に返事を書くことができ、 thread をクリックするとその記事を中心としたスレッド形式の目次を見ることができます。

Id: #a19990704040945  (reply, thread)
Date: Sun Jul 04 04:09:45 1999
Name: 川似央一
Subject: パラダイム

どうも、おひさしぶりです。

質問させていただきたいのですが、paradigm というのはクーンの造語ではないですよね? Random House の国語(英語)辞典を引くとこう定義されています:

n. 1. an example serving as a model. 2. Gram. a set of all inflected forms based on a single word.

「パラダイム」にはおそらくクーン以前からこういう意味があったのではないかと思えますが(どうなんでしょう?)、この定義の(1)はいまいち具体的な使い方がぼくには分かりませんが、黒木さんの挙げられた「ビジネス戦略のニュー・パラダイム」という用法は、この(1)の意味として使っているようにも解釈できるような気がしますが、どうなんでしょう?

アメリカでも、「パラダイム」という言葉が日常的に使われるように思います。おもに社会科学系の話題じゃないかな。「冷戦のパラダイム」とか。これはクーンっぽいような感じもしますが、どうなんでしょう?

The Structure of Scientific Revolutions の一番最初の paradigm の定義はこうです(3rd Ed., 1996 は初の索引が付いていて便利!):

By choosing [the term "paradigms"], I mean to suggest that some accepted examples of actual scientific practice--examples which include law, theory, application, and instrumentation together--provide models from which spring particular coherent traditions of scientific research. (p. 10)

これは、元々(1)という意味がある paradigm という言葉をクーンが科学論に利用したということでしょうか? それとも、もしかして、(1)はポスト・クーンな定義が今ではもう辞書に載っているのですか?

ぼくは人文科学系なのですが、クーンのパラダイム論というは、けっこう後になるまで知りませんでした。(ぼくが特別無知だったという可能性はおおいにあります。)しかし、「パラダイム」という言葉は知っていて、頻繁に使っていたんです。これがまたどうもクーニアン・パラダイムと違うのです。ぼくは英米哲学はまったく知りませんでしたが、フランスの構造主義なんかについては本など読んだりしていたわけです(笑)。そこでぼくは言語学の概念を文化論に応用・発展させた「パラダイム」という概念に出会っていたんです。これは上の辞書の定義の(2)かというと、それともなんかちょっと違うような気がするんですよ。ぼくが何一つ疑わずに使っていた「パラダイム」は、syntagm(統辞法?)に対する paradigm=選択可能な単語の集合、というような意味でした。それに文化論的な意味を与えると、ものごとの認識というのは「パラダイム」によって分節されているんだと。

結果的にクーニアン・パラダイムと同じような使い方ができような気がするんですが(できないのかな…)、この二つはどういう関係にあるのでしょうか?

ぼくは「パラダイム」というのはソシュールが使った言葉だろうと思っていたのですが、今 Course in Genereral Linguistics の索引を見たら、"inflectional paradigm" という使い方で一度しか出てこないようです。言語学辞典を手元に持っていないので、持っている記号学辞典を見てみると、"Besides difference and opposition, Saussure distinguished two more special types of structural relations in language, namely, syntagmatic and paradigmatic relations (which he called 'associative relations')" と書いてありました。paradigm についてそれ以上のことは分かりません。

あー、とここまで書いて読み返して思ったんですが、これってやっぱり(2)と同じことなんですかね?

「パラダイム」とはなんなんでしょうか?(笑)

ところで、現在クーンを必修で読まされるのは社会学の生徒じゃないですか? 違います?

あー、実はぼくも鴨さんの「共約不可能性の反例」を読んで、それは本当にクーン的な「パラダイム」と理解できるんだろうか、それは同じ「パラダイム」を共有することによって可能になる対立の例ではないのだろうか、違うかな、こんなこと訊いたら恥かくかな、やっぱり「基礎づけ派」と「一分野派」って「パラダイム」の違いっぽいな、うじうじ、と疑問に思ってたんですよ(笑)。河本さんがコメントしてくださってすっきりしました(笑)。

最後に一つソーカルついて。科学哲学が専門のかたには、すずきさんが引用している佐々木力氏のように、(内心)ソーカルを悪く思っていない人がけっこう多いんじゃないでしょうか。というのは、分析系のかたで大陸系の「ポストモダン」な思想を良く思っていない人は多いでしょうから、ソーカルのような元気のいい行動を見て(口には出さなくても)「やったれ! やったれ!」と(笑)思っている人はけっこういるんじゃないですか? どうでしょう?


Id: #a19990703224209  (reply, thread)
Date: Sat Jul 03 22:42:09 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990702230839
Name: すずき
Subject: 郷に入りては郷に従え

「郷に入りては郷に従え」の文脈での「パラダイム」を聞いたのは、昔会社の上司が使ってたのが最初。だからそれこそ「オヤジ・パラダイム」の一例として挙げたつもり。というか世間ではせいぜいその程度の処世訓としてしか使われてないんではないの、という話です。正しい科学論者が聞いたら怒るだろうけど、処世訓として役立つのもいいんじゃないかと私は思ってます。

私は大学で処世訓を得ただけなのだろうか、とも考えてみるのですが、でも大学で学んだことで世間で直接役立つことってその程度のものであって、処世訓を得ただけでも良しとすべきでしょう。あ、最初に書いたとおり、授業では「新科学哲学」っぽい話はあまりなかったような気がします。

「パラダイム」の用例ですが、今日読んでた本2冊(教育論関係と法哲学関係)にも出てきました。意識してみると、結構目につきますね。


Id: #a19990703203053  (reply, thread)
Date: Sat Jul 03 20:30:53 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990703095632
Name: こなみ(漢字表記しないのは検索にかからないようにするためなのだ)
Subject: 官僚が学者してるんだか、学者が官僚に成り下がったんだか

 くだんの記事で言及している文部官僚(木っ端役人)とは武村重和氏のことで、彼はその後広島大学に舞い戻って、 理科教育の重鎮を自任していたわけです。このところの理科教育の削減の嵐も、 彼の敷いたレールがそのまま生き残ったからのことだし、文部省の審議会でも理科教育や数学教育の 有用性をやり玉に挙げる論調が猛威を振るった。(議事録がいま見つからないのですみません。 どこかにないですかね?)
    
Id: #a19990703185630  (reply, thread)
Date: Sat Jul 03 18:56:30 1999
Name: くろき げん
Subject: 影響の範囲

世間一般まで範囲を広げれば、科学哲学や科学論に直接影響されている人達が割合としてかなりの小数派であることは確かなことだと思います。そして、科学研究者もほとんど全く影響を受けてません。

しかし、研究以外の形で科学に関係している人達への影響はかなり大きいと思います。 (これとは別に、すでに述べたように、科学哲学の学問の世界における科学哲学ユーザーへの影響もかなりのものだと思う。)

例えば、理科教育プロパーの世界ではどうでしょうか? 小波さんによる検索のすすめにヒントを得て、 InfoNavigator で「武村重和」と「パラダイム」を AND 検索してみると、「理科教育のパラダイム変換で議論盛り上がる」というページが見付かりました。 (さらに、これも参照せよ。) この傾向は決して特殊なことではないようです。理科教育MLにおける理科教育と相対主義関連記事へのリンク集があるので見て下さい(完全に網羅的ではないので注意)。

科学報道方面への影響はどうなっているのでしょうか? (cf. 岩波『科学』の林さんによるトーマス・クーンの評価)

あと、社会科学方面への科学哲学や科学論の影響は? (この方面への影響が最も強いと私は考えています。)

現実に影響は存在するのだから、それを批判的に論じることは決して無意味なことではないと思います。


Id: #a19990703163110  (reply, thread)
Date: Sat Jul 03 16:31:10 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990703105108
Name: くろき げん
Subject: 文字化け修復しておきました>久保田さん

久保田さん、文字化けを修復しておきました。トンデモ本の類はビジネス書系では二番煎じ過ぎてつまらなくなってしまうのですが、「オヤジ・パラダイム」の用例にも同様のつまらなさがありますよね。


Id: #a19990703105108  (reply, thread)
Date: Sat Jul 03 10:51:08 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990703102327
Name: 久保田
Subject: ほええ
スイマセン。化けました....

Id: #a19990703102327  (reply, thread)
Date: Sat Jul 03 10:23:27 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990703085845
Name: 久保田
Subject: よく目にする用例

「おやぢ・ぱらだいむ」は除外とのことですが、たまたま私の机上に典型的な
「ビジネス文書パラダイム」の例がありましたので....ダメ?

  日本の産業史を見てみると、大雑把に言って、戦後から石油ショックまで
 はメーカー主導、石油ショックからバブルの崩壊までが流通主導で、それぞ
 れ大量生産技術の整備、物流体制と販売データ処理の整備という強みを活か
 して主導権を握ってきた。情報社会に突入したことにより情報インフラを整
 備した企業が強さを発揮し、市場の主導権は個人へと移るであろう。
  企業は否応無しにこの変化を受け禿れなければならない。
  また、このような社会の大変革は後戻りしない。新しいパラダイムは、一
 旦社会から正当性を与えられると、変化の速度はますます加速し、社会を全
 く以前とは別のものに変えてしまう。

           (社)日本マーケティング協会 専務理事 濱田 嘉昭
           「マーケティングも質の時代へ」
       社団法人 日本マーケティング協会 JMA-REPORT No.33 1999.6
Id: #a19990703095632  (reply, thread)
Date: Sat Jul 03 09:56:32 1999
Name: こなみオヤジ
Subject: 教育関連だと−−−時田さんに突っ込まれそうだが

