Message-Id: <199707020201.LAA19685@panda.intcul.tohoku.ac.jp> Date: Wed, 2 Jul 1997 11:02:48 +0900 To: kuroki@math.tohoku.ac.jp From: kitano@intcul.tohoku.ac.jp (Hiroaki Kitano) Subject: your homepage Mime-Version: 1.0 Content-Type: text/plain; charset=iso-2022-jp X-Mailer: Eudora-J(1.3.8.5-J13) 前略、 黒木様/黒木先生、 ホームページを覗かせていただきました。言語学者として、少し感想を述べさせてく ださい。黒木さんは 私の偏見かもしれませんが、言語学は大きく二種類に分類されます。 一つは「言語は社会や文化が決定するものである」という面を強調する言語学です。 とおっしゃってますが、「社会や文化が言語を決定する」というのが、サピア・ウォ ーフの言語相対論のことを指しているとすれば、黒木さんの二分法は少々単純化しす ぎという気がします。言語相対論をナイーヴな形で信じている言語学者は、現在あま りいないのではないかと思います。「社会や文化が言語を決定する」というのはあま りにも強すぎる言い回しです。(言語相対論は今でもその妥当性をめぐって研究が続 けられています) 現在の言語学界で対立する二大立場というと、チョムスキーに代表される生成文法・ 言語生得論と、言語使用や言語機能を強調する談話・機能主義言語学だといえると思 います。そして、「言語は社会や文化が決定するものである」とまでは言えないにし ても、「社会的、文化的要因が言語変化、言語習得に大きく作用する」と考えるのが 後者の立場です。もちろん、人間が生得的に持っているある種の能力を、後者の立場 が全面的に否定しているわけでは決してありません。他方、生成文法も、言語使用と いうものをまったく無視しているわけではないのは、言うまでもありません。 他にもいろいろな立場の言語学派がありますが、二大立場の存在は、一般言語学の分 野ではまず異論がないと思います。 北野浩章 東北大学大学院国際文化研究科 異文化間教育論講座助手