From reform-admin@ed.niigata-u.ac.jp Thu Jul 6 19:29 JST 2000 Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (cosmos.ed.niigata-u.ac.jp [133.35.176.6]) by sakaki.math.tohoku.ac.jp (8.9.3/3.7W) with ESMTP id TAA03069 for ; Thu, 6 Jul 2000 19:29:54 +0900 (JST) Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (localhost [127.0.0.1]) by cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (8.9.3/3.7W) with ESMTP id PAA02419; Thu, 6 Jul 2000 15:32:04 +0900 (JST) Date: Wed, 5 Jul 2000 22:19:49 +0900 From: e04404u@cc.miyazaki-u.ac.jp (YAMAKITA Satoshi) Reply-To: reform@ed.niigata-u.ac.jp Subject: [reform:02974] 教育学部」の再構築を その2 特に個別科学と総合大学制について To: reform@ed.niigata-u.ac.jp Message-Id: <200007051308.WAA12715@ikoma.cc.miyazaki-u.ac.jp> X-ML-Name: reform X-Mail-Count: 02974 X-MLServer: fml [fml 2.2.1]; post only (only members can post) X-ML-Info: If you have a question, send e-mail with the body "# help" (without quotes) to the address reform-ctl@ed.niigata-u.ac.jp; help= X-Mailer: Eudora-J(1.3.8.5-J13) X-Sender: e04404u@ikoma.cc.miyazaki-u.ac.jp Mime-Version: 1.0 Precedence: bulk Lines: 149 Content-Type: text/plain; charset=iso-2022-jp Content-Length: 9646 At 3:37 PM 00.7.4 +0900, fumoto wrote: > 教育学部の物理学や文学の先生は,「教育学」を研究しているわけではありませ >ん。 >教員養成を主目的とした教育学部の多くの教官 >は,「教育学」でない専門分野の研究者であり,その研究者が教員養成を主眼とする >教育学部にたまたま配属された(あるいは,進んで就職した)ために,その設置目的 >に合致する教育をしながら,研究は自分の専門を追求している,のではないでしょう >か。物理学の教官が教える場合,,理科の得意な中学校理科専攻の学生に対して行う >授業と,不得意な学生が多い小学校課程の授業とでは,当然教え方が異なるはずで >す。これは,理学部に就職した物理学の教官と異なる点ですが,両者で,研究者の立 >場は変わらないはずです。しいて言えば,博士課程の学生もいる理学部の方が共同研 >究がやりやすいという,違いはあるでしょうが。 この問題がいずれ出てくるであろうことは予想していて,それなりの考えはまとめて あるんですが,大学のあり方に関してより大きな問題になるので,話が複雑になるの を避けるために,これまであえてふれなかったんですね.この機会に,これについて も私の考えを述べてみましょう. 教育学部で各個別科学の内容の教育を担当している教官が,研究面ではそれぞれの個 別科学を研究しているという点で,個別学部の教官と変わるところはないというのは ,麓さんのおっしゃるとおりです(研究条件の格差は,特に理系では,結構大きなも のがありますけどね).また,そもそも自らその各個別科学の研究をしていないと, 学生に対しそれを科学として教育することはできません.