 文化的相対主義と密接な位置関係にある社会構成主義が1990年前後、 初等中等理科教育に関わった文部官僚によって声高に提唱され、「新学力観」、 「生きる力」などと叫びまくる文部省の木っ端役人から地方の教育委員会へ と下達された。 そして現場の小中学校の教師たちは、「考えさせろ。教えるな! それが新しい教育のパラダイムだ」と、研修でマインドコントロールを掛けられた。 ぼちぼち高校に上がってきている子供たちは、たしかに一段と馬鹿になっている。 (あんな教育でもできる奴はできるところが、人間の学習能力のすごさかもしれん。でも 現場でも上手に「曲解」して、それなりにやってくれている教師もいます)
というわけで、新学力観、生きる力、武村重和、あたりで検索すると、この国の教育が どんなふうに妙な科学論に影響されてしまったかが分かるかもしれません。
Id: #a19990703085845  (reply, thread)
Date: Sat Jul 03 08:58:45 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990630155809
Name: 山野
Subject: 共約不可能性について(和田先生に)
 始めまして 面白そうな話題なので
参加させて貰います。 
和田先生の問題、まだ誰も答えていないようですね。
皆さん、間違ってしまうのを恐れているのかな?
ワタシは、間違っても平気。
折角、和田先生が無料でレッスンして
下さると言ってるのに、誰も答えようとしないなんて
度胸がないなぁ〜

そこで山野が答えてみます。

>問題:以下のステートメントで、物理的に考えておかしな部分を指摘せよ。「相対論的
>力学では、F=maという公式は成立しない。F=d(mv)/dtは成立するが、m
>は速度に依存するので、F=m(dv/dt)とは書けない。mは速度に依存するので、
>ニュートン力学においてその概念が機能しているのと同じ仕方で機能しているわけでは
>ない。

 ううん、ここは問題ないと思いますね。「その概念」って慣性質量のことでしょ。
要は、ローレンツ変換で形を変えないように力学の基本法則を変更する話ですよね。

>したがって、相対論的力学の運動方程式とニュートン力学での運動方程式は異質のもの
>であり(IR=V(オームの法則)とma=Fが、形が同じでも異質であるのと同様に)、

あはは、これがナンセンスなんでしょ! こんな馬鹿なことを言っている人がいるの
かしら? オームの法則だなんて、オーム真理教の人だったら間違えるかも。
(なにせ空中浮揚でニュートン力学に挑戦している人たちだから)

>したがって、比v/cが0になる極限で両方の方程式が一致するからといって、両理論
>が共約可能であるとは言えない。(あるいは、前者が後者を包摂しているとは言えな
>い。)」 

 この部分なんですが、 要は「共約可能」−−ううん、なんていい加減な言葉なん
だろう−−の意味次第。 

 incommensurable て、たしか 正方形の一辺と対角線の関係を表す言葉でしたよ
ね。
それは、共通の尺度がないということ。でもルート2という数を認めれば、その二
つの長さを比較できるよね。と言うことは、

共約不可能な二つのものは、いかなる意味でも比較できない、と言うことではな
い。
それどころか、その二つのものを比較することが出来なかったら、そもそも幾何学
なんて成立しないじゃない。

たとえば、B4の用紙を半分に折るとB5になるけど、アレは相似形になる。
二つ折りして相似形になれば、辺の比は1:ルート2。
ううん、共約不可能な二つのものが、ちゃんと一つのものに
折り畳まれているよ!   共約不可能、恐れるに足らず!!

v/c がどんなに小さくても、厳密に言うと0じゃないから、基本概念の違いは消え
た訳じゃないというのは、その通り。だから、ニュートン物理と相対性理論の質的
な違いはあるし、それが相対性理論の一番面白いところ。
でも、この「質的な違い」 ていうのは、オームの法則と力学の法則の「質的な違
い」とは「違う」。ニュートン物理学の適用の限界を示すと言うことは、ニュート
ン物理学がいついかなる場合でも正しいという訳じゃない、てことを示すこと。
ニュートン物理しか知らない人は、その理論の限界についても無知なわけ。

山野だったら、やっぱ、(もっとエラそうに)相対論がニュートン物理学を
アウフヘーベン(止揚)した、って言いたいな。つまり否定すると同時に
形を変えて保存している。 概念的パラダイムの転換があっても、 科学は
「累積的に」進歩する、と思うね。
ただ、イギリスのホイッグ党の歴史観、本質的に俗物的なトコがあるから
山野は好きじゃないなぁ。 あれは、いってみれば、「勝てば官軍」という意味でしょ。

Id: #a19990702230839  (reply, thread)
Date: Fri Jul 02 23:08:39 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990702213133
Name: くろき げん
Subject: オヤジ・パラダイム、「パラダイム」の用例募集

話を脱線させてしまいますが、「パラダイム」という言葉について。

私にとっては、「パラダイム」=「郷に入りては郷に従え」と言っている用例は、すずきさんの記事が初めてでした。そのような用例は他にありますか? 失礼ながら、すずきさん独自の用例であって、全く一般的ではないと私は考えています。

そもそも、「郷に入りては郷に従え」では、トーマス・クーンの意味での「パラダイム」からも全くかけ離れてしまっていると思います。それとも私の方がクーンを誤読していて、 10年以上前の「科学史・科学哲学」の名を冠したコース(東大)ではクーンのパラダイム論は「郷に入りては郷に従え」という考え方を含んでいると教えていて、それは結構スタンダードだということなのでしょうか? (東大でクーンがどのように教えられていたかという話題は脱線ではなく本線の話題ですね。)

しかし、さらに脱線。 (この手の話題はかたくならずに、ちょっとずつ脱線しながらやらないとしんどいし、情報もあまり集まらないと思う。)

私が調べたところによると、「パラダイム」という言葉はオヤジ用語の一つとして結構広く使われています。例えば、「これは、ビジネス戦略のニュー・パラダイムなんだよ、ちみー、わかるかね?」てな感じで結構使われているのでは? (印刷物にそのままの用例があるかどうかはわかりませんが。) 「パラダイム」という言葉はもはやクーンを離れて、ちょっと偉そうなことを言うための日常用語になっていると思います。例えば、こんな感じとか。

仮にこのような用法における「パラダイム」のことを「オヤジ・パラダイム」と呼ぶことにすれば便利だと思います。

試しに、InfoNavigator で「パラダイム」を検索してみると1万件以上ヒットしました。その中には、オヤジ・パラダイムが結構な割合で含まれているだけではなく、「パラダイム」という用語がかなり怪しげなことを言う人達に好んで使われていることもよくわかります。

面白い用例を募集しましょうかね? ただし、本線の議論から離れ過ぎるとまずいと思うので、オヤジ・パラダイムな用例は除くことにし、できるだけ教育や研究に関係した用例を募集することにしましょう。

以上、脱線でした。 (脱線がひどくなった場合は「なんでも2」に引っ越すことにしましょう。)


Id: #a19990702213133  (reply, thread)
Date: Fri Jul 02 21:31:33 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990701211446
Name: すずき
Subject: 常識的な慎重さ

くろきさんwrote

「相対主義」が良い考え方だと信じている人達は単なる常識を支持しているだけなのですが、「相対主義」への支持を表明することによって常識以上の考え方の権威を増すことに貢献してしまっているんですよね。現実に広まっている「相対主義」は決して単なる「絶対主義」の否定ではないということに気付いてないお気楽な人達は結構多いようです。

このあたり、というかくろきさんや和田さんの危機感のようなものがよくわからないのですが、「常識以上の考え方」がそんなに世の中に蔓延してるんですか? 現実には「パラダイム」という言葉だってせいぜい「郷に入りては郷に従え」程度の文脈でしか使われていないのでは、と思っているのですが。そして「常識的な慎重さ」さえも失われがちなのが現実の私自身の身の回りです。


Id: #a19990702163057  (reply, thread)
Date: Fri Jul 02 16:30:57 1999
Name: 田崎晴明
Subject: ホイッグ史観

と一言で言っても色々幅があると思います。 和田さんが
そのことを正直に 記述するとすれば、結果としてウィッグ史観 になることは避けられません。
と書かれている場合の「ホイッグ史観」は「『正しい』ホイッグ史観」というような 意味で用いていることは、 ちょっと注意しておいた方がいいように思います。

ぼくは、物理学者が教科書の合間や通俗書に書く「科学史」は、 かなり「悪い意味でのホイッグ史観」に近いと常々感じています。 原子・分子の存在を認めなかった奴はみんな馬鹿だったとか、 熱素説を使っていた人たちは非科学的だったとか。 たとえ今日のかなり完璧に近い知見から眺めても、 かつての理論には、それなりの論理構成があり、実験的な証拠があったはずです。 ただし、様々な現象を包括しようとする過程で、古い理論には 不都合があることが自ずと明らかになってきて、正しい理論にその座を譲ったと 考えるべきでしょう。 今日の知見から得られる包括的な視野はきちんと保ちつつ、 過去のものとなった考えの論理性や実験との整合性、そして 問題点や誤りをきちんと見据えようと言うのが、 和田さんのいわれる「正しいホイッグ史観」だろうと思います。

山本義隆さんの熱力学史の本は、そういう正しい見方の好例だと思います。 これを読むと、潜熱の理論というのがそれなりに多くの現象に適用できる 非常に賢いアイディアであることや、ランフォードが摩擦熱に気がついて、 熱素説を葬り去ったというような通説(案外多くの本に書いてある)が 如何に乱暴な「悪しきホイッグ史観」であるかが、わかります。

どちらかというとマイナーな話について、わざわざ書いたのは、 ぼくの熱力学の本の草稿の中で、山本さんの本に関連して、 「ホイッグ史観」という言葉をもろに出して議論しているところが あるからです。

熱力学の歴史については、[山本]をすすめる。 物理学者の手になる熱力学史の多くが、「過去の(不合理で)誤った考えに かわって、(現代風の)正しい考えが生まれる」という進歩を前提にした 歴史観(ホイッグ史観)に基づいているように見えるのに対して、 [山本]では、かつて受け入れられていた考えが、どのような 実験的証拠と論理に支えられていたか、そして、どのような状況で 最終的には破綻したかがじっくりと述べられている。 現代の学生諸君は、熱を微少な粒子ととらえる「熱素説」を愚かな 考えと嘲笑うことが多い。 しかし、電気現象を、電荷を担った粒子に基づいて説明する考えは、 最終的には正しかったことを思い出してほしい。 マクロな振る舞い(熱流と電流、摩擦熱と摩擦電気、など) だけをみることで、熱と電気の本質的な違いを洞察するのは、 並大抵のことではない。
和田さんの「正しいホイッグ史観」といういい方と整合性をもたせるために、 少し書き直した方がいいだろうな。
Id: #a19990702141136  (reply, thread)
Date: Fri Jul 02 14:11:36 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990702132755
Name: 河本孝之
Subject: 動機が違うのでは

