From reform-admin@ed.niigata-u.ac.jp Sat Feb 2 14:54 JST 2002 Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (cosmos.ed.niigata-u.ac.jp [133.35.176.6]) by sakaki.math.tohoku.ac.jp (8.9.3/3.7W) with ESMTP id OAA15533 for ; Sat, 2 Feb 2002 14:54:01 +0900 (JST) Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (localhost [127.0.0.1]) by cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (8.9.3/3.7W) with ESMTP id NAA14689; Sat, 2 Feb 2002 13:49:34 +0900 (JST) Date: Sat, 2 Feb 2002 13:49:18 +0900 From: Toru Tsujishita Reply-To: reform@ed.niigata-u.ac.jp Subject: [reform:03991] 転送:(訂正・追加版)Re: 五点セット・・・ To: reform@ed.niigata-u.ac.jp Message-Id: In-Reply-To: References: X-ML-Name: reform X-Mail-Count: 03991 X-MLServer: fml [fml 2.2.1]; post only (only members can post) X-ML-Info: If you have a question, send e-mail with the body "# help" (without quotes) to the address reform-ctl@ed.niigata-u.ac.jp; help= X-Mailer: Macintosh Eudora Version 5.0.1r-J X-Sender: tujisita@mailhost.math.sci.hokudai.ac.jp Mime-Version: 1.0 Content-Transfer-Encoding: 7bit Precedence: bulk Lines: 142 Content-Type: text/plain; charset="iso-2022-jp" Content-Length: 9601 [Reform:03977]の訂正・追加版を御送り頂きましたので転送します。辻下 徹 ---------------------------------------------------------------------------- 日本の大学が迎える歴史的な瞬間を前にして、皆様にお知らせします  国立大学の独立行政法人化に関して、気になる点をお知らせします。つい最近、本 学のトップは、「法人化後の本学の管理運営組織の素案」を提示しました。これはま だ骨格の提示だけで、これからどうなるかはわかりませんので、詳細の紹介は控えさ せていただきます。しかし、その素案に横たわる管理運営の思想は、従来の大学像か ら際立ってはなれたものです。このままの姿で本学が「法人化」されることのもつ意 味、さらにそれが他の大学に及ぼす影響を考えまして、このメール通信でご紹介し、 皆様のご注意を喚起させていただければと思います。国立大学の独立行政法人化の最 終案が出される3月を前にして。  なお、立場上、この通信が匿名であることをお許しください。 1.素案の骨格  この素案を簡潔にまとめると、(1)学長とかなりの数の副学長(外部からも積極 的に登用)によるトップダウン、(2)教授会の変質(人事を含めた審議議決機関か ら、教務を中心とする協議・了承機関へ改質)、(3)学部等から選ばれる委員会を 廃止して、副学長によるチームが個別管理事項を管理、(4)学部を廃止し、学生は 教育プログラムにより組織し、それに対応する教官組織を廃止、(5)研究分野別に 組織された教官はそれぞれに振り分けられた教育と研究組織に出向く、というもので あります。