追記 (2001年4月): 「クーンの『科学革命の構造』の邦訳について」も参照せよ。

追記 (2000年10月): トーマス・クーンの『科学革命の構造』の相対主義は様々な意味で曖昧であり、クーン・ユーザーは曖昧さを巧妙に利用しているので注意した方が良い。クーン自身の曖昧さはこの文書にも反映されているので注意して欲しい。クーンの相対主義の曖昧さはポパー学派との論争[LM]では大きな問題になった。クーン自身は「自分の主張は誤解に基いて批判されている」と強弁していたが、クーン自身のテクスト自体が曖昧なので単純に誤解とは言えない。

1996年以降の相対主義批判に関しては「『「知」の欺瞞』関連情報」特に「相対主義に関するよくある質問」を参照せよ。相対主義的なテクストのダブル・スタンダードには注意しなければいけない。

ポパーに関する誤解の蔓延については、小河原誠「ポパー受容史に見られる歪について」 (小河原誠編『批判と挑戦――ポパー哲学の継承と発展にむけて』 (未來社、2000年9月20日) の17-77頁) は必読である。

追記 (2001年2月): 科学哲学の入門書として、内井惣七著『科学哲学入門――科学の方法・科学の目的』 (世界思想社、1995、 abstract) はおすすめである。他の科学哲学関係書を読むときに注意すべきことが多数指摘されている。


クーンの科学論入門

黒木 玄

Subject: Introduction to Kuhn's Philosophy of Science
X-Nsubject: クーンの科学論入門
From: kuroki@math.tohoku.ac.jp (Gen KUROKI)
X-Nauthor: 黒木 玄 (くろき げん)
Date: Sun Sep 21 02:50:11 JST 1997
X-Version: 1.0.7
X-History: 1.0.7, Sun Sep 21 02:50:11 JST 1997 (more html)
X-History: 1.0.6, Mon Jun 23 13:17:39 JST 1997 (minor collections)
X-History: 1.0.5, Sun Mar 30 15:51:39 JST 1997 (minor collections)
X-History: 1.0.1 - 1.0.5 (minor collections)
X-History: 1.0.0, 1996 September
X-URL: http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Articles/kuhn.html

1.パラダイム

クーンは「パラダイム」という用語を広めた人物として非常に有名なので、「パラダイム」という用語に関する話題から出発することにする。

トーマス・クーン(Thomas S. Kuhn、1922-1996)は1962年に出版された『科学革命の構造』[K1]の著者として非常に有名である。このクーンの著作はベストセラーになり、そのキーワードである「パラダイム」(paradigm)は現在では日常語のレベルにおいても使われている。そのことを確かめるに、WWWサーチエンジンで「パラダイム」をキーワードに検索してみると面白いであろう。村上陽一郎編『現代科学論の名著』[M]のp.112には神学から風俗まで「パラダイム」という言葉が使われているという報告がある。

始めクーンは、文法用語として

(P0) 品詞の語形変化の典型的な例を並べた表

という意味を持つ「パラダイム」という用語を、より広く

(P1) 一つの分野に属する専門家の集団が共有している具体的な問題の解答例

という意味で使うことにした。例えば、ニュートン力学における「パラダイム」の例として、自由落下、単振子、調和振動子などおなじみの例題を挙げている。 語学の学習者が語形変化の典型例の表を見て、より一般の場合における品詞の活用を習うがごとく、科学の研究者は、具体的な問題の解答の模範的な例との類似によって、現在扱っている問題を理解しようとしている、と考えるのである。クーンの認識論では(P1)の意味での「パラダイム」が特に重要である。クーンが最初に「パラダイム」という言葉を使い始めたときは、このような意味に限定して「パラダイム」という言葉を使っていたのである。しかし、その後、クーンは、自分の問題意識を発展させるにつれて、「パラダイム」をさらに

(P2) 一つの分野に属する専門家の集団が共有している前提

というような意味に拡張して使い始めた。(P2)は(P1)を含むが、(P2)の内容は(P1)だけではない。これによって、クーンを有名にした彼自身の著書『科学革命の構造』[K1]において「パラダイム」は多義的に用いられることになり、その論旨も精密さを欠くものになってしまった。この点に対する批判をクーンは認め、『科学革命の構造』の新版(1970)における「補章 ― 1969年」や論文集[K2]の第12章に収められている「パラダイム再考」(1974)をなどを著わすことによって、訂正および論旨の精密化に務めている。 それらにおいて、クーンは、(P1)の意味の「パラダイム」を「模範例」(exemplar)と呼び、(P2)の意味の「パラダイム」を「専門母型」(disciplinary matrix)と呼ぶことを提唱しているが、こちらの新用語の方は全く流行らないようである。

