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『「知」の欺瞞』におけるラカンの「虚数i」に関する記述


以下は、ソーカルとブリクモンの『「知」の欺瞞』 (岩波書店) からの抜粋です。ブロッククォートされている部分がラカンの言葉であり、そうでない文は著者たちによるコメントです。


 われわれとしては、略号の頭文字 S(A/)【引用者注:「A/」は実際には A の上に / が重なっている】が(28)、まず最初にひとつの記号表現であることによって示しているものから出発しよう。……

〈引用中略〉

 そこで、その結果として、われわれの用いている代数にしたがって、この意味作用を計算すると、次のようになる。

  S(記号表現)
  -----------  = s(言表されたもの)、 S = (-1) によって、 s = √-1 が得られる
  s(記号内容) 

(Lacan 1977b, pp.316-317、一九六〇年のセミナーから、佐々木他訳 p.819)

(28) ここで A はラカンにとって中心的な概念である Autre (他者) を表わす。

こうなると、ラカンは読者をからかっているとしか思えない。たとえ彼の「代数」に何らかの意味があるとしても、式の中の「記号内容」、「記号表現」、「言表されたもの」は数ではないし、式の中の (勝手に選んだ記号としかみなしようがない) 水平な線が分数を表現しているわけでもない。ラカンの「計算」は、ただの空想の産物に過ぎない(29)。しかし、二ページ先で、ラカンはまたしてもこのテーマを取り上げている。

(29) Nancy and Lacoue-Labarthe (1992、第I部、2章) は、ラカンの「アルゴリズム」についての、原文とほとんど同じくらいばかげた注釈である。

 おそらく、クロード・レヴィ-ストロースは、モースを注釈しながら、そこに象徴ゼロの結果を認めようとしたのだろう。しかし、われわれの場合に問題になると思われるのは、むしろ、この象徴ゼロの欠如の記号表現である。そして、このような理由から、われわれは、何らかの不興を買うのを覚悟のうえで、われわれの使用する数学的算式の方向転換をどこまで進めることができたかを示したのである。複素数の理論においてはいまも i と記されている象徴 √-1 は、ただその後の使用においてはいかなる自立性も求めないことによって正当化される。

 ……

 このようにして、勃起性の器官は、それ自身としてではなく、また心象としてでもなく、欲求された心象に欠けている部分として、快の亨受を象徴することになる。また、それゆえ、この器官は、記号表現の欠如の機能、つまり (-1) に対する言表されたものの係数によってそれが修復する、快の亨受の、前に述べられた意味作用の √-1 と比肩しうるのである。 (Lacan 1977b, pp.318-320、佐々木他訳 pp.334-336)

正直にいって、われらが勃起性の器官が √-1 と等価だなどといわれると心穏やかではいられない。映画「スリーパー」の中で脳を再プログラムされそうになって「おれの脳にさわるな、そいつはぼくの二番目のお気に入りの器官なんだ!」と抗うウッディー・アレンを思い出される。

(『「知」の欺瞞』36-38頁より)