bit 5月号 pp. 33〜35
特集:新人技術者・研究者に捧ぐ
「新人さんの天才のために」
黒木さんのこれへのお返事です。
教育の世界って、十分な言葉の定義や論理抜きで議論だけ行われているとしか思えないケースが多いんですよ。「わかる」「学び」「生きる力」「○○的考え方」「味わう」…
それが、ダメと言うわけではないんです。自然科学で使われる演繹によって検討が行えるような明確さを持った議論をするには、例えば理想気体のようなモデルを要求されるケースは少なくないでしょう。おおよそ人間の関わる内容では、人間に対しての「都合上行われる理想化」を避け得ませんが、そのような方法で出発した議論が、教育で現実にどれだけ役に立つか疑わしいです。だから、言葉の定義や論理をおいといて、多少の誤解や誤謬を恐れずに議論せざるを得ないというなら納得できます。
ただ、この手のあやふやな方法を無節操に使っていけば、きちんと定義・検証されている他分野の知見でもあっても、適当に解釈して、その解釈を利用して「基礎科目の学力を一層ガタガタにする意見も、そうでない意見も」裏付けることは可能でしょう。
おまけに認知科学という分野は、研究対象も研究方法も絞りこまれていないこともあってか、そういった曖昧な解釈を行いやすいし、また研究目的・内容・結果に対する誤解や、研究過程での誤謬も起こりやすいでしょう。
雑誌bitの7月号では、計算機の面から認知科学に関わっているこの人(岩波講座認知科学のライターのひとり)が、「人工知能研究は、現実の知能からまだ遠い。多少例外があってもいいから問題の中心に迫ったほうがいい」という旨の発言をなさっています。それがダメとは言いません。しかし、もしもこのような態度で認知科学研究も行われているなら、その知見を他の分野に貢献させようとしたり、あるいは裏付けに利用しようとする時には細心の注意を払わねばならないでしょう。
作業仮説を設定してはじめた認知研究によって、教育学の人が自説の裏付けを行った。しかしながら、その「自説」とは、実は元の研究の作業仮説そのものだったなんて、如何にもありそう。特に、認知科学では、方法・問題意識が教育学と重なるから、この種の循環論法は如何にも起きそうで怖いです。また、教育においては、私から見たらどれだけ根拠があるのか疑わしい内容さえも、研究や活動の方針を決定することもあり、これが認知科学との関わりに飛び火しそうで、話はなお難しいのです。
時田さんがここで触れたこの人は、岩波のシリーズ授業のコンピュータの巻での対談(56ページ)で、認知科学での教育での悩みを愚痴っています。今でもそんな悩みを感じているなら、こんなことしないで、例えば大学院だけを開設して、どこか他の分野を専攻して訓練を受けてきて、それなりの論文を2,3本書き上げる実力をもった人間のみを相手にして教育を行い、見捨てずつきあってくれた人に期待すればよいのではと言いたくもなるのです。
認知屋さんには、どの程度教科内容をご理解いただいた上で教科教育について発言してらっしゃるのか、私には判断のつかない方もいらっしゃるようで…。ワインバーグ著、木村泉訳・共立の"スーパーエンジニアへの道"の第一章の「ありふれた、しかし間違ったリーダーシップ観」で途方に暮れる心理学者と、何らかの理由から途方に暮れない認知屋さんという図式が成り立つかも。
教育方法研究を趣味としている一個人としての私は、今のところ、認知科学を今以上にまともに勉強する気にはならないです。しかし、私も認知科学そのものを否定しているわけでもないのです。例えば、認知科学が語彙を提供してくれるという期待はあります。
数学プロパー、自然科学プロパーの人が、言語化されないでも経験上知っており、かつ同じ分野の他の人にも理解してもらえるであろう内容に、何らかの形で言及しなければならないときに、認知科学が、語彙を提供してくれるとうれしいのです。そのような語彙を使うことは、先に述べた認知科学の知見を他の分野に貢献させようとしたり、あるいは裏付けに利用しようとする時のリスクを冒すことにつながります。しかしながら、発言しなくてもよいとは、私には思えないし、またそのような発言ができるように、認知科学には発展して欲しいのです。
