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黒木のなんでも掲示板 (0035)

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Id: #a19990116024844  (reply, thread)
Date: Sat Jan 16 02:48:44 1999
In-Reply-To: #a19990116010749
Name: 海法 紀光
Subject: 別にひがんでません

 鳥居さんへ。
 わたしは「みなさん」じゃないっす。別に鳥居さんに文句を言ってないとかそういう話しじゃなくて、ここにいて書き込みをしている人間は一人一人違う視点で、違う方向から話をしてるので、それを十把一絡げに「みなさん」とかまとめられるのは、非常に不愉快ってことです。

 たとえば、ご自分のこの文章をご覧ください。
 こんな文章でわかってもらおうと考えているところが、あなたの問題でしょう。

 あなたの言ってないことについて批判した人は誰か、本筋から逃げてると言った人は誰か、些細な揚げ足取りをした人は誰か? そして、それぞれのどの文章か?
 それを書かなければ、読んでる人は何について怒っているのかわからず、それは無意味な批判だし、憎まれ口にすぎません。
 これらの訴えは当たっているかもしれません。そしていちいち書かないのは鳥居さんに事情があるかもしれません。でも、読む側からすれば、憎まれ口です。
 これのどのへんが憎まれ口かわからないということは、鳥居さんは、「他人」というものを、すぐひとくくりにして、敵や味方と捉えているんじゃありませんか?

 例えば鳥居さんが一対一で議論していて、相手が一人なら、こう書けばみなまで言わぬでも、相手はピンと来るだろう、という展開はあるでしょう(その場合でも第三者の読者のことは無視していますが)。鳥居さんが、無意識に、反論してくる人間を勝手に1グループと考えていれば、またこういう書き方も出てくるでしょう。
 でも当然ながら、鳥居さんを批判している方はたくさんいます。そして、一人一人それなりに違った視点と考えを持ち、ある人は別の人の批判に賛成していません。さらにまたこの掲示板を読み書きしている人で直接関わってない人もたくさんいるのです。

 そういう状況で、はっきりさせないで不特定多数に文句を言うことは鳥居さんがまともな議論をできないことを示していると思います。

 議論をするには、まず、人と人を切り離して把握して、次に言っていること/論旨を、言っている人間とある程度(完全にではない)切り離して、把握できる必要があります。

言っている内容と言ってる人間には深い関わりがありますし、その関わりを通じて理解すべきですが、それを把握するためにこそ、いったん両者を分けて考えられることは必要です。

 鳥居さんは、その両方ができていないとお見受けします。
 でなきゃ、言い返すことができなくて、撤退するしかないと悟り、犠牲者のふりを して撤退するという演出で面目を保とうとしているのかもしれませんが…そうだと したら、私には効いてません。

 こうした私の考えが間違いであり、今現在、議論をお続けになる気がおありでしたら、私としては鳥居さんのおっしゃる文化、そして西洋の二元論、東洋の多元論というのがどういう意味か聞きたいとまだ考えています。
 「みなさん」ではなく、海法 紀光という個人に対して議論する手間をかけていただけるのであれば、こちらへ来ていただければ嬉しいかと。

Id: #a19990116014701  (reply, thread)
Date: Sat Jan 16 01:47:01 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990116010749
URL: http://www.biwa.ne.jp/~hamada/
Name: 浜田寅彦
Subject: なんでかな
山形氏の暴言は無視して、ちゃんとしたところを見せれば良いと思うんですが、
なんでそんなとこに引っ掛かってるんでしょうか?

ところで、いなばさんの書き込みは読まれたでしょうか?
あれにまっとうな返答ができないのなら、何しに出てくるんでしょうかね。

フランス語は読めないので、下になんて書いてあるかわかりませんが(笑)

Id: #a19990116010749  (reply, thread)
Date: Sat Jan 16 01:07:49 1999
Name: とりいみなえ

結局みなさんひがんでるだけなんですね。議論うんぬんではなく。
では、勝手にひがんで下さい。別にひがまれるほど立派なことはしていないけれども、みなさんがひがみたいなら止めません。
そういうどろどろした感情は、研究したり書いたりするのはすきですが、私的に相手にするのは嫌です。議論する気がないのなら増してのこと。

結局、おばさん論争そのものが本質だったわけですね。
手後れになる前に、皆様の視野が開けることを祈ります。

黒木さまには御迷惑をおかけしました。改めておわび致します。

Que le dieu vous benisse.
Id: #a19990115193421  (reply, thread)
Date: Fri Jan 15 19:34:21 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990115185349
Name: くろき げん
Subject: うぷぷ

空氏の remote host と user agent が、他人を非難し、自分自身を擁護するために、秘かに匿名ハンドルを用いて別人のふりをして登場するのが得意な松本真吾氏のそれと一致しているのは偶然かしら?

空さんにお願い。ここに再登場するのはもう止めて下さい、頼むから。これ以上相手をするのは面倒なので、次回からはそれなりの措置を考えます。

続きは、予備掲示板 y.html の方に書いて下さい。


Id: #a19990115185349  (reply, thread)
Date: Fri Jan 15 18:53:49 1999
Name:
>そしらぬ顔で再登場するのは止めて下さい。

謝れ謝れとバカの一つ覚えは卑しいぞ。黒木玄!



Id: #a19990115160441  (reply, thread)
Date: Fri Jan 15 16:04:41 1999
Name: 米澤 直記
Subject: Re: 試験で言語能力が測れるか

月刊言語からバックナンバーのところを辿って、「月刊言語」を検索すると、過去4年分の「特集内容」と「主要目次」を見ることができます。

というのを確認しただけですので、どの号かは特定していません。あとはご自分でおさがしください。時田さんの言及されているのが過去4年分に含まれる保証はないですが。


Id: #a19990115111226  (reply, thread)
Date: Fri Jan 15 11:12:26 1999
Name: 佐々木 拓也
Subject: 試験で言語能力が測れるか

逃げちゃダメかなのわたしの書き込みを転載させてください。申しわけありません。話の腰を折ることになることをお許しください。ちょっと逃げちゃダメかなにふさわしくなさそうですので。

時田さんの書き込みの中の

それに、月刊言語が以前試験で言語能力が測れるかという特集をやってたけど、そういう問題もある。

これは存じませんでした。興味をそそられます。時田さん、この月刊「言語」はいつのものかお尋ねしてもよいでしょうか。お教えねがえませんか? お手数をおかけして本当に申しわけございません。

英語で言えば、まったくこの問題は見過ごせないほど大きく、教員の大半が英語のテストの客観性を判断できないことが多くて、問題視されているくらいです。でも大学入試の客観性も、疑義を唱える方々がいらっしゃらないでもなく、議論を呼んでいます。いい資料としては最近上がったものでは東海大学の朝尾幸次郎さんが運営なさった大学入試に英語は必要かという議論サイトがあります(リンクがおかしいので、変えました。あの書き込みのリンクとはちがいます)。ただ、ご紹介したサイトは関係ない方々にはわかりにくいものかもしれません。わかりやすいほうだと思うんですが、これは常識を欠いた感覚かもしれません。もしそうであればご指摘ください。

母語たる日本語をテストすることという問題は大変興味深いものです。


Id: #a19990115020251  (reply, thread)
Date: Fri Jan 15 02:02:51 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990114073105
Name: 稲居神明
Subject: はい

私の今回の書き込みは、いちおう鳥居さんへの引用レスということで、田崎さん方面の議論とはどうか切り離してご理解ください。

田崎さんのご意図される意味での「文化」問題については、田崎さんご自身が詳しく議論したいと述べておられたと思いますので、そちらのお考えに則した方向で議論してくださればと思います。

それから、田崎さんに。私による直接の引用で、おそらくご迷惑をおかけしてしまいました点について、お詫び申し上げます。

鳥居さんの述べておられる科学「文化」の問題と私の理解とが同じという訳でもおそらくありませんけれども、意味や理解の基本的ズレによって起こる「かみ合わなさ」というのはそもそも議論にはつきものと考えておりますので、私の場合はそれはそれとして、鳥居さんの御発言のなかで私なりに理解した部分ついて投稿してみました。

:稲居さんも、あなた、他の人の書き込み、ちゃんと読んでますか?

いちおう目をとおしたつもりですが、いなばさんのご指摘のとおり見落としてしまっている部分が多々あるかもしれません。すべての書込みにかんして、読めているか、理解できているかについても自信があるとはいえませんので、私の不足しているところはどうかご容赦ください。


Id: #a19990115004207  (reply, thread)
Date: Fri Jan 15 00:42:07 1999
Name: 山形浩生
Subject: 無駄ですよ(つづき)

> あれは「自分はNGOで通訳してるぞ、えらいだろう」というのを言うために
> あるのだ。

 追加。くわしくわかりやすく言うと、あの人物が「具体例を挙げてくれ」という質問の意味がわからず、それを些末な揚げ足取りだと考える のは、あの人物の趣旨が上記のようなところにあるからなのだ。ここを読んでいる多くの人にとっては、 その文化で苦しんでいる人たちの具体例こそがあの部分の核心だと考える。そうでないと、もともとの議論につながらないものね。 だから、それについて説明してくださいとお願いする。

 ところがあの人物にとっては、そんなのは細かいどうでもいい話なのだ。自分がNGOで通訳した、ということが 充分に具体的になっているのに、それ以上の細かい話をつつきまわす、黒木とか大’とかはなんて頭がわるいか、 あるいは陰湿なあげあしとり野郎なんだろう、というところかしら。「NGO、ああすごいですねえ」というのがみんなから期待している 反応なのに、それが出てこないのですねている。そんなところだ。


Id: #a19990115002540  (reply, thread)
Date: Fri Jan 15 00:25:40 1999
Name: 山形浩生
Subject: みなさん、たぶん無駄よ。

