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『「知」の欺瞞』関連情報


NEW 2001.05.26 ●北村正直、「なぜ科学教育は必要か」 (応用物理教育、 Vol.24、 No.2)
NEW 2001.05.10 ●リチャード・ドーキンスの『虹の解体』おすすめの本のリスト付き
NEW 2001.04.30 ●小池隆太氏は『「知」の欺瞞』を読んだのか?
NEW 2000.10.02 ●山形浩生、『「知」の欺瞞』ローカル戦:浅田彰のクラインの壺をめぐって [その後
NEW 2000.10.02 ●相対主義に関するよくある質問


『「知」の欺瞞』厳選リンク集

「知」の欺瞞 について

共訳者の一人による翻訳情報。

●堀茂樹、きみはソーカル事件を知っているか?

必読。平凡社『月刊百科』 1998年2月号 No.424、14-15頁および 1998年3月号 No.425、42-43頁より。所謂「ソーカル事件」と『知的ぺてん』=『「知」の欺瞞』のフランス版の出版以後のフランスでの反響の簡潔でわかりやすい解説。

●アラン・ソーカル、ソーシャル・テクスト事件からわかること、わからないこと、 1997年4月。

必読。 Alan D. Sokal, What the Social Text Affair Does and Does Not Prove, April 8, 1997, published in A House Built on Sand: Exposing Postmodernist Myths about Science, edited by Noretta Koertge (Oxford University Press, 1998) の邦訳。ソーシャル・テクスト誌にパロディー論文が掲載されてからほぼ 1 年後に書かれた。これの最初の部分を読めば少なくともソーカルはサイエンス・スタディーズ (科学論) の敵でないことがすぐにわかる。ソーカルが批判しているのは「無意味な主張や馬鹿げた意見、知ったかぶり、まがい物の教養をひけらかすこと」および「ずさんなものの考え方(sloppy thinking)と薄っぺらい哲学」であり、「これら二つが軽薄な相対主義の形をとって同時に現れることが(いつもではないが)実に多い」ことを嘆いているのだ。

岩波書店の『「知」の欺瞞』のページ

bk1の『「知」の欺瞞』のページ

●菊池誠、これは要するに『トンデモ本の世界』です

SFオンライン41号(2000年7月24日発行)。菊池誠曰く、「これは要するに『トンデモ本の世界』です。上記の人達に特に興味がないなら、読んで笑っておしまいでいいんじゃないでしょうか。なんてわかりやすい要約。あ、でも書きかたは、別宮貞徳が誤訳・悪訳を指摘するときのそれに近いかも」

●山形浩生、ポストモダンに病んで/夢は枯れ野をかけめぐる。

『CUT』2000 年 08 月。山形浩生曰く、「でもそれならぼくがぜひとも読んでみたいのは、こうしたこけおどしの濫用科学用語やレトリックをすべて取り除いて翻訳した、各種「ポストモダン」思想家どもの文章だ」 (^_^;)

●山形浩生、『「知」の欺瞞』ローカル戦:浅田彰のクラインの壺をめぐって  NEW

上の書評に対する「浅田彰のどこがまちがっているといふのですか!」というお手紙への懇切丁寧で親切な回答。山形浩生曰く、「こんど、この手のバカ検出用語集をつくろう。あとはなんだろう。相対主義にオートポイエーシスにクオリアに……」「そしてある程度論理的に行われた批判そのものについては、なにも正面切って答えず、ひたすら「わかってない」をくり返す――ぼくはそのこと自体が、実は何か別のことを物語っているんだと解釈します」 [追記 2001.08.07:その後の経緯に関しては「浅田彰のクラインの壺について」を参照せよ。]

●北村正直、なぜ科学教育は必要か、応用物理教育、 Vol.24、 No.2  NEW

ある種の学者たちが広めている相対主義的科学観や反科学思想の科学教育への悪影響について論じている。ただし、幾つか細かい点に関しては勇み足が見られる。例えば、新学習指導要領で円周率が3.14ではなく3になった件とソーカルのパロディー論文の関係を示唆している点に関しては誤解があると思う。他にも気なる点がたくさんある。しかし、相対主義や反科学に関する具体的な事例の紹介や日本における初等理科教育への悪影響に対する懸念については参考になるところが多い。大学で相対主義や反科学の思想を信じ込まされた人たちが社会の主流になり、その影響が初等理科教育にまで及んでしまう危険性には皆注意を払うべきである。主流になるべきなのは、科学をよく理解し、科学の名のもとで語られる疑わしい主張やデタラメを科学的に批判できる人たちである。倫理的に正しい判断を下すためには科学的知識と科学的考え方の両方が不可欠でであることを忘れてはならない。

