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黒木のなんでも掲示板 (0033)

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Id: #a19990106234324  (reply, thread)
Date: Wed Jan 06 23:43:24 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990105135718
Name: くろき げん
Subject: 「大森なんでも伝言板」における電子出版に関する話

鳥居美苗さん、はじめまして。今後もよろしく。

山形さんが「大森掲示板ではもっときちんとした論理展開ができていたのに」と言っているのは、おそらく大森なんでも伝言板1998年12月31日の鳥居さんの発言以降の「電子出版」に関する話のことなのでしょう。その議論は建設的で有益なのでおすすめなのだ。 (こちらの議論はまだちゃんと読んでないのだ。)

鳥居さんが言っているように、あの "Chapitre Un" ってのは便利ですよねえ。 (例えば Chapitre Un de Impostures Intellectuellesその英語版。) こういう試みは日本でも流行して欲しいのだ。


Id: #a19990106230205  (reply, thread)
Date: Wed Jan 06 23:02:05 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990106205626
Name: 鳥居 美苗
Subject: Naturally Social

戴いた質問には後できちんと答えるつもりです。

ただ、逆に一つ質問。

社会科学と自然科学が違うとしたら、何が違うのでしょうか。
その前提にたっている方が多いようですが。
これもかなり本質的な問題ですよね。

ちなみに、社会学の父オーギュスト・コントは「社会学はすべての科学の頂点に立つ」と言っています。これは身びいきが過ぎると言うものだと思いますけれども。
Id: #a19990106221819  (reply, thread)
Date: Wed Jan 06 22:18:19 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990106203528
Name: くろき げん
Subject: 山形浩生訳クルーグマン

「山形訳クルーグマン」は私も読みました。

ポール・クルーグマン著、山形浩生訳、『クルーグマン教授の経済入門』 ("The Age of Diminished Expectations: U.S. Economic Policy in the 1990s", 3rd Edition, 1997)、発行・メディアワークス、発売・主婦の友社、2200円

訳者による「あとがきと解説とか、そんなもの」の p.372 によると、 1st Edition の訳が、長谷川慶太郎監訳、『予測――90年代、アメリカ経済はどう変わるか』、TBSブリタニカとして出ているようです。 1st Edition から 3rd Edtion への主な変更点については、「特に第4部のファイナンスがらみの部分がたくさん変わっているのと、ヘルスケアの章がつけ加わった」ことで、「あとはちょっとした加筆にとどまっている」と書いてあります(もちろん訳文は完全に異なる)。訳者がここまで説明しているのだから、「詐欺」というの単なる中傷に過ぎないよね。 (私は匿名という安全な立場から行なわれる中傷が嫌いです。やるなら自分自身がどこの何者か名乗ってからやれ。「山形訳クルーグマン読んだぞ」さんには態度を改めてもらいたいですな。)

ええと、『クルーグマン教授の経済入門』は大変良い本なので、誰にでもすすめられます。あの訳文のおかげで、気楽にゲラゲラ笑いながら読めて、しかも、現在の経済に対する1つのクリアな視点を得ることができるのだ。皆騒いでいるわりに実はそれほど重要でない問題がたくさんあること、それでは何が重要な問題なのか、それらに関して何がわかっていて何がわかってないか、について正直でかつ明確な説明があります。

この本の日本における商品価値が高まるように、訳者が様々な工夫をしている点も良いですよね。多くの訳者註とおまけの解説、 3rd Edition では削られてしまった「企業ファイナンス」の節の訳がおまけで付いてくること、さらに、番外編としてクルーグマンが1998年5月に書いた「日本の果てしない不景気についての試論」 ("Japan's Trap") の訳まで付いてくるのだ。 (この試論は新聞でも話題になっていましたよね。) このようなサービス精神は高く評価されるべきだと思います。


Id: #a19990106205626  (reply, thread)
Date: Wed Jan 06 20:56:26 1999
Name: ふるかわ
Subject: 鳥居さんに2つほど質問

田崎さんは科学という言葉を自然科学の意味で使っているので私もそれに倣います. また問題点が発散するのを防ぐため,自然科学に話題を限らせてもらいたい. (鳥居さんは自然科学でも社会科学でも同じ問題があるとおっしゃってるので, 自然科学に話を限ってもなんら問題はないわけですよね?).

さて鳥居さんは文化的混乱を解決するのが重要だとおっしゃる. ところがいったいぜんたい,どんな混乱があるのか, 鳥居さんの文章を何度読んでもまったくわかりません. そこでお聞きしたいのですが,

日本の自然科学においてどのような混乱があるのか, 具体例を挙げて説明して頂けませんか.
具体例を聞けば少しは納得できるように思います. 具体的というのは,そうですね,たとえば日本の物理学 (あるいは化学でも生物学でもいいですが)においてどのような 文化的混乱があるのか説明してほしいということです.

さて田崎さんの「日本の科学には文化がないのが問題だ」という意見は実に具体的で 切実な問題提起です.具体例を挙げろといわれたら簡単に出せます. (実際山形さんが例を挙げて説明してくださってますが). そこで鳥居さんにもう一つ質問なのですが,

鳥居さんは,田崎さんの「日本の科学には文化がないのが問題だ」という発言と 同じ土俵で(すなわち田崎さんの示した問題意識を共有した上で)自分なりの 意見を述べたいのですか? それとも田崎さんの意見とはまったく無関係に(単に「日本」「文化」「科学」 というキーワードだけが共通の)別個の議論を提供したいのですか?
もし前者ならば(すなわち田崎さんの意見となんらかのつながりがあるのを 前提としての意見ならば)鳥居さんは完全にちぐはぐで無意味な議論をなさって います.もし後者ならば(それはそれでかまわないのですが)そのことを もっと他の読者に対して明確にした方が良いと思いますよ. そうしたらまったく独立した話題なんだなと思って鳥居さんの掲示を読みますので.
Id: #a19990106203528  (reply, thread)
Date: Wed Jan 06 20:35:28 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990106123322
Name: 山形訳クルーグマン読んだぞ
Subject: あほ訳

うーん、山形訳の「クルーグマン教授の経済入門」を、タイトルに 引かれてなんとなしに買って読んだのだけど、訳がひどすぎるね。 憤慨してたら、たまたま当の本人が登場しておられるので一言苦言を 言わせてもらいます。 昔出た本「90年代アメリカ経済はどうなるか」(だったかな)の 焼き直しならちゃんと帯にそう書いておけっての。 これは、立派な詐欺だね。
Id: #a19990106193707  (reply, thread)
Date: Wed Jan 06 19:37:07 1999
In-Reply-To: b0007.html#b19981230031939
Name: 原 隆
Subject: 訂正!(Ross さんに申し訳ない)

皆様,あけましておめでとうございます. 以前,一度だけ Sokal affair について 書いたことのある原です.

この掲示板は時々読ませていただいてますが, なにぶん物凄い速度で増殖していってるので,なかなか follow しきれていません. たまたま年が明けて,虫の知らせと言うか「なんでも2」を覗いてみたら,私の 以前の記事がしっかり 引用されていました. どうも気になったので調べてしてみたら(あまり電子化されていない人間なので 案外大変でした), 事実関係に誤りがあることがわかりました. おわびして訂正します.(山根さん,この機会を与えて下さったことを感謝します.)

以前私は大体

(確か Ross だと思うが) 「こんな題名の論文書いてるやつがマトモなはず有 るか」と罵倒されたことが あります.(彼は Alan の論文をランダムに2つ選んだつもりだったのだろうが, たまたま私との共著論 文だったわけ.)

と言うようなことを書きました (原文はここの最後の部分). 「こんな題名の論文書いてるやつがマトモなはず有 るか」とは(まあ訳のニュアンスはひとそれぞれだろうが) 確かに言われたのですが,実はこれを言ったのは Ross では なく

Rutgers の Bruce Robbins と言う人

です. (彼の発言は「Tikkun」という雑誌に載ったはずで, その Web version はここから読めます.) これはかなり重要な間違いで,Ross さんにとんだ濡れ衣を着せたことに なってしまいました. 皆さんにも過った情報を流してしまい,申し訳なく思います. 深くおわびし,訂正させていただきます. やっぱ記憶だけで書くんじゃなかった.おはずかしいです.


Id: #a19990106192315  (reply, thread)
Date: Wed Jan 06 19:23:15 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990106180146
Name: 鳥居 美苗
Subject: 良くあるのは確か。

あら、このあたり私の意見とおんなじですよ。

わたしは「違うのは事実」とは言いましたけれど、「違うんだからそれでいい」と言ったつもりはありませんけれど。(言っていたら指摘して下さい。訂正します。)

Id: #a19990106180146  (reply, thread)
Date: Wed Jan 06 18:01:46 1999
Name: 八木
Subject: 良くあるみっともない文化相対論

これで検索かけた、夏頃にちょっとあったこの辺から始まる話とか、関係アリヤナシヤ。


Id: #a19990106155001  (reply, thread)
Date: Wed Jan 06 15:50:01 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990106113022
Name: 鳥居 美苗
Subject: では、何を持っておばさんとするのかしら

山形さま

予定通り手の手術をしたので、きちんとした反論は数日猶予して下さい。
片手でタイプするのは難しいものです。

確かに私の最初のコメントを書いた時に、誤読があったことは認めます。

個人と文化については、一人の人間の作品(つまり個々の現象として)の文学と、集団における(構造化した)伝承の研究は本質的に違うと申し上げたかったまで。民話の社会科学的研究はケーススタディではないという、ごく単純な事実を指摘しただけです。
あなたも人の文章を冷静にお読みになっていますか、おちびちゃん?