かくしてふりだしに戻る、というわけね。たぶん無駄ですよ。あの人物の書く文章は、そこに書かれた 論理を述べるためのものじゃない。自分のことを自慢するための口実なんだから。具体的に言えば、 あの「NGOで通訳をしていると文化が人を苦しめてるのがわかる」という、みんなが意味を知りたがって いる文があるけれど、あれは別に文化のせいで苦しんでる人の話がしたいためにあるんじゃない。 あれは「自分はNGOで通訳してるぞ、えらいだろう」というのを言うためにあるのだ。ほかのも似たり よったり。だから文章全体に論理の筋やまとまりが感じられないのよ。
Id: #a19990114231328  (reply, thread)
Date: Thu Jan 14 23:13:28 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990114170238
Name: 小波
Subject: とりあえず鳥居さんに書いていただきたいこと

えっと、鳥居さんの言葉をめぐっては、最初に提起されたことにまともに答えないで変なことをおっしゃって、 それがまた理解に苦しむもので、みんながなんとかクリアに見たいとしてさらにいろいろ言って、と、 そこでまたまた……というふうに だんだん不条理が膨張してくるという、なんかとんでもない状況になってきてしまってますね。 (中で私がもっとも理解できない鳥居さんの言葉は、「稲居さんのコメントがもっとも的を得ている」というところで、 もう完全にぶっとんでしまった!稲居さんはほとんど何も言っていないとしか思えないのに)
しかしながら、ここはひとつ、個々のコメントにどうこうという対話モードはとりあえず棚上げにして、
 しばらくごぶさたしてみました。少し問題点がはっきり見えてきたような気がします。議論の内容の問題点と、形式の問題点と、いずれも。
ということを、もっと説明してくれませんか。問題点がどうあなたに見えているのかが、 とても知りたいのです。
まず形式的な部分(細部)から
なんて、もったいぶらずにね。単刀直入に書いてくれませんか?(まさか、その後のところのくだりが、「形式の問題点」 に関する指摘なんじゃないでしょう?)
Id: #a19990114215812  (reply, thread)
Date: Thu Jan 14 21:58:12 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990114170238
Name: いなば
Subject: やれやれ

>いなばさまのおっしゃりたい「文化」と
>はなんでしょうか。

 この質問に答える必要はない。田崎さんが提起された本来の文脈においてならここに、そしてそれとあなたのおっしゃる意味での「文化」と私が解釈するものとの関係の付け方についてはここに書いた。

>具体性がかけていると言うみなさんの指摘ですが、具体的な理論のことでしょうか、実例のことでしょう
>か。理論を引くといちいちいちゃもんつけられていたので、私は実例のことかと思っ
>ていたのですが、良く読むといなば
>さまや山形さまも理論しか挙げていませんよね。

 これもまたどうして理解していただけないのか、理解に苦しむ。ここでの「具体的」とはは私の言葉で言うと「メタレベル」に対する「遂行レベル」のことである。理論と実践とか言った区別とは別のことだ。具体的なこれこれの理論についての具体的な話なら十分ここで言う意味での「具体的」なわけだ。その意味で「具体的」な話はそれこそ山形さんの噛んでふくめるような説明とか、あるいは私のよもやま話でなされていると思うが。

 最後に、

>私は憎まれ口を叩いた覚えはありませんが…どの辺りが憎まれ口でしょうか。どのへんが無礼ですか?

だけど、人の議論をちゃんと読んで理解した上で応答する、ということがあなたにはできていないようにお見受けする。その原因は読み手としてのあなたの理解力不足ないし理解する意志の欠如か、あるいは書き手の力不足か、どちらかだ。私は自分では十分力を尽くしたつもりであるし、山形さんの説明は噛んでふくめるようでとてもわかりやすく、またあなたのおっしゃるように感情的とはとても思えない。海法さんの整理と疑義も、大’さんやふるかわさんの懸念も、もちろん小波さんのいらだちも田崎さんの悩みもよくわかる。だから私には、あなたの方により多く問題があるようにしか思えない。もしあなたに、この伝言板で展開されていた議論をフォローする能力がないというのなら、それはそれで仕方がない。だが、その意志もないのに一人勝手な発言を繰り返し、他人の言うことは理解せずに他人に注文ばかり付けるのなら、それはやはり無礼なことだ。
Id: #a19990114214837  (reply, thread)
Date: Thu Jan 14 21:48:37 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990114170238
Name: くろき げん
Subject: 具体性がかけているという指摘について

「どういう類の説明があれば、鳥居さんと他の方達の間で話を通じるか」について、私は1/13に私はふるかわさん大'さんに賛成しています。リンクを張るだけでは、特にどのような意見に賛成しているか理解してもらえなかったようなので、該当部分を引用しておきます。

ふるかわさん曰く

具体的というのは,そうですね,たとえば日本の物理学(あるいは化学でも生物学でもいいですが)においてどのような文化的混乱があるのか説明してほしいということです.

これに関する鳥居さんの説明が実際に納得できるものであれば、たとえ他の方々と話がずれていたとしても、それなりに面白い話になる可能性はあると思います。「なるほど、私が言っていたこととは違うけど、現実にそういう問題もあるよね」てな会話もまた楽しいですよね。今までの鳥居さんのやり方だとそういう方向に行くことはありそうもないのだ。

大'さん曰く

もっとずっと前の掲示に登場する

それはもちろん日本などましな方で、命を危険にさらされている人たちがいながら・抑圧する側が外交的な弁説を繰り広げるが故に、残念ながら最も力を持つ西洋社会の代表者達が問題をそれこそ「表面的に」理解して本当の問題は蓋もあけずにお蔵入り、というケースがとても多いのです。

における命を危険にさらされている人たちって誰?抑圧する側って誰?最も力を持つ西洋社会の代表者達って誰?本当の問題って何?とても多いってどれくらい?絶対数?割合?。。。とか、そういうのが気になってしまうのですね。

ここで「における命を危険に…」の「における」は引用時に私が勝手に補いました。

前者のふるかわさんの質問は議論の本筋に関わる質問なので是非とも答えて欲しいですね。ふるかわさんの自然科学に話題を制限しようという提案に不賛成なら、自然科学の実例だけではなくて、社会科学の実例も挙げて下さい。両方答えるのは大変だと思うので、自然科学の実例だけで私は構いません。「自然科学、というのはそもそも…」と大きなことを言うくらいですから、具体例をたくさん御存じのはずです。 (ちょっと嫌みな言い方になってしまいましたね。鳥居さんは、自分の無知に気付かずに大きなことを言ってしまっていたことを、早目に認めてしまった方が良いと思います。そして、できれば、なぜ、そういう大きなことを自分が言えると思ってしまったかについて、よく考えてもらいたいですね。そして、その原因について教えてくれると私は非常に嬉しいのだ。)

後者の大'さんの質問は「今後はここで私が挙げたような疑問にも注意を払って欲しい」という意見を伝えるために持ち出されたものです。だから、それに対して「枝葉末節にこだわっている」と非難するのは的を外しています。大'さんの質問には必ずしも答える必要はなくて、今後の会話で注意すれば良いのです。私はそのような意味で大'さんの意見に賛成なのです。


Id: #a19990114192135  (reply, thread)
Date: Thu Jan 14 19:21:35 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990114175809
Name: くろき げん
Subject: 井口和基氏へのお願い

私が去年の11/28に書いた記事は読んだのかな?

この井口氏は、去年の11月の始め頃に、文部省、東北大学、東北大学数学科の3ヶ所のあてて、この掲示板の活動を非難する電子メールを出しております。特に数学科宛のメールの内容はひどくて、私に対する非難だけではなく、私が大切な友人だと思っている方に対する中傷が書いてあったのだ。その件全体に関して、私は今だに激怒しており、筋を通した謝罪がない限り、井口氏を許すつもりはありません。

井口氏は去年の 11/5 にこの掲示板で「私はこの掲示板を批判しているのですから,この掲示板に参加することはありません.つまり,どんな形であれ,今後参加することはありません」と言っております。井口氏は、その宣言を去年の11月の終わり頃にすでに破っているので、今回で2回目ですね。井口氏は謝罪できない方であるだけではなく、自分自身の宣言でさえ守らない方のようですね(しかも2度目だ)。

「どんな形であれ,今後参加することはありません」という宣言を今後は守りましょうね。過去にひどいことをやっておきながら、何の謝罪もなしに、そしらぬ顔で再登場するのは止めて下さい。次回からは、こうやって警告を出すこと自体面倒なので、それなりの措置を取ることにします。

この件の続きは、ここではなく予備掲示板 y.html の方に書き込んで下さい。


Id: #a19990114175809  (reply, thread)
Date: Thu Jan 14 17:58:09 1999
Name: 井口和基
Subject: 地球法廷

