追記2001年10月3日

中山茂氏による内井惣七氏に対する反論が公開された:

中山氏は「内容的に直訳から遠く離れていても、日本語としてもっとわかりやすいし、大筋から違うことはないはずである」と言い張り、「内井氏の批判の背後に、クーンに対する、あるいは私に対する批判があるのではないだろうか」と述べ、ひどい翻訳の問題を内井氏の好みの問題にすりかえようとしている。

しかし、追記2001年3月2日に紹介した飯田隆氏による「クーン『科学革命の構造』 誤訳一覧 (抄)」を見ればわかるように、内井氏の批判は完全に正しい。純粋に翻訳の問題として「訳が悪いから、勧められない」というのは全くその通りである。

例えば、「科学者集団の学派間の競争だけが、かつての定説を廃して新説を採用するに至る歴史的な過程なのである」と訳すべき部分を、中山氏は「科学者集団の学派間の競争というのは、かつての定説を廃して新説を採用するという歴史的な過程をさしているのである」と訳している。この部分はトーマス・クーンの主張において本質的部分なので、中山訳はやはりひどいと言わざるを得ない。

個人的には、改訳版が出版され、修正箇所がネットで公開されるべきだと思う。


追記2001年3月2日

現在私の手許には、飯田隆氏による「クーン『科学革命の構造』 誤訳一覧 (抄)」というノートのコピー (10頁) がある。それを見ると、中山茂の訳を信用するのは確かにまずそうである。その最初に指摘されている誤訳は以下の通りである:

原文 (p.xi, l.16-20)

... For example, the manner in which anomalies, or violations of expectation, attract the increasing attention of a scientific community needs detailed study, as does the emergence of the crises that may be induced by repeated failure to make an anomaly conform. ...

中山訳 (p.vi, l.8-11)

…… たとえば、変則性、予期に反する結果があらわれて、それが科学者集団の注目をだんだん集めてゆく様は、詳細な研究に値する。なぜならその変則性を処理しようと何度もくりかえし試みてもうまくゆかない時は、危機的状態が出現するからである。……

正しい訳

…… たとえば、変則性を処理しようと何度もくりかえし試みてもうまくゆかない時に出現する危機的状態だけでなく、変則性、予期に反する結果があらわれて、それが科学者集団の注目をだんだん集めてゆく様も、詳細な研究に値する。……

中山は "as does" 以降を「なぜなら……」と訳してしまっている。 3番目の誤訳の指摘は以下の通り:

原文 (p.8, l.15-18)

... Competition between segments of the scientific community is the only historical process that ever actually results in the rejection of one previously accepted theory or in the adoption of another. ...

中山訳 (p.9, l.12-14)

…… 科学者集団の学派間の競争というのは、かつての定説を廃して新説を採用するという歴史的な過程をさしているのである。……

正しい訳

…… 科学者集団の学派間の競争だけが、かつての定説を廃して新説を採用するに至る歴史的な過程なのである。……

中山訳ではクーンが何を言おうとしているのか全くわからなくなってしまう。飯田隆氏氏の「誤訳一覧 (抄)」では以上の調子で10頁に渡って大量の誤訳が指摘されているのだが、その最初に次のような但し書きが付いている:

《注意》 ここにあげるのは、クーンの基本的主張を理解するのに特に困難を生じさせるような誤訳の訂正であり、すべての誤訳を指摘してはいない。 (そのようなリストは少なくともこれの●倍にはなろう)

やはり中山茂の訳は相当にひどいと言わざるを得ない。クーンの主張は曖昧であり、過激にも穏健にも解釈できる類のものであり、そのことを利用して極端に相対主義的な主張を宣伝している人たちは困りものである (『「知」の欺瞞』を参照せよ)。しかし、思想史的に (少なくとも極端に相対主義的な主張をしている人たちのやり方を学ぶために) クーンの『科学革命の構造』は重要な文献であり、その上毎年コンスタントに売れ続けているに違いない。だから、より正確な邦訳が出版されることが望まれる。ちなみに原書の third edition には Peter J. Riggs が作成した索引が付いていて便利である。

