二つの実数論

黒木 玄

1999/06/03 09:28:39

実数全体を作る話ってのは少なくとも本質的に異なる二通りの方法があって、一つはデデキント切断で、もう一つは距離空間としての完備化なのだ。有理数全体を考えても、その中には √2 だとかπのような数が含まれてなくて、すかすかの隙間だらけなので、その隙間を埋めるにはどうするかという話なのだ。隙間を埋める操作には数学用語として「完備化 (completion)」をあてるのが習慣になっています。

デデキント切断ってのは、有理数の全体は右と左の二つに分割して、その分割の仕方全体が有理数全体の集合を完備化したもの(隙間を埋めたもの)になっている(とみなせる)という話です。これは、有理数全体の集合をすぱっと二つに切ったときのその切り口の全体を実数全体の集合とみなすという話だと言っても同じことですね。このやり方は、二つの有理数の間の距離(長さ)のような概念を一切使ってなくて、数の大小関係(順序)しか使ってない。実は、デデキント切断の話は順序集合の完備化の特殊な場合だとみなせるのだ。

これとは対照的に、数の大小関係(順序)を一切使わずに、二つの数の間の距離という概念のみを用いて、すかすかの有理数全体の完備化を行なうこともできる。有理数全体の隙間に向かって収束しているとみなされるべき点列の全体を考え、同じ隙間に収束しているとみなされる点列どうしを同一視すれば、点列の同値類と隙間の全体が一対一に対応していると考えられるわけです。こういうやり方で、有理数全体を完備化して実数を作ることもできる。 (「収束しているとみなされるべき点列」は数学用語では「Cauchy 列」と呼ばれています。収束ってのは「近付く」って概念を明確に述べたものなので、距離の概念があれば定義可能です。)

これら二つの思想的に全く異なる実数の構成が互いに同値であるというのは一応非自明な定理と言って良いのだ。 (使って良い論理を直観論理に制限すると、実際に同値性を証明できなくなるらしい。) 同値性の証明は、「上に有界な部分集合が上限を持つ」と「全ての Cauchy 列は収束する」という全順序集合としての完備性と距離空間としての完備性が互いに同値になることだけが非自明で、他の同値性は直観的にも論理的にもほとんど自明なのだ。

また、一般に数の世界には順序が入るとは限らないので、数論で p 進体のようなものを扱う場合には、デデキント切断じゃなくて、後者の距離空間としての完備化もしくはそれに近いやり方を使う必要があります。

とにかく、こういう話は、よくわかっていることだし、完全に抽象化されつくしていて、フツーの道具になってしまっているのだ。もちろん、実数の構成の仕方も上で述べたようにデデキント切断とは全く異なる思想によるものがあって、その方法は数学のあちこちで使われている。こういうことを当然の予備知識として持ってない人が実数論に関係した哲学を展開するのは無理だし、やめた方が良いと思うのだ。