内容の簡単な紹介:

1996年11月4日

現代数学の研究には、証明どころか明確な定式化さえされているとはいえない 「理論」がたくさんあって、そのような側面を無視すると、数学の研究がどの ようなものであるか全く理解できないということを、説得することを目標とし て書かれた文章です。自然科学における理論の実験や観察の数学における対応 物は、「理論」の明確な定式化できる場合における証明や特別な場合における 部分的結果(証明や計算)などです。証明などは数学以外の分野の人にはいかに も「理論的」なものに思えるかもしれませんが、むしろ証明は自然科学におけ る実験や観察に近いのです。数学における検証手段が証明であり、自然科学に おける検証手段は実験や観察であることを思い出せば、この類似性も不自然な ものではないと思います。

ところで、トーマス・クーンは、『本質的緊張』(みすず書房)の第14章に収め られている「科学と芸術の関係について」という論文において、自然科学と芸 術の類似性と差異について色々述べた上で、「数学の発達は科学の発達よりも 芸術の発達にずっと似ている」と述べています。この主張と、以下に転載した 記事の内容を調和させるという問題は面白そうだと感じています。


From: kuroki@math.tohoku.ac.jp (Kuroki Gen)
Message-ID: <KUROKI.94Nov13211252@take.math.tohoku.ac.jp>
Date: 13 Nov 1994 12:12:52 GMT
Organization: Mathematical Institute, Tohoku University, Sendai JAPAN.
In-reply-to: ymizuno@rcnpvx.rcnp.osaka-u.ac.jp's message of 6 Nov 94 07:24:02 +0900
Newsgroups: fj.sci.math,fj.sci.misc
Followup-To: fj.sci.math
Subject: Re: science (Re: [** ISO-2022-JP charset **] (Re: Rinne Tenshou))
Distribution: fj
References: <HARIGAE.94Oct8000753@yadorigi.sr.nri.co.jp>
	<WD.94Oct25211949@shannon.ics.nara-wu.ac.jp>
	<1994Nov6.072402.1908@rcnpvx.rcnp.osaka-u.ac.jp>

黒木と申します。

# Followup-To: fj.sci.math です。

In article <1994Nov6.072402.1908@rcnpvx.rcnp.osaka-u.ac.jp>
ymizuno@rcnpvx.rcnp.osaka-u.ac.jp writes:

2)数学では,われわれ科学の側からみると,ある数学が間違っていた なんてことは在りえない。であるから,数学の発展は,一次元的,連続的 発展過程として理解できる,ように(私には)見えますが,間違っている でしょうか?
#そもそも,数学の発展というのは,言葉で表現していただくとして,
#どんな感じで発展していくものなのでしょうか?

水野さんがどのような視点に立っているのかわからないのですが、もしかした ら「厳密な数学」という視点のみから数学を論じてませんか?出だしをわかり 易くするために、この予想が正しいとみなして回答を書き始めることにします。

「厳密な数学」という視点のみから数学を見つめる限り、数学の発展は連続的 な過程として理解できるように思えるのは当然のことでしょう。ひとたび厳密 に証明されてしまったことが将来「間違っていた」ということにはならないと 考えられるので、その意味では水野さんの言っていることは正しいのでしょう。

しかし、「厳密な数学」という視点のみから数学を論じることは、巷に出回っ ている多くの誤解を知らず知らずのうちに受け入れてしまうことに繋がります。

ところで、去年の Bulletin of the American Mathematical Society (1993, Vol.29)に

[JQ] A.Jaffe and F.Quinn: Theoretical Mathematics: Toward a Cultural Synthesis of Mathematics and Theoretical Physics

という興味深い論説が出ているのを御存じでしょうか? (これの邦訳の第1回 目が数学セミナーの1994年11月号に載っています。) 実は「厳密な数学」とい う言葉はこの[JQ] から借りてきた言葉です。[JQ]においては、次のように定 義しています:

理論数学  = 推測や直観によって予想を立てる数学(の研究)
厳密な数学 = 厳密な証明志向の数学(の研究)
実験数学  = 計算機を使った数値計算やシミュレーションによる数学(の研究)

ただし、数学という学問が三つに分類されると言っているのではありません。 例えば、「実験数学」の結果によってある種の数学的予想が立てられた場合、 それは「理論数学」と呼ばれることになります。そして、もちろん、「理論数 学」の手法が「実験数学」に限られているわけでもないし、「実験数学」が 「理論数学」に含まれると考えているわけでもありません。

以下の話のキーワードは「理論数学」です。

おそらく、大学の理工系を卒業した人の多くは、「数学」と言うと「厳密な数 学」を連想しがちであると思いますが、これは多くの誤解を生んでいます。数 学は「理論数学」無しには発展しませんし、「理論数学」の研究は大変活発に 行なわれています。

例えば、通常純粋数学の最も典型的な例であるとされる数論においては、とて も証明できそうに思えないが、どうしても正しいことを信用せざるをえない予 想がわんさかあります。 (岩波数学辞典の「ゼータ函数」の項目を見よ。) も ちろん、現在でも予想自身を深めるという研究が続いています。最近、Fermat 予想との関連で話題に挙がった谷山予想は純粋数学における「理論数学」の典 型であると言って良いと思います。この予想は歴史的には「非可換類体論」に 関する「理論」である "Langlands program" につながってゆきます。

他の例として、理論物理学における洗錬されたアイデアを使って、E.Witten は幾何学に対して多くの理論的数学の研究をしていることを挙げておきましょ う。Witten 自身の議論は決して数学的に厳密ではないのですが、そのアイデ アは素晴しく、「厳密な数学」に対しても大きな影響を与えてきました。もち ろん、他にも「理論数学」も研究している理論物理学者の方はたくさんいて、 数学の研究に大きな貢献をしています。例えば、"mirror symmetry" の発見は 最近の数学の発展に大きな影響を与えていると思います。

なお、 「理論数学」の意味での「理論」は一般的には「予想」「プログラム」「作業仮説」「哲学」「お伽話 :-)」… のような言い方(業界用語?)をされている ことを注意しておきます。

水野さんの質問から離れ過ぎたようなので話を元に戻しましょう。

「厳密な数学」のみを強調し過ぎるとまずいのは、実際の数学研究は「理論数 学」の側面に大きく影響されていることが忘れ去られてしまうからです。 「理論数学」と「厳密な数学」の関係は、「理論物理学」と「実験物理学」の関係に似た側面があります。

「理論」としては大変一般的な予想が立てられるのですが、実際に「実験」に よって確かめられるのはそのほんの一部です。実験は有限回しか実行できない し、技術の未発達や予算など色々な都合によって可能な「実験」の種類も制限 されてしまいます。しかし、とても偶然とは思えない形で確かめられた場合は、 もとの「理論」の正しさは非常に確かなものとなります。

これと似たようなことが数学においても成立していて、 実際に厳密に「証明」できるのは、「理論」そのものではなく特別な場合であることが多いのです。 証明できない理由は、理論が厳密な証明を考えることが可能なほど明確に定式 化されてなかったり、証明のテクニックが未発達であったりするからです。状 況を限った上で得られた「厳密な数学」に関する結果が、「理論」の信用度を 高めたり、その修正もしくは破棄を要求したりすることがあるのも同様です。

上の挙げた "Langlands program" や "mirror symmetry" の研究に関してもこ のことは成立しています。 (専門家じゃないので、ここまで言い切ってしまう のは恐いのだが…。)

さて、水野さん。以上に説明したような「理論数学」の存在を知った上でも、 水野さんのような疑問の持ち方をすることなどありえるでしょうか?

「数学」=「厳密な数学」という巷に良くある誤解が消滅することを望みなが らこの記事を書いたつもりなのですがいかがでしたか?

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黒木玄@東北大学理学部数学教室