以下のようなメイルを受けましたので,転送いたします. 寒中お見舞い申し上げます。 突然、メールをお送りしまして申し訳ありません。以前にもお送りさせていただいたかと思いますが、私どもは現在、ホームページ「地球法廷・生命操作」を開設し、討論を重ねております。この問題に関連のありそうなホームページよりあなたのアドレスを知り、ご連絡させて頂いた次第です。もし全くご関心のない方、またはすでにご参加いただいている方に再度お送りしてしまった場合は、どうぞお許し下さい。 98年5月にホームページ「地球法廷・生命操作」を開設し、世界に発信したところ、12月までの8ヶ月間に、世界19カ国、700通以上のご意見が寄せられました。このご意見をもとに、年末には二夜連続で『インターネットドキュメンタリー地球法廷・生命操作を問う』を放送し好評を得ることができました。この番組の再放送も決まりましたのでご案内をさせていただきます。 1月15日 衛星第一 11時〜14時  『インターネットドキュメンタリー地球法廷・生命操作を問う』 「第一回〜あなたはどこまで認めますか〜」「第二回〜新しいルールはできるのか〜」 今年も引き続き、ホームページで討論を続けます。 「生命操作」http://www.nhk.or.jp/forum/life/index.htmにつきましては、ホームページの討論でも、番組の中でも、まだまだ語り尽くせない論点が多数ありました。そこで、特に皆様からの反響が高かったテーマに絞ってより深い討論を押し進めたいと思います。A.安楽死〜自己決定〜、B.不妊治療〜技術の拡大〜、C.臓器移植〜公正な配分〜、D.現代の生と死〜命の選別〜の4つです。それぞれのテーマには、すでに寄せられた代表的なご意見と論点も一緒に掲載しております。 また、今回から「遺伝子操作」 http://www.nhk.or.jp/forum/life/discuss2/j_index.htmという新たなテーマも設けました。昨年、私たちがHPでヒトクローンの作成の是非をめぐって討論をしている間にも、韓国では、実際にヒトのクローンを胚の段階まで作る実験が行われました。クローンだけでなく、遺伝子診断や遺伝子治療、遺伝子ビジネスなどの最先端で行われている研究の成果は、私たち自身の未来を大きく変えることになります。今回、新たに追加したケーススタディーをご覧いただき、自由な立場からのご意見をお寄せください。 「生命操作」「遺伝子操作」それぞれにお寄せいただいたご意見をもとに番組を構成、夏に放送する予定です。みなさまのご意見をお待ちしております。何卒、よろしくお願い致します。 番組をご覧になって、またはホームページ上で何かお気づきの点があればお気軽に御連絡下さい。 NHK地球法廷プロジェクト事務局 TEL 03-3481-0141 FAX 03-3468-8423 E-MAIL nuclear-9@nep21.nhk-grp.co.jp 地球法廷生命操作 http://www.nhk.or.jp/forum/life/index.htm 地球法廷生命操作(英語版)http://www.nhk.or.jp/forum/life/e/index.htm
Id: #a19990114172130  (reply, thread)
Date: Thu Jan 14 17:21:30 1999
Name: 角田幹夫
Subject: Memorandum on TORII's Messages


 角田です。
 どうもお久しぶり&明けましておめでとうございます。

 浜田掲示板の方で噂を聞きつけて、久々に覗いてみました。
 科学−文化問題のスレッドに関する感想。
 http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/a0033.html
のみを参照しての戯れ言ですので、既に解決済みというようなことが
ことがあっても、一社会学書生の戯れ言として、ご容赦下さい。

 まず

d: #a19990104210944  (reply, thread)
Date: Mon Jan 04 21:09:44 1999
Name: 鳥居 美苗
Subject: 科学文化

について。

>自然科学、というのはそもそも西洋文化の一部であって、その底には一つには西洋的二元論、もう一
>つには近代的自己支配の思想があります。まあ、みなさんすでに意識していらっしゃると思いますが。
> これは悪い意味では「差別」(人種差別なども含めて)の温床になっています。つまり、○○でなけ
>れば人間ではない、というやつですね。いい意味では博愛主義、つまり○○であっても人間(あるいは
>生き物など)であるという表現に続きます。
> つまりAであれば必ずAであり、Aでなければ必ずBである(数学記号でどう書くんでしたっけ。)とい
>う論法です。

 まず、「西洋文化」というのはそんな一元的なものですか?
 あと、ここでいう「博愛主義」というのも(少なくともその後の説明からだと)意味が
よくわかりません。
 「西洋的二元論」ですが、それに対立する非西洋的二元論というのを想定しているのでしょうか?
何だか後段を読むと、「西洋的二元論」に日本的な「多元論」を対置しているようです。
 
Id: #a19990105135718  (reply, thread)
Date: Tue Jan 05 13:57:18 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990105031047
Name: 山形浩生
Subject: 大森掲示板ではもっときちんとした論理展開ができていたのに。

で、山形さんが

>> Aであれば必ずAであり、Aでなければ必ずBであるという論法です。

>自然科学がいつこんなこと言ったの? せいぜい言うとしても、AはAでAじゃなければAじゃないという
>だけ。必ずBだなんて言うわけないじゃん。B以外にも、C,D, E, Fもアもイもあるし、自然科学はちゃ
>んとその程度のことは認めてる。しかも、これが2元論なの? そんな2元論はきいたことがない。まさ
>かこれって、排中律の話をしてるつもり・・・じゃないよねえ?
>
>そしてあなたの議論で、「それぞれのカテゴリーは本質的で変更不可、というおそろしい発想がありま
>す。つまり、人間は人間、猿は猿、鶴女房は鶴、蛇婿は蛇、石ころは石ころ。」というのはまさに、あ
>なたが上で西洋科学の思想として述べてるのとおなじではないの。要するに、人間は人間、サルはサ
>ル、鶴女房は鶴女房であって、それ以外のカテゴリーに変更はできないってのはそういうことでしょ
>う。すると結局あなたはなにを言いたいの?
>さらに二元論が差別の温床? じゃあその二元論が入ってないはずの日本には差別はないとでも? 
>あるいは、二元論が入ってなかった昔の日本には差別はなかったとでも? 

と、おっしゃっていますが、だいたい賛成です。ただし、「これ」も「二元論」だとは思いますが。
 というよりも、「二元論」というのは、私たちが言語を使う以上、不可避なものですね。
 何しろ、「私」というのは「私ではないもの」ではないという限りで「私」なのですから。
 だから、「二元論」はどの社会・文化にも存在します。陰陽とか。
 西洋人=二元論、それ以外=二元論じゃない、だから理性がなくて合理的振る舞い(思考)
は不可能というのは、それこそ西洋的偏見であって、人類学ではレヴィ=ブリュールの
時代(とはいっても、師匠筋のデュルケームはそういうふうには考えなかった)のものであって、
レヴィ=ストロースによって克服された代物じゃないですか。第一、西洋以外に「二元論」が
ないといったら、構造人類学的分析は全くのナンセンスになる。
 なお、このレヴェルの「二元論」とフィギュールによる意味の拡張・縮小とは別の問題です。
また、「二元論」を否定したり克服することを志向する思想も当然あります。仏教思想も
そうでしょうし、「ポスト構造主義」もそうでしょう。しかし、それがシステマティックな
言説(理論)として構築される限り、それどころか言語を介して表される限り、
「二元論」に陥ってしまう。勿論、だからといって、それが無意味なわけじゃない。
私もその不可能性を承知しつつ、「二元論」に対する突っ込みを続けようと思っています。

>近代的自己支配の思想、とは、いわゆる論理がすべてを支配すると言う考え方だと思って下さい。こ
>こでは。うちの教授なんかこれだけで1ダースもつまらん本書いてます。

 「近代的自己支配の思想」というのはどういうことですか。いわゆる近代主観(主体)主義のこと?
 それを「いわゆる論理がすべてを支配すると言う考え方」ということはできるのでしょうか。
上でも書いたように、「二元論」は言語を使用して思考やコミュニケーションをする限り、
不可避なわけですね。

>日本の場合には多元論が支配している上、それぞれのカテゴリーは本質的で変更不可、というおそろ
>しい発想があります。つまり、人間は人間、猿は猿、鶴女房は鶴(真面目な話。私はこれで論文書いて
>ます。)、蛇婿は蛇、石ころは石ころ。ただし自然は恵み深いので、人間がそれらを利用できる(で、
>終わったらその辺にポイしてよい)。後のことは考えません。

 「多元論」というのは、「多神教」に置き換えれば何となく分かるような気がする。
 問題なのは、「それぞれのカテゴリーは本質的で変更不可」という箇所。反証としては、歌舞伎を見なさい、
ということにつきます。歌舞伎の「やつし」の美学を堪能したら、この考えはきっと変わると思う。

> これが西洋的自己支配の論理を取り入れた結果、前文の「自然は恵み深いので」が「人間は万能なの
>で」に置き換えられることになりました。これは日本に限ったことではないのだけれど。しかも西洋文
>化の基本であった平準化する二元主義は取り入れられていないので、博愛主義は適用されないことにな
>ります。

 「博愛主義」ということが上にも書いたように分かりません。
 それから、「平準化」こそが問題なんじゃないですか?私はPolylogosでこれを批判したために、
「青年将校」というレッテルを貼られてしまった。

Id: #a19990105184850  (reply, thread)
Date: Tue Jan 05 18:48:50 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990105172257
Name: 鳥居 美苗
Subject: またまた危険な言い方してしまいました。

について。
 
>ただ、近代文化(つまり、西洋文化)がなかった頃のほうが、客観的に見て今より「まし」だったと思
>われる点はかなりあります。これは私よりジャワハールラル・ネルーがうまく表現していると思うので
>(というか、天と地の差ですな)、そちらをお読みになって下さい。
>それでも、私もネルーの意見に賛成で、「だから昔に帰ればいい」等とは言いません。混乱を解決し
>て、よりよい(このあたり大森掲示板でもした「まし」か「正しい」かの議論ですが)社会を実現する
>のが私達の義務であると思います。

 これには賛成です。
 ただし、何故資本主義に言及しないのかが不思議。

>二元論が差別の温床、というのは、二元論(つまり、私が意図していたのは一番いいから一番悪いまで
>一列に並べる、と言う意味です。言葉が間違っていたならごめんなさい)のばあい、一ケ所に線を引い
>て「はいここまで」が簡単なわけです。「ここ」の決め方が極めて単純なので、それが単純な形で差別
>を生みうるということが言いたかったまで。逆に、この単純な理由付けに対する反論も単純ですむの
>で、差別の解決も比較的(あくまで比較的)簡単です。ただ、今は複雑化しつつありますが。オリエン
>タリズムの問題ですね。

 この箇所は本当によく分からない。これって、「二元論」の問題じゃないですよね。
 それから、ここで「オリエンタリズム」がどうして出てくるのかよく分かりません。
 ちらっと見ただけだと、そもそも西洋(近代)とそれ以外という「二元論」をあたかも
自然であるかのように持ち出してくること自体が「オリエンタリズム」じゃないの、と突っ込みたくなります。

>もちろん日本にも差別はありました。日本史をやっていなくてもそれくらい誰だって知っています。た
>だ、差別の性質が違います。日本では「違い」そのものが差別になるので、その違いの位置付けは問題
>になりません。「いい悪い」の差別でない、と言うことは、存在すべてが差別の対象になると言うこと
>で、この点が現代では危機をはらんでいるわけです。

