朝日新聞 11 月 21 日朝刊 15 面「私の視点」 文化振興 基本法案に期待できるか 中村 稔 (詩人、日本近代文学館理事長、弁護士) 先日、全国の主要な文学館、文学者の記念館の連合組織である全国文学館協議 会の会合が山口で開かれ、各地から、自治体の財政難等のため予算が年々削減 されて苦労しているといった報告が相次いだ。 中でも、約 35 年の歴史と実績をもつ東京都近代文学博物館の学芸担当者から は、来年 3 月の都議会の議決を経なければならないが、東京都教育委員会が 同博物館の閉鎖を決定、収集した資料の処分などに悩んでいる状況について、 痛切な報告がされた。参加者の多くが明日はわが身かという思いに沈んでいる とき、文化芸術振興基本法案が国会に上程され、すんなり成立する見込みだと いう知らせを聞いた。会合の積で尋ねたところでは、この法案について聞いた という者は一人もいなかった。 日本近代文学館はもとより、日本文芸家境界の高井有一理事長をはじめとする 同協会の関係者も、私の知る限りの文学者の誰もがこの法案は寝耳に水であっ た。私自身は去る 11 月 14 日付本誌(東京本社)の記事で、民主党と与党 3 党の共同でこの法案が国会に堤出される運びになったことを知ったが、法案の 条文を入手したのは翌日であった。 他の芸術、芸能の分野の団体はあるいは意見を求められたかもしれないが、芸 術にかかわる多くの識者の意見をひろく求めるということではなかったようで ある。 「文化芸術が人間に多くの恵沢をもたらすものであることにかんがみ、文化芸 術の振興に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明かに する」といった、この法案の目的に異論のあろうはずもない。しかし、経営難 から美術館が次々に閉鎖され、文学館についても同様の状況にある現在、はた して、この法案に何が期待できるか、私は強い疑問を持っている。 この法案はひとつには総花的である。「文化芸術」という新語で表現している のは、文学、音楽、美術、写真、演劇、舞踊その他の芸術にはじまり、漫画、 アニメーション等のメディア芸術、歌舞伎等の伝統芸能、講談、落語、漫才、 さらに生活文化という茶道、華道、書道、囲碁、将棋等の国民的娯楽並びに出 版物、レコード等のすべてをいうらしい。これらを網羅的に挙げ、その振興の 施策の基本となる事項を定めるというのだが、要するに美辞麗句を連ねただけ のことで、具体的に施策の方向性が示されているわけではない。 ことを文学に限れば第 8 条に、国は、文学、音楽等の「振興を図るため、こ れらの芸術の公演、展示等への支援、芸術祭等の開催その他の必要な施策を講 ずるものとする」とあるのだが、音楽などと違い、文学は公演・展示されるも のではない。こうした表現だけをみてもこの法案は拙速、杜撰ではないか。 第 17 条に「国は、芸術家等の養成及び文化芸術に関する調査研究の充実を図 るため、文化芸術に係る大学その他の教育研究機関等の整備その他の必要な施 策を講ずるものとする」というが、各私立大学で文学部の廃止、統合が急速に 進んでいる現状からみると、時代錯誤の感を免れない。 第 26 条には、「国は、美術館、博物館、図書館等の充実を図るため、これら の施設に関し」施設の整備、展示等への支援、芸術家等の配置等への支援など の「施策を講ずるものとする」という。文学館に触れていないことはともかく、 先にあげたような厳しい現状からいうと、私にはこの法案はたんなる作文の、 夢物語としか思えない。