From reform-admin@ed.niigata-u.ac.jp Fri Apr 11 15:20 JST 2003 Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (cosmos.ed.niigata-u.ac.jp [133.35.176.6]) by sakaki.math.tohoku.ac.jp (8.9.3p2/3.7W) with ESMTP id PAA29791 for ; Fri, 11 Apr 2003 15:20:58 +0900 (JST) Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (localhost [127.0.0.1]) by cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (8.9.3/3.7W) with ESMTP id OAA00446; Fri, 11 Apr 2003 14:47:59 +0900 (JST) Date: Fri, 11 Apr 2003 14:47:52 +0900 From: "Ryuzaburo Noda" Reply-To: reform@ed.niigata-u.ac.jp Subject: [reform:04583]  バクダッドの市街戦 To: Cc: Message-Id: <003101c2ffed$e65b4b70$0200a8c0@sotecakyyc9va0> X-ML-Name: reform X-Mail-Count: 04583 X-MLServer: fml [fml 2.2.1]; post only (only members can post) X-ML-Info: If you have a question, send e-mail with the body "# help" (without quotes) to the address reform-ctl@ed.niigata-u.ac.jp; help= X-Mailer: Microsoft Outlook Express 6.00.2800.1106 X-Priority: 3 X-MSMail-Priority: Normal X-MimeOLE: Produced By Microsoft MimeOLE V6.00.2800.1106 Mime-Version: 1.0 Content-Transfer-Encoding: 7bit Precedence: bulk Lines: 365 Content-Type: text/plain; charset="iso-2022-jp" Content-Length: 16237 [TUP-Bulletin] TUP速報43号 03年4月11日 バクダッドの市街戦 を転載します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ バクダッドの市街戦は、記者達の眼前で展開しているため、そ の惨状が詳しく報告されています。報道陣の中からも、多数の 死者が出ており、書かれた記事には、戦禍に対する強い怒りが 感じられます。以下のレポートは、下記のサイトに載った記事 をまとめたものです。 (丸田由紀子/TUP) http://www.timesonline.co.uk/article/0,,5944-638677,00.html "Crack, crack. The body jumped, fell still and the American battle for Baghdad moved on" http://www.guardian.co.uk/international/story/0,3604,932728,00.html "A picture of killing inflicted on a sprawling city - and it grew more unbearable by the minute" **************************** 「バクダッドの市街戦」 ”バクダッド − 4月7日” 河原から、頭上に手を挙げた2人のイラク兵が現れ、宮殿の壁 と葦のおい茂った堤の間を走る道路にうつ伏せに横たわった。 