 これは私がPolylogosでかました議論と似ているようですが、やはり違う。
 「日本では「違い」そのものが差別になるので、その違いの位置付けは問題
になりません。「いい悪い」の差別でない、と言うことは、存在すべてが差別の対象になると言うこと
で、この点が現代では危機をはらんでいるわけです。」
 これもよく分からない。少なくとも第三者的に見た場合、あらゆる「差別」は無根拠の筈。
 寧ろ、ここで鳥居さんが言っていることというのは、近代的な差別(鳥居さんは「西洋」的というかもしれない)
の問題ですよ。少しでも、いわゆる「ポストモダン」な思想を囓っていれば容易に分かると思いますよ。


>ただし「差別された社会」が、それ自体の中ではある程度の自立を保っていたのも事実ではないでしょ
>うか。私は部落問題にはそれほど詳しくありませんが、女性の地位が思ったほど低くなかったのは皆様
>御存じのはずです。
>また、帰化人の地位が比較的高かったことも上げておかなくてはなりません。

 最初の文は文意不明。
 後のことと具有日本特色的差別とどう繋がるのですか? 「西洋」ではどうだったのですか。
 それから、全般的にnation-stateとcapitalismという問題系がネグレクトされているような気がする。
 これ抜きに、「近代」を考えることはできるのかどうか。

>いずれにしても、日本と西洋の社会構造はそれぞれ異なる理由で比較的差別を誘発しやすいのですが、
>日本が西洋の価値観を半端に取り入れた挙げ句、日本の現状がさらに悪化したのは事実ではありません
>か。一方、西洋では二元化し、原理主義(宗教的なもの、人種的なものいずれも。)と博愛主義の両極
>端に割れつつあります。ただ、私自身は原理主義を生んだとは言え博愛主義を生んだことで、西洋社会
>自身の罪は購われたと思うのですが。もちろんそこで満足されてはならないのですが、それは基本的に
>個人の問題です。

 「原理主義」について、もう少し説明して下さい。
 それから「原理主義」と「博愛主義」というのは、「二元論」的に対立するものなのですか?
 もしかして、鳥居さんのいう「博愛主義」って、ヒューマニタリアズムとかコスモポリタニズムのことですか?
この2つは同じではないけれど。

>人類学と社会学のアプローチは違っても、個人の歴史にたいしてはほとんど無力なのは事実ですね、小
>波さま。人類学は「違い」を探し、社会学は「共通点」を探す、というものの、単位はつねに団体で
>す。

 「個人の歴史」って何ですか?
 いわゆる一人一人のライフ・ヒストリーということですか?
 それに関して有効な学問というのはあるのですか?
 それから、人類学と社会学のこの「違い」は誰がいっているのですか?私はそうだとは思わないけど。
 (こういう物言いをすると、Takumiにド突かれるか!)
 「社会学」の「単位」が「集団」というのはちょっと狭すぎ。
 「集団」以前の分析単位として、諸々の社会的カテゴリー(人間の場合だと「役割」)、さらには「相互行為」
(コミュニケーション)があります。

>ただ、個人ではなく大衆がくり返し語ってきたもののパターンは社会という「単位」の内部構造を反映
>しているもので、いわゆるフンボルトの「民族の魂」の歴史をかなり正確に反映しているのも事実で
>す。

 最初の文について。どうして、こういうことをアプリオリに断定することができるのですか。
勿論、民衆の語りを軽視するわけではありません。それは、社会学者であろうと一般人であろうと、
社会的リアリティを秩序だったものとして構築するという意味では同等だということです(cf. Garfinkel
_Studies in Ethnomethodology_)。
 「民族の魂」というのはちょっと(かなり)怖い。こういう言葉を気軽に使うというのは、
上に言ったようにnation-stateの問題を考えていないか、それともズブズブのナショナリストか、どちらかだと
思います(政治的レヴェルに話が滑ってしまった、ごめんなさい)。

Id: #a19990106155001  (reply, thread)
Date: Wed Jan 06 15:50:01 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990106113022
Name: 鳥居 美苗
Subject: では、何を持っておばさんとするのかしら

について。

>個人と文化については、一人の人間の作品(つまり個々の現象として)の文学と、集団における(構造
>化した)伝承の研究は本質的に違うと申し上げたかったまで。民話の社会科学的研究はケーススタディ
>ではないという、ごく単純な事実を指摘しただけです。

 え!
 あれが「民話の社会科学的研究」なのですか?
 個人的にはつまらないです。もっと面白いやり方がある筈です。
 それから、「文学」と「伝承」をアプリオリに「本質的に違う」といっていいのかと思います。
 
>NGOの通訳をしていると、文化の混乱が如何に多くの人を苦しめているかわかります。それはもちろん
>日本などましな方で、命を危険にさらされている人たちがいながら・抑圧する側が外交的な弁説を繰り
>広げるが故に、残念ながら最も力を持つ西洋社会の代表者達が問題をそれこそ「表面的に」理解して本
>当の問題は蓋もあけずにお蔵入り、というケースがとても多いのです。
>それこそ、社会科学者が理論的に問題を追求する姿勢が求められているわけ。つまり、科学における文
>化。
>それと文化を研究することは別次元の問題、というのは言うまでもなくお分かりのはずです。

 これもよくわかりません。
 詳しく説明して下さい。

 これ以降のコメントについては、後ほどの予定。気力が落ち込んだり、角田引っ込め!といわれたら
やめますが。
 それから、keroでの黒木さんへの応答も予定していたよりも遅れます。了承の程を。






Id: #a19990114170238  (reply, thread)
Date: Thu Jan 14 17:02:38 1999
Name: 鳥居 美苗
Subject: 戻ってきました。

 しばらくごぶさたしてみました。少し問題点がはっきり見えてきたような気がします。議論の内容の問題点と、形式の問題点と、いずれも。

まず形式的な部分(細部)から

 いなばさま、私は憎まれ口を叩いた覚えはありませんが…どの辺りが憎まれ口でしょうか。どのへんが無礼ですか?私は挨拶無しで議論に飛び込んだ意外、失礼なことをした覚えはありません。私には、いなばさまの口調の方が傍若無人に見えますが、山形さまの場合と同じくそれがスタイルなら、差し引いて読みます。具体的に失礼な部分があれば指摘して下さい。ついでに、他の方に要求為さっている質問をあなたにもお返しします。いなばさまのおっしゃりたい「文化」とはなんでしょうか。
 ふるかわさま、『自然科学とか社会科学とかいった抽象的な言葉を振り回して, 現実の(具体的な)学問の営みを省みない無意味な議論はしてほしくない.』全く同意見です。
 大'さま、揚げ足取り、と言うのはもっぱら、私の書き込みの枝葉末節部分にこだわる(で、それにコメントするとさらにそれの枝葉末節部分にこだわる)コメントが多かったので(しかも私の発言でないものもいっしょくたにされていたりして)、ちょっとむっとして書いた言葉です。そういう部分には後で触れて、取りあえず議論の中心をすすめてしまうと言うことで、皆様の同意を頂けるでしょうか。
 実は稲居さまの御意見が一番的を得ているかも知れません。議論形式の根本的な問題としては。
 黒木さま。具体性がかけていると言うみなさんの指摘ですが、具体的な理論のことでしょうか、実例のことでしょうか。理論を引くといちいちいちゃもんつけられていたので、私は実例のことかと思っていたのですが、良く読むといなばさまや山形さまも理論しか挙げていませんよね。

 取りあえずこれで一息つきます。
 ここが単なる愚痴の掲示板でなく、なんであれ議論のできる掲示板であることを再確認できて、嬉しい限りです。ただ、また愚痴的なコメントが増えれば、途中で切り上げることも考えます。
Id: #a19990114090254  (reply, thread)
Date: Thu Jan 14 09:02:54 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990113004610
Name: はまだとらひこ
Subject: これこそが科学史・科学論
>大きな言説(特に「自然科学」や「数学」に関係する部分)がどのように構築され、
>どのように維持されて来たかに関する社会学的な研究はないのかな?

こういうことこそが、科学史・科学論の仕事だと思うのだが、
やっぱり大きな言説を扱ったったものはないでしょうかね(と伊勢田さんにふったりする)

小ネタ??で良いものだと、日本語で読めるのは
Theodore.M.Porter『統計学と社会認識:統計思想の発展1820-1900』梓出版社1995
なんかがありますね。
(1980年代に、ドイツのBielefeld大学学際研究センターを中心にこういう方面の共同研究がなされたみたいで、
 他にもいろいろ出てる)

Id: #a19990114073105  (reply, thread)
Date: Thu Jan 14 07:31:05 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990113191816
Name: いなば
Subject: うーむ

稲居さんも、あなた、他の人の書き込み、ちゃんと読んでますか? あなたの言う「文化」って具体的には何ですか?
Id: #a19990113191816  (reply, thread)
Date: Wed Jan 13 19:18:16 1999
In-Reply-To: a0034.html#a19990108223900
Name: 稲居神明
Subject: 鳥居さんへ

ちなみに、社会学の父オーギュスト・コントは「社会学はすべての科学の頂点に立つ」と言っています。これは身びいきが過ぎると言うものだと思いますけれども。
この言葉は字義的にまともに読むとなんですけど、人文「社会」科学は「自然」科学的知識の土台の上に成り立つ、みたいな理念をそのままひっくり返してみせたかんじで逆さまに読むと面白いかもしれません。
自然科学も含めた科学は日本の文化ではなく、それゆえに混乱が起きていると申し上げたまでです。
「文化」を欠いているという表現でちょっと思い付いた意味合いでは、「父親のいる、父親のいない」というやつがありました。日本についていえば、父親のいない資本主義、とか、父親のいない科学である、といったようなものだったでしょうか。私はこれに違和感がありましたが。
 
全然関係ありませんけれども、ブルデューの日本語訳は誤訳がひどくて(文法の基礎的な間違いが多すぎる)、読まない方がいいくらいですね。
翻訳の問題に還元されるというよりも、特にフランス現代思想のとり入れ方に、ブルデューにかぎらず(フーコーにしても)問題が大きいようですね。そもそもポストモダンといった括り方とか、構築主義社会学なんてものにしても、なんか違うぞというところがありそうですね。

