独法化に異議あり 自由な大学を奪うな 7.16 緊急講演集会 (18:00-20:00, 東北大学川内キャンパス) 司会 2000年 11 月から危機感を覚えて活動してきた。有朋寮にも新寮なき廃寮決定 がおしよせている(配布資料)。今日は独法化阻止ネットの豊島先生(佐賀大学) にきていただいた。 18:16 豊島 ネットの世話人には文系の人がいない。私も原子核物理。独法化問題は教育基 本法など法的問題も大きいのだが。 今回の問題は 96 年ころ始まった話。長丁場でちょっと疲れてしまう。 話としては、 70 年の「大学管理法」と同種のものだし、それ以前にもいろい ろあった。このときは大学紛争を解決するためとして、文部大臣が学長に勧告 を行うことができる、一時閉鎖や廃校も可、などの内容。 今回は中期目標を大臣が定め、業務の指示をする。もっと強力。目標は抽象的 で何でもよく、たとえば日の丸・君が代を教室に掲げることも目標になりうる。 70 年のときすら大変な騒ぎだったが、今回は紛争も何も関係ない。もっと反 対すべき。大学の構成員としては、昔は(そして国際的にも)学生も数えられる べき存在。実際 70 年の法案でも文部省案では(最後には没になったが)学生が 「全学連絡協議会」の構成員と明記されていた。 管理法以上に、戦時中の大政翼賛会とも似ている。私の父親が言うには、当時 はそれが「新体制」といわれ、反対者には古い頭の人間には理解できないとい う言葉が用意された。歴史の繰り返しかもしれないが、誤ちを繰り返すことは ない。 時系列で見ておこう。(資料) 1997 小渕氏が公務員の 25 パーセント削減案を発表。 1997.10 文部省は国立大学の独法化反対を表明。いろいろな大学からも。 1999.9 文部省「特例法」なら良いと「検討の方向」を発表。 1999.11 野依氏(名大理学部長)らが理学部長会議としての反対を表明 2000.5 国大協「調査検討会議」を設置 2000.6.14 蓮實国大協会長、検討開始の記者会見。 2001.6.14 高等教育局長、国大協で脅し発言。遠山プランに「トップ 30」計画 現行制度との比較(週間金曜日の編集長に直談判して出させた)では、 中期目標(大臣が決める!) 評議会の議決権の有無 役所による評価 改廃も可能(現在は文部省所轄のものは国立大学設置法できまっていて、国会 でしかできない) このように、法人化後は役所の権限が強くなる。省庁再編のドサクサで削除さ れてしまったが、旧文部省設置法第 6 条では権限の行使は法律に基くものと された。法治国家である以上あたりまえの話なのだが、実際は行政指導が陰に 陽に行なわれ、こうしてくれないと建物は建てないなどの圧力が加えられる。 そもそも戦前のそのような役所の支配を反省して、教育基本法 10 条でも教育 は「不当な支配に服さず(直接国民に...)」としている。「不当」云々は「ダ メなことはやってはいけない」的なトートロジーだが、そこまで念を押す必要 があるということで、行政の限界を定めるものと解釈するのが普通。 税金を使っている以上会計が適正か、などの国の管理は当然だが、それは会計 検査という事務上のことでまったく別の話。 しかしなぜ反対がおきないのだろうか?重大事という認識がないのではないか。 「競争のため止むを得ない」という新自由主義にふり回されている。それにそ れだけでない、国家統制は競争より悪い。 「教育基本法を守れ」も口だけではダメ。私は関連する本がでると著者に必ず 手紙を書いて大学の問題に理解を訴えている。 現在は文科省が色々な形で教員を脅していて声を上げにくい。声を上げにくい のは学者の悪しき職業病である。何でも説明したがる習性があると、つい必然 的でしょうがないと見てしまうところがある。この点については、ベトナム戦 争当時のことを書いた本 加藤周一「私にとっての 21 世紀」 を読むべき。そこにはベトナム戦争がいかに「必然」であるかアメリカの学者 が説明した様子が記されている。決定論的見方をするのはよろしくない。 中高年へのテレビの悪影響もあるかもしれない。水戸黄門。これは「権力は究 極には善だ」の暗示を与えるが、この権力観は欧米と根本的に違う。最近は 「ショムニ」のように無能な管理者を罵倒する番組もあるから、これからは変 わるかもしれないが。 こういう話でいうと、「この大学の生き残りのために仕方ない」も良くない。 これは忠臣蔵パターン。中公新書の喜多村氏(私学協会)の近著にあるように、 「大学が形だけ残っても意味がない」。首尾一貫した態度で望むべきである。 統合失調的な傾向の人が多い。 ではどうすべきか、といえば、30 年前の文部省案にあったように、学生や市 民の声を上からでなくとりいれるべきであろう。 そしてガッツが大事である。この点では、イギリスの核廃絶運動のグループが 参考になる。ある核開発研究の施設に 7 時すぎに忍び込み、研究用のコンピュー タを 3 時間かけて海中に捨て、その後に自ら警察に連絡して逮捕・起訴され た。