クーンが『科学革命の構造』において「パラダイム」という語を多義的に用いなかったとすれば、「パラダイム」という用語がこれほど浸透することは無かったであろう。しかし、そのために、クーンは次のようなことを言わざるをえなくなったのである(「パラダイム再考」([K2]の第12章に収録)の最初の段落):

私の本『科学革命の構造』が出版されてから、今や数年が経った。この本に対する反応はさまざまであり時おりは耳障りですらあったが、それでもこの本は広く読まれ大いに議論され続けている。多くの批判も含めて、この本が呼び起こした関心に私は大いに満足している。しかしながら、反応には時々私をうろたえさせるような一側面がある。この本をめぐる談話を聞くと、この本に熱狂的な人の間での談話の場合には特にそうなのであるが、議論に加わっているさまざまな立場の人びとが同じ本のことを論じているとは信じ難いという気持ちに時々なってしまう。遺憾なことではあるが、この本が成功した理由の一部は、この本が人によってほとんどどのようにでも解釈できるということである、と私は判断している。

この文章の中に出てくる「熱狂的な人びと」の中には、[K2]の邦訳の「自伝的序文」のxxiiiで触れられている「クーン主義者」を非公式に名乗る科学に関する社会学者たちが含まれているものと思われる。『科学革命の構造』の読者の多くは、クーンの著書にクーンが意図してない主張をも見い出したのである。 クーンは、その当時の科学哲学の主流であった論理実証主義やポパー(K. R. Popper)の批判的合理主義のように「科学というものはこうあるべし」というような視点からの科学論とは別に、「科学者集団は実際にはどのように振る舞っているか?もしくは振る舞っていたか?」という科学の社会学的研究への道をクーンは切り開いたのである。科学の社会学的研究への道は相対主義からの現代科学批判へも通じている。しかし、クーンはそのような道に決して進もうとはしなかった。

2.クーンの問題意識

クーンは『科学革命の構造』(1962)を著わす15年前に理論物理学で Ph. D を取っている。クーンは学位論文完成まぢかのときに、「好運にも」物理科学を文化系の学生に教える実験的コースに関係することになり、科学史に開眼したのである。その模様をクーンは次のように振り返っている([K2]の「自伝的序文」):

… 物理学 physics 以外の主題を扱うときには、アリストテレスはきわめて鋭い博物学的な観察者であった。そのうえしばしば、生物学や政治行動のような諸分野において、彼の現象理解は洞察力に富んだ深いものでもあった。どうして彼特有のこの才能が、運動を扱うときに限って、失敗を犯すなどということがありえたのであろうか。どうして彼は、運動についてあれほど多くの明らかに馬鹿げたことを語るということがありえたのだろうか。そして何よりも、いったいなぜ彼の見解は、あれほど長いあいだにわたって、あれほど多くの後継者によって、あれほど真面目に受け止められてきたのだろうか。読めば読むほど私の疑問は深まっていった。もちろんアリストテレスであろうと間違いを犯したに違いない ― 私は一度もそれを疑ったことはなかった ―、それにしても、彼がそれほど見え透いた誤りを犯すなどと想像することができるだろうか。

忘れられない(非常に暑かった)ある夏の日、突然これらの困惑が消え失せた。 それまで格闘していたテキストのもう一つの読み方を与える一貫した基本原理を、私はたちまちのうちに悟ったのである。はじめ私は、アリストテレスの研究テーマは質的一般なのであって、石の落下も子供から大人への成長も共に含むのだという事実に正当な重点を置いた。後に力学になるはずの主題は、彼の自然学においてせいぜいのところまで十分に分離されてない特殊ケースなのであった。いっそう重要だったのは、私が次のことに気づいたことであった。 それは、アリストテレスの宇宙の永久的な構成要素、つまり存在論的に第一で不滅な諸原素 elements とは、物体というよりも質なのであって、遍在する中性の質料の一部に質が押しつけられると個々の物体や実態が構成されるということである。ところが、アリストテレス自然学では位置それ自体が質なのであり、したがって、物体が位置を変えてもやはり同じ物体のままだというのあ、子供が成長しても同じ個人のままだという蓋然的 problematic な意味においてにすぎないのである。質が第一次的であるような宇宙においては、運動は状態ではなく状態の変化でなければならなかった。

クーンは、依然としてアリストテレスの物理学に難点を感じるものの、それらは見え透いた単なる誤解として片付けられるものではないということを理解したのである。この経験は、科学上の論争で勝利した側の語彙や前提を基にした単線的勝利者歴史観(「ホイッグ史観」)を捨て去る契機になり、その後の異なるパラダイム間の「共約不可能性」(incommensurability)のアイデアの出発点になったのである。

