2001.12.15, Internet debate 第 3 回の要約と感想。(2001.12.20、感想に加筆)

遠山氏は昭和 62 年の大学審答申当時の課長であったとの紹介。

再編統合・法人化・トップ 30が今後の方針というフリップ。

遠山:日本の将来にとって大学の存在が大事、それぞれの大学のが個性かがや く存在になって tax payer の付託に答えるべき。

なぜ日本は教育にお金を出し渋るのか、という 20 歳大学生の意見の紹介。 (ただし読み上げられた箇所は違った)

片山鳥取県知事:自治省から転身、先年県立大学をたちあげ。 3 方針にはすべて×印を掲げ、自主性をうたいつつ今日まで 官僚の管理がつよく定数管理、財政の問題、がはじめにありきで 改革になった点を指摘。

遠山氏:だからそこを変えようというのがこの改革。それで設置基準を はじめに変えたが、大学がなかなか変わろうとしない。

片山氏:だからそこも、官僚が管理するからでは、と。

生駒氏:3 方針にすべて◯。はじめて文科省が抽象的でなく、具体的に トップダウンで方針を示したことを評価。

松尾氏:文科省の統合の方針は多様性を失わせるのではとの趣旨。 また、戦後県にひとつづつ大学をおいた方針は間違いでなく、今後もそう。 しかし交通が便利になったなどを考慮すべきと。そもそも行政区が 県のような細かい単位になってるのが問題。道州制にでもせよ。

遠山:自ら努力する大学にならなくては、地域の支援もないであろう。 地域の拠点をなくそうということではない。マクロで見て、県をこえて、 自主的に考えてみてほしい。

片山:去年地震があったとき、事前に震源地を特定して訓練をしていたの役にたった。 これは地震の研究者が余震のパターンまで情報を提供してくれていたから。 こういう地道な研究を地域でやっていたのが大きい。数あわせで統合再編を 進めるのであれば問題。

遠山:数あわせではない。山梨のワイン、鹿児島の黒豚など、地域と 一体になろうとしている。

意見:(受験生)一様に無個性で私立のようなアピールがない、との意見。

(私:普遍的知識も大事である。)

松尾:中曽根時代から改革がいわれつつ画一化が進んだが、今こそ個性化が進 もうといている。良くみて入ってほしい。

遠山:良いところは多いのに、発信の力がこれまで弱かった。

松尾:最近はいろいろ発信している。

生駒:トップダウンではじめて変わろうとしている。インターネットでも 情報発信すべき。

早川:自主性が大事、についての意見を

片山:そう思う。人事、金、その他で文部省のしばりが強かったから、自主性 も進まなかった(そんなことない、と遠山氏。)

早川氏:次は法人化について。

松尾:法人化というのは言葉がよくない。そもそも独立行政法人の通則法がで たが、作った人に聞くと大学なんて念頭になかったという。もっと裁量権があ る法人化でなくてはならない。長期的には、国が大学をどう位置づけるかかと いうグランドデザインがなくては。その上で国費で維持すべき。

遠山:欧米ではすべて法人格をもっている。その上で自主性をもった改革も可 能になる。法人化について、文部省でも検討していて、松尾氏もそれに入って いる。法人格をもった上で、自主性がある改革が可能になるように、人事や給 与、教員の流動性もあるようにという方針。

生駒:法人化は賛成。ただし大学の経営というとき、企業の経営と混同しては いけない。大学の社会的責任とアカデミックフリーダムとをどう調和させるか が根幹。企業とは違う。今度の法人化で心配なのは、中期目標を大臣が策定し 今までよりも国のコントロールが強くなるのでは。

国から距離をおいたカウンシルをおき、そこから予算がいくようにしては。イ ギリスはそう。

松尾:民間的手法と民間的経営は別。民間的経営を大学にとりこんだら禍根を残す。 経営のみ重視しては危険。

遠山:国の関与が高まるとはとんでもない。中期目標と中期計画の認可は、税 金が投入されるかぎり必要。今より自主性をたかめるよう、中身については文 句をいうはずがない。