現在の教育現場の人間にとって、教育に関わる議論は、事実上、科学的議論でなく、政策論争、それも教室・学校王国の行政に限った政策論争だからです。わからないことについて発言しないでは、済まされないし、政策論争での主張に、何でもいいから根拠をつけるというなら、認知の「科学」の看板は、結構有用です。
目の前の子どもに学力をつけさせなければならない。ほっておけば、絶対に学力はつかない。議論にあやふやな点があろうが、間違いがあろうが、それで実践まで押し通さざるを得ない。教室の外で、入試会場の外で、学習者がどのような状況に出会うかわからないが、とりあえず教育はしなければならない。だからこそ、例えばあれを実際に授業で使う人には、自然数論の不完全性の定義程度の数学の知識は持っていて欲しいという気持はあります。言わば「数学プロパーでの世間並の感覚」は持っていて欲しいのです。
認知科学者が自らの問題意識に基づいて、研究を行うのも、教育実践に関して意見を持つのも構わない。しかし、せめて現場にいる人間や教育学者が教科内容の知識や学習経験を持っていないと、認知科学の無批判な適用・受容や、あるいは認知科学の裏付けのない教授ができなくなるのではないかと不安でしょうがないのです。
とまあ、長くなってしまったので、前座はここで退散。本論は、こちらの方に展開していただけると、嬉しいです。特に佐藤学氏にこだわる必要はないと私は考えます。認知科学と教育学の関わりが持つ危うさを、私よりもキチンと指摘なさってくださるだけでも、私は嬉しいです。それから、教育学での構成主義への批判の文章は読んだことがあるので、探してみます。>黒木さん。
では。
やはり綺麗だ。マンデル風呂。 実は私は一時期(意味もわからず)これにハマっていて、マック用のソフトを大量に ダウンロードしていたりした。んで、少しずつ拡大した画像を400枚ぐらいつなげて クイックタイムムービーにしてりしていた。それだけで2カ月ほどかかったけど。
メールでKさんから、フラクタル・エクスプローラという素晴しい Java Applet があることを教えてもらいました。これは、私の希望通り、クリックしたところを拡大してくれます! Kさん、どうもありがとう!
マンデルブロ集合に限らず面白い applet の存在のタレコミは歓迎致します。
確率論にでてくる2次元におけるSelf Avoid Walking においてXn≦Xn+1の証明を教えて下さい。 ここでXは移動した距離をあらわし、nは時間を表していたと 思います。ということですが、 まず self-avoiding walk という名がつくモデルにもいくつか あるので、定義をはっきりさせて下さい。 (もっとも一般的に self-avoiding walk と呼ばれている のはポリマーの統計物理に 対応していて、確率過程ではありません。 確率論の教科書にはあまりでてきません。)
一般的に言って、この手の「当たり前」に見えることを 厳密に示すのは難しい事がおおいです。
「背景にマンデルブロ集合の絵が選択できるプリクラ」に触発されて、goo で Mandelbrot 集合を作画する applet を探してみました(日本、海外)。案の定たくさんありますねえ…。マウスで指定したところをどんどん拡大してくれるものをさがそうと思ったけど、面倒なので途中で止めてしまいました。私が見つけたのは、例えばここのこれやここのこれです。
#おまけに「授業の認知科学」の場合、どの程度の信頼ができるか。
で、認知科学も、一応「科学」ってコトバがついてるし「認知科学的な裏付け」なら、まあ、基礎科目の学力を一層ガタガタにする意見でも裏付けることができるでしょう。
ああ、なるほど。5月のときに私もこれを読んでいたのですが見逃していました。この話題なら、ぼくも興味があるな。
古堂さんが「基礎科目の学力を一層ガタガタにする意見」とみなしているのは、具体的には誰のどのような意見のことでしょうか? 日本では、1990年代の始め頃から、数学教育学や理科教育学の世界で、所謂「構成主義」(constructivism)が大流行しているらしいのですが、何か関係あるでしょうか?