 科学哲学をやるにもいろいろ動機があると思います。私は小学校から高校までは考古学者を志していました。その当時指導していただいた教授から、考古学をやるには、古文書を読む素養よりは化学や生物学の知識が必要だと教えられたことをよく覚えています。そのうち、歴史学や自然科学が(それぞれレベルは違うかもしれませんが)探求しているという法則の概念について関心を持ち、今に至るという次第です。そんな経緯があって、私はいつか書き込んだと思いますが、科学哲学の教科書を一冊も読まずに科学哲学のドクターになった、モグリのような人間です(自分が関心をもつテーマの専門書や論文から読みはじめていって何が悪いのか、と生意気に思っていたわけですが)。
 自然科学にあまり関心がないわりに堂々と「科学哲学をやってます」と公言する学生は、久保田さんがおっしゃるような学部レベルのいきさつがなくとも、私のまわりには意外にいます。それは科学哲学をやる動機が、教科書に書かれてある「科学哲学内部の自己増殖的な話題」に興味をもったということにあるのでしょう。単に「観察語と理論語の区別」とか「科学的説明の理論」という話題を扱うだけならば、科学哲学の枠内で勉強していてもそれなりの同僚評価を受けるような論文が書けますし、英米の雑誌論文を追いかけるだけでも疲れ果てるほど膨大な量の文献があるという事情もあります。
 自然科学に関心があるかどうかを「判定する」ことなど、誰であれおいそれとできることではないと思いますが、少なくとも日本語で出ている雑誌(「日経サイエンス」とか「パリティ」とか)に目を通すくらいのことはしないものかなあ、と思うわけです。私を含めてきちんと理解しているかどうかはともかく。

Id: #a19990702133554  (reply, thread)
Date: Fri Jul 02 13:35:54 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990628151750
Name: 河本孝之
Subject: 一つ思うこと

 鴨さんのご意見を拝見していて思うのですが、恐らく「パラダイム」を最も広い意味で理解すると、数学基礎論における基礎付け派と一分野派の対立は、異なる学術成果をもたらしているわけではないので、パラダイムの違いでは説明できないということになるでしょう。これはパラダイムを全体論的に採って、パラダイムが異なればそこから帰結する学術成果も違ってくると解釈した場合です。
 クーンの「パラダイム」に関する説明は、ご存じのように23個の異なる解釈を可能にするほど曖昧なものであることが知られています。従って、鴨さんが言及されているような事例も、「パラダイム」をきわめて狭く採れば、「パラダイムが違う事例」として解釈しうるわけですが、当然ながら鴨さんがその後で述べておられるように、そういう解釈だと「パラダイムが違っていながら共約不可能でない」というのは幾らでも反論として展開できますね。逆に、共約不可能性を主張したいが故にパラダイムという語をどんどん全体論的に解釈してゆくような見地に立つと、恐らくはそれを立証する具体例がどんどん少なくなるでしょう。相対主義的な見解を主張する科学哲学者や科学論者の多くがパラダイム転換の事例としていつもお決まりの事例を取り上げるのにはそういう事情があると思います(「本当にパラダイム転換の事例になっているのか」、という追検証(?)を自分でしなくてすむ、という怠惰にも依るのかもしれませんが)。
Id: #a19990702132755  (reply, thread)
Date: Fri Jul 02 13:27:55 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990702044409
Name: 久保田
Subject: Re:注釈

>実は科学についてあまり関心がないにも関わらず科学哲学をやっている人が
>結構いる、ということで(改行位置変更)

話がそれてしまいますが、単に「そういう人も中にはいる」という程度以上に
そういうことがあるのでしょうか?(ちょっと不思議な気がします)
例えば自分のやりたい講座やゼミは定員であぶれて、科学哲学はあんまり人気
がないのですぐモグリこめるとか....まさかね。(^-^;
Id: #a19990702123805  (reply, thread)
Date: Fri Jul 02 12:38:05 1999
Name: 和田 純夫
Subject: カントとウィッグ史観

(先日、私が提示した問題に関する話ではありません。)

(1)黒木さん。メッセージを有難う御座いました。私は鈍いので、黒木さんが何を伝 えたかったのかあまりよくわかりませんでしたが、現代思想11月号の金森氏の論考の 最後を思い出しました。

「・・・客観的実在は確かに存在するのだろう。だが「客観的実在は存在する」という その同じ言表が、いつどの時点で誰によってどのような文脈で語られるかによって、そ れが意味しうることが異なっているという認識は、・・・・・依然として消滅すること はない重要な論点なのである。」

金森氏自身がこの掲示板に書き込んでいただけるとは思いませんが、氏の真意がよくわ かる人がおられたら、解説いただけないでしょうか。

真意がよくわかっていない段階で言うのもおかしいかもしれませんが、私は、1969 年の大学紛争の年に大学一年生だったという古い人間なので、その当時にこのようなこ とを言われたら、かなり納得していたと思います。しかしその後、それなりに科学の研 究というものをしてきて、このような発想をもつ前にまず考えるべきことがあるのでは ないかという気持ちのほうが強くなっています。現在の文脈で言えば、たとえば、「現 代の物理学に即して考えてみると、客観的実在は考えられるのか。どのような意味をも ちうるのか」、あるいはもっと原始的に、「自分は(たとえば)相対論を本当に理解し ているのか」といった論点です。

 私が世界の冒頭で、「視野を拡散させるのは有害」と書いたのはこのようなことを言 いたかったのですが、すれ違いかもしれません。

(2)もう皆さんは忘れているでしょうが、私が前にしたカントについての書き込みは 、少し言葉足らずだったので、付け加えます。私は、現在カントの研究をすることが無 意味であるとか、カントについての本が書店に並ぶのがおかしいと言いたかったわけで はありません。そうではなく、もし現在カントについて書くのならば、彼の認識論が、 人間が現在もっている知識から見てなぜ破綻しているのか(これは多数意見でしょう) を、啓蒙書であっても明確に書いてほしいということです。ウィッグ史観(勝利者史観 )と言って結構です。

 自然科学のウィッグ史観を批判されている人がおられますが、自然科学は累積的進歩 をし、その結果として決定性、包括性をもつ理論が構築されました。そのことを正直に 記述するとすれば、結果としてウィッグ史観になることは避けられません。

 自然科学の発展に付随して、認識論も大きな変化が強いられてきたはずです。それを 明確にする本を書いていただきたいということです。

 高校の理科の教科書がいまだにウィッグ史観を採用していると嘆かれている方がおら れますが、私は逆に、高校の倫理社会の教科書における思想史の記述が羅列的であり、 正しい意味でのウィッグ史観になっていないことのほうを嘆きます。(最近の教科書を 知っているわけではないので、もし間違っていたら御免なさい。)


Id: #a19990702044409  (reply, thread)
Date: Fri Jul 02 04:44:09 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990702043245
Name: 河本孝之
Subject: 注釈

 恐らく、私の書き込みが的を外していると
考えておられる方がいらっしゃるのかもしれ
ませんので、一つだけ注釈します。黒木さん
は、科学そのものに興味はなくても科学につ
いて解釈したいという「科学哲学以外の」分
野の方を想定して「科学哲学ユーザー」とお
っしゃっているわけですが、実は科学につい
てあまり関心がないにも関わらず科学哲学を
やっている人が結構いる、ということで、黒
木さんがおっしゃった意味での「科学哲学ユ
ーザー」は科学哲学の中にもいるということを、
私は指摘したかったわけです。

Id: #a19990702043245  (reply, thread)
Date: Fri Jul 02 04:32:45 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990701211148
Name: 河本孝之
Subject: 科学哲学ユーザー
 とりわけ日本の「科学哲学ユーザー」が自然科学について無知であるというご指
摘は正しいと思いますし、それどころか「科学哲学を専攻している」と公言してい
ながら自然科学について関心すらないという人もいます。ひとのことは言えた義理
ではありませんが、私は少なくとも一般的な古典哲学よりは自然科学の方に関心が
ある、くらいの言い訳は出来ます。リップサービスではありません。
 その点、科学哲学を「自然科学について何事かを語る権威」だと見做す風潮が終
焉を迎えつつある(というよりそんなものはもともと幻想だったわけですが)のは
よいことです。科学についてその方法論や解釈を独断的に振りかざすような哲学的
研究は大陸の哲学においてはともかく、英米の科学哲学では劣勢であると考えてよ
いでしょう。日本では大陸哲学の影響はまだ強いので、プラトン、ハイデガー、ポ
ストモダニズムなどが展開している技術批判の類はまだ優勢かもしれませんが、プ
ラトンの研究者であれ何であれ誠実な研究者であれば自然科学について少なくとも
何ほどかの知識を得てから言及すべきだとは考えておられるはずです。
 黒木さんの発言が「科学について何かを語る以上は、科学を幾らか知ってからで
なければ不当である」という趣旨のものであることは承知しています。その「幾ら
か」は、確かに人によってあるいは関心を持っているテーマがどれくらいテクニカ
ルであるかに応じて異なるでしょう。例えば、普通の科学哲学の学生であれば、ニ
ュートンについてはじめて本格的に研究しようとするときは、物理の知識を得るこ
ととラテン語など科学史の素養をつけることとを比較考量するはずです。どちらに
せよ、何かを研究するための準備を完全に終えなければ研究してはならない、とい
った要求は馬鹿げていますから(ラテン語の完全な習得とは何か?)、その都度、
必要な知識を身につければよいということになります。恐らく黒木さんの困惑とい
うか憤慨されているのは、「それすらやらない科学哲学者が多い」ということでし
ょう。実際、私もここで書き込みをされている皆さんと比べると、幾ら学生である
とは言え、恐らくは恥ずべき程度の素養しかないとは思います。
 しかしながら、科学哲学をやるからには自然科学について関心をもつのはもちろ
んのこと、自然科学を学ぶ必要があると学生に教えておられる先生は(私の二人の
指導教授を含めて)確かにおられます。それは、黒木さんがおっしゃっている苦言
は、まともな科学哲学者であれば予想可能なことだからです。そこにはある種の危
機感のようなものがあって、少なくとも科学者たちから「科学哲学者とは、数学や
物理をやるほど頭がよいわけではないが、科学について何かを語りたい連中だ」と
冷笑されることを、真面目に心配しているというわけです(確か、村上先生もこう
いうことをかつては「科学的発見のパターン」のあとがきで言ってたはずなんです
が・・・講談社学術文庫、N.R.Hanson の著書の邦訳です、念のため)。

Id: #a19990701211446  (reply, thread)
Date: Thu Jul 01 21:14:46 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990701211148
Name: くろき げん
Subject: 科学論ユーザー

続きです。

科学哲学の権威は科学哲学ユーザーが支えているという話をすでにしました。それでは、科学哲学よりもずっと広い科学に関する様々な“理論”、特に相対主義的な科学論は主にどのような人達によって支えられているのでしょうか?

