田崎さん> 第3掲示板でエネルギーを失った 田崎さん、12年前かそこらにあたしめとお会いした ことなど、もう忘却のかなたでしょう。小野木さんと は、超伝導がらみの研究会とか、日立主催の研究会と か、1年前位には、電総研に講演のためご光来を賜っ たりと、なんやら濃い関係にあったりといたします。 いやー、「第3掲示板」には、あたしめも参ったっす。 「これは濡れ衣を着せられるとイカン!」と直感し、 WWW 管理者モードに変身して、中継サーバーの log などを調べさせていただきました。尻尾はつかみまし たが、悪のりした方って、学部4年の実習生ですし、 あたしのほうから、諭しておきますので、どうぞ見逃 してやってくださいまし... 「黒木さんの掲示板って、いろいろ学際的な情報が 掲載されていて、おもしろい!」などなど、酒をお ごりながら、よもやま話を聞かせていたのが、そも そも悪かったのではあります...
ニューズウィークまで見てる余裕がないので、やや形式的なレスポンスです。
「粒子」と「波動」の二面性というと極めて神秘的に聞こえますが、それは、ぼくらが体験している大きさとエネルギーの領域では、どんな存在も「粒子」あるいは「波動」のいずれかの側面だけをぼくらに見せているからでしょう。 我々の直感というのは、(進化のプロセスも含んだ)日常経験の積み重ねの結果として獲得されたものであり、それが及ばない領域は「神秘的」と感じるわけです。
量子力学を学んだ我々でも、「「粒子」と「波動」という二面性を持ったある実態」というのは、直感的には把握し難いものです。 けれど、量子力学の理論の枠組みの中では、こういう実態は完全に数学的に書き表すことが出来て、それをどうやっていじって、そいつらとどうやって遊べばいいかは、かっちりと定まっています。 この数学的な体系そのものは、神秘的ではありません。
物理を学ぶものにとって有益なアナロジーではないことは明らかです。 かといって、これで物理の学生が毒されて困るといった深刻なものでもない。 宗教の場合は、何らかのきっかけをうまくつかんで、日常を越えた世界に入り込もうという側面もあるので、物理の比喩が一部の人に有効でも、さほど困った事だと言う気はしません。 ただ、三位一体が関数解析の言葉で完全に記述されるといった主張をすると、神秘性が奪われたと感じる人も多いのではないかと思ってしまいますが。
P.S. いまいち、のりが悪かった。 本業の方が大詰めなことと、ちょっち、第3掲示板でエネルギーを失った・・
うん、ゲーデルの当初の証明は ω無矛盾という前提があって、 それをロッサーが無矛盾に弱めた ことは知っているけど、実際どう やったのか、細かいことは不勉強 なので知りません。さわりだけで いいから教えて。(^^;)←ナサケナイ。
ついでに無駄に細かいことを。 「自然数論を含み、実効的で無矛盾な形式的体系において、 それ自身もその否定も証明できない文が存在する」は、 Rosser の不完全性定理です。 「自然数論を含み、実効的でω無矛盾な形式的体系において、 それ自身もその否定も証明できない文が存在する」が、 Gödel の第一不完全性定理です。
こうした比喩は有害なものではありませんか? それとも、(文中での主張のように) 比喩どころではないのでしょうか。
ま、人それぞれですからね。「知」そのもの よりも「知的雰囲気」を求める人も中には いるということですよ。 同様に、「知」とは違う「知的雰囲気」に、 チョッカイを出したがるオセッカイな人も 中にはいてもよろしいでしょう。(^^;)
以上が僕の言いたかったことですので、 上の主張に、それでも間違いがあるというなら、 具体的に指摘して下さいませんか。なんて書いているけど、 どこが間違っているかというレベルではありません。 専門用語が並んでいるだけの意味不明な文章の典型例です。
このままの状態では、 何を読んでも早のみこみして勘違いの再生産をするだけでしょう。 うちの学生なら、 「足元がぐらついているのに背伸びしても転ぶだけだよ」 と助言するところです。 ただ、私の教師としての短い経験で知ったことは、 この種の人は、 そもそも自分の足元がぐらついていることに気付いていないので、 まず、「君の足元はぐらついているんだ」 と説得することが最初の難事業だったりすることです。 それで給料をもらっているんだから、 難事業でもうちの学生が相手ならやりますけどね。
なお、公開おせっかいは私の芸風ではないので、 ここで、たろいもさんを説得するつもりはありません。
鴨さん相変わらず細かいね。 黒木さんといいコンビ(^^;) ところで実効的というのは 英語でeffectiveという奴? ま、人間サマが公理系を作るのは 「実際に証明が正しいことを検証する」 為なので、普通(無意識に)「実効的」だ わな。そりゃいくらなんでも「シロウト」に 入れるツッコミとしてはキツイわ。 「完全性定理」の証明のやり方で 「完全な公理系」を作ったばあい、 どれが公理か判定する手続きが もはや存在しないわけで、あれは 「絵にかいた餅」 でしょう。餅は食えなくては意味が無い。 公理は判定できなくては意味が無い(^^;)
いかん、確かに重要な条件が抜けていました。対角線論法が使えなくなってしまうではないか。鴨さん、どうもありがとうございます。 (「私は数理論理学は完全にアマなので、…知っているので、安心して…」と書いたときに予想した通りの結果になってしまったのだ。鴨さん、あてにしてます。今後もよろしく。)
皆さん、おはようございます。私はこれからに大学院入学試験の監督をやります(9:00-12:30)。 (明日の午前も監督なのだ。) 私の1つ上のM1が5人いて、私と導入のM1は8人だった。現在のM1は毎年40名程度なのだ。10年程前に比べて 5〜8倍も人数が増えたことになります!
くろきさん:
>>「第1不完全性定理」は「自然数論を含むような無矛盾な体系において、それ >>自身およびその否定の両方が証明不可能な命題が必ず存在する」という定理の >>ことです。
前提から、大事なものが抜けていますよ。 正しくは、「自然数論を含み、実効的で無矛盾な体系において、それ自身およびその否定の両方が証明不可能な文が存在する」です。 体系が実効的であるとは、 おおざっぱには、ある表現がその体系における正しい証明であるかどうかを判定する手続きが存在することです。
「自然数論を含み無矛盾で完全な体系」は、選択公理を使って作ることができます。 完全性定理のHenkin流の証明は、そのような体系を構成することで行なわれます。
フィールズ賞 受賞者の Maxim Kontsevich (Максим Концевич) の名字は、 「コンツェヴィッチ」と読むのが正しいです。 ("tse" の部分にアクセントがあったと思う。) 深谷さんがいろいろな所に「コンセヴィッチ」と書いたせいか、 こう読むのが流行っていますが間違いですのでご注意下さい。 量子不変量については、ここ何ヵ月か「数学セミナー」 でリレー連載が続いていますのでそれを御覧になるのがよろしいかと。
ちなみに、次回の ICM (2002 年) は 北京開催だそうです。
自分の技を磨くとともに、どこへ行くのにもリングを鞄に忍ばせて余所へも普及するという、まるでバンダイの回し者のようなことを最近ではやってます。いきなり、表の掲示板で宣伝なんですが、こんど、10月に芝居に出演することになりまして、先週の稽古にジターリングを持っていってキャストにまわさせてみました。やっぱり、最初の関門は5つのビーズが全部まわっている状態になることですね。しかし、このページの一番上の渡ミカはホンの30分くらいの間に歩きながらローラコースターから360度ターンまでをマスターしてしまい、リングの持ち主としてはちょっと悔しかったです。
>From: くろき げん <kuroki@math.tohoku.ac.jp> >Subject: Re: 清算モードのはり〜ちゃんより (3) >ありゃ、1時12分に投函されたメールが2時過ぎに届いているのだ。 電子メール,ニュース配送など,順番が入れ替わるのは, よくあることなんですが,今回は,「あなたが先に出し たはずの ver.1 がどっかいっちゃったようで,掲示板 へ出てないですよ」という趣旨で黒木さんが仰せだった ので,ver.3 を出してしまったのでありましたとさ。 黒木さんのご指摘を真に受けてなかったら,「多分順番 が入れ替わったんでしょう」など思って,そのまま寝て しまったかもしれません。 # 昨夜の投稿は,自宅からなり。
完治さん、
貴重な情報をありがとうございます。
そちらでも、ジターリングは jitter ring と呼ばれているのですか?
海外の web pages (特に力学なんかを論じたやつ)がみつからないのが、気にかかっているので。
ジターリングゾーンという web page にも、ジターリングはハワイの製品だと住所入りではっきり書いてありました。
ジャイロリングについても、上の人の web page に出ていました。 ほとんど同じもののようですね。 説明書は、こっちの方がずっとわかりやすい。 でも、わざの名前が、いちいち変えてあるのが、面白い。 ぼくは、この説明書のステップ4まで、なんとかできるようになっています。 (しかし、五歳くらいの子にもばんばん回せるのか。 みなさん、がんばりましょう。)
針谷さんの紹介されたジターリングの技の動画のページは、ぼくも発見していました。 (goo で検索したら、いっぱいでてきたの、面倒なので、上のページとこのページの二カ所だけを覗いた。) ただ、ここの動画は雰囲気をつかむのには OK なのですが、ややこしい技の場合には、いざ、どうやるのかをじっと見ても、コマが粗すぎてちっともわかりません。 ジターリングゾーンのトリック紹介のページは、静止画ですが、かなりわかりやすいです。 それでも、このページの著者もビデオを買って実際に回している所をみることを強く進めていますね。 ぼくも、そろそろ買おうかな。
なんだ、黒木さん、「東大生」云々の 冗談真にうけちゃったの?やだなあ。(^^;) ここは「高尚ナル話題」が絶えないので 悪貨はたちどころに駆逐されてるね。(^^;) 黒木さんの心配は「杞憂」かと思うね。 >たろいもさんが提起した話題については、 >ここ以外の場所で続けて頂くわけには >行きませんか? たろいもさん、黒木さんの剣幕に怖れを なしてか(^^;)どっかいっちゃったよ。
自己フォロー >デモンストレーターの実演とか,どっかのTV番組など >で見れないものでしょうか?流行のおもちゃなら,新聞 >のTV番組面を良くみてれば,見付かるかな... わざわざTVなど捜さないでも,ここ http://www2.gol.com/users/makoto3/j_trick.htm にありました...