数学・理科教育学における構成主義とは、「生徒個人もしくは生徒の集団が知識を構成する」という観点を重視する立場のことを意味しています。数学教育学や理科教育学において「構成主義」もしくは「constructivism」という言葉がどのような意味で使われているかにちょっと興味を持って、しばらく前にウェブで調べてみたことがあるのですが、細かく見ると、様々な方面から影響を受け、様々な意味合いを込めて使われている言葉のようでした。
「生徒個人が知識をどのように構成するか」に関してはある種の認知心理学の影響を強く受けているようだし、「生徒の集団が知識をどのように構成するか」に関しては社会学(場合によっては科学知識の社会学)の影響を受けているようです。 (社会学の方面では「構築主義」(constructionism)と呼ぶのが普通になってきている。) ただし、もとのアイデアに数学・理科教育学独特の味が付けられてるような気がする。
教育学における「構成主義」に関わる言説は文部省の「新しい学力観」とすごく相性が良いんだよな。このことは、日本の教育学における「構成主義」に大きな影響を与えていると思う。
長くなったので、この辺で止めます。暇な人は goo による「構成主義 教育」の検索や私がまとめたリンク集を見て下さい。
私はたんに「計量経済学」からの類推です。 (計量経済学のいいかげんさは、複雑系で「重点研究なんとか」という予算を分捕った佐和隆光大先生が昔(80年代前半)に書いたものを見てください(どれか思い出せない(笑)) 真鍋さんのは、おもしろいですが、もし海流の変化が重要(海流の絵が強調して合ったのでそう感じました)だとすれば、データが無いのに、不可能じゃないかと思いました。 真鍋さんの研究は(あのWebページをみただけという条件で)、どこにリアリティを感じるんですかね。 それから、この温暖化の場合には、どんな実験が決めてなんでしょうか? (自分で全然調べてないのに、えらそうな質問で申し訳ないです) そういえば、復刊フェアに佐々木力『マルクス主義科学論』が並んでましたね。
でも、あのての計算結果ってどれくらい信用できるんでしょうね。
モデルでちゃんと予測ができるかどうかについては、僕ははまださんに近いです。やっぱり実験してそうなったってのでないとなかなか、、、
そうそう、どこかで科学と疑似科学の境界とかいうのが話題になってましたが、 IEEE Computer に出てた この論文はなかなか楽しかったです。乱暴に要約すると、「現在の計算機科学は実験科学になっていない。まともな科学になるためにはちゃんと実験するべきだ」というのが主張みたい。
『数学的発見の論理』自体、 数学的発見とはどんなものかを分析するために第0次近似であって、 実際の数学的活動とは異っているし、 異っていることに意義があるというべきでしょう。 実際の気体に対する理想気体のようなもんです。
進化や地球温暖化をめぐる熱い討論が続く中で馬鹿な書き込みをする不幸をお許しください。 先日、大阪某所で、背景にマンデルブロ集合の絵が選択できるプリクラを発見しました。 思わず撮ってしまいましたよいい歳して。
Nature Japan のウェブサイトも覗いてみました。 Nature Highlights では「温暖化」に関係した気候関係の論文の要約が色々読めます。ただし、 ID と password を登録しないといけないけど(でも無料)。
牧野さんが紹介して下さった気候モデルの世界的権威である真鍋淑郎氏の特別講演「大気海洋陸面結合モデルによる温暖化の予測」は面白いです。もっと有名になった方が良い情報だと思われるので、この掲示板付属のリンク集にも登録しておきました。
(しかし、META タグによる charset の指定が EUC_JP と誤っているように思えたので(正しくは EUC-JP)、地球フロンティアの事務局にメールを出しておきました。)
少し前に、私は、
スティーヴン・シュナイダー著『地球温暖化で何が起こるか』(田中正之訳、サイエンス・マスターズ 10、草思社、1998年、原著: Laboratory Earth, 1997)
を読みました。この本の158頁では、気候モデルの示すパターンと実際の観測に基いたパターンがかなり一致していることに勇気付けられ、1995年に開かれたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が今世紀の気候の変動への人間の活動の影響が認められる(discernible)という結論を出したことが解説されています。しかし、モデルの概要やそこから得られる結論などについて、図やグラフも少なく、文章で表現されているので、ちょっと分かり難い。
真鍋氏の講演は、実際のモデルの概要、そのモデルから得られる結論、観測結果の比較など、私が見たい知りたいと思っていた情報が奇麗なカラーの図やグラフによって説明されているので、非常に楽しめました。 (牧野さん、サンキュ!)
