From reform-admin@ed.niigata-u.ac.jp Tue Jun 6 20:36 JST 2000 Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (cosmos.ed.niigata-u.ac.jp [133.35.176.6]) by sakaki.math.tohoku.ac.jp (8.9.3/3.7W) with ESMTP id UAA23994 for ; Tue, 6 Jun 2000 20:36:12 +0900 (JST) Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (localhost [127.0.0.1]) by cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (8.9.3/3.7W) with ESMTP id SAA26046; Tue, 6 Jun 2000 18:56:49 +0900 (JST) Date: Tue, 6 Jun 2000 18:59:04 +0900 From: reformad@ed.niigata-u.ac.jp (reform-ml) Reply-To: reform@ed.niigata-u.ac.jp Subject: [reform:02885] 声明「文部大臣説明の虚構と国大協の責務」 (2) To: reform@ed.niigata-u.ac.jp Message-Id: <200006060950.SAA26756@yahiko.ed.niigata-u.ac.jp> X-ML-Name: reform X-Mail-Count: 02885 X-MLServer: fml [fml 2.2.1]; post only (only members can post) X-ML-Info: If you have a question, send e-mail with the body "# help" (without quotes) to the address reform-ctl@ed.niigata-u.ac.jp; help= X-Mailer: Eudora-J(1.3.8.8r7-J16) X-Sender: reformad@133.35.177.100 Mime-Version: 1.0 Precedence: bulk Lines: 176 Content-Type: text/plain; charset=iso-2022-jp Content-Length: 10474 続きです。                 6月6日 大学改革情報ネットワーク [he-forum 984(6/5)] 二、国大協総会の歴史的意義 6月13、14の両日、国立大学協会の定例総会が開催される。これは、5月26日 の「文部大臣説明」に対し、国大協がいかなる態度を取るかが問われる重大な 総会である。早くも、国大協内には文部省の「説明」を「最後通告」と受け取 り、これに追随することを甘受する意見もあると聞く。しかし、上で検討した ように、「説明」には、これまで大学人が表明してきた疑問に対する回答は一 切存在しない。 これまで国大協は、独立行政法人化に対して明確な態度を示したことがある。 1997年10月21日の決議を再掲しておこう。 ********************************************************************* 国立大学の独立行政法人(エージェンシー)化について 国立大学協会は、本日常務理事会を開催し、行革会議などで論議されようと している、東大、京大を独立行政法人化する案、あるいは全国立大学を独立行 政法人化する案について討議した。その結果、定型化された業務について効率 性を短期的に評価する独立行政法人は、現在、多様な教育・研究を行っている 大学に全く相応しくないもので、反対することを決議した。 大学及び大学院の教育・研究は21世紀のわが国の命運を決すると言ってもよ い重要課題であり、従って、わが国の教育・研究レベルの一層の向上が急がれ ている。このことは平成8年に策定された科学技術基本計画を実現するために も不可欠である。高等教育の改革は、単なる財政改革の視点ではなく、今後の わが国の大学及び大学院における教育・研究の将来構想を策定する中で決める べきものであると考える。 