追記への2011年9月11日の追記 大昔に公開したウェブページの更新はしないつもりだったが、ついさっき「て便利であ」を <del> </del> で削除した理由の説明が必要なので追記することにする。原書の索引について「便利である」と言ってしまったのはあまりにもいい加減な態度であった。原書の索引の実態については藤永茂氏によるブログ記事「SSR第三版の索引について」を見て欲しい。藤永氏曰く「これは何とも奇妙に杜撰な索引です。」藤永氏のブログ「トーマス・クーン解体新書」 ("undokuhn"!!!) には他にもクーンの『科学革命の構造』に関する情報が色々あるようだ(例えば「クーン『科学革命の構造』の翻訳(1)」)。訳者の中山茂氏のブログ「paradigmerのブログ」もあるので合わせて読むと面白いかもしれない(たとえば「71 誤訳問題」)。私自身はどちらのブログもほとんど読んでいないが、興味を持つ人がいるのではないかと思い紹介することにした。現在の私の興味は大幅にシフトしてしまっている。


クーンの『科学革命の構造』の邦訳について

黒木 玄 (東北大学大学院理学研究科数学専攻)

1997年12月20日

Version 0.3 (バグの報告は掲示板へ)

内容: 抜粋簡単な解説私の感想参考資料

『科学革命の構造』(みすず書房、1971)はトーマス・クーン(Thomas Kuhn)の The sctructure of scientific revolutions (1962, 1970)の中山茂による邦訳である。しかし、内井惣七著『科学哲学入門――科学の方法・科学の目的』(世界思想社、1995)によると、「中山茂氏の邦訳は、学術的な使用に堪えないのでお勧めできない」(p.224)とされている。この主張はどの程度のことを意味しているのだろうか? 以下において、内井が訳した部分およびその原文と中山による訳を並べてみることによって、内井の主張の内容を理解するために必要な材料を提供することにする。ただし、原書は最新の Third Edition (1996) を用いる。

抜粋

(1)  原書 p.17 の l.14

原文

... Furthermore, their disappearance is usually caused by the triumph of one of the pre-paradigm schools, which, because of its own characteristic beliefs and preconceptions, emphasized only some special part of the too sizable and inchoate pool of information. ...

内井訳 (p.224)

しかも、[初期の見解の]多様性の消滅は普通パラダイム-前の学派のうちの一つが勝利をおさめることによって引き起こされる。その学派は、みずからの独特の信念と先入観のゆえに、あまりにも膨大で無秩序な情報の山の中から、ある特定の部分だけを強調する。

中山訳 (p.20)

… 差異の消滅は普通、パラダイム前の時期の諸学派の中の一つが成功したから起こるのである。凱歌をあげた学派は、手におえない不完全な情報のプールのなかで、自己の所信と先入観に合う、ある特別な部分だけを強調する。…

(2)  原書 p.18 の l.26

原文

... When, in the development of a natural science, an individual or group first produces a synthesis able to attract most of the next generation's practitioners, the older schools gradually disappear. In part their disappearance is caused by their members' conversion to the new paradigm. But there are always some men who cling to one or another of the older views, and they are simply read out of the profession, which thereafter ignores their work. ...

内井訳 (p.224)

自然科学の発展において、ある個人やグループが、次世代の大半の研究者たちを魅了しうるような最初の総合を成し遂げると、古い諸学派はしだいに消滅していく。この消滅は、部分的には、それらの学派のメンバーが新しいパラダイムに改宗することによって引き起こされる。しかし、いずれかの古い見解に固執する者がいつも何人かはいるものであり、彼らはその専門分野から除名され、彼らの仕事は以後無視されることになる。

中山訳 (p.22)

… 自然科学の発展において、ある個人、またはグループが次の世代の後継者を魅きつけられるような大きな総合的仕事を生み出すと、それ以前の学派はだんだん消滅していく。その消滅は、旧人たちが新しいパラダイムに改宗するために起こることもある。しかし、ある種の人は、常に古い見解にこだわり続けて、専門家たちから除名され、その仕事も無視されてしまう。…

(3)  原書 p.80 の l.29

原文

... But science students accept theories on the authority of teacher and text, not because of evidence. What alternatives have they, or what competence? The applications given in texts are not there as evidence but because learning them is part of learning the paradigm at the base of current practice. ...