したがって,私が先に述べ た,「教育学部とは教育学の研究・教育をするところ」という規定からははずれてく るのですが,発想を変えると,むしろそれらの教官が教育学部に所属している必然性 の方が乏しいことになります.すなわち,各個別科学の内容についての教育は,教育 学部の学生に対しても,各個別学部で行えばよいのです.逆に,教育学を学びたいと 思った教育学部以外の学生も(念のために言えば,教員を志望しているかどうかは関 係ありません),教育学部で授業を受ければよいでしょう.学生が関心をもって学び たいと思ったことは,どんな分野であれ,同じキャンパスで学ぶことができる(もち ろん,それぞれの学部の事情が許す範囲でという制限はつくかもしれませんが),そ れが「総合大学」であることの意味です.だからこそ,大学は「総合大学」でなけれ ばならないのです. もちろん,現在教育学部に所属しているこれらの教官を個別学部に移籍させれば,た だちにすべて解決する,などということではありません.個別学部で授業を受けると いっても,受講生の条件が違いますから,個別学部の学生と同じ授業というわけには いきません.ところが,教養部の解体に伴って教養定員が各個別学部に分属され,原 則の上では教養教育は全学出動方式になったにもかかわらず,旧来からの個別学部教 官は教養教育をやりたがらないというのが,多くの大学で見られる現状だとしたら, かなり時間をかけて個別学部教官の姿勢を変えていかないと,この問題でもうまくい かないでしょう.また,教育系の単科大学や小規模な大学の場合,対応する個別学部 が存在しないなど,個々のケースを考えれば簡単にはいかない点も多々あります.こ れらは,旧師範学校の体制を十分検討することなく基本的にそのまま引き継いできて しまったことによるツケを払わされている問題なのですが,長期的にはこの方向で解 決する以外にはないと思います. > また,「医学部や看護学部では,直接的には医学や看護学の学問的要請に基づき, >その教育を行っている」という考え方は,現実を反映していないと思います。 > 医学部と(教員養成の)教育学部は,ともに,職業人養成コースであり,両者の違 >いは,卒業した時に習得した単位で免許が取れるか,免許の受験資格だけが取れるか >どうかの違いだけです。医学部でも,勝手にカリキュラムが組めるのではなく,指定 >された科目を基準単位数だけ開講しないといけなという意味では,教育学部と変わり >ません。医学部に入った学生で,自分は医者に不向きと分かって,医者でなく,学者 >の道に進みたいと思っても,嫌いな解剖学の授業や,物理学実験の単位を取らないと >卒業できません。これは,入学後に教師に向かないと分かって教師にならない決意を >しても卒業のためには教育実習を受けなければならないことと同じです。 医学部と教育学部の違いは,医学部の場合は学問体系に裏打ちされているということ ですね.先のメールで,医学部には封建制が色濃く残っている旨のことを書きました が,これは裏を返せば,医学には封建制の頃(ギルドの世界)からの,つまり「計画 養成」などが問題になる近代国家成立より前からの,学問としての伝統があるという ことです.医学部で解剖学や物理学実験が必修であるのは,医師免許との関係以前に ,それらを履修することなしには,体系としての医学の修得はあり得ないからです. 対して,教育学部ではどうでしょうか.教育学部で必修とされている科目の多くは, 免許法との関係のみに根拠を持ち,必ずしも学問的要請とは関係ない(というか,そ ういう検討はほとんどされていない)ように思うんですけどね.ですから,「教育学 」の修得上(免許法との関係は抜きに),子どもに対する実際の教育活動を体験する 教育実習は不可欠である,と判断する学部があれば(私自身はその判断には異論があ りますが),その学部の責任でそれを必修にすることは,それはそれでかまわないと 思いますよ(こう書くと,榊原さんは,私の言うことがまたわからなくなったとかお っしゃるんでしょうね). > もっとも,前のメイルで述べたように,新課程ではなく,教育実習の必修を外せば >よいのではないかという意見は教育学部内で出ていました。文部省がそれを認めない >のは,教員の需給政策が放棄できないからです。山北さんがおっしゃるように,全て >の学部を解放性教員養成学部のみにしてしまえば,なり手が足りない時に困ってしま >うからです。 > > すべて自由主義に任せて,「その時は教員の給料を上げて確保するという政策で行 >く」という合意があれば別ですが,そうでなければ,文部省が何らかの政策をとるこ >とを認めないわけにはいかないでしょう。 