「文化」を欠いているのは「日本の自然科学」だけとは限らないようです。


Id: #a19990113183719  (reply, thread)
Date: Wed Jan 13 18:37:19 1999
In-Reply-To: a0034.html#a19990108162756
Name: 鴨 浩靖
Subject: 続々 実数の構成

切断を使って有理数体から実数体を作る部分は、要は、順序集合の完備化を行なっているわけで、数理論理学に固有な技法ではありません。無理に分類すれば、むしろ、一般位相空間論かな。だから、そこで感動されても、かえって困るんですけど。
Id: #a19990113144027  (reply, thread)
Date: Wed Jan 13 14:40:27 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990112142626
Name: 鴨 浩靖
Subject: 逆数学

『逆数学と2階算術』のあとがきで、「近い将来、出版されるはずだが、(中略)あと何年待てば世に出るのか私は知らない」と書かれていた Simpson, S.G.: Subsystems of Second Order Arithmetic (Springer) が、やっと新刊案内に載ったので、職場から発注しました。今、わくわくしながら待っているところです。

『逆数学と2階算術』の田中一之さんは、日本数学会と情報処理学会で、それぞれ、学会誌に逆数学の紹介を書いています。どちらも、逆数学の気分がうまく伝わる文章だったので、数理論理学に土地勘のない方は、まず、これらを読むと良いかも。『逆数学と2階算術』のあとがきから参照してください。


Id: #a19990113121112  (reply, thread)
Date: Wed Jan 13 12:11:12 1999
Name: ブタネコ
Subject: よけいな補足

山之内さんの『現代社会の歴史的位相』は日評の昔からの高い本。田舎の本屋で注文すると、岩波の『システム社会の現代的位相』が配本されてきて、日評さんは岩波のサブトラックと気の毒におもってしまったり。
『学問とわれわれの時代の運命』未来社では、グラムシのときの上村忠男が共訳。 ブタネコが日本的受容の後期過程(独占資本段階)として紹介した『総力戦と現代化』は、総力戦真最中の現代人の「寒さ」を捉えていると思うが、酒井直樹らの『ナショナリティの脱構築』が姉妹書。
ってわけで、なんでも2とあわせて柏書房の大宣伝でした。
Id: #a19990113085134  (reply, thread)
Date: Wed Jan 13 08:51:34 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990113084631
Name: いなば
Subject: ほそく

 だから山之内さんの議論ももちろん、自然科学のまともな検討なんか別にしてないすよ。
Id: #a19990113084631  (reply, thread)
Date: Wed Jan 13 08:46:31 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990113004610
Name: いなば
Subject: おへんじ

 黒木さんのご要望に添うような先行研究は寡聞にして知らないけど、まちょっと気の利いた人なら、すぐ簡単なジャーナリスティックな見取り図が作れそうですね。
 図式的に明快に出してきたのはたぶん、新左翼学生反乱のアイドルだった頃のヘルベルト・マルクーゼじゃないですか。本で言えば『エロスと文明』あたり。その背後にはもちろんホルクハイマー&アドルノ『啓蒙の弁証法』が控えてるんですが、こちらはそう簡単な図式かを許すようなものじゃないことは、拙著でも指摘したとおりです。
 日本でもこの手の話は70年代から結構あったけど、カウンターカルチャーっぽくて、北沢方邦なんてのはすぐ消えちゃったし、見田宗介や栗原彬なんてのは結局まともな学者だから軽率なことは言わない(あほな若い読者が勘違いしたのは当然だが)。思想ジャーナリズムから学問の表通りに出て影響力を持つようになったのは、たぶん山之内靖『現代社会の歴史的位相』での戦後近代主義、市民社会派社会科学の批判以降でしょう。ここでの山之内の議論は近代へのアンビヴァレントな評価を抱いていたニーチェ的ウェーバーの復権を唱え、それは実はマルクーゼとつながってもいます。
 で、山之内さんの議論が、実は市民社会派の単純なひっくり返しにしかなってないということあたりをてこにいろいろ批判がなされていくわけですが、まあ、「西洋近代合理主義」というかつての善玉今悪玉をやり玉に挙げる議論はわかりやすくて受けました。ちょうど高木仁三郎氏などによる科学批判の活動も活発化してたし。(ところで誰か高木氏などまっとうな科学批判者とそうでないのの違いについて考えたことありますか? 柴谷篤弘氏とかは両方の側面を持ってるような。)
 細かい話はまたそのうちね。大変だから、論文か本にするね。ああ、早い時期の的確な山之内批判としては『思想』に86年頃載った大庭健「近代合理性と実質合理性」がいいかもね。
Id: #a19990113074343  (reply, thread)
Date: Wed Jan 13 07:43:43 1999
Name: 稲居神明
Subject: 原因はここから? 自然と社会の区別なんてのもきっとあやしいのかも?? 原因は私かな?

自然科学と文化についての議論が盛んですね。
どうも私のレスあたりから問題があったんでしょうか。
 
Id: #a19990103162004  (reply, thread)
Name: 稲居神明
Subject: 自然科学の文化論

自然科学も人間の造りだした文化としてみると、自然科学の前提となる
文化的構造のようなものが問題になってくると考えられますね。


私が田崎さんの意図したものをずらしてしまったのか
どうか自信がありません。

自然科学の文化、自然科学という文化、というより
自然科学者の文化というニュアンスかな。

もしかすると、鳥居さんの御発言も私の書込みに関連しての
御意見されたものかもしれません。
私へのレスとして書いて下さればよかったかもしれま
せんが。>鳥居さん

といっても、私が鳥居さんの提起されるような問題に
まともに応答できるかどうかとなると自信まったくなし。(^^;)


Id: #a19990113004610  (reply, thread)
Date: Wed Jan 13 00:46:10 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990104210944
Name: くろき げん
Subject: Re: 自然科学、というのはそもそも…

自分ところの掲示板の議論に完全に落ちこぼれてしまっていたので、ちょっとずつ読んで来ました。「文化がない」について鳥居さんが言っていることと他の方々が言っていることが全くずれていることを無視したとしても、

自然科学、というのはそもそも西洋文化の一部であって、その底には一つには西洋的二元論、もう一つには近代的自己支配の思想があります。 (1/4の鳥居さんの記事より)

という文で始めた議論において、鳥居さんが結局何を言いたいのか、私には全く理解できませんでした。理解できない理由は他の方も述べている通りで、鳥居さんの話には具体性が全く欠けているからです。ふるかわさん大'さんの提案に賛成です。

大森望さんの掲示板における鳥居さんはここにおける鳥居さんよりかなり普通な感じで、他の方々とうまく話が通じている。こちらでもそうしてくれると嬉しいです。

以下は鳥居さんを見ていて言いたくなった別の話。

サイード的な「オリエンタリズムの問題」(西洋の東洋に対する思考様式の問題)のようなことには詳しくて敏感であっても、「人文社会科学の自然科学や数学に対する思考様式の問題」には全く盲目であることが多いというのは、全く不思議なことです。 (もちろん、そうでない人は非常に多い。私の友人達の中にたくさんいる。)

鳥居さんも「オリエンタリズムの問題」という言葉を1/5に使っています。しかし、「オリエンタリズムの問題」の勉強を通して、今まで置かれていた環境によってどのように自分自身の知識(例えば「自然科学」に関する知識)が構築されて来たかについて注意を払うことを学ばなかったらしい。

そもそも、自然科学に関して、「自然科学、というのはそもそも…」てな大きなことを言えるだけの見識が鳥居さんにあるとは思えないですね。どこかにそう書いてあったから、鵜呑みして、そう述べているだけなんじゃないの?

ここで私は鳥居さん個人につらくあたっているのですが、このような問題を抱えているのは鳥居さんだけではないですよね。かなり多いと思う。教えている側や本を書いている側にも問題があることが多いですよね。

「科学=近代=西洋=二元論=…」という類の大きな言説(特に「自然科学」や「数学」に関係する部分)がどのように構築され、どのように維持されて来たかに関する社会学的な研究はないのかな? まず、この点をはっきりさせてくれると助かるんだがな。


Id: #a19990113002827  (reply, thread)
Date: Wed Jan 13 00:28:27 1999
Name: 佐々木拓也
Subject: 「ノーム・チョムスキー  学問と政治 」

「ノーム・チョムスキー  学問と政治 」(ロバート・F・バースキー著 土屋俊(つちや・しゅん)・土屋希和子(つちや・きわこ)/訳 産業図書)というのが出たみたいですね(未読ですが。お金がありません)。土屋先生がチョムスキーを意識していたとは思いませんでした。それとも意識していないと思うほうがおかしいんでしょうか。眼中にないのじゃないかと思っていたんですが。

頓首 佐々木 拓也


Id: #a19990112180426  (reply, thread)
Date: Tue Jan 12 18:04:26 1999
Name: 小久保 温
Subject: 青猫QUIZ

去年の暮れに出た、日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞受賞作品 『青猫の街』は、 全般に描写がリアルな、コンピュータ・アンダーグラウンド小説でした。 暗号解読の話とか、読んでて結構はまるものがあるし。

読んでみて、かなり気に入ったので、著者の涼元悠一さんのサイト に行ってみたら、青猫QUIZ というのをやっているので、挑戦したけど解けない。

くぅう、家に帰って、本読み直して、再挑戦してみようっと。


Id: #a19990112142626  (reply, thread)
Date: Tue Jan 12 14:26:26 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990111192405
Name: 鴨 浩靖
Subject: 『逆数学と2階算術』

最密充填教科書です。数理論理学に土地勘のある人のための地形図であって、一見さんのためのガイドブックではありません。

だれか、逆数学の観光ガイドを書いてくれないかなあ。私は隣村の新住民だから、書けません。


Id: #a19990112104401  (reply, thread)
Date: Tue Jan 12 10:44:01 1999
In-Reply-To: a0034.html#a19990107152317
Name: 佐々木 拓也
Subject: 時田さんはほんとに博識なかたですね。すごすぎます。

 どこで英語音声学の鳥居次好先生の名前を知られたのか。音声学をやっていても知らない人もいるのに。と申しますか、今でも、あの喉のレントゲンで知られる方が鳥居先生だったか、わたしは今自信がありません。資料が見当たらなくって……。「時田さんがどれだけ博識ぶりを示されてももう驚かないぞ」と思っていましたが、驚きました。

頓首 佐々木 拓也


Id: #a19990111192405  (reply, thread)
Date: Mon Jan 11 19:24:05 1999
Name: 時田 節
Subject: 鴨様

どうもありがとうございました。
1.田中一之:逆数学と2階算術,河合文化教育研究所 (1997).
木曜に書泉あたりで探して、なければ田舎の本屋から注文します。1400円なので、そう厚くはないけど読めるかな〜?