しかし裁判では、そこに核施設があったことが違法とされてこの行為は違 法状態を適正化するもので無罪との判断がなされた。 その後、この一件は「第 2 のノーベル賞」といわれ、ノーベル賞の翌日に同 じ場所で授賞式が行われる「right livelihood award」を授賞している。見習 いたい。 (19:00) 司会 質疑はあとにして、次は長谷川先生です。 長谷川 資料をもって来てなくてすいませんが、ホームページに色々おいてあります。 http://www/math.tohoku.ac.jp/~kojihas で、数学科のページから辿れます。 講義にでている人もいるかもしれませんが、現在「数学セミナー」で連載をやっ ている他、「算数ができない大学生」に文章を書いたり、最近は「東北大学理 学部物語」(高校生むけパンフ)にも関りました。 まず髪の話から。アメリカに一年いた間に長くなったが、帰ってくると、ゆと り教育やら大学の法人化やら、次次ととんでもない話になっている。伸ばして いると理由をきかれ、話題を振るのに丁度よかったのでそのままにしていたら、 ひどくなる一方なので切れなくなってしまった。 そもそも独法化は、話が出た当初から西澤元総長の「条件が悪すぎる」(NHK BS での発言)をはじめ、先程の野依先生のまとめた理学部や農学部などからの 反対が相次いでた。豊島先生のお話のとおり、教育基本法 10 条にとくに関わ ると思うのだが、以下では即物的な面を中心に話をします。 私の場合、「ゆとり教育」の一件で文部省に決定的に不信感を持つようになっ た。これは教師の待遇改善のため土曜を休日にする話をお金をかけずにやるこ と、そして一時アメリカではやった「真理は子どもに見つけさせる」が複合し てできている。それで算数の時間が折り紙だけで終わったりする授業になった り、損をするのは子ども達である。親の年収が子どもの教育に直接関係してく る。寺脇氏はそれを、「アルファベットもわかんない子がいるんだから、難し いことやってもいけない」などと言って正当化してしまう。人をバカにしてる と思う。 私が 98 年に出たある会議では、高校の数学も微積分と行列のどちらかを止め ないといけないかもしれないと聞き衝撃をうけた。理系の人なら、これが何を 意味するかわかってもらえると思う。要するに大学の教育が意味をなさなくな るし、前後して教養部も行政指導で廃止されていた。 教養の廃止は大学院重点化とセットだった話で、これからは高度な研究が大事 だといわれて大学院の教育が大学の先生の仕事とされた。それまでと違い、院 生の数に対して予算がくる。先生の数は増えないから仕事が増えて研究の時間 が減り、院生の定員もバブルの時期にきまったので多めに設定されている。理 系だと修士卒はまだ就職があるが、博士になると研究職以外はかなり狭くなり、 その研究職も減りつつある。人生を左右してしまうから、こちらとしても慎重 にしたいのだが、定員を数値目標にされてしまう。数学科の場合、本代で 3000 万程度が必要で、どれを買わないですますかが問題となっている。また 保管場所も少なく、やがて本を捨てる相談をしないといけなくなるだろう。 数学科の場合、あるべき部屋の 6 割しかないのが実情。場所の問題は学生さ んにも大問題で、とくに実験系の場合は実験室が危険な状態になっているので はないか。これも改善できるかが学生数で決まるので、そういう下心で学生を 教えることになりかねない。さらに、最近聞いた話では、法人化後はこれまで の「改革」で不足になっている部分については「もう考慮しない」のだとか。 ひどすぎる。 このようなことの背景として、国の予算のありかたを考える必要がある。大学 関係の国の投資額は、GDP 比で考えると日本は欧米の半分でしかない。これは 有馬元文部大臣が国会でも言ったし、もっと前に東北大学の外部評価に来たと きも言っていた。そのときは学生さんや助手を集めて有馬氏などが話を聞き、 どこも実験室が危険とか狭いとか人が足りないとか苦情を述べると、最後に先 生説教をはじめてしまった。聞いていて「一億人で支えられる限界はどれ位か」 と思い質問したら、倍は投資されてしかるべきとのことだった。しかしなかな かそうならない。建物も問題だが、一番の問題は人を増やすことである。大学 の先生が増えれば研究者をめざす人の目標にもなるだろう。学費だって本当は 安くできる。今の学費は充分高いが、それは国立大学の予算の 1 割にもなら ない。中曽根時代に「私立との格差をなくす」ため毎年倍倍に上げられて、今 のようになっている。奨学金のローン化もひどい。 じつは大学に限らず、日本の公務員の数だってアメリカと人口比で比べても少 ない。このこともあまり知られていない。 法人化でさらに問題なのは、中期目標などで常に成果を要求されること。5 年 ごとに出さないといけないが、5 年という期間はすでにあるものをより良くす ること位しかできないだろう。未知の課題などやっていられない。そして結果 は評価される。