Alan Sokal Articles on the "Social Text" Affair

基本資料。「ソーシャル・テキスト」事件に関するアラン・ソーカルの論説。『「知」の欺瞞』の各種バージョンへの反響の情報あり。関連サイトにもリンクが張ってある。著者達は『「知」の欺瞞』への非難を次のように分類している:

 では、われわれは何の咎で非難されているのか? われわれへの批判は、大まかに四つのタイプに分けられる。 (ごく) 少数の評者は、われわれが書いたことを議論し、それを論駁しようとする。別の評者たちは、実際にはわれわれのものではない――そして、われわれが本書の中ではっきりと否定したかもしれない――見解を、陰にあるいは陽に、われわれに帰し、それらの見解への (しばしばまったく正しい) 反論を行なう。さらに第三のグループの批判者たちは、われわれの本について議論しているようにみせつつ、実はまったく別の何かをしている。たとえば、われわれの人間性、この本を書いた (彼らのいうところの) 動機、あるいは、科学者一般の失敗などを攻撃するのだ。そして、最後に、一部の書評者たちは、われわれに賛成するのだが、やり方がまだ十分でないと考える。

(『「知」の欺瞞』「日本語版への序文」 x-xi頁より)

「日本語版への序文」はほとんど仏語版第二版と英国版第二版の序文に等しく、日本語版のために新たに用意されたものではない。『「知」の欺瞞』への典型的な批判とそれに対する著者達の反論については Debate in Metascience を見よ。


このサイトで読めるページ

リチャード・ドーキンスの『虹の解体』  NEW

お薦めリチャード・ドーキンス著、『虹の解体――いかにして科学は驚異への扉を開いたか』、福岡伸一訳、早川書房、2001年3月 (原書: Unweaving The Rainbow --- Science, Delusion and the Appetite for Wonder, 1998) を『「知」の欺瞞』に関連付ける形で紹介した。おすすめの本のリスト付き。

相対主義に関するよくある質問  NEW

お薦め。相対主義は絶対主義の単なる否定ではないこと、相対主義の分類、相対主義はなぜ嫌われるか、『「知」の欺瞞』の相対主義批判のポイントを解説しておいた。

金森修によるサイエンス・ウォーズ・キャンペーンの実態

お薦め。金森修著、『サイエンス・ウォーズ』 (http://www.utp.or.jp/shelf/200006/010085.html、東大出版会、 2000年6月30日出版) から、金森氏のデタラメなサイエンス・ウォーズ・キャンペーンに関わる部分を抜粋し、批判を加えておきました。かなりひどい。

藤永茂による村上陽一郎批判

お薦め。藤永茂、「科学技術の犯罪の主犯は科学者か?」 (岩波『世界』1998年1月号、 289-301頁)から村上陽一郎への批判部分を抜粋して、コメントを付けておいた。特に、村上陽一郎の『科学者とは何か』 (新潮選書) を読んでしまった人は必読である。

村上陽一郎の「微分の言い抜け」説

村上陽一郎は微分に関して「見事な三百代言流のペテンとしか言いようがない」「それは結局時間幅をゼロに近付ければ移動距離もゼロに近付くはずなのに、移動距離のほうだけはゼロにならない、という微分の言い抜けである」と言っている。村上陽一郎の科学哲学を信用してしまった人は彼がこのようなデタラメを述べていることに注意を払うべきである。

ラトゥールの『科学が作られているとき』について

『科学が作られているとき』から数理科学関連の部分を抜粋して、コメントを付けてある。『「知」の欺瞞』の125-133頁におけるラトゥールの「方法の規則」への批判と、第6章におけるラトゥールによる「アインシュタインのテクストを代表の派遣に関する社会学への貢献として読む」という内容のデタラメな論文への批判を合わせて読んで欲しい。ラトゥールとソーカルの対決については「Latour vs Sokal」および「愚弄や挑発と情報攪乱」で要約されている「どたばた劇」を参照せよ。