日本で温暖化に関する研究というと、 地球フロンティア研究システムあたりかな。予算も結構なものだし、募集している研究者ポストの数も相当のようです。なぜこれが宇宙開発事業団なのかってのは難しいところですが、動燃が入らなくなっただけましかな。
真鍋氏による講演記録中のこれなんかはなかなか良いと思いません?なお、真鍋氏はこのての気候モデルに関しては世界的権威です。
あ、森山さん、わざわざ出てきていただいてありがとうございます。 「種の寿命」というのは、何かその種に内在した定向進化の運命とし て組み込まれているものがあるかのように思わせる用語です。たとえ ば恐竜やアンモナイトは進化が爛熟してモダンからポストモダンなデ ザインなり、ついに閉塞した時代状況の中で死に絶えたとかですね (^^;;; 確かにシアノバクテリアの登場での嫌気性の生物が地球表面から追い やられるといった「敗北」はあったり、メスに気に入られるための適 応が環境への適応のためのエネルギーを殺いでしまったりとか、いろ いろな「逆進」はあっても、種に内在した「寿命」という考えは、 今日までのダーウィニズムの基本的な考えからは、むしろ退けられる のだと思います。個体間の競争というローカルな原理が進化を支配し ているのだという立脚点から見て、という意味です。 生物と環境が相互作用しあいながら、進化が進んでいくという視点 は、もうずいぶん昔に東北大学の地学の教授が高校生向けに講演した とき、私はそのお膳立てをしたのですが、聞いたのでした。だから今 ごろ共進化という言葉を聞いても、自明なことをいまさらという気が する。それともうひとつ気になるのは、地球の内部的な変化というの は、生物の進化からのフィードバックを受けることはまずないし、地 表の変化でも、造山運動レベルでは、生物が作り出す場の影響をほと んどうけないではないかというあたりですね。あ、ご飯が出来たらし いのでひとまず。
すんません、探したんですけど、「認知の大繁盛の背景」ってどんな話ですか?