はじめまして。 ジターリングですが、ニュージーランドでの流行り具合を御報告いたします。 96年初頭に、まず高校生の間で流行りました。そのころ学校にいくと、 ジャー、ジャーとあちこちでうるさく回っておりました。 それが97年初頭には、低年令に主体が移行し、小学生がやるようになましたが、 それも次第に先細りとなり、98年には完全に消滅いたしました。 この国が、発祥の地であるのかどうかは、寡聞にして知りません。 まずは、御参考まで。
ありゃ、1時12分に投函されたメールが2時過ぎに届いているのだ。
はりがや@「清算モード ^^;;」です。 |黒木さんにお願いしまして、「掲示者リスト」のところを、 |* 針谷 喜久雄 (はり〜ちゃん, K.H., 愛猫家♂) |のように変更してもらいました。 一時期、とある掲示板にて、思いつきで、「はりりん」or 「きくりん」とかいう筆名で出ていったこともありました。 でも、自分で名乗るそばから、むずがゆく感じてしまった こともあって、1日か2日で使わなくなってしまいました とさ... 「きくりん」という筆名、なんとなくカワイイと いう意見もありましたが... (ここのところ余談。^^;;)
ちょっとアレだと思っている方もいるかもしれませんが、この件はこれで手打ちにしましょう。
それにしても不思議なのは、2つの掲示の Date なのだ。掲示の順序が逆転している! sendmail のログを見てみると、確かに先に投函されたはずの 1 の方が後で投函された 2 よりも後に届いているのだ。先に投函した方は実は私宛に Cc: されているのですが、何か関係あるのかな? 私宛のメールは mailhost.math.tohoku.ac.jp に届き、掲示板宛のメールは zakuro.math.tohoku.ac.jp に届くので、その両方を情報を DNS から取得するのに時間がかかってしまい、先に出したメールの方が後で届いてしまったのかな?
はりがや@「清算モード ^^;;」です。 黒木さんにお願いしまして、「掲示者リスト」のところを、 * 針谷 喜久雄 (はり〜ちゃん, K.H., 愛猫家♂) のように変更してもらいました。これらの筆名のうちのどれかで 出て行っていることが多いですので。 いつか、どっかの掲示板で、思いつきの筆名で、「はりりん」or 「きくりん」とか、やったことありましたが、本人が名乗るそば から、自分でむずがゆく感じてしまったので、1日か2日で使わ なくなってしまいましたとさ... (ここの部分は余談 ^^;;)
田崎様 掲示板の読者をいろいろ混迷させましたことは、 今後の反省材料とさせていただきます。 |黒木さんにお願いしまして、「掲示者リスト」のところを、 | |* 針谷 喜久雄 (はり〜ちゃん, K.H., 愛猫家♂) | |のように変更してもらいました。
言うまでもないことだと思いますが、「東大生」でないとわかったから、私が「随分ご立腹」しているというわけではありません。実際には「ご立腹」しているわけではないのですが、ここが E-mail address の詐称行為が許される場所であると誤解されるのは私としては大変困るので、はっきり態度を示しておくべきだと考えたのです。
具体的にどことは言いませんが、私の観察では多くの場所が「悪貨が良貨を駆逐する」という状況になっているように思えます。ここはそうなって欲しくないのです。
と言うわけで(というのもなんですが)、たろいもさんが提起した話題については、ここ以外の場所で続けて頂くわけには行きませんか? 例えば、「なんでもX」という変なタイトルで Tea Cup Communication の無料掲示板を取得したので自由に利用して下さい。
>すると、任意の(自由変数を含まぬ)式に対して >「Aが真であるか、非Aが真であるか、いずれかである」 は >「Aが証明可能であるか、非Aが証明可能であるか、 >いずれかである」で代置されるでしょう。 >この後の主張が、排中律に対応するわけです。 ?。 古典論理では 「「Aまたは¬A」(排中律)は証明可能」 とまではいうけど、 「Aが証明可能か¬Aが証明可能」 なんて強い主張はしてないよ。 せいぜい 「¬Aから矛盾がいえれば、 Aが証明できたとする」(背理法) くらいだな。 古典論理の場合 「「AまたはB」が証明可能」でも 「Aが証明可能」か「Bが証明可能」 になるとは限らないんだよね。 証明に背理法を使っちゃうと、 「¬Aかつ¬Bだと矛盾する」 ことまでしかわからないから。
黒木さん、相手が「東大生」でないと わかったら、随分ご立腹ですね。(^^;) ところでなんか書かないとマズイと思って 書いたアドレスにしてはいかにも東大の人 ですっていうもっともらしさの漂うものだっ たね。あれが、あるんだかないんだか、 わかんないようなxxx.comみたいなもの だったら、ウソでもつっこまれなかった んじゃないかと密かに考えるのは僕だけ?。 (^^;)
>黒木さん メールの件、黒木さんにもお詫びします。 >「排中律そのもの!」ってどういう意味? もしかして >「A∨¬A が証明可能」と「A と ¬A の少なくともどちら>かが証明可能」を混同しているのではないか そんな初等的なミステイクをしたと、とらないで下さい。 もうちょっと僕の言う意味を説明します。 数的対象が実在する、という立場は、それに排中律 を適用できるという考えと結びついています。 数について、何をいうにしても、その命題の 真偽は、確立しているわけでしょう。 だったら、A(たとえば、連続体仮説)が真か、 偽かは、私たちとは独立に、 あらかじめ決まっていることになりますよね。 数学の無矛盾な公理系Zを作って、「数学的真」を 「Zで証明可能」で代置したとしますね。 すると、任意の(自由変数を含まぬ)式に対して 「Aが真であるか、非Aが真であるか、いずれかである」 は 「Aが証明可能であるか、非Aが証明可能であるか、 いずれかである」で代置されるでしょう。 この後の主張が、排中律に対応するわけです。 そして、ゲーデルの不完全性定理は、 その意味で、排中律の無制限な適用を禁止した 直観主義の立場と触れあうわけです。 以上が僕の言いたかったことですので、 上の主張に、それでも間違いがあるというなら、 具体的に指摘して下さいませんか。 それから、述語計算の決定可能性の質問は、 ちょうど直観主義の命題計算ではどうなるのか、 関心があったものですから、松本さんの投稿を よく読まなかった僕の早とちりです。 (真と恒真の区別もできてないなんて、言われて ちょっと心外、やはりひとの投稿はよく読まねば)
たろいもさんへ。 E-mail address の詐称はいけません。そのような態度は回答する気を削ぐものです。しかも、その理由が「(電子メールアドレスの欄に)何か書かないと投稿を受け付けないのでは(と思ったから)」というのはトンデモない! もしも、この掲示板が電子メールアドレスの欄に何か書き込まないと投稿を受け付けないという仕様になっているとしたら(実際にはそうなっていませんが)、電子メールアドレスを正しく入力する気のない人は投稿してはいけないと考えるべきでしょう?
ええと、やはり、たろいもさんは、完全性定理や不完全性定理を論じる以前のもっと基礎的なところで誤解しまくっているようです。実際、たろいもさんは次のように述べています。
不完全性定理の否定命題は正確に表現するとどうなるのかを考えてみます。 「ZのどんなAについても、Aが証明できるか、 あるいは非Aが証明できるか、いずれかである」 ですね。 これは、どうも、無矛盾な体系Zにおいては、 「証明可能」を「真」と代置してよいという主張 になりませんか。(排中律そのもの!)
「排中律そのもの!」ってどういう意味? もしかして「A∨¬A が証明可能」と「A と ¬A の少なくともどちらかが証明可能」を混同しているのではないですか? あと、ここで引用しなかった部分を含めて、「真」と「恒真」の区別もしてないですよね。
しかし、これとは別に、ゲーデルがなぜ「完全性定理」「不完全性定理」という言い方をしたかについて歴史的な考察をしてみるのはまことに興味深いことだと思います。ただし、上で述べた類の誤解のもとでまともな議論を行なうことは不可能だと思いますが。 (手許にゲーデルの論文の英訳 (in "From Frege to Gödel: A Souce Book in Mathematical Logic, 1879-1931") があるので、個人的趣味として見てみることにするかな。)
>大出あきら氏の「自然な推論のための論理学」(勁草書 >房)の91頁に >「直観主義命題論理は、古典命題論理と同じように決定可 >能なシステムである」とあり、その証明が出ています。 >してみると、松本さんが言われる >「決定不可能な命題計算の式」というのは、どんなものを >さしているのか、教えていただけませんか? と松本さんに聞いたのは、僕の早とちりでした。 もっと初等的なレベルの話でした。 要は命題論理や述語論理の偶然的に真となる 式のことを言われてるだけでしたので。 お手数掛けてご免なさい。
はりがやです.たさきさん紹介のバンダイの Web page を見まして,JITTER RING がどんなものなのかようやく 知ることができました.掲示板の文章からじゃ,どんな 形をしているかも想像に及びませんでしたです. デモンストレーターの実演とか,どっかのTV番組など で見れないものでしょうか?流行のおもちゃなら,新聞 のTV番組面を良くみてれば,見付かるかな...