相対主義的な科学論の主なユーザーは科学批判を生業の一部としている人達だと思います。

その基本的なロジックはこうです。現代においては、科学は一つの権威として機能してしまっている。よって、科学はあらゆる人達によって批判可能でなければいけない。そのためには、科学的知識は絶対的真理ではなく、相対的真理でなければいけない。

ここで、問題になるのは、「一つの権威としての科学」や「科学的知識」などなどの意味での「科学」が何を意味しているかです。あと、「批判可能である」の意味も問題になります。さらに、「絶対的真理」と「相対的真理」という単純な二分法も問題にしなければいけません。

こういうロジックを用いる人達は、科学的な装いで社会的に通用してしまっている言説と証拠と論理に強く防衛された頑丈な科学的理論の区別を曖昧にしてしまっています。

「批判可能性」もどういう意味なのか曖昧です。例えば、特殊相対性理論が成立すると信じられている範囲で成立していることが疑わしいと主張するのと、公害を引き起こしている疑いのある企業側の研究者が別の原因を挙げていてもそれが信用できないことを主張することは全く別の問題でしょう。たとえ疑われている側の研究者が能力的にも人格的にも優れた人物で真に科学的に信頼できる結果を得ている可能性が高いとしても、社会的には外部の第三者の厳しい追試抜きに信用されることがあってはいけないでしょう。一方これに対して、特殊相対性理論はすでに多くの人達によって数え切れない程の追試が行なわれている極めて信頼性の高い理論なので、それを疑うためにはそれ相応の強い理由が必要になります。

最後に「相対主義」についてすでに何度か説明していることを述べます。「相対主義」が良い考え方だと信じている人達が実際に支持していることは、せいぜい「我々の常識はもしかしたら正しくないかもしれない、我々は悪しき決め付けをしているかもしれない、このことには注意を払うべきである」程度の常識的な慎重さなのです。このような考え方はまさに常識であって、わざわざ「相対主義」などと名付ける必要はないでしょう。実際には、「相対主義」の名のもとで語られる考え方はそれ以上のことを述べていることが多いようです。

「相対主義」が良い考え方だと信じている人達は単なる常識を支持しているだけなのですが、「相対主義」への支持を表明することによって常識以上の考え方の権威を増すことに貢献してしまっているんですよね。現実に広まっている「相対主義」は決して単なる「絶対主義」の否定ではないということに気付いてないお気楽な人達は結構多いようです。 (「相対主義」に関しては去年の8月にも書いています。)

問題にすべきなのは、科学的真理も相対的であるなどというくだらないことではなくて、科学的な装いで語られている主張がどれだけどのような意味で信用できるのかを一つ一つ明らかにして行くことだと思います。信頼できる主張もあれば、信頼できないものもある。十分に信頼できそうでも、社会的にさらに強い証拠を要求すべき事柄もあれば、信頼できなくても、そのまま放っておいて構わない事柄もある。科学的真理も相対的であるという言い方は、このような常識的判断をにぶらせてしまうんじゃないかと心配です。

以上の意見に対して、科学論ユーザーの方々はどのように考えているのでしょうかね?

P.S. 和田さんへ。「科学はパラダイムに基いた相対的真理である」はトーマス・クーンに由来していると言われています。これとは別に「科学は一つの権力である」というような主張がよくなされているのですが、その由来を知りたければ、ミシェル・フーコーを読んでおくことが必要です。どちらについても、本人達が言っていることを大袈裟に解釈して、あらゆる範囲にその考え方を適用しようとしている困った人達がいるように思われます。


Id: #a19990701211148  (reply, thread)
Date: Thu Jul 01 21:11:48 1999
Name: くろき げん
Subject: 科学哲学ユーザー

科学哲学もしくはより広く科学に関する様々な“理論”は、自然科学以外の分野でどのように興味を持たれているのか? 自然科学がどのように語られているかのみに注目してしまうと、大事な点を見落としてしまうと思います。

科学哲学が自然科学以外の分野において権威を保つことができるのは、自然科学そのものには興味はなくて、自分自身のやっている分野の基礎に関わる問題として科学の方法論や思想に興味がある人達が結構たくさんいるからだと思います。 (このような人達に名前を付けておくと便利なので、以下においては「科学哲学ユーザー」と呼ぶことにします。)

そして、そのような人達の大部分は、数学や自然科学の基礎知識に全く欠けた人達なのです。コペルニクス革命に関する書物は読んでいてもニュートン力学を扱う能力に全く欠けている科学哲学ユーザーはかなり多いのではないでしょうか?

そのような単なる科学哲学ユーザーは、自然科学そのものに興味がないし、それを理解する努力もしてないものだから、結果的に、自然科学におけるテクニカルな問題を全て捨象し、自然科学との関係が極めて薄い独自の言葉を使って構築された“科学哲学”を修得してしまうのです。

まあ、人には得手不得手があるもので、これは仕方がないことだと思います。しかし、単なる科学哲学ユーザーは、自分自身が科学そのものをほとんど理解してないので、自分自身が修得した“科学哲学”の根拠もあやふやなままであるという点を常に意識しておくべきだと思います。 (「科学哲学」の名のもとで語られるデタラメ (例:微分の言い抜け) を見抜く能力を自分自身が持っているのか、という問題もありますね。)

そもそも、自分自身が科学哲学ユーザーになる必要があるか否かを考え直した方が良いかもしれませんね。果たして、科学哲学の権威に頼る必要はあるのか?

さて、以上で説明したような科学哲学ユーザーの問題を科学哲学の本を書いている方や科学哲学を教えている方はどのように考えているのでしょうかね?


Id: #a19990630230113  (reply, thread)
Date: Wed Jun 30 23:01:13 1999
In-Reply-To: a0042.html#a19990626005547
Name: すずき
Subject: 10年前の科学史・科学哲学教育

「科学史・科学哲学」の名を冠したコース(東大)を十年以上前に卒業した者なんですが、確か専門課程に進む前に「読んでおけ」と先輩に言われたのは村上陽一郎先生の「科学のダイナミックス」と「新しい科学論」だったと思います。今開いたらあちこちに線が引いてあるぞお。で、そこでも「共約不可能性」の例として挙げられてたのは古典力学と相対性理論の関係ですね。今だったら野家氏の「クーン」あたりがお薦め本になるんだろうな。

授業では「新科学哲学派」みたいな話はあまりなかったような気がするけど自信がないなあ……(まともに勉強してなかったんで)。専任教官は伊東俊太郎、廣松渉、村上陽一郎、佐々木力という方々でした。おそらく今はカリキュラムもかなり変わっていると思います。学科の改編もあったようですし。

私個人に関しては、あの学科で身についたことといえば、(自然科学に対してとは限らず)相対主義的なものの見方、ということになるでしょうか。で、それはサラリーマンやっていく上でそう悪いことではなかったように思います。一般への受容度はどうなんでしょうねえ。「パラダイム」という言葉がこれだけ人口に膾炙してるんだから、それなりに広まっているような気はしますが。

サラリーマン生活における相対主義の生かし方:「パラダイム」=「郷に入りては郷に従え」(あんまり面白くないですね)

佐々木力先生は「サイエンス・ウォーズ」については「科学」(岩波書店)の99年3月号で触れてますね。「反啓蒙主義的な科学哲学的な議論でもって科学者総体をおとしめようとする企図には断じて唱和するわけにはいかない」「いまの私には、師であるトーマス・S・クーンが晩年なぜあれほどポストモダニズムと連動した科学哲学に批判的であったかが、きわめてよく理解できる」「現在そして将来、真に闘われるべきサイエンス・ウォーズの本格的戦場はほかのところにある」んだそうです。

昨年だっけ、大学時代の先輩に会った折に「サイエンスウォーズってのは何なの?」と聞いたら、「あれはアメリカの話。日本じゃ科学論者は科学者に相手にされてないから」と言ってたのですが、最近は相手にされてるんでしょうか。相手にせざるを得ない状況があるんでしょうか。


Id: #a19990630205018  (reply, thread)
Date: Wed Jun 30 20:50:18 1999
Name: 八木 猛
Subject: ちょっとちゃちゃ

今朝(1999年6月30日)の毎日新聞朝刊8面の広告を抜粋すると

「21世紀を幸せにする科学」作文募集
[テーマ]『21世紀を幸せにする科学』〜次の100年に科学にかなえて欲しいこと
[募集対象]中学生、高校生(個人での執筆に限ります)
[選考委員長]《村上陽一郎》国際基督教大学教授(元東大先端科学技術研究センター長)専門:化学史。著書に『近代科学と聖俗革命』など
[選考委員]《黒田玲子》東京大学教授。専門:生物物理化学。著書に『生命科学の非対称性』など
《的川泰宣》宇宙科学研究所対外協力室教授。専門:軌道工学、システム工学。著書に『宇宙は謎がいっぱい』など
《横山裕道》毎日新聞論説委員。科学環境部長を経て98年から現職。著書に『遺伝子の仕組みと不思議』など。
ということなんですが、この掲示板の野次馬としてはなかなかに気になるところです。


Id: #a19990630182030  (reply, thread)
Date: Wed Jun 30 18:20:30 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990629234014
Name: こなみ
Subject: ぜんぜん無関係なフォロー

この教官人事の記事をみて、エーコの「フーコーの振り子」をまざまざと 思い出してしまった。
Id: #a19990630181006  (reply, thread)
Date: Wed Jun 30 18:10:06 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990629123511
Name: ブタネコ
Subject: 平凡社 世界大百科