学位取得後クーンは科学史に専門を鞍替することになる。科学史の専門家として特別な訓練を経ないまま、科学史の専門教育に携わるようになる。 その後、クーンは1958年から1959年にかけて行動科学研究センターに滞在し、社会科学者の集団の中で過ごすことになる。そのとき、クーンは、学位を取るまで属していた自然科学者の集団と社会科学者の集団の大きな違いという思いがけない問題に気付いたのである。クーンが注目した相違点は、研究における正統な方法や問題とはどのようなものであるかについて、社会科学者の間での意見の違いは多くてその範囲も広いが、自然科学の研究者の間では基本的なことについて論争が生じることは無いという点であった。

クーンは「本質的緊張 ― 科学研究における伝統と革新」という題の講演を1959年にユタ大学で行なわれた科学的才能の同定に関する会議で行なった([K2]の第9章に収録されている)。論文集[K2]のタイトルはこの講演のタイトルから取られており、クーン自身がその講演の記録を重要視していることがうかがわれる。その講演において、クーンは『科学革命の構造』の基礎になった問題意識を極めて簡潔に表明することになったのである。「パラダイム」という用語もその講演において初めて登場している。「本質的緊張」を読んでおくことは、『科学革命の構造』におけるクーンの主張の骨子を理解する上でも大変有効である。

「本質的緊張」において、クーンは、科学者に必要な才能として次のような点のみを強調するのは好ましくないと言っている:

(A) 最も“自明な”事実や概念であってもそれを必ずしも受け入れることなく、逆に、最もあり得そうもない可能性について想像力を発揮するほどまでに、偏見から解放され ていること

このような才能が科学者になるためには必要であるということは一般によく強調されている。以下、思考のこのような側面を「逸脱的思考」(divergent thinking)と呼ぶ。これに対して、クーンが強調したのは、科学研究における「求心的思考」(convergent thinking)の重要性である。すなわち、

(B) 教科書に書いてあるような現在広く信じられている常識を受け入れ、それらを信頼し、逸脱のための逸脱や革新のための革新を自らに禁じ、受け入れた常識の精密化や適用範囲の拡大に務めること

の重要性を強調しているのである。もちろん、クーンは(B)が(A)よりも重要であると説いているのではなく、(A)が科学研究において重要であることを自明とした上で、(B)も(A)と同程度に重要であることを主張しているのである。 「本質的緊張」という講演の題名の意味は、クーンの次の言葉を引用しておけば明らかであろう([K2]の邦訳のp.283):

これら二つの思考様式は必然的に矛盾し合うのですから、ときにはまさに耐え難くなるほどの緊張を維持する能力が、最良の科学研究のための第一前提の一つとなるのであります。

この緊張が科学革命を起こすのだというのが、クーンによる科学革命の構造論のアイデアの基礎になっている。自然科学の学術雑誌に発表される論文のほとんどは(B)の範中に属する。 クーンは、『科学革命の構造』において、(B)の範中に属する問題を「パズル」と呼び、そのような問題に関する研究で構成される科学の営みを「通常科学」(normal science)と呼ぶことになる。ここで注意しなければいけないことは、クーンは「パズル」の面白さも価値も否定してないことである。(クーンは理論物理者として出発したのだから、それは当然のことであろう。) クーンはむしろ科学研究における革新的な研究を生み出す上での「パズル研究」の伝統の存在の重要性を指摘している。 単一の「パラダイム」のもとに結集した専門家集団による「通常科学」の営みが、必然的に「本質的緊張」を生み出し、革新的なアイデアや技法を次々に生産することを可能にして来たのだと主張しているのである。 (なお、以上の主張は厳密に基礎科学研究者のみに当てはまることを意図していて、例えば発明家などには適用できないという点をクーンは注意している。)

自然科学の研究者になるための教育において、確かに精神論としては(A)の逸脱的・創造的側面が強調されることはあるが、実際の教育過程のほとんどは(B)の求心的側面のみを強調する。その教育課程において、科学研究における逸脱のための逸脱や革新のための革新は徹底的に否定される。 (芸術の教育ではそのようなことはないであろう。) それでは、このように一見頭が堅くなってしまいそうな教育を受けた人達の集団が、なぜあれだけの創造性を示すことが可能なのか?クーンは例えばこのような疑問に答えることを試みたのである。

ところで、クーンが「本質的緊張」において「パラダイム」という用語を用いたのは、科学研究者の卵がどのように教育されるかについて説明する場面である。その場面を引用しておこう([K2]の邦訳のpp.286-287):

