From reform-admin@ed.niigata-u.ac.jp Sat Jul 15 14:49 JST 2000 Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (cosmos.ed.niigata-u.ac.jp [133.35.176.6]) by sakaki.math.tohoku.ac.jp (8.9.3/3.7W) with ESMTP id OAA02827 for ; Sat, 15 Jul 2000 14:49:10 +0900 (JST) Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (localhost [127.0.0.1]) by cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (8.9.3/3.7W) with ESMTP id MAA05921; Sat, 15 Jul 2000 12:25:12 +0900 (JST) Date: Sat, 15 Jul 2000 12:33:47 +0900 From: 蔵原清人 Reply-To: reform@ed.niigata-u.ac.jp Subject: [reform:03003] Re: 蔵原論文へのコメント To: Cc: 蔵原 清人 Message-Id: <002701bfee0d$7c9cce60$1fc05085@ccs.kogakuin.ac.jp> References: <396A9AF8.AC5DCEFA@cc.hirosaki-u.ac.jp> X-ML-Name: reform X-Mail-Count: 03003 X-MLServer: fml [fml 2.2.1]; post only (only members can post) X-ML-Info: If you have a question, send e-mail with the body "# help" (without quotes) to the address reform-ctl@ed.niigata-u.ac.jp; help= X-Mailer: Microsoft Outlook Express 5.00.2314.1300 X-Priority: 3 X-MSMail-Priority: Normal X-MimeOLE: Produced By Microsoft MimeOLE V5.00.2314.1300 Mime-Version: 1.0 Content-Transfer-Encoding: 7bit Precedence: bulk Lines: 165 Content-Type: text/plain; charset="iso-2022-jp" Content-Length: 10080 麓さんからコメントをいただきました。 ありがとうございました。字が小さいことはお詫びします。 麓さんのコメントです。 > 蔵原さん曰く > > 付け加えておきたいことは、ユネスコ勧告では教授会を中心とした自治という > 形態を必ずしも明確には示していないということである。日本では歴史的に教授 > 会自治が中心となって自治が形成されてきた。もちろん学生自治会、教職員組合 > などが自治を担ってきたこと、特に戦後においては大きな役割を果たしてきたこ > とは事実として認められるべきである。しかし歴史的経過もあって国によって大 > 学の自治の組織・形態が異なっているのである。勧告自体も国によって法や慣 > 行、伝統が異なっていることに留意しているが、勧告の関心は、自治を担う組 > 織・形態よりも自治の内容を具体的に確認する点に向けられているように思う。 > この点ではわが国でこれまでいわれてきた大学の自治よりもかなり広い意味を与 > えているのではなかろうか。今後、具体的な検討を進め、日本の大学と学術化の > 発展に生かしていくことが求められる。 > > 私のコメント > >  各方面からの大学批判は,教授会自治への批判だと思います。内部的にも批判 > があります。教授会自治は,決定責任の曖昧さと,悪貨が良貨を駆逐する運営で > 批判されているのだと思います。趣味の研究はしたいが教育は最小限にしたいと > いう不良教授(悪貨)が,教育不在の現在の大学を象徴しています。ある学部の > 学生に最近聞いたのですが,実験実習の時間に2,30分しか出てこない教授が > いるそうです。私は,連名で学部長に訴えろと言っておきましたが,その教授 > は,同じ時間帯に,教養教育(私の大学では共通教育と呼んでいる)の授業を同 > 時開講しているそうです。