わたしが他人の意見を引用しがちなのは事実です。
けれども、くり返すものにはなんらかの理由があるものですよ。
もし良くあるみっともない文化相対論がくり返されるなら、なぜ繰り替えされるのかにも意味があるのです。
よくある、はともかく、どこがどうみっともないのか筋立てて反論なさい。

結果だけとってオッケーとするだけじゃなくて、それをそもそも考えよう とする思想とか、好奇心のうごめきとか、理論的な構築性を求める心とか、そういうのがちゃんと教育としても教えられてないし、研究者としてもそれを追求しようとする部分があまりに小さいんじゃないか。

それこそ、私も感じているところです。
科学は自然科学の専売特許ではないことはお分かりになっていますよね。
聞き齧ったようなお題目、かどうか、それは社会科学系の方に決めて頂きましょう。
あなたの言葉の端々にも、それこそ良くある「これだから○○は(おばさんは、かしら)たまんない」という捨て台詞が見えかくれしているようでなりません。

NGOの通訳をしていると、文化の混乱が如何に多くの人を苦しめているかわかります。それはもちろん日本などましな方で、命を危険にさらされている人たちがいながら・抑圧する側が外交的な弁説を繰り広げるが故に、残念ながら最も力を持つ西洋社会の代表者達が問題をそれこそ「表面的に」理解して本当の問題は蓋もあけずにお蔵入り、というケースがとても多いのです。
それこそ、社会科学者が理論的に問題を追求する姿勢が求められているわけ。つまり、科学における文化。
それと文化を研究することは別次元の問題、というのは言うまでもなくお分かりのはずです。

小説にしても研究にしても、しょせんはそれを行うものの魂の底からの欲求がない限り、たんなる現象の弄びに過ぎません。
私がコメントを書いたのは、分野こそ違えおなじ欲求を抱えている人がいるのだと感じたからです。そして、社会科学的手法が、少しでもその「問題」に解決方法を与えるのではないか、と信じたから。それについての会話ができることを望んでいたから、厳しい批判でも嬉しいのです。
わたしが「楽しんでいる」というのを、文字どおりにとるほど、あなたも表面的ではないでしょうけれどね。

なんだかんだ言って長くなりました。
社会科学的反論は、管理者の黒木さまに迷惑でなければ、数日後に。

そうそう、「おばさん」という表面的批判文句を、論理的に説明しておいてはくださらないかしら?
Id: #a19990106123322  (reply, thread)
Date: Wed Jan 06 12:33:22 1999
Name: ブタネコ
Subject: 福島瑞穂

福島瑞穂って、頭のいい田舎の小学校の女の子のカワイサをずっと売りにしている。成田さんのころの社会党は万年大学生でよかったけど、今や万年小学生。
自由党の一郎君には、いつもピタッてよりそう、こわいバアサンの元女優の代議士がいるよね。嫌煙論者の僕も、彼女の昔の映画でたばこを吸うときの手のしぐさなど覚えていて、あたしもこういう老婆になりたいという、全国の老婆票をかなりあつめてるんでは。
ついでに被告人のY氏の年齢はバカ売れの経済の翻訳でも見ればよいでしょうが、なぜか都会の私立エリート高校生が、人間性回復の努力か?ピアスなぞ土人ルックをされてますな〜。
で、瑞穂ちゃんには竹村君という政策秘書がいて、彼は田舎の高校生で、しっかりした数学の学力をしている。
福島といっても、一番こまる福島で、東京電力の福島原発で冷却水を循環させるポンプの羽車が壊れ、パイプ内に散らばった。
会社は真実の断面図とうその体積を発表したが、田舎の高校生はパップスギュルダンの定理を使い、もっとおおくの断片が飛び散っていると結論した。
以前ワイルのチューブ定理で紹介したベルジェの微分幾何はチューブ定理の隣が大学生版のギュルダンの定理。
Id: #a19990106113022  (reply, thread)
Date: Wed Jan 06 11:30:22 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990105184850
Name: 山形浩生
Subject: 「おばさんとは、年齢ではなく精神のあり方である」――ナントカ・ウルマン(うそ)

鳥居さん。

> 私の一番の誤りは、急いでややこしい理論を数行の文にまとめようとして
> しまったことでした。

 ぜんぜんちがうよ。

 あなたのいちばんの誤りは、人の話をちゃんと読まないこと。
 「私も日本に文化がないと言った覚えはありません。」なんてだれも言ってない話にいきなり反論してしまうとか。小波さんの山椒太夫の話だって、個人と社会なんていうどうでもいい話がしたいわけじゃないぞ。そしてこれと関連して、そもそもの「科学と文化」というお題があなたはぜんぜん読めてない。これについては後述。

 あなたの二番目の誤りは、人にわかるような説明が書けないこと。海法さんは、あなたのやった支離滅裂な説明を、それなりにまとまった整合性のある説明にしてる。あなたがあの半分でもきちんと書いてくれていれば、ぼくのごたくの半分くらいは不要だったの。ところがさらにあなたは、二元論というのが一線上にすべてを並べて、とかいう、さらにわけわからん説明をして、なにか達成したような気分になってる。

 そしていちばんでかいのが、最初のポイントとも関わるんだけれど、あなたそもそもの話がちゃんと読めていないってこと。どっかで聞いたお題目ですべて片づけようとすること。暗記した抽象的な「問題」でしか考えられないこと。

 田崎さんが、日本の科学は「文化」を欠いてて困ったもんだ、というとき、それはとっても具体的なことを考えている。たとえば技術は教えられる。ボイル・シャルルの法則を暗記させたり、カルノーサイクルの説明をしたりはまあできる。で、実験してそれを証明しましょうとか、導きましょうとかいう話も日本の科学はできる。でも、それだけじゃ足りないんだ、というのが田崎さんの実感としてあるの。そういう結果だけとってオッケーとするだけじゃなくて、それをそもそも考えようとする思想とか、好奇心のうごめきとか、理論的な構築性を求める心とか、そういうのがちゃんと教育としても教えられてないし、研究者としてもそれを追求しようとする部分があまりに小さいんじゃないか。「文化」っていってるのは、とっても表面的な部分ではそういうことなの。

 それは研究者たちにとってはすごく切実な問題なわけ。そしてそれに対して何らかの指針が出てくれば、それはみんなの活動に大きな影響を与える。ぼくはただの実務屋だけれど、ぼくの仕事にすら、たぶんそれなりに影響はあるのが見える。

 発言の順序としては逆だけれど、牧野さんの「そんな文化なんていらないんじゃないですか」といういいぐさは、とってもシニカルではあって、反発を感じる人も多いんだけれど、それでもかれはちゃんと田崎さんの言うようなポイントは理解している。そのうえで、そんなの別にいらなんじゃない、と言ってるわけ。ぼくを含めて多くの人は「てやんでぇ」とは思うけれど、でもそこにはある種の真理があって、まだだれもそれにきちんと反論できない。くやしいけど。

 ところがあなたは、こういう具体的なかれらの悩みってものを、まったく具体的に理解してない。「科学」+「文化」+「日本」=ああ、それならこのテーマ、というわけで、どっかで聞きかじってきたようなお題目をちゃちゃっと並べてくれる。小波さんの山椒太夫の話についてだって、「個人と社会ですね」とできあいのテーマにあてはめてことたれりとしちゃう。もうあなたにとって、答えは出ちゃってるわけだ。「西洋科学の文化ですか。ああそれは二元論と自己支配ですね」。そしてそれに続いて、あなたは延々と自分のお勉強成果の開陳を続けるだけ。ちがうの。あなたはとっても勉強熱心な秀才なんだろうけれど、でもぜんぜんちがうの。ここでしてるのはそんなレベルの話じゃないの。二元論でも自己支配でもいいんだけど、それは田崎さんたちの感じてる問題意識とはぜんぜんちがうの。かれらにとっては、それは具体的に、現場の研究者・教育者として、実践的に直面し、解決しなきゃいけない問題なの。二元論に自己支配ですね、なーんて言われたところで、ここでの議論にはクソの役にもたたないの。

 だから小波さんは、「もっとまともな議論をしてくれ」と言うわけ。ぼくもいらだつ。さらに多くの人は、あなたの主張なり研究の方向性が、最終的にはよくあるみっともない文化相対論を強化するだけだな、というのを感じていると思う。これは勘違いかもしれない。どこかで大化けしてくれるかもしれない。でも、いまあなたが嬉しそうに書いている話からは、そういう兆候は読みとれない。いずれそこそこの賢げな論文を出して、どっかで講師か助教授くらいになって、そして/あるいは便利な社会コメンテーターみたいな役割で、人権は、とか女性の地位は、とか差別は、とか土着文化の保護、とか唱えてる、たとえば福島瑞穂みたいな人になっちゃうんじゃないかな、という感じなの。

 ちなみに人の話をあまりきかず、自分の意見もちゃんと説明できずに、できあいのどっかで読んだキャッチフレーズに話を落とすのが大事で、ろくにわかってない話にくちばしをつっこんで、しゃべるのは自分のことばかりで、しかも女――そういうのを、世間的にはおばさんと言って問題ないと思うんだが、しかしこれは別に議論したいわけじゃなくて(だれが議論してるの? 繰り返すけど、ちゃんと読んでね)、単に決めつけているだけなので、ここんとこは無視して結構。気に障ったらごめんね。


Id: #a19990105184850  (reply, thread)
Date: Tue Jan 05 18:48:50 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990105172257
Name: 鳥居 美苗
Subject: またまた危険な言い方してしまいました。

あ、かなり厳しい言い方がいっぱい。
うれしいですね。この方が張り合いがあって。
でも、「おばさん」は議論ではないと思いますけれど。山形さん、あなた、お年はいくつ?
確かに、意図していないながら「日本には文化がない」という意味の文を書いていました。これについては訂正かつおわびします。

私の一番の誤りは、急いでややこしい理論を数行の文にまとめようとしてしまったことでした。このあたり、何千と言う人類学者が何十年かかってもまとまらないところですのにね。軽率な行為は、これもおわびします。