ありがとうございました。これからもよろしくお願い いたします。 わたしの関心のなかで皆さんの関心を呼ぶかと 思われますのは英語教育です。近年の英語教育 の(見かけ上の、というべきか、かけ声上の、 というべきか)大変化を見つつ、それと佐藤学 氏の(あるいは佐伯胖氏の)説を重ねつつ、と いうぐあいで頭を巡らせていたので、佐藤氏の 対抗馬とでもいいましょうか、そんな論客をさ がしていたところです。時田さん自身がそうお 呼びするに値するかたなのではあるまいか、と も感じます。時田さん、ありがとうございまし た。 また、英語帝国主義にも関心を抱いています。 こちらへはたしかこれをgooで検索していてた どりついたはずです。後藤文彦さんのHPも拝 見いたしました。英語帝国主義が英語教育に与 えた衝撃、その後の英語教育界の動向、そして、 自分のあるべき姿勢などなどをあれやこれやと 考えています。 この書き込みが皆さんの興味をよく喚起するも のとなりえましたのなら、まことに幸甚です。 頓首 佐々木 拓也
森山です。 僕個人の地球環境問題に対する考え方は<科学ml>で言ったとおりなので いちいち繰り返さなくてもいですよね。 で。 古気候からの地球環境変動の視点についてであれば、森山的には、 岩波<地球惑星科学シリーズ>、同じく<地球を丸ごと考えるシリーズ>の中の本を 取りあえず押します。 どちらのシリーズにも適当な本が数冊ありますので、興味のある方は是非ご一読を。 地質学的スケールからみた「最近の」地球環境変動に関しては、 「地球環境変動とミランコヴィッチ・サイクル」古今書店がオススメです。 これは気楽に読める本ではありませんが、図表も豊富です。 どちらも、丸山説云々を別にして、非常に面白い本です。 丸山さんが「種の寿命」と言っているのは、 地質学的な歴史の視点で見ると変わらない種はない、という意味を下敷きにしてのことです。 それに丸山さんも、いわゆる「持続可能な社会」の建設は 地球科学の最大の課題である、ということはかねがね仰ってます。 それはご理解下さい(僕が勝手に言う事じゃないような気もするのですが)。 また(共進化という言葉は僕も実はあまり好きじゃないのですが) 「常識的な羅列に過ぎない」かどうかは、いささか疑問です。 生物屋さんの中には、意外なほど無機的環境の変化、 いわゆる固体地球の進化について知らない、あるいは興味がない方がいらっしゃるように思います。 #これは僕の出会いの問題かも。 なお「生命と地球の歴史」に出てきた化石だとか、カット・サンプルだとかは、 東京工業大学で誰でも見ることができます。 大学に入って、すぐ右手にプレハブだか小屋だかみたいなのがあって、 そこにエディアカラ動物群の化石だとか、 最古化石を含んでいるであろうチャートとかが転がして、いや、展示してありますから。 興味のある方は一度どーぞ。
土曜日なので庭仕事などして11時頃に学校に向かい、途中 本屋により、飯を食って休日出勤。買った本は、前述の「生命 と地球の歴史」以外に、「権力の系譜学」(杉田敦、岩波19 98)と「マルクス主義科学論」(佐々木力、みずず1997) とりあえずパラパラと。あと本棚の肥やしにしないようにしな くては。杉田の本は読みやすそうに見える。フーコーの社会理 論をベースにして現代の課題を考察するという体裁らしい。 佐々木力のは力が入っているだけにしんどい。厚いし。 500ページもあるのだよなあ。トロツキーに光を見出した いというのが、つまるところ結論なのかな?さて夕方はまた 家庭の用事なので帰って読もう。論文も書かないとなあ。
理科教育MLで丸山茂徳氏を批判したら田口さんがえらい 調子で丸山さんを擁護してきた。当初MLでのやり取りだと 思っていたが、web のログにないのでメイルのログを調べた ら私信だった。喧嘩は公開でやって欲しいもんだと思ったけ ど、そうしないのは彼の性格でしょう。批判をきっちりした くてもできない土俵に逃げ込まれても困るのだが。 丸山氏の考えを知るために田口さんが勧めてくれた岩波文 庫「生命と地球の歴史」(丸山、磯崎共著1998)これは いい本です。要領よく知識がまとめてあって、内容的には いい教科書になっている。大半は知っていることだったけど、 地球のマントル対流がらみの話しはさすがに彼らの専門だけ に勉強になった。まとめで妙な哲学でも披露しているかと思 ったら、これもあっけないほどノーマルでちとがっかり。進 化論の歴史に対する言及もきわめて常識的な羅列に過ぎない。 もっとも、共進化という彼の得意の用語は、これまでにい われてきた、環境が生物の進化の圧力を与え、逆に生物は環 境を変える、そういう双方向の相互作用があるんだという古 生物学や進化学の認識と何も違わないように思うんだけどね。 きっと放談レベルになると丸山さんという人は結構いい加 減なことを言うのであろう。その謦咳に接して田口さんは感 激したのかも知れない。だが地球環境問題に関する、あるい はダーウィニズムへの基本的な理解に関する丸山さんの理解 は、 web 上に出てきている言説からは、やはり相当におかし いと思うのだ。