効率化は国の財政逼迫の折から考えざるをえないが、それよりは大学の本来達 成すべき教育研究を高度化するため。

片山:遠山さんのいうことはよくわかるし、その通りと思うが、遠山さんの下 にいる官僚組織はコントロールしたい人達の集まり。それに、現在改革を進め ようとしている人達は、もとをただせば国家公務員の定数削減とか、国立大学 の教職員が独立法人化でそうでなくなれば一挙に目標が達成されるのだから、 そこにねらいがある。民営化の話もある、きえたのかもしれないが。

こういう人達が背後にいることが、今回の改革に疑念を生んでいる。さっきの 地震の研究でも、もうかるかといわれたら維持できない。

(まったくそう、と松尾氏)

遠山:ここでいいたいことがある。日本の高等教育への公財政支出は、諸外国 の半分以下である(フリップ)。今や短大をいれると 1000 以上の数がある。私 立も含め、国費でバックアップする必要がある。もちろん効率があがるような 使い方をしていかねくてはならない。

司会:最後にtop 30 について。まず VTRから。

VTR: 競争が過剰になることが心配。「受験戦争をさらにあおる、学部や大学 のブランド化になる(受験生の母)」「大学間の共同研究を阻害する、実際教授 にそう指導された(大学教員)」

「遠山大臣に質問:旧帝大グループに固定化されるのでは。地方大学の若手に どう資金を配分するのか示してほしい。独禁法が必要では。」

早川:こういう心配はない?

遠山:top30 という言葉が独り歩きしている。第三者の評価による配分で、 top 30 は標語にすぎない。

大学の申請ももとづき、文部省から離れた機関がきめる。大学に対する補助は、 すでに科研費がまだ足りないながらもある、他にもあるし、教育関係費をこれ からも増やしていくので、top 30 だけで上から 30 だけ良くするというので ない。審議会で叡知をあつめた議論もしている。

早川:これは必要と思う?

生駒:はじめに大学審で聞いたときは、格付けだとおもった。しかしよくみる とそうでなく、研究大学の定義をここでする。研究大学と教育大学とをわける。

研究環境が日米では雲泥の差。211 億だって、わけるとれでも少ない。これで 研究環境をよくすれば欧米に充分肩をならべることができる。

片山:私も誤解しているといわれるかもしれないが、大学の自主性に委ねるも のでなくては。いわばランキングであり、大学に相いれない。top 30 などと いわないで、大学が各自芽をのばす方向でなくては。そもそも第三者が評価と いうが、評価は実に難しい。結局役所が作った機関が評価することになる。大 学審などが、失礼だが本当に機能しているのか。やめたほうがいい。

遠山:日本でも良い民間の評価機関がないのは問題。アメリカのように、むし ろたくさなりすぎて困るぐらいにならないと。しかしそれができるのを待って いてもいけない。大事なのはうまく運用すること、既存の学問分野でないよう なものをとりあげられ、大きな大学だけでなく地方でも効率で私立でも良い発 想をしているところに焦点をあてるべき。

片山:今のようにいわれると異和感ないのだが、志がよくても、官僚組織がひっ ぱるとはじめと違うところにいってしまう、そういう経験を忘れないでほしい。 情報公開がもっとも足りない。それで評価も、政府の息がかかったところでな いところが育ってくるのを待つべき。それを役所が忙ぎすぎている。

松尾:今情報公開といわれた。役所からでてくるものは大抵驚かないが、top 30 だけは驚いた。すでに再編統合とかでてきていたが。制度設計、どういう 分野をどういう理由でとりあげるのか。審査の基準も明確になってない、審議 中というが。競争に意義はみとめるが、30 には意味がない。シンボリックと いわれるけれども。あとひとつ、将来のことも考えてもらわないと。過去の実 績からいうならうちは強いが、医学でも保健学とか、今はいってないことをど うとりあげていくのか。

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議論の後半

早川:往々にして議論が今ある問題をどうするかになりがちだが、大学が将来 にわたってどういうものであるべきか。将来的展望について議論していきたい。 国立だけでなく私立なども含めて。研究と教育というふたつの機能があるが、 まず研究から。