ただ、近代文化(つまり、西洋文化)がなかった頃のほうが、客観的に見て今より「まし」だったと思われる点はかなりあります。これは私よりジャワハールラル・ネルーがうまく表現していると思うので(というか、天と地の差ですな)、そちらをお読みになって下さい。
それでも、私もネルーの意見に賛成で、「だから昔に帰ればいい」等とは言いません。混乱を解決して、よりよい(このあたり大森掲示板でもした「まし」か「正しい」かの議論ですが)社会を実現するのが私達の義務であると思います。
日本の科学に「文化」を持たせ得るとしたら、この混乱の解決が第一歩であり、それは自然科学だろうと社会科学だろうと同じです。

民話にかんしては、これだけで1年かかる講議なのであまり深入りせずにまとめたいところです。

二元論が差別の温床、というのは、二元論(つまり、私が意図していたのは一番いいから一番悪いまで一列に並べる、と言う意味です。言葉が間違っていたならごめんなさい)のばあい、一ケ所に線を引いて「はいここまで」が簡単なわけです。「ここ」の決め方が極めて単純なので、それが単純な形で差別を生みうるということが言いたかったまで。逆に、この単純な理由付けに対する反論も単純ですむので、差別の解決も比較的(あくまで比較的)簡単です。ただ、今は複雑化しつつありますが。オリエンタリズムの問題ですね。

もちろん日本にも差別はありました。日本史をやっていなくてもそれくらい誰だって知っています。ただ、差別の性質が違います。日本では「違い」そのものが差別になるので、その違いの位置付けは問題になりません。「いい悪い」の差別でない、と言うことは、存在すべてが差別の対象になると言うことで、この点が現代では危機をはらんでいるわけです。
ただし「差別された社会」が、それ自体の中ではある程度の自立を保っていたのも事実ではないでしょうか。私は部落問題にはそれほど詳しくありませんが、女性の地位が思ったほど低くなかったのは皆様御存じのはずです。
また、帰化人の地位が比較的高かったことも上げておかなくてはなりません。
いずれにしても、日本と西洋の社会構造はそれぞれ異なる理由で比較的差別を誘発しやすいのですが、日本が西洋の価値観を半端に取り入れた挙げ句、日本の現状がさらに悪化したのは事実ではありませんか。一方、西洋では二元化し、原理主義(宗教的なもの、人種的なものいずれも。)と博愛主義の両極端に割れつつあります。ただ、私自身は原理主義を生んだとは言え博愛主義を生んだことで、西洋社会自身の罪は購われたと思うのですが。もちろんそこで満足されてはならないのですが、それは基本的に個人の問題です。

桃太郎は現実の世界に凱旋しましたけれども、鬼の子小綱は鬼の本性にたえきれず自ら命を断ちます。葛の葉は阿倍保名のもとを去り、蛇の夫は妻にいたずらに針を挿されて殺され、田を潤した猿は妻の名を呼びながら溺れ、その妻はしてやったりとけなし言葉を投げかけます。異類婚のないヨーロッパは別として、その他の社会の例とくらべて日本の民話は自分には感心がありますが、異類には驚くほど無関心です。これは私のというよりむしろ多くの民話学者の感想。
父と子と聖霊は、ローマ人が勝手に公会議で決めた(というと、また叱られそうですが、簡単に言うと)ものですが、いずれも父なる神の権威を認めて初めて成立します。まあ、ヨーロッパ人に言わせると「ヨーロッパには聖人信仰があるから一神教じゃない」なんて議論になってしまうのですが。これ、本当にうちの偉い(らしい)教授が主張しているんです。

人類学と社会学のアプローチは違っても、個人の歴史にたいしてはほとんど無力なのは事実ですね、小波さま。人類学は「違い」を探し、社会学は「共通点」を探す、というものの、単位はつねに団体です。
ただ、だから社会科学が無力だとか、個人が無意味だとか言えないところが本当のジレンマです。お察しの通り。
ただ、個人ではなく大衆がくり返し語ってきたもののパターンは社会という「単位」の内部構造を反映しているもので、いわゆるフンボルトの「民族の魂」の歴史をかなり正確に反映しているのも事実です。
人の心をたった一人でうつほどの力のある個人の歴史には、ただただ脱帽するしかありません。またそのあたりの分析は、文学者に任せます。
社会科学者の介入は、その現象が複数回、規則的に起こるようになった時点からに限られてしまいます。

それにしても私の不用意な一言が面白い展開になってきて、個人的には楽しんでいますので、批判が感情的にならない限りはどんどん手厳しくおっしゃって下さい。それができるのが電子メディアの良いところです。
ただ、変な形で巻き込んでしまった田崎さまにはおわびしたいと思います。
Id: #a19990105172257  (reply, thread)
Date: Tue Jan 05 17:22:57 1999
Name: 小波
Subject: 説話伝承の読み方

ふじたあさやという劇作家がいます。65歳のベテランで、 一昨年千田是也が亡くなったときに劇作家協会の代表を継いだ人。 その父親の藤田昌親氏は戦争中に中央公論の編集長で、軍部に弾圧されて 投獄され(横浜事件)、戦後ずっと裁判を闘ってきた。息子の朝也氏 はその父の亡くなる前の年(96年)に「村井家の人々」と いう戯曲で戦中戦後のこの国の歴史を問うた。

そのふじたさんのこの10年の活躍は目覚ましく、信太妻伝説をとりあげた 「しのだづま考」を前進座に書き、 次に中西和久という筑豊のドサ回り劇団の座長の息子の名優が一人芝居でそれを 演じて、90年の芸術祭賞をとった。一昨年の新国立劇場でもやってたし、 ETVの芸術劇場でもやったから知っている人は知っているはず。
この戯曲では、信太の森で狩人に追われた狐が、たまたまそこに庵を構えて いた安部の末裔に助けられ、それを恩として安部の妻になる。 人間と狐の間に生まれた息子は摩訶不思議な神通力を持ち、 やがて都に上って帝の占い師と占いくらべをやってついに権勢を得た。 その立身出世とうらはらに、母たる狐の子を思う哀しみの情が最後に 舞われてとじる、演劇としても傑作。が、この戯曲を見ていくうちに、 我々は日本中世文化における聖俗と差別の深淵に思い至らせられ、 いいようのない感慨を持って劇場を去るという仕掛け。

97年には山椒太夫の説話を題材にして、やはり中西の独り舞台「山椒太夫」が生まれた。 主人公、と言っても一人芝居だから他の役者はいないのだが、その時は狂言回しとして 森鴎外作の「山椒太夫」岩波文庫版を手にして、さわりをちょっと朗読したあと、 鴎外の近代主義的な物語の虚構を、つぎつぎに繰り出される伝統芸能、たとえば 加賀のごぜ唄の弾き語りや講談や笛や舞の中で、これでもかこれでもかと つきくずして行く。見ていた私は、厨子王が仇の山椒太夫に報復を遂げる 場面で、日本の下層民の心に積み重なった怨念の物凄さを思って身の毛がよだった。

社会学が伝承や説話を題材にするのはそれはそれでまっとうな研究手法であろう。 しかし、日本近現代史の苦闘を父親とともに 生きようとしたふじたが、各地の説教節や伝承を訪ね歩いて聞き、読み解いて、 さらに民族芸能の隅々まで通暁したその上で書いた戯曲が、 まさに土座回り役者に演じられるのを見たりすると、はっきり言って、 民話をケーススタディの材料として思い込みを投影するような論文に何程の 真実があるのかと思ってしまう。

とまあ、えらくきつい書き方ですが、私は社会学畑の人間ではないので、 文学の真実と学問の意味をごちゃごちゃにしてるかも知れません。ともあれ 勉強していい仕事をして下さい。


Id: #a19990105162145  (reply, thread)
Date: Tue Jan 05 16:21:45 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990105031047
Name: 海法 紀光
Subject: 二元論とカテゴリー

 AでなければB…というのは、やっぱりAと非Aのどちらかに収まるという排中律の意味と取ります。
 それでいけば、ある存在aは、基準Aについては、非Aに分類されるが、基準BではBに入り、基準Cでは、非Cに入る可能性がある。そしてまたいつか新たな基準Dが見つかるかもしれない。
 存在aは、複数のカテゴリー分けを内在している。A,B,Cをhumanityという基準とすれば、aはhumanに入ったり入らなかったりする。人種が違うとhumanでないとか、それでもhumanであるとか、あるいはイルカも人間も同じhumanだとかそういう認定も可能になる。しかもその差は論破が可能であることが(一応)保証されている。これが平準化する二元主義。

 けれど、日本の場合、常にA、B、C…という多元で捉えて発展がないので、いったんCに入れられたものは常にCであり、C以外の何物でもないわけであり、個々の存在は、常に一つのカテゴリーしか持たない。故に非人間と分類された場合、永遠に非人間であり、しかもその根拠は論理じゃないんで論破もできない。これは日本的差別の一端。

 で、近代になって「自然は恵み深いので」が「人間は万能なので」に変わったおかげで、昔はあった自然に対する畏敬や遠慮会釈は消え失せてポイ捨てがさらに強化された上で、かつ、自然は自然、人間は人間なので、西洋においては存在しうる「同じ生き物なのだから…」というようなカテゴリー分けに基づくブレーキもなく、その結果、自然破壊等の矛盾が起きツケが巡ってきた。

 …という解釈でよろしいのでしょうか?>鳥居さん

 だとすると一記事としての論理は完結するのですが。
Id: #a19990105142909  (reply, thread)
Date: Tue Jan 05 14:29:09 1999
Name: 田崎 晴明
Subject: 舌足らずで申し訳ありませんでした

「自然科学における『文化』の不在」などという本質的な話題を詳しい背景の説明なしに持ち出してしまったのは、ぼくの失敗でした。 自然科学の状況に深く通じていらっしゃる方たちには、ぼくの言わんとした事は通じたようですが、明らかに誤解を招きやすい書き方だったと思います。 すみません。