Weinberg による Pickering 批判

S. ワインバーグ著、『究極理論への夢』 (原題 "Dreams of a final theory" (1992)、小尾真彌・加藤正昭共訳、ダイヤモンド社)から、 Andrew Pickering の Constructing Quarks に対する批判を抜粋。

Polkinghorne による Pickering 批判

ジョン・ポルキングホーン著、『紙と鉛筆と加速器と』 (原題 "Rochester Roudabout" (1989)、大場一郎・木造芳樹共訳、丸善)から、 Andrew Pickeringの Constructing Quarks に対する批判を抜粋。

観念論と言語主義について

イアン・ハッキング (Ian Hacking)、『言語はなぜ哲学の問題になるのか』 (伊藤邦武訳、勁草書房)より抜粋。ハッキングによれば観念論の図式と言語主義の図式は形式上互いにそっくりなのである。

小池隆太氏は『「知」の欺瞞』を読んだのか?  NEW

小池隆太氏の「ニセ・クリティーク: 5. 『知の欺瞞』の欺瞞」へのコメント。

そうするだけの理由があるに違いない

弟子によるラカンの実践の肯定的記述について。マルク・レザンジェ (Marc Reisinger)著、『ラカン現象 Lacan l'insondable』、中山道規他訳、青土社、1994年 (原書1991年)の71-76頁を抜粋。カルトの教祖様のようなラカンの振る舞いが印象的なので抜粋しておいた。ちなみに『「知」の欺瞞』の51頁にはラカンとその弟子達に関して「こう見てくると、つまるところ、われわれは新たな宗教を相手にしているのではないかと疑っていいようだ」と書いてある。全くその通りだと思う。

ペギオ亀ファイル

郡司・野村・森山 (1999)「私を含む動物=不定性を含む動物」日本動物行動学会Newsletter No.34, pp.16-23 の pp.21-22 の記述について。ペギオ亀の「わたくし性」と「不定性」の実態。カメではなくヒトに関しては佐藤大'の「ヒトの学習に関する能動的選択」を参照せよ。

黒木のなんでも掲示板:ソーカル事件と『知的詐欺』

1997年12月24日から1998年11月30日までにこのサイトの掲示板に投稿されたソーカル事件と『知的詐欺』関連の記事のリスト。

ソーカル事件と『知的詐欺』以後の論争

基本資料。 Alan Sokal のパロディー偽論文が Social Text 誌に掲載された以後とフランスで Impostures Intellectuelles が出版されて以後の論争に関する広範なリンク集。

黒木のなんでも掲示板:くろきの発言の抜粋

掲示板に投稿された「くろき げん」の発言のリスト。以下に主なものを抜粋:


サイエンス・ウォーズ論者達

サイエンス・ウォーズ・キャンペーンに賛成な人達は『「知」の欺瞞』とその共著者の一人であるアラン・ソーカルを目の敵にしている。サイエンス・ウォーズ論者達は科学論に対する批判を「予算と尊敬を失った科学者達による不当な攻撃」とみなし、各々の批判に対して誠実に答えようとしない。「サイエンス・ウォーズ」なんてのを信じてはいけないのだ。

●金森修著、『サイエンス・ウォーズ』、東大出版会、 2000年6月30日出版

この本のやり方については「金森修によるサイエンス・ウォーズ・キャンペーンの実態」を見よ。「サイエンス・ウォーズ」という名の言説がどのようなやり方によってでっちあげられているかがよくわかる。

村上陽一郎座長代理意見発表「STS研究の現状と問題点」

21世紀の社会と科学技術を考える懇談会第2回会合議事録より抜粋。村上陽一郎は政府関係の懇談会で「サイエンス・ウオーズ」を宣伝している。村上の科学者論については「藤永茂による村上陽一郎批判」を、村上の科学哲学については村上陽一郎の「微分の言い抜け」説およびそれに関する掲示板における議論を参照せよ。