そうですか。「長い」のには閉口しますが、慣れの問題でしょう。 話題になってだいぶ立つし、COP3とやらも開かれているのに、肝心な情報が無いまま来てるんじゃないでしょうか。 本当に温度が上がるのか?とか、炭素サイクルはどうなってるのか?。 (私の妄想では海はそんなに吸ってくれないんじゃないかとは思ってます(どこかで海に肥料(ミネラル)して漁場を開拓なんてのを読んだけど。)) 判断の根拠が欠如してる状態で、COP3が開かれマスコミが踊ったり、政府が何やら取り決めを始めた以上は、 「地球温暖化」が一人歩きして、もはや政治経済の問題(資源配分(他を削って、CO2対策する)の問題)になってると思います。 私がこんなことを言うのも、黒木さんとは逆に、「ある程度信頼できそうなモデルができる可能性は無い」 という前提があるからです。「可能性がある」「可能性が無い」と言っても不毛なので、 誰か成功した時点で教えて欲しいです(研究費はたくさんいってるでしょう(笑))
牽強付会と言った方が良いですね。菊池さん、どうもありがとう。あと、はまださんの言う通り、確かに私の非難は行き過ぎているかもしれませんね。ああやって、強引なこじつけ的な議論を何度もやっているので、かなり気になってしまったのです。
私はああいうのはまずいと思うんですよねえ。地球温暖化の話にしても、現在どれだけのことがわかっているか、きちんと情報を提供することによって、相手を説得するのが本筋だと思いますし、そうするべきだと思います。いきなり、政治的な主張とからめても、説得力が無くなるし、他人に信頼してもらえなくなります。間違っていると思われる主張を崩すには、間違っているという証拠をきちんと示すのが一番です。地球温暖化の話のような確実な答を出すのが難しい問題の場合は、証拠の示し方もそれに応じたものにしなければいけません。
はまださんの「説得と合意のレトリックを駆使するしかない」の「しか」ってのは言い過ぎだと思う。地球温暖化については、完全に信頼できなくても、ある程度信頼できそうなモデルができる可能性は十分あると思うからです。
短期(100年200年ぐらい)に地球の気候変動があるかもしれないという話題ですが。 聞いてると「経済政策の論争」みたいだと思いましたね。 (実際にやってみないと分からないし。たとえやってみても、本当にこの政策のおかげかどうかもわかんないし) そんで「政策論争」と同じで、包括的で完璧なモデルや理論が無いので(もちろん社会生活に関連する事もあって)、 説得と合意のレトリックを駆使するしかないと。 丸山さんの主張はおもしろいんだけど、あれを「二酸化炭素排出増加温暖化仮説」の変わりに持ってきたら、 誰でも首をかしげると思いますね。それに、sloppy thinkingと言われたけど、 「人類の将来」などと大きく語られた日にや、私も、「未来社会の不安定要因」は、 もっと大事な事がいくらでもありまっせと言いたくなるんだけど。 それから、林さんのは、即興なのでレトリックとしては出来が悪いんだろうけど、 「2酸化炭素の毒性と環境ホルモン」の件に関しては、単に、毒性が引き金になって、 突然出てきただけと思うんで、そこまで非難しなくても。
新聞の投書などで 「入試には公式暗記でなくて考える能力を見る問題を出せ」 という意見を見ることがあるが、「本当に」そういう問題を出したら、 うちの学科の受験生なんかそろって討死にするのが見え見え。
今、新入生の物理学演習を担当しているのですが、 「とにかく公式の暗記だ」という学生が目に付きます。
単に温暖化することが問題なんじゃなくて、実際にはまだはっきりしたことは分からないにしても、それなりに無視できない確率で急激に気候が変化する可能性があることが問題になっているのだと思うが、この後者の考え方はあまり共有されてないみたいですね。
小波さんが言っているところの理科教育MLでの議論というのはこの辺の話題ですね。
まだ、丸山茂徳氏の主張(森山さんによる最近のインタビュー、田口さんによる3年前のインタビュー)はまだきちんと読んでません。(森山さんの NetScience Interview Mail はまとめて読むことにしているので…。) 私でも、真面目に色々調べながら読めば、小波さん言うようにどこが「なんだかとんでもな説」であるのか理解できると思うのですが、その時間がなかなか取れないので、どなたか解説をお願いできますか?