田中研の卒業生で、偶然ここを読んでいて、藤沢近くのコンピュータ関連会社に勤めてる人が、ちょこっと家庭教師してくれたら、マッカラムの40年ものなぞご馳走できるけど。

Id: #a19990111180844  (reply, thread)
Date: Mon Jan 11 18:08:44 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990111175125
Name: いなば
Subject: 訂正

いかんいかん、兼職禁止規定のことを忘れていた、って本質的な問題じゃないか別に。
Id: #a19990111175125  (reply, thread)
Date: Mon Jan 11 17:51:25 1999
Name: いなば
Subject: 社会科学のSTS(うそ)

 大’さんも田崎さんも何でそんな下手に出るんだろ。無礼なのは鳥居さんの方じゃないの。
 ま、それはともかく、 山形氏が「社会科学の難しさ」について、そしてはまだ氏がはまだボードで「参与観察の苦しみ」について語っているので一言。
 これは狭義の学術調査についてだけではなく、官庁・コンサルタントなどの実務系シンクタンクによる調査、あるいはジャーナリストによる調査・取材においても当てはまる話なんだけど、私の知ってる範囲でいうと産業労働調査の方で「表門からの調査」「裏門からの調査」という言葉がある。後者の典型は鎌田慧がやった有名なやつ。『自動車絶望工場』の取材において、周知のごとく、鎌田氏は身分を隠して季節工として現場に入った。まさにこれこそ「参与観察」ってやつだが、アカデミックな研究者がこれをやることは実はあまりない。欧米を見ると社会学者・人類学者が時々これをやってるが、日本では管見の限り二人しかいない。なぜか? もちろん、大学とかに勤めてると仕事を休んで調査に行くことが比較的困難だ……てな事情はあるがそんなものは副次的だ。(そんなこと言ってたら人類学者は何もできん。もちろん、日本の社会学者の多くには職場を長期間離れて調査をする自由があまりないことはたしかだが、研究所など教える義務のない職場にいる研究者も少数ではあれいるのだ。)一番重要なことは、それをやると調査対象の信頼を失って二度と現場に入れてもらえなくなる、ということだ。同様のことは潜入調査についてだけじゃなく、「ディープスロート」、匿名のインサイダーの極秘証言や門外不出資料の漏洩にたよるタイプの調査もそうだ。
 しかしもちろん「表門からの調査」万歳ですむわけはない。裏からしかわからないこともたくさんある。しかし調査対象と長くおつきあいしたければ、表門からはいるしかないのだ。だが表門から入っても、すべてを聞かせてもらえるわけでも、すべてを見せてもらえるわけでもない。聞かせてくれたり見せてくれたりしたもののなかにも「これはオフレコでお願いします」てやつがたくさんある。もちろん、たとえ公表もおおっぴらな論及もできなくとも、オフレコ情報があるとないとでは大違いで、「オフレコの話をどれだけ引き出せるかが調査の鍵」とはよく言われる。でもやっぱり、出せないのは悲しい。こういう話は企業や労働組合に限られるんじゃなくて、社会運動の調査についても言える。コミュニティや家族・個人レベルの生活調査だって、プライバシー問題とかいろいろある。
 現場志向の社会科学が制度として確立する、ということは、こういうゆがみを抱え込むことでもある、たとえば。
 問題を抱えるのはこの手の実態調査だけじゃない。官庁統計(これ自体調査だ)などの既存のデータベースを用いての計量分析は、もともとのデータ自体が実は「データ」じゃなく加工品だから、そこんとこを念頭に置いていじらなきゃいけない。加工度の少ない一次データ、統計で言えば集計表じゃなくて個票、最初の調査票にアクセスするには役所と仲良くしなきゃいけない。
 じゃあ歴史研究ならこんなことはないかって言うと、まだましってだけのことで、厳密にはやっぱりそうじゃないんだな。ことに近現代史だとそう。史料ってのはそこらにころがってるんじゃなくて、誰かが持ってるんだよね。「誰か」が。
 こう考えると、実証的社会科学ってのは政策科学か運動科学かはたまたコンサルティング科学か、そのどれかでしかありえないんだろうか? アラン・トゥレーヌが血迷って運動への「社会学的介入」なんて言い出したのはそのせいかもしれない、などと思う。狂ってるように見えても、70年代の日本でNIRAの金で住民運動調査やったら知らないうちに内閣調査室に情報が流れちゃった社会学者たちよりはましかも。
 となるとやっぱり、ある意味そうなんだと思う。しかしここでそう覚悟を決めることと、居直ることとは違うんじゃないか。「社会科学は所詮政策や運動やビジネスのしもべだ」じゃやっぱり、ダメなんじゃないか。そんなんじゃ結局は役人や、活動家や、その他現場の人間に勝てないんじゃないか。勝てないままずるずる、現場とのもたれあいの共犯関係の中で腐っていって、下手をすると現場そのものを腐らせるんじゃないか。
 じゃ、どうすればいいかって? ……現場から離れて実証的社会学者たることを捨てた何年にもなる私にはよくわからない。しかしこの問題はもちろん、他人事じゃない。
Id: #a19990111171432  (reply, thread)
Date: Mon Jan 11 17:14:32 1999
In-Reply-To: a0034.html#a19990108162756
Name: 鴨 浩靖
Subject: 逆数学

時田さん、背景説明ありがとうございます。話が見えてきました。

時田さんの説明を読む限りでは、一松さんは受講者に過大な要求をしているよ うに見えます。一松さんが紹介しているのは逆数学のようですが、これは、数 理論理学でも比較的新しい分野で、教科書がまだほとんどありません。また、 逆数学を理解するには PA2 (二階ペアノ算術)の知識が前提とな りますが、ZF (ツェルメロ‐フレンケル集合論)と比べて、他分野の人のた めの解説書が少ないです。その状況で、「これぐらい知っていろ」は酷ですよ。 一松さん自身が良い解説書を書こうとの決意表明なら別ですが。

それにしても、いつのまにか逆数学にまで手を広げているとは、さすが、一松さん。

なお、「有限分岐な無限木は無限パスを持つ」がケーニッヒの補題で、 「無限二進木は無限パスを持つ」が弱いケーニッヒの補題です。

参考文献

  1. 田中一之:逆数学と2階算術,河合文化教育研究所 (1997).

Id: #a19990111150122  (reply, thread)
Date: Mon Jan 11 15:01:22 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990109213724
Name: 大'
Subject: 挙げ足取りでもなく。

本筋すすめようとすると、些細な揚げ足取り始めるし。」というのは、恐らく私の掲示の事だと思ったので、それを前提に書いています。

私の掲示でも書いた通り「決して意地悪で言ってるとか分からないフリしてカラんでるとかではなく」、揚げ足取りをするつもりも全くありません。鳥居さんの掲示(例えば最初のとかこれの「自然科学・社会科学・社会学について。」の部分とか)で主張されている内容に興味があって、でもそれがどういう主張なのかをハッキリと理解できなかったので、私がなぜ理解できなかったのかを表現したのが私の掲示の主旨でした(たまたま同じような内容でちょっと舌足らずなふるかわさんの掲示があったので、その補足と言う形にしましたが)。

しかし自分の掲示を読み直してみるとこれもまた舌足らずで、愚痴とも文句とも取られかねない「感想」を書いただけで終わっていて、あまり生産的ではない。この点については完全に私のミスで、お詫びしなければならないと思います。どうもすいませんでした。

と言う事で、改めてお願いしたいのです。
鳥居さんが掲示で主張された内容について、以前に書いた理由で、私には自分でその内容について考えるほどの深さには理解できていません。よろしければもう一度、より噛み砕いた形で説明していただきたいと思っています。全てをすぐになどとは言いません。上で例にあげた二つだけでも結構です。よろしくお願いします。


Id: #a19990111130933  (reply, thread)
Date: Mon Jan 11 13:09:33 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990110150605
URL: http://www.asahi-net.or.jp/~sn2y-tnk/danwa.htm
Name: 白頭翁
Subject: 寺田寅彦と岡潔を読む
暮れから、たちの悪い風邪をひいて、文字通り寝正月で過ごしましたが
はや松の内も過ぎ、仕事を再開せねばと焦りつつも、まあ、老骨に鞭打つ
より養生が肝心と、今日も又、ひなたぼっこをしている白頭翁でございます。

黒木亭の皆様、本年もどうか宜しく願い上げます。

ところで、ひさしぶりの「何でも掲示板」で、牧野さんの
「団栗のスタビリチーを論じて併せて天体の運行に至る」
を拝見しました。
牧野さん、昨年はいろいろ教えていただき有り難うございました。
伊勢田さんは、アメリカで越年ですか? ネットでしか存じ上げぬとはいえ
賀状も差し上げず、失礼いたしました。

さて、寝正月の老生、あまり、ヤヤコシイものは読めず、寝床で
寺田寅彦と岡潔の随筆や俳句集などを読みました。

牧野さんが引用した漱石の『猫』の登場人物、寒月君のモデルが
寺田寅彦ですが、実際の寅彦は写真で見ると、「首吊りの力学」
を語る寒月みたいな変人ではなく、実にハイカラでダンディな紳士です。
(もっとも、「首吊りの力学」というのは、漱石に
「なにか物理学で面白い話は無いか?」ときかれて、
寅彦が教えた論文(外国の雑誌に出たもの)がネタになっているのですが)