「自然科学における『文化』」の事は、科学を愛する一人の人間として、また、 日本で暮らす職業科学者として、常に切実に感じている問題です。 いずれ、時間があれば、じっくりと議論したいと思っています。 (誤解を避けるために言っておきますが、ぼくがいう「自然科学における『文化』」というのは、科学者が文化的なエッセイを書くとかいう皮相的な話ではなくて、科学のそのもののあり方に関わるような(少なくともぼくには)本質的な問題のことです。)


Id: #a19990105140150  (reply, thread)
Date: Tue Jan 05 14:01:50 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990104210944
Name: 八木
Subject: 鶴女房は鶴

だんだん、話をずらして行くんですが(^^;)

日本の場合には多元論が支配している上、それぞれのカテゴリーは本質的で変更不可、というおそろしい発想があります。つまり、人間は人間、猿は猿、鶴女房は鶴(真面目な話。私はこれで論文書いてます。)、蛇婿は蛇、石ころは石ころ。ただし自然は恵み深いので、人間がそれらを利用できる(で、終わったらその辺にポイしてよい)。後のこと は考えません。
って、ほんとですか。ぱっと、思いつくだけで、例えば、ヒルコは人として生まれてきたけどエビスという神としてこの世界に帰ってきたり、かぐや姫は月世界人として月に帰るけど、そういう意味ではどうやら人ではなさそうな桃太郎は、鬼退治した後もおじいさんとおばあさんのウチへ帰ってきたり、世界の壁はそんなに厚くなさそう。二元論の西洋でもキリスト教の中には父と子と精霊のもあるし。


Id: #a19990105135718  (reply, thread)
Date: Tue Jan 05 13:57:18 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990105031047
Name: 山形浩生
Subject: 大森掲示板ではもっときちんとした論理展開ができていたのに。

> Aであれば必ずAであり、Aでなければ必ずBであるという論法です。

自然科学がいつこんなこと言ったの? せいぜい言うとしても、AはAでAじゃなければAじゃないというだけ。必ずBだなんて言うわけないじゃん。B以外にも、C,D, E, Fもアもイもあるし、自然科学はちゃんとその程度のことは認めてる。しかも、これが2元論なの? そんな2元論はきいたことがない。まさかこれって、排中律の話をしてるつもり・・・じゃないよねえ?

そしてあなたの議論で、「それぞれのカテゴリーは本質的で変更不可、というおそろしい発想があります。つまり、人間は人間、猿は猿、鶴女房は鶴、蛇婿は蛇、石ころは石ころ。」というのはまさに、あなたが上で西洋科学の思想として述べてるのとおなじではないの。要するに、人間は人間、サルはサル、鶴女房は鶴女房であって、それ以外のカテゴリーに変更はできないってのはそういうことでしょう。すると結局あなたはなにを言いたいの?

 さらに二元論が差別の温床? じゃあその二元論が入ってないはずの日本には差別はないとでも? あるいは、二元論が入ってなかった昔の日本には差別はなかったとでも? 

さらに近代的自己支配、ね。「自然は恵み深いので人間が利用できる(で、終わったらその辺にポイしてよい)」というのと「人間は万能なので人間が利用できる(で、終わったらその辺にポイしてよい)」というのになにかすごい差があるとお考えのようですが、つまりこれって結局、やってることは同じでしょう。だったらそのベースとなる文化はどうでもいい、という結論になるんじゃないの? これのどこに伝統と近代の矛盾があるのかもさっぱりわからん。

 というわけで、あなたの書いたことはすべて、その場の思いつきだけで、ちゃんと頭を使ったものとはとても思えないのだ。大森掲示板ではもうチト理屈のたてられる人のようだったので、これはたまたま急いでいたために生じた説明不足だろうとは思うんだが、それにしてもかなりひどいと思う。

 小波さんの「焼き直し」というのは別に個別の人を想定してるわけじゃないと思う。でも、白黒なんでもはっきりしたがる西洋合理主義に対してあいまいでもいいとする日本文化、キリスト教唯一神に対してアニミズム多神教の日本とか、例の山本ベンダサンの「日本は水と安全は無料だと思ってる」とか、その手の話を適当にちりばめたようにしか見えないのは事実なのだ。さらにそれを論じるのに、鶴女房だの蛇婿だの持ち出してどうするの? 下々の一般人レベルでは、いまだってみんな星占いに頼り、ノストラダムスの大予言におびえておるのだ。

 そして、「日本に文化がないと言ったおぼえはない」と言うけれど、小波さんが言ったのは、あなたがそう主張したってことではなくて、あなたがたざきさんの主張をそう誤解しているよ、という指摘だったわけ。よく読んでね。具体的には、あなたの次の発言だよ。

> つまり、日本は文化を欠いているのではなく、伝統と近代の文化が
> からみ合ってそこに矛盾が起こったために、すべてのつけが回ってきつつある

 ほらね。あなたは田崎さんの主張を、「日本は文化を欠いている」という話に 読んで、それを否定しようと論をたてようとしている。
 ついでながら、あなたは伝統文化と近代文化の矛盾が「すべてのつけ」の原因だと お考えだそうだけれど、じゃあ近代文化がなかった頃の日本はそんなにすばらしい、 つけも矛盾もない完成した桃源郷だったんだろうか? ワインバーグのルタバガ法則ですよ、おばさん!


Id: #a19990105131318  (reply, thread)
Date: Tue Jan 05 13:13:18 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990105031047
Name: 小波
Subject: ううむ

 鳥居さんが「日本は文化を欠いている」と思っているわけでないのは、べつにそれでいいんですよ。 田崎さんもそうは言っていない。田崎さんは「日本における自然科学(の受容)においては、 自然科学を育てたところの文化とは切り離された形でなされており、それは問題だ」という意味のことを 書いているわけです。それに対して、鳥居さんが、

  つまり日本は文化を欠いているのではなくて……

と返すのは誤読にもとづく食い違ったレスポンスではないでしょうか、といいたいのです。

よくある日本文化論という言葉に反発されているようですが、西洋的二元論とか、 人間が他者としての自然や社会を支配するという近代主義とかいう(鳥居さんの 自己支配とは若干言葉が異なりますが)ものへの超克とかいうのは、それこそ散々 西洋でもポストモダンの文脈で語られてきたし、それをまた日本のアニミズムや神 道思想と対比したりするという書き物は、そこらの本屋にいけば腐るほどありますよね。 (ひょっとすると鳥居さんとこの先生の本も?)

と、まあ、悪口はこのへんにして、鳥居さん自身のオリジナルな部分と言うのは、 多元論のそれぞれの要素(カテゴリーと言っていいのですか?それも分からん)が 相容れないものであるというあたりに始まるのでしょうか?ううむ、それを実証する 根拠は何でしょう?輪廻思想とか生きとし生けるものすべては兄弟とかいう神道系の 教義なんてのは、どうなんでしょうか。信太妻伝説とかいうたぐいの伝承は?
Id: #a19990105031047  (reply, thread)
Date: Tue Jan 05 03:10:47 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990105002741
Name: 鳥居 美苗
Subject: 安手薄手はともかくも

まだ未熟者ですから安手なことは重々承知ですけれども。
私も日本に文化がないと言った覚えはありません。
自然科学も含めた科学は日本の文化ではなく、それゆえに混乱が起きていると申し上げたまでです。
また、それが日本独自の問題ではないと言うことも。

いくら自分で嫌だろうと所詮国籍は日本なので、日本に文化がないなどと言えば単に自分の尻に火をつけることにしかなりません。

焼き直し、とおっしゃるのなら、その言葉は慎んで伺いますので、具体的にどのような人の理論の焼き直しか教えて下さい。真剣です。私は社会学者の卵ですので、教えていただければ助かります。
Id: #a19990105002741  (reply, thread)
Date: Tue Jan 05 00:27:41 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990104210944
Name: 小波
Subject: もっとまともな議論を展開してくれないかなあ

 えっと、田崎さんは、

ぼくは、日本の自然科学は(少なくとも)「文化」を欠いていて、それは明らかに悪いことだと信じています。
と言っているのであって、日本が文化を欠いているなどとは言っていないですよね。 勝手読みしてませんか?(少なくとも)とか「文化」といった括弧書きのレトリックにも意を払って、 書いた人の言わんとしていることを理解しないことには、なんの反論にもなりません。

誤読もさることながら、他の部分もよくある安手の日本文化論の引き写しでしかありませんね。


Id: #a19990104210944  (reply, thread)
Date: Mon Jan 04 21:09:44 1999
Name: 鳥居 美苗
Subject: 科学文化

あけましておめでとうございます + 初めまして。

さて、何人かの方が触れておいでですけれども

ぼくは、日本の自然科学は(少なくとも)「文化」を欠いていて、それは明らかに悪いことだと信じています。

 自然科学、というのはそもそも西洋文化の一部であって、その底には一つには西洋的二元論、もう一つには近代的自己支配の思想があります。まあ、みなさんすでに意識していらっしゃると思いますが。
 これは悪い意味では「差別」(人種差別なども含めて)の温床になっています。つまり、○○でなければ人間ではない、というやつですね。いい意味では博愛主義、つまり○○であっても人間(あるいは生き物など)であるという表現に続きます。
 つまりAであれば必ずAであり、Aでなければ必ずBである(数学記号でどう書くんでしたっけ。)という論法です。
 近代的自己支配の思想、とは、いわゆる論理がすべてを支配すると言う考え方だと思って下さい。ここでは。うちの教授なんかこれだけで1ダースもつまらん本書いてます。

 日本の場合には多元論が支配している上、それぞれのカテゴリーは本質的で変更不可、というおそろしい発想があります。つまり、人間は人間、猿は猿、鶴女房は鶴(真面目な話。私はこれで論文書いてます。)、蛇婿は蛇、石ころは石ころ。ただし自然は恵み深いので、人間がそれらを利用できる(で、終わったらその辺にポイしてよい)。後のことは考えません。
 これが西洋的自己支配の論理を取り入れた結果、前文の「自然は恵み深いので」が「人間は万能なので」に置き換えられることになりました。これは日本に限ったことではないのだけれど。しかも西洋文化の基本であった平準化する二元主義は取り入れられていないので、博愛主義は適用されないことになります。


 つまり、日本は文化を欠いているのではなく、伝統と近代(こういう単純な言い方はすきではありませんが、あんまりややこしくするのもなんなので)の文化がからみ合ってそこに矛盾が起こったために、すべてのつけが回ってきつつあるというのが正確なところでしょう。科学だけではなく社会もそうです。日本の民主主義と呼ばれる代物を御覧なさい。

では、また後ほど。
Id: #a19990104194406  (reply, thread)
Date: Mon Jan 04 19:44:06 1999
Name: やぎ
Subject: わはははは

そのドりーむキャストでアクセス、かきこみ。
スクリーンのきーぼーど゛を
カーソルキーでソウサスゐのが
むちゃうざい。

Id: #a19990104180536  (reply, thread)
Date: Mon Jan 04 18:05:36 1999
Name: はりがや
Subject: 「所長あいさつ」はパス!