私は決して市場万能論者ではありませんが,社会的に必要なある職業のなり手が不足 する場合は,様々な方法(給料に限りません)でその職業の魅力を増やして,需給バ ランスをとるしかないと思いますね(だからといって,なり手が余ってるときに魅力 が減じるような方策を採って良いということではありません).他学部出身者にとっ て教員が魅力に乏しい職業なら(本来教員とはそんな職業ではないはずなんですけど ね),それは教育学部出身者にとっても同じはずです.それを,強制するかだまくら かすかして無理矢理教員にしてしまうのは,学生の人権上問題だと思いますよ.この ように,「目的養成」を強調する視点では,しばしば学生の立場が欠落しがちなんで すね. >> 私はなんでもかんでも,教員は個別学部の出身者だけでいいなどとは主張していませ >> んよ.初等教育の教員については,その素養として教育学がカバーする部分が占める >> 範囲が大きいですから,教育学部(念のために言いますが,あくまで「教員養成学部 >> 」ではありません)の出身者が多数をなすであろうことは,論を待たないでしょう. >> しかし,中等教育については,個別学部の出身で個別科学を特に突っ込んで修得した >> 者が一定数存在することも,学校現場においてはトータルでプラスになるだろうとい >> うことです. > 初等教育に必要なのは,教育学よりも,国語算数理科社会がそれなりに教えられ >て,音楽美術体育の実技がそれなりに教えられることが第一ですから,教育学でカ >バーする以外で,なおかつ,各卒論指導教官が持っている専門分野以外の知識なりま >す。 ここで麓さんがあげておられることは,かなりの部分は教育学がカバーする範囲だと 思いますが.いわゆる「教科教育学」というのは,文字どおり広い意味での教育学の 範疇でしょう.教育学の範疇に入らないものとしては,「教科専門」科目があります が,これは現在の免許法(これ自体問題は多々ありますが)でも,最低修得単位数は 8(9教科全部について修得して18)ですから,全体の中で占める割合はそれほど大 きくはありません.それに,私はそれらが不要だなどとは一言もいっていませんね. なお,ついでに言うと,「教科教育学」という言い方は,あまり適当ではないのでは ないかと思っています.なぜかと言えば,「教科」というのは,ある程度までは人類 の普遍的知識体系の区分に根拠を持っていますが,一方で歴史的に制約されている側 面もあるからです.たとえば,文部省が「生活科」という「教科」の設置を決めたら ,それまで存在しなかった「生活科教育学」なるものが,その日から突然学問体系と して出現する,なんてのはちょっと変だと思うんですね.「社会科」や「理科」をど う教えるかというのよりも,子どもに社会認識や自然認識をどう獲得させるかという 立論の仕方の方が妥当なのではないでしょうか. > 中等教育については,この意見に対して賛成です。問題は,免許規定がきつくなっ >たのに対して,そうすると専門教育がおろそかになるという専門学部からの反対をど >う考えるかです。考えられる解決策は4つあります。 <以下略> > ですから,上の,山北さんの「教育学も含めた最低限の知識水準」だけでよいという >意見 >には反対です。だけでよいとは言っていませんが,この表現はそう読めます。 「ですから」の中身がよくわからないのですが,「中等教育については,この意見に 対して賛成です」と言われているので(細かい方策についての意見の違いはあると思 いますが),その上で言われている初等教育に関することですか? もしそうなら, 既に述べたとおり,「教育学も含めた最低限の知識水準」(教育学だけとも言ってま せんね)という表現で必要なものの大部分はカバーされていると思います.    /|/|/|  山 北  聡         電話/Fax:0985-58-7510(直通)   / / | |   宮崎大学教育文化学部地学教室   / /|/| |   〒889-2192 宮崎市学園木花台西1−1  / / / | |   namaketa@edugeo.miyazaki-u.ac.jp / /_/|_| |   e04404u@cc.miyazaki-u.ac.jp /___/ |___|   http://edugeo.miyazaki-u.ac.jp/earth/yamakita/namaketa.html