黒木さん、マメですね。 ボクは、本人が認めてあやまったから許します。 でも、見てて確かに愉快でないので、良い子はマネしないように(^^;)
ぼくもジターリングが欲しくなったので昨日(仙台の)街に出て探してみました。ジャシャーーーーーーという音が聞こえて来たので、これはもしやと思って見に行ってみると、5歳くらいの女の子が元気に回していました。おお、なるほどこれか! しかし、その製品名はジャイロリングでした。ジターリングではない?!?! ううむ…。仙台の玩具屋ってどの辺がおすすめでしょうか? (むかしなつかしいルービック・キューブも欲しくなって来たな。)
非常に気持ち悪いので、たろいもさん書いてしまった偽の E-mail address 部分を削除しておきました。変更前のヘッダーをここに保存してあります。
>命題計算で、決定不可能な式を作れましたっけ。 >古典論理の命題計算は決定可能。 決定性とは関係ないのですよ。 恒真でも恒偽でもない命題の 存在ということですから。 試しにP∨Q⇒P∧Qとその否定 (P∨Q)∧¬(P∧Q)を 証明してみて下さい。(^^;) (種明かし) P Q −−− T T T T F F F T F F F F 「恒にT」「恒にF」ではありませんね。 こういう式は自分もその否定も 証明できません。 #述語論理なら #∃x.P(x)⇒∀x.P(x) #という例はどうでしょう。 #(P(x)を真とする対象がタッタ1個 #の世界ではこれは正しい^^;) 論理の場合、下の三種類の命題があります。 1.恒真な命題 = どのモデルでも真 2.充足可能な命題 = あるモデルで真 3.充足不能な命題 = どのモデルでも真とならない。 2は1を含みますが、 2であって1でない命題は 幾らもあります。
>松本さん 御返事有り難うございます。 (電子メール宛先に、いい加減なこと書いて ご免なさい。何か書かないと投稿を受け付けないのでは と思いましたので。たろいも@低脳大学 くらいの意味にとって下さい) >彼らは自然数論の不完全性定理「自然数論における陳述A >で、Aも非Aもいずれも証明できないものが存在する。」 >は知っていて、そこから完全性=Aか非Aの何れかが証明 >可能と理解したのです。そしてその意味から述語論理の完 >全性定理の内容を上のように「類推」したのです。でもこ >れは明らかに誤りです。 なるほど、そういう輩のことを念頭におかれていたのです ね。考えても見なかった。松本さんがいらだつ気持ちも分 かりますね。 不完全性定理の否定命題は正確に表現するとどうなるのかを考えてみます。 「ZのどんなAについても、Aが証明できるか、 あるいは非Aが証明できるか、いずれかである」 ですね。 これは、どうも、無矛盾な体系Zにおいては、 「証明可能」を「真」と代置してよいという主張 になりませんか。(排中律そのもの!) そうだとすれば、 不完全性定理は、「数学的真」を「無矛盾な公理系 における証明可能性」で置き換えようとする ヒルベルトのプログラムを否定したという言い方は、 正しいわけですね。 >述語論理どころか命題論理ですら、Aも非Aも証明できな>い式など、幾らでも作ることができます。 命題計算で、決定不可能な式を作れましたっけ。 古典論理の命題計算は決定可能。 直観主義論理については、僕はよく勉強したことがないの で、とりあえず、手元の論理学の教科書をひっくり返して みましたが、大出あきら氏の「自然な推論のための論理 学」(勁草書房)の91頁に 「直観主義命題論理は、古典命題論理と同じように決定可能なシステムである」とあり、その証明が出ています。 してみると、松本さんが言われる 「決定不可能な命題計算の式」というのは、どんなものを さしているのか、教えていただけませんか?
牧野さん、はまださん、
ぼくも Yahoo で jitter ring を検索したら、ほとんど何もひっかからなくて、不思議に思っていました。
バンダイのページでも、コロコロコミック(小学生の男の子がいないと絶対知らないね)でも、ハワイから来たと紹介していたのですが。
デモンストレーション集団 TJR (チーム・ジターリング)だって、ハワイを中心に活動と書いてある。
でも、コロコロには、おねえちゃんの出身地はオーストラリアと書いてあったような気もするなあ。
ニュージーランドとオーストラリアなら、まあ、近い。
ときに、バンダイのページにも登場している TJR のソロモン・フレイザーさんは、かつての水晶玉おやじと十分勝負できる怪しさである。 35歳という年齢を見るだに、(他人事ながら)ジターリングのブームが去ったときの再就職とか大丈夫なのかなと心配になります。 (ハイパーヨーヨーの中村名人(知らないか?)にも同様の心配をしてしまう。)
バンダイのページには、ハワイとか書いてあったけど、昨日の毎日新聞朝刊には、 ニュージーランドで流行ってるのをパクったとありました(商品名を変えてるのか?)。
牧野さん、情報どうも有り難うございます。 東大の場合、学生番号のメールアドレスが 多いので、珍しいなとは思っておりました。 まあ、僕としては議論の相手が東大生で あってもなくても、あまり大したことではあり ません。「分かってる」かどうかは、文章を みれば想像がつくことですから(^^;)
別に mail address を書くことが要求されているわけじゃないんだから、わざわざ存在しないアドレスを書く理由はないし。
ところで、ジターリングですが、 altavista あたりで jitter ring で検索しても、引っかかってくるのはすべて .jp なんですね。和製英語というわけでもなさそうだし、ちょっと不思議。
たろいもさんへ あなたはどうか知りませんが、 私がネットで見た限りでは実に 多くの人が 「一階述語論理においては、陳述Aか 非Aかのいずれかが証明できる。 だってゲーデルが完全性定理で保証 しているだろ?」 というのを耳にしました。 彼らは自然数論の不完全性定理 「自然数論における陳述Aで、 Aも非Aもいずれも証明できない ものが存在する。」 は知っていて、そこから 完全性=Aか非Aの何れかが証明可能 と理解したのです。そしてその意味から 述語論理の完全性定理の内容を上の ように「類推」したのです。 でもこれは明らかに誤りです。述語論理 どころか命題論理ですら、Aも非Aも証明 できない式など、幾らでも作ることができ ます。 このような「初歩的な誤り」を再三見るに つけ、「完全性定理」と「不完全性定理」 でコトバを分けないのは、問題だと考える ようになりました。あなたはどうですか?
はりがやです. 田崎さんの文章もちゃんと読んでおりました.どうもここ昨今, 物理学会WWWに関してトピック的更新事項があると,それを 出来るだけアナウンスしておこうとかそんな意識のほうが強く て,各種物性関係MLとかに送った文章を黒木さんの掲示板に のっけてしまっていたりもしますので... (^^;;) わたし自身だって,「学部生に数式を使わない授業をおねがい します」という依頼を受けまして,そう言う場面では,ブルー バックスくらいの内容で啓蒙的でしかないやたらに漫談調の講 義などやったこともあります.そのときは,折り紙細工を見せ たり作らせたりして,「ほーらC60には2回対称,3回対称, 5回対称などいっぱいあるでしょう?」とか,「超伝導とはど んなもので...」とか,図と絵と,文章だらけの講義録を作 ったりしたものです.そういう1時的な経験のほかは,ふだん は最先端の研究だけが仕事と云う身分なので,学部生とか専門 ちがいのひとに入門的なお話しをするとか云う意識が抜けてし まっていることもままあります.啓蒙的なものでも書きましょ うという気になれば書こうとか思っていますが,あまり教育と か意識しないでよいような日常なもので,その辺抜けてしまっ ている掲示も頻発してしまったのかもしれません. インターネットニュース経験も長年ありますが,自分に関係な い掲示などどんどん読み飛ばせばよいとかいう,いわゆる「読 み飛ばしわざ」さえ使っている時もあります.黒木さんの掲示 版だって全部読んでいる訳ではなく,スレッドと離れて思い付 いたときにトピック的投稿を行うことがままあるので,それが 「脈絡ない掲示」となって,見えてしまうのでしょう.さて, 「はり〜ちゃん」とか「K.H.」とか「愛猫家♂」いうネーミン グですが,小生のもっとみじかなところですと,バンド計算の 掲示板(http://www.etl.go.jp/~kawa/ をごらんください)な んかで,感じるままに名乗ってつかっている次第で,猫みたい に気ままにやっているだけなんですね.裏に何かポリシーがあ ってやっていることじゃないので,そのところ突っ込んでいた だくのは構わないですが,お返事する気にならなくて,黙って しまうのであります. また何かありましたや,よろしくお願い申しあげます.