寺田寅彦の随筆は、科学のことは勿論、映画や藝術など多岐にわたり
ますが、日本文化に関するものも秀逸です。特に彼の俳句論、
連句論は、いま読んでも実にオリジナルですね。

正岡子規は、俳諧連歌の発句を「俳句」と呼んで、これだけを独立
させて連句のほうを無視しました。近代俳句は個人の「藝術」になり
真面目なものとなりましたが、俳諧「連歌」の社交性と遊び心を
失ってしまいました。「連歌や俳諧は藝術に非ず」というのが子規
の立場です。これに対して、寅彦は、音楽や映画のモンタージュ
理論などを援用して、連歌の面白さを再発見した人です。

正月3日のNHK教育テレビで「おもしろ短歌俳句塾」というのが
ありましたが、みなさんは御覧に成りましたか。あの番組の制作
スタッフから相談されて、わたしも僅かながら番組制作に協力
しました。俵万智さんの「連歌に挑戦」という企画です。

向井千秋さんが宇宙で詠んだ
「宙返り何度もできる無重力」という上の句
に、下の句を続けて下さい、という企画がありましたね。

千秋さんがやったのが連歌で、室町時代にまで遡ります。
二句で終わるものを「短連歌」と言いますが、
それに更に第3番目以後を続け、長句(5+7+5)と短句(7+7)
を交互に続けると、「鎖連歌」となります。
百句で終わるものを「百韻」
三六句で終わるものを「歌仙」と言います。
NHKでは時間の制約もあって、6句で挙句(あげく=最後の句)としました。
(「挙げ句の果てに」というのは連歌に由来します)

「歌仙の世界」角川書店 という連歌論の専門書がありますが
そこでは、寅彦の連歌論が国文学者によって引用されています。

面白いことに、この「歌仙の世界」では、数学者の岡潔と
国文学者の山本健吉の対談も載っていて、これも実に面白い。

岡潔は、「芭蕉は連句を読まなければその良さが解らない」といって
います。彼は、唯識などの仏教思想にも詳しく、独特の
連歌論を展開していますが、これは、心敬などの歌論の
伝統をきちんとふまえています。

(岡潔の名前は、黒木亭の常連ならご存じですよね?
老生も学生時代に、一松信さんの「多変数解析関数論」で
「岡の定理」というのを読んだ記憶があります。)

その岡潔ですが、小林秀雄との対談で、数学を「百姓仕事」
に譬えています。つまり、荒野を開墾して、種を蒔き、水をやり、
汗水垂らして作物が結実するのを辛抱強く待つ、「大地性」
が創造的作業には必要らしい。

「文化(culture)」という言葉は、、「耕す」というコトバに
由来するそうですが、ひょっとすると、これは
「文明」のようなハイカラなものじゃなくて、もっと泥臭い
汗水垂らした地味な作業を意味するのかも知れません。
他人の仕事を応用(流用?)して、速やかに結果を出そう
という精神では、「文明開化」はできても、本当に文化的な仕事は
出来ないようです。


PS
老生も、(才能も閃きも皆無ですが)連歌を嗜んで
おります。
http://www.win.ne.jp/~metanki/kadan/
で、「桃李歌壇」という、連歌のHPを開いておりますので
興味のあるかたは、是非、覗いてみて下さい。

Id: #a19990111105958  (reply, thread)
Date: Mon Jan 11 10:59:58 1999
Name: ふるかわ
Subject: 自然科学に限定する必要はないのはもちろんだけど

大'さん,適切な解説ありがとう.

わたしが「自然科学に限定」と提案したのは,そうした方が議論が発散しないだろうし, 少なくとも私や田崎さんをはじめとするこの場の何人かの人にとっては理解しやすい と思ったからです.社会科学に同様な問題がないとは思わないし, 議論が生産的に進むのならばなおさら自然科学に限定せずに 話をしてもらえたらと思います.

ただ,自然科学とか社会科学とかいった抽象的な言葉を振り回して, 現実の(具体的な)学問の営みを省みない無意味な議論はしてほしくない. (というか,抽象的な議論をするのは勝手だけれども,現実とのつながりを 示せないのならば無意味な意見として無視するしかない). 物理学でも化学でもいい,あるいは得意な社会学の分野でもいいから, 具体的な例を挙げて説明してほしいと言ったのはその意味です.

大'さんの感じるイライラは同じ気持ちのものと思っています.


Id: #a19990110150605  (reply, thread)
Date: Sun Jan 10 15:06:05 1999
Name: 牧野
Subject: 団栗のスタビリチーを論じて併せて天体の運行に至る

というのは、水島寒月君の論文タイトルなわけですが、こういうのは「文化」?

文化だとすれば、やっぱり田崎さんのするべきことってのは

ジターリングの回転を論じて非平衡統計力学に至る

とか、そんなのだったりして。

いや、猫とか読んでると、結構意識的だったのかなという気もするっていう、ただそれだけの話なんですが。


Id: #a19990110084416  (reply, thread)
Date: Sun Jan 10 08:44:16 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990109213724
Name: いなば
Subject: 議論を生産的にしたければ

 余計な憎まれ口を叩かないことだな。というと我が身に跳ね返ってくるが。
 議論は迷走しながらも一応田崎さんの問いへの応答の線で進行していて、あなたの介入が雑音として処理されつつあることは、おわかりでしょうか? 
 繰り返しになるが、田崎さんの言う意味での「文化」とあなたの言う「文化」は無関係じゃない(もちろん)けどカテゴリーが違うわけ。だからあなたがこの議論に介入したければ、きちんとその辺について処理しなきゃいけない。あなたは「些細な揚げ足取り」ととるかもしれないが、私にしても大’さんにしてもそこのところを問題にしてるわけで。
 田崎さんはものすごく具体的な、そしてプラクティカルな話をしてるわけ。自分の日々の仕事をどうしようか、っていう。それであなたは、もちろん物理学者じゃないんだからその悩みの具体的なディテールのおおかたは当然わかんないんだけど、自分の現場でその現場なりに同じような「寒さ」を感じることは当然あり得て、そのレベルで当然話ができる。
 だがあなたはメタの立場に立った、というか立とうとした。しかし見事にやり損なった。「自分はメタレベルの話をしますよ、そしてそのレベルの話は遂行レベルのお話とこれこれこういう関係がありますよ」ということをきちんとわかるように説明しなかったからだ。
 きちんとメタの立場に立って、つまり田崎さんの言う「文化」をあなたの言う「文化」へと還元して説明することはもちろん原理的には可能だけど、かなりの力技で、大変だ。それにそのやり方が生産的かどうか、私は疑っている。なぜなら、まああなたの言う「文化」って何なのかよくわからない……日常語としての「文化」以上の含みがあるようには思えないし、そんなんじゃ社会科学的分析概念としてはあんまり役に立たない。しかしたとえば文化人類学的な概念として使うとまたこれが、何しろあまりにも包括的な概念で、ルーマン流に言うと「コミュニケーション」だし、ブルデュー流なら「プラクシス」も「プラティーク」も全部含む? ウェーバー流に言えば「社会的行為」全部? そうなると下手をすると単純で小さなものを複雑で大きなものに還元するなんてバカな話になって、認識利得ないっす、全然。
 「いや私はそーゆーあほな話してるんじゃない」とおっしゃるだろう、もちろん。そりゃ主観的にはそうだろうさ。だけど、田崎さんの言う「文化」をあなたの「文化」概念に還元して説明して何か得があるとすれば、その前提として、以下の条件が成立していなければならない。つまり、あなたの「文化」概念は田崎さんのそれをその部分として包括しており、かつ、問題の包括的な「文化」のメカニズムは少数の原理、法則から簡明に説明可能だ、という。私はそこんところにものすごく疑念を抱いている。最近このボードで話題のSTSについても同様の疑念がある。つまり「生物学的還元主義」や「経済学的還元主義」はそれなりに成り立つが、社会学的還元主義は成り立たないんじゃないか、というか意味がないんじゃないか、と。文脈はかなりずれるけどルーマンがハーバーマスの「システム」対「生活世界」の二分法を批判するのも同じような問題を見て取っているからじゃないだろうか。
 今日のポストモダン文化研究のまっとうな部分というのは少なくともそこんところはよく自覚しているはずだ。少なくとも「文化還元主義」はとらず、「文化」なるものがいかにして構成されてきたか、をあくまも具体的に追究する。もちろん「文化」をそれでもって説明するところの別の何か……「権力」だったり「経済」だったりする、ま、いろいろだ……もまたさらなる解明の対象となり、まわり回ってまた「文化」にたどり着いたりもするんだが。
 つまり、あなたがメタレベルの迂回路をたどって田崎さんに応答したいんなら、その迂回路は爆弾と落とし穴でいっぱいだ、ということ。それこそ、戦後近代主義が批判の対象としての「日本」の実体化に荷担してしまったように。
Id: #a19990110073233  (reply, thread)
Date: Sun Jan 10 07:32:33 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990109165647
Name: いなば
Subject: ひょほほ

 ぼくちんげんちゃんとちがって(ひろおくんほどじゃないけど)ぜんいのかたまりだから、かわいそうなだれかさんをひっかけようなんておもってないのだ。
Id: #a19990109213724  (reply, thread)
Date: Sat Jan 09 21:37:24 1999
Name: 鳥居 美苗
Subject: あらあら。

どうして私の言ってないことまで私のせいになるんでしょうね。
細かいコメントに反応してると、本筋から逃げていると言われるし。
本筋すすめようとすると、些細な揚げ足取り始めるし。

これは2-3日様子をみて、この先どうなるか見てからにしましょうかね。

コリューシュ曰く、つまらない議論を止めさせる一番の方法は、とことんまで議論させることである、と。
でも見てますからね。御心配なく。
Id: #a19990109165647  (reply, thread)
Date: Sat Jan 09 16:56:47 1999
In-Reply-To: a0034.html#a19990109074457
Name: くろき げん
Subject: Re: 解説

これについて、いなばさんが答えちゃダメじゃないですか! (;_;) (それよりも、すぐに次のページに進むところにあんなの書いてしまったのは失敗だったな。) なるだけ単純な原理でああいうものを生成するという遊びはなかなか面白いと思うのですが、単純な原理で適切な具体例を挿入することって難しそうですね。それなりの雰囲気を出すだけでも不可能に近いような気がする。


Id: #a19990109160708  (reply, thread)
Date: Sat Jan 09 16:07:08 1999
Name: ブタネコ
Subject: 地球寒冷化?