家にあるのは、1965年のバージョンで、『科学哲学』の項目は三枝博音が書いていて、『科学的社会主義』は、若い長洲一二氏。
若い経済学者を随分当用してて、フランス経済は新田俊三。
まあ、老人の三枝にしろ、青年の新田にしろ、林達夫の編集方針というか、百科辞典というからには、フランスの啓蒙主義の精神でいこうという雰囲気が。
だから、村上大先生の大豆生田氏引用部分を読むと、光りを弱くとか理性を曇らせのobscurcirよりも、光りを遮断し理性と真実の間に障壁を置くoffusquerとか、もやもやで遅鈍化のobnubilerを連想してしまう。
『太陽』の項目には、日本で最初に太陽光給湯を始めた柳町邸の写真が。なんの偶然か、僕が通っている藤沢の深夜の地下のバー、べルーガの主人が、柳町氏の3代目。当方もLe soleil s'obscursit.の仲間だが。
Id: #a19990630155809  (reply, thread)
Date: Wed Jun 30 15:58:09 1999
Name: 和田 純夫
Subject: 問題を出します(和田さんが、今朝、田崎に送られたものです。ちょっとポストが遅くなりました。)

昨日の掲示板に、ニュートン力学と相対論的力学が共約不可能であるか否かは、考え方 によるといったニュアンスの問答がありました。 実はこの問題には、「考え方」以上の、より根本的なポイントがあります。 というわけで、皆さんに問題を一つ出します。 専門家(相対論を使って研究をしている人、相対論の授業をしている人)は回答しない でください。

問題:以下のステートメントで、物理的に考えておかしな部分を指摘せよ。 「相対論的力学では、F=maという公式は成立しない。F=d(mv)/dtは成立 するが、mは速度に依存するので、F=m(dv/dt)とは書けない。mは速度に依 存するので、ニュートン力学においてその概念が機能しているのと同じ仕方で機能して いるわけではない。したがって、相対論的力学の運動方程式とニュートン力学での運動 方程式は異質のものであり(IR=V(オームの法則)とma=Fが、形が同じでも異 質であるのと同様に)、したがって、比v/cが0になる極限で両方の方程式が一致す るからといって、両理論が共約可能であるとは言えない。(あるいは、前者が後者を包 摂しているとは言えない。)」

これは、99%物理の問題です。したがって、「これだけの条件では共約不可能とは言 えない」という解答は、哲学の問題としてはありうるかもしれませんが、ここでは不正 解とします。相対論としては、かなり基本的な問題です。(私はこの掲示板では新参者 なので知りませんが、もし以前、これについて議論したことがあったら、御免なさい。 )

もし正解者が出なければ、そして特に状況が変わらなければ、来週月曜日頃、私の解答 を出します。

ついでに、また質問をさせてください。

質問:上記のテーマについて、科学哲学の本にはどのように書いてあるのか教えてくだ さい。ファイアアーベントが最初に言ったそうですが、私は原典を読んでいません。( 日本人が著者である本は、私もかなり読んでいますので必要ありません。ただし日本人 の本でも、上の議論を批判してるものがあったら教えてください。)宜しくお願いしま す。

和田


Id: #a19990630122210  (reply, thread)
Date: Wed Jun 30 12:22:10 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990630043650
URL: http://www.interq.or.jp/jupiter/philsci/
Name: 河本孝之
Subject: 短いレス二つ
>一木さん、はじめまして。
 (1)京大経済学研究科のODである友人から、最近の科学哲学においてクーンら
をはじめとする新科学哲学が主張した「科学方法論」はどう評価されているか、と
いう質問を受けたことがあります。経済ではこの科学方法論に関する一連の議論が
やや注目されているようですね(彼は比較体制、昔でいうところのマル経ですか、
それをやっているので、「科学的」なものに何か関心をもつのかもしれません)。
 (2)「クーン」でよいと思います。実際、現地の人間でも呼び方を間違えるの
はよくあることです。これは我々が例えば在日の方の名字を「キン」さんと呼んだ
り「キム」さんと呼んだりするのと同じことです。確かに、「きちんと元の国での
発音で呼ぶないし書くべきだ」という意見もありますが、本人たちにしてみると、
どちらでもいいという人も多いですし、「キム」とわざわざ書くのに抵抗を感じ
る人(特に三世くらいになると)すらいます(隠したいってわけじゃないんだろう
けど)。

Id: #a19990630095757  (reply, thread)
Date: Wed Jun 30 09:57:57 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990630043650
Name: こなみ
Subject: 科学革命

経済学の学生の一木さんがクーン(邦訳では中山茂さんの「科学革命の構造」以降、私の知る限りどこでもクーンと書かれています) やマイヤの本に関心を持たれるのは、大変結構なことだと思います。などというのは、 年寄りの誉め殺しで迷惑かな?

クーンは20世紀の前半の相対論と量子力学の成立の激動の余波の時代に物理学を学んでいて(物理で博士号を取っている)、 それが彼のフィールドを決定付けているのは自明です。ですから、クーンは「科学革命の構造」の序論の中で物理、天文、 化学、生物に言及してはいても、主たる論考はニュートン力学の成立、それと相対論との関連においてなされています。 もっとも私は、相対論とニュートン力学が根本的に相容れないものだ(同著、第9章)とするような見解をもつクーンが、 まっとうに相対論を理解していたのかどうか、そこには疑問を感じます。 今の物理学徒で二つの力学を学びながら「矛盾」に悩む人はおそらくいない。 もっとも、科学技術と意識上縁のない生活をしている 人の多くは、古典力学はもう捨てられてしまっているなどと想像している ことが多い。ジャーナリストや文系の人と話しをしていると、本気でそう いっているのを聞かされることがある。
 話しが一木さんの関心とずれてしまいましたが、理論の間で論理的に明瞭な断絶をもちながら 接点での整合性がきれいにとれているケースというのは、やはりニュートン、相対論、 量子力学の間の関係に限定されると思います。 (最近の場の理論などは私には分からないので、手落ちには ご容赦を。そこらの先鋭な対立などの事情は黒木さんや田崎さんにお任せです) 化学と物理の接点にある原子論の確立の歴史は、けっこう曖昧模糊とした100年あまりの 経過をたどりながら、原子の実在が今世紀の初め!になってやっとほぼ完全に受け入れられました。ペランの「原子」 (岩波文庫、玉虫訳)などを読むと、物理的対象の実在とは科学者にとって何であるかというのが よく分かります。面白いことに、原子論を排斥しようが受け入れようが、 二つの反対の立場の化学者たちは、実験を重ねながらまっとうなモデルを構築し続けていた ということです。主にフランスを中心とした原子論者たち、ドイツを拠点としていた熱力学の 大立て者たち、どちらも河口を目指す二本の川のように動いて、最終的に合流している。 かれらの世界観はたがいに対立していて、構築した科学も異なっていたが、自然に内在する客観的な整合性に添って仕事をしているうちに、 研究の対象が共有される状況に至って対立が解消してしまった。クーンの考察は、 化学における原子論の確立についてはかなり外していると思う。
 そういうゆっくりとした変化を革命と呼ぶかどうか、ダーウィニズムに至っては、 未だに攻撃する「学者」がいたりするし、 どっかの超大国では政治的に否定されたりすることさえある。 (滅びたどっかの超大国でも政治的に否定された生物の学説があったけどね) 永続的に革命が続いているということかも知れません。 「通常科学」の時期なんかないよ、というマイヤの主張は、もっともな面があると思います。

Id: #a19990630043650  (reply, thread)
Date: Wed Jun 30 04:36:50 1999
Name: 一木正宜
Subject: はじめまして。

はじめまして、一木と申します。
経済学専攻の大学院生です。
初めての投稿になります。
クーンのパラダイム論に関して、偶然、今読んでいる本に興味深い記述 を見つけましたので、紹介させていただきます。御参考になれば幸いです。

出典は、
エルンスト・マイア(訳:八杉貞雄・松田 学)
『これが生物学だ』,
シュプリンガー・フェアラーク東京, 1999, p. v.
(原著:Mayr, Ernst., This is Biology, Harvard UP.)
です。


生物学はまた、科学史を構築しようと試みる人々によっても 誤解されてきた。1962年にトーマス・クーンの「科学革命の構造」 が出版されたとき、私はそれがどうしてあのような騒ぎを引き起こ したのか不思議に思った。もちろんクーンは伝統的な科学哲学の ほとんど現実離れした考え方を排斥し、歴史的要因の重要性に注意を 向けさせた。しかし、彼が代わりのものとして提供したものも私には 同様に非現実的に思えた。生物学の歴史のどこに大変革があったか。 クーンの理論によって仮定された普通科学の長い期間がどこにあったか。 私が生物学の歴史について知る限り、それは存在しなかった。 1895年に出版されたダーウィンの『種の起原』が革命的だったこと は疑いないが、進化という考え方はそれ以前の一世紀間にわたって 空気を満たしていたものである。さらに、進化的適応の鍵となる機構 であるダーウィンの自然選択説は、その出版以後ほとんど一世紀たつ まで完全には受容されなかった。このような期間を通じて小さな革命 はあったが、「普通」科学の時代はなかった。クーンの理論が物理科学 では確かなものであろうとなかろうと、生物学には当てはまらなかった。 物理学の背景を持っている歴史家は、三世紀にわたって生物の研究に 起こった出来事を理解していないように思われた。



Id: #a19990629234901  (reply, thread)
Date: Tue Jun 29 23:49:01 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990629193143
Name: 再び河本孝之
Subject: 確かに。
>久保田さんへ。
 確かにそうです。だって、私もそうですが、科学哲学のプロパーと議論やたわい
ない会話をする中で、これまでに私が「パラダイム」という言葉を聞いた回数は、
実際のところ数えるほどしかありません。なるほど、「周知だからいわずもがな」
ということで敢えて口に出さないのかもしれませんが、やはり黴びたというか、紋
切り型となる恐れがある言葉になってしまった、と多くの研究者が思っているのは
疑いないことだと思います。
 