(「明けまして...」とのたまうの,もうすぐ終わりにしようかな. 午前中,2度も放送で召集がかかったけど, 「所長あいさつ」には行かないで,LaTeX を書いていた ^^;;) うちの所長の年頭あいさつでしたら, ここのページ から誰でもダウンロードして, ご覧になれます。

八木さんのBBSリンクから, ドリームキャストのページに飛んでいきました. 赤茶色の渦巻きの画像をみると, とあるお嬢様のホームページにあったバックグランドを思い出してしまいます. (ううう,これはドリームキャストとは関係ありませんが.)


Id: #a19990104105728  (reply, thread)
Date: Mon Jan 04 10:57:28 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990101150234
Name: 古堂 明広
Subject: 以前から考えてみたかったこと

ちょうどいい機会なので、まえからいろいろな人に伺ってみたかったことを書いてみました。
Id: #a19990103162004  (reply, thread)
Date: Sun Jan 03 16:20:04 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990102002714
Name: 稲居神明
Subject: 自然科学の文化論
はじめまして

:ぼくは、日本の自然科学は(少なくとも)「文化」を欠いていて、それ
:は明らかに悪いことだと信じています。

自然科学も人間の造りだした文化としてみると、自然科学の前提となる
文化的構造のようなものが問題になってくると考えられますね。

 

Id: #a19990103110226  (reply, thread)
Date: Sun Jan 03 11:02:26 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990103005856
Name: ちょっと血圧は高いが健康人の小波
Subject: まず頭痛を直したら?

 頭痛とはお気の毒ですなあ。わたしも大病やらかして何年も苦労しましたが、 その経験からすると、やっぱり人間は化学的(物理的というよりは化学的ですぜ、 なにせ KCN 50 mg でくたばるし、バイアグラ 10 mg でもっこりもっこり) 機械仕掛けである肉体が健康であった方が、 精神としての生命のほうも光り輝くようです。

頭痛にはいろいろありますが、日常的なやつなら偏頭痛か緊張性頭痛でしょう。 面白いことに寝過ぎてもかえってひどくなることがありますし、 酒はそれを助長することがしばしばです。ですから寝正月と御屠蘇というのは あぶないあぶない。二日酔いまで加わったら、どんな哲学者もショーベンハウエル ふうに厭世的になること必定。まず青空の下を歩きまわって頭痛を治しましょう。
 でも、だんなはんは、見るところ、 ちかごろよくある神道=アニミズム系にエコ系がくっついて癒しがまざったあたりの、 本でもお読みになっているようですなあ。ひょっとすると生長の家さん?あ、それだと 肉体は心の影ですから本来病気はないのですね。そっちに入信してみれば、 だんなはんの哲学が正しいかどうか立証できるかも知れまへんな。  
Id: #a19990103104533  (reply, thread)
Date: Sun Jan 03 10:45:33 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990103082250 
Name: 通り魔
Subject: 安易?

ある学会の会長さんの言葉です。
「聞いてたしかめてみましたか? 」「安易に」
からすると安易な思考に見えたようですね。
それに感想が全くない。
Id: #a19990103082250  (reply, thread)
Date: Sun Jan 03 08:22:50 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990103005856
Name: いなば
Subject: あの。

差し出がましいようですが、他の人や、他の生き物に、聞いてたしかめてみましたか? 
 あなたおひとりの悩みの深刻さは尊重しますが、他人や他の生き物を安易に巻き込まない方がいいですよ。
Id: #a19990103005856  (reply, thread)
Date: Sun Jan 03 00:58:56 1999
Name: 通り掛かりの人
Subject: 頭痛

頭が痛い。苦しい。


生物は、自分の生命を維持することと同時に自分の存在が意義深いものであると
考えないと生きられない。

肉体としての生命は、超分子として構築された機械仕掛けのように見えますが、
精神としての生命が輝かないと、この物理的構築物も機能的に崩壊してしまう。

人間を含めた生物を従来の科学観で結論つける、というのはとても危険です。




なぜ生きているの?
苦しい。頭が痛い。
Id: #a19990102202012  (reply, thread)
Date: Sat Jan 02 20:20:12 1999
In-Reply-To: a0033.html#a19990102002714
Name: 牧野
Subject: 科学と哲学、あるいは文化

田崎さん、

#しかし、浜田さんの掲示版がなかなか楽しいことになってますね。

ぼくは、日本の自然科学は(少なくとも)「文化」を欠いていて、それは明らかに悪い ことだと信じています。
うーん、そういう欠落が、日本の自然科学あるいは基礎科学にとって悪いことであるというのはそうだと思います。まあ、「悪い」というのは誰にとって、あるいは何にとって悪いかということをいわないと単なる信念に過ぎないとは思うので、何故かというのを僕の感覚でいうと、結局、どういう方向に研究を進めていこうかということを考える意志の欠落に直結しているからです。だから、研究の方向を定めて競争するような場面ではそれなりに良い仕事があっても、全く新しい方向を開拓するようなことは、もちろん例がないわけではありませんが、起こりにくい。で、それは、自然科学としては「悪い」。

が、日本の自然科学にとって悪いことが、例えば日本にとって悪いことかというのはもうちょっと難しい問題になるように思います。時田さんの書かれた

ただ、そんなもののインペトゥスに頼って、今後もやっていけるのか?っていう、今後を考えることのが大切で、工学系の人の理学離れは日本の資本主義の非常な弱点(僕の周辺だと、ソフト屋さんがソフト屋さんなりの数学的センスをもってないとか、数式処理での遅れとか)
というのも、その通りだと思います。しかし、だからといって、例えばプログラミングが輸出産業になってしまうようなロシアとかインドの近代化のありかたが日本に比べて良かったのかというと、それはとてもそうとは思えない。

もちろん、だからといってこれからもそれでいいかというのは別の問題である というのはそれもその通りです。

あ、だめですね、何の内容もない、、、


Id: #a19990102002714  (reply, thread)
Date: Sat Jan 02 00:27:14 1999
Name: 田崎晴明
Subject: あけましておめでとうございます

ぼくは、日本の自然科学は(少なくとも)「文化」を欠いていて、それは明らかに悪いことだと信じています。 ぼく自身は限りなく微力ですが、それでも、何とかしなくてはならないと思っています。 ぼくがこの掲示板に興味を示している根本の理由も、その辺にあると感じます。

なんて、思わせぶりな言い切りだけというのは、ぼくの趣味のスタイルではないのですが、 あまりにも時間がないので、今はこの位にさせて下さい。 今年は、長い書き込みをする余裕がないかも知れませんが、よろしくお願いします。


Id: #a19990101150234  (reply, thread)
Date: Fri Jan 01 15:02:34 1999
Name: ブタネコ

牧野さんの、
また、そのような「哲学の貧困」が、日本から優れた自然科学上の成果が生まれにくい理由の一つであることは確かであると思います。が、まあ、じゃあそれは悪いかっていうと、どうでしょう?
は、すごく大切なことなので、表ボードに、核心をはずして、自分のまわりからの思いつき的なことを書きます。まともなフォローを期待。

まず、そう言われると、『他に近代化のしようがあったのか?』とか、『大不況といっても、みんな楽しい正月で結構じゃないか。』ってなって、僕自身そういう気分のが強いですし、『哲学から教えて、受験塾として現役にまにあうか?』ってこともあります。
ただ、そんなもののインペトゥスに頼って、今後もやっていけるのか?っていう、今後を考えることのが大切で、
工学系の人の理学離れは日本の資本主義の非常な弱点(僕の周辺だと、ソフト屋さんがソフト屋さんなりの数学的センスをもってないとか、数式処理での遅れとか)
科学哲学を自称する人達自身の『哲学の貧困』が象徴するように、ここまで文系のまずしい社会になっちゃって、とかとか。
ところが、自分に返ってくると、もう少し基礎論とくに実数の構成の仕方なんかを勉強しないと、高校生に平均値の定理なんかしゃべっててもアブナサソウな気はすれども、何か会社員さんと同じでファッショナブルなものばかし追いかけてたり。