これは,外見的に分かることですが,教授会でも何の > おとがめもないようです。 >  ちなみに,私の発言権あるところで,そのような例がありましたが,私は,気 > づいた段階でそれは倫理的にも制度的にもおかしい,と発言してやめさせませま > した。気づいていた教官も他にいたようですが,何も言いませんでした。このよ > うな我関せずの教官が多い中で,教授会自治を続ければ,世間は大学の自治自体 > を認めなくなるのではないでしょうか。これが特殊最悪のケースとはとても言え > ないからです。 >  私は,基本的には,学長権限の拡大は賛成です。私が経験したアメリカの大学 > の人事では,学科長が教官全体の意見を聞いた後で,自分で候補者を決め,学部 > 長に言うと,学部長は,学科長と相談して,納得すれば,それを,上部組織にあ > げ,そこで意見を戦わせた後,多数決ではなく,学長決裁で,採用が決まるそう > です。こうすれば,変な教官を採用した場合の責任が明確になります。最近新聞 > では,教授資格に教育能力も入れようという動きがあるようですが,日本ではこ > れまで,多くの場合,面接も行わず,人格不問のまま,研究業績だけで採用人事 > を進めていました。上のような責任体制であれば,いずれかの段階で面接が可能 > であり,人格不適当な教官を採った場合は,面接を担当した教官の首が飛ぶでし > ょう。この体制の方がよほど大学の自治を守れると思います。 > > > > 蔵原さん曰く > >  自治と並んで宣言や勧告で重視されているのは、教育機関の公共責任、教育職 > 員の義務と責任である。これらは当然、高等教育の使命と役割を果たす立場から > のものである。わが国でもこれまで大学人がこの点について意識的に積極的努力 > をしてきたのであるが、今後一層こうした活動を強めていくことが求められる。 > 特に21世紀を迎える今日、世界とが直面している問題はこれまで人類が直面し > たことのない新しい問題である。大学人がその責務を自覚して、現代社会が直面 > している問題の解決に積極的に役割を果たすように広く呼びかけ、取り組みを強 > めていかなければならない。わが国と世界の発展方向をそれぞれの分野から積極 > 的に提案していくことは、大学人に求められている重要な課題である。 > > 私のコメント > >  上に記したような教授としての責務を自覚していない,このフォーラムにも参 > 加せず,政府案に賛成という意志表示もしない多くの教官を抱えていながら,全 > 員投票による教授会自治を守れと言うのは,論理矛盾だと思います。過半数が無 > 責任な大学で,大学の自治を守るためにはどのような制度改革が必要かを議論す > べきだと思います。 > >  ちょっと過激すぎるコメントでしょうか。 以下、私のコメントへのコメント 私の先の意見は、教授会自治については積極的には採り上げていない(検討していな い)のでした。多くの検討課題があると思っています。 ここでは今いえることを少し書きます。  教授会自治の問題は麓さんもいわれるようにいろいろ批判されていますが、私の感 想としてはそれらの中では教授会自治という考え方・制度としての意義と、その具体 的な存在形態の持っている問題が区別されずに議論されていると思います。また個々 の、あるいは集団としての教授の行動が、教授会自治と混同されているようにも思い ます。 まず、今日本で行われている教授会自治(具体的な実施形態)が、教授会自治の完成 型かどうか考えてみる必要があるのではないでしょうか。伝統的には教授会自治は、 文字通り教授だけの自治でしたが、これについては参加者を拡大しているところもあ ります。このように教授会自治としても改善すべき点がいろいろとありそうです。 教授会と委員会の関係、学長との関係もその一つと思います。文部省がしきりにいっ ている学部教授会と全学的意志決定との関係ということも、その一つに違いないと 思っています。 しかし解決の道として、教授会自治をより向上させるように改善するか、教授会自治 とは異なる方向で解決を図るのか、その選択・判断が迫られているのではないでしょ うか。 授業をまともにしない教員がいることは、教授会の自治の結果ではないでしょう。む しろ自治が機能していないことであると、私は思いますがいかがですか。税金をまじ めに納めない人がいるからといって税金の制度をやめよというでしょうか。あるいは 選挙に無関心な人が多いから選挙をやめるということになるでしょうか。 