米軍装甲車からわずか20ヤード手前で、その一人が致命的なミ スをした。仰向けになろうとしたのだ。パン!パン!イラク兵 の体は跳ね上がり、動かない死体となって路上にころがった。 首都バクダッドの中心部で米軍の力を見せつけた、この4月7日 早朝の事件は、アメリカが突きつけた明確なメッセージだった 。「我々はバクダッドに進駐した。必ずここを確保する」 7日深夜になっても、ブッシュ大統領の軍隊は、夜明け直後に 確保した共和国宮殿周辺の通りを占領していたが、イラクの狙 撃兵と民兵がパトロールしている、敵軍との境界が不安定な、 荒れ果てた川沿い地帯を挟んで、フセイン政府は、まだ残りの 市内を制御していた。 バクダッド駐在の記者団は、パレスチナ・ホテルの上階から、 チグリス河一帯で展開される劇的光景の完全な鳥瞰図を、ズー ム・レンズを通して眺めることができた。 戦闘は、夜明け前から始まった。闇に燃え上がる石油の炎とか すかな月光しかなかったが、激しい砲火から、戦闘が開始され たことは明らかだった。 市内は、戦車、迫撃砲、大砲の反動で震撼し、辺りの空気は、 手支えの機関銃の銃声にしては、深すぎ、速すぎる断続的な炸 裂音で満ちていた。 午前8時、2台の米軍装甲車ブラドレーが、ジュムリア橋と7月14 日橋の間をチグリス河西岸に沿って北上して行くのが目撃され た。上空では、A10ウオースロング機が旋回しており、下降の たびに、葦の茂った砂原に置かれたイラク側のオイル・タンク や兵器集積所に砲火を浴びせていた。 川沿いに逃げて行く数十人のイラク兵は、戦いに疲れはててい る者、まだ兵器を握っている者、さまざまだが、下着だけで逃 走していく兵士もいた。 残ったイラク兵が散発的に発砲するなか、2台のブラドレーか ら、米兵が飛び降り、道路沿いに散開した。主力部隊のアブラ ムと宮殿の確保に続々と到着する新手のブラドレーを援護する ためだ。何人かの米兵は、機関銃の台座を据え、イラク側の塹 壕に向けて激しい砲火と手榴弾発射筒を浴びせ始めた。 射撃戦が継続するなか、木々に遮られた地域でも、激しい戦闘 が続行中であることは、炸裂する機関銃の砲火から明らかだっ た。突然、兵器集積所に砲弾が命中し、弾薬がオレンジ色の玉 になって爆発した。 数分後、風向きが変わり、燃え上がるオイル・タンクの酸性の 煙霧が押し寄せてきて、視界は悪化した。 この急場を救うべく、イラク情報相モハメド・アルサーフは、 戦況に関するイラク側の公式見解を示す記者会見を開くと発表 した。 記者団は、車に殺到した。誰もが、自分達が目撃したばかりの 事件を、サダム政権の公的な顔であるアルサーフがなんと言っ て説明するか興味深々だった。 アルサーフは冷静だった。「皆さん、安心してください。バク ダッドは、まったく安全だ。バクダッド市内にはアメリカ軍の 痕跡もない」 チグリス河をはさんで激闘が展開していることは、誰の耳にも 明らかだったが、アルサーフは、動じる様子もなかった。 「米軍は、自分達がやっている事さえ分かっていない。彼らを 信じてはならない。我々は侵略者を屠殺し、神は彼らを地獄で バーベキューにするだろう」 アルサーフは、ある意味で正しかった。米軍は、バクダッドの 中心まで進駐したかもしれないが、サダム大統領の政府機関は 、まだ機能していたのだ。イラクの放送局は、反抗的な愛国歌 を流し続け、イラク国民に決起を促していた。戦車であれ、何 であれ、米英軍をやっつけた者には、15百万デナリ(5,400ポ ンド)もの巨額の褒賞金が約束されていた。 情報省も機能していた。