内井訳 (p.225)

しかし、科学の学生が理論を受け入れるのは教師と教科書の権威によるのであって、証拠に基づいてではない。彼らにはほかにどのような選択の余地があろうか、またどのような能力があろうか。教科書に示されている[理論の]適用例は、証拠としてそこに書かれているのではない。そうではなく、これらの適用例を学ぶことが現在の[科学の]慣行の基礎にあるパラダイムを学ぶことの一部であるから、そこに書かれているのである。

中山訳 (p.91)

… しかし、科学の学生は、理論を教師や教科書の権威において受け入れるのであって、証拠があるからではない。学生にとっては他に選択の余地はないし、またその能力もないのである。教科書に出ている応用は、証拠として書かれているのではない。応用を学ぶことが現在行なわれているものの基礎としてのパラダイムを学ぶことなのである。…

(4)  原書 p.93 の l.24

原文

... Then, as the crisis deepens, many of these individuals commit themselves to some concrete proposal for reconstruction of society in a new institutional framewaork. At the point the society is divided into competing camps or parties, one seeking to defend the old institutional constellation, the others seeking to institute some new one. And, once that polatization has occurred, political recourse fails. Because they differ about the institutional matrix within which political change is to be achieved and evaluated, because they acknowledge no supra-institutional framewaork for the adjudication of revolutionary difference, the parties to a revolutionary conflict must finally resort to the techniques of mass persuasion, often including force. Though revolutions have had a vital role in the evolution of political institutions, that role depends upon their being partially extrapolitical or extrainstitutional events.

The remainder of this essay aims to demonstrate that the historical study of paradigm change reveals very similar characteristics in the evolution of sciences. Like the choice between competing political institutions, that between competing paradigms proves to be a choice between incompatible modes of community life. ...... When paradigms enter, as they must, into a debate about paradigm choice, their role is necessarily circular. Each group uses its own paradigm to argue in that paradigm's defense.

内井訳 (p.225、赤字部分「政治的手段…ない」は実際には太字)

そして、危機が深まるにつれ、これらの個人の多くは社会を新しい制度的枠の中で立て直そうという具体的な提案に乗り出すことになる。この時点で、社会は対立する陣営や党派に分かれ、一派は古い体制を擁護しようとし、他は何らかの新しい体制を求める。そして、一度この多極化が生じると、政治的手段に頼ることはできない。なぜなら、彼らはそれに従って政治的変化を実現し評価すべき制度的な基盤に関して意見を異にし、また革命の違いに裁定を下すためのいかなる超-制度的な枠組みも認めないのであるから、革命の闘争における諸党派は、最終的には、力の行使もしばしば伴う大衆説得の手段に訴える。革命は政治的制度の発展において重要な役割を担うが、その役割は革命が部分的には政治の外の、あるいは制度の外の出来事であることに依存する。

本書の残りの部分で目標とするのは、パラダイム転換に関する歴史的研究が、科学の発展においてもきわめて類似した特徴を明らかにするということを証明することである。競い合う政治制度の間での選択と同じように、競い合うパラダイムの間での選択は、社会生活の両立しない二つの様態のどちらかを選ぶかという問題であることがわかる。…… パラダイムの選択に関する論争にパラダイム自体が――そうならざるをえないように――入ってくるとき、パラダイムの役割は必然的に循環することになる。各々のグループは、みずからのパラダイムを擁護するためにそのパラダイム自体を使うのである。

中山訳 (p.105)

… さらに危機が深まるにつれて、このような個々人が集まって、社会を新しい制度の中で再建しようとする具体的な提案を行なう。この点で社会は、両立しない党派に分かれ、一つは古い制度を擁護しようとし、他は何か新しいものを作ろうと求める。そして一度この分極化が起こると、「政治に頼ることは不可能になる」。政治改革を達成し評価を行なうべき制度的基盤が違っているのだから、また、革命の差異を判定する超制度的な体系を認めないから、革命闘争における各党派は、ついに最後には力を伴う大衆説得の技術に訴える。革命は政治制度の発展に重要な役割を持っているが、その役割は革命が部分的に政治外の、あるいは制度外の事象であることによるのである。

科学の発展において、これと同じような正確がパラダイム変革の歴史研究から明らかになることを証明しようというのが、この本の後半のねらいである。対立する政治制度の間の選択と同じく、対立するパラダイムの間には、両立しない集団生活の流儀の間の選択の問題がある。…… パラダイムの選択が問題になり出すや、その評価の手順の役割は必ず循環的になる。各グループは自分のパラダイムを、そのパラダイムの擁護を論じる際に使用する。

(5)  原書 p.148 の l.18

原文

... In the first place, the proponents of competing paradigms will often disagree about the list of problems that any candidate for paradigm must resolved. Their standards or their definitions of science are not the same. ...