それとは逆に学生たちが実際に出会う種々の教科書は、多くの社会科学書がそうであるように一つの問題分野に対する種々のアプローチを例示するのではなく、異なるいろいろな主題を紹介しているのであります。ある一つの科目において採用のために競合し合う複数の教科書の場合でも、それらは主に程度や教育的細部において異なっているだけで、学問内容や概念構造において異なっているのではありません。最後に、しかし最も重要なことは、教科書に特徴的な提示の手法であります。ときおりの導入部を除けば科学教科書は、その分野の専門家 professional が解くことを要求されるような種類の諸問題や、その解答を得るための種々の技法を記述していることはないのです。その代りにこれらの教科書は、その専門家集団がパラダイム paradigm として受け入れるようになった具体的な問題解答を紹介するのです。次にこれらの教科書は、学生たちに紙と鉛筆を手にすることによって、あるいは実験室において、教科書やそれに伴う講義の中で学生たちが導かれた諸問題と、手法や学問内容において密接に関連し合う諸問題を自ら解くことを要求します。「知的装備」 mental sets あるいは考え方 Einstellungen を作り出すうえで、これほど適したものはないでありましょう。他の学問分野では、これと部分的にであれ類似のものを提供するのは、その最も初等的な段階においてだけなのであります。

この場面における「パラダイム」は明らかに(P1)の「模範例」の意味で使われている。この主張は、クーンが物理学の学位を取るまでに受けた教育に基いていることは明らかであろう。

ここで使われている意味での「パラダイム」はクーンの認識論的問題意識と密接に関係している点で重要である。例えば、ニュートン力学を修得した人が、実際の応用において、“力”や“質量”などの用語が実際の応用場面の何に対応しているのかをどのように決定しているので(もしくはどのように決定すべきなので)あろうかというようなことに疑問を思ったことのある人は多いであろう。この問題は、我々はどのように“ハクチョウ”と認識しているかという類の問題と同類のものである。クーンは、「模範例」の意味での「パラダイム」との類似によって、“力”や“質量”や“ハクチョウ”を実験・観察において認識しているのであり、客観的で厳密な前もって定められた対応のルールが存在するわけでも必要とされているわけでもないだけでなく、客観的で厳密なルールを作ることは不可能もしくは有害であると主張しているのである([K2]邦訳pp.364-371)。実際、学生は“力”や“質量”のような概念の応用の仕方を通常教科書の例題を通して学ぶのである。このような点において、クーンの主張は論理実証主義だけでなくポパーの批判的合理主義の科学哲学とも真っ向から対立することになる。ポパーとクーンの主張の相違点に関するクーンの立場からの説明は「発見の論理か探究の心理か」([K2]の第11章に収録)にある。 言うまでもないことだが、「発見の論理」がポパーの立場を意味し、「探究の心理」がクーンの立場を意味している。

さらに、クーンは「本質的緊張」において、科学史的な観点から、同じ分野の研究者のほぼ全員の間で基本的な意見の一致が見られる段階が生じた段階と、その分野における急速な革新(場合によっては基本的な前提をも変革してしまうほどの革新)が起こり始める段階は一致しているのだと主張している([K2]邦訳pp.291-292)。クーンは物理光学の歴史を例にこのことを説明している。太古の昔からニュートン以前までの段階においては、大勢の人びとが光の本性について多数の異なった描像を推し進めており、一つの観点のもとでの研究活動したことが、別の観点に気付くことを完全に妨げることはなく、このような時期における教育様式は単一のパラダイムのみを前提にしたものではありえない。 しかし、そのような時期には物理光学はほとんど進歩してなかったのである。 クーンは、このようなパターンは他の分野でも同様に見られると主張している。 (わざわざ注意しておく必要はないと思うが、一つの分野における前提を無理矢理一つにまとてしまうような行為が、その分野の革新に有効であると主張しているわけではない。) この観察は、科学研究においては、「逸脱的思考」だけでは全く不十分であり、「求心的思考」やパズル解きとしての「通常科学」が極めて重要であることの根拠として提出されているのである。

以上のように、クーンの問題意識の持ち方は、特別に逸脱的でも革新的ではなく、どちらかと言えば素朴で常識的なものである。特に、大学の理学部などでどのような研究・教育が行なわれているか知っている人にとってはなおさら常識的なものに感じられるであろう。(「ホイッグ史観」の信奉者だけはそうではないかもしれないが。) クーンは特異な視点からセンセーショナルに問題を掘り出すというタイプの学者ではない。しかし、興味深いことに、この常識的な問題意識の発展として著わされた『科学革命の構造』は、それ以後の科学論に決定的な影響を与え、新科学哲学、科学の社会学的研究、相対主義的見地からの現代科学批判などを生み出したのである。

ところで、クーンはレトリックに凝らず平明な記述を好むのに対して、より徹底した相対主義である「知のアナーキズム」[F]の提唱者として有名なファイヤアーベントはレトリックを重視し挑発的であるという点も対照的である。以上で説明した通り、クーンは科学における「パズル研究」や「通常科学」の営みを重要視するのに対して、ファイヤアーベントは[F]において「科学革命」の側面を強調している。ただし、ファイヤアーベントは、クーンと同様に、「科学革命」はポパーが言うような意味で合理的なものではなく、「なんでもかまわない」(anything goes)であることを強調している。このように、二人のスタイルの違いは大きいのだが、この二人が基本的に認めている前提には共通するところは多く、彼らの著書や論文は新科学哲学(new philosophy of science)の形成に大きな役割を果たした。

