From reform-admin@ed.niigata-u.ac.jp Thu Jan 6 16:30 JST 2000 Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (cosmos.ed.niigata-u.ac.jp [133.35.176.6]) by sakaki.math.tohoku.ac.jp (8.9.3/3.7W) with ESMTP id QAA08242 for ; Thu, 6 Jan 2000 16:30:33 +0900 (JST) Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (localhost [127.0.0.1]) by cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (8.9.3/3.7W) with ESMTP id PAA03667; Thu, 6 Jan 2000 15:18:28 +0900 (JST) Date: Thu, 6 Jan 2000 15:18:20 +0900 (JST) From: morita@ed.niigata-u.ac.jp (morita) Reply-To: reform@ed.niigata-u.ac.jp Subject: [reform:02523] 池内了氏の訳書「科学者をめざす君たちへ」の訳者あとがき To: reform@ed.niigata-u.ac.jp Message-Id: <200001060618.PAA26591@yahiko.ed.niigata-u.ac.jp> X-ML-Name: reform X-Mail-Count: 02523 X-MLServer: fml [fml 2.2.1]; post only (only members can post) X-ML-Info: If you have a question, send e-mail with the body "# help" (without quotes) to the address reform-ctl@ed.niigata-u.ac.jp; help= X-Mailer: Eudora-J(1.3.4J8) X-Sender: morita@133.35.177.100 Mime-Version: 1.0 Precedence: bulk Lines: 90 Content-Type: text/plain; charset=iso-2022-jp Content-Length: 5597 以下は匿名投稿です。               1月6日 大学改革情報ネットワーク世話人 **** reform の皆様 現在数学の勉強をする学生です.こちらでは,匿名投稿受け付けるとの ことを知り,失礼かとは思いましたが,下記の投稿をさせていただく次第です. よろしくご検討の程お願い申しあげます. *************** 池内了先生(当時阪大)が 1996 年翻訳出版された著書,「科学者をめざす君た ちへ」,米国アカデミー編,化学同人,ISBN 4-7598-0296-7 の訳者あとがき を読み,その先見性にあらためて感服いたしました.当時の状況から変わって しまっている部分もたくさんありますが,今年の年越しにはびったりの文章と 思い,以下勝手ながら転載させていただきます.池内先生もしもこれを読まれ ることあれば了解下さい. 以下転載 1996 年,阪神・淡路大震災,オウム騒動,高速増殖炉「もんじゅ」事故と, 多くの事件が日本で起きた.そのいずれもに,科学あるいは科学者の現状がク ローズアップされた.ここで問題とされた,地震予知研究の内実,安全だと保 障されていた高速道路の倒壊,科学の訓練を受けた若者のマインドコントロー ル,技術の粋を集めたはずの原子炉事故などは,科学や科学者への人びとの不 信を強めることとなった.科学の最前線が日常感覚から遠ざかり,専門家とし ての科学者の傲慢とも言える心情が如実に見えたからである.科学者は,科学 の現状がいかなるものであり,科学の限界と功罪を常に市民に語り続けなけれ ばならないのだとしきりに思う.  しかし残念なことに,大学における科学教育は専門に閉じた知識の切り売り でしかなく,「科学者教育」はいっさいなされていない.その結果が,1995年 の事件で大きく写しだされたともいえる.大学で教鞭をとる者として,私もそ の一人であったと恥ずかしく感じている.  大学でなすべき科学教育は,科学の営みで発見されてきた原理や法則のみな らず,それが如何に技術化され,社会や人々の生活にどのような影響を及ぼし ているかを見抜く眼を養うことであるべきだろう.また科学者教育は,科学や 技術に携わる者がいかなる責任を負っているかの倫理規範を学生たちとともに 考え,科学活動の中で自然に体得して行く機会とすべきだろう.ところが,遅 れて,近代化を進めなければならなかった日本では,もっぱら知識の吸収に努 め,「役に立つ」学問のみに力が注がれた.その結果,科学と技術の区別が曖 昧なまま生産と建設が優先され,真に科学的想像力を養うことが出来なかった. その流れは現代にまでおよび,大学の科学教育・科学者教育が偏ったまま推移 してきたのだ.  この現状を改善することは容易ではない.大学にいる私達自身が,広い眼で 科学や技術をとらえ,あるべき科学者像について考え行動する訓練を受けてい ないからだ.しかし,この現状をただ嘆いていても仕方がない.私達自身が学 びつつ,そして未来を担う若者と対話しつつ,科学と科学者の社会における位 置づけを考えていかなければならないと思う.そんなことを考えながら本書を 翻訳した.  本書は,米国科学アカデミー・米国工学アカデミー・医学研究所が合同して 出版したパンフレットの翻訳で,原題は「科学者であるということ-----研究 における責任ある行動」である.研究現場での倫理規範をまとめたもので,科 学の社会的基礎から説き起こし,実験やデータ使用の実際,出版や成果公開の 意味,文献引用や著者名の扱い方,間違いや不正行為への態度など,科学活動 の内実と起こりうる問題,それへの倫理的態度が具体的に書かれている.あえ て「科学者をめざす君たちへ」と標題を変えたのは,特にこれから研究活動に 入ろうとする若い人達に読んでもらいたいからであり,その指導に当たるシニ アの研究者との対話のタネ本として欲しいからである.  アメリカでこのようなパンフレットが出版されたのは,科学活動における倫 理違反問題が多く起こったため(たとえば,W・ブロード,N・ウェード著, 「背信の科学者達」,R・ベル著,「科学が裁かれるとき」,いずれも化学同 人から翻訳出版されている),広く科学者倫理を論議しようと呼びかける素材 とするためであった.多数の研究者の厳しい競争社会であり,研究費を自ら獲 得しなければ研究が進められず,企業との強い結びつきで研究を行っていると いうアメリカの実態が,倫理違反事件を引き起こした背景にある.そのような 事件が科学をおとしめ,科学の社会的評価を下げ,人びとの科学不信をあおる 役を果たしたのだ.むろん本書では,そのような倫理違反事件だけではなく, 科学者が日常的に遭遇する個々の問題も具体的に書かれており,研究活動とは 「全人格を賭けた行為」であることを強調している.  日本でも,スモンやエイズに代表される薬害,臓器移植や安楽死問題,水俣 病やイタイイタイ病などの公害において科学者の倫理が問われる事件が起こっ ている.しかし,まだ科学そのものをゆるがすほど深刻にはなっていない.研 究者の層の厚さ,研究費配分システム,企業との共同研究体制など,科学者の おかれた状況がアメリカとは異なっているためであろう(表にはでてきにくい 「タテ社会」で,問題を曖昧なままに閉ざしてしまう体質もある).しかし, 「科学技術立国」せいさくのもと,大学院重点化による大学院生の増加,科学 研究費予算の増額,若手研究者の増員,寄付講座など産学協同の進展など,科 学をとりまく環境はこれまでとは質的に変わりつつある.また,大学でもプロ ジェクトのための予算は増加しており,少なくとも基礎科学の貧困状態を脱し つつある.真に科学者倫理が問われる時代を迎えているのだ(これまでは腐敗 が起こるほど金がなかった,というべきであろうか).  むろん,このような変化が生じているためだけでなく,最初に書いたように, 本来の科学者が持つべき視野や倫理観が,現在厳しくとわれていることを科学 者自身が自覚しなければならないと思う.その意味で,本書が広く読まれ,互 いに議論し,責任ある科学活動の指針を打ち立てて行く役が果たせればと念じ ている. ************