From: g.kur@tainsbbms (黒木 玄 (くろき げん))
Newsgroups: kotoba
Subject: 『言語本能』という題名の本について
Keywords: 
Message-ID: <30046@tainsbbs>
Date: 1997/06/15 08:08:54
Organization: 理学研究科数学教室 [kuroki@math.tohoku.ac.jp] (217-6394)
Lines: 126
Until: 1997/11/15

次の本は大変面白いでのおすすめです。

スティーブン・ピンカー著、『言語を生み出す本能』、上・下、椋田直子訳、 NHKブックス 740-741、日本放送出版協会、1995年 (Steven Pinker, The Language Instinct - How the Mind Creates Language, 1994).

邦訳の題名よりも原題の方が格好良いと思います。直訳すれば『言語本能―― 心は言語をどのように創造するか』。

私の偏見によると、言語学は二つに分類されます。一つは言語の社会的・文化 的・政治的側面に注目するという立場であり、もう一つは言語は人間が生まれ 付き持っている能力であるという点に注目するという立場です。そして、互い に相補的な役割を果たしています。後者は、進化論との関係ですでにダーウィ ンがとっていた立場なのですが、今世紀の後半に、チョムスキーによって劇的 な形で復活することになりました。チョムスキー以前の言語学は前者の立場が 圧倒的に優勢であったようです。

ピンカーの本は前者の言語本能論の立場による言語学を(チョムスキーとは違っ て)相当に分かり易く紹介しています。念のために述べておけば、ピンカーは、 チョムスキーに深く影響されていることを肯定してはいますが、本の中で語ら れることはチョムスキーと学説とは同一ではないことを断わっています。

なお、前者の文化としての言語を考えるという立場からの言語学の入門書とし て、田中克彦著の『言語学とは何か』(岩波新書303)があります。この本とピ ンカーの本上下二冊の合計三冊を買って読むことにすれば楽しみが増すでしょ う。スリルを味わいたければ、ピンカーの本より先に田中の本を先に読んだ方 が良いと思います。特に、田中とピンカーによるウォーフの評価の違いに注目 してください。

ピンカーの本の刺激的な一節を紹介しておきましょう。まず、以下に箇条書き された主張を読み、それが正しいと思ったら(心の中で)丸を付けてください。

(1) 言語とは人類のもっとも重要な文化的発明品である。

(2) 言語は記号を使う能力が顕在化したものである。

(3) 言語を獲得するという生物学的に前例を見ない出来事によって人類はその 他の動物と永遠に袂を分かった。

(4) 言語の影響は思考全般に及ぶから、言語が違えば現実を把握するやり方も 異なってくる。

(5) 子どもは周囲の大人をモデルにして言語を習得する。

(6) 文法的に正しい言葉使いは学校で培われるが、教育のレベルが下がったと 同時に、低級なポップカルチャーが蔓延したせいで、文法的に正しい文を作る 能力が恐ろしいほどに低下している。

(7) 英語は騒々しく非論理的な言語で、パークウェイをドライブするくせにド ライブウェイで車をパークし、リサイタルで演奏(プレイ)するくせに、演劇 (プレイ)のなかで暗唱(リサイト)する。そのうえ、英語の綴りは理屈に合わな い。バーナード・ショーもタフのフは gh、ウィメンのィは o、ネイションの ショは ti と綴るのだから、フィッシュも fish ではなく ghoti と書けばよ い、と皮肉ったではないか。発音するとおりに綴る論理的な方式に変えられな いのは、ひとえに政府や教育機関が怠惰だからである。

以上は、ピンカーの本の上巻の pp.18-19 からの引用です。最後の項目は英語 特有の事情に関する主張なのですが、「日本語は非論理的である」というよう な主張も別な理由付けのもとで結構なされていると思います。「日本語は非論 理的であるので、日本人は数学に向いていない」というような発言に出会うた びに、私はうんざりしています。あなたは数学を日本語で考えているのですか、 と聞きたくなるのです。将棋を指すときに日本語に頼って考えないのと同様に、 数学を考えるときにも日本語に頼らないのは当たり前のことだと思うのですが、 皆さんいかがでしょうか?

