理学部教授会に於いて, 国立大学の独立行政法人化に関する以下の声明を決議 致しましたので, ここに掲載致します。

1999年11月18日

<声明>  国立大学の独立行政法人化を危惧する

京都大学大学院理学研究科・理学部教授会

今年7月、行政改革の一環として国会に提出されていた独立行 政法人通則法(以下、通則法)が成立した。以来、国立大学の制度を廃止し、独立行 政法人化するという構想が現実味をもって語られるようになった。京都大学大学院理 学研究科・理学部では、独立行政法人の制度について検討を続けてきたが、この制度 の導入により高等教育と学問研究、とりわけ基礎科学が重大な影響を被り、衰退する 可能性が高いとの強い危機感を持つに至った。

「教育・研究の効率性とは?」

独立行政法人は、政府の行政機関を企画・立案機能と実施機能 に分離し、後者の大量反復的な業務を効率的に行うことを目的として立案されたもの である。従って、高等教育や研究に当てはめれば、文部科学省が企画・立案し、大学 が実施するという構図が想定される。通則法によると、主務大臣が業務について3〜5 年の中期目標を定め、それに基づいて各法人が中期計画を作成し、主務大臣の認可を 受けることになっている。また、主務省に置かれる評価委員会が、毎事業年度および 中期目標終了時に各法人の業績を評価し、審議会が中期目標期間終了時に各法人の改 廃をも主務大臣に勧告できることになっている。

そもそも学問研究は、研究者の創意と自発性がその源であり、 情熱と使命感がその命である。研究の方向性を現場に直接携わらない時々の行政府の 指揮の下に置くことは、立法の意図とは逆に、かえって研究を沈滞させ、長期的に見 た効率性を低下させる恐れが強い。研究の成果が確立するまでに10年〜20年の年月を 要するのは普通である。過去の自然科学の歴史を見ると、発見当時には理解が得られ なかったにも拘わらず、50年・100年の歳月を経てその真の価値が認められ、社会に 貢献した研究も少なくない。教育に関しても、短期的な成果を挙げようとするあまり 、ものごとの結論にいたるプロセスを深く考えさせることなく、単に結果だけを切り 売りする「詰め込み型教育」に傾斜しかねない。

本来、大学における教育や研究は、3〜5年という短期間で評 価されうるものではなく、長期的展望のもとに遂行される性格のものである。効率性 の論理による短期的かつ一元的評価は必然的に基礎科学の教育と研究を根底から脅か すものである。

「高等教育と学術研究に財政支援を」

広く伝えられているように、独立行政法人は、国家の行政・財 政改革の一環として立案され、特に国立大学の法人化は国家公務員の25%を削減する ために考えられるようになった。この背景には国家的財政問題があり、我々は、法人 化後には高等教育や学問研究に対する財政支出のカットが行われるのではないかとい う強い危惧の念をもっている。独立採算的論理に基づけば、授業料の値上げと同時に 文系・理系間の授業料格差が生じるのは必然である。これは教育の機会均等を脅かし 、学問研究を志す有為の若者を経済的理由で大学から、なかんずく理系から閉め出す ことを意味する。

翻って我が国の現状を見ると、各種の調査からも明らかなよう に、小、中、高校生の理科離れが進み、「理科教育の危機」が叫ばれて久しい。高校 においては自然科学の最も基本的な教科の一つである物理の履修者が30%台に落ち込 んでおり、また最近では「分数のできない大学生」が取りざたされるような状態とな っている。先の東海村における臨界事故に関して、諸外国から我が国の科学技術の脆 弱性について批判を受けたことも記憶に新しく、この問題の根底に「理数科教育の欠 陥」を指摘する識者も少なくない。資源の少ないわが国が21世紀を生きるためには、 科学・技術の研究と開発によって世界に貢献することが不可欠であり、人材の育成こ そが国の中心的課題となるべきである。こうした状況を考えれば、教育方法の改善と 共に教育へのより多くの財政的・人的投資が強く要求されていると言えよう。我が国 の高等教育への公財政支出の対GDP比は約0.5%であり、アメリカ・フランス・ドイツ ・イギリス・カナダ等に比べて著しく低い。また、大学における教育・研究を支援す る職員・技官がこの間の定員削減により大幅に減少し、教育・研究に大きな支障が生 じている。行財政改革の名の下に大学への公財政支出を更に削減することは高等教育 ・学問研究を衰退させ、10年後には産業界を担う人材をも失い、ひいては国の将来を も危うくするもフであろう。

「理学部の教育・研究の理念」

理学研究科・理学部では数学、天文学、物理学、化学、生物学 、地球科学といった自然科学の幅広い分野についての研究、教育を行っている。これ らの多くの部分は直ちには応用に結びつかない基礎的なものであり、その成果は人類 の英知あるいは文化として蓄積される性格のものである。このような基礎的な学問は 、ヨーロッパにおいては数百年の伝統を持っており、特に近代では国家・国民の強い 支援のもと振興がはかられている。わが国が真の文化国家として世界に貢献できるよ うになるためには、学問研究のより一層の充実が要求されている。

我々は、後世に残る成果を目指して研究を進めるともに、我が 国の学問研究の将来を担う研究者の養成に努めている。学部教育においては、学生に 対して自然科学の基礎を幅広く履修し、自らの興味と適性に応じて緩やかに専門分野 を決めていくように奨励・指導を行っている。学生の自主性と基礎的な教育を重視す る教育システムは、通則法の要求する効率性とは相矛盾するが、将来の創造的な学問 研究を担う世代の育成には不可欠であると信じている。

「慎重な国民的議論を」

京都大学大学院理学研究科・理学部は、1897年の設立以来、京 都大学の自由な学風のもとに研究・教育を進め、我が国における基礎科学の振興と発 展に少なからず貢献してきた。この100年余りの間にノーベル賞やフィールズ賞受賞 者を初め歴史に名を残す研究者を数多くを生み出してきた。我々は、これまでも教育 と研究の充実を目指して国民の信頼を得られるように改革を続けてきたが、まだまだ 解決すべき問題があることは深く自覚している。今後とも国民の厳粛な付託に応え、 社会的責務を全うするため真摯な努力を続け、必要な改革を進めていく決意である。 しかし、上で述べたように、効率性の論理に基づく通則法による大学の独立行政法人 化が本当に必要な大学改革の方向と相容れないことは明らかである。

国の将来に係わるこの重大な事柄に対し慎重な国民的論議を望 みたい。