Id: #a19990629234014  (reply, thread)
Date: Tue Jun 29 23:40:14 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990629201459
URL: http://www.interq.or.jp/jupiter/philsci/
Name: 河本孝之
Subject: 直接の答えになるかどうかは分かりませんが
>大豆生田さんへ。

http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/phisci/Newsletters/newslet_7.html
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/phisci/Newsletters/newslet_12.html
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/phisci/Newsletters/newslet_21.html

あたりで、内井先生は「科学者の社会的責任」や「科学研究の社会(学)的側面」
について触れておられます。ご参考までに。

Id: #a19990629223755  (reply, thread)
Date: Tue Jun 29 22:37:55 1999
In-Reply-To: a0042.html#a19990623124029
Name: こなみ
Subject: 答えはまだ?>大豆生田さん

出所の公開は後程。 (ヒント:この掲示板で良く言及される人が書いたものです。)
これってまだ公開されてないですよね?それともどっかに書いてあるのかな。 (成定薫センセイってことかな)
Id: #a19990629201459  (reply, thread)
Date: Tue Jun 29 20:14:59 1999
Name: 大豆生田
Subject: 科学と科学哲学と 4

ところで、 京大の内井先生なんかはソーカル事件に始まる一連の騒動をどう見てるんでしょうかね?
Id: #a19990629194812  (reply, thread)
Date: Tue Jun 29 19:48:12 1999
Name: 大豆生田
Subject: 科学と科学哲学と 3

「サイエンス・ウォーズ」を声高に叫ぶ科学論者って、 なんでわざわざ「戦争」に持ち込むのかということを疑問に思う。 彼らに言わせると、「自分の立場が危うくなった保守的科学者のヒステリー」に なるらしいが、私から見ると、 「いつまでも (自然) 科学が特権的地位から滑り落ちないということ (思い込み?) にたいする (相対主義的) 科学論者の苛立ち」を感じてしまうのですが。

おまけ、 私の大学在学当時は、教養学部に文系学生向けに「科学史」の講義があって、 担当教官は確か村上先生でした。この講義は自然科学系に分類されていました。 自然科学系講義には数学・物理・化学・生物・地学というのも あるにはあったが、たいていの学生はこれを避けて科学史を受講していたようです。 (高校時代に「とにかく暗記」で勉強してきた学生が、 大学に来て「パラダイム」の話を (いい加減に) 聞くと、 現実の科学を誤解する可能性があるのでは?)


Id: #a19990629193143  (reply, thread)
Date: Tue Jun 29 19:31:43 1999
Name: Islandiellaこと久保田

初めて書きこまさせていただきます。

>村上さんの本や記事がたくさん出ていることは必ずしも彼の見解が一般の人
>々に受容されている(ないしは出版社が受容されることを見込んでいる)と
>いうことを意味しないですよね。

「ごく一般の人」がどうかは分からないのですが、80年代初頭〜前半に某国立
大の理学部(地質学)に席を置き、卒業後かなり専門に直結する関係の会社に勤
め(周り理系ばっかだった)、その後シャバに出て(転職して)今度はごく普通の
会社で仕事をしている私の個人的な印象。
そもそも(元)理系で科学哲学なり、科学史に興味があったりそういう知識のあ
る人がほとんどいない(割合が極めて少ない)のでは?
試しにさっきウチの部署(現在勤めている会社の中で一番理系人口密度が高い)
の元物理学科(30代後半)に「パラダイムって言葉知ってる?」と聞いたら「よ
く聞くことはあるが意味はよくわからない」。「んじゃ共約不可能性は?」
「聞いたことがない」です。もう一人、情報工学系の出身者(20代前半)はパラ
ダイムという言葉は「どっかで聞いたことがある」だけ。
実際私が学生当時、「科学史」なり「科学論」「科学哲学」関係の講義が存在
した記憶がありません(学部の講義にはなかった。教養部でもなかったはず。
どこか人文系、社会科学系の学部にはあったんでしょうけど)。

話がかなりそれますが、私がやっていたジャンルにはちょっと特殊な事情があ
りました。
日本の地質学の分野では80年代でもなお(実は今でも)、唯物史観、マルクス主
義的科学論が珍しく幅を利かせていて、これがなぜか当時「地向斜造山論」
(都城秋穂に言わせれば学説ですらない)と密接な関連を持ちつつ、70年代から
英米を中心として優勢になって来た「プレートテクトニクス」学派と半ばイデ
オロギー的な論争(対立)が繰り広げられていました。
ですから、以前この掲示板でとりあげられたこともある都城氏の「科学革命と
は何か」の中で、「地向斜造山論」に固執する「頑迷」な学者が名指しで批判
されたり(そのうち一人は私はよお〜く知っている(笑))や、旧ソ連の科学事情
がやや唐突な形で書かれている点は「やっぱりなー」と思わせます。
もちろん彼が単に過去の確執だけでそれを書いている訳ではないのは明らかで
す。ただ、あれほどの学者−−現在、日本で変成岩岩石学の成書は彼の書いた
ものがあるだけ。また、造岩鉱物の記載、観察から火成岩成因論までを一つの
流れの中で統一的に書いた教科書も彼が共著で書いたものしかない−−が半ば
日本の大学にはいられなくなる(本人が日本にイヤ気がさしたという話も)程の
「政治的」対立があったことも事実です。

私の出身大学はまさに「地向斜造山論」派の総本山みたいなところで、そんな
こんなで周りで科学論、哲学を語る教官、学生は唯物弁証法ばかりで、少し相
対主義的な言説をはく私なんぞは珍しい存在でした(当時世間では「ニューア
カデミズム」なんつーモノがもてはやされていたにもかかわらず)。

Id: #a19990629174513  (reply, thread)
Date: Tue Jun 29 17:45:13 1999
Name: 大豆生田
Subject: 科学と科学哲学と 2

和田先生の
「航空力学の法則が社会的構成だというのか」という疑問に対して、 フランクリンやロスは、 「飛行機が飛ぶというのは社会的実践の積み重ね」だと反論したそうである。
を読んで思い出したこと。 『科学』1998年9月号700ページで長谷川真理子女史が
人間がアヒルをどのように規定しようと,また,人間など存在しなかろうと, そんなこととは関係なく,アヒルという動物は存在するのではないだろうか.
と書いたことに対する、柴谷篤弘氏の反論モドキ。(『科学』1999年1月号59ページ)
家禽アヒルは,人間の媒介によって“自然状態”から変化した. この操作がカモ/アヒルの完全な科学的理解に先立ってなされた以上, アヒルは科学的真実である前に,すでに社会的構築物なのだ, といわなければならない.
柴谷氏の発言をもう一つ。(出所は同じ。)
一続きの自然のうちから, 電子のように社会に無関係に操作できる部分を切り出して, 自然科学(物理学)を作ったことこそが,社会的構築であり, その結果生じた人間社会の受益者と被害者との分離は, 科学が発展してきた歴史的・社会的・地理的事情と無関係でない.
これ呼んだ時頭を過ぎったのは、「風が吹けば桶屋が儲かる」だった。 しかし、こんなXXXな文章を (以下自粛)。
Id: #a19990629135139  (reply, thread)
Date: Tue Jun 29 13:51:39 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990629123511
Name: 河本孝之
Subject: レス二つ
 (1)三好さんへ。いやそうではなく過剰に反応した私がいけないんです。ごめ
んなさい。あ、雨漏りが・・・あ、いや失礼。ともかくこれからもよろしくお願い
します。この間の書き込みについてご意見があれば、何なりとどうぞ。
 (2)大豆生田さんへ。なるほど。観察(それが理論負荷であれ)において区別
できなければ同じではないか、と。うーん、概念同士の「意味」を想定してそれら
の比較をするというアプローチが言語哲学のなかで随分とたたかれてきましたから
説得力はあります。その場合、当該の概念を含む言明を「観察文」と捉えて、二つ
の観察文どうしの比較は抽象的な「意味」を比較するのではなく、それら観察文と
結びつく私たちの反応どうしを比較すればよい、というのが可能な解釈です。した
がって、大豆生田さんの考えは科学哲学においても有力な考えを代表しているわけ
です(そんなことはどうでもいい、とおっしゃるかもしれませんが)。
 確かに数では圧倒しているのかも知れませんが、村上さんの本や記事がたくさん
出ていることは必ずしも彼の見解が一般の人々に受容されている(ないしは出版社
が受容されることを見込んでいる)ということを意味しないですよね。これは「一
般の人」を「こういう系統の本を読むのが好きな読書人」に限定したとしても同じ
だと思いますが。こう言うのは自嘲じみていやですけど、実際のところ科学哲学な
んか(科学論一般はどうか知りませんが)社会全体にとってはどうでもいいように
思いますし。
 (3)黒木さんへ。あの、他の方々に比べて少し書き込みが長すぎるので、「そ
んなことをだらだら書くのは有効ではない」と感じられるときにはどうぞご指摘く
ださい。では。

Id: #a19990629123511  (reply, thread)
Date: Tue Jun 29 12:35:11 1999
Name: 大豆生田
Subject: 科学哲学と科学と

私の関心の中心はどちらかというと、「(科学哲学界ではなくて) 一般人にとってどのような科学論がどのように受容されているか」ですが、 そうすると量で圧倒する村上先生なんかは格好の対象になる。 というわけで、この前の「科学は虚構云々」の引用元は、 『CD-ROM版世界大百科事典』の「科学」の項に書かれた村上先生の解説です。 (紙の『世界大百科事典』は実家にあるんだが、 こっちでも同じ事をかいているかどうかは未確認。) 村上先生は科学哲学の話をした後、まとめとしてかなり唐突に「科学は虚構」と言い放ちます。 そりゃ、科学知識は人間の作り上げたものだから虚構かもしれないけど、 それ言ったら何でも虚構じゃないですか。

科学哲学に関する疑問としては、「実験のことをどう考えているのか?」ですね。 共役不可能性で必ず出てくる 「ニュートン力学と相対性理論は概念が違うから、(低エネルギーでも) 別物だ」 という主張に対して、「そんなこと言っても、実験で区別できなきゃ意味ないだろ」 と私は思ってしまうのだ。 (これには事実の理論負荷性なんかも関連するが、これは別の機会に。)