さて、どうでしょう?あなたは丸を何個付けましたか?

ピンカーは個条書きの形引用した主張を「ある程度の教育を受けた人の大半は、 言語についての先入観を持っている」の例として挙げているのです。そして、 上に続けて(上巻 p.19)、以下のように述べています。

言語は「本能」である
約束する。本書を読み終わったときには、いま羅列した考え方のすべてが間違 っていると確信してもらえるはずだ。間違っている理由はただ一つ。言語は文 化的産物ではなく、したがって、時計の見方や連邦政府の仕組みを習うように は習得できない。言語は人間の脳のなかに確固とした位置を占めている。言語 を使うという特殊で複雑な技能は、正式に教えられない子どものなかで自然発 生的に発達する。私たちは言語の根底にある論理を意識することなく言語を操 る。誰の言語も質的には同等であり、言語能力は、情報を処理したり知的に行 動するといった一般的能力と一線を画している。これらの理由から、一部の認 知科学者は言語を「心理的能力」、「精神器官」、「神経システム」、「演算 モジュール」などと呼ぶ。しかし、私は、時代がかった言葉ではあるが「本能」 と呼びたい。本能と呼べば、クモが巣の作り方を知っているのと同じような意 味で、人間も言語の使い方を知っている、という見方が伝わりやすい。…

要するに、ピンカーによれば、上において一つでも丸を付けてしまった人は、 「ある程度の教育を受けてしまったために言語について間違った先入観を持っ た人」に分類されてしまうのです。

以上を読んで反感を持つ人や疑問を持つ人は多いでしょう。ピンカーが言って いることは果たして本当なのか?ピンカーはどのような意味で、個条書きの主 張の全てを否定しているのか?ピンカーが言う通り、言語が思考を決定するの ではないとすれば、political correctness の運動の根拠の一つが失われるの ではないか? (political correctness とは fireman を fire fighter に置 き換えるという行為に代表されるような考え方のこと。) これらの事柄につい て、知りたい、考えたいと感じた人は、本屋に行ってピンカーの本をさがしま しょう。そして、もしも見付からなかったら注文した方が良いでしょう。

ピンカーの本の良いところは、興味深い事例を系統的に紹介していることです。 そのため、読んでいて飽きることがありません。ピンカーの専門は視覚認知と 幼児の言語獲得の研究であるので、特に子どもの言語獲得(その中には手話も 含まれる)の説明は具体的で大変面白いものになっています。

例えば、耳の聞こえない子どもが、大人のたどたどしい手話を見て、それを高 度な文法を持った言語に作り変えてしまう話(ピジン手話のクレオール化、上 巻 pp.44-49)に私は感動しました。子どもだけが持つ素晴しい言語創造能力は 音声言語だけに働くわけではないのです。これは素晴しいことだと思います。

他にも、特定言語障害(SLI)の話(上巻 pp.63-66)にも興味を魅かれました。 SLIとは、心身がともに健康であるにもかかわらず、言語の習得(特に文法の習 得)のみに関する重大な困難に悩まされる病気のことです。 (SLIの人は、子ど ものときに発音についての障害にも悩まされるが、発音は年齢とともに改善さ れる。しかし、文法についてはそうではない。) SLIの子どもは普通に話すこ とができないのですが、他の知的能力においては全く正常なのです。それどこ ろか、数学ではときどきクラスで一番になるSLI児の事例も報告されているそ うです。このことは、数学は言語の文法を用いて考えるものではないという私 の経験にも一致しています。

ところで、言葉に関する間違った常識を破壊するというのは言語学お得意の芸 当らしく、上で紹介した田中克彦著の『言語学とは何か』においてもそのこと が強調されています。言葉に関する議論には誰でも気軽に参加するが、言語学 者の目から見れば間違いだらけの議論が非常に多く、特に文化的有名人の発言 は影響力があるので困りものなのだそうです。言葉に関する議論が好きな人は 注意した方が良さそうです。ちなみに、ピンカーは、それだけではなく、言語 学者によって広められた誤解についても言及しています。