3.ポパーとクーン

クーンの科学論をポパーのそれと比べることによって、クーンの科学論の解説を試みることにしよう。ただし、クーンとポパーの論争に関して書かれた一次文献で私が読んだものはクーンが書いた「発見の論理か探究の心理か」([K2]の第11章に収録)のみであり、ポパー学派側の論客が書いた文献を参照していない。ポパー学派とクーンの対立は1965年にイギリスで開催さえた科学哲学のコロキウムの記録として刊行された『批判と知識の成長』[LM]においてなのだが、これさえ私は参照してない。この小文が大きく改訂されるとすれば、そのような点が原因になるであろう。

さらに、念のために言っておけば、ポパーを単なる科学哲学家であると考えるのは完全な間違いである。ポパーは自分自身の立場を批判的合理主義と呼び、その立場のもとで、科学だけではなく政治や倫理など極めて広い範囲を視野に入れた骨太な哲学を論じているのである。以下においては、クーンにしたがって、ポパーに関してかなり批判的なことを書くことになるが、科学哲学の観点のみからポパーの思想全体を評価するのは間違いである。そのことは、ポパーの論文集『推測と反駁』[P]で扱われている主題の豊富さを見れば明らかであろう。

ポパーは科学と非科学の境界設定基準として「反証可能性」を提唱したことで有名である。ポパーは反証された理論を次々に廃棄することによって科学は成長して行くと考えたのである。そのような成長の例として、ポパーが好んで挙げる例は、ラヴォアジエによる燃焼の実験、一般相対性理論検証のためのエディントンの日食観測のための遠征、リーとヤンによって予想されたパリティー非保存に関するウーの実験などである。これらの決定的な実験・観察によって、これまで正しいと信じられていた理論や競合する他の理論が廃棄され、より正しい理論のみが生き残ることによって科学が発展したと考えるのである。

これに対して、クーンは、科学の営みの主たる部分は、ポパーが例として挙げたような革命的場面にあるのではなく、「通常科学」(normal science)にあるのだと考える。「通常科学」とは一致した前提を共有する専門家集団によって営まれる研究活動であり、すでにある基礎理論の適用範囲を広げるための研究や、より精密なもしくはより多くのデータを集めようとする実験・観察などは全て「通常科学」である。 共有の前提はパズルのルールのようなものなので、「通常科学」の研究はパズル解きに例えることができる。一つの研究者グループが得たパズルの解が実験・観察などで否定されたとしても、否定されたのはその人の出した解の方であり、伝統的に正しいと信じられている前提の方ではない。この意味で、「通常科学」の研究は常に極めて厳しいテスト基準にさらされている。一方、共有している基本的前提までも疑わなければいけなくなった状況における研究活動(これを「異常科学」(extraordinary science)と呼ぶ)においては、パズルのルール自体を疑っているような状況であるのだから、その極めて厳しいテスト基準は適用できなくなる。ポパーはそのような状況にまで、厳しいテスト基準を適用しようとしているのだとクーンは批判する。クーンのポパーに対する批判の要点は、ポパーは「通常科学」のみに適用できることをそのまま「異常科学」にも適用しようとしているということである。

ポパーは、タレスとプラトンの間に位置するギリシア哲学者たちに、

もしかしたら、私の方が間違っていて、あなたの方が正しいかもしれないが、議論を行なうことによって、真実を求めて行こうではないか

というような批判的討論の伝統の起源を求めている。そして、この伝統が科学を生み出したのだと主張している。

しかし、クーンによると、ポパーによって描かれた批判的討論の伝統は、基礎をめぐっての主張・反論・論争に関する伝統であり、哲学や社会科学の大部分の特徴をうまくとらえてはいるが、数学や自然科学の特徴をとらえてはいないというのである。なぜなら、数学や自然科学のような成熟した科学における活動においては、基礎をめぐる論争はほとんど行なわれず、確定した基礎のもとにおけるパズル解きの活動が主であり、批判的討論が行なわれるのは、その分野の基礎が危うくなった危機的瞬間に限られているからである。

ポパーによる科学と非科学の境界設定基準は主に「異常研究」に現われる側面を強調しているのだが、クーンは、もしも境界設定基準が存在するとすれば「通常科学」の中にあるだろうと主張する。(ただし、クーンは明確な境界設定基準を求めるべきではないと思っているとクーンは述べている。) 科学と非科学の境界設定基準の一つとして、その主張のテスト基準の厳しさが重要であるという点においては、ポパーとクーンは一致している。しかし、科学と非科学の境界設定基準として、ポパーの「反証可能性」よりも「通常科学」の営みを強調した基準の方が優れているということを、占星術を例に用いて、クーンは説明している。ポパーの基準に従うと、占星術が科学ではないという結論を出すのは極めて難しいが、「パズル解き」の営みを含んでいるかどうかという基準を使えば、占星術は科学ではないことが簡単に結論できるというものである。