平成9年10月21日 国立大学協会 ********************************************************************** 国大協は、総会において独立行政法人化に関して議論を行う場合、この決議 をどう考えるのか、真先に明らかにすべきであろう。 昨年来の国大協執行部の対応は、今日に至って、文部省が国大協の意向を問 わずに頭ごなしに独立行政法人化の方針を正式に提示する、という事態を招い た。その要因を分析し、責任の所在を明示し、国大協のあるべき対応を探るの が総会の目的でなければならない。これまでの国大協執行部の対応を振り返っ てみよう。 第一に、1999年9月7日の国大協第一常置委員会の中間報告について、われわ れはすでに「99.9.7国大協第1常置委員会「中間報告」批判」(9月13日独行法 反対首都圏ネットワーク事務局)を発表し、その問題点を指摘するとともに、 第一常置委員会に差し戻して論議を深めることを求めた。しかし、国大協第一 常置委員会はその中間報告を最終報告に高めることをしていない。しかも、今 なおこれは国大協としての中間報告にさえなっていない。 第二に、国大協は11月17、18日の総会においても独立行政法人化問題に関す る態度を明らかにせず、結論を先送りするとともに、蓮実会長の談話を発表し たにとどまった。その談話では「『検討の方向』に対しての意見の表明をさし あたり避けている」理由を、独立行政法人化が「実現されるべき高等教育の改 革にとって必ずしも有効な手段とはなりがたいと考えるからだ」としていた。 では、その「意見の表明」はいつ行われただろうか。また、同じ談話の中で蓮 実会長は、「設計図としての通則法の問題点が誰の目にも明らかにになった以 上、事態は、賛成反対をとなえる以前の段階にとどまっている」と述べた。だ が、今なお「賛成反対をとなえる依然の段階」にとどまったままである。いつ 反対を唱えるのか。 第三に、国大協第一常置委員会は、11月末に12月2日までのわずか一週間の あいだに、各国立大学長宛に「国立大学の独立行政法人化が行われる事態となっ た場合、大学の特性からどうしても譲歩できない点を二点程に絞り提出願いた い」旨の依頼文書を送った。しかし、その結果は単に列挙するかたちでまとめ られたにすぎず、アンケート結果は棚ざらしとなったままであった。 第四に、その後、中間報告を踏まえて検討を深めるべき第一常置委員会は、 独立行政法人制度に関する徹底した批判を行うことはせずに、3月以降単に財 政問題に限って検討を進めている。そればかりか、この検討結果さえ、いまだ 出ていない。 第五に、国大協は理事会の「まとめ」(3月8日)において、「設置形態の黒白 を争う議論は、政治状勢の動きを考えると、現時点では適切ではない」として、 議論を行わないことを決定した。他方、会長・副会長等は3月16日に小渕前首 相と会談するなど、「政治状勢」に関与する姿勢を見せ、「国立大学法人法」 の制定が可能であるかのごとく説明した。 第六に、国大協執行部は、2月から3月にかけて、自民党麻生委員会の活動に ついて、あたかも通則法は適用されず、それとは異なる「国立大学法人法」の 実現可能性が出てきたかのような幻想をふりまいた。 ところが、3月23日、3月30日、5月9日、5月11日と続いた自民党提言がどの ような帰結を招いたかは今では明らかである。(われわれはこれら提言の問題 点について、「政治の貧困・政策の不在」(3月27日)、「自民党提言の虚像と 実像」(5月18日)の二つの文書で詳細な批判を加えておいた。) 現在においてもなお、国大協は沈黙を守るのみである。それは、国大協執行 部が独立行政法人という制度に対する徹底した批判を行わず、明確な方針を持 たないことの反映である。 また、この間、地方国立大学は、(1)国土の均衡ある発展を計るためには、 地方の国立大学の役割の維持強化が必要であること、(2)各地方の独特な歴史・ 文化・経済・産業等と結びついたユニークな教育・研究の発展が必要であるこ と、(3)戦後50年培ってきた地域社会との提携やそれへの貢献を、法人化の結 果大学同士が悪しき競争原理に翻弄されることによって、後退させるべきでは ないこと、などを繰り返し訴えてきた(5月21日「国立大学の法人化に対する意 見表明」など)。しかし、こうした地方国立大学の見地についても、国大協は まだ真摯でかつ徹底した議論を十分行ってはいない。