(自然) 科学者が何を言っても、 「哲学を知らないからだ」とか 「(自然) 科学を絶対視している」 で済まされてしまうので、 ある種の空しさを感じないわけでもない。

しかし、最強の「言い抜け」は「……はレトリックだ」で、 全部チャラにすることであろう。


Id: #a19990628191433  (reply, thread)
Date: Mon Jun 28 19:14:33 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990628153331
Name: 三好博之
Subject: いつのまにか悪役モード?
これで終りにしてくださいということだったので何も反応しませんでしたが、
変に大事になっちゃったかな。
田崎さんのおっしゃるとおり軽くたしなめたぐらいのつもりなので
あまり気にしすぎずに投稿を続けてください。
こういうニュアンスってネットではなかなか伝わりにくいですね。
かといって長々と書くほどのことでもないし。
ただ本当に色々な背景の人が見ている(見る可能性がある)ということは
意識した方がいいと思いますよ。

この件は本当にこれで終り。replyもしなくていいです。
本題の方を楽しみにしています。


Id: #a19990628153331  (reply, thread)
Date: Mon Jun 28 15:33:31 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990628103928
URL: http://www.interq.or.jp/jupiter/philsci/
Name: 河本孝之
Subject: せっかくなのでご好意に甘えます。
 新参者のくせに皆さんにあれこれご心配をかけました。あまり自粛の度が過ぎる
と、今度は三好さんにご負担となる恐れがありますので、またぼちぼちと書かせて
いただきます。ご心配いただきまことにありがとうございます・・・本来はこうい
う文体で、友人に手紙を書くにも脇付を添えるほどなんですが、気軽さを装うあま
り調子にのって鬱憤晴らしをやってしまった次第、ご容赦願います。
----------
 (1)ほんの短いあいだ(丸一日も経ってないじゃないか)お休みしている間、
過去ログを見ていたのですが、伊勢田さんが書かれていますね。もしいまご覧に
なっているようであれば、和田先生のトピックに加わっていただけませんか?
 (2)5/26のクラムボンさんの書き込みについて。大丈夫です。今、ちょう
ど The Journal of Philosophy という雑誌の論文に、"Is Two a Property?"
っていう論文を見つけました。二人の人間、仮にワダ、カワモトという人がいて
両者はどちらも「ヒトであること」という性質をそれぞれ満たす個体です。そこ
でこの論文の著者は、「二(つ)であること」という性質をこの両者が例化して
いると考えてはいけないのか、と問うています(「例化」あるいは「具現化」は
或る個体が何らかの普遍性とりわけ性質や関係を満たすことを言います)。この
著者は being two というのを性質として認めようとも主張しています。ともか
く、クラムボンさんの疑問は正当に哲学的な問いであり、十分に考慮すべきもの
です。
----------
 さて、せっかく三好さんからも「もったいない」と言っていただきましたので
また幾つかコメントさせて下さい。
 和田先生の、何でまたぞろカントなんか・・・というご質問には、優等生ぶっ
て「それは知的誠実さのために先人からまねぶという態度が必要で云々」とお答
えしたい気が半分あります。しかしもう一方の半分で、これまでの研究史を振り
返って精算できる点があるなら、もうそこはほじくり返さなくてもいいんじゃな
いのか、とも思います。ただ、これは哲学系の学科としては異端の科学哲学ない
し分析哲学の「合理的再構成癖」というべきもので、やはりこういうプラグマテ
ィックな態度は一般的に哲学ではタブーです。かつて私も「君は最新の論文ばか
り追いかけるより、もっと哲学の常識を勉強しなさい」とよく言われました。な
るほど知ってて損にはならないでしょうが、では私がいま問題意識をもっている
テーマについてその哲学の常識とやらをどれほど勉強すればいいのでしょうか、
また素朴に一つの方法論として考えてみてもどういうメリットが見越せるのでし
ょうか。特に後者は、古典を研究されている先生には禁句といってもいいでしょ
う。それにこんなことを疑問に思うなら、「哲学なんかやって何になるの?」と
いう素朴ながらも強烈な質問にまず答えるべきかもしれません。
 第二。現代の分析哲学で言う「存在論」は、古典的な意味での「実体」とか
存在形態としてのカテゴリーなどを扱う分野として言及されているわけではなく
「ある」といわれうるものを特定する諸条件について研究します。そこでは、
「ある」という語に形而上学的な「現-在する」とか「実-在する」といった意味
の多様性は断じて認められません。どのような対象であれ一様に「ある」と言わ
れうるならば、それは私たちの概念的枠組みにおいて存在者と認められます。そ
れをクワインは印象的な仕方で、「変項の値になるものが存在者である」と言っ
のでした。もし一階の理論で正しく記述できない(一階の理論の変項へ代入した
場合に、真理値の異なる言明を帰結するような)ものがあれば、それは私たち
の枠組みでは存在者とは認められない。仮にそれを認める、つまり「ある」と言
うひとがいるなら、彼が私たちの理解する論理的な妥当性を維持しながら私たち
とは違う(彼の認める対象を妥当な仕方で存在者として扱える)論理的体系を
明示しない限り、私たちは彼の存在論における対象を認めることはないし、彼
の言っていることがそもそも存在論であるかどうかも保証できない、ということ
になります。ちょっと駆け足の解説ですいません。
 第三。「科学者に科学哲学をよく知ってもらいたい」というのは、とりわけ日
本の科学哲学者の願望みたいなものでしょうね。しかし哀れなるかな、得てして
偉大な科学者の方が優れた科学哲学者でもあるということが、ニュートン、ガリ
レオ、マッハ、ポアンカレ等々から思い起こされます。別にリップサービスで
言っているわけではありません。
 最後に。これは全く簡単な対比です。論理実証主義以降の「科学哲学」と称す
る学会・教科書などで議論されているテーマを研究しているかどうか、というこ
とだけです。実際にそうした学会に所属する必要はありませんし、十分でもあり
ません。ひとはものごとを考えているその時々の状況に従って、言わば瞬間的に
科学哲学者であってもよいし、社会学者であってもよいということです。ですか
ら、「モノホンの科学論者」というのは、どちらかと言えばテーマの方を分類
するつもりで(これも厳密にどこからが科学論のテーマで・・・とは言えないで
しょうが)述べたことでありまして、縄張り根性から言ったことではありません。
なるほど、一方は飛行機事故や電磁波の影響などを語らい、他方は説明理論や経
験的妥当性を語らう。現実にはそうして両者の境界線がぼんやりと見えてくるわ
けですが、一人の人物が両方の話題に関心をもつことは珍しくもないことですか
ら、深くはお考えにならないで下さい。これは下手をすると、何か科学哲学の方
が(「哲学」っていう言葉がぶら下がっているというだけの理由で)高尚な学問
だと言い張っているかの誤解を与えます。
 村上先生は、テクニカルな説明理論をされたり聖俗革命をされたり地球法廷
(ネットで生命倫理などの話題についてここのように色々な意見を集めてから、
衛星放送でまとめの番組を放送されているのです)をされたり、私も結局は科
学の何が知りたい先生なのかあまりよくつかめない、というのが素直な感想で
す。先ほども述べたようにそのつど科学哲学者であったり科学史家であったり
するのでしょうが、何か一貫した関心の向き方くらいあるはずだろうとは思う
んですけれども。まあ、村上先生風に言えば「科学は・・・・・・・・どこへ
・・・向かっていくのでしょう・・・・・・・」というところですか。
 (しかしここまで書いてきて思うのですが、科学哲学の学生がこんなことを
書いていいのかどうか。こわ。)
----------
 ちなみに大嶋氏は普段はネットに繋がっておらず(和田先生と同様、ワープロ
を使っています)、どちらかといえばひたすら本を読んでいる人なので、あまり
書き込みは期待しないで下さい。
 では。また長大になり、サーバの負担を思うと恐縮しますが、宜しくお取りは
からい下さい。

Id: #a19990628151750  (reply, thread)
Date: Mon Jun 28 15:17:50 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990627131544
Name: 鴨 浩靖
Subject: 共約不可能性の反例

私らは、数理論理学(数学基礎論)は、単に論理とか集合とか証明とか計算とか名付けられている数学的対象を研究する、数学の(マイナーな)一分野であり、それ以上でもそれ以下でもないと思って研究しています。それに対して、数学基礎論は数学の基礎づけを目指すべきだと考えて研究をしている人も、まだ、絶滅してはいません。基礎づけ派は一分野派を、本質を見失って皮相的なことばかりを追い掛けている連中と思っているようですが、一分野派は基礎づけ派を、時代錯誤な連中と思っています。両派の違いは、パラダイムの違いで説明できます。

ところが、基礎づけ派と一分野派との間での概念の共有はちゃんとできていますし、どちらに属するかとは無関係に、成果をちゃんと共有しています。基礎づけ派だろうと一分野派だろうと、Turing degree とは Turing reducibility による equivalence class のことです。他の研究者の成果を発展させて新しい成果を得るのに、もとの成果が基礎づけ派によるものか一分野派によるものかを、いちいち、区別したりはしません。まさに、共約不可能性の主張への反例になっています。


Id: #a19990628103928  (reply, thread)
Date: Mon Jun 28 10:39:28 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990627070321
Name: 田崎晴明
Subject: んなもん気にせえへんでええんとちゃう?