我々記者団は、公式のバクダッド・ツ アーのために提供された3台のバスに分乗し、戦闘続行地区の 周辺に沿う、イラク側がまだ掌握している市の中心部をツアー した。街路には人通りもなく、店舗は閉まり、果物や野菜の市 場も空っぽだった。 いたるところ、ロケット推進型手榴弾とカラシニコフを持つ民 兵が、街角や砂袋の後ろに潜んでいた。記者団のツアーは、外 務省の近くから飛んできた砲弾により、急遽、中断された。 その後、イラクの監視員同伴で、2回、チグリス西岸にドライ ブし、戦闘の残骸を視察した。通りの真中には、破壊された警 察の車が放置されていた。 間違えて乗り入れた通りの中央には、戦車ほどの大きさの多銃 身ロケット発射台が据えられており、旋回しながら、レーダー ・システムによる米軍ターゲットの識別と走査を行っていた。 アル・キンディ病院は、死傷者で溢れていた。戦闘による死傷 者だけでも75人に上るという。やって来る市民や兵士は血まみ れ状態だった。 AK47を握りしめ、気の立っている戦闘員達は、西側記者を負傷 者に近づけなかった。兵隊も負傷していたが、市民も負傷して いた。彼らは、なんでも邪魔になるものには発砲する米軍の無 差別攻撃を怒っていた。 街には、宮殿襲撃の報がペストのように広がっていた。しかし 、それでも(少なくとも公然には)、多くのイラク人が、米軍 の勝利は暫定的なものだと主張した。 「確かに、宮殿は陥落した。でも、バクダッドを制圧するなん てできっこない」と主張するのは、人通りのない商店街のコー ラの屋台の脇にいた通行人だった。「俺達は、市民なんかじゃ ないんだ。やつらが来たら、戦闘員になるんだ。自爆攻撃だっ てするんだ」 荒廃した市内に夕闇が落ちる頃まで砲撃は続いた。マンサー地 区では、2軒の家が米軍の誤爆とみられる爆弾で真っ二つにな っていた。爆撃によって、深さ40フィート、直径80フィートに も渡る穴が開き、少なくとも14人が殺されたという。 アケル通りの筋向いにある八百屋の主人がこの戦争の災禍を苦 々しげに見つめていた。「俺に出来ることは何もない。手が出 ていたので、死体を引っ張り出そうとしたんだ。そしたら、手 だけだったんだ。これは、事故なんかじゃない。アメリカは、 犯罪者だ。やつらは、知っていながら市民を爆撃したんだ」 「これが、ジョージ・ブッシュのデモクラシーさ」 ”バクダッド − 4月8日” 死は、生きていた頃には思いもしなかったような親密さをもた らす。血にまみれ、焼け焦げた知らない者同士が、腕を互いの 体に巻きつけ合い、しっかり抱き合った死体となる。 死体の山の底から切断された男の腕が伸び、頂上近くに横たわ る男の腹まで達している。雑役夫が死体置き場のドアーを開け ると、男の指輪にはめ込まれた青い石がきらめいた。死体置き 場の冷たい沈黙に、昼の光が射し込み、誰かのすすり泣きの声 が聞こえてくる。 この惨状は、昨日(4月8日)、アメリカがサダム・フセインの 領土を侵攻した結果の一部にすぎない。この侵攻は、フセイン 政権を象徴するシンボルを壊滅すると同時に、政権からその人 民を解放すると称して遂行されたものだ。 これらの死体は、5百万人が住む広大な都市に加えられた殺害 と逃走と破壊の結果を示す大きな地獄図のほんの一部にすぎな い。そして、この地獄図は、刻々と、ますます耐えがたい物に なりつつあった。 キンディ病院の外科病棟の隣り合った仕切りには、編んだ黒い 髪を赤いアリス・バンドで額からおさえた少女とその幼い弟が 横たえられている。彼らの母親は、通路を隔てて横たわってい るが、そのベージュ色のドレスは、ヘムからわきの下まで、血 でぐっしょりだ。もう一人の兄弟は、床にうずくまっているが 、母親の流す血だまりの中に座り込んでいることに気づかない 。 病院までこの一家に付き添ってきた近所の人の話では、少女は ノア・サバという名前で、12歳だというが、診察用のキュービ クルに飛び込んできた医師達の横で、歳より小さくみえる。彼 女の弟アブデル・カダーは4歳か5歳で、その日の朝は暗い色の ズボンとチェックのシャツをきちんと着ていたそうだ。