ところで、小波さんは「田口さんはちょっとカッとなっているみたいだ」と言っていますが、実は私もそうなのかもしれません。林さんは森山さんにまで喧嘩を売っているわけでしょ? あれはいかんと思います。
私も、林さんの“正義感”を私は買いたいとは思ってはいるのですが、林さんは「科学研究として信頼できるか否かの評価」と「政治や社会の中での価値を持つか否かの評価」をきちんと分離する努力をしていないという印象があって、とても気になるんですよね。二酸化炭素の危険性と所謂環境ホルモンの危険性を同列のごとく扱っているのもその現われだと思います。そのような考え方は Alan Sokal が言うところの sloppy thinking の一種であり、そういうイーカゲンなやり方が広まると、科学だけではなく政治的にも害があると思います。
そういった意味では,数年置きの指導要領改訂も, 良いのかもしれない.ある意味で,固定化してくる 出題傾向にカツをいれるという意味において...
> 黒木先生(とお呼びしてもよろしいでしょうか)
ここで、私を先生呼ばわりすることは禁止。私の生徒なら大目に見ても良いができれば止めて欲しいです。…ということで今後もよろしく。教育関係で面白そうな話題があれば、ここでふって頂くと嬉しいです。
> 「康光」と「モテ光」それぞれの読み方を教えてください。
「やすみつ」と「もてみつ」です。女性にもてるという噂があるので「もてみつ」なのだ。
>時田さん(とお呼びすればよろしいでしょうか) 懇篤なご返事ありがとうございます。 アーレントを読むことからはじめようと思います。 >黒木先生(とお呼びしてもよろしいでしょうか) お気遣い、感謝いたします。 残念ながらわたしはウェブページは持っており ません。黒木先生の気を無用に患わせることと なりました。申し訳ありません。ほんとうに ありがとうございます。 頓首 佐々木 拓也
カオスの縁とラングトンのλのデモについては、木口まこと氏による THATTA ONLINE Vol. 2 (通算124) の表紙の科学が有名であるが (勝手に有名にしてしまおう)、複雑系仮想研究所のデモプログラム・リンク集で David J. Eck による The EdgeOfChaosCA Applet を見付けたので紹介しておく。暇な人は The HandCraftCA Applet で遊んでみると良いであろう。他にも David Eck's Java Page で様々な applets が紹介されている。
佐藤康光八段は先手番が得意で後手番が苦手である。そのため、佐藤が番勝負に登場すると、互いに先手番をキープして、テニスのような試合になることが多い。どちらが先に後手番で勝ってブレークするかが勝負になるのである。今回の谷川浩司名人に挑戦する名人戦七番勝負はまさにそのような展開になり、互いに先手番を第六局までキープした。先手番と後手番を一局ごとに交代する規則になっているので、谷川から見た星取表は○●○●○●である。
そして、最終の第七局、公平を期すために、どちらが先手番を取るかは振り駒で決める規則になっている。運も実力の内というわけである。結果は谷川の先手になり、戦形は、先手が主導権を握り易い相矢倉に進行した。最近では、相矢倉は後手が苦しいと思われているようである。おそらく、それを見て、これで佐藤が勝つ確率はかなり減ってしまった、と考えたファンは多いと思う。しかし、結果は後手番の勝ちで、佐藤はついに名人位を得ることに成功したのである。
佐藤康光新名人は28歳独身、佐藤モテ光くんというあだなが有名である。こんなあだなが付けられた親しみ易い名人が誕生するのは前代未聞である。
ううむ、理科教育MLを覗いてみたのだが、これはちょっとアレだなあ。二酸化炭素の安全性に関する議論の流れを全く無視した発言である。二酸化炭素の毒性の話と所謂「環境ホルモン」の話を同列に並べちゃあいかんですよね。そういう馬鹿げた考え方は我々の将来の危険性を増加させると思う。正直言って、岩波科学の林さんの発言にはハラハラさせられてばかりだ。 (本人はここをまだ見ているかな?)
