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ベビーシッター協同組合の危機

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ポール・クルーグマン著『経済政策を売り歩く人々――エコノミストのセンスとナンセンス』 (伊藤隆敏監訳、北村行伸・妹尾美起訳、日本経済新聞社、1995年) の32-34頁より抜粋


 一九七〇年代にワシントンDCの専門的な職業をもつ人々が自らそれと意図したわけではないが、たまたまマクロ経済に関する一種の実験を行ってしまったことがある。ジョーン・スィーニーとリチャード・スィーニー夫妻 (Joan and Richard Sweeney) は彼らの失敗を「金融理論とキャピトル・ヒル・ベビーシッター協同組合の危機」 (現代: Monetary Theory and the Great Capital Hill Baby-Sitting Co-Op Crisis) と題する奇抜な論文で紹介している (Journal od Money, Credit and Banking, 1977, February, Vol. 9 (1), Part 1, pp.86-89)。

 話は次のようなものである。専門的な職業につく子持ちの若い共働きのカップルが、互いの子供を世話し合うというベビーシッター協同組合を設立した。この種の仕組みで重要なのは、負担が公平に分担されるということである。この組合では一時間のベビーシッターを保証するクーポン (紙幣) を発行して自らの帳尻を合わせるようにベビーシッターをし合うという仕組みが用いられた。クーポンはベビーシッターをする度に、譲り渡されるのである。

 少し考えれば、この仕組みが働くためには十分なクーポンの流通が必要なことがわかる。自分たちがいつベビーシッターを必要とするか、またいつ他の夫婦のためにベビーシッターをしてあげられるかは正確には予想がつかない。このため、まず、どの夫婦も他人のためにベビーシッターをして、自分たちが何回か外出できるようにクーポンを幾枚か貯めておきたいと考えるであろう。

 協同組合が設立されてからしばらくして、問題が生じた。クーポンの流通量が減ってきたのである。この理由は説明するまでもないことだが、奇妙な結果をもたらした。平均して、夫婦は希望するほどのクーポンを蓄えられなかったため、外出するのを控え、ベビーシッターをしようとする。しかしベビーシッターの機会は他のカップルが外出することによって初めて生まれるのだから、皆が外出を控え始め、クーポンを使わなくなってしまえば、全体としてクーポンを得る機会が減り、外出に慎重な態度に拍車をかけることになる。つまりクーポンをもっと獲得するまでは外出したくないのだが、他の誰もがやはり外出しようとしないため、クーポンを貯めることができない状態に陥ってしまったのである。

 要するに、ベビーシッター協同組合は不況に陥ってしまったのである。

 協同組合のメンバーには法律家のカップルが多かったので、協同組合の役員には、これは金融問題であると説明することは難しかった。代わりに彼らは、例えば最低月二回は外出することを義務づけるなどの規則による問題解決を試みたりした。長い間の試行錯誤のあげくに、やっと協同組合はクーポンの供給量を増加させた。その結果、法律家たちにとっては軌跡とみえるようなことが起こったのである。カップルは外出できるようになり、ベビーシッターの機会も増え、これはさらにカップルが外出する意欲を刺激したのである。

 話はもちろんここで終わらない。クーポンの供給を増加しすぎたため、インフレが生じてしまったのである。

 この話は、不況も好況も決して深遠でも不可解でもないことを示している。複雑な面があったとしても、実際に起こっていることの本質は子供劇のようにわかりやすいものである。