松本さん 御返事どうも有り難うございます。 >普通の人は、「完全性」を「真か偽かキッチリ決定でき >る」という意味で用いるが、これは「世界が1つ」だと >思っているからである。しかしながら、述語論理は >もともと「世界を1つに定める」ようなものではない。述 >語論理の「完全性」は、そのような意味で誤解を招くの >で、別の用語にしたほうが、初学者には >親切かと思う。(僕もそうだったけど、大抵ハマるんだよ >な。最初は^^;) コーヘンの本では、「述語計算の完全性は、後で述べる数 学の公理の不完全性と際だった対照をなす」と述べた後 で、「ゲーデルの完全性定理も又、形式的体系の概念に、 ある決定的な限界があることを示す」と述べて、 完全性定理の系として、 「(述語計算の形式的体系)Sが無限モデルを持つとき、 あるいは、Sが任意の大きさの有限モデルを持つことが出 来るとき、Sは任意の大きさの濃度のモデルを持つことが 出来る」ことを証明しています。 この系は、述語計算を使うどんな公理系も、有限モデル の場合以外は、一意に決まるモデルは(同型を除いて)存 在し得ないことを示します。そこで、唯一のモデルを持つ と想定されている整数や実数の数学の体系は、どのような (第一階の述語計算のにもとづく)形式的公理系をもって しても完全には記述不能であることが、結論されます。 注意すべきことは、このことが、ゲーデルの論理学に関す る「完全性定理」の系から、すでに結果すると言うことで しょう。 ただ、古典的な数学は、非形式的な集合論を使っているの で、それをきちんと形式化した体系としましょう。 すると 「Zにおける陳述Aで、Aも非AもZの公理系から証明で きないものが存在する」という、「遙かに穏当なる意味」 でも、数学の公理系は「不完全」であると主張するのが ゲーデルの不完全定理ではないでしょうか。 歴史的に見ても、ゲーデルは述語計算の「完全性定理」 を証明した後に、すぐに、数学の「不完全性定理」の証明 に取りかかっています。 こうしてみると、述語計算の「完全性」と数学の「不完全 性」は密接に連動しているので、両者に、同じ「完全性」 という言葉を使うことは、決して的外れなことではなく、 歴史的な繋がりや、事柄自体の結びつきを見る上で有効で はないかと思いますが、如何でしょうか。
そういえば、今年はICMのある年ですね。 場所はベルリンだとか。フィールズ賞も 発表になりましたね。 コンセビッチとかいう人は量子不変量の 研究者でしたっけ?僕はその昔トポロジー に興味があって、’86にフリードマンと ドナルドソンが4次元多様体の研究で フィールズ賞をとったのはよく覚えて います。でも、あの時も肝心の中身は ようわからんかったな(^^;)。う〜ん、誰か 3次元多様体の量子不変量について 解説してくれんかなもし。
しかし、代弁と代表と言葉がちがい、訳も違っていたりしたら紙の上で探すのは どうにもならんかったろうなあ。最近 CD-ROM 版のマルエン全集がでてるそうだけど、 そいつを買って検索する元気はさすがにない。
たろいもさん、こんにちは。 東大の学生さんですか? 向学心旺盛な方と見ました。 僕は黒木さんほど綿密な性格では ないので(^^;)アバウトな説明をします。 まず、「完全性定理」の場合から。 元々述語論理というのは、単にコトバ なので、これを妥当とする「世界」という のは1つに限らない。(「世界」というのは 業界ではモデルとよんでいるもの^^;) だからある命題について、ある「世界」では 真だが、別の「世界」では偽だなんてことは 当然考えられる。 その場合「論理的な真」というのは、 「論理を妥当とするどの世界でも真」 であればよい。証明可能であることと これが同値になるというのが述語論理 の完全性定理。 で、次は、「不完全性定理」の場合。 自然数とか実数というのは、この世に 「1つ」だと思われているので、その公理系 が「一つの世界」をカチッと決めてくれない と困る。 論理みたいに、あの世界ではエエけど、 この世界ではダメとかいうのはいかん。 全ての命題について、これは「真」とか 「偽」とか決まらないといけない。 ゲーデルの結果は、「公理系」では、世界 を1つに定められないので、証明という方法 では、真偽をキッチリ決められませんよと いうもの。 「公理系に妥当する世界」を皆もってくれ ば、そのどれでも真になるものは証明 可能になる。これは述語論理の完全性 定理から導かれる。しかし、自然数論は 単なるコトバとしての「論理」とは違って それが描く「世界」はただ一つであること が期待されるので、そこまで含めて考え なくてはいけない。 コーエンが、真を「論理的真」と「数学的真」 に分け、前者が証明で尽くせるが、後者は 証明で尽くせないといったのは、上のような 意味のことかと理解している。 普通の人は、「完全性」を 「真か偽かキッチリ決定できる」 という意味で用いるが、これは 「世界が1つ」だと思っているから である。しかしながら、述語論理は もともと「世界を1つに定める」ような ものではない。述語論理の「完全性」 は、そのような意味で誤解を招くので、 別の用語にしたほうが、初学者には 親切かと思う。(僕もそうだったけど、 大抵ハマるんだよな。最初は^^;)
ぼくの針谷さんがらみの書き込みへのご意見を読んで、たしかに、ぼく自身、動機を説明し切れていないということに気がつきました。 影の動機が読みとれるように書いたつもりなのですが、それは、この掲示板をある種の視点から(裏を含めて)通読していないとちょっと理解しがたいものになっていました。 申し訳ありません。
前の掲示にも書きましたが、ぼくが彼への批判を書いてしまったのは、ぼくの仕事への言及がきっかけとは言え、前々から彼の掲示のスタイルに(広い意味での同業者として)ある種の疑問を感じていたからでした。 最初の批判的な書き込みでも、本当に言いたかったのは、小さい字で書いてある方の内容です。 真っ向からそれを取り上げて個人批判するよりも、ぼくの事に触れた匿名の書き込みに柔らかいレスポンスをすれば、意図は自ずから通じるだろうというのが、ぼくの目論見でした。 (それは、結果としては、失敗でしたが。)
で、彼の掲示のスタイルのどういうところが気に入らなかったかという事を、いちいち書き連ねてもちっとも建設的な書き込みにならないので、それはしません。 前にもちらっと書いたけれど、何の脈絡もなく、掲示板からご自身の業績リストにリンクをはったり、新しい肩書きが増えたというようなことを宣伝したりといったことを指しています。 ぼくは、この掲示板は途中からしか読んでないのですが、もとはしみほさんの簡潔なサマリーが当たっていると思います。 ぼくが、そういう掲示に疑問を持ってしまう理由の一つは、(ちょっといやらしいかもしれないけれど)こういうのを見ると掲示板を読まれているみなさん、特に科学畑の外のみなさんが、現代の科学者というのは要するにこういうものかという印象を持たれるのではないかと心配してしまうからです。 ただでも科学者の一般社会からの遊離がひどくなり、科学への風当たりが強くなっている(かのように思われる)今日この頃、敢えて科学者の持っているある種の側面だけを強調する(かのようにぼくには見える)掲示を書かなくてもいいのではないか、という主旨です。 (もちろん、無理に虚勢をはってかっこいいこぶりっこするのは、もっと愚かですが。)
もちろん、これは全部ぼくの趣味の問題なので、どなたに対してにせよ、それを強制するわけにはいかないのは重々わかっています。 ですから、はじめの掲示でも自分の仕事の宣伝のされ方については「うれしくない」と言い、ある種のスタイルの掲示に対しては「趣味ではない」と表明したのです。 前の書き込みでぼくが暴走して頑固親父化してしまったのは、匿名性が問題にされているのに、それをやめようとされなかったからですが、まあ、それも趣味の問題ではあります。 我ながら、行き過ぎだったと思います。 すみません。
結局のところ、ぼくはぼくの趣味に基づいてわがままな頑固親父風発言をしているわけだし、彼は彼の美学・価値観によって書き込みをされているのだと思います。 彼には、ぼくの書いていること、ぼくの意図していることは伝わっていないし、これからも伝わることはないでしょう。 (逆に、ぼくにも彼の世界観はなかなか理解できないでしょう。) 結局、何も変わらず、読者のみなさんは、「物理をやっている人にも少しは違うタイプの人がいて意見が合わないことがある」という当たり前の事実を再確認されただけだと思いますけれど、それはそれで悪くない事だと勝手に思っています。 もとより、「何らかの形で論争に決着をつける」とか「闘いに勝利を収める」とかいう気はありませんので、(今度はぼくへの批判が噴出しない限りは)この話は原則としてこれで終わりにしようと思っています。 (ゲーデルで盛り上がれば、ちょっとすごいことになりそうだし。) お騒がせいたしました。
『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』のどこかです。 ファシズムとか、代議制の話に出てきます。確かな文脈は不明。
ううむ…。この話題でも火を吹きそうだな。たろいもさんは、もしかしたら地雷を踏んでしまったかもしれないので、覚悟しておいた方が良いと思います。(^^;) (…と回答を考えている人達を遠回しに牽制しておくのだ。)
詳しい回答は後でしようと思っていますが(場合によっては書かないこともあり得る、そのときは御免なさい)、1つだけ気になった点について述べておきます。このような話題において、「フィールズ賞を取った人が言っているから」といった類のことを判断の基準にするのは間違いです。むしろ、「フィールズ賞を取った人でも、独断的なことを述べたり、紛らわしいことを述べたりすることがある」と念のために疑ってみた方が良いと思います。実際、フィールズ賞を取った人でもいいかげんなことを言う人は結構います。 (私が今思い浮かべているのはF氏のこと。 Cohen の件は Set Theory and the Continuum hypothesis を読んでみるまで判断保留。)
黒木さん 初投稿の_たろいも_に懇切丁寧な解説、感謝しています。 参考文献のご紹介もありがとうございます。 詳しく書いていただいた説明を読みまして、僕なりに考えたこともありますので、 なにか間違っていたら、教えて下さい。 始めに、僕の予備知識の程度(大したものじゃないんですが)を明らかにして くと、数学基礎論でフィールズ賞を受賞したPaul J. Cohen の Set Theory and the Continuum hypothesis は読んだことがあります。 この本では、最初の方で、ゲーデルの完全性定理の証明を与えた後で、 「述語計算の完全性は、後節で述べる数学の諸公理の不完全性と、際だった対 照をなしている」と述べています。(p16) つまり、述語計算(論理学の公理化)と数学の公理化との間にある質的な差を 強調する意味で、前者は「完全」であるが、後者は「不完全」であらざるをえ ない、という対比をしています。 コーヘンは、この文脈では、「論理的な真」を「証明可能」で置換することは 可能であるが、「数学的な真」を「証明可能」で置換することはできないと言 う意味で使っています。 僕自身の限られた読書の範囲でも、論理と数学の違いを、前者では「完全性定 理が成りたつ」が、後者では「不完全性定理が成り立つ」こととして対比する 人は多いですね。それも、数学を知らない哲学者だけでなく、コーヘンのよう な立派な業績のある数学者もそう言っているのは、やはり理由のあることでは ないでしょうか。 論理と数学とでは「完全性」の意味が「全く」違うと言いきってしまうのは、 どうも、独断的すぎるのではないか。 たしかに、数学基礎論の議論が精密なものとなるプロセスの内で、論理学的真 と数学的真の概念がより厳密に規定されるようになったけれども、ヒルベルト の公理主義がめざしていたような、「論理学と数学の完全な公理化」のプログ ラムがどこで挫折するのかを明らかにするためにも、「完全性」という同じ言 葉を使うことは、むしろ望ましいことではないか、と思いますが、如何でしょ うか。
とカール・マルクスが言っているそうだけど、どういう文脈でその言葉が出たか知っている人はいますか? これって、黙っているせいで、おおごとにされちゃうこともあるので、自分のことは自分で言わなきゃ駄目だよっていう意味なのかな?