内井訳 (p.227)

まず第一に、競い合うパラダイムの信奉者たちは、どのようなパラダイム侯補であれ、解決しなければならないような問題のリストに関してしばしば一致しないであろう。彼らが持つ科学の標準あるいは科学の定義は同じではない。

中山訳 (p.167)

… まずはじめに、対立するパラダイムの主張者たちは、パラダイムの侯補が解決しなければならない問題のリストについて、一致を見ないことが多い。科学についての彼らの基準や定義は同一ではない。…

(6)  原書 p.149 の l.8

原文

... Within the new paradigm, old terms, concepts, and experiments fall into new relationships one with the other. The inevitable result is what we must call, though the term is not quite right, a misunderstanding between the two competing schools.

内井訳 (p.227)

…… 新しいパラダイムにおいて、古い用語、概念、そして実験は互いに新しい関係のもとに置かれる。その結果、二つの競い合う学派の間でわれわれは、まったく正しい言い方というわけではないが、誤解と呼ばなければならない事態を避けられない。

中山訳 (p.168)

… 新しいパラダイムの下では、古い用語、概念、実験はお互いに新しい関係を持つことになる。その結果、適切な言葉ではないかもしれないが、二つの対立する学派間の誤解と呼ぶものに、不可避的に至るのである。…

(7)  原書 p.150 の l.6

原文

These examples point to the third and most fundamental aspect of the incommensurability of competing paradigms. In a sense that I am unable to explicate further, the proponents of competing paradigms practice their trades in different worlds. ...

内井訳 (p.227)

これらの例は、競い合うパラダイム間の通約不可能性の第三の、そして最も基本的な側面を指し示している。わたしがそれ以上説明できない一つの意味において、競い合うパラダイムの信奉者たちは互いに異なった世界で仕事をしているのである。

中山訳 (p.169)

このような例は、対立するパラダイムを同一の基準で測れないことのいま一つの最も重要な面を指摘している。私はどうもこれ以上うまく説明できないが、ある意味では対立するパラダイムの主張者は、異なった世界で仕事をしているのだ。…

(8)  原書 p.75 の l.21

原文

... It is often said that if Greek science had been less deductive and less eidden by dogma, heliocentric astronomy might have begun its development eighteen centuries earlier than it did. But that is to ignore all histotical context. When Aristarchus' suggestion was made, the vastly more reasonable geocentric system had no needs that a heliocentric system might even conceivably have fulfilled. ...

内井訳 (p.230)

ギリシアの科学があれほど演繹的ではなく、あれほどドクマに支配されていなかったとしたなら、太陽中心の天文学は実際より18世紀も前に歩みを始めたかもしれなかった、とよくいわれる。しかし、これは歴史的文脈をすべて無視した見解である。アリスタルコスが[太陽中心説を]提案したときには、地球中心説のほうがはるかに理にかなった説であり、太陽中心説でなければ満たすことができないような必要など想像さえできなかったのである。

中山訳 (p.84)

… ギリシャの科学があれほど演繹的でなく、あれほどドクマに拘束されていなければ、太陽中心説は、コペルニクスよりも十八世紀前に始まったであろう、と見る向きがある。しかし、それは全く歴史の流れを無視した言い方である。アリスタルコスがその意見を述べた頃は、地球中心説のほうがはるか首肯できるものであって、太陽中心説の出る幕はなかった。…

(9)  原書 p.76 の l.21

原文

... But that invention of alternates is just what scientists seldom undertake except during the pre-paradigm stage of their science's development and at very special occasions during its subsequent evolution. So long as the tools a paradigm supplies continue to prove capable of solving the problems it defines, science moves fastest and penetrates most deeply throught confident employment of these tools. The reason is clear. As in manufacture so in science-retooling is an extravagance to be reserved for the occasion that demands it. The significance of crises is the indication they provide that an occasion for retooling has arrived.