ポパーは次のような論旨で「占星術は疑似科学である」と結論する:

占星術師は自分達の解釈や予言を十分に曖昧にしておくことによって、理論や予言がもっと精密なものであったならば理論の反駁になったかもしれないすべての事柄をうまく言い抜けることができた。反証から逃れるために、占星術師達は理論のテスト可能性を破壊してしまったのである。

クーンもポパーによるこの主張は占星術活動の精神の何がしかを捉えていることを認めている。しかし、ポパーのこの主張には例えば以下のように反論することが可能であると主張している:

(1) 占星術の歴史の研究によると、その評判が高かった数百年にもわたる歴史の中に明確に失敗に終わった数多くの予測が記録されているし、占星術の信奉者でも予測の失敗が繰り返されたことを疑わしいとは思っていない。

(2) 予測の失敗を説明するやり方を理由に占星術を科学から締め出すことも難しい。占星術師が挙げる失敗の理由は、その技術の困難さや、天文表の不完全さや、その個人が 生まれた時刻の正確さなどであり、現代の科学的予測(例えば天気予報)に失敗に対して同様の理由が述べられることがある。

これらの反論に対して再反論が可能であることは当然であろうが、いずれにせよ、ポパーの議論でもって、占星術が科学ではないと結論を出すためには越えなければいけないハードルがたくさんあることは確かであろう。

さて、仮に「パズル解きの伝統を持っているかどうか」という条件が科学であるために必要であると仮定したとしよう。この基準を使えば比較的簡単に占星術は科学ではないと結論できる。プトレマイオスやケプラーやティコ・ブラーエの場合のように、天文学は占星術と同一人物によって営まれてきたが、天体観測や計算によって予測するための器具や理論などに関するパズルが常に必要とされていたのである。パズルはより高い精度とより多くの計算・観測を得ようとするゲームであり、パズルにおける失敗と成功の責任は、前提とする理論の方ではなく、個人の方に課せられる。これが、クーンが言うところのパズル解きの伝統である。しかし、同一の人物によって営まれているとはいえ占星術の方はこのようなパズル解きの伝統を持ち得なかった。このような論旨でもって、クーンは、たとえ星が実際に人間の運命を支配していたとしても、占星術は科学にはなり得なかったと結論するのである。ポパーとクーンの結論はほぼ同じであっても、その内容は大きく異なる。

クーンは以上のようなことを述べた後で次のように主張している。クーンの科学革命の構造論を簡潔に表現していると思われるので、一つの段落を丸ごと引用しておこう。なお、言うまでもないことであろうが、「カール卿」とはポパーのことである(「発見の論理か探究の心理か」[K2]の邦訳p.354):

こうした事実は、さらにカール卿の歴史記述の中のもう一つの奇妙さもまた説明するであろう。彼は科学理論の交代の際におけるテストの役割を繰り返して強調しているけれども、一方でまた、プトレマイオス理論がそうであったように、多くの理論は実際にテスト(による反駁)がなされる前に他の理論に取って代わられたということを認めざるを得なかった。少なくともいくつかの場合には、テスト(による反駁)は、科学がそれを通じて進歩する革命にとって必要条件ではなかったのである。しかしそのことはパズルには当てはまらない。カール卿が言及している諸理論は、取って代わられる前にテスト(による反駁)がなされたことはありはしたが、それらのうちどの一つの理論といえどもパズル解きの伝統を適切に支えられなくなる前に取って代られたことはなかったのである。 16世紀初等における天文学はスキャンダルとでもよぶべき状態にあった。 それにもかかわらずほとんどの天文学者たちは、基本的にプトレマイオス的なモデルの通常の修正によって状況は正されるだろうと思っていた。こうした意味において理論はテストにまだ失敗していなかった。しかし、コペルニクスをはじめとする二、三の天文学者たちは、それまで展開されたプトレマイオス理論の個々の形態ではなく、プトレマイオス的なアプローチそのものの中に困難が存在するに違いないと思った。そのような確信からの成果はすでに記録されている通りである。こうした状況は典型的なものである。テスト(による反駁)があろうとなかろうと、パズル解きの伝統はそれ自身の交替の道を準備することができる。科学を特徴づけるものとしてテストを頼りにするということは、科学者が行なっている主要な事柄、およびそれに伴う科学者の活動に最も特徴的な特色を見落してしまうということなのである。

