文部科学省 科学技術・学術政策局 計画官付 評価推進室 「評価指針案」担当御中 「文部科学省における研究及び開発に関する評価指針(草案)」に関する意見募 集(http://www.mext.go.jp/b_menu/public/main_b13.htm#public_old) に対し、 意見を堤出します。 意見 ・研究者の評価活動への貢献を義務にすることで、評価活動自体が優秀な人 材の流出を招く危険を指摘したい。性急な改革が進められる中では、この種の 貢献は納税者への義務よりはある恣意への盲目的貢献になりがちであり、その 不毛さと全体主義的傾向から距離をおきたい欲求は有能な研究者ほど高い。 ・2001 年にスイスの調査機関 IMD により日本の大学が世界 49 ケ国中の最 下位と発表されたが、この評価を行ったのは日本の経済人であった。このよう な優劣を競うことに意味があるか考える必要があるが、その上で日本の水準が 最下位であるか疑問の余地が大であり、これは評価の危険性を端的に示してい る。 このような経済・産業の偏った視点が重視された場合、数学のように 2 千 年余の伝統をもつ学問の存続さえ危機的立場にたたされることは、近くはニュー ジーランドにおいて、遠くは古代ローマにおいて起きたところであり、大いに 強調する必要がある。 評価のありかたが将来的に是正されたとしても、現在の体制では人的不足に より基礎的研究への負の影響が大である。過去数百年にわたり、諸学問は自律 的に研究の価値を定める仕組を模索してきた。国際的な場におけるレフェリー つきの研究発表が常である分野においては、その仕組自体が研究評価にかわる ものである。これは分野ごとにかなり独自のものであるので、新たな評価基準 の下で数値的に換算することは容易でないが、人事などですでに考慮がなされ ている。また、大学においてはすでに各種の評価を自ら行っている。屋上屋を 架すかのような新たな評価活動に人的資源を割くことは大いなる無駄である。 ・以上の対価の上でなお新たに研究評価を行う場合は、評価結果を文書ごと に署名入りで作成することを求めたい。社会に公表される点で、論文のレフェ リーなどと根本的に異なるからである。 多大な時間を費してもなお、評価の結果は評価者の個々の価値観に基く振れ の大きいものになる可能性が大きい。これを匿名とすることで、その評価があ たかも絶対的な内容であるかのように(たとえば予備校などによって)市中をひ とり歩きする危険が大である。分野の異る研究を評価するのは容易なことでな く、適切な評価者にめぐまれないまま評価が繰りかえされることで、評価対象 の理不尽な改廃につながりかねない。文書の責任の所在を明確にし、その価値 を無限定にしないためには署名が必要である。 一方で政策的に支援されている分野については、関係者の甘い評価によって 問題点が温存されることが懸念される。このような場合も、署名入りとするこ とが第三者性を確保することになるだろう。 以上 ---- 長谷川浩司@東北大学大学院理学研究科数学専攻 Koji Hasegawa at Mathematical Institute, Tohoku University, Sendai JAPAN