もちろん今の状態でいいとは思いませんが、そのような状態が生まれたのは教授会自 治に内在する(制度上の)問題か、それともほかに原因があることなのかをよく調べ てみなければならないのではと思います。 教授会の自治を問題にする人は決まって学長の権限強化(リーダーシップ)を主張し ています。しかし今でもかなりのことを学長はできるのではないでしょうか。リー ダーシップとは、権限が法的に保障されていなければできないものではないのです。 学識と経験を生かして、また自らの責任を遂行する立場から、リーダーシップを発揮 することは学内でも期待されてもいるのではないでしょうか。 ただ、今、リーダーシップをいうときは理屈がとらなくても主張を押し通すこととし て理解されていることが多いように思います。そうなる背景として、ねばり強く理解 を求め事実を明らかにし大学の責務をはたすように努力することを回避する(つま り、手っ取り早く自分が思うように実行する)ことをねらっていることがあります。 みんなで行うということが定着していないといわざるを得ません。こういうリーダー シップは、ふつうの言葉で言うとワンマンということです。そごうもワンマン社長 だったといわれますが。 こういう時に責任をしっかりとってくれるような自覚ある学長はどうやって見つけれ ばいいのでしょうか。教育したらいいのでしょうか。リーダーシップをいう割には、 期待される学長像はさっぱり具体的な議論になりません。そこが明らかにならないま ま、学長のリーダーシップを、という意見には与する気にはわたしはなれません。そ れでは何に使われるかわからない白紙委任状を出すようなものです。 麓さんは「大学の自治を守るためにはどのような制度改革が必要かを議論すべき」と いいますが、自治を守ることが制度改革に直結するものなのでしょうか。私は疑問で す。麓さんのいうように「過半数が無責任な大学」だとすると、大学内部の多数の支 持によって改革を進めることはできないことになりませんか。そうだとすると、少数 の自覚した人がすべてを仕切ることになるほかはありません。 これでは選挙民はまともな考えがないから勝れた指導者が指導すべき、という考えと 同じになってしまうのではないかと危惧します。民主主義は機能していないから廃止 しようということと同じです。麓さんがそのように考えていると思っているのではあ りませんが。同じ論理になってしまうと考えるべきではないかと思うのです。 「自治」をギルドのような、大学教授の利益擁護のシステムと考えたり、利害の対立 する集団を封じこめるための手段と考えれば、そんなものはなくしてしまえというの が世論でしょう。しかし、自治とは学問の自由の機関としての形態をとったものとい う、ユネスコ高等教育教育職員の地位に関する勧告(手元に文章がないので、ちょっ と違っているかもしれません。)という認識は深遠な意味を持っているように思いま す。 学問の自由が勝手なことをしていいということではないように、自治も自分たちが好 きなようにやっていいということを意味しないのです。大学として、教員としての高 度な自覚に基づいた厳しい行動規範を自ら守ることが求められているのです。 私たちはというべきか、日本の社会はというべきかはわかりませんが、守られないな ら外部から強制しようというのがよくでてきますが、外部からの強制ではないが守る ということの意味を深く考える必要があると思います。つまり自己規律です。 このような自己規律ということは今の日本では定着していませんね。最近の雪印問題 もそうです。そうなると一般人は、建て前と本音は別だとあきらめるしかないかもし れません。こうなると社会不信が強まっていきます。教授会自治についても、外部の 批判もあるかもしれませんが、むしろ問題は大学人自身が不信を持ち、まともに機能 するようにすることをあきらめていないか、とさえ思うのです。国民から、外部から 批判があるということで、われわれ自身が自治に対する不信感を募らせたならば、元 も子もなくなると思うのですがいかがでしょうか。 アメリカのことは私も聞いたことはありますが、トップの権限だけがいわれますが、 具体的に知りたいのですが、教員の権利や権限も日本以上にはっきりしているのでは ないでしょうか。またトップが行った判断をチェックする機能がいろいろあります。 たとえば教員がトップの判断に不満ならば他の大学にアプライしてでていくことも可 能です。日本ではそのような権利回復の手だてを抜きにして、トップの権限の強さだ けが議論されているように思いますがいかがですか。 いろいろ申し上げましたが、再度のコメントをいただければ幸いです。またこれをご らんのみなさまからのコメントも期待しています。 蔵原清人(工学院大学) Kurahara@cc.kogakuin.ac.jp