たろいもさん、はじめまして。毎回やっているお願いですが(そろそろ止めようかなと思っている)、もしもウェブサイトをお持ちなら、こちらからリンクしたいので URL を教えて下さい。
クルト・ゲーデルと言えば、最近、竹内外史著『新版ゲーデル』 (日本評論社、第1版1986年11月、新版1998年9月、194頁、2400円) が出ましたね。竹内外史が1978年から1997年にかけて『数学セミナー』誌 (皆さん買いましょう) に書いたゲーデルおよび数理論理学に関係のある記事が収録されています。内容的には、数理論理学そのものの解説よりも、ゲーデルを筆頭とする(特に今世紀の)数理論理学者達の人物論について語っている部分の方が主になっています。だから、この本を読んで数理論理学そのものについての知識を得ることはできないのですが、竹内による私的現代数理論理学史を楽しみたい人にはおすすめです。
これとは別の本ですが、竹内がブルーバックスに書いた『集合とはなにか――はじめて学ぶ人のために』 (B298、講談社、1976年) も結構良い本だと思います。でも、この本は「はじめて学ぶ人のために」と副題が付いてはいるものの、かなり難しい本だと思う。
ええっと、質問は「完全性」の意味が「完全性定理」と「不完全性定理」でどう違うかでしたね。
私は数理論理学は完全にアマなので、完壁に説明することはできないのですが、細かいところで間違えても修正してくれそうな人達もここを読んでいることを知っているので、安心して書くことができます。 :-)
「完全性定理」は大体において「任意のモデルで真な命題は証明可能である」という定理のことを言います。「恒等的に真ならば証明可能である」と言っても良い。ただし、当たり前のことですが、「モデル」、「真」、「命題」、「証明可能」の定義を明確にしないと定理として意味を持ちません。それらの定義ごとに様々な完全性定理があり、実際に(私はほとんど知らないことなのですが)、現代においては様々な論理学における様々な完全性定理が証明されています。
「証明可能」という syntax に属する概念と「真」という semantics に属する概念を明確に区別することは論理学のイロハの1つです。様々な種類の論理学において、「証明可能な命題は任意のモデルで真である」が成立するように様々な概念を定義します。この逆が成立するというのが「完全性定理」なのですが、それが成立するか否かは全く自明ではありません。なぜなら、ある命題が1つのモデルで真であったとしても、別のモデルでは真であるとは限らないからです。
だから、「完全性定理を定式化せよ」という問題は、「モデルの定義を十分広いものに取って、任意のモデルで真ならば証明可能になるようにせよ」という問題になるわけです。しかし、結果をシャープにするためには、モデルの定義をできるだけ狭くしたくなるわけです。
「第1不完全性定理」は「自然数論を含むような無矛盾な体系において、それ自身およびその否定の両方が証明不可能な命題が必ず存在する」という定理のことです。
大雑把に言えば、第1不完全性定理は公理を十分増やすことによって、数学におけるあらゆる命題に関して、それ自身もしくはその否定が証明可能になるようにする、という企てが不可能であることを意味しています。
さらに、「第2不完全性定理」は「第1不完全定理におけるそれ自身およびその否定の両方が証明できないような命題として、その体系の無矛盾性を表明しているとみなせる算術的命題が取れる」という定理です。
以上の説明によって、「完全性定理」と「不完全性定理」における「完全性」の意味が全く異なることは明らかだと思います。
ふう。さてと、ここから、気楽な数学の話。論理学における syntax と semantics の関係に似たような話は、数学において、より広い範囲で見られることなんですよね。それは、方程式と解の関係です。
命題を方程式とみなせば、その解はその命題が真となるようなモデルとみなすことができます。この類似のもとでは、モデルとしてどれだけの範囲のものを許すかという問題は、方程式の解をどのような範囲で探すかという問題であるとみなせます。そして、不完全性定理は、方程式の解全体に関する情報から、もとの方程式に関する情報がどれだけ得られるか、というよくある数学的問題の特殊な場合とみなせるわけです。
P.S. <hr width="80%"> ってのを初めて掲示で使ってみたのだ。単なる <hr> だと掲示と掲示の境目と紛らわしいですよね。最近書いた HTML の書き方。
最近の日本語のものでは、スマリヤンの「ゲーデルの不完全性定理」がよくでき てると聞きました。 がんばってください。これであなたも大手をふって歩けます(笑)。 あと、日本語への翻訳の問題として、誤解を受け易い「完全」でなく、ゴリゴリ の数学用語にしたほうが良かった(例えば「完備」とか)という話もある。
「あ、どーも、クルト・ゲーデルです」てな合いの手だってあって、それに対して「声がでかい」「中身にふれてない」「意図が不明」「世間的なイメージにのっかってる」なーんてったってしょうがいないでしょう。そりゃもうチトなんとか言い様はねーのかよ、ってのはあるし、おめー、わかってんの? ってのもあるし(ぼくわかってないですけど)、内容を紹介するにこしたことはないだろうけれど、でも野次馬の合いの手にそこまで期待してどうすんですか。
(合いの手)「いよっ、不完全性定理の大将!」
応対がへらへらしてたのは、そりゃ野次馬ってそういうもんだし、なんかこんな話が大きくなるとは思っていなかった時期にはしょうがないでしょう。
そして、話が拡大してきた段階で、中身の紹介がないことについては、<19980905113721@www.math.tohoku.ac.jp>のメッセージであいさつが入ってるじゃないですか。どこへいけば中身がわかるかという点まで。ちょっと茶化したように見えるポストについてだって、<19980905113829@www.math.tohoku.ac.jp>で一応にせよ仁義は切られてる。「中身の説明がなくて失礼」「茶化した応対はごめん」それで最初の問題点はカバーされている。それなのに、いまだに針谷さんが悪者のような印象にされているのは、ちょっとかわいそうすぎる。かれはいつも一言書き足りないだけなのです。シャイなのか無精なのかはわからないけれど、一応すべきことはしている。
田崎さんはそれでもご不満なようだけれど、でもこの場で正式な詫び状と自己批判まで要求しようというんですか? 論文数だけで判断するな、という趣旨はわかります。しかし今回のがそれほどの話だとは思えませんのです。田崎さんの研究について「でも論文も実績もないからあんなのダメだ」といった言われ方をしたのなら、それは速攻で蹴りが入るけれど、今回のは「いろいろ実績もある人なんだよー」という合いの手が、いささか説明不足ながら入っただけのことではないんでしょうか。
はじめまして、 「たろいも」です。 黒木さんのこの掲示板、読み応えありますね。 そこで、ちょっと質問。 >(松本真吾さんのポスト) >逆に大失敗だなと感じるのは、ゲーデルの「完全性定理」 >と「不完全性定理」です。前者と後者では「完全性」の意 >味が異なる 上の投稿で、「完全性」の意味がどう違うのか、 松本さん説明して下さいませんか? (他の方のコメントも聞きたい)
わたしの趣味嗜好からいうと、田崎さんの 率直な感想 のほうに親しみを覚えるのですが、どんなやり方にせよ、 こういう掲示板に何かをpostする行為というのは、 その人なりの美意識に適った手法による 自分自慢であるという見方ができないこともなさそうだし (もちろんいまこの書き込みも含む)、 はり〜ちゃんの芸風がわたしの趣味と相容れないのは、 田崎さんの背景とはまったく異なり、 ヒガミ根性が大いに混じってるせいだという気もいたします。
ところで。 「はりがや|はり〜ちゃん|針谷|K.H.」のsearch結果と 「はりがや|はり〜ちゃん|針谷」search結果を見比べて、 前者だけヒットしたたとえば これ、 これ(ほかいろいろ) なんかは、例の 「独身/て反発」問題と同じ原因なのでしょうね?
「問題を整理してみる」と書いたのだが、それは止めて、 K.H. さんの「田崎定理 etc」以降の問題を列挙してみるのだ。私の解釈が大幅に混じっているので、そのつもりで読んで下さい。
(1) K.H. さんの様なやり方で、自分自身の仕事を紹介されるのは嫌である。嫌の理由は以下の通り。
- 赤の大きな字で特別に目立つように自分の名前の入った用語を並べていた。
- 研究の内容についても一切触れていない。
- 意図が不明であり匿名でもあるので不気味な感じがした。
(2) その後の (^^;;) さんの掲示はさらに不快であった。その理由は以下の通り。
- メールアドレスその他の情報から、おそらく K.H. さんと (^^;;) さんと針谷さん(= はり〜ちゃん)は同一人物である。以下これが正しいと仮定する。
- 不快感を明確に表明した(HT, GK)にもかかわらず、謝罪も反論もせずに、それを茶化したような掲示を、しかも別のハンドル ((^^;;)) を用いて書いた。
- 自分自身のあるハンドル (K.H.) の発言に対する批判に対して、別のハンドル ((^^;;)) を用いて答えるのは卑怯である。
(3) 一般論として、他人の研究業績を紹介するときには、有名であるとか、分量が多いとか、地位がどうであるとか、そういう側面を強調するのではなく、その内容を紹介するように努力するべきである。
(4) 一般論として、その分野で広く認知されるような仕事してるということを紹介するのは別に悪いことではない。
ええと、私が賛成できる意見をずらずらと並べてみました。
私が不快感を感じたのは (2) の段階です。いきなり、何の説明もなしに、自分の名前が入っている専門用語を赤のでかい字で3つも並べられてしまった田崎さんは (1) の段階でびっくりしただろうし、ほとんど確実に針谷さんであることは間違いないにしても、匿名であるので不気味に感じたことと思います。
その後、その田崎さんが不快感を表明された直後に意図不明の「田崎様」宛の掲示(その続き)を針谷さんが書いています。おそらく K.H. さん = 針谷さんであるから、田崎さんの不快感の表明に対して、針谷さんは「ウェブ上で驚くほど個人情報が手に入るのですよ」と回答したことになる。これでは何のことか、さっぱりわからないわけで、田崎さんがさらに不快になったとしても仕方がないことだと思います。そして、さらに、 (^^;;) の「へ?」が登場し、私も含めて「こりゃなんだ!」ということになった。
一般論の方について。 (3) は田崎さんが強調していることで、 (4) は渡辺さんの意見です。私は、純粋な一般論としての (3), (4) の両方に賛成ですね。しかし、不快感を感じた直後なので、 (1), (2) をからめた議論になると、渡辺さんの主張に一部には心情的に賛成し難くなるな。 (^^;)
今後も (3), (4) について議論を続けたいのなら、渡辺さんがやっているように (1), (2) と一切関係付けることなく、それらとは完全に独立に (3), (4) について話し合うようにしないと、不毛な議論に突入してしまう可能性があると思います。 (3), (4) にかかわる話も面白そうなんで、 (1), (2) とは完全に切り離して議論しませんか?