話しを正月らしく、東北大学庶務部入試課作成の 叙勲ページは、このページとは縁の遠そうなページですが、高橋里美という哲学者が出てくる。
あやしい記憶だけど、朝永振一郎の父親の三十郎が京都の、里美が仙台の哲学で、独特の人気を学生の間に持ち、里美の息子も、初期の電算機や回路理論などでセンスの良い仕事をした物理屋さんでは?
そういう、ごく細い径でも、まともな近代化を積み重ねてきた家もある。
うちの2件隣に住んでた、渡辺さんの大大先輩のパシリ博士も、三顧の礼で迎えられた工場を、こんな公害工場にいられるかとやめちゃう気概には、旧制高校的な哲学なり倫理によって、ことが善であるかどうかを判断する力や、封建道徳だろうが道徳と言えるものが。あるいは、自由民権のような運動でも、一家の資産をあっぱれなまでに井戸塀にした、江戸後期に資本も文化も蓄積した地方の豪農だって、まともな近代の誕生にその蓄積を流し込んだのだろう。
でもまあ、哲学から物理一家や滅んだ豪農なんかはほんのアネクドートで、圧倒的な流れがあって、今や日本より中国の方が利根川と揚子江くらいの差の流れになってて、江沢民も東北大に詣でて、アネクドートを忘れまいとしてるけど、「どうでしょう?」の正解は「どうにも何ないでしょう」なのかも。

でも、自分の残りk十年の人生は、もう少し何とかしなきゃなんないし、他人はどうでもいいけど、哲学をしてますとか、教育学をしてますという人が、全く「徳」を持たないのは、ちょっと気になりますね〜。
Id: #a19981231230121  (reply, thread)
Date: Thu Dec 31 23:01:21 1998
In-Reply-To: a0033.html#a19981231022235
Name: 牧野

はまださん、

なかなか良いことを書いているのに、「暴言」とか「よけいなおせっかい」とか「この掲示板は、STSの敵らしい」とかいった、はたからみると妙な予防線をはっているように見えなくもない書き方をしなくてもいいのにと思います。

この掲示版くらいで「STSの敵」になれるとしたら、 STS なるものがよっぽど薄っぺらな中身のないものであるというだけのことでしょう。

さて、

日本史の部分は、「後知恵で都合よく解釈」していることを、本当に「当時の人がそう考えて取捨選択して行動」したかのように書いてることが笑えます(まるで日本の産業発展がMITIの陰謀だという話を聞いてるみたい)。
「当時の人がそう考えて行動」したかのようにってのは浜田さんが自分の読みを投影しているだけでは?フラーのいっていることは、伊勢田さんも書いておられたように、時田さんが書かれていた
実際には、工学系の哲学の貧困というか(理学の貧困も含めての哲学の貧困)と言うか資本主義への取り込まれは、日本のが凄いかまあ同じか。
というのと同じことではないでしょうか?例えば以下のところ
Japanese translations reduced Western scientific concepts to operational definitions stripped of metaphysical baggage ...
はまさに「哲学の貧困」なわけです。それが必ずしも悪いことではないという視点は「日本の自然科学は哲学を欠いている」とかいいたい人には(別に浜田さんがそうだというわけではないですが)受け入れ難いものなのかもしれません。また、そのような「哲学の貧困」が、日本から優れた自然科学上の成果が生まれにくい理由の一つであることは確かであると思います。が、まあ、じゃあそれは悪いかっていうと、どうでしょう?
Id: #a19981231152058  (reply, thread)
Date: Thu Dec 31 15:20:58 1998
Name: ブタネコ
Subject: どちらの戦争も残っているんでは?

米日貿易戦争についていえば、野口旭さんの筑摩新書的には、資本主義の合理性はそんなオバカな戦争を含んでいなくても、政治的には、沖縄に基地が存在しつづけ、トヨタを買ってもらった分『思いやり防衛予算』という歳暮を贈答する現実は現実として存在しますから。
理科離れした日本の消費者がガソリンを燃やし続け、アメリカのおろかな消費者は東南アジアのジャンクグッズが大好きで、日本はガソリン代をジャンクグッズの工作機械で、アブラでもうけたアラブはイスラムの敵から戦争玩具を買い、それで身内を苛めるから、原理主義はますます荒れて...と、来年も良い年ではありませんな〜??

共通の敵が大学予算をけずる『保守主義者』なら、なんで『サイエンス・ウォーズ』って連呼したり、そっちにバイアスを掛けた読み取りを訳者解説で誘導するんかいな??
おかしいのは、『戦士達』が本国も植民地も自分を進歩派だと信じていること。進歩派=オバカのイメージがいよいよ定着するよね。
賢い保守は何で敵にまわさにゃあかんの?敵は『きわめつきの反動』とか、藤岡のように『人格の悪さを露出することで雰囲気を作り出し』、雰囲気に飲みこまれた人は、『気品ある滅びに付き合ったような気分』にさせちゃう病毒ね。(病毒なんてパスツール以前の概念とラトゥールに叱られるかな)
啓蒙的科学者なんて、ごくごく少数派で、反実証的な『教のつく活動家』とか、あやしい科学論屋にまで足をひっぱられて(たいしたひっぱりじゃないけど)、そう皆を敵にしてられんでしょう。
大学予算だって、納税者に対する説明はいるでしょ。Schwartzなんかは、ミッテラン政権ができて、大学予算が増えたとき、あわてて質の悪い研究者を増やすのは良くないとはっきりいってた。
共通の敵がいるから、仲良くしましょうといって、物理の研究者と、研究者といえない仕事しか出来ない連中を一緒にしてしまうのも変だし、科学社会学とやらの成果で、物理学者ののぞましくない行動をキャッチしたら、保守主義者とともに社会の健全な在り方のために戦士ししてくんしゃい。

お正月だから、和風の話題に切りかえて、チャート的な輸入洪水の前に、日本人として自然哲学をした人はいるのかな?三浦梅園なんかどうなんだろう?
技術的なものがどっと入ってきて、哲学が入ってこなかったのには、技術には下地があったからでは?醸造技術なんか西洋よりずっと上で(日本酒の火入れとパスツール)、今でもベルギービールの旨いのを飲むと「赤出しの味噌汁なみの技術と」驚いたり。
あるいは、いや哲学もそれなりに入ってきて、江戸期とはこういう連続性がなんて書き込みも勉強して見たい。
Id: #a19981231092534  (reply, thread)
Date: Thu Dec 31 09:25:34 1998
In-Reply-To: a0033.html#a19981230233219
Name: 伊勢田
Subject: フラーは誰が敵だと思ってるか

『世界』のFullerの論文は明らかにScience Wars を知らないひとを対象に書いて (というか書こうと努力して)いるので、すでにScience Wars について知っている ひとが新しい情報に出会わないのは別に欠点ではないと思います。でもまとめ方の手際 の悪さが目に付くのはやっぱりやっつけ仕事だからでしょうね。『現代思想』の2年 くらい前の「科学者とは誰か」とかいう特集にFullerの論文の訳が載っていたと思うので、 Fullerについて知るにはそちらの方がまだしも参考になるのでは(訳の質は保証しませんが)?

誰が本当の敵か、ですがやっぱりこれでしょう。

This became very evident when conservative political groups in the US began supporting conferences on the Science Wars. Sokal quickly distanced himself from these groups because they used the "socially constructed" character of science as grounds for influencing what academics teach and research. In particular, they aimed to banish all research that could not meet the test of the marketplace and all teaching that did not foster the nation's cultural values. By those criteria, both theoretical physics and science studies appear to be dubious social constructions. By the time I debated Sokal in Kansas, there was enough common cause between us against the conservatives that the significance of his hoax faded by comparison.
というわけで「理論物理学と科学論の両方の予算をカットしようと考えている保守主義者」 が本当の敵で、Science Warsなんてやめてそいつらと戦おう、で、そういう方向へ進む ための調停役として日本の科学論者が期待されている、と。

"Unique historical significance"の方は、「歴史的意義」とはいっても「歴史にとって Science Warsがどういう意義があるか」という意味ではなく、「歴史の結果としてScience Warsが当事者たちにとってどういう意味を持つか」という意味に取らないと文脈とつながらない ので、まあそういう意味に取ってあげたらいいんじゃないですか?

サイエンス・ウオーズが「啓蒙主義対実証主義の論争の現代的形態」であるというのは、 伊勢田さんの読みを投影してるのであって、この論文の争点では無いと思います。 話には出てきますが、長々と知識をひけらかしているだけで、Fullerがそれをメインにして何か 良い主張をしてるとは思えません。
わたしの読みが投影されているのはそのとおり。でもこの論文の一つのポイントは、 科学論の側を啓蒙主義の伝統の中に位置づけることによって、「相対主義」だとか 「反科学主義」だとかというレッテルをはがそうということでしょう?ただ メインの論点は確かにそこではなくて、Science Wars を啓蒙主義と 実証主義の対立と位置づけた上で、さらにそれを乗り越えて手に手を取って 悪い保守主義者たちと戦おうね、というところだと思いますが。


Id: #a19981231075003  (reply, thread)
Date: Thu Dec 31 07:50:03 1998
Name: fujiwara
>かつて新聞を賑わせた日米貿易摩擦はどこに行ったんでしょうか
(あいかわらず、日本側は黒字なんだけど)(浜田さん)
たまたま、いまアメリカにいるんので、思いつくまま書いてみます。
わたしは、理科系の研究者で、経済とかの知識は特別ないので、とんちんかん
なこと、言うかもしれないです。

多分、ようするに、アメリカの国内での政治的な関心事でなくなったという
ことのようにおもいます。当時、80年後半位は、アメリカの景気がわるく、
それが、自動車や電器製品産業の不振によると、アメリカ(人や政府)が
おもって、その関連で、うまくいっている
日本が攻撃の的になったのではないでしょうか。
そのころから、アメリカは、計算機関連と金融に絞って政策を押し進め、
それが、実ってきている(ように見える、すくなくとも)ので、ハッピーだから、
仮に、対日貿易赤字があっても気にしないのでは。
一方、的を絞っている金融については、やはり、日本にいろいろ言うでは
ないですか。

当時は、アメリカ国内向けには、一部の政治家が東芝のテープレコーダを焼いたり、
国民むけのパフォーマンスはしていたけど、考えるべき人
(だれなんだかよく分かりません)は、きちっと、国の将来設計を考え、
今までに実行してきたのではと、思います。どこの国でも、国内政治に政治家が本弄
されるのはいっしょでも、日本の場合は、ほとんどすべての人がそれだけ
になるのに対して、アメリカはそうとも限らないというのが、リーダーシップ
の根付いている国の良さのように思います。