この姉 弟の小さな死体が同じ手押し車に乗せられて、死体置き場に向 かったとき、看護婦達さえ涙にむせんだ。 病院の門に停車する救急車や潰れかかった車から、血のりがは り付いた手押し車で負傷者をひっきりなしに運ぶ年老いた雑役 婦達は、声がかれるまで泣き、壁を叩いて、悲しみを紛らした 。 医師達に出来る事といったら、小さな死体が運ばれるのを見守 るという儀式だけであり、母親の方は、見捨てるしかなかった 。「彼女の負傷は致命的だ」と、ある医師はいう。彼女が死ん で行くのを見守るしかないのだ。 サバの家族は、東部バラディヤット地区にある彼らの家に居た が、そこは、彼らにとって、アメリカ軍侵攻の焦点から出来る だけ離れた場所だった。しかし、そこもまたバクダッド市内な のだ。汚れたタイル張りの壁に凭れかかりながら語る近所の住 人の言葉によれば、低空飛行してきた米軍機がサバ達の家にロ ケット弾を打ち込んだという。誰も爆撃の詳細は知らない。詳 細が分かったとしても、医師の腕の中で泣いていた一家の家長 にとって、事態に何の変わりもない。確かなことは、安全な場 所はどこにもなかったという事だけだ。 昨日夜明け前、チグリス西岸では、米軍がバクダッド制圧の再 確認を開始した。数回の大爆発がサダム大統領の領土に侵攻し た米軍の存在を告げていた。 夜明けには、何台ものトラックに乗った、民兵に数名の正規兵 を混じえたイラク兵が、月曜日に米軍に奪取され、一晩占領さ れたサダムの宮殿の奪還を企てた。 米軍は、この襲撃を明らかに予期していたか、宮殿とリシド・ ホテル(地域全体を見渡せる)からバクダッド中央部に占領地 を拡大する計画を立てていた。今回こそ、戦車と低空戦闘機を 使い、市の中心に深く侵攻すると決意していたのだ。 少なくとも6つ以上ある火葬用の薪の山から、黒く厚い煙が渦 を巻いて立ち上るなか、迫撃砲と大砲の弾幕をついて、米軍は 、川堤とそれに平行する道路に沿って北上した。宮殿の敷地を 通過し、サダム大統領の次男で後継者でもあるクサイが統帥す る共和国防衛隊のオフィスまで進軍した。このオフィスは、ほ とんど毎晩、2週間にわたって砲撃されていた。 米軍の行くところ、どこにも安全な場所はなかった。午前7時 、アル・ジャジーラTV局の通信員が殺された。このアラブ系衛 星ネットワークのバクダッド支局に向けて発射されたロケット 弾が、生中継のカメラの前で通信員を殺したのだ。 まして、イラクの民兵や共和国防衛隊の残党や正規軍などに、 米軍が慈悲を示したとは思えない。ほんの一日前には、イラク 兵達が、橋に通ずる幹線道路に設置した小さな陣地から、通行 人に手を振ったり、Vサインを送っていた。彼らの武器は貧弱 だった。砂袋で築いた小さな陣地は、可哀相なほど攻撃に対し て脆そうだった。しかし、彼らの戦意は非常に高いと見受けら れた。 朝9時までには、これらのイラク兵は、逃げるか、殺されてい たに違いない。次から次と上空から襲いかかるA-10戦闘機が、 重機関銃でチグリス西岸全体に銃弾の雨を降らせたからだ。数 十人のイラク兵が川に飛び込み、上流に泳いで逃げたが、川原 の葦の茂みに逃げ込む兵士もいた。それでも、米軍は攻撃を止 めなかった。 9時半までには、2台のアブラム戦車が、中央バクダッドの代 表的な橋の一つ、ジュムリア橋の上に現れ、イラク側陣地に旋 回砲塔から砲火を浴びせていた。馬鹿げたことに、この状況下 で東岸から橋を渡ろうとした車(少なくとも一台以上)があっ たが、容赦なく砲撃された。 午前半ば頃には、首都の中心部は、事実上、2つに分割されて いた。近代的な地区と広くて戦車に都合のよい道路を含むチグ リス西岸は、米軍の制御下に入った。みすぼらいが、いまだに 中世のバクダッドを偲ばせ、アラブの史跡が残る東岸地区では 、イラクの民兵達がコンクリートの塊とトラックで市の中心を 横切る3つの橋を封鎖した。 イラク兵達は、米軍のチグリス西岸制圧を受け入れる代わりに 、なんとか東岸を死守しようとしていた。 