ここで切りますが、書く気が起これば、 (3), (4) について続きを書きます。 (両方に賛成してみたものの、2つの意見には衝突している部分があると思うので、その点について考えみなければいけない。)
P.S. ええと、大事なことを付け加えておきます。私自身はもう針谷さんのことを何とも思ってません。針谷さんがちょっと変わっていることを再確認できたということになると思うのですが、私も変人であることにおいては決して負けていません。だから、変人であることに対して相当に寛容でなければいけません。いずれにせよ、ときどき怒りを発してしまうのは仕方ないことだと思うし、必要なことでもあると思いますが、根に持ち続けるというのは非常にまずい。というわけで、針谷さん、今後もよろしく。
田崎さんが言うところの、「論文の数や科学者社会での地位にしか関心のない」 雰囲気の掲示というのが、どの書き込みの事かよくわからなくてちんぷんかん ぷんなのですが、もしかして、謎の K.H. さんの > 「近藤効果」みたいに,常用される学術用語に なることが期待されます... ってのが、地位や知名度ばかりに関心を示した掲示なんでしょうか? 匿名で説明不十分な書き込みをした事の是非は置いておくとして、「その分野 で広く認知されるような仕事してるんですよ」って事を紹介するのは別に悪い 事じゃないし、中身よりも地位や知名度ばかりにこだわている、というふうに も感じられないのですが... それから、田崎さんがあきれたという「科学者社会での地位」やら「世間的知 名度」のみに関心のある姿勢をさらけ出した書き込みってのもよくわからない のですが、もしかすると針谷さんの > 世の中には, こんな Web page を作っている人もいるもので, エー,「パ > リ※※」に経歴 など書いた後は,拙者も 裸になってしまったような もの > ですわ。 が、そうなんでしょうか? これも、真面目に怒っている人をちゃかした事の是非を置いておくと、単に 「他人の個人情報を勝手に丸出しで公開してるサイトがあったりなんかして、 いやーもうびっくりしちゃいますわ。」って言ってるだけで、知名度や業績に こだわっているってのとはちょっと違うような気が...
書くべきことは書いたので、それとは切り離して、ぼくの仕事を紹介して下さったことには未だ正体のわからない K.H. さんに虚心坦懐に感謝いたします。
せっかくの機会ですので、図々しく自分で簡単な説明(宣伝)を書かせていただきます。 (いずれ編集して、自分の web page でも使います。)
ご紹介いただいた仕事は、基本的には、
なぜ、この世界には磁石というものがあるんじゃろう?という疑問に、理論物理、数理物理的な観点から取り組もうとしたものです。
もう少し詳しく言うと、磁石が鉄をくっつけたりする性質(磁性といいます)を持っているのは、磁石の中にある電子という素粒子それ自身が弱い弱い磁石になっているからです。 だから、
磁石が磁石として振る舞うのは、それが小さな磁石がいっぱい集まったものだからだといえば、説明になるような気もします。 けれど、それだと全ての物資の中には電子がいいいっぱいあるので、全ての物質が磁石になってしまいそうです。 でも、そんなことはない。 たとえば、金属にも色々あるけれど、磁石になる(磁石にくっつくものは、磁石にすることができる)のは、鉄とかニッケルとかごくわずか。 その区別をつけるためには、
物質の中の電子の担っている「小さな磁石」がたくさん同じ方向を向いてそろえば、物質全体も磁石になる。 そういう風に「小さな磁石」がそろわなければ、物質は磁石にはならない。という説明をするわけです。
すると、次の段階として、
ある種の物質では、電子の持っている「小さな磁石」が同じ方向にそろうのは何故か?という疑問がむらむらと生じます。 「そういう傾向があるからじゃ。」と言ってしまえば、それまでですが、なぜそういう傾向がある種の物質だけで現れるのかは、物理好きには妙に気になる。 しかも、物質の中身で何が起きているかがよくわかってくると、物質の中では、「小さな磁石」の担い手である電子たちの間の相互作用(電子がお互いにどういうお話し合いをしているかというようなこと)はほぼクーロン反発力だけだということがわかってきました。 クーロン反発力というのは、かなりの方がご存じだろうと思いますが、同じ符号の電荷どうしは反発し合うという例のやつです。 でも、
反発するために、「小さな磁石」が向きをそろえるというのは、「風が吹けば桶屋が儲かる」よりも、もっとピンと来ません。 実際、古典力学というものを使って電子たちと付き合う限りは、そんなことは全く起きないのがわかります。
これについて、20世紀の始め、量子力学が出来たちょうどその頃に、量子力学の生みの親の一人である Heisenberg という偉い人が、
ある種の物質の中で、適当な条件が満たされれば、クーロン反発力と電子の量子力学的な運動のために、電子の持っている「小さな磁石」が同じ方向にそろうであろう。という予言(ないしは、近似理論)を出しました。
いよいよ長くなって、読まれている方はごく僅かでしょうが、ぼくが研究課題に選んだのは、
クーロン反発力と電子の量子力学的な運動だけから、電子の持っている「小さな磁石」が同じ方向にそろうということが本当にあるか??という疑問をある理想化された固体のモデルの範囲内で数学的に厳密に調べようということでした。 物理の問題で数学的な厳密さにこだわるという点については議論がつきないのですが、この問題の場合、上のようなことが本当におきるのか、おきないのかが、物理学者の間でも見解の一致しない問題としてずっと残っていたので、とにかくあるモデルの範囲では有無を言わさぬ厳密な結果をだすことに意味があると考えたのです。 (実は、それだけだけではありません。 ぼくは、たとえ物理の問題でも数学的な厳密な理論を構築することで、物理的な理解が大きく飛躍すると信じています。 これについては、ここで議論すると長すぎるのでやめます。)
結局ぼくにできたのは、「クーロン反発力と電子の量子力学的な運動だけから、電子の持っている『小さな磁石』が同じ方向にそろう」ことは本当にあるという事実を、ある人工的なモデルで示すということでした。 現実の磁石を理解しようという目標からすると、無限小とも言える成果ですが、ぼく自身は、この仕事をしながらいくつかの物理的なストーリーを生き生きと見ることができたので、かなり気に入っている仕事です。 (数学的に厳密な仕事とはいえ、線形代数の初歩しか使わなかったので、数学への貢献はないです。) K.H. さんが挙げられた最近の「固体物理」の記事は、類似のメカニズムで磁石になる物質の可能性についてのものだと思います。
量子力学をご存じの方向けに(背景を中心に)書いた解説「スピンはそろう -- 強磁性の起源をめぐる理論」が、日本物理学会誌 51 (1996) 741 にあります。 一般向けのものを書くのは、今がはじめてです。
fj.jokes というのは、見たことも聞いたこともないですが、joke というなら面白くなくてはならないと思う。 一人で三つも四つも筆名やら匿名を使って、身内にしか通じないようなネタを書いて、あまつさえ自分で(別の筆名の)自分にレスポンスするとかいうのが、面白い joke なのかな? ぼくの感覚が古くさくて、ネットワーク時代の新感覚ギャグがわからないだけかもしれないですが。 だいたい、「すみません」とあやまりながらも、同一人物であるかどうかをはぐらかし続けるのは、なんか、理解不能、というより、極めて態度悪い。 様々な事情で好むと好まざると匿名を使う必要がある方はいらっしゃると思いますが、針谷さんのように堂々とインターネットしていらっしゃる方が今さら匿名を使う理由も全く理解不能。
ぼくが、自分に関連した掲示に批判的な反応をしたのは、一つのきっかけにすぎないわけで、「論文の数や科学者社会での地位にしか関心のない」雰囲気の掲示全般に対する苛立ちをその機会に表明したつもりでした。 しかし、その直後の書き込みは、まさに「科学者社会での地位」やら「世間的知名度」のみに関心のある姿勢をさらけ出したものだったので、完全にあきれてしまった。 ぼくが言いたかったことは、全く伝わらなかったようだし、残念ながら今でも全く伝わっていないと思います。
ここは,fj.jokes じゃありませんものね.
どうしても知りたい方は,ずっと下に挙げた「固体物理」の解説か, 田崎さんによる同じく「固体物理」の文章を参照 してください.「わかりやすく解説する」って いうことをやろうとすると,どうしても「固体物理」 にあるような数ページくらいの文章になってしまうでしょう. それでしたら,田崎さんたちの文章を見ていただければ, 著者たちから,「定理」の意味するそのココロを知ることができましょう.
