From reform-admin@ed.niigata-u.ac.jp Fri Nov 19 19:37 JST 1999 Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (cosmos.ed.niigata-u.ac.jp [133.35.176.6]) by sakaki.math.tohoku.ac.jp (8.8.8/3.7W) with ESMTP id TAA03006 for ; Fri, 19 Nov 1999 19:37:03 +0900 (JST) Received: from cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (localhost [127.0.0.1]) by cosmos.ed.niigata-u.ac.jp (8.9.3/3.7W) with ESMTP id SAA11297; Fri, 19 Nov 1999 18:28:15 +0900 (JST) Date: Fri, 19 Nov 1999 18:20:20 +0900 From: "蔵原清人" Reply-To: reform@ed.niigata-u.ac.jp Subject: [reform:02340] 法人ということの考察 To: "国立大学ML" Message-Id: <005601bf326f$4d09a6a0$1fc05085@kurahara.ccs.kogakuin.ac.jp> X-ML-Name: reform X-Mail-Count: 02340 X-MLServer: fml [fml 2.2.1]; post only (only members can post) X-ML-Info: If you have a question, send e-mail with the body "# help" (without quotes) to the address reform-ctl@ed.niigata-u.ac.jp; help= X-Mailer: Microsoft Outlook Express 4.72.3110.5 X-Priority: 3 X-MSMail-Priority: Normal X-MimeOLE: Produced By Microsoft MimeOLE V4.72.3110.3 Mime-Version: 1.0 Content-Transfer-Encoding: 7bit Precedence: bulk Lines: 112 Content-Type: text/plain; charset="iso-2022-jp" Content-Length: 7581 [02243]の続きです。考察の途中です。個人としての未定稿としてお読みください。 ご意見をお聞かせください。 学校の法人格について 前回の意見で戦後は国公私を問わず学校は法人格をもたずにその設置者が法人格をも つこととなったということを書きました。戦前の私学は学校そのものが法人となるの が本則であったのです。学校を設置する法人が学校を設置することもありましたが、 それは例外とされていました。しかし大正期ごろから文部省の通達で設置者と学校の 責任者(校長)と宛名が区別されるようになります。それが戦後の学校法人を設ける 際に考慮されたのではないかと思います。(以上、拙稿参照) 学校と設置者の区別は教育的にも大きな意味があるように思います。それは学校の責 任者(校長、学長)は教育・研究の推進に専念し、財政などの条件整備は設置者が専 らあたるという分業の考えではなかったかということです。 このことをもっと明確に示すこととしては、学園長というものの設置です。これは法 的な根拠はないのですが、複数の学校を設置している学校法人が、学校の教育研究と その行政を統括する責任者として校長、学長とは別に設けていることがあります。実 態としての機能にはワンマン体制になることが多く、大きな問題がありますが。 教育委員会制度の成立も、条件整備と教育・研究の推進とを区別する考えがあったの であり、それが教育基本法第10条の規定(教育行政は条件整備が任務)になったと いえるのでしょう。ここでいう教育行政とは国や地方公共団体だけでなく、学校法人 の業務を含むべきだと考えます。 ただし私学において実態として、こうした戦後の原則が貫かれているかどうかは大き な問題があります。 ひとつはオーナー私学では理事長と学長が同じ人がなっていることが多いことです。 これは制度上否定されているのではないのですが、個人として理事長としての職務と 学長としての職務を区別していない場合もあり、運営上の問題があります。これがひ どくなればワンマン経営ということになります。 もう一つは早稲田や慶応のように学長がそのまま理事長を兼務するものです。大学に よって総長、塾長などの呼称があります。まだ確認したのではありませんが、これは 戦前の大学自体が法人であったときの方式を受け継いでいるものと考えられます。 また近年、組織の簡素化として、法人の事務体制をなるべく大学の方に移すという傾 向が、特に大きな大学で出ています。これがどういうことを意味するか、まだ判断が ついていません。 今回の国立大学の独立行政法人化は、法人と学校と一体的なものという説明が文部省 によって行われたという報道がありますが、そうであれば戦後の設置者と設置される 学校の区別という原則を否定することになります。