温暖化が心配される地球ですが、何やらあちこちから、寒いぞって話しなので、茶々はなんでも2に書いてきたけど、表でローカルなホカロンを皆様に。
横浜の黄金町のシネマベティといえば、まあ場末の映画館。ここで『おどるマハラジャ』をまだやってる。インド映画なのに香港映画のサービスで源氏物語風の貴種流離箪。
あと、今日18時に茅ヶ崎市民会館でニューイヤーコンサート。メラニー・ホリデーとカルチコフスキー。
まあ、切符の売れ行きは不況風そのものだけど、みんなが文化的な消費を楽しまなきゃ、山形訳にあるトラップからでられないだろうし。
Id: #a19990109151821  (reply, thread)
Date: Sat Jan 09 15:18:21 1999
Name: 田崎 晴明
Subject: たしかに

確かにアメリカにはアメリカの問題があるのは知っています。 良く知らないけれど、きっとヨーロッパにも。

いなばさんの視点の拡大をそのままお借りして、ぼくは個人的な事情からアメリカに比べた日本の相対的な「寒さ」を自覚したが、それによってより大域的な「寒さ」をも感じつつあるのかもしれませんね、などと持っていって何となくまとめてしまいます。 大域的な「寒さ」ということでは、実際、・・・の事を考えてみると・・・などとやり出すと空回りして墓穴を掘るパターンになってしまっているので、自粛です。


Id: #a19990109145241  (reply, thread)
Date: Sat Jan 09 14:52:41 1999
In-Reply-To: a0035.html#a19990109131455
Name: いしい はるひこ
Subject: 確かにアメリカは天国ではないけど

中島さん:

土屋先生は, 土屋-蟹江の仕事のずっと以前から物理の勉強をされていて, 結 局あのように果実が実るまでに10年以上の歳月がかかったと聞いています. こ れは, 日本だから可能であったことで, 論文を量産しなければ職を失うような アメリカでは難しかったのではないでしょうか.

僕はアメリカの大学院で生物学を専攻しているのですが、こちらでは、教授が結果をだすように強く圧力をかけてくるし、腰をすえて自分でじっくり物事を考えるよりも、追いたてられるような感じは確かにします。流行を追うという傾向もあると思いますし。立花隆の「百億年の旅」(だったかな?)の中の阪大の柳田敏男先生の紹介で、技官の身分で大学に残って研究を続けた、とか「三年間は論文を書くな」とポスドクに言っているとかいうのを読むと、こういうのは日本だからこそ可能だなと思います。

それから、ちょっと違うけど、こんな(まえおきが長いけど) 話もあるし、日本の研究者の中には知識や技術の幅が異様に広い人がいるような印象は漠然とあります。

ただ、数学や理論物理といった分野は、日本である程度昔から盛んでレベルも高いと思うんです。でも分子生物学について言うと、日本国内の研究者にも優秀な人はたくさんいるけど、まだ点々で、それに比べるとアメリカは圧倒的に層が厚いというか、裾野が広い感じがします。それで、その中に他の人が考えないことをやってポコポコ当たりくじをひいてしまう人も出てくるような気がする。何か「文化」というより「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」みたいな話ですけど。もちろん、その分はずれくじを引く悲惨な人もたくさん出てきてしまいますが。


Id: #a19990109131455  (reply, thread)
Date: Sat Jan 09 13:14:55 1999
In-Reply-To: a0034.html#a19990108143856
Name: 中島 啓
Subject: 私, やっぱり日本の味方です

> 共形場の理論の場合には、まず始めに、物理の中で、統計物理的なアプローチ
> と(いわゆる)素粒子論的なアプローチが交流するところから爆発的な発展の
> きっかけになって、ほぼ一気に数理的な人たちも巻き込む形で進んだのだろう
> と漠然と理解しています。
(以下引用略)

共形場理論については, 黒木さんにご意見を書いていただくことを再度お願い
して私が書くことは致しませんが, 一つだけ.

土屋先生は, 土屋-蟹江の仕事のずっと以前から物理の勉強をされていて, 結
局あのように果実が実るまでに10年以上の歳月がかかったと聞いています. こ
れは, 日本だから可能であったことで, 論文を量産しなければ職を失うような
アメリカでは難しかったのではないでしょうか.

> 何か新しいことを始めようという場合、あるいは、これから研究を始める人た
> ちがどのように育っていくかというようなことを考える場合には、どういう
> 「空気」に囲まれているかという事がかなり大切なのではないかと感じている
> ということです。

これは私も大変感じることです. ただ, そこから私が思うことは田崎さんと全
く逆で, アメリカのやり方では駄目で, 日本のやり方こそ正しい. そしてその
理由は, アメリカの数学には「文化」がないからです.

なぜ文化がないと思ったか, といいますと,

1. 「論文を書く」=「自分の定理を提出する」ことに忙しく, 他人の論文を真
面目に読もうとしない.

日本ほど他人の論文をよく読んでいる国は少ないというのが私の印象です. 旧
ソ連でもよく読まれていたようですが...

2. 博士論文のテーマは, 指導教官の研究テーマの周辺から選ばれる.

日本だと, 少なくとも少し前までは指導教官とは違うことをやる, というのが
普通でした.

3. 助手がいない.

日本の数学の助手と言うのは, (知らない人のために書きますが) 誰かを助け
ているわけではなくて, 完全に独立の研究者です. 講師以上との違いは, 教育
義務が軽減されていて, 研究に専念できるようになっていることです. 学振の
特別研究員との違いは..... これを書き出すと長くなるのでこの辺で止めます.
重点化以降, 助手のポストを減らして助教授以上のポストを増やす傾向がある
のは, 悲しいことです.

Id: #a19990109124005  (reply, thread)
Date: Sat Jan 09 12:40:05 1999
URL: BYW00552@nifty.ne.jp
Name: 梶谷懐
Subject: 中国
初めて投稿させていただきます。梶谷と申します。「中国経済」というものを専門に
している大学院生です。この掲示板を拝見するようになったのは最近のことです.
なにぶん手持ちの駒が少ないので通りすがりになってしまうかもしれませんがよろしく
お願いいたします。

ブタネコさんwrote:

>古堂さんが質問を投げかけてる中国ですが、『世界』が少数派文系知識人を連続
>して登場させる企画をしてたとき、なんかほんとに少数派ねってそうとう寒い
>感じがした。

『世界』の98年11・12月号に、ワン・フイという人の「グローバル化中の
中国の自己変革を目指して」という長ったらしい名前の論文(わたしは『戦争論』の
特集を読むために12月号を買っただけなのでちゃんと読んではいないのですが)が
載っていますが、彼なんかもそういう「少数派」の一人だと思います。
この人は、留学か客員教授だかでイェール大学に長らく在籍していた人で、向うでは
柄谷行人や酒井直樹なんかとも親交があったそうです。
  わたしが彼のことを知ったのはわたしが北京に留学していた一昨年の暮れ
に、ちょうど同時期に客員教授として北京に在住されていた大東文化大学の溝口
雄三先生(中国思想史の大御所ですな)のコーディネートで「知の共同体」という
シンポジュウムが開かれたことがあり、そこにパネラーとして参加されていたのを見た
のがきっかけでした。中国版「知識人と大衆」といった問題や、「西洋の言葉でなく、
アジアの言葉でわれわれの問題を語ることは可能か」といった問題がそれなりの切実感
をもって語られていて、非常に新鮮な印象を受けたのを覚えています。
  さて、彼ら「少数派」知識人の少数たるゆえんですが、それは結局、少々不遜な言い
方になりますが「現在、あの国で知識人などというものをやっていることに対する
真っ当なペシミズム」というものを感じているどうか(「寒さ」に対して敏感かどう
か)、という点にあるような気がします。
  これは実際に中国のインテリと付き合ってみると如実に感じられます。『世界』の
論文の中でワン氏は「市場経済が成熟していけば政治的民主もおまけで転がり込んで
くるんだ」という考えを徹底的に批判していましたが、彼らの認識というのは
まさにそのレベル。「今は日本の方が多少進んでいるが、そのうち中国も・・」
というパターンですね。まあ、これはわたしの専門上経済系の人と付き合う機会が多
かったからなのかもしれませんが・・もちろん、知識人の中にはある程度そういった
「寒さ」に対する感覚を有していながら、社会的な地位を確保するためにそれを「隠
して」いる人も一定程度は存在すると思うのですが、それならそうで「隠れキリシタン」
であることのペシミズムがもう少しにじみ出てもいいように思うのですが・・
  というわけで、わたしには竹内好の強調する魯迅の「絶望的暗さ」は中国知識人の
歴史の中でもごくごく例外的なもので、結局魯迅の個人的資質に帰せられるもので
しかないんではないか、つまり「絶望的暗さを体現しているがゆえにとてつもなく
偉大な魯迅、を生んだ中国はとてつもなく偉大だ」という竹内の論理展開ははじめから
無理があったたのではないか、という気がします。所詮は歴史の後知恵かも知れません
けど・・

Id: #a19990109095734  (reply, thread)
Date: Sat Jan 09 09:57:34 1999
Name: いなば
Subject: おおしまった。

何を勘違いしていたのか、ここには「和田さん」なんて登場してないや。牧野さんの間違いね。失礼しました。それにしても誰と間違えたんや。

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管理者: 黒木 玄  <kuroki@math.tohoku.ac.jp>  (Web Site)
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