もしも (^^;;) さん nobody@etl.go.jp が ETL の K.H. さんと同一人物であり、さらに私が推測した通り、 K.H. さん = 針谷喜久雄さん harigaya@etl.go.jp であるとしたら、回答の仕方があまりにもひどいんじゃないですか。 K.H. さんは別に大したことをしたわけじゃないんだから、すぱっと謝ってしまえばいいのに。むしろ、その後の態度の方が不快なのだ。
針谷さん、いかがですか? これがもしも濡れ衣ならそのことをはっきりさせて欲しいし、濡れ衣でないのなら茶化さずにきちんと答えてもらいたいと思います。きちんと答えてもらうことによって、後に不快感を引き擦らないようにしたいですから。
この掲示板は自分自身の正体を明らかしている参加者がたくさんいる場所です。自分の正体を伏せるのは構いませんが、その場合には他の参加者に十分配慮して欲しいと思います。匿名者の重い責任! その責任に耐えられないような人はこの掲示板に匿名で参加をしないで欲しいですね。
「疑問の中心となる語 (聞きたい事をあらわす単語) の、 アクセントのある音節を高く発音する」のが原則だったと思います。(ロシア語は強弱アクセントの言語です。) 必ずしも文末や語尾が上がるとは限りません。 これがロシア語特有なのか、スラブ語全般にあてはまる規則なのか、 等についてはは知りません。
百聞は一見にしかず。 ちょっと「実演」してみました。 空集合から始めると {} ↓ {}、{{}} ↓ {}、{{}}、{{{}}}、{{},{{}}} ↓ {}、{{}}、{{{}}}、{{},{{}}}、 {{{{}}}}、{{},{{{}}}}、 {{{}},{{{}}}}、{{},{{}},{{{}}}}、 {{{},{{}}}}、{{},{{},{{}}}}、 {{{}},{{},{{}}}}、 {{},{{}},{{},{{}}}}、 {{{{}}},{{},{{}}}}、 {{},{{{}}},{{},{{}}}}、 {{{}},{{{}}},{{},{{}}}}、 {{},{{}},{{{}}},{{},{{}}}} ↓ ・・・ うーん、疲れた。 ところで・・・以降を続けたい方は プログラムを書いて実行することを お勧めします。でもきっと生きてる間に 終るのはすぐ次まででしょう。というのは 集合の数の増えかたを調べれば 1=2^0 ↓ 2=2^(2^0) ↓ 4=2^(2^(2^0)) ↓ 16=2^(2^(2^(2^0))) ↓ ・・・ となるので次は65536=(2^16)で、 計算機ならなんとかなりましょうが、 その次は2^65536ですから。(^^;) もとはフォン=ノイマンが考えたん でしたっけ?公理的集合論の教科書 には必ず出てる御馴染みのものです。
> From: 小波 <konami@miyagi-ct.ac.jp>
> Subject: Re:この Message ID は?
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
keijiban@zakuro にメールで送ったからなのでしょう.
> えっと、水素化カリウムという物質は現に存在します。Potassium Hydride
> でやんすな。
うわ.そうでしたか.Kは1価のプラスイオンでしょうから,
Hが1価のマイナスイオンと思えば,あり得なくもない.
> 強力な還元剤。 石油に分散させた30%のやつ75gで13000円
> なり。結構いい値段だ。
反応性,相当高そうですね.石油に分散させて保存すること
からいって,取り扱い要注意の物質ですね.
カントールは記号化の能力によって無限を去勢しようとしたのである。もしも、去勢の結果あらわれた超限数を使って(以下略)
中沢新一「GODZILLA 対 ゴジラ」『新潮』9月号
このカントールはガリレオでもプロメテウスでも構わないわけで、カントールがガリレオなみに神話化され符丁となっている兆候なのでしょうか。あるいは単にクリステヴァ風のいいまわしがまだ使いまわされているだけなのでしょうか。
へ? なんの因果か、(^KH^) さんがやり玉にあがっているなぁ。 「水素化カリウム」とかいう現実には実在しない、組成式 にて登場してしまったからに違いありません。 つぎは、H.H.さんとかいう名前に、改名するのであろ うか? # この、H.H.さんって、水素のように軽い性格、なん でも引き受けてくれる、相談に乗ってくれるっていうかた で、「物理屋のためのインターネット講座」の冒頭に登場 してくる、人物なのですよね。 > 石山さん@NTT
月が変わっちまっえばもう終わりという、流行商品の運命さだめか。でも、ぼくはひとりでも練習するゾ。
>私がうまくやったなと感じるのは、 >層(sheaf)の理論に関する用語です。 >芽(germ)とか茎(stalk)のような用語を >使っていて、植物的な柔らかい感じが >して、なかなか趣味が良いと思うのだ。 逆に大失敗だなと感じるのは、 ゲーデルの「完全性定理」と 「不完全性定理」です。 前者と後者では「完全性」の意味が 異なるのに、これに同じ名前を当てた ので、論理をナマ噛りしたシロウト 哲学愛好家が大勢「罠」に引っか かる。 いちいち訂正するのは面倒だ。 今からでもいい。名前をかえてくれい。(^^;)
確か、“From the Logical Point of View”というタイトルは クワインがジャズの曲の題名からとった、と 丹治信春さんのクワインの入門書に書いてあったような…。 詳しいことは今確認できないので分かりませんが、一応ご参考までに。 お邪魔しました。
有名な『論理学的観点から』にNew Foundations for Mathematical Logicというのがあります。 1936年のアメリカ数学会での口頭発表が元なので、こんな大胆な題なんでしょうか。 QuineのM.L.(Mathematical Logicという本)の体系とNFとどうちがうのか知らないし、資料も無いけど、 たまたま持ってる現代思想1990,10月号「数学の文法」にあるBools「反復的な集合観」では、 スジの悪い例として言及されてました。 (ZFと両立不可能な理論だけども、技術的にパラドックスをさけるだけで、動機に欠けるらしい(笑))
K.H. さん (針谷喜久雄さんですよね、違っていたらごめんなさい)、田崎さんが書かれている通り、ちょっと異様な感じがします。これからは気を付けて下さい。単に用語だけを大きな赤字で出すのではなく、その内容についての説明があれば問題ないと思うし、実際興味がある読者が結構いるはずなので、そういう人達にとって嬉しい掲示になると思います。
ついでに述べておけば、これやこれも意味不明ですよね。わざわざ signature を見えないようにしているし。ぶつぶつ。
鴨さん NF の情報ありがとう。松本さん、しっかり質問してくれてありがとう。それにしても、 NF が New Foundation の略ってのは、ダサすぎる!
脱線なのだ。有限次元複素単純 Lie 環の分類なんかに出て来る Cartan matrix という概念があります。それを一般化したものを generalized Cartan matrix 略して GCM と名付け、 Cartan matrix から有限次元単純 Lie 環を復活させる手続きを一般化して、 無限次元 Lie 環を構成することできます。それは Kac-Moody algebra と呼ばれ、有限次元単純 Lie 環の有限次元表現論の類似でかなり可積分表現の理論を展開できるんです。特に、 affine 型の Kac-Moody algebra は Wess-Zumino-Witten model で役に立つので特に有名になりました。ここまではよくある歴史だったんですが、私はよく知らないのですが、 Kac-Moody algebra のさらなる一般化があるのです。その名は generalized Kac-Moody algebra なのだ。で、 GCM の一般化の名前は generalized GCM です。単純に略さずに書くと、 "generalized" の語が二重になってしまって格好悪いのだ。
Cartan matrix → generalized Cartan matrix → GCM → generalized GCM
新しい抽象概念に名前を付けるのってすごく難しいですよね。
私がうまくやったなと感じるのは、層(sheaf)の理論に関する用語です。芽(germ)とか茎(stalk)のような用語を使っていて、植物的な柔らかい感じがして、なかなか趣味が良いと思うのだ。
>NFでは、分出公理で使う論理式を >well-typed なものに制限しているだけで、 >システムとしては untyped です。 なるほど、そういうことか。 >ところで、NFについての私の知識は、 > 「そういうものがあることを知っている」 >レベルですので、 興味のある方は、 >私なぞあてにせず、 文献にあたられる >ことをお勧めします。 いうと思った(^^;)。暇があったら、そうします。
ところで、NFについての私の知識は、 「そういうものがあることを知っている」レベルですので、 興味のある方は、私なぞあてにせず、 文献にあたられることをお勧めします。 まだ、読んでいませんが(当分、読めそうにありませんが)、
掲示板の読者のみなさまも,http://www.goo.ne.jp/ とかで,ご自身の名前を一度は入れてみましょう. 自身のしらないところで,経歴とか趣味とか家族構 成とかが,丸裸になっていて,いっけんすると驚く ものです. まぁ,執筆活動とか,講演活動とか,(まだ小生に はないけど)TV出演とかやるようになると,いろ んな個人情報がちまたに出て行きます. Web ページの検索エンジンも,さもありなん...
経歴,家族構成 etc...
世の中には, こんな Web page を作っている人もいるもので, エー,「パリ※※」に経歴 など書いた後は,拙者も 裸になってしまったような ものですわ。www.goo.ne.jp サーチにて,名前を入れると, ひっかかるページのひとつです!
掲示板の世界では、主にぼくが自ら書き込んだものを通じて、読んでいる人にぼくがどういう奴なのかを判断してもらいたいと思っています。 そして、ぼくについてもう少し知りたいという方が万が一いらっしゃれば、大学の web page にリンクがあって(年齢や家族構成や趣味はわからなくても)どういう仕事をしているかの大ざっぱな情報は得られるようになっています。
ですから、それまでの掲示の成り行きとなんの関連もなく、ぼくの仕事について、誉めているのか皮肉っているのかわからないような情報不足の掲示を(匿名で)書かれるというのは、あまりうれしくありません。 (どなたが書かれたかは九分通りわかっているので、個人メールを出すべきかとも思いましたが、あくまで匿名の掲示なので、こちらでレスポンスします。) もちろん、宣伝してあげようという善意から出たものだとは思います。 それには感謝しなくてはいけないと思いますが、ああいう書き方では、数理よりの強相関電子系物性物理の磁性的側面という狭い狭い分野の外の人には、ほとんど何も通じないとぼくは思います。 いずれにせよ、掲示の積み重ねの文脈とは無関係に、掲示を書いている人物についての情報を書くというのは、ぼくの趣味ではありません。
ついでに書いてしまいますが、業績リストへのリンク、新しいポジションや学界での活動などについての(文脈を離れた)話題も、ぼくの趣味ではありません。 (だからどうしろというのでは、ありませんが。) 考え過ぎなのはわかっていますが、読まれている方にも、「真理の追求よりも、論文の数や科学者社会での地位に関心がある」という科学者の負のイメージを想起させるのではないかと危惧します。
「量子計算」にかんするチョー充実のWebサイトです. ・http://www.qubit.org/ ・http://www.quantum.at/ 実現可能性に関して云えば,100年で実現できない かもしれないとか云われておりますが,いかがなもん でしょうか?