名古屋の例、VTR

名大理学研究科、宇宙物理研究室。高エネルギー X 線衛星を Nasa と上げて もいる。27 人が狭い研究室にひしめく様子。狭くて細い作業ができない、な ど。助教授田原氏、安全性にも問題がでてくるくらい困っている、と。

ことし名古屋では 2243 人が入学、学部入学 2207 人をはじめて上まわった。 文部省では 10 年前から大学院重点化政策をはじめ、大学院の質と量を向上さ せることをめざしてきた。大学院定員は名古屋では倍になったが、設備がまに あっていない。

学生:実際に見にきてほしい。

遠山:大問題だと思う。こういう状況で大学に期待されても、現場では意気が あがらないだろう。国では緊急整備計画を出して、環境整備を是非整えたいと 思っている。

松尾:野依さんの部屋を見てもらうとよかった。カニのように歩かないといけ ない状況。建物ができるべき 10 分の 1 くらいしかない。これは遠山さんが 悪いんじゃなくて、日本の構造的問題。その中で野依さんも青色ダイオードも でている。

生駒:日本の環境は劣悪。私もアメリカにきたら給料があがるといわれた、こ れでは日本に良い人がのこらない。研究支援の人も用意して雑用をさせない、 研究だけしてもらえるようにしなくては。そしてレストランも良くしたり、ス テータスも必要。日本は経済大国なのにそういう環境がない。

松尾:ニュートリノの研究でも、私が 500 万くらい総長経費をだして、する と看板をかけてやってくれている。教授助教授助手各 1、外国人ふくめ、30 人とかがひしめいている。

早川:なかなか欧米にとどきませんよね。

遠山:大学も構造改革に努力して、tax payer の理解を得られるようにして、 内閣の姿勢も、どちらが先かわからないが、それを見てここで投資をためらわ ずにするべき。企業にもおねがいしたい。諸外国には巨額の寄付をしている。 地方も今は制度的にできないが、できるようにしていくので支援してほしい。

片山:委託研究という形でやっている。政府には、財政の優先順位をかえて、 教育にもっと投資しなくてはいけない。地方でも。名古屋大学のが出たが、高 校でも同じ。ちゃらちゃらした箱物ばかり今まで作ってきた。

tjst(辻下):大臣は国会で、基礎研究を大事にするのは当然というが、自由な 学問の自由を困難にする方向の施策ばかり。どうお考えか。

遠山:基礎研究の大事さはよくわかっているつもり。エキスパートなんてこの 程度では言えないが、若いころ学術行政に関わってきた。その大事さはわかっ ているがその立場からいうと、科研費の拡充などをしていて、その重要性を充 分認識している。自由な研究は権利であるばかりか、国立では義務でさえある と思っている。

松尾:国家の政策として大きなお金をつぎこむことをきめてるが、重点分野を きめてそこにしかいかなにのはダメ。研究には興味が先にたつ。科研費なんか をあげているが、トップダウンだけでなくボトムアップも考えないと。

司会、早川:投資が必要なのはみな同じ意見。

山梨大学の VTR :

今度から成績のよくない人に中途退学をすすめる制度はじまり、成績書をわた す光景。工学部の 4 パーセントが勧告をうけ、来年からは即退学になる。

伊藤洋工学部長:これまでの大学は学歴をさずけただけで、実学をさずけてい なかった。

退学になっても、社会人として一年の経験の後に希望すれば無試験で入学をみ とめる。伊藤:学生と教官に緊張関係がうまれることをねらった。

九大の例: 「21 世紀プログラム」学部の枠をこえて、理系文系をとわず 6 年間のプログラム。どの学部の講義にも出れる。「いいとこどり」「環境問題 も理系で解決の考えだったが、さいごは政治にいきつく」などの声。

九大学長:常に別の分野の人と交流し知恵を集めることがこれから必要。

早川:今大学は二極化しているといわれている。大衆大学では、社会にでて困 らないようにするにはどうすべきか?が問われる。一方ブランド型大学では、 高い知恵を授けることが求められる。将来の日本をひっぱっていく人をどう育 てるかということだと思う。これらに分化していくだろう。