げげげ、時田さん、すばやい! 昼休みだからかな?
今回の風邪の苦痛は大きい! なにしろ痛い。鼻の奥、頭、喉が痛い。今は痛みは消えてかなり、ほっとしているところなのです。でも、まだ咳が出るんだよなあ。でも、感覚的にほとんど治りかけている感じ。皆さん気を付けましょうね。
実は自分がいる大学でどういう入試問題を出しているのか知らないのだ。でも、普段の会話から、うちの大学に限らず、大学の数学のセンセはなるだけ普遍的に価値のある数学のネタから問題を出したいと考えていることは確か。 (このことは数学に限らないですよね。) だから、2×2の行列で表現できる2次元の回転群やローレンツ群が入試に出易いのだ。固有値や固有ベクトルの概念にからんだ問題も出易いですよね。でも、皆がこぼすグチは「この問題も現在の高校のカリキュラムでは出題できなくなった」なのだ。実際、かなり大変みたいで、そのせいで問題がどんどんつまらないものになって行くらしい。大学入試に出される問題も普遍的に価値があるものであって欲しいですよね。
Hannah Arendt の "Between Past and Future" の邦訳は『過去と未来の間』(みすず書房、1994.9)か。(私は読んでないですが。)
初めまして、佐々木拓也さん。(もしもウェブページをお持ちならば、この掲示板付属のリンク集の掲示者リストからリンクするので、 URL を教えて下さい。ペンネームならわざわざこういうことを聞かないのですが、本名のようなので聞くことにしました。)
時田さんが佐藤学氏の授業論に警戒をしていたというようなことが、この掲示板であった記憶が無いので、「佐藤学」を検索してみました。以下の2つの記事が見付かったのですが、「佐藤学氏の授業論に警戒をしていた」というようなことはないようです。
>時田節先生 多分こちらだったと思いますが、時田先生が 佐藤学先生の授業論に警戒をしておられたの を見かけて、おたずねいたします。 わたしは、比較文化専攻の学部生です。 佐藤先生の授業論にうまく疑義を提出している 書物はございませんか。お教えいただけますま いか。唐突にはなはだ無礼な質問で申し訳あり ません。 うちの先生方はごぞんじないそうなのです。 頓首 佐々木 拓也
> そこのところをどうするか。それが見えてこない、:-)…
ぎゃはは! 彦坂さんの「:-)」のリンクの先は最近あちこちで話題になっていますね。座談会文体とは言えないかもしれないですが、政治家のおじさんたちなんかがよく使う言い回しに、「○○○とは、いかがなものか」というのがありますよね。これも、なんとかして欲しいのだ。
私が勝手に作った例文1: 「そこらのおっさん」の説教には耐えられて、「そこらのおばはん」の説教には耐えられないとは、いかがなものか。
私が勝手に作った例文2: 真面目な内容のウェブサイトを運営している真面目な学生に対して変てこな圧力をかけるとは、いかがなものか。
いしいひさいち『ののちゃん』第1巻136頁にある例文: わがやの晩めしにスパゲティとは、いかがなものか。
1998年6月の記録Aの終わり間際の様子 (時間と逆順)
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