Id: #a19981231022235  (reply, thread)
Date: Thu Dec 31 02:22:35 1998
Name: 浜田寅彦
Subject: サイエンス・ウオーズは、本当にあるのか?
文句ばっかり言ってるのもなんなので、対案を出します(^^;)

考えたきっかけは、最近の黒木さんの見解と、かつての日米貿易摩擦です(笑)。
かつて新聞を賑わせた日米貿易摩擦はどこへ行ったんでしょうか?(あいかわらず日本側の黒字なんだけど)
今から振り返れば、なんとか合意・ほげほげ協議がアメリカ経済の改善に貢献したとは思えないし、
経済学上の理屈では、なんの関係もないです(詳細は「クルーグマン教授の経済入門」)。

アメリカに住んでないので内部事情も知らないし実感もわきませんが、
Ross達の問題の取り上げかたも間違っているんじゃないでしょうか?
本当に科学技術上の諸問題の解決につながるのんでしょうか。

Id: #a19981231004027  (reply, thread)
Date: Thu Dec 31 00:40:27 1998
Name: はまだとらひこ@今年最後の暴言
Subject: よけいなおせっかい
STS Network Japanの悪口を書いてしまったので、ついでにおせっかいをやくと。

どうやらこの掲示板は、STSの敵らしい(笑)(一部の跳ね返りの暴言だとは思うが)

STS Network Japanで元気な人達が集うMailingListでは、かつて、Sokal Affairに詳しい黒木さんを研究会に呼ぶかどうか、公開でやりとりがあった。
黒木さんのような人をセミナーに招いて洗脳(笑)したほうが、『世界』なんぞに翻訳を載せるより、よっぽど宣伝になると思うのだが、どうでしょう。

みなさんは、「Science Wars in Japan」(^^;)について、どう思われますか?

Id: #a19981230233219  (reply, thread)
Date: Wed Dec 30 23:32:19 1998
Name: 浜田寅彦
Subject: 「正確には誰が敵なのか?」教えてください

「正確には誰が敵なのか?」教えてほしいです。 あと「Science Warsの歴史的意義」のほうも(笑)

このFullerの論文は、普通の平凡な(これまで耳にした)ことしか書いてなくて(そういう意味では抵抗無く読めます)、
Fullerの令名を耳にする者にとっては期待はずれも甚だしいです。
黒木さんの最初のFuller紹介もそういうことが書いてあったし、
左巻さんの「読んで損した」も、翻訳の悪さ&期待外れ、だと思います。
唯一の論点「public understanding of science」も???だし

日本史の部分は、「後知恵で都合よく解釈」していることを、
本当に「当時の人がそう考えて取捨選択して行動」したかのように
書いてることが笑えます(まるで日本の産業発展がMITIの陰謀だという話を聞いてるみたい)。
我田引水のために捻じ曲げているとしたら、他のFullerの仕事まで疑わしくなります。

サイエンス・ウオーズが「啓蒙主義対実証主義の論争の現代的形態」であるというのは、
伊勢田さんの読みを投影してるのであって、この論文の争点では無いと思います。
話には出てきますが、長々と知識をひけらかしているだけで、Fullerがそれをメインにして何か良い主張をしてるとは思えません。
(私はこの図式は、「科学論と(現場の)科学の区分」のトートロジーに過ぎないと思います。この点に関して言えば、
『思想』の野家さんの文章も、モード2への移行と言いながら、 科学と科学論(モード1での区分)の対話みたいなことを言うし。)

伊勢田さんの言われる通り、Fullerのメインの主張はこうだとは思いますが、
>"the assumptions that inform the Science Wars" の一つは、 「科学は哲学(とりわけ認識論)によって基礎づけられる」という仮定です。
>「科学と技術 は別物」という仮定もあげられてますね。だから、ろくに哲学も人文科学も輸入せずに 技術に役立つ限りでの自然科学ばかり
>輸入した日本の科学がうまく行くのは、 Science Warsのどちらの立場からいってもありえないはずだ、というところで
>日本からの視点が役に立つ、と言ってるわけです。
本当かなあ??(想像のオリエンタリスム)と思います

おまけ:日本におけるサイエンス・ウオーズ(笑)
なんでこんなFullerのものが、いまの時期に載ったのか?単なるSTS Network Japanの提灯記事か?
STS Netowrk Japanについては、その「ニュースレター」が楽しいです。
http://kob.is.uec.ac.jp/~sts/NL-Index2.html
御自分でお確かめ下さい。論評は控えます。(どうせ相手側は中傷としか受け取らないだろうし)


Id: #a19981230200336  (reply, thread)
Date: Wed Dec 30 20:03:36 1998
In-Reply-To: #a19981229143135
URL: http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3374/
Name: 顕正居士
Subject: 幕末・明治学術教育史
>江戸時代後半から昭和初期くらいまでの、西洋の科学技術受容の歴史をうまく
>まとめた本
そういう本はあるのでしょうか。
明治文化史・開國百年記念文化事業會編・洋々社(昭和30年)という叢書が
あって、その学術編のようなのを昔、古本屋で見付けて読んだ。学制初期の
物理学教育の在り方(最初、高等中等程度のようなのを小学校の教科書にした、
子供は聖典を暗記(素読)するのが伝統教育だったから。無理だったので、
ハト、マメのように180度転換した)のような記事があった。今、手許に
ありません。明治文化史で検索したら、教育編もあるよう。下記。
http://cancer.nara-edu.ac.jp/cgi-bin/arch-keyword.sh

Id: #a19981230182122  (reply, thread)
Date: Wed Dec 30 18:21:22 1998
Name: ブタネコ
Subject: ふら〜ふら〜ふら〜

黒木さんが#a19981223165755で、
しかし、ひとつだけ考えさせられた文句が記憶に残っていて、科学教育が充実すればするほど科学に批判的な人が増える、という ようなこと(正確な表現は忘れました)が書いてあり、なるほどなあと考えさせられました。より一般に、○○に関する教養が普及 するにつれて○○に批判的な人が増える、というようなことはあるのでしょうかね?  
これは
In fact, most studies show that as people learn more about science, they become more critical of its development and uses, especially in the context of technological applications. In true Enlightenment fashion, the public acquires a form of wisdom that consists in recognizing how little one really knows. Indeed, they come to realize that even the experts know much less about the likely consequences of technological innovations than their policy pronouncements might first suggest. All of this is quite healthy from a democratic standpoint, as it encourages both the public and the experts to assume a greater sense of responsibility for the uncertainties and risks implied in what they say and do.
の部分ですね?何か変ですよね、 most studies show thatってどこに?って聴きたいけど、それは置きましょう。
例えば、物理をファインマンの教科書が愛読書くらいに勉強した人が、国立大の理学部の教師がどんどん怪しい名前の学科に配属されてくのに賛成するだろうか??
そうした人は、原発震災を危惧するでしょう。そしてまさに"In true Enlightenment fashion"で、でもそれは、伊豆半島が日本列島に着岸して50万年しかたっていないのに、歴史的データは2000年ぶんしかないとか、つまり"the reliable body of knowledge"がないという、真の実証主義者の立場でもあって、安全委員のような曲学阿世とか、科学を勉強してないのでイチジクの葉の役割を授かって喜ぶ自称科学戦争戦士ではないよね。ソーカルさんはそういう意味で、啓蒙派でも実証派でもあるけど。
それで市民がもっと啓蒙されて(というか自分で自分を啓蒙して)堅実な実証主義者になり、今の技術化した社会に responsibility for the uncertainties and risksを引き受けるのはとてもいいことですよね。
そういう批判力が科学なのに、啓蒙されると科学離れみたいな日本語が残って歩きだしたり、フラーさんの鞄持ちさんが反啓蒙、反科学の人じゃないかってのが問題なんだけど??

それと、フラーは牧野さんが最初にめっかえたサイトではソーカルとラトゥールとの論戦?をプロレス記者風にエンジョイしてるけど、あるいは一般紙では形勢不利のラトゥールに肩入れしてるけど、なぜ、『世界』では"Impostures intellectuelles"に触れなかったのかな?ソーカルないしブリクモンがラトゥールをおちょくっているのは、いきすぎの相対主義を戒めた章でだけど、そのことと、フラー流に整理した啓蒙主義対実証主義はどう絡みあうのかしら?
Id: #a19981230145651  (reply, thread)
Date: Wed Dec 30 14:56:51 1998
Name: ブタネコ
Subject: ふら〜ふら〜

はあはあ、ブタネコはフラーを一つ星大学の一つ星先生くらいには思っています。ブタネコが3流予備校以下といったのは、日本でのカバン持ちのことです。
左巻さんが時間を損したのは、日本語訳で、一つ星の食事をレトルトパックにするとどのくらいまずいかの試食者になっちゃったからでしょ。時間泥棒に対して、岩波は製造者責任があるかな〜?
科学論の人が、よその国の科学技術の置かれた社会状況を知るのは、耳学問でいいし、それしか方法がないのでは。数学の人が物理の先端をざっと知るんだって、まあそうだろうし。
そして、短期の詰め込み学習と、日本での大名旅行のあとの印象記を読んで何が分かるかというと、接待した国内業界の程度が(訳文の質だけでも)わかるんでは。
それで最初の書き込みで、バルトはさすがといったし、ピンカーが接待者を世界で何万冊も売れてる本で、あんなことを書かなくてもと思うけど、盲人がだめな盲導犬にイラツクってことは、耳学問っていう非常に効率のいい研究がスムースにいかないときの、三つ星先生のあせりとして当然だと思う。フラーの場合大名旅行ができただけで僕ちゃん満足ですね。
じゃあ、例えばどんな人とフラーが明治維新について話せたらって考えると、まあ京都なら河野 健二さんかななんて思うけど、もう故人ですよね。
アジア全体の中で川勝 平太の物産論なんかも面白いかも、で、僕自身が科学論の人を知らないんだけど、政治思想や経済史での河野や川勝に対応する人が、科学論の中にもいるだろうに。とにもかくにも、z会の添削勉強しなおしの訳者ではないでしょう。
それと本ですが、普通ならアメリカで知った日本の同業者にメールを入れて、何冊か推薦してもらい、飛行機の中で読む。たまたま隣に、ミネルバの梟みたいなアジア人が座ってたら、ラッキーと話しかけ、科学技術史の本に抽象的に書かれていることを、隣人は自分史として実感してるか人体実験してみるとか??
で、どんな本があるかを質問するのが、先の書き込みだったんですが。
たとえばもう20年も前だけど、フランスにいたころ、マダガスカルも日本のように近代化しなけりゃというまじめなマダガスカル女性から質問されたことがあって、彼女はソ連科学アカデミーの巨大な世界史の仏訳を読んでいて、明治維新について記述は講座派というより労農派ぽかったけど、そういう人の質問に、今の段階で薦められる本がないかなという。