こうしたことを考え、地域の教育サービスをどう提供できるか。

片山:学生の教養がマルバツ式になっていて、低下を本当に感じる。知識が縦 割りになってもいる。鳥取環境大学では、縦割りでない知識を全人格的に授け ることを目標にしている。そういう方向でやってほしい。大学にはぜひ自主的に やってほしいが、大臣の部下のひとたちが一生懸命瑣末なことをいってくる。 鳥取環境大学は私立だが、国立も同じだろう。そのへんから変えてほしい。

遠山:もう、それは、規制緩和をして、自主性を高めようとしているので、 現実にそうなら、変えていかなくてはならない。

片山:現実がそうなんですよ。

松尾:法人格をとったらよくなるだろう、今はなかなか。

生駒:日本の大学の問題は研究より教育。日米の比較では、基礎学力が不足し ている。日本のほうがうまくいってない。大衆化によって、教養教育と専門教 育をわけていく必要もできている。研究大学は研究と教育。教養教育は教養。

教養は、オルテガがすでに 30 年代にそういうことをいっている。これとフン ボルト型大学が両方必要。

松尾:大学も反省していろいろやっている、教育に全力をあげなくては。生駒 さんとは別の意味で、教育と研究をわけることも。ひとりの人が両方できなく てはと思っている。2 極化ともいわれたが、もっとわかれるだろう。資格をと るような教育も必要。

講義はできませんということではだめ。共通教育、教養、よき市民よき会社員 をつくる教育が必要。それで教養研究院というのをつくり、(研究のほうも)数 年それだけできるような高等研究院というのをつくった。

教養は大事。生命科学をメスをもつ人だけにまかせていいのか。医学部、理学 部だけでなく法律や心理も必要。学際でなく融合が必要。

早川:新しい分野をどうつくるか、ということですね。

今は日本にいながらにして世界の大学に接っすることも可能になりつつある。 この辺は?

生駒:流出おおいに結構と思う。グローバルな企業をマネージできる人がいな くて困っている。流出がむしろ今減っているのでは。

片山:社会のほうも今までの採用形式をやっていては、大学が進んで官庁や企 業が遅れるだろうと思っている。

松尾:大学は国際公共財。どんどん人がはいってくるようにしている。しかし どこに住んでもらうのか?企業の社宅をかりたりしているが、地方にも協力し てほしい。

遠山:グローバリズムを恐れずに魅力的にするよう努力してほしい。

意見:大臣に期待する、37 歳男

社会全体から見たとき、魅力があるようなものでないと。研究テーマも 社会の流れにあったものであるべき。卒業証書をとったらおわり、ではなく。

遠山;そうあるべき。やっと大学については、これだけ研究も教育もこうあり たい、といろんな要望のなかオープンに議論され、自覚されつつある。

松尾:遠山さんは政治家としては新米だが、もっと大学の本来的使命について 政治の場で発言してほしい。

早川:今日議論をきいてきて、キーワード的に 3 つあげるとすれば

1 大学としての理念をきちんともつべき、 2 情報の発信、 3 あえていえば、地方色。

育てたい人材や研究分野はなにか発信し、地域の理解を得て、結びつきを深め て独自色をだしていく、こういうことがもとめられてるのでは。

一言づつおねがいします。

遠山:各大学は自らの色をだしてほしい。社会にも学生にも透明性をだして、 行政はそれを支援する良い関係を築きたい。

片山:自身も、長男も国立にお世話になった、あと中学校小学校もいる。次代 をになう人材を育て、上からおしつける改革でなく自主性を重んじたもので活 性化してほしい。

松尾:大学もがんばっているが、大学に経済面ばかり叫ばれているのは困る。 大学本来の使命を、ひとつ大きい声で言ってほしい。

生駒:大学の第一の使命は教育、これを各大学の先生に言ってほしい。それで 優秀な人材を輩出してほしい。

早川:教育の成果は 10 年 20 年後にでる。今舵をきったことでどうなるか、 みなさんの責任は重い。ぜひがんばっていただきたい。

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残念ながらリアルタイムでは見ず、はじめに見たのは NHK による web 上のサ マリーだった。その時点でこれまででは一番落ちついた議論に見えたが、遠山 氏がもっとやりこめられる場面もあったのでは、と推測した。実際はそのよう な場面が一つあった:片山氏が「現実がそうなんですよ」と応じた場面。