ここでクーンは専門家の間で前提とされている理論が交代する場面を、単純に「反証されたから」という理屈で説明することはできないということを言っているのである。科学者が既存理論の明確化や適用の妥当性を決定する基準(例えば「反証されたかどうか」)は、それだけでは基礎的な前提に関する互いに競合する理論間の選択を決定するには十分ではない。

これによって、科学者は競合理論間の選択をどのように行なうのか、科学が進歩する仕方をどのように理解すべきなのか、という問題が生じる。クーンが強調していることは、求められるべき解答は、科学の専門家集団がどのように行動してきたかもしくはしているかに関する社会学的研究によって得られるものであるということである。(しかし、クーン自身はその方針による満足すべき結論を得ていないということを認めている。) ポパーは「知識の心理学」や「主観的なもの」を拒絶し、自らの関心は「客観的なもの」や「知識の論理」にあると主張してきた。しかし、ポパーが強く否定するのは個々人の確実性に関する主観的感覚の類が科学における方法論的重要性を持っていることであるが、クーンの関心は個々人ではなく科学者集団における探究の心理なのであるから、必ずしもポパーがクーンの立場に立つことが不可能であるとは限らないのではないかと、クーンは述べているのである([K2]邦訳p.376)。

4.クーンと新科学哲学

新科学哲学の常識という視点から書かれたクーンの科学論の解説を読んだことのある方は、以上の解説を読んで、それとは異なるクーン像を発見したと思うし、私はそれを期待している。例えば、村上陽一郎編『現代科学論の名著』[M]におけるクーンの解説とは全く異なるものを私は書こうとした。この節では、特に野家啓一の論文集『科学の解釈学』[N]を参考にして、クーンのアイデアと新科学哲学の関係について解説を試みよう。(私事だが、野家啓一さんには10年近く前に川渡セミナーセンターにおいて一晩中色々な話を聴かせて頂いたという思い出がある。クーンは「パラダイム」という言葉を21種類もの異なる意味で用いているという話もあるということを聞いたのも、そのときが初めてであった。)

クーンやファイヤアーベントによって代表される新科学哲学の基本テーゼは以下のようなものである(他にもあるかもしれない):

(1) デュエム=クワイン・テーゼ(P. Duhem, W. V. O. Quine)。知識の全体論(holism of knowledge)。観察や実験における証拠や反証例を受け入れるのは、理論全体のみであり、どれか一つの仮設ではない。

(2) ハンソン(N. R. Hanson)の観察の理論負荷性。自然科学においても、観察は理論から分離できない。何が観察データと見なされるかは、理論的解釈によって決定される。

(3) 科学者共同体の存在。基本的な前提について合意することによって構成された専門家集団によって科学は営まれている。

(4) 共約不可能性もしくは通約不可能性(incommensurability)。全く異なる基本的前提のもとで建設された理論体系は互いに完全には翻訳不可能である。

順番に簡単に解説して行こう。まず、知識の全体論と観察の理論負荷性は実際に科学を研究しているものにとっては常識的なものであろう。

通常、デュエム=クワイン・テーゼは「決定的実験の不可能性」を含意するものと解釈されている。個々の仮設の反証はその裏に隠れている膨大な基礎的前提を信じている人のみ対して説得力を持ち得る。すなわち、「通常科学」の範囲では「決定的実験」は可能なのである。しかし、基礎的前提までも疑わなければいけない場合は、基礎的前提を修正するという選択肢と枝葉末節に近い個々の仮設を修正するという選択肢のどちらを取れば良いのか判定するための絶対確実な方法など存在しない。この意味で「決定的実験」など不可能なのである。 このことは、クーンがポパーの「革命的な反証の繰り返しによって科学が発展する」という見方を批判するときに説明したように、現代の目から見てプトレマイオス理論に対して不都合な事実が次々に発見されているように見えた時代においてもプトレマイオス的な理論がなかなか捨て去られなかったことなどからも例証される。(実際には、コペルニクス理論の方がプトレマイオスの体系よりもずっと困難は大きかったということも知られている。)

観察の理論負荷性は「理論は観察によって倒されるのではなく、競合する別の理論によって打ち倒されるのだ」という主張を含意していると考えられている。 ただし、正しく解釈するためには注意が必要である。もちろん、「通常科学」の範中では個々のパズルの解が観察によって反証されることまで否定しようとしているわけでもないし、競合理論を破棄するために観察データが全く役に立たないと言っているわけでもない。プトレマイオスの体系は(現代の目から見て)その信頼度を下げるような観察結果がたくさん得られただけでは捨て去られることは無かった。コペルニクスの理論が発展することによって、初めてプトレマイオス的な理論は捨て去られるに至った。天体の運動に関するデータをプトレマイオスの体系のもとで整理しようとした人達は極めて面倒な困難に苦しめられたであろう。しかし、他の有力な見方が存在することに気付くまで、他の観点からデータを整理するという面倒な作業を行なうことは無かったのである。どの理論的観点に立つかによって、観察結果は全く違うものになってしまうのである。以上が観察の理論負荷性の内容である。