これは、批判的な理性、 批判的な知性を代表すべき国大協の存在意義が問われる事態であると言わねば ならない。そして今、5月26日の「文部大臣説明」への対応がまさに問われて いるのである。 われわれはまず、国大協に対し、6月総会において次の諸点を明確化するこ とを求めたい。 第一に、「文部大臣説明」を拒否し、1997年10月決議の独法化反対の意思を再 度確認すること 「文部大臣説明」は、従来国大協が批判してきた独立行政法人化の問題点 をなんら解消するものではなく、また、これも国大協が批判してきた 「通則法の枠内での法人化」にすぎないことは明らかである。国大協の 見地を再確認する意味でも、97年決議に沿った見解表明が必要である。 第二に、1999年9月以来の経緯について、その評価を明らかにし、国大協の取 るべき基本的見地を表明すること 国大協執行部がこれまで取ってきた弥縫策が、大学人に多くの疑念を生 じさせ、統一した対応をとることを困難にしてきた。国大協が高等教育 の未来を担う組織であるならば、従来の対応への反省の上に立って、今 後を展望することが必要である。その際、国大協は、全国理学部長会議 (1999年11月9日)、国立一七大学人文系学部長会議(2000年3月13日)、国 立大学農学系学部長会議(2000年6月2日)、各大学・学部教授会の声明な ど、数多くの声明に依拠することが可能である。 第三に、文部省の「調査検討会議」には参加しないこと 国大協が、独立行政法人化問題に関する原則的立場を明らかにしないま まに、文部省傘下の「調査検討会議」に協力することは、これまでの自 らの立場の放棄を意味する。国大協としての主体的判断を明確にせず、 文部省の路線に追随するならば、それは国大協が自らの死を宣告するこ とに等しい。また、個別大学が一本釣りで「調査検討会議」に協力する ことは、大学間の連帯を阻害し、生存競争論への一層の傾斜をもたらす であろう。 第四に、独立行政法人化問題を専門に扱う特別委員会を設置するなど、国大協 内部での検討作業を独自に進め、そのさい設置形態の当否について明確 な分析を明らかにすること 独立行政法人化問題を検討するためには、まず現在国立大学が置かれて いる状況の真摯な分析が必要である。すでに国立学校財務センターの設 置形態に関する国際比較分析、東京大学の経営に関する懇談会の報告、 同設置形態に関する検討会報告、科学技術基本計画による17兆円投資の 実態分析(日本経済新聞連載)など、数多くの素材がある。国大協が総力 をあげて分析を行うならば、ありうべき高等教育の姿を自ら描くことは 可能であろう。また、1970年の「国立大学協会のあり方について」は、 「一般教官に教員委員・専門委員を委嘱してその専門的な意見を活用す る」ことは、「今後さらに拡大すべきだと考えられる」と述べている。 国大協は、問題の検討にあたって、ひろく教員の叡知を結集するための イニシアティヴを取るべきである。 6月国大協総会は、国立大学が真に「自主性、自律性」を有するか否かの決 定的な試金石となる総会である。1970年の国大協総会で承認された「国立大学 協会のあり方について」は、国大協の性格を「自主性をもった各国立大学の連 合体(federation)というべきもの」と述べている。また「国立大学全体として の自治」についても語られている。生存競争の論理に陥り、「選別と淘汰」を 自ら行う愚をおかすのではなく、高等教育全体の発展の見地から国大協の対応 を内外に示すことが、国大協という組織そのものの歴史的責務なのである。 国大協は、政治の介入に振り回されるのではなく、大学の未来そのものが社 会の未来に責任を負うものであることを認識しなければならない。大学改革の 課題は、いまだその緒についたばかりである。文部大臣の「説明」なるものは、 そのはじめから破綻したものであり、高等教育の本質に関わる議論は、いまだ まったく行われていない。 国立大学の独立行政法人化は、大学における教育・研究を産業競争力の強化 という国家の経済戦略の単なる道具に変えてしまうことに他ならない。大学を ナショナル・ミッションの尖兵に再編成しようとするこのような試みを、許す ことがあってはならない。 次世代に対し、また21世紀の社会に対し、ありうべき高等教育を継承してい くことこそが大学人の責任であり、義務である。国大協はこの公共的・歴史的 任務を果たさなければならない。われわれもまたこの作業に積極的に関与する ことを表明するものである。