●野家啓一、思想の言葉:科学のカルチュラル・スタディーズ、『思想』1998年第10号

このエッセイについては「『思想』1998年第10号に発表された野家啓一のエッセイについて」を見よ。アラン・ソーカルの論説「ソーシャル・テクスト事件からわかること、わからないこと」は1997年4月の時点でウェブ上で公開されていたのだが、野家はこれを読んでから上のエッセイを書いたのであろうか? 野家はソーカルの主張を何一つ引用せずに一方的な決め付けを行なっている。比べて読めばどちらが「過剰防衛反応」なのか一目瞭然である。

さらに、左巻健男の「野家さんの科学者観」と「野家さんへのお答え」も参照せよ。

ちなみに、『「知」の欺瞞』の「日本語版への序文」には次のように書いてある:

また別の評者たちは、われわれが哲学について無学であると非難する。彼らは、われわれを、認識論と科学哲学に関する一世紀に及ぶ論争を無視する「ナイーヴな実在論者」あるいは「常識」の極端な信奉者として描くのである。だが、これらの論者たちは、われわれがこれらの問題を議論した長大な4章からたったひとつの言葉さえ引用することを注意深く避けている。
(『「知」の欺瞞』「日本語版への序文」 xiii頁より)

一般に、科学者を「素朴実在論者」呼ばわりする輩には、「傲慢で凡庸な科学主義的イデオロギーに凝り固まっている科学者」を見下すことによって、自分自身がより優れた存在であると見せかけようとする傾向があるのだ。

なお、『「知」の欺瞞』の最初の仏語版は1997年10月に出版されており、最初の英語版が英国で1998年7月に出版されている (米国版は1998年12月に出版)。そして、その後の論争の様子について書かれた「序文」が仏語版第二版、英国版第二版に追加された。「日本語版への序文」はほとんどそれらに等しく、日本語版のために新たに用意されたものではない。

●成定薫、「科学社会学」1999年度前期

「☆4月30日は……」には次のような記述がある:

 また、渡辺さんは科学論に関して客観主義から相対主義への変容を指摘していますが、最近、相対主義的な科学論に対する反発が「サイエンス・ウォーズ」というかたちをとって噴出しました。

 科学者および一部の科学論者たちは、相対論的科学論が不当に科学および科学者をおとしめ、科学(者)に対する信頼を傷つけている、との現状認識のもとに、ある事件(ソーカル事件)をきっかけにして、一斉に相対主義的科学論を攻撃し始めたのです。ここから科学論をめぐる論争「サイエンス・ウォーズ」が始まったのです。雑誌『現代思想』1998年11月号は、これを特集しており、興味深い記事が掲載されています。授業では、金森修「普遍性のバックラッシュ」のコピーを配布しました。

 ちなみに、担当者の立場、特科学社会学の成立と展開」は相対主義的科学論の典型として、一部の論者から批判の対象となっています。

「一部の論者」とは小波秀雄黒木玄時田節のことだろうか? 「サイエンス・ウォーズ」にわざわざ色を付けて強調していることや金森修「普遍性のバックラッシュ」のコピーを配布したところに、サイエンス・ウォーズ・キャンペーンの典型的な利用の仕方が見て取れる。 (金森修に関しては「金森修によるサイエンス・ウォーズ・キャンペーンの実態」を参照せよ。) 学生にはサイエンス・ウォーズ・キャンペーン特有の「科学者による不当な攻撃が噴出している」という類の言説を教え込むのではなく、どのような批判があるかを説明し、それに対して真正面から反論して見せるべきであろう。

●佐藤文隆、『物理学の世紀』 (集英社新書0005)

この本の「サイエンスウォー」論に関しては、田崎晴明の「佐藤文隆「物理学の世紀」について 1」および黒木玄の「サイエンスウォー(ママ)史観論者」「サイエンス・ウォーズ・キャンペーンとは何か」を見よ。佐藤文隆は単純な事実誤認を書き連らね、サイエンス・ウォーズ・キャンペーンを拡大した。佐藤文隆の他の文献における執筆態度については、浜田寅彦の「随筆をきどるのはやめてほしい」「佐藤文隆『「科学の終焉」とは』」を参照せよ。


編集者:黒木玄