この結果は経営的観点と教育・学 問の自由が正面からぶつかって現在の条件の中で最善の解決を見いだすというより、 どうしても経営的観点が優先するような運営に陥る恐れが一層強まるのではないで しょうか。今回の独立行政法人構想が学長などの任免権も文部大臣が握っているとい う制度のもとでは経営的観点が優先することになるのは火を見るより明らかです。な ぜなら業績が上がらなければ廃止すらおこりうるのですから。 文部省筋の発言として、国立大学は授業料や会計の決定権がないが、独立行政法人と なればこれができるといったことをいっているようです。しかし法律上決定権がない のは私学も公立も同様で、国立だけの問題ではありません(寄付行為や条令で運用 上、事実上の決定権をもっているところは多い)。国立(公立も)が私立と違うとこ ろは、寄付を集めるのに制約が大きいこと、卒業生が学校運営の中に制度として位置 付いていないことではないでしょうか。後者は私学では法人の評議員として卒業生か ら選任することが法定されています。しかし国立・公立では卒業生は制度的に関与す ることは認められていません。実態として同窓会はどの学校にもあるのに、国公立の 場合は単なる外郭団体でしかないのです。 わたしは国立大学が法人格をもつということ自体は、否定する必要はないと考えてい ます。しかし現在のような文部省・大蔵省などの干渉から独立するために、法人格を もつということは他の条件整備と相まって意義をもちうると思うのです。法人化を進 めることが当面の課題となるというつもりではないのですが。そして、もちろんいま 議論されている独立行政法人がそのようなものとなるということでは決してありませ ん。これは多くの人が批判している通りです。 これまであまり指摘されていないことですが,法人格をもつ場合の現実的に重大な問 題は、独立行政法人の場合もそうですが、文部官僚の天下り先になるということで す。いまは公務員ですから、定年なども本庁と同一ですが、独立した法人となれば独 自の規定が可能です。特に役員についてはこれまで以上の「豊富な」天下り先が開拓 されることになります。他の省庁と比べて天下り先の少ない、うま味の薄い文部省と してはよだれがでる思いでいるのではないでしょうか。法人化する場合は、これに対 する規制を十分考えておくことが必要です。 こうした前提を踏まえて、将来、もし国立大学に法人格をもたせるとすれば、これま でのわが国の経験からすれば、ありうる形は学校法人しかないといえるのではないで しょうか。学校教育法では学校法人の設立する学校を私立学校ということになってい ますが、学校法人という人格をもっているのですから、果たして私立という呼称が適 当かという問題があります。学校法人は役員を教職員、卒業生、学識経験者の中から 選任することになっています。これは本来の学校の運営のあり方ではないでしょう か。先般設置することとされた国立大学の運営諮問会議はその大学の教職員を排除し ていますが、とんでもないことです。学校法人の規定は非常に柔軟な規定です。その ままでいいかどうかの問題もありますが、たとえば議会(国会、地方議会)で選任し た理事をいれたければ寄付行為で定めれば可能です。 またひとたび、教育のために寄付された財産は、学校法人が解散した場合でも設立者 が任意で配分することはできず、教育の事業のために使用されるべきという制約があ ります。これは非常に重要な規定です。つまり財産目当てに学校法人を解散すること はできないのです。(もっともこれは抜け道がないということではありませんが。) 国立、公立、私立とも学校はすべて学校法人が設置するとし、学校法人について規定 している私立学校法は学校法人法と改称します。国立の学校を一つの法人が設置する ことにするかどうかは、今後検討することとします。公立の場合はとりあえず現在の 教育委員会の単位でいいのではと考えます。 あわせて、財政の問題を改革します。それは法律で決める、人件費を含む基準校費に もとづき、すべての学校に国から財政支出を行うことにすることです。これは教育費 を基本的に無償とする立場で定めます。これに加えて国、地方公共団体などサポート する主体が財政的支援を行うことを妨げません。またそれぞれの学校や法人が寄付を 集めることを否定しないようにします。もちろん財政の公開はいま以上に行われるべ きです。 さらに教職員については、公教育をになう全体の奉仕者であるという意味で、現在と は異なる意味ですが、教育公務員とします。任免権の所在は学校法人としますが安易 な罷免・解雇はできないようにします。戦後改革の中で、私立学校の教職員を含めて の教育公務員構想がありました。教員身分法の制定が考えられていたのです。 いま大事なことは、教育の自由、学問の自由、大学の自治をどう確保するかにありま す。またそれなしには日本の教育と研究は将来にわたって十分な発展を保障すること はできないこと、独立行政法人化ではこれは保障できないことを明かにし、国民にア ピールすることです。独立行政法人化の問題は国立だけの問題ではありません。私学 にとっても直接間接に大きな影響がある問題です。これについては改めて考えてみた いと思います。 ==============================      蔵原清人 (工学院大学) Kurahara@cc.kogakuin.ac.jp ============================== リンク・転載は差し支えありませんが、お知らせください。