なんでもなんでも2なんでも3HTMLの書き方利用上の注意ホーム

様々な知識を持っている人達が出会える場について

黒木 玄

1998年11月3日のオリジナルの記事


この機会に、私自身の数学者としての経歴には決して役に立たないこのような活動に、自分自身の才能を儀牲にして、これだけのコストをどうして私自身が払う気になれるかについて説明したいと思います。これは、特に私の親しい友人達には知っておいて欲しいことだし、そうでない人達にとっても興味あることだと思います。

このことに関して、私にとって特に重要な経験は2つあります。1つは「川渡セミナー」であり、もう1つは「学内電子掲示板」です。

私が大学に入学した頃(その当時は教養部というのがあって、教養部留年というのがあった)、生意気ざかりの私はその授業のつまらなさに驚いたものです。しかし、 1対50とか1対100ではなく、 1対1に近い形で教官と対話するとその話は途端に面白くなるのです。そういう面白い話ができる人物をたくさんかかえこんでおきながら、その内部で活発に交流が行なわれている気配は薄く、大学ってこんなんで良いのかな、こんなんで university と呼んで良いのかな、と感じたものです。

そういう状況において学生が取れる自衛策の1つは、主に科学系の教官を何人か山奥(川渡セミナーセンター)に連れ込んで、逃げられない状態にし、色々な話を聞き出すという企画でした。それは「川渡セミナー」と呼ばれており、そのような企画を大学の教官達はほとんど全面的に支持し、手弁当で忙しい身に鞭打って山奥に拉致されにやって来たものです。そのような有意義な企画を、私が大学1年生のときからやって下さる先輩方に恵まれ、私の学生時代は大変幸福でした。そこで学んだことは、自分の知識が全く欠けている分野の話を聞くためにはどのように頭を働かせれば良いかということと、実際にそうすることの楽しさです。 (その後、自分自身で企画する側にもまわったのですが、段々、そのような企画に自分自身の手間と情熱をかけることが好きな学生の人脈が切れてしまい、今では行なわれていない。非常に残念なことです。) 現在、そういう企画を学生の誰かがやるなら、私も拉致される側に喜んで立つことでしょう。

その後、大学院生になった頃に、学内のコンピューター・ネットワークが整備され始め、誰でも自由に使える電子掲示板がそこに存在していることに気付きました。それは非常に面白いコミュニティーであり、私はそこにどっぷりはまり込むことになるわけです。そこで気付いたことは、雑談の重要性です。雑談ができないところには、面白い話をしてやろうと考える人は集まって来ません。そこに集まっている人達が個性的で過激で知識を持っていれば、自然に刺激的で面白い話が聞けるものです。さらに、学内掲示板が成功したもう1つの要因は、それがちょうど良い具合に開かれかつ閉じた世界になっていたことです。 (厳密にではなくゆるやかに「学内向け」という位置付けになっていて、ユーザー登録時に自分の実名と所属を正しく入力することが要求される。) 必ずしも完全にオープンな世界が良いわけではないということを私はそこで学びました。むしろ、面白い人物がそれを発見できるだけ十分に開かれており、かつ、目的に応じて必要なだけ閉じている空間をどのように作るかが問題なのです。

以上のような経験のもとで、様々な知識を持っている人達の話を個人的に聞けるという企画について、私はよく考えるようになりました。自分でやってみたいと感じるだけでなく、他人がそのようなことをやっていれば、当然それにも興味を持つのです。

さて、ここで私がやっている活動ですが、いかがでしょうか?

私が思うに、コンピューター・ネットワークを利用したコミュニケーションに関して、我々の全てが経験不足なのです。将来のネットワーク利用者のために、そのような経験不足の穴を埋めるための実験を今後も続けて行く必要があります。そして、そのような実験の一部を、すでにネットワーク設備にかなりの公的予算が投入されている大学が担うことは、理に適っています。しかし、そうだとしても、大学内で誰がそれをやるのでしょうか? 「やりたい人がやり、それを大学当局は邪魔をしない」以外の形式はあるでしょうか? 将来、様々な分野の交流の場をコンピューター・ネットワーク上で広げて行くためには何をすれば良いのでしょうか? そのために大学はどのような貢献ができるでしょうか?

以上、不十分ではありますが、私の経験と私が何を考えているかについて述べてみました。御理解して頂けたら大変嬉しく思います。