この外に、外部から登用された監事の存在がありますが、これは「法人化 」の「調査検討会議」の中間報告にあるものと同じです。(2)に関しては、教授会 の人事権がなくなりますので、たぶんこれは、法人化後の教員の身分が非公務員型と なり、それに伴って教育公務員特例法が廃止されることが前提とされていると予想で きます。  問題は、この案が、3月に予想される「調査検討会議」の最終報告書を先取りして いるのではないかということです。すなわち、「中間報告」の示唆する2つの危険、 「すなわち一方で、大学の独自性を強化するという形を取りながら、政府の大学に対 する統制を強める、ことによっては大きな混乱を生じさせる」か、「実質的には現在 の国立大学とほとんど変わりない」(金子元久、現代の高等教育、2001年12月 号、12頁)の中の前者に対応し、まさしくその混乱を大学自らが作り出すわけです 。 2.問題点  上の素案に基づいて作られる大学は、一見アメリカにあるトップダウン型の大学に 似ていますが、我が国の独立行政法人化構想の中でそれを位置づけると、もはや大学 と呼べるものではなく、国策型特殊法人、ないしは軍隊組織であります。  すなわち、上の内部構造組織が運営するものは、 (1)形の上では法人が自主的に策定するといわれていますが、実質的には、「国の グランドデザイン」(「調査検討会議」の中間報告)のもとで文部科学省により認定 された長期目標、中期目標と中期計画にそって、大学 法人そのものが外的に評価さ れ、財政的にも束縛される(外圧)、 (2)大学内部においては、自ら策定したことになっている細かい「中期計画」の達 成が重くのしかかり、さらに「任期制」による雇用不安という強迫条件下で、教員が 、相互に評価し競いあわされる(内圧)、 (3)学生は、現行よりも増額が予想され、しかも教育分野により異なる額の授業料 を背負わされるうえに、大学管理への意思表示の機会が与えられない(教育疎外)、 という、日本独特の大学組織であります。  独立行政法人化構想の中にある上記の組織による大学を、「外圧・内圧・教育疎外 にあえぐ大学」とみなすことは間違っているのでしょうか?  このような大学が、先進国でこれまでにあったでしょうか?また、これからもあり 得るでしょうか?  わたしは、そのような大学は、もはやその名に値する実態をもたないと思います。  今から思えば、日本の大学評価の項目に、世界にも例を見ない「管理運営」という 項目が入っている理由は、このような組織に国立大学を根底から変える意図を為政者 側がもったためです。そして、その意図を独立行政法人化により貫徹しようとしてい ます。  とくに、独立行政法人化にあたって導入される、算定根拠の不明確な「交付金」と いう財政的強迫条件は、評価する側の望む形の管理運営を大学自らが取り込み、先取 りせざるをえないものとします。そのような底知れない深淵に大学を引き込む仕掛け が、今回の独立行政法人化であるということを、冒頭に述べたわが大学の「法人組織 構想」素案に、私自身がこの目で垣間見た思いがいたします。 3.このような大学は受け入れられない  私どもは、「このような大学像を、本当に是として受け入れるのかどうか」という 判断をせまられていると思います。それは、歴史的な意義をもつ判断であります。  為政者側は現下の独立行政法人化の目的は、長期的にはグローバリゼーションの進 行による日本の相対的地位の低下への対策、短期的には当面の経済的困難の打開のた めに、大学に競争を持ち込むのだと言います。その中で、社会的にインパクトのある 優れた研究や、優秀な学生が育つのだと強弁します。しかし、視野狭窄の日本の為政 者には、大学と産業の関係がわかっていません。科学と技術、産業の関係を整理しな いままに、呪文のごとく「競争原理」に救いを求めているだけです。  皮肉なことに、わが為政者の目指す当のアメリカの1990年代からの経済復興は 、そのような整理が出来ていたから成し遂げられたといわれています。それを示すに は、「科学的原理の把握と発見は大学、それに対応した装置の研究開発は共同企業体 、その装置の更新はベンチャー企業という役割分担が機能した」(「IT汚染」、吉 田文和、岩波新書、2001年、53ページ)半導体産業の例を挙げれば充分です。  そのような整理のない、混沌とした目先の競争に満ちた大学では、創造的な研究は 育ちにくく、「研究哲学や研究思想など目もくれず、、研究技術に没頭し、ひたすら 論文を書き、国内外からの評価をいかに得るかということに憂き身をやつす:(大滝 仁志、学術の動向、2001年11月号)」研究者が跋扈するだけです。