鴨さん解説どうも有り難う。 ウーム、NFでwell-typedにするのは ワカッタけど、これRussellのtype theoryと やり口同じなんでないの? logic-mlで、龍谷大の小林さんが、 Fefermanのtype theoryでは、オブジェクト 全体のクラスはOKだけど、クラス全体の クラスはやっぱりできないっていうような 話をしてましたね。 NFの場合、その点はOKなんですか?。 #(影の声) #詳しいことが知りたきゃ、クワインの #論文を読めとかいいそうだな。(^^;)
ZF系集合論での「すべての集合の集合は存在しない」の証明は、 存在すると仮定して、 それに ¬(x∈x) で分出公理を適用して Russellの逆理を導く方法が一般的です。 ちなみに、この証明のミソは、 基礎の公理も置換公理も羃集合公理すらも使っていないことです。 そのため、かなり弱い集合論でも、 「すべての集合の集合は存在しない」が定理となります。
となると、すべての集合の集合の存在を公理に追加するには、 分出公理に制限をかけるしかない。 そういう発想で考えられたのが、 NFです。 分出公理をWell-typedな論理式に制限することで、 Russellの逆理は回避されます。
なお、NFは New Foundation の略だそうです。 だっさ〜! 発見者はQuineですが、命名者もQuineなのかどうかは知りません。 原典を読んでいないもんで。
私は学生の頃は「計算機科学」なんぞ 噛りましたが、田崎氏のいいたいことは よく分かります。 まあ、ジターリング・・・でしたっけ? そのくらいのもんなら(失礼)、天気予報 のような複雑怪奇(^^;)なものと違って モデルでリクツが説明できそうな気が します。 だからといって、解けたカラクリを、大学の 物理の試験問題なんぞで出されたら学生 はナミダもの(;;)でしょうけど。
-- ■□ 針谷喜久雄@ (社団法人)日本物理学会 WWW運営小委員会 □■ □■ harigaya@www.jps.or.jp http://www.jps.or.jp/~harigaya/ ■□
ETL理論グループのWWWもよろしくお願いします. http://www.etl.go.jp/~theory/ です. <font color="#c0c0c0"> -- ■□ 針谷喜久雄@物性理論グループ.電子基礎部.電子技術総合研究所 □■ □■ <harigaya@etl.go.jp> URL: http://www.etl.go.jp/~harigaya/ ■□ </font>
さっきのは、既存のデータを全部ぶっこんで力づくで計算して「どうだ」という仮想的な計算機の使い方を想定して書きました。 もちろん簡単だとはまったく思っていませんが、そういうものは、原理的につまらないということです。 ジターリングのミニマムモデルを作って、計算機で諸現象を再現するというのは、別の話。 頭を使う営みだと思います。
詳しい実験データがほしいというのは同感。 それがなければ、モデル化の正当性も決してわからない。 うまくモーターか何かで定速でリングをまわして、高速度撮影して・・ ぼくには、できそうもない。 どなたかやってくれないかな?
keijiban@zakuro.math.tohoku.ac.jp 宛のメール経由でのポストのテスト。 以前、おかしくなっていたけど大丈夫かな? -- 黒木玄@東北大学大学院理学研究科数学専攻 http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/index-j.html
計算機のなかで現象を再現できるためにはそれなりに本質を捉えたモデル化が必要で、そういったモデルを作ることそのものが(ある程度までは)現象を理解するということではないかと数値計算屋としては思うのでした。
とはいえ、理論と計算機だけでなく、高速度撮影とかしてどうやって回ってるかを見るのがまっとうな物理の方法という気もしたりして。
田崎氏はああ言うけど、これをミニマルなモデルで 計算機シミュレーションしてみせるのは結構 難しいんじゃないの?
集合論には疎い私です。 >ちなみに、「すべての集合の集合」が >存在して Russell のパラドックスの >生じない集合論が欲しければ、 >NFというのが大昔からあります。 それ知らんわ。(^^;) どんなんか、ちょろっと、教えて。(^^;)
-なんでも掲示版だから、なんでもいいんですよね....。
牧野さん、
そのへんは、大切なポイントだと思います。 ビーズを厚みのないドーナツ状の板としたモデルで、トルクのつり合いを計算していくと、(計算間違いがなければ)すべらない限りは落ちない定常解しかでて来ないようです。 たしかに、厚みを入れて対称性を破ると他の解が出てくる可能性もあります。 (いい加減に考えると、単純に厚みを足しただけでは、ダメみたいに思えるのですが、本当に確かめるには、トルクのつり合いの計算をちゃんとしないといけない。 これは、パラメターも増えてくるし、かなり面倒になりそうです。)
実際のビーズにはかなりの厚みがあるわけですし、接触部分だって点のわけはありません。 ただ、ジターリングを回しながら眺めていると、ビーズの回転が非常に速い割には、リングをひっぱりあげるスピードはそんなんに速くないなあといういい加減な感触があります。 とすると、第ゼロ近似としてぎりぎり落っこちない定常解を持ってきて、それが、わずかずつ滑っていくという解釈である程度現実が理解できないだろうか、と漠然と思うわけです。
リング、ビーズの素材、形状、密度などは全て測定可能で、かつ、これらの運動は(空気抵抗や摩擦をうまく加味した) Newton の運動方程式でほぼ完全に記述されるはずです。 だから、コンピューターにこれらのデータを入力して、方程式を解かせれば、ジターリングを回している状況を再現することは可能なはずです。 ならば、ぼくは(忙しいと言っているくせに)なぜわざわざ計算用紙を使ってトルクのつり合いだの定常解だのを求めるのか?
それは、コンピューターの中にジターリングを再現してそれが回っているのを見ても、ほとんど面白くない、少しも利口になった気がしないからです。 実際に回るということは、高価なコンピューターを使わなくても、定価2500円の現物を買ってきてちょっと練習すればすぐに確認できるのですから。 (ぼくは、コンピューターに依存した物理の「理論」研究に批判的な発言を繰り返しているので、一部の物理の人たちにはコンピュータ嫌いとして知られています。 とはいっても、要は使い方次第で、馬鹿な使い方もあれば、賢くて有効な使い方もあることは理解しているつもりです。)
そうすると、定常解などの手計算をするのも馬鹿らしいという気がするかもしれませんが、そうではないと願っています。 ジターリングはなぜ回るのかが全く気にならない場合はいいですが、多少なりともその機構が気になったときに、
Newton 方程式の解の中に、ビーズがリングの回りを回るものがあるからだよと答えられ(かつ、「ほらこれが証拠だ」とコンピューターシミュレーションを見せられ)ても、ちっとも面白くない。 こういう「面白い動き」が安定に存在しているということは、もう少し具体的でかつ普遍的な何らかのメカニズムがあるはずだと思いたい。 物理が好きな人間は、新しい面白い現象に出会うと、半ば本能的に、その現象を支配している(というのが普通の語法ですが、ぼくは「その現象に宿っている」という言い方をしたい)普遍的な機構を探ろうとするのです。 現実の世界を出発点にして、そこに宿っている普遍的な機構を抽出し、科学の論理で明確に理解したい。 それがうまくいけば、何となく利口になった気がして、満足するのです。
そのような抽出を行うための戦略の一つが、今ぼくが行っているような理想化の手続きです。 ジターリングの場合なら、
リングをまっすぐな棒にして、ビーズを平らなドーナツにしてみて、果たしてジターリングと同じふるまいをするか? するならば、それを引き起こす機構は何か? 本物と似たような動きがみつかれば、実際と比較して、本当にその機構が現実のジターリングにも「宿って」いるかを再検討し・・・ということをやってみようというわけです。 これでうまくいくかもしれないし、ダメかもしれません。 (ダメな可能性の方が高い。) その内に飽きてやめてしまうかもしれない。 でも、面白いと思える間は、ダメでも色々と考えて(楽しんで)しまうのが、物理好きの習性のようです。
(ぼく自身の本業の研究への取り組み方も、基本的には、こういう感じです。)
「Mielke-田崎定理」
「Mielke-田崎条件」
「田崎模型」
といった,新物理学用語が頻繁に現れます.
「近藤効果」みたいに,常用される学術用語に なることが期待されます...
はじめから、細かい話ですみません。 前の掲示では定常解の解釈を少し誤っていました。 リングとビーズが一点で接触しているという理想化の範囲では、定常解は、ビーズがまったく滑り落ちないものしかありません。 わずかな散逸を考えれば、許される中で回転数の一番小さい解に到達し、すべりが生じて回転が加速されるというシナリオは前に書いたとおり。 回転数は予言可能でも、すべる速さについては予言不可能な理論です。 熱力学のノートが一段落したら、ちゃんと計算し直してまとめてみます。(これ以上、考え違いがないといいな。)
時田さん、
さすがに、この場でラーメン屋談義に突入したくはないので、早稲田方面に来られるときに、おっしゃって下さい。
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この掲示板におけるソーカル事件と『知的詐欺』関係の議論 (先月から今月にかけて)。
ストレス解消に点取り占い。
1998年8月の記録Cの終わり付近の様子 (時間と逆順)
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