さて、「科学と技術 は別物」だけど、フラーはJapanese readers should keep in mind the strong cultural distinction between science and technology that is still drawn in the West. と、欧米では別だけど、日本ではゴタマゼと、そうカバン持ちから教えられてるみたい。
実際には、工学系の哲学の貧困というか(理学の貧困も含めての哲学の貧困)と言うか資本主義への取り込まれは、日本のが凄いかまあ同じか。
一方理学部の中には、西洋のあまりに小さな飛び地が、滅びの美学みたいに残っているかも。『世界』の8月号だっけ、政府の原子力政策の転換を求める声明がでてたけど、名前を出してる物理学者は、江沢、小出両先生で、「ああ、岩波ジュニア科学講座」の著者の二人ね!!って感じ。科学論からは佐々木力がいたけど、市民によるコントロールを強調する面々というか、フラーさんの鞄持ちさんがこんなとこに顔を出さないのは、はじめから当然か。
まあ、岩波も、メインバンクの第一勧銀もやばいし、岩波映画まで切っちゃうのだから、いろいろあやしい業界の著者訳者を受け入れ、販売を考えなきゃならないけど、模試に使えないような品質の日本語はつき返して。
Id: #a19981230035708  (reply, thread)
Date: Wed Dec 30 03:57:08 1998
In-Reply-To: a0033.html#a19981229143135
Name: 伊勢田
Subject: Fuller

Fullerの論文(webに載ってる英語の方)読んでみました。わたし自身は最後のenlightment vs. positivismのところ以外はほとんど抵抗なく読めてしまいました。黒木さんや左巻さんの リアクションからどんなひどいことが書いてあるかとわくわくしながら読んだんですが 期待はずれ。それで読んで気づいたことをいくつか。

黒木さんが「「サイエンス・ウォーズ」史観が既成事実であるかのように語っている」 のが不快だとおっしゃるのは、たぶんRossのSeience Warsの定義を厳密に受け取りすぎている からです。読めば分かるとおり(というかおそらく科学論をやっている人間には読めばわかる とおり)、FullerはScience Warsを19世紀以来の「啓蒙主義」対「実証主義」の論争の 現代的形態として規定しています。つまり、科学の性格に関する非常に哲学的な論争だと 考えているわけです(「啓蒙主義」対「実証主義」という史観には個人的に異論があるが それはまあ別の話)。科学論者が弱者だとか予算配分がどうしたとかいうのはここではScience Warsの本質規定ではなく、副次的な要因なのだと思います。これは、わたし自身が日頃 耳にするScience Warsという言葉の語感とも一致します。そう考えれば、Fullerが言って いるのは、「サイエンス・ウォーズ」史観とかいう大げさなものではなく、いま、一部の 科学者と科学論者の間に論争があって、その基本的な論点はこの百数十年来やってきた 論争のむしかえしだという程度のことです。そんなに不快ではないでしょう?

"the assumptions that inform the Science Wars" の一つは、 「科学は哲学(とりわけ認識論)によって基礎づけられる」という仮定です。「科学と技術 は別物」という仮定もあげられてますね。だから、ろくに哲学も人文科学も輸入せずに 技術に役立つ限りでの自然科学ばかり輸入した日本の科学がうまく行くのは、 Science Warsのどちらの立場からいってもありえないはずだ、というところで 日本からの視点が役に立つ、と言ってるわけです。ついでに、informにはこの場合 「そんな仮定が頭になければそもそもScience Warsはおきない」というニュアンス があると思うので「サイエンス・ウォーズの土台になっている」くらいに強く 訳した方がいいと思います。

3月に京都でFullerにあったときに「いつの間に日本史なんか勉強したんだ」 って訊いたら(3月の京都での講演でも明治維新にふれていた)、 「ちょっと本を読んだだけだ」とか言ってました(それで偉そうに講演するかしかし?)。 つまり、日本に来るということですこしは予習してきて、その成果があれなのだとおもいます。 でも、時田さんの「大きな体系(イデオロギーといってもいいかも)として科学を 捉えないで、便利なとこだけ、チャート式にぶった切ってもってきた」というのは、 Fullerの言ってることとほとんど同じだと思うんですが、Fullerのはどの辺が「3流予備校 よりひどい日本史講義」なんですか?


Id: #a19981229143135  (reply, thread)
Date: Tue Dec 29 14:31:35 1998
Name: ブタネコ
Subject: inform

横文字の方はこんなに簡単の最たる例だな〜。
informは研究社のリーダーズから引用すると、
The social ideals inform the culture.
社会理念が当該文化を特徴づける。

が該当しそう。あやしい科学論をやってる人達の小さな社会があって、暗黙の前提になっているものが、その方々の文化を特質づけているんだろうけど、その根本の前提を『日本の読者よ、批判的に検討してくんしゃい。』ってのは、書き出し部分での読み手へのエールの送り方として、とてもいいんじゃない。
しかし、なんで日本の状況から見ると、よい距離なのかとか、暗黙の前提は具体的に何で、そうした前提から出発してどのような立派な考察の体系がと期待を膨らませて、平易な英語を読んでも、どこがそれに答えてくれるのかしら?
日本の状況に関しては、
In this respect, the history of Japan's selective incorporation of Western science during the Meiji Restoration offers an interesting critical perspective on the nature of science that transcends the cultural limits of the Science Wars. 
あたりへ、さらにブッ飛びへと、英語だと一段と面白いのは、Fullerに誰が3流予備校よりひどい日本史講義をしたのかなあ??
ところで、まじめな質問ですが、江戸時代後半から昭和初期くらいまでの、西洋の科学技術受容の歴史をうまくまとめた本とか、そこでの問題点といまの日本の理科教育などでの問題点のクロスオーバーを指摘した本って何かありますか。そういう本を書いて、英仏独にしとかなかった日本の文系全体の怠慢のツケが、Fullerさんという、そうめちゃダメではなさそうな人にこんなトンカンチンをさせるんだろうけど。(理系がいいという訳じゃないし、時代も違うけど、たしか仁科や朝永の英文の伝記があって、少しはそうした問題に役にたつかも。あるいはなだいなださんの娘さんがフランス語で数学史を少し書いているかな??)
僕は大きな体系(イデオロギーといってもいいかも)として科学を捉えないで、便利なとこだけ、チャート式にぶった切ってもってきたのが問題で、そうしたチャート的な人が接待役になってるのが、今回のFuller論文って感じがして、I博士じゃないけど、カバン持ちの選び方が肝要かと。

横文字で読めるといえば、Fullerとは全然関係ないけど、裏のSaidとはちょっと関係するけど、大江健三郎のInternet et moiが 
http://www.monde-diplomatique.fr/1998/12/OE/11473.html で読める。
Id: #a19981229133855  (reply, thread)
Date: Tue Dec 29 13:38:55 1998
In-Reply-To: a0033.html#a19981229114135
Name: はるひこ

英語に強い人がたくさんいそうなのでドキドキしますが、
and that the Japanese situation offers a useful distance from which to critique the assumptions that inform the Science Wars.
の部分は
それから、日本の状況は西欧とはやや異なっているので、サイエンス・ウォーズを性格づける暗黙の前提となっているものを批評するのに役立つ。
という感じではいかがでしょうか?informは性格づけると解釈してみました。
Id: #a19981229114135  (reply, thread)
Date: Tue Dec 29 11:41:35 1998
In-Reply-To: a0032.html#a19981229012354
Name: 牧野

はまださん、どうもありがとうございます。

早速見にいってみました。まだちゃんと全部は読んでないのですが、とりあえず時田さんの指摘されていた、

ここで私が主張しておきたいことは、かなりの面においてサイエンス・ウォーズは、科学・技術と社会に関する関係について、特に西欧にみられる発展から起こってきたものであること、さらに日本の状況は、このサイエンス・ウォーズが戦われるにあたって想定されているものを批判するような、そんな有効な射程距離を持っているということである。
に対応するところを見てみると、
I am here to argue that, to a large extent, the Science Wars are an outgrowth of specifically Western developments in the relationship between science, technology, and society -- and that the Japanese situation offers a useful distance from which to critique the assumptions that inform the Science Wars.
ですね。これを私が訳してみるとすれば、直訳に近くするなら
ここで私が主張するのは、サイエンス・ウォーズというのは、基本的にいって、科学、技術、社会のあいだの関係の、特に西欧に固有な形での発展から生まれてきたものであるということ、それから、日本の状況から距離をとってみることで、サイエンス・ウォーズの暗黙の前提になっているものを批判的に検討することができるということである。
とかいう感じかな?ちょっとはましかと思いますが、どうでしょ? inform をどういう意味に使っているかよくわからないので、そこは変かも。

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管理者: 黒木 玄  <kuroki@math.tohoku.ac.jp>  (Web Site)
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