河本さん、おおしまさん、はじめまして。

一つ前のページを読む前に、このページの下の方の河本さんとおおしまさんの 書き込みを読んだので、何かとんでもない事があったのかと思ってしまいましたが、 なあんだ、ちょっち口が滑って、一言「そういういい方は良くないよ」って言われた だけじゃないですか。 管理者じゃないのにこういうことを書くのはでしゃばりだろうけれど、 そんなこと全然気にしないでいいと思いますよ。 あと、ついでに書いておけば、 この掲示板は(ぼくが見た限りでは)常連を中心に動いているというよりは、 話題を中心に 動いていて、有益な書き込みをする人は、常連だろうがそうでなかろうが、 大いに歓迎されるところです。 (というよりも、常連じゃない方が、新しいことを知っているはずなので、 より歓迎されると思う。) ぼく自身は、一読者として、河本さんの登場を非常に喜んでいました。 書くべきことと、書くお時間があれば、ばんばん書いて欲しいと願っています。

いい方が不適切だった話だって、 もし大っぴらに話題にしたいことがあれば、たとえば、 この掲示板の裏の「なんでも2」とかにちゃんと書けば面白いかもね。 (Mac ユーザーの野次馬根性。)


Id: #a19990628094731  (reply, thread)
Date: Mon Jun 28 09:47:31 1999
Name: 和田 純夫
Subject: 追加

(私は今だに書込にはワープロ専用機を使っている骨董的人間なので、田崎さんにメー ルをうち、そこから送ってもらっています。ただしホームページは読めます。)

 前回の書き込みへの追加です。

(1)私が悪口を言っていると丹治さんに告げ口されると困るので付け加えますが、「 クワイン」(講談社)は私のような素人には大変参考になりました。特に、最終章の「 自然主義」および丹治氏のコメントは、まさに近代自然科学の自然観と合致するものだ という印象を受けました。

しかしこのような立派な認識論があるのに、今だに(たとえば)カントの認識論を有 り難いもののように説明する本が本屋に並ぶのはなぜでしょうか。過去のものを清算し ながら進んできた自然科学の畑に生きてきた人間にとっては、非常に奇異な感じがしま す。

啓蒙書にしても、たとえばデカルトやカントやベーコン等々が、なぜ支持され、同時 に、なぜ破綻したのかということを明確にした本を読みたいと思います。 (しかし「クワイン」で、存在論がなぜ論理学の問題になってしまうのかは、私にはわ かりませんでした。私には存在論とは量子論の問題だと思えるのですが。)

(2)世界の論考やここでの書き込みでは、多少、失礼な表現があったと思います。こ れは多分に、昨年現代思想で繰り返された、「科学者はもっと勉強すべき」とか、「小 学生なみというには・・・・」といった発言に刺激されてのことです。

現代思想の内容が日本の科学哲学のスペクトラムを表しているとは思いませんでした が、詳しいことを知らないために、無関係の方々の気を悪くさせたかもしれず、お詫び 申し上げます。「受容度」についての質問をしたのもその点を意識した上のことであり 、少しでも多くの人のご意見をお聞かせいただければ幸いです。

(3)河本さんの書き込みには私もコメントすべき立場だとは思いますが、もう少し皆 さんの意見を聞いてからと思い、しばらくは差し控えさせてください。

(4)最後に河本さんへのお願いですが、私は実は「モノホン」ではないので、「科学 論者」と「科学哲学者」(そして差し支えなければ村上氏と地球法廷)について説明し ていただけないでしょうか。現代思想11月号に登場した方々と、たとえば内井氏や小 林氏がかなり違うことを主張されているらしいことは、本屋に並んでいる本から知って いますが、それと何か関係があるのでしょうか。(ユニックス・ウォーズで受けたダメ ージが癒えてからで結構です。)

和田


Id: #a19990627202733  (reply, thread)
Date: Sun Jun 27 20:27:33 1999
Name: ブタネコ
Subject: 無理数と超越数

『無理数と超越数』塩川宇賢 森北
という学部レベルの薄い本をgetしました。
ζ(3)の無理数性の学部レベルの新証明があるとは。

広島大学のある方のホームページにあった太田川論文については、白頭翁さんが『薮の中』だと言っておられたような。
Id: #a19990627131544  (reply, thread)
Date: Sun Jun 27 13:15:44 1999
Name: 和田 純夫(田崎による代理投稿。アドレスは和田さんのものです。)
Subject: お礼等々

参考になる情報やご意見を拝見させていただいています。特に、河本さん、有難う御座 いました。(私の論考を渡したという指導教官は、すごくいい指導教官ですね。もっと も、どんなつもりで渡したのかは知りませんが。)

話が多少、拡散しているようですが、それはそれで、視野を広げる役にたちそうだと、 喜んでいます。いろいろ言いたいこと、聞きたいことがあるのですが、黒木さんの提案 とも関係して、取りあえず、私の質問の趣旨について、説明を加えておきます。

 「世界」での私の論考の全体的テーマは、普遍主義対相対主義というものでしたから 、相対主義全体の日本での受容度について、もちろん関心があります。したがって、も し黒木さんのように質問の範囲を広げることによって反応していただける人が増えると すれば、それはそれで大変結構なことです。

 しかしその中でも、私は特に、「共約不可能性」(共約と通約では、どちらが一般的 な訳語なのですか)に関心があります。それも、これそのものについて現在どのような 仕事がなされているのかではなく、「どのように受容されているか」、です。

 その理由は、言わずもがなのことかもしれませんが、これが近代自然科学の「累積的 発展」を否定する立場の、根幹概念だと私には思えるからです。この印象は、野家氏の 「クーン」(講談社)を読んで特に強くなりました。この本には、共約不可能性の実例 とし4例ほどあげられていますが、私から見ると、どれも何らかの意味で、科学の具体 的な内容についての誤解に基づく議論にしか思えませんでした。(その一部は、世界の 論考に書いてあります。)  そこで私は、「こんなことを科学論者は信じているのか」、あるいは「こんなことが 科学哲学の授業で教えられているのか」という関心(危惧)をもち、前回のメッセージ の質問になったわけです。

 もう一つの、共約不可能性の受容について関心をもつ理由は、「実在論」です。十数 年ほど前に書かれたものだと思いますが、丹治氏の実在論についての論考を見たことが あります。今、手元にないので不正確な表現になりますが、それによれば、「科学理論 が実在を対象としてる」という考え方は、「その理論がどの理論を指しているのかわか らない」という困難に出会うと主張されていました。

 これは、近代自然科学が累積的に発展してきたと考える私にとっては、非常に不思議 なコメントです。つまり、古典力学が示す実在をさらに精密化したものが、量子力学が 示す実在であり、それをさらに精密化したものが場の量子論が示す実在であると考えら れるからです。このような自然な発想を丹治氏が取らなかった(言及さえしなかった) のは、たとえば量子力学が古典力学を(概念的に)包摂するものとみなすことは不可能 だという「共約不可能性」が、大前提になっているとしか私には思えません。(丹治氏 とはまったく面識がないのでわかりませんが。)

 もちろん共約不可能性に限らず、新科学哲学が死語になっている(あるいはクーンが 過去の人になっている)とすれば、それは野家氏が言うように(現代思想11月号)す でに当然のこととして受け入れられているからなのか、ナンセンスだとして相手にされ なくなったのか、飽きられた(やることがなくなって自然消滅した)のか、という点な ども知りたいと思っています。多分、人によって見解が違うのでしょうが。

 また、広島大学のある方のホームページにあった、相対主義等々についての学生のコ メントも見ましたが、いったいどのような授業をするとあのような意見が出てくるのか 唖然としました。知識の実践の問題と正当化の問題とを、なぜあのようにごちゃ混ぜに するのか、誰か、論理的に説明していただけないでしょうか。この掲示板に、社会構成 主義を支持している人の書き込みを期待するのは、おかしいのかもしれませんが。(黒 木さんには怒られそうですが、個人的でも結構です。)


Id: #a19990627070321  (reply, thread)
Date: Sun Jun 27 07:03:21 1999
In-Reply-To: a0043.html#a19990626184723
Name: おおしま
Subject: 確かにお前が悪い、河本
 クッキーだかで同じ機械から文面を送ってるんがわかると思いますけど、いま
友人の河本の機械を借りて書いています。僕はコンピュータのことはあんまりわ
からへんのですが、彼から「何か批評でも書いてくれ」と言われて書いてます。
 このページの内容から言って、彼が気にしてる失言についてこれ以上あれこれ
と書くのは皆さんにとっても無意味やと思いますが、僕が見てもやっぱり「UNIX
を・・・」のところは、そら確かにそういう連中もいるやろうけど(世間的には
そういう連中が多いと思われてるかもしれへんけど)、こんな些細な文句につい
て、わざわざ余計に人を怒らせるような説明を加えることはあらへんですね。
 ただ、彼は「書き込みするにあたっての配慮が欠けてた」ことには反省してま
すが、彼自身が大学の機械を利用するときに感じてる印象とかについては全く否
定する気はないんやそうです。でも、仮に彼がそういう印象を受けるような出来
事があったにしても、専門家の集団てたいがいはそういうもんちゃうんかなって
思います。科学哲学にしても、科学技術論を教えてる先生は無視するとか、いわ
ゆる「科学論」をやってる評論家(立花隆さんとか柳田邦男さんとか)とかは無
視するんとちゃうのか、と思います。それが一概に悪いかどうかはわからへんと
思いますが。
 あれ、インターネットの接続が勝手に切れた・・・なんで? ということも
分からない素人なので、どうか怒らないで下さい。書き込みって書いた本人が
消されへんのですね。彼としてはその箇所は消してほしいらしいですが、何かの
参考になるんですか? まあ、消してほしいくらいやったら元から書くなという
事かもしれませんし、管理してるのも大変でしょうから、仕方ないんでしょう。
ただ、この手の話題は何度もいうように展開しても無益やと思いますから、これ
で終わりにしようやないですか。誰も取りあってへんならそれで結構ですが、
ドクターに謝らせるのは気分がええ、とかいう歪んだやつが(これも失言?)出
てきても困るやろうから(いま彼から聞きましたけど、黒木さんは助手さんです
か。乱文ですいません)、彼にもすこし掲示板の書き込み作法というか常識やろ
うとは思いますが、そんな感覚を養ってもらうためにもしばらく書き込みは止める
ように提案します。彼も書き込みはしないで見るだけにするみたいなんで、こうい
う格調高いページを汚したのには僕からもお詫びします、ということでこの話は
終わりにして下さるようお願いします。 乱文失礼。

Id: #a19990626184723  (reply, thread)
Date: Sat Jun 26 18:47:23 1999
In-Reply-To: a0042.html#a19990626174700
Name: 河本孝之
Subject: もうしわけない
 本当に申し訳ないです。できたら当該箇所を削除してほしいくらいですが、私の
「もうしわけありません」という文面を何度も見たい人はいないでしょうから、こ
れ以上のつっこみはご容赦下さい。

1つ前の記録:黒木のなんでも掲示板 (0042)


管理者: 黒木 玄  <kuroki@math.tohoku.ac.jp>  (Web Site)
CGI_Board 0.64