しかし、この試みも無駄なようだった。正午頃には、ジュムリ ア橋の上から戦車が両岸を砲撃していた。 米軍は、東岸地区の電話交換所をターゲットにしたが、交換所 から少なくとも1マイル離れたパレスチナ・ホテルも爆撃され た。このホテルには、外国人記者団が滞在していたのだ。 ロイターのテレビ・カメラマンは、15階の自室のバルコニーか ら米軍のフィルムを撮っている最中に殺された。他にも3人の ロイターのスタッフが負傷し、そのうち一人は重体である。ス ペイン放送局のカメラマンも殺された。 戦争の開始時からそうだったように、米軍は絶対的な制空権を 握っていた。米軍の戦闘機は、上空を低く舞いながら、東部、 南部、西部のバクダッド郊外を襲撃した。あるシュールな一瞬 として、2個のロケット弾が、チグリス東岸の幹線道路である サダム通りを、その通りに沿って、約20メートルの高度で飛び ぬけて行くのが目撃された。 米軍が展開した兵器の砲火の量とその継続時間は、ほとんど信 じがたいほどだ。昨日は、間欠的な休止があるだけで、砲撃が 夜明けから日没まで続いた。また、イラク政権がその断末魔に 入り始めた時の結果も、信じがたいものだった。 チグリス東岸でさえ、市の機能は停止してしまった。東岸には 、数百万のイラク人が住んでいるが、人通りのない路上に蓄積 した塵芥の山以外は、人が住んでいる痕跡がほとんど消失して しまった。ショックを受け、打ちのめされた市内で、最後の商 業的な活動だった喫茶店もタバコ屋も閉まってしまった。 ほんの数日前、この地区に群がり、襲撃用のライフルやロケッ ト推進型手榴弾を背負った民兵達は、消え去ってしまった。椰 子の木陰や高速道路のオーバーパスの下に隠れていた軍用トラ ックも、重火器の砲床とともに、どこかに消えてしまった。 動いているものといったら、安全を求めて、少しずつ現れ、ど こかに向かう陰鬱な市民の群れだけだ。彼らは、2週間以上も 爆撃に耐えてきた。しかし、もう耐えられないのだ。運べるも のはすべて梱包し、荷物を背負って、徒歩で市外に出て行く。 キンディ病院では、医師達がすでに我慢の限界を超えていた。 午後半ば頃には、12の手術室すべてが使用中の状態だったが、 負傷者や死者は、まだ続々と運びこまれていた。 医師達は、診療上の冷静さを保とうと努めていたが、負傷者の 傷の酷さ - 焼け爛れた顔、はらわたが出た胴体、めちゃくち ゃに骨折した四肢や頭蓋、血のりで固まったような体 - を見 て、動揺を隠せなかった。彼らは、不安定な発電機を使って手 術する難しさや、手術用具など医療用品の不足も訴えていた。 一日の死者の数は、4人か5人だろうという。 しかし、病院の裏手にある冷却コンテナの一個には、15体くら いの死体が詰め込まれていた。死者を死体置き場に運ぶ雑役夫 と、イスラム教の慣習による迅速な埋葬のため、死者を引き取 りにくる家族は、絶えずやって来ては去る潮の干満のようだ。 正確にカウントするには、速すぎ、多すぎる死傷者の流れのよ うに、この状況は、医師達の能力を超えていた。彼らはすっか り圧倒されていた。 「この状況は、非常に辛いものです」と語るのは、医療サービ スを監督するオサマ・サラである。 「目の前で死んで行く子供を見るのは、非常に辛いことですが 、もう3人もそういう子供を見てきました」 「そういう子供達に自分の子供の顔を重ねてしまうのです。私 の子供も、そうなる可能性があるのです。私のいとこも、そう なるかもしれない。それでも、米軍は攻撃を続けている。彼ら は、止めようとしないのです」 **************************** (翻訳:丸田由紀子/TUP) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ TUP速報 菅原 秀 Schu Sugawara 電話03-3970-5777 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