神戸大非線形科学教育研究分野なんでも3ホーム『「知」の欺瞞』関連情報

ペギオ亀ファイル


2000.05.30 Nomura & Gunji (1999), The study of autonomous choice in the learning process of a tutle, Chinenys reevesii. Bio-systems (abstract, full text pdf) が読めるようになっていた。

2000.04.11 カメではなくヒトに関してはヒトの学習に関する能動的選択を参照せよ。

2000.04.10 掲示板での議論は「「不定性」に関する郡司氏のトンデモ記事」以降を参照せよ。さらに「議論のまとめ 4.9」も参照せよ。


ペギオ亀の「わたくし性」と「不定性」

郡司・野村・森山 (1999)「私を含む動物=不定性を含む動物」日本動物行動学会Newsletter No.34, pp.16-23 の pp.21-22 より

 Nomura & Gunji (1999) の実験は、実験の前提に関する不定さという形で、わたくし性を、より積極的に導入した実験である。野村は当初、カメの落とし穴実験を行っていた。カメを坂道の下に置くと、自ら登り出す。このとき坂道の途中、左右いずれかが落とし穴になっている。例えば落とし穴を左に設定しておくと、何回かのトレーニングの後、カメは落ちないよう、右の道を登るようになった。次に野村は、落とし穴をセッション毎に、左右交互に変える実験を行った。カメが交替を学習するかというわけだ。カメは最終的に、左右いずれかの道を選んだ。ここで野村は次のように問うた。「結果的にカメは50%失敗する。これは半分だから、ターゲットを学習したとはいえない。しかしカメは50%の成功を選択したとも言えるのではないか」と。カメ自らの選択という問題に、学習した・しないを判定する観察者の判定基準・前提外部が、不可避的に参入してしまうのだ。

 野村は、学習実験において、「学習ターゲットが学習実験の過程で変更されることはなく、この禁を犯さない限り、動物がターゲットを学習したと言い得る前提」、に関して、不定さを構成した。すなわち、第一に、変更されないターゲットの学習を動物に施した後、第二に、ターゲットの変更を動物のその時その時での行動に合せた実験を行う。第二の実験では、ターゲットが場当たり的に変更される為、動物の行動がたとえ収束しようと、その結果に対して学習した・しないとの判定が原理的に下せない。その後、第三に、変更されないターゲットの学習、しかし第一のそれとは困難なターゲットの学習を動物にさせる。

 この系列的実験において、第一の実験で、実験結果は学習実験の前提内部で把握されるが、第二の実験では前提外部に位置づけられ、さらに第三の実験では再度前提内部に回収可能な状況が設定されている。結果は、以下の通りであった。第二の実験で、ある個体は特定の歩行パターンを獲得するが、このような歩行パターンを獲得した個体のみが、第三の実験においてターゲットを学習し得たのである。ここでは、観察者の実験の枠組みに関する前提に不定さが構成され、その不定さを契機として起こる行動 (特定の歩行パターン) が、通常の実験的枠組み内で困難なターゲットと理解されるターゲットの学習を実現したと言えるのであろう。こうして、区別 (確定概念) の不定さを契機として新たに創発される区別の様相が、実験的に構成されたのである。

 野村の実験は、様々な含意を有する。対象動物において出現する区別という様相に対する実験的構成方法は、しかし動物自身の区別の発現に対する条件を与えるものではない。そうではなく、区別の起源というできごとが、観測の前提に関する不定さを積極的に導入することで、効果的に観察できるということを示している。この実験方法は、通常困難と信じられる事象の生成 (例えば下等動物が二次道具さえ用いたり、予測を行うといった) の実現に対して、極めて有効な方法となるであろう。そしてそのような高度な発達が、不定さの導入によって実現される事例が増えるなら、高度な発達を可能とする機構・根拠の探索という研究スタイルとは異なるアプローチがさらに進展するであろう。

 これに対して、野村の実験が、動物自身の区別の発見=構成に対する、ある条件を与えていると主張するなら、それは知能に関する先験的定義として解釈されるところのチューリングテスト (その挙動から計算機であるとも人間であるとも判断できないとき、その挙動を示すシステムは、人間と同等の知能を有する判断をしてよい) と同じ誤謬を抱えることになる。いわく、「この実験において、動物は、学習機械である (第一の実験で学習したと判断できる) と同時に、学習機械でない (第二の実験 (機械であるとの判断外部) での獲得事項を第三の実験に接続できる) とも判断できる。だから、この動物は人間と同等の学習・区別の創発能力を有する」といったように。この限りで、区別の起源という問題は、個別的経験に属する問題ではなく、先験的に定義を与えることが可能な一般化可能な問題と遇されることになる。

 チューリングテストは、知能に関する先験的定義を企図したものと解釈できる一方、他方では判断に関して私が関与せざるを得ない、わたくしの不可避性を逆照射する提案とも解釈できる。野村の動物実験は、まさに同じ両義性を有している。ここにも現われる両義性に対して、この対立図式を仮に受けながら、個別的体験・経験という様相にどこまで徹底的に迫れるかという問題が、創発・起源の理論的課題であろう。創発は、みることと理解することが決して分離できない。実験と共に、どう理解するか、理解 (の内容ではなく) の方法・理解する為の装置の構築が急務となる。

