From reform-admin@ed.niigata-u.ac.jp Tue Nov 13 13:59 JST 2001 Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (cosmos.ed.niigata-u.ac.jp [133.35.176.6]) by sakaki.math.tohoku.ac.jp (8.9.3/3.7W) with ESMTP id NAA12682 for ; Tue, 13 Nov 2001 13:59:22 +0900 (JST) Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (localhost [127.0.0.1]) by cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (8.9.3/3.7W) with ESMTP id MAA20773; Tue, 13 Nov 2001 12:32:46 +0900 (JST) Date: Tue, 13 Nov 2001 12:32:28 -0800 From: 渡辺 勇一 Reply-To: reform@ed.niigata-u.ac.jp Subject: [reform:03860] 掲載されなかった、地方新聞への記事 再掲 To: reform@ed.niigata-u.ac.jp Message-Id: X-ML-Name: reform X-Mail-Count: 03860 X-MLServer: fml [fml 2.2.1]; post only (only members can post) X-ML-Info: If you have a question, send e-mail with the body "# help" (without quotes) to the address reform-ctl@ed.niigata-u.ac.jp; help= X-Mailer: Macintosh Eudora Pro Version 4.2.1-J X-Sender: watayu@scux.sc.niigata-u.ac.jp Mime-Version: 1.0 Content-Transfer-Encoding: 7bit Precedence: bulk Lines: 124 Content-Type: text/plain; charset="iso-2022-jp" ; format="flowed" Content-Length: 7710 [he-forum 2864] 「学生減は死活問題」 釧路・城山商店街 釧教大存続訴え決議文提出へ  道教大再編に伴い釧路校を縮小するという同大学長試案が示された問題で、 同校おひざ元の釧路城山商店街振興組合(渡辺武郎理事長)は九日、同校存続 を訴える「決議文」を十二日に同大に提出することを決めた。同校の学生が多 数住む同商店街にとって学生減は死活問題であり、関係者らは危機感を強めて いる。    -------------------------------------------------------- ◎没になった記事のこと。  上の記事を見て、当方が1999年10月25日に作成して、地方新聞の学生部記者に 渡し、その後デスクで没になった(これは、大学全体の見解と言えないという理由) 原稿を思い出した。  以下の原稿を、2年以上経過した現時点で再び読んで、その内容がいささかも現実  とずれておらず、上記の点について、地域と大学の面でも予言的なものになっている 事を痛感する。後段の大学と街の部分に注意いただきたい。 ◎top30に踊らされ、エゴに陥る大学人の今の姿  翻って、今のtop30の動きを見ていると、大学人の醜さばかりが見えてくる。その醜さ とは、自己の属する組織の生き残りと予算獲得だけが自己目的化して、教育研究を行う 場がいかに本来の目的を達成するための量(日本全体にわたる)と質(自由の点)を 奪われようとしているかに全く関心をもたない傾向である。これらの人達の行動は、 いかなる環境になっても蓑虫のように最低限のものを身にまとい、政治的な動きには、 発言を全くせずに(今回の文部科学省の中間報告案に対するパブリックコメントなどに 対する個人の発言の少なさに反映されている)得になる行動だけに身を動かすといった 本能からくるものであろう。  国の有する教育機関としては有り得べからざる「株式会社」と同列に考える発言が いよいよ露骨になった。  本来、教育機関がどうあるべきかは、現政府の言にかかわりなく(もしこの様な政 府で なければ、当然大学に対する施策は変わっている)、理想というものを現場の人間が 描けなければいけなかった。その努力を怠ったまま、あやしげな競争に突入して、 あげくの果ては、独立採算的な組織にまで追いつめられようとしているのが現実かも 知れない。冷静にその図を俯瞰できる人間が本当は必要なのである。  本来の大学の自己評価という作業には、大学の理想が何であり、その理想を追求する ために何が障害となっているかの観点がなければいけないはずである。現在大学の あるべき機能を奪おうとしている最大の因子が何であるか、それについて、筆者は まともに看破した文書を公的な機関の中に極めて稀にしか見ることができずにいる。   これ以上書いていると、本来の文章を読むに至らず終わるかも知れないので、 締めの言葉を置かずに終わりたい。    ・・・・・・・・      掲載されなかった、地方新聞への記事 「独立行政法人は決して容認できる制度ではない」  発足以来百年以上も国の財政的保障によって維持されてきた国立大学が「独立行政 法人」という名によって、根本から変えられようとしている。既にいくつかの国立美 術館、博物館、また70程の国立研究所、および試験場は、新らしい省庁体制が発足 する2001年から法人に移行することが決められており、この決定が国立大学に強 い圧力を与えている。  ここでは、まず独立行政法人が何であるかを説明し、次に国立大学の法人化が国民 にとって、どのような影響を及ぼすかについて触れたい。  国立大学をなくし、新たな法人として発足させるためには法律が必要である。既に 今年の夏国会を通過した「独立行政法人通則法」(以下通則法と略)がそれである が、この法が余りに学問の府にそぐわない内容を含んでいるので、文部省も、大学学 長の集まりである国大協も、それぞれ直ちに対案を作って公表した。現在対立してい る点を中心に通則法の持つ問題点をあげてみると次のようになる。  1)学長の大臣による任命、2)法人の数年にわたる活動目標の大臣による設定、 3)法人の業務を評価する機関の省庁内への設置、4)評価に基づく交付金(下限は 0も可)の増減。  このような制約強化の中では、学問や教育活動に必要な「自由」が入り込める隙間 はない。評価の結果は財政だけでなく、組織の改廃の勧告にも結びつくから、正に法 人の死命を制すると言える。最大の問題は、行政改革の一環として行われている「法 人化」移行の措置が、行革の出発点で課題として掲げられた「行政の関与縮小」「小 さな政府論」に逆行している事実である。「独立行政法人」という語の独立という語 を「従属」に置き換えるべきだと主張する教員もいるが、筆者もそう思う。もう一つ 腑に落ちないのは、行政組織とは全く呼べない教育研究機関に「行政」という言葉を わざわざ当てていることである。この理由としては、「行政」改革の対象に教育研究 機関を押し込んだ不自然な策略の結果であるとしか思えない。国づくり、人づくりの 基礎である教育組織が、このような言葉の著しい「反義性」を含んだまま進行してい る現実は、今回の行革がいかに首尾一貫せず、理念のないものかを証明していると言 えよう。  ほとんどの読者は、新潟大学が法人化された時に県民にどのような影響がでてくる かお気づきと思う。財源の保障不安定になり、100近い旧国立大学の間で競争が起 これば、弱小大学が滅びる可能性があり、現実に一部週刊誌はこの予想記事を載せて いる。当然ながら、法人においては、「経営」が第一義的に考えられるから、授業料 値上げが避けられれないと誰もが予想している。経営悪化は通則法の中にも予測され ており、このような場合には、任期途中でも法人長が罷免されるとある。学生の教育 費高騰は、少子化に拍車をかけるので、大学の経営にとって悪循環が始まる。学生が 学ぶ場以外に、地方の大学や付属病院は、地元県民の働き場として大変重要である。 従来から大学では教員以外の職員が定削により減らされつつあるが、法人化はこの削 減方向を強めることは避けられない。大学が隆盛すれば街も活性化し、大学が衰退す れば街も大きな打撃を受ける。  話題は少し変わるが、10年来新潟大学の西門近くの宿舎に住み、毎春ここの八重 桜の開花を愛でる市民の姿を目にしている。大学には目に見えない「花」もある。そ れは研究業績として、日々国内外に発表される学術・文化の成果である。年毎に開か れる公開講座や、その他の文化行事で大学人の学術的成果は市民にも還元されてい る。しかしそれは開花した成果のほんの一部でしかない。我々が最も恐れているの は、これらの見えない花の切り捨てや、立ち枯れが「法人化」の後の市場原理の競争 の中で起こってくることである。  古く明治に東京大学が発足した頃に、時の元老院の辻新次は、「高等ノ教育ハ固ヨ リ人民ノ自為ニ任シ、政府ハ之ニ干渉セズシテ、タダ保護誘導スルニ止マルハ素ヨリ 然ルヘキノ主義」と述べた。21世紀を迎えようとしている現時点で、国が法人組織 の作成を急ぐ行為は時計の針を一体どこまで逆戻りさせることになるのだろうか。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−ーーーー ●後日談: この記事が没になった後、何日かして「別の記者」が筆者の部屋を訪ね てきて面談を行い、      その話を元に、その記者が「ピンチかチャンスか、独立行政法人化」とい う内容の記事を      一面の半分程を使って特集記事にまとめたのである。        しかし、そこでは大学の人間(反対論者2名、消極的賛成1名)は、 地域と全く切り離され      基礎研究の研究費が少なくなるから反対であるといった、エゴとも取れる 図に描かれてしまって      いたのである。これでは市民にとって、どの様な影響を与えただろうか。 これが現実の新聞の      姿である事は、1960年以後のマスコミの変わり方を、「マスコミ黒書」で 予め知っていた 筆者にはなんの不思議もなかったが、正直のところ一抹の無念さが残った。 ----------------------------------------   渡辺 勇一 Yuichi G. Watanabe 〒950-2181 新潟市五十嵐二の町 8050 新潟大学 理学部 生物学科       E-Mail: watayu@sc.niigata-u.ac.jp ----------------------------------------