内井訳 (p.232)

しかし、科学者は、このような代替[の理論あるいはパラダイム]の発明をほとんど行なわない。例外は、彼らの科学の発展のパラダイム-前の段階と、その後の展開のきわめて特別な時期のみである。一つのパラダイムが提供する道具立てが設定された問題を解く能力を持続するかぎり、この道具立てを信頼して使うことによって、科学は最も速く進展し、最も深いレベルまで達する。その理由は明白である。工業においてと同様に、科学においても、道具の取り替えはそれが必要とされる時機まで控えるべき浪費だからである。危機の意義は、道具を取り替える時機がついに来たということを示す点にある。

中山訳 (p.86)

… ところが、代わりのものを発明することを、科学者は滅多にしない。ただ、科学の発展の前パラダイム的状態とか、その後の発展におけるある特別な場合だけが例外である。一つのパラダイムが与える道具立てが、その設定する問題を解く上でまだ十分役に立つものである限り、これらの道具立てを安心して使うことによって、科学は最も速く進み、最深部にまで貫き通る。その理由は明らかである。物の製造と同じく、科学でも道具を変えることは浪費であり、どうしても必要になるまではさし控えられる。危機の意義は、道具立てを変える機会がついに到来したことを示す指標を与えることにある。

簡単な解説

内井惣七は、『科学哲学入門――科学の方法・科学の目的』(世界思想社、1995)の第7章において、クーンを批判的に論じるために、The structure of scientific revolutions から引用している。内井は正確を期すために、自分自身で邦訳を行なってる。上の抜粋は、内井によって訳された部分およびその原文と中山による訳を抜き出したものである。(1)から(7)は第7.3節「クーンの急進的主張」で引用されていて、(8)と(9)は第7.4節「クーン説の一般的難点」で引用されている。

内井がクーン自身の言葉を慎重に自分自身で邦訳した上で引用した理由は、第7.3節の最初の段落を読めばわかる。

次に、クーンが『科学革命の構造』の中で展開した、科学の進展と理論選択に関する一連の急進的主張を紹介しておこう。後にクーンは、彼にこれらの「主張」のあるものを帰属させるのは「まったくの誤解である」とする弁明的な論文を書いているのだが、クーンのこの本と「主張」が歴史的に果たした役割を見るためには、むしろ「誤解」された形の主張を知っておくことのほうが必要であるようにさえ見える(また、「まったくの誤解である」という彼の言い分を全面的に認めるわけにはいかないことが、以下でわかるであろう)。 (p.223)

私はこの意見に全く賛成である。なぜなら、現実には、クーンの名前が道具として利用されるのは、大抵の場合、クーンが自分自身に帰属させるのは「まったくの誤解である」と弁明しているところの「急進的主張」が紹介されるときなので、クーンが「誤解」であると感じている過激なバージョンの「主張」を批判的に検討しておく必要があるからである。 (批判的検討の内容については、内井の著書を見て欲しい。)

この目的のためには、クーンの The structure of scientific revolutions に書かれている文章を正確にしかも素直に解釈することのが望ましい。しかし、中山による訳は「学術的な使用に堪えないのでお勧めできない」と内井が主張していることはこの文書の始めの方で述べた通りである。

私の感想

ええっと。抜粋を見ると、中山の訳が少々雑であることがわかります。(例えば、有名な incommensurability の主張に関して重要な(7)に関して、 "third" の語は素直な「第三の」ではなく「いま一つの」と訳されていて、 "fundamental" は「基本的な」ではなく「重要な」と訳されていて、 "incommensurability" は「通約不可能性」でも「共約不可能性」でもなく「同一の基準で測れないこと」と意訳されている。)  このことから、「学術的な使用に耐えない」のは確かなことでしょう。

内井惣七の『科学哲学入門』の「文献表」において、中山茂訳の『科学革命の構造』と常石敬一訳の『コペルニクス革命』には、「この訳は信頼性に乏しいので原典を併せて参照すること」という同一のコメントが付けられています。『コペルニクス革命』に関して、内井が指摘している常石の翻訳の問題点は「学術的な使用に耐えない」だけではなく、一般読者をも困らせるレベルに達しています。しかし、同一の否定的なコメントが付けられてはいるものの、上の抜粋を見る限りにおいては、中山の訳はそれほどひどくはないように思えました。

余談。一般に索引のない本は大変不便なのですが、原書の Third Edition には Peter J. Riggs による索引が付けられています。

参考資料


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