 チューリングテストの意味が、「判断とはわたくし性の関与である」にあると肯定的に捉えられるのと同様に、野村の実験は肯定的に捉えられよう。それは、チューリングテストの個別的な時間発展を、動物実験として再構成したと考えられる。学習した・しないという判定外部に位置づけられた動物が、しかし最後の実験において、判定内部へと再回収される。ここに、前提内部と外部との接続が出現する。外部にあり続けるなら、それは単なる埒外である。チューリングテストで、「機械でないと判定できない」と謂れながらも、被験者は、対象であるシステムと何らかの相互作用を続けることができる。この相互作用・コミュニケーションの続行においてのみ、「いずれとも判定できないが、しかし知能を有すると私は判断してしまった」という「しかし」以降が出現するのである。この相互作用の続行は、野村の実験において、前提外部の結果 (第二実験の結果) が内部に接続された (第二の実験での歩行パターン生成個体のみが第三のターゲットを学習した) ことで構成されているわけだ。

Nomura & Gunji (1999), The study of autonomous choice in the learning process of a tutle, Chinenys reevesii. Bio-systems (abstract, full text pdf).

上の抜粋を読んでも「第三の実験」すなわち「第一のそれとは困難なターゲットの学習」の実験の具体的内容について何も説明が見付からない。実験の解釈を述べるときに肝腎な点を明らかにしないのはまずいと思う。まだ Nomura & Gunji (1999)を入手してないので (東北大ではそれが掲載される雑誌をとっていない)、はっきりしたことを言えないのだが、以下の1998年講演アブストラクト 3H1400 を見ると「第三の実験」 (より困難な学習の実験) は「二つの穴の中央を上がったときにのみ正解とする」という学習実験であったと推測される。左右の穴に落とされまくったカメの中に中央を登るようになった奴がいたのであろうか? (^_^;)

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追記 2000.05.30: abstractfull text pdf が読めるようになっていた。

追記 2000.04.14: Bio-systems を講読している大学のリストBio-systems のウェブサイトで論文の全文を PDF で読めることがわかった (Editorial Board, Search)。まだ、カメ論文は見付からないがじきに読めるようになるであろう。


1998年講演アブストラクト 3H1400

生物物理 38 supplement 2 (1998)、日本生物物理学会第36回年会講演予稿集 1998.10.2-4 九州大学六本松キャンパス、 S190頁より

3H1400

亀の学習に関する能動的選択

野村 収作 (神戸大、自然)、 郡司 幸夫 (神戸大、自然)

 通常、動物における学習実験の概念は観察者の提示した問題に対して十分な時間の後、問題の解を獲得するという形式で述べられる。これに対し我々は実験結果を評価する観察者も取込んだ形式で動物の学習概念を再構成した。

 クサガメ (Chinemys reevesii) を用いて二者択一の選択実験を行った。箱の中にスロープを作り、その頂上付近に開閉自由な穴を2つ作り次のような規則に従って穴を開閉し、亀を上らせた。
実験 1;左右の穴どちらか一方を落とし穴にし、他方は登れるようにする。
実験 2-a;亀が上ったほうを常に正解 (落とし穴でない) にする。
実験 2-b;亀が上がったほうを常に失敗 (落とし穴) とする。
実験 3-c;二つの穴の中央を上がったときにのみ正解とする。
この一連の実験を実験 1〜3 まで行う。この時、実験 2 は観察者が実験結果の正否を判断できないような実験自体の構成の不備な実験である。つまり亀が上ったほうを意図的に正解にしたり失敗にしているからである。実験 1,3 は通常の学習実験であり、観察者は実験の正否を判断できる。

 しかし実験結果は、観察者が評価できない実験 2 における亀の行動が、機械的に判断できる実験 3 の結果 (成功、失敗) に大きく影響した。このことは亀において、我々の評価できない実験の中で亀が獲得した行動を、我々が評価しうる実験を解く鍵として使ったことを示唆する。このことをもって動物の能動性を再定義した。つまり、動物内部において環境刺激がいかなるものか決定できないことが、動物の能動性を理解する鍵である。


S. Nomura, Y. Gunji
The study of autonomous choice in learning process of turtle.

1999年講演アブストラクト 3PD010

生物物理 39 supplement 1 (1999)、日本生物物理学会第37回年会講演予稿集 1999.10.2-5 和光市市民センター/理化学研究所、 S199頁より

3PD010

真正粘菌変形体における信号の生成と消滅

○野村収作、郡司幸夫 (神戸大・自然)

真正粘菌 (Physarum) の変形体は外部環境に対し柔軟な走性を示す。変形体の走性に対するモデルとして、従来、非線型振動子のカップリングモデルが採用されてきた。多核性のアメーバーである変形体を多数の振動子の結合系として扱い、また、その非線型性から引き込み他の現象が説明された。

この様なモデルは根本的に振動子自体の独立的存在が前提とされ、さらに局所的相互作用がいかにして全体性を実現するか、という点にのみ注目している。

これに対し、我々は全体を局所の集まりとして扱う観察者の態度に言及する。我々は、如何なる記述も観察者の主観的な決定を除くことが出来ないという立場から、逆に観察者を積極的に取込むことにより、記号の起源、創発的現象にアプローチする。我々はこの様な観点から、粘菌における全体と局所、或いは個々の振動子と相互作用の分離不能を実験的に構成し発表する予定である。


S.nomura, Y.P.Gunji: The generation and extinction of signals in the plasmodium of Physarum Polycephalum.

編集者:黒木玄 <kuroki@math.tohoku.ac.jp>