于論茶の掲示板bonの掲示板黒木のなんでも掲示板2

于論茶氏への返事

黒木 玄

于論茶氏への返事削除された山形氏の記事


于論茶氏への返事

于論茶氏から届いた山形浩生氏に関する問い合わせへの返事 (1999年11月22日) です。ヘッダーの一部を伏せ字にし、于論茶氏からの問い合わせの内容を引用した部分を略した以外は原文そのままです。

From: Kuroki Gen <kuroki@math.tohoku.ac.jp>
Message-Id: <199911220105.KAA09102@sakaki.math.tohoku.ac.jp>
Date: Mon, 22 Nov 1999 10:05:19 +0900
To: ☆☆@☆☆☆ (于論茶氏のメールアドレスを伏せ字)
Cc: kuroki@math.tohoku.ac.jp
In-reply-to: "☆ ☆☆" 's message of Mon, 22 Nov 1999 01:33:17 +0900
References: <000101bf343e$38ac5ce0$bbea84d2@☆-☆☆>
Subject: Re: はじめまして 

于論茶様

…中略…、「山形浩生」は本名です。ウェブサイトは

  http://www.post1.com/home/hiyori13/

にあります。私の掲示板の掲示者リストの「や」の項目

  http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/#ya

からも飛べます。

山形氏は本名でウェブサイトを公開して、雑誌に書いた原稿を含めた多数のエ
ッセイを公開しています。このような方を「匿名」扱いすることは不可能です。
「どこの何者でどのような趣味嗜好を持っているのかはっきりさせた上で恥を
かくことによって自分自身の発言の責任を取る」という私の「匿名」による批
判禁止ルール

  http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/Rules.html#anonymous

に書かれている主義をそのまま実行している方だと思います。

確かに、山形氏は口が非常に悪くて、初めてその発言に接した方はびっくりし
てしまうと思います。しかし、実際には親切で良い人です。借りものでない自
分自身の言葉とセンスで自分の意見を率直に述べるタイプの人物が、口が悪く
てかつ親切だというパターンはよくあることでしょう。

おそらく于論茶さんは山形氏を所謂「掲示板荒らし」 (…中略…) であると勘
違いしてしまったがために、いきなり記事を削除してしまったのだと思います。

しかし、そのいきなり削除された山形氏の記事を読んでみましたが、特別に無
茶なことは書いてないと思いました。例えば、

  そもそもあなたは自分のことばでその「身体性」を一度たりとも説明しない

は常に自分自身の言葉で率直に語る山形氏らしい批判でしょう。借りものでは
ない自分の言葉で語ってもらうことはコミュニケーションにおいて大事なこと
なので、この山形さんのこの批判は建設的だと思います。

于論茶さんは、このような批判には、削除ではなく、自分自身の言葉で正々堂
々と「身体性」について語ってみせるというやり方で回答すべきだったと思い
ます。

以上です。建設的な方向に議論が進むことを望んでいます。

P.S. 削除された山形氏の記事の内容に関しては、電子メールでの個人的な議
論には応じかねるので、御自身の掲示板の方に意見を発表して下さると助かり
ます。このメールもヘッダーの From, Date, Message-Id 込みでの全文掲載な
らどこにでも自由に転載して構いません。もしも、于論茶さん自身が公開しな
いのであれば、私の方でこのメールを公開することに許可が頂ければ嬉しく思
います。もしも駄目なら、于論茶さんの言葉の引用部分を削った上で公開する
かもしれません。

P.P.S. 他所で自分自身の発言が批判されるということはよくあることです。
自分自身の発言の他の場所での反響を楽しむという余裕はウェブ掲示板などを
運営する上で必要なことだと思います。

--
黒木玄

削除された山形氏の記事

参考までに、于論茶の掲示板に1999年11月21日に投稿されたが、于論茶氏によってすぐに削除された山形浩生氏の記事を転載しておきます。山形氏自身の意見が No One Luvs Me に掲載されているので、そちらも参照して下さい。

やでやで。 投稿者:山形浩生  投稿日:11月21日(日)23時48分05秒

于論茶さん、あなたはとても恥ずかしい人ですねぇ。

> 黒木さんのわたしへの理解は不十分

こういうことをうれしそうに書ける神経というのは、なかなかあきれた
ものです。もし黒木さんの理解が不十分なら、それはそれを理解できる
ように書けなかったあなたが下手クソなのです。あなたはプロのもの書
き(とはとても思えませんが)なんだから。

 そもそもの発端は、中村の線形・非線型についてのまぬけな発言(の
要約)でした。あなたはそれを、自分の引用のまずさということにして
鷹揚におさめようとしているけれど、その一方でこの「身体性」という
代物で、また同じことをやっている。つまりことばの字面の印象だけ見
て、勝手に自分の都合のいい、耳障りのいいお題目とつなげようとして
いる。身体性ってものはブンヤの「現場主義」なんかとはなんの関係も
ないものです。むしろ現場主義からは遠いものです。あなたはたぶん、
結局あなたは、身体性という観念(というかそれ以前のことばと自分の
思いこみ)に酔っているだけなんです。

 それを端的に示しているのが、あなたの引用する鶴見の「がきでか」
の話です。これはつまりその「抵抗の思想」とやらがあるから「がきで
か」を評価すべきだというイヤラシイ考えです。でも「がきでか」を読
んで喜んでいた連中は、そんなくだらない思想性のためにあれを評価し
てたわけじゃない。もっと直接、あれを読んでひたすら笑いころげてい
たんです。もし「身体性」なんてものがあるなら、それはその笑ってた
連中(ぼくを含む)の中にあるのです。「抵抗の思想」を経由して「が
きでか」を評価しようという発想自体が、あなたののたまう「身体性」
からいちばん遠い観念のお遊びでしかない。ちなみに、マンガをそうい
う左翼イデオロギーの中でしか読めないのは鶴見の一番ダメなところで、
見習ってはいけないところです。

しかしながら、あなたはこれがその「身体性」の立派な説明になると思っ
てこの話を書いているわけですね。だからあなたのいう「身体性」は、
実際の身体なんかとは関係ないただの観念なのです。

そもそもあなたは自分のことばでその「身体性」を一度たりとも説明し
ない。単に鶴見や中村とオレは会ったぞ、という自慢と権威付けだけで、
なんとなく「身体性」とやらをふわふわただよわせているだけです。よい
ですか。人は何らかの観念を経由せずにはことばを編み出せません。もの
を書く人間、あなたのような口舌の徒は、軽々しく「身体性」なんてもの
にすり寄ってはいけないのです。そしてその身体性とやらが欠如している
のが、ネット上のコミュニケーションだけだと思っている鈍感さ。新聞に
は身体性があるんでしょうか? 考えてないでしょう。

さらにその空疎な「身体性」にしげきされて、bonという人がブラジルでの
会議の話をしていますね。bonさんは、ちゃんと趣旨がわかって引用してい
るのでしょうか。つまりブラジルの人たちがいう「生活」というのは、具体
的にはどういう意味だとお考えでしょうか。かれらは具体的になにをした
いと言っているのでしょうか。それに対して先進国の人たちが持ち出して
きていた「生存」というのは、具体的にはどういうことをしたいと言って
いたのでしょうか。