「中央教育審議会「今後の教員免許制度の在り方について」(中間報告)に 対する意見募集について (http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2001/011206.htm)」 に対する意見(パブリック・コメント) ・現在の教員免許制度は過去の歴史の教訓をふまえ存在している。その上で、 いわゆる指導力不足教員の分限制度においては、教育委員会経由で不当な政治 的圧力がかかることを排除する仕組が必要と考える。恣意的な決定にならぬよ う、教員側に決定の不服申し立てをする権利などは(一方的努力を強いること になるであろう裁判以前の制度として、不当労働行為に対すると同様)必須で あり、その申し立てを受ける公的な第 3 者機関の設置条項も(県域を越えるも のとして)必要であろう。 なお教員の指導力不足については、過剰な負担が問題をひきおこしている面 もあると考えるので、計画的増員など教員の負担の適正化をあわせて考える必 要があると考える。 ・教員採用に関しては、教える内容を自信をもって教えられることを基本にす るべきで、教育技法の継承の点からも、今以上の「人物本位」の採用は問題と 考える(すでに高校で理数系を本格的に学ばなくてもこれらの教科の免許をと ることが可能である。大学の公開講座でのアンケートでも、生徒から教師の知 識に疑問が寄せられることがある)。教員採用の過程の透明化も必要であろう。 ・研修の評価も政治的管理の具にされる可能性がある。教育委員会の手法次第 では、「優秀教員の評価」も「数学ができるから医学部に」のような不毛な進 路指導を増やすおそれがある。仮にも評価制度が相互啓発を損なうようなこと があってはならない。教師の自発的活動の芽を摘まぬような行政の姿勢こそ欠 けていたのではないか。 ・特別免許にあまりに条件がなさすぎ、長期的には地方の名士の指定席となる 虞はないか。そのことのチェック機能は?(特別免許の有効期限を論ずる以前 に、若手教員の登用を図る自治体の方が健康にも思える。) ・専門性を無視した「総合化」が人減らしの口実にならないか。 ・以上の懸念を払拭するには、地方教育委員会の運営の透明化が必要ではない か。この点に信頼がおけないまま国が指導を強める場合、かえって教育行政に おける地方の自主性を削ぐことになろう。