その後ビデオを見た感想としては、これまでで最もおちついた議論ではあった ものの、現在の法人化案についての危惧を払拭するものではなかった。たとえ ば学費の問題についても、大臣の答えで安心できるものではないと思った。

片山氏は何度も大学の自主性が大事といい、また役所の主導ではうまくいかな い、背後には経済効率や公務員削減しか眼中にない人たちがいる、と言ってい る。これに対し遠山大臣が、高等教育への日本の公財政支出が少ないことを発 言したが、もちろんそうでなくてはならない。

しかしこのやりとりでは、片山氏自らも元官僚であるだけに、そちらに説得力 が感じられた。

また tjst 氏(辻下氏)の意見が紹介されたが、大臣の答は論点をずらしたもの に感じられた。大臣の経験を聞いているのではなく、すでに独立行政法人化さ れた組織のありようをみるなどにより、制度的にそれが難しくなりつつあるこ とを現場は感じている。

科研費については、文科省が分野分けを学問的な観点でない「大くくり」にし ようとしていることを疑う声がある。

私見だが、たとえば「top 30」の数が 20 とも 10 ともいわれる数に減る見通 しが伝えられる中、この数の中に「すべりこむ」ために短期的・経済的視点が 強要されることがあるのではないか。人員もそちらにシフトせざるを得ず、こ れが繰り返されることで長期的に学問の本質をそこなうのではないかと思う。

(早川氏や松尾氏などのいう「新しい学問分野」も心配である。新しい学問な ど、そうそうあるものではないと思う。そればかりに予算がいき、伝統的分野 の根を失う危険がある。そのように新味を追うことで、国の公共的投資はむし ろ失敗してきたのではなかったか。

すでに大学院重点化の際、いままでにない看板を掲げよとの文部省の指導の下、 「国際」「人間」「総合」などをかかげた大学院ばかりできた。狭い分野の知 識のみですまないことは同感だが、むしろどれにも深くならなくては本物とい えない大変な時代だと思う。軽い言葉が並ぶのは学生の目を惑わすことになり かねない。受験生の人々には申し分けない気がするが、このような看板やきれ いなパンフレットを特色と思うことは危険である。)

生駒氏の提案した大学評議会のようなものは是非必要と思うが、すでに発足し た総合科学技術会議をみると科学者の声は殆ど反映されないように見える。作 るならば、構成員の出身母体をぜひ明文化すべきと思う。

(私はこの点については、中教審についてもそう思うことを投稿文に書いた。 賞をとったような識者とされる人の一言が発言した人が知らないところでどう 扱われるか。これは「ゆとり教育」における理科の時間削減において実際に起っ たようであり、注意が必要である。政府の税制調査会は web 上で中継されて いるようであるが、中教審もこれにならうべきと思う。)

後半、教育の重視を各論者が各様に述べておられた。私の経験では科研費が使 い易くなり、多分野の方との研究会が増えたことで、皆の話し方が一挙に良く なった気がする。この意味でも研究と教育は不可分であり、ただ授業の方法を 指導しても(それも大事な場合があるかもしれないが)ダメだろうと思う。生駒 氏もそういうことを言いたかったわけでないとは思うが。

かつて私が学生だったころに比べると、明かに同僚のどなたも学生を意識して 講義をされていると言ってよいと思うのだが、この点で(かつての講義をきい た世代の経験に基く)社会の認識とはズレがありそうに思う。

また(山梨大の例が良いかどうかともかく)、聞く方にも努力してもらわなくて は...。大学が安易な道に走ることの危険は、マークシート式のセンター試験 を導入したことと片山氏のいう「○×式学生」を生んでいることが無関係でな い如くではないかと思う。

ところで今回は放映時間が延長されていたので、もしや生かもしれないと思っ て投稿したのだが、さすがにそうではなかったようで残念だった。匿名の議論 は安易にながれる気がするので、やはり実名で投稿しなくては、と思ったのだ が、あまりリアルに書くと迷惑をかけることもありうるのでかなり悩むことに なった。