ところで、コペルニクス自身の理論は楕円ではなく円運動を基礎にしていたので、その予想の精密性という観点からはプトレマイオスの体系よりも優れたものではなかった。 さらに、コペルニクス自身の理論は計算の労力という観点から見ても、プトレマイオスの体系よりも優れたものではなかった(例えば[K2]邦訳pp.420-421)。コペルニクスの理論はほとんど全ての面においてプトレマイオスの体系よりも優れているとは言えなかったのである。しかし、コペルニクス的観点をも包含するようになったパズル解きの伝統は、コペルニクスの死後60年後にケプラーの決定的な精密化(円から楕円へ)を生み出し、天文学者のほとんどを地動説に改宗させることになるのである([K1]邦訳p.173)。しかし、ケプラーは現代の我々の目から見て合理的な理由でコペルニクスの地動説を支持したのではなかった(例えば[K2]邦訳pp.422)。クーンは「理論は観察のみによって倒されるのでもなく、研究者の合理的判断のみによって倒されるのでもなく、競合する別の理論の誕生とパズル解きの伝統の存在が打ち倒すのだ」と主張しているのである。 (もちろん、このような直接的表現をクーン自身がしているわけではないので、私個人の解釈に過ぎないかもしれない。)

クーンは科学者共同体に関する社会学を本人が意識していた以上に提起してしまったことは他の節ですでに触れている。(3)の前提が無ければ、科学者共同体に関する社会学という分野自体が成立しなくなってしまう。

最後に(4)について触れておこう。クーンにとって、異なるパラダイム間の共約不可能性のアイデアは科学の歴史をより正しく解釈するにはどうすれば良いのかという問題意識から生じた。この小文の第2節で引用したクーンが科学史に開眼した場面の様子も参照して欲しい。ニュートン力学の立場から、アリストテレスの運動学を解釈しようとすると、アリストテレスは他の分野では極めて鋭い洞察力を持っているように見えるのに、運動学の範中では見え透いた単純な誤解だらけの考察を行なっているように見えるという不可解な結論が得られてしまう。しかし、実際には、アリストテレスは彼なりの基礎的な前提の上では、それなりに合理的な推論によって結論を得ているのである。ホイッグ史観を捨て去り、このような分析を可能にするためには、全く異なる基本的前提のもとで建設された理論体系は互いに完全には翻訳不可能であることに前もって注意しておくことが必要なのである。このような問題意識は科学史を越えて、自分達とは異なる文化をどのように理解するべきかという文化人類学の問題や、異なる言語間の翻訳をどのように行なうべきかいう翻訳の問題にも繋がる。共約不可能性という概念は文化相対主義に基く現代思想の流れにも密接に関係している。

正直に白状すると、共約不可能性の定義を私はほとんど全く理解していない。 近似的に理解するための出発点としての第0近似を上で説明してみたに過ぎない。 共約可能性に関するより詳しい説明については、野家[N]の第IV章「「共約不可能性」再考」およびファイヤアーベント[F]の第17章を参照して欲しい。

この小文の目的はクーンを紹介することです。この小文が、読者に科学論一般に興味を持たせ、関係の著作を何冊か読んでもらうことに成功すれば、著者としては大変嬉しいのですが、どうだったでしょうか?

参考文献

[F] P. Feyerabend: Against method ― Outline of an anarchistic theory of knowledge、1975 (村上陽一郎・渡辺博訳: 方法への挑戦 ― 科学的創造と知のアナーキズム、新曜社、1981)

[K1] T. S. Kuhn: The structure of scientific revolution、The University of Chicago Press, Chicago, 1962, 1970 (中山茂訳:科学革命の構造、みすず書房、1971)

[K2] T. S. Kuhn: The essential tension, The University of Chicago Press, Chicago, 1977 (安孫子誠也・佐野正博訳:本質的緊張 1、2、みすず書房、1987)

[LM] I. Lakatos and A. Musgrave (eds.): Criticism and the growth of knowledge, Cambridge U.P., 1970 (森博監訳: 批判と知識の成長、木鐸社、1985)

[M] 村上陽一郎編: 現代科学論の名著、中央公論社、中公新書 922、1989

[N] 野家啓一: 科学の解釈学 ― Hermeneutics of Sciences、新曜社、1993

[P] K. R. Popper: Conjectures and refutations - The Growth of Scientific Knowledge、1972 (藤本隆志・石垣壽郎・森博訳: 推測と反駁 ― 科学的知識の発展、法政大学出版局、叢書ウニベルシタス 95、1980)