さらにいえ ば、そもそも以下に活写された日本の大学の持つ根元的な病魔が、拡大再生産される だけです。  「世界の中での日本の経済的比重が近年著しく高くなり、国際的連関も強くなって きた。このとき、日本の文化的水準の相対的低さが改めて浮き彫りにされ、世界の人 々に強く印象付けるものになってきた。特に、日本の大学の貧困さ、浅薄さが目立ち 、際立った形での形骸化がみられるようになった。それは、大学の物理的、経済的環 境の貧困ということではなく、大学における学問研究教育が、自由に生き生きと行わ れていないことに起因するものである。教員人事、学生選抜という面だけでなく、予 算執行面でも、日本の国立大学にはあまりにも恣意的な行政的制約条件が強すぎ、学 問研究に一生ささげようという真摯な研究者にとって、これほど悪い環境はないと思 われる反面、体制に迎合し、矮小な研究に従事する人々にとって、日本の大学ほど安 易に生きることができるような大学は他に例がないように思われる。」(「日本の教 育を考える」宇沢弘文、岩波新書、1998年、147頁)  また、優秀な学生の養成は言うまでもなく社会からの最大の期待で、我々がそれに 応えることは一義的課題です。しかし、日本の大学でそれを阻む要因の最大のものは 、高学費なのです。とくに多くの大学院生が、研究の傍らでバイトに身を削る姿には 、たとえば、それを目の前で見ているヨーロッパからの訪問研究者は絶句するばかり です。また、博士課程を終えた大学院生が抱え込む日本育英会の奨学金返済額の多さ 、しかも、その返済免除システムが現下の小泉改革で消滅するという破滅的事態を、 私たちは今、歯ぎしりしながら見据えているわけです。  出来ることなら、「彼らの支払う授業料をゼロに、あるいは少なくとも半分にした ら」、また、「奨学金を返済しなくても良い、あるいはその返済額を半分にしたら」 、どれだけ彼らが勇躍して勉学に集中することができるでしょうか?はたして、現下 の独立行政法人化が、その方向に歩むのでしょうか? 4.このような大学にしてはならない  大部分のマスコミが、ほとんど一方的に文部科学省よりの情報を流しているために 、社会が正当な判断をもちにくい状況の中で、どのように現下の独立行政法人化政策 と闘っていけばよいのか。たしかに容易ではありません。  しかしながらあくまでもその基本は、正々堂々と、大学としてのグローバルスタン ダードの理念である大学の自治と学問の自由の立場から、現下に展開されつつある文 部科学省、及びその背後の経済産業省、財界の目指す独立行政法人化プランを、繰り 返し繰り返し、さまざまな角度から、あきらめずに批判することでありましょう。ま じめな立場から、独立行政法人化に対して多くの大学人がもっている「大学の活動へ の、こと細かな文部科学省の制約から開放される」という期待は、もはや幻想でしか ないことがわかったのではないでしょうか。  グローバリゼーションは、経済的優位者が劣位者を征服するためのみに用意された 概念ではありません。それは、日本の一角に起きている事象を、すみやかに世界に知 らしめる手法も備えているのです。たとえば、上記の「外圧・内圧・教育疎外」に彩 られた大学環境の中での「日本のある国立大学の将来構想」が最終的に確定したら、 その大学の名前も公表して、独立行政法人システムの中でのその実体を英訳して、イ ンターネットで世界中の大学関係者に問いかけて、その反応結果を公表するというの も面白いでしょう。  時間はあまりありませんが、まだ間に合います。「日本に行って、流行の研究でポ スドクをやれば大金が入るぞ。だけど彼らのやっていることは、ほとんど俺たちのや ったことの焼き直しだ。それに、あんなに忙しくしているうちに、日本の学者はその うちに何も出来なくなるだろう。」いま欧米で流行っている噂が、このような法人化 によって定説とならないように、日本の大学の命運を左右する歴史的な瞬間がせまっ ています。  このままでは、私たちは本当にだらしがないと後輩たちに指弾されるでしょう。か つて、先の戦争をなぜ止めなかったかと、父たちが私たちに指弾されたように。 ----------------------------------------------------------------------------