特に「非常勤職員とポスドク(OD と書くべきだったか)」の問題が「30 大学」 その他で改善されるかどうか、について。片山氏指摘のとおり、現在の改革の 背景にあるのは公務員削減と行財政支出の削減の政府方針である。法人化が独 立行政法人制度をベースとする方式で行なわれた場合、公務員削減の枠から逃 れるのは困難であると思われ、本質的だと思う。

すでに定員外の人に(事務系も、教育・研究の人員も)たよっている今の状況が top 30 的重点予算で(人を雇う金として使えば)変わる期待もあるようだが、 この方式がいつまで続くものかわからなくては、長い時間がかかる専門家の育 成は期待できないのではないか。そしてこれが切れたら、そのときまでに育っ た人をどうするかという問題もある。

一方制度として続けば続いたで、これを継続的に受けるためには、おそらく財 務当局にも納得させるような短期的効果を求められるのではないか、そしてそ れが継続的にだせるものかが心配である。

長期的には、国体とスポーツの関係に似てくるのではないかと思う:国体をや るためにスポーツ振興を(そのときだけ)するような関係として、予算をとるた めに研究するのか、研究のために予算をとるのかわからないような関係を危惧 する。

(このようなことは、当然立つべき建物を立てるために、数値的目標を毎年様々 にクリアしなくてはいけないなど、これまでもあるように聞く。)

(とりあえず)最後に、片山氏と遠山氏にあった議論の関連から。東北大学の阿 部総長が、スピーチで「第二次科学技術計画の中で、教育予算を増やすべきと いう文章をいれる主張をしたがなかなか入れてもらえない、どうも文科省の担 当者が他省庁に教育関係を触られたくなくて書きたくないらしいので電話し、 どうしてもご迷惑ですか、と聞いた。その後このことを遠山大臣に直接言うと びっくりされていた。」という趣旨の発言をされたことがある(6 月 30 日、 日本カリキュラム学会レセプション)。大臣がその後どういう対応をされたか 私は興味があるが、これはあまり書かない方が良いことがらだろうか?

(以上、2001.12.17、12.20 一部修正)

--------------------------------------- 以下# 2001.12.20 の加筆

3 回の中では落ち着いた議論だった、と書いたものの異和感があった。数日 を経ても、やはり大臣の発言はこれまでの経緯をふまえた誠意あるものとは言 えないものを感じる。たとえば国際的にも大学が法人格をもつのが当然、とい われるが、現在の法人化の問題点は法人格をもつことそのものにはない。この 法人化が、諸外国で例をみないような、制度的独立性が乏しいものであること が問題である。そして財政的な問題がもちろんある。これでは国立大学にとっ て全くメリットがない、と 阿部東北大学総長も述べ、職員組合の懸念がそのまま国立大学学長多数の 懸念である旨述べられている。(2001.12.5)

法人格をもつことと政府の教育への財政支援とは分けて考えるべき話である。 しかし益川京大教授(ノーベル物理学賞候補といわれる)が嘆いていたように、 これからの高等教育に国としてどれだけ投資すべきかの議論は行なわれていな い。数十万の教員・学生・組織を動かすのに基礎的財政も不確実な議論をして いるのは(これも益川先生の表現だが)科学的でもないし、まずフェアでない。 これでは大学が一方的に不利な立場であり、あれもこれもやります、と官僚の さじ加減に一喜一憂することになる。特に地方国立大学がなし崩し的に再編統 合にさらされようとしている。少なくとも、数年前の介護保健制度の議論に近 い国民的議論がなされるべきではないだろうか。

(なおこの経緯で、小泉氏の「米百俵」発言がまったく本来の趣旨とは逆の内 容であることが明かになったと思う。虚言というべきであり見逃せない。)