しかし最先端の研究なんて同じ分野の人が見ないとなかなか判 らないから、誰が評価をするのかということになる。たまたま理解してくれる 人がいたかどうかで、大きく内容が変わる。その結果次第では廃止さえありう るから、たまったものでない。イギリスではじめたところ、国体のように有名 な人が評価の年にあたった大学を渡り歩くようになったとか。これが何回も何 回も続くと、現在の国体が儀式的になってるように、50 年後には大学の存在 自体が意義を失うのではないかと心配である。 京大で法人化対策の勉強会があったときも、文系の先生が「語学教育などを宣 伝しないとやっていけなくなるし、研究どころでない。そもそも学生を集める と近くの私立はやっていけなくなるだろう」などと言っていた。大学の数も教 育機会を保証する点からは決して多すぎるわけでないし、京大ですら(先生の 業績とかの問題でなく、運営上の問題で)苦境に立つのではやはり政策が間違 いだろう。 こういうことになるのも、大学のことを大学で決められなくなっているから。 昔から教育関係に発言力を持っているのは、文部省と中教審、そして自民党の 文教族、あと無視できないのが経団連とか日経連とかの経済団体。経済団体が いいかげんといえばいいかげんな事を言って、森前首相とかの文教族がそれを 問題にして、どう委員を選ぶのかも不透明な中教審で方針を決める。 産業をまったく無視することはできないと思うが(とくに今のように不況では)、 現在のやり方では産業のためにすら良くない。例えば数年前、原田という代議 士が「今の大学では、半導体が大事だからといっても一丸となってそちらをや るようにできない」などと述べられていた。たしかに半導体が大事かもしれな いが、それだけやっていたら「半導体不況」では余計困るだろう。アブナイ話 すぎる。親分の加藤鉱一氏などはもうちょっとましだったかもしれないが。 最近は大学が何でも悪いようにいわれるが、現在の不況も橋本改革で国民負担 増がどうなるか、単純な足し算をしなかったからともいわれている。こういう ことを良く見ないといけない。受益者負担で学費が高くなってしまっているが、 受益者負担というなら企業が大学にもっと寄付してしかるべきだ。 研究は上から音頭をとってやれるほど単純な世界ではない。成果があがって役 にたつものも出ればそれに越したことはないが、良い研究ほど純粋な好奇心で はじまるものだと思う。「役に立つものをやれ」なんて、とんでもない話。大 体不思議だと思うことをやるうちに、できてみたらすごいものになる方が、は じめから目標をきめて出た成果よりすごい。役に立つつもりで研究したわけで ない 200 年前、300 年前の数学が携帯電話に使われる。そもそも世界を理解 しうる、という普遍的世界観を形づくる研究が大学の研究であろう。 どうすべきか。フランスのように、委員の出身母体を明確にした中教審にかわ る委員会や、学術会議の独立性を高めるなどがどうしても必要だと思う。フラ ンスの中央教育委員会の場合、産業界の代表も入るが先生が多数を占めるし、 学生の代表も入る。教壇に立ったことのない人が言う教育論は信用できないし、 研究についてもそう。大学は真理探求の喜びをともに感じられる場でなくては ならない。研究上の競争は日常すでにあるが、これが切磋琢磨でなく単に他人 を蹴落すようではやる人は居なくなるだろう。なお、分野が特殊かもしれない がアメリカのバイオ関連の予算をどう配分しているかについて、NIH の制度を 紹介した白楽ロックビルという先生の本がある。これは大変な手間をかけてい て、一長一短があるが、研究者たちが自主的かつ民主的に運営しているようで、 日本のトップ 30 などとは全く違う世界である。研究者をめざす人がいれば参 考になるかもしれない。 学生参加という点では、いきなり国の政策に何か言えといわれても困ると思う ので、自治の精神が日頃から大事だろう。寮の問題については不勉強ですが、 そういう意味で個人的には同情的に思っています。 19:30 質疑 「これからどうすべきか」 長谷川 最終的には国会で決まる話。それまでに有事法制や個人情報の話のよ うに盛りあがればいいが、野党の民主党も困った党で、大学のことを担当して いるのは NTT の研究所にいた人で、なんでもアメリカのようにやれという。 メデイアには私も、日本評論社の「法学セミナー」で特集を組んでもらうよう に頼んでいるが、有事法制で忙しくなって後まわしになっている。NHK の早川 解説委員によれば、速くしないと法案はどんどんできていき、秋には法制局と の詰めの作業になってしまうかもしれない。難しいが、国会でどういう議論に なるかだと思う。有事法制や個人情報の件のように議論しなくてはいけない。 豊島 ぜひ回りの人にも話をして、話題にすることです。そして関心がある人は、 たとえば漫画が書ける人はヒトコマで風刺したりして、ぜひ手伝ってほしい。 「なぜ法学の人などは声をあげないのか」 (豊島先生の答あり、失念。ロースクールで忙しかったり、あるいは政策に参 加して嬉しかったりの人もいるかもしれないと想像した。)