朝日新聞 11 月 30 日朝刊 13 面「私の視点」 文化振興 基本法案に強まる危惧 渡辺通弘 (昭和音楽大学音楽芸術運営学科長、元文化庁文化部長) 私は、人の精神にかかわる芸術や文化についての立法には細心の注意が必要で あり、充分な議論を経ないと後に禍根を残す、と主張してきた。22 日に衆院 で可決され、30 日には参院で採決される文化芸術振興基本法案を読んで、改 めて危惧の念を強めている。法案についての疑問はいくつもあるが、とくに懸 念される三つの点を指摘したい。 まず第一は、文化芸術を「国民共通のよりどころ」ととらえ「文化的な伝統を 尊重する心を育てるものである」とし、さらに「我が国の文化芸術を総合的に 世界に発信」し、外国人に対する日本語教育を強化することをうたったこの法 律が、時代にそぐわない文化ナショナリズムを助長するおそれはないかという ことである。芸術や文化を通して異文化理解を促進していくことは大切である が、法律の背景に見え隠れする自国文化中心主義が気にかかる。 第二は、法案が「心豊かな活力ある社会を形成」することなどを、「今後にお いても変わることのない」文化や芸術の役割としていることである。芸術や文 化にそうした役割があることを否定はしないが、問題は、芸術の第一義的役割 は創造であり、しかも創造は新たなものを作り出す過程で、しばしば社会の決 めごとや既存の価値を否定する宿命にあることである。時にはこの法案でいう ような役割に反することも、当然のこととして起きうる。 そうした芸術創造の本質を明確にせず、差し障りのない役割だけを列挙するこ と自体が、芸術活動をゆがめることになるのではなかろうか。 集団の特質として当然に尊重されるべき文化と、それを批判し、革新する機能 をもつ芸術という、異った二つの概念を、文化芸術としてひとからげに扱うこ とにも、厳密を期すべき法文としては疑問がある。 ユネスコが 96 年に出版した「国連 文化と開発の 10 年」の報告書は「文化 政策についての最大の問題点は、資源の不足でも、コミットメントの不足でも ない。それはむしろ、政策の目的である文化そのものについての、意味のとり 違え、あるいはつまみ食い的な公式化と理解にある」という、オーストリアの 文化政策専門家コリン・メルサーの文章を引用しているが、我々は、今こそこ の言葉をじっくりとかみしめるべきであろう。 第三は、世界の文化政策が、国家中心のフランス型から、地域分権化、民間中 心のアメリカ型へと動いている中での、国の主導による振興政策を打ち出した ことに対する是非についてである。法案に寄付金への税制上の優遇策が盛り込 まれた点は評価できるが、地域、市民、NPO、ボランティアなどが時代の流れ を決めるであろうと言われている 21 世紀に、国の定める振興策に基く振興策 といった、今や世界的に否定された計画経済を思わせるを思わせる古いアプロー チを芸術文化にもちこむことが、果たして時代に沿った芸術を生む助けになる のだろうか。 多くの疑問が解消しないまま文化芸術振興基本法が成立しようという今となっ ては、せめてこれが、芸術文化政策のありかたについての国民的な議論のきっ かけになるこを願うばかりりである。