BS の議論に戻ると、出席者のうち生駒氏の発言にも問題を感ずる点がある。 「大学の先生は好きなんだからほっといても研究はする、大学の本分は教育で あり研究でない、」という趣旨のことを述べられていた。しかし、大学でしか できない研究は文系理系を問わず多い。また、研究は企業でやるという態度が ありありと見えたが、企業で数学者が組織的に純粋数学を研究するのは想像し にくいことである。文系の分野についてはもちろんのこと、大学が単なる教育 機関でないことに視聴者の目を閉ざさせる危険がある。もちろん氏が本気でそ う思うのであれば論外である。

ところで NHK も今度の行政改革の棚にのせられた組織のひとつだった。19 日 の報道によると現状維持で今後の検討課題のひとつとする、ということだった ようである。思うに、NHK が独立行政法人あるいは民営化されるとなったら、 今回大学改革を扱ったインターネット・ディベイトの規模ではすまない議論を おこすのではないだろうか。(デジタルハイビジョンの宣伝番組などをみると、 今でもそうなのかもしれない。)

その一方では、数合せ的改革でロケット開発さえも先行きが危ぶまれており、 日本育英会も事業を縮小する方向のようである。あまりにも将来に夢が感じら れない。報道機関はもっと他に伝えるべきことはあるのではないか、というの は最近思うことのひとつである。(参考)

特に小泉氏の改革は、結果として天下りのポストを増やしつつ育英会など国民 に必要な事業をむしろ縮小するものに思われ(私はとくに育英会の職員の給与 水準も知らないので、それが不合理に高いならば問題と思う。)、この改革は 国民の多数にとっては自分で自分の首をしめている図ではないかと見えてくる。

小泉氏の純粋かもしれない発想が国民の理想に訴える面を否定はしないが、そ の結果おきている信用収縮でむしろ健全な企業が整理されつつあるともいわれ る。大学にもこれはあてはまるだろう。「民間でできることは民間で」の方針 下に遠山大臣もいる。大学や学問は民間的手法でやるべきものか?(ここで発 掘捏造の問題も記憶に新しい。)国民は大学をすべて国立でなくすることが何 を意味するか理解しているか?

すべての面で小泉氏が自身の理想を貫き、国民もそれを支持するならば、日本 の将来を待つのはニュージー ランドがすでに経験した社会システムの荒廃であろう。かの国の場合は油 田開発への政府投資が回収できなかったことによる外債の重荷が原因だったよ うだが、日本の現在はこの点で状況が異なる。国民が広く支持する中で多数の 利益に反するような政策が行なわれるのは、滑稽あるいは悲劇である。

公共事業を礼賛するつもりはない。財政・金融政策の誤りによる極端な緊縮で、 将来伸びる芽が逆に摘まれることが問題である。そして単純な競争の結果、 「勝ち組」「負け組」の選別が世代を越えて固定化するだろうことを悲しく思 う。教育の機会均等の精神を奨学金や教育への支援として定着させなくては、 日本の数十年後の人は育たず、階級的な社会へ退化するのではないだろうか。 小泉氏をはじめとする政界リーダーがおしなべて 2 世・3 世議員であること や、東大進学者の親の年収が 1000 万を越えているなどのデータも、このよう な固定化が上から進行していることを示すように思う。

参考:19 日の日経で、実質的に東大法学部出身者のみが占める官界が批判さ れていた。日本でもまれに見る閉鎖的人事とも。彼らに法学以外の専門的技能 を期待できない結果が、大学改革にも経済失政にも現れているのではないかと 私も思う。とくに理系の知識のある人々が徹底的に不足していると思う。

それが政策にも貧困をまねき、単純な競争しか唱えられないことにつながるの ではないか?東大の類別が見直されるらしいが、官庁もぜひ法学部以外の人材 を採用してほしい。とくにドクター程度を持ち普遍的観点をもった人をとって いただきたいと思う。(とくに文科省には望みたい。)

話が少し横にそれたついでに、新聞について。本郷美則「新聞があぶない」 (文春新書、2000年)によれば、たとえばある大新聞は財務諸表を公開しておら ず、背景の資本構成が不透明であるという。その社主は新聞の再版価格擁護の 論陣を張るのに熱心である一方、国立大学民営化論を政府の規制緩